私的正論。

2001年12月29日(土) 今年最後の、答えのない日記。

顔を知らない知り合いの一歳の子供の死を、家人に知らされた。

家の前ではねられたそうだ。はねたのは四十代のパート主婦。
何かの配送の途中だったらしい。

知り合いの知り合いくらいの関係、だから。
弔いに行くわけじゃない。

ただ残念だ。

残念で仕方ない。




やがて、自然。

はねた方の主婦の今に、思いが及ぶ。
年の瀬の、あわただしい気分の中で。
完全なる不注意だったとも、思われない。

なんせ一歳の子供。
完全に死角に入る。
動きに予測が付かない。
判断力がない。

車のハンドル握る人間なら、誰しもゾッとする事件。

一歳の子供は一人で外に出ない。
けど。
一歳の子供を制御するのは至難の業。


チョロチョロと動き回る子供を、大人が見失った一瞬の出来事、だろう。

はねた主婦にも子供が居たろうか。
居たろうな。

年末どころか人生が暗黒に染まっちまったかのように思える瞬間の。
長さを思うと。

ただ。震える。




けど。

なあ。もし、そんなやりきれない事件の加害者に、なっちまったら?

なあ。そんな時の処世術。これまでの人生で誰かに教わったか?

誰か教えてくれたか?




そんなこと聞かれたってみんなヨ。
顔を曇らせ。心の中で言うに違いない。

そんなことになったら大変だから、そんなことにならないように気を付けてるんだよ。
そんなことになってしまったら、もうどうしようもないよ。

どうしようもないよ。とナ。



けど。
どうしようもねー、て言われても。

今。実際。そのどうしようもない現実に囚われてる人が確かに居る。

誠心誠意お悔やみを言えばいいか?
仕事中の事故だ。会社が慰謝料を出してくれるか?

けど。

一歳の子をはねた。その子を殺してしまった。



その時の。その謝罪。どんな顔で? どんな言葉で?



誰も知りゃしない。

けど。

テメエの子が一歳ではねられたら。
どんな顔も。どんな言葉も。

どんな謝罪も。


受け入れられないことだけは、みんな、わかってるんだろ?








年末の。やりきれない事件。

死んだ子供が本当に気の毒だと家人は言った。



折しも皇室のご出産でまあ。普段なら見かけねーような赤ん坊の写真が新聞に踊る。
取ってつけたよに育児を礼賛する記事。テレビ。これからますます増えていくこの時期。


家のモンも辛い。
一緒に居た親か保護者も辛い。

はねた主婦も辛い。

確かなことは、今。ただそれだけだ。




桜木は。

いつ自分がそんな事件の加害者になるか。
いつ自分がそんな事件の被害者になるか。

そういう考え方をやめられない。

けど。

どうやって自分が加害者として振る舞うのがイイのか。
どうやって被害者として対応すればいいのか、てことすら。

わからねーまま。

また年が暮れて。
年ばかり取る。年ばかり、取りやがる。



車の運転は慎重に。
ちっさい子供からは目を離さねーように。

て。オイ。

大の大人に言えることが、たったそれだけか?



そんな自問自答もむなしく。

ただ。泣きはらした顔と嗚咽だけが彼方にある。



「いつそうなるかわからないんだから気を付けろ」と。

言えることは、たったそれだけ?




ガキの頃。
花瓶一個落として割ったって、押し入れに隠れたくなったよナ。
それが人間。



それぞれの思いが、まっとうならまっとうなほど、辛いんだ。
それが人間。

その加害者の心を。
被害者たちの後悔を思いながら。


それでも年は明けると。
それでも明日は来ると。
そんな言葉が、今、何になる?


本当の悲しみの前にあって。
出来ることなんてわずかだ。


小さい小さい子供の亡骸に。
花を。

その旅立ちに。花を。



他に何が出来る?

出来はしないんだ。



ただ幸いあれと祈るだけだ。
生きとし生ける者全ての頭上にただ。
幸いあれ、と。







桜木は。

これが今年最後の日記。

無事に生きてりゃ。

来年、家人の実家から戻ったあたりにでも。
挨拶します。

くれぐれも気を付けて良い年を。

今年の出会いに感謝しながら。
今年の幕を閉じる。

人生の幕まで閉じちまわねーように。
ま。

ちっと、気を付けつつ、な。



2001年12月25日(火) ウカウカしてたら札束抱えて死ぬのかも。

毎年誕生日だのクリスマスだのの度。

あの入れ物を畳むのがめんどっちィのは桜木だけ?


けっこういい紙使ってるよナ、アレ。

結局捨てちまう。ちっともったいねーよナ。

こう見えて地球に優しくすることにやぶさかじゃねー桜木。
いっそ「マイケーキボックス」てのでも作ったらどうだ?

最近流行ってるじゃねーか。マイバッグ。


ケーキ屋は速やかにマイケーキボックスを導入するべき。
マイケーキボックスご使用の方にはスタンプ一個差し上げます。ての。

点数が溜まったらちっとゴージャスな誕生日ろうそくなんぞもらえたりする。

イイと思うんだがナ。この発想セコいか?



あと汚ギャルてのは地球に優しいと思った。ガンバレ、汚ギャル。






そらそーとヨ。

日本の経済水準て今どれくらいなんだろナ、と家人と話してて。
そら、けっこう高いんでねーの、て話ンなって。

けどなー、国の借金は多いし失業も増えてるし。
それでて、貯金ばっかしちまって金使わねーで消費は冷え込んでるッつーし。

アレだナ。


国がなくなっちまったら貨幣も何もねー、てこと。
円も何もねー、てこと。

意外にわかってねーのか? 金持ってる人間ていうのは。

カシイよな。

金持ってンだ。頭も持ってるはずなんだが。まったく、ッカシイ話。




貧乏人は何事につけ「ヘンじゃねーか」て思う。

けど。

ハッキリ言って。



ガタガタ忙しいともう、ソレどこじゃねーし。




ソレでかネ。貧乏ヒマなし。文句なし。
満ち足りたお顔のカネモチも。
ヒイヒイ言いながら休み返上で働く貧乏人も。

政治に無関心。



で、ウカウカしてる間に国はどんどん傾いて。

頭使わねーわカネは貯め込むばっかだわのカネモチは。
札束抱えたままオッ死ぬのか?



けど。

抱える札束もねー桜木よかマシか。

アー。ムナシイ。


育英会つぶすくらいなら発泡酒の税金上げろ、て言ってるムスメさんを見かけたが。
諸手挙げて賛成。


て言いつつ発泡酒飲んでる桜木。

サ。

酒飲んで寝ヨ。で。明日もガンバロ。



2001年12月24日(月) いつか必ず会えなくなるからこそ愛しいんだ。

クリスマスどこじゃねー。
けどケーキくらい切ってやる。メリークリスマス、くらい言ってやる。


しかし東シナ海は寒いだろナ。
捜索の人たちは本当に大変だと思う。
桜木程度で文句言ってたらバチがあたる。



今年はテロがあったり。
アメリカのクリスマスは痛々しいものになっただろう。

もちろん日本でも大勢の人が死んだだろう。
死なない人間はいないんだ。

必ず死ぬんだ。



恋人が夫婦になっても別れないで済むわけじゃない。
死が二人を分かつ。

それは誰にでも必ず来る運命ってもん。


けど。


いつか必ず会えなくなるからこそ。
今。

抱きしめたくなっちまうんじゃねェ?



チラッとそんな気がした。

どうせ会えなくなるよ。アンタとも。アンタとも。




けど。

だからこそ今こうしてるのがユカイ。

そう。


だからメリークリスマスくらい、言ってやる。
来年のクリスマスには無くなってるかもしれない様々なモノ。

けど。少なくとも今は、ココに有るモノ。ココに居る人。


それを言祝ぎ、愛しむ。それでいい。



メリークリスマス。
そして星ひとつ見上げる瞬間くらいは。

どこかの誰かの幸せのために祈ったって。



バチは当たらねーんじゃねェ? よう。ソコ歩いてくカップルども!



2001年12月21日(金) ネット恋愛における失恋作法について考えた。

クソ忙しい時に。
若いノから長メール。
軽い気持ちで仲良くした女の子が「切れてくれない」んだと。


この若いノ。なんたることか、すでに立派な彼女が居る。居てやがる。
つーか、その子のちっと後に、やっぱネットで知り合ったらしいんだが。

でまた、その彼女は「自分の他にも仲良くしてた子が居る」てのも知っていて。
けど。別にいいんじゃない? て感覚。


でま。問題はその「切れてくれないカノジョ」。
けど。「どうしたらいいでしょう」て言われてもヨ。

そもそもヘンだろ。どうもこうも最初ッから筋の通ってねー話。

ネット恋愛つーのは。アレか?
ごく当たり前の「ヒトとしての常識」つーやつを完全に無視したとこから、しか。


始まらねーもん?
ナンテ。言ったら怒られるわナ。マジメに取り組んでる方々に失礼ってモン。


そこで桜木。考えたヨ。
ネット恋愛つーの。言うなれば、マトモに失恋も出来ねーんだナ。

メール書く。返事来る。
また返事書く。返事来る。

けど。

ある日プッツリ。あんまり何通も出すのも嫌がられるだろーと思って。
何日かしてから。それとなく同じよな内容のを出してみる。

それでも返事が来ない。
来なくなった。


なんでか? つったら。
ふつうなら、まー。「キラワレタ」て言うわナ。そういう状況。


けど。ネット恋愛に夢中のミナサンつーもんは。
そういうのは「失恋」とは思わんらしい。

じゃーナンナンダ? と桜木なんぞは思うんだが。
失恋じゃないらしい。ようワカラン。


失恋だろソレ。
終わってるだろソレ。



まー、さ。「そう思いたくないキモチ」は、この桜木にも、わかるツモリ。

けど。
それっつーのは限りなくストーカーへの道。と違うんか?



だってヨゥ。好きでもねー相手から毎日電話が来る。

ドウスル。

携帯なんつー便利なもんがなかった時代は。留守電攻撃。
相手がわかるまで出ねーの。
そいつからだとわかったら永遠に出ねーの。


したら。やがて終わる。電話も来なくなる。安堵ってヤツ。

けど。

なんだ。メールてのは。
「今日来るかも」「明日来るかも」みたいにヨ。

直接迷惑じゃねー分、けっこうハラハラするらしい。
その若いノも、そろそろノイローゼ、なんて書いてたゾ。

もう諦めたろう。
もう忘れたろう。と思ってっと。

メールが来る! ホラーだな。「ミザリー」もかくや。


で。なんつーかソノ。

メアド替えれば? て書いたら。

サイトを知られてるから…、なんて言いやがる。

サイト知られてる? アホか。アホちゃうか。
ンーな責任あるコトやっといて。テッキトウなことカマシやがって。

それで文字通り、アホか。と書いてやったら。


そんなこと言わんで頼ンます。と来たもんダ。
何をヨ。

ネット恋愛なんつう正体不明のモン。桜木の手にャ余るワイ。
このクッソ忙しい時に全く。

恥ずかしいヤツ。と書いてやった。



アー。ネット恋愛ネット恋愛つっても。
デートやら何やらまでこぎつけりゃ。まだマシだわナ。

けど。
一度や二度しか会ってねーのに言葉だけでメラメラ燃えちまったりすると。
コレが厄介。

なまじか遠くに住んでたりすりゃ。ますます厄介。

大体ヨ。

ふつう。失恋てのは過酷なもん。


ナシのツブテなんぞ、ヨ。当ッたり前と、違うんケ?

この頃あのヒトつれないわァ、なんて思ってっと。
向こうの通りから、どっかで見たよな顔が歩いて来たりして。
アラ、あのヒトだワ、なんて喜んでたら。

横に可愛い女の子なんぞ連れてたりして。

そのまま引っ込んでるのも腹が立つから。

「コンニチハ」

なんてワザと笑って挨拶なんかしてナ。そうすっと敵もサルもの。

「ああ。この子、友達なんだ」

なんてナ。隣のカワイコちゃんに紹介されちまったり。


上から下まで観察して。まー。テメエの負けってヤツ。

そら。ムカつくヨ。悔しい。殺してやる。くらい思うだろうヨ。


けどな。あんま引きずらないで済むのと、違うかナ。
なんせ目の前で、見せつけられちまって。

もはや「あのヒトどうしているカシラ」なんつー妄想もヘッタクレも、ねーもんナ。

そいつは言うなれば。
「失恋」て文字が。ギャートルズみたいに落ちて来て割れたよな感じ…。

ま。ヤケ食いでもして、忘れたモンよ。
それが大昔の、コザッパリした「ギャル」たちってヤツだった。




桜木も。恋愛するのにヨ。
資格がどーの、なんてヤボなこた言いたかねーんだけども。

どーもソノ。

アンタのそのカンガエカタで、恋愛? 一生無理だろ?

て勘違いチャンが居るのも真実みてーだナ。


ワケのわからん女に横恋慕されるキョーフ、アンタにワカル?
つれなくしてもしてもコタえないターミネーターみてェな男のキモチワルサ。

覚えある?


ま。ねーだろし。


結局その若いノには。まー。自業自得。と伝えておいた。

知るかいな。勝手にせェよ。仕事はヤレよ。と伝えておいた。



アー。それにつけても、まったくヨ。こうまで世間の思惑どおり。

「気軽なネット恋愛」「人間関係もゲーム感覚、リセット感覚」みてーなヨ。

アホくせェコト。さらしてくれるな。若モノよ(ナニ、イイ年したオッサンもやってる? そいつは失礼)。



さて、まー。

ネット恋愛における、失恋作法。
今日の桜木の結論は。こんなかナ。


ネットで男(女)捨てたなら。
メアドもサイトも掲示板も一蓮托生と心得ヨ!



ロクに覚悟もしてねーくせに。
イッチョマエにネットで恋愛ゲームなんざ。10年早ェってコト…。



2001年12月20日(木) 全ての人間は究極の能力を持っている。だから、元気出せ。PS.

覚え書き。



あのさ。

もし。アンタに子どもがあって。
アンタが死んで。アンタの子どもの面倒を見てくれる人間が。

一人も居なくなっちまった、とするよな?

縁起でもねーけど。たとえばの話。


そうなった時。そんな風になった時。子どもっていうのは。

一体どんな能力を身につけてたなら、この世界を幸せに生きていくことができると思う?


桜木にも居る。
まだ小さい。笑うこと。食うこと。探り出すことばかり巧みになって。
まだまだ小さい。


そんなアイツらが。

こんな世の中にほっぽりだされたとして。一体。

どんな能力を持ってたなら。幸せに。笑いながら生きてくことができるんだろうナ?



究極の能力。

そいつを。アイツらに与えてーよ。

究極の能力。


それが何なのかを。わかりてーと思う。



あー。何だろうナ。

金を作る能力? 他人に媚びて取り入ってく能力?
ま。親なし子が生きてくためにはナ。そういうもんも、必要には違いない。


けど。
桜木は思うんだよナ。


人間に必要な。究極の能力ってのは。さ。


ただ。

いつでもテメエの目の前にあるモンを見て。
それを受け入れ。

それでいて、それが全てじゃねーんだ、てことを理解する…、その、心とも言えない。
考えとも言えない。価値観とも言えない。

なんとも言えない…。感覚のような、そんなもんじゃねーのかな、って。


春。あったかく湿った地面に、種を蒔く。
そこにあるのは種。湿った地面。空気と太陽と。それだけ。


けど。
やがて芽が出るよナ。茎が伸び、つぼみが出て花が咲き。また種をつける。

そいつを。

種を蒔く人は知っている。だから種をほじくり出したり。
ジッと見つめてても芽が出ねーから、なんて。

腹を立てたりしねーよナ?


人間の究極の能力。
それは。

いつでもテメエの目の前にあるモンを見て。
それを受け入れ。

それでいて、それが全てじゃねーんだ、てことを理解する…、その、心とも言えない。
考えとも言えない。価値観とも言えない。

なんとも言えない…。感覚のような、そんなもんかもしれない。


人は、いつ。種はやがて芽を出し花を咲かせるんだ、てことを知る?
誰にそれを教わる?
誰にそれを教わった?

はは。もう、覚えちゃいない。

そう、それは知らねーうちに。誰かが必ず、教えてくれるコト。



けど。それなら何故。なのに何故。
今テメエが生きている現実だけを見て。

テメエには未来もシアワセも永遠にやって来ねー、なんて言う?




桜木は。
アイツらが、もうちっと成長したら。きっと、そのことを、伝えるつもり。

目の前にあるものをしっかり見ろ。

けど。それが全てじゃない。


だから元気を出せ。





もうじきクリスマス。
恋人も。金も、仕事も。何にもねーかもナ。ああ。何にもねーのかも。

けど。
そいつが「種」じゃねーって。
誰に言える?



なあ。
春に種を蒔いて。

ジッと見てても芽が出てこねーからって。諦めちまうのはガキんちょだけ。


究極の能力ていうのは。
そう。

他人に媚びる力でもない。
金を作る力でもない。
他人を見下す傲慢さでも。他人に食い荒らされる優しさでもない。

多分。

「今は、いつも、蒔いたばかりの種」

て考える気持ちだと思うヨ。




もしもアンタにも、子どもが居るのなら。
アンタの子どもたちに、ヨロシク伝えてほしい。


一緒にいい未来を作っていきてェな。て。

ウチの子どもらからの、伝言を。伝えてほしい。



いい寝顔だろ?

そう。

いい寝顔だよナ。




ps./


私信はヤラねー方針だが特別。
そう。アンタの解釈と桜木の解釈。同じと思うヨ。

蒔いた種の行く末を見守っていくためには。
生き続けねーと、ナ。

ただその意志。その能力のねー人間が居るモンだから。
日に日に自死遺族が増えていく。

チクショウ、だ。

けど、まさに。生き続ける意志。アンタのその究極の能力に、乾杯。



2001年12月17日(月) コトバを安っぽくコネくり回して遊んでンじゃねーヨ。

この『エンピツ』で日記書いてる人ラの中にも。

将来は何か書いて食っていきたい、とか。

本の一冊も出してーナ、とか。考えながら書いてる人が居るんじゃねーかと思う。



そういう人ラの参考になるかならねーかは、サテ置いて。
桜木の腹にすえかねた出来事について。

今日は書く。

ま。徹頭徹尾。文字通り。
桜木の「私的な正論」と思って聞いてもらえりゃイイと、思ってる。



とあるライターと、ちっと仕事の関係でナ。煮詰めるコトがあって。

こっちの意向とか。伝えられるコトは全部伝えたつもり。
あとはまー。そのライターが何を書いてくるか、てのにかかってた。

で。第一稿。

まあまあ書けてるが。奇妙に浮いてるレトリックが、一つ有ってな。
けど。
まあ。全体的な仕上がりの方が先だから。
ようするにさ。テーマに添って、書けてりゃいいから。

もう少しこんな感じで頼みマス。電話を切った。

で。第二稿。

そこそこまとまって来てる。が。アチコチ切り張りしたあとの原稿の中に。
あいかわらず、アノ例のレトリックが、ぶら下がってるよな感じ。

そこまで来ると。ま。桜木もちっと鈍かったかもしれねーが。
アア。
このレトリック、「自分では上出来」「生かしたい」て思ってんだろな、てピンと来る。

そこでまあ。そこまで気に入ってんならヨ。生かしてもらっても悪かない。
ただ。
ココのコノ原稿で必要なのは、こういうコト。こういう空気と。
じゅうじゅう説明さしてもらって。
電話を切った。

で。第三稿。

なんつか、もう。原稿が割れている。真夏のタンボみたいに割れている。
その割れたタンボの真ん中に。

例のエピソードが残滓を残してる。


桜木。静かにキレた。

そもそもナ。桜木が関わるまでに。他のコがすでに関わってた。この原稿。
そのコが「ライターさんと意志の疎通がつかなくて」って泣いたんで。

えっこらえっこらと桜木に回って来た、この原稿。

静かにキレて。
電話じゃ人の話聞けねーのかな、て思って。メールに書いた。

○○様には、なにとぞ当方依頼の意図と内容について十分なるご理解をいただいた上で。
ご自由に○○様の「持ち味」の部分について、発揮していただけたらと存じます。

とま、こんな感じの。慇懃無礼な一文を書いてやった。



で。結果は? 第四稿でOK。

ようやくそれなりにまとまったモンが、戻って来た。けど。

コトバを使って仕事する、てことの意味。
コトバを回して金を取る、てことの意味。

そいつと「自己表現シタイ!」って欲望の狭間で。
そのライターさんがどんな未来を選択してくに至ったか、てコトについては。

どうにも見えて来ない、エピソードだった。
若いコらとも、ちっと相談して。
しばらく仕事頼むのは止めた。

担当者ともツーカー。
直し二、三カ所でOKデスてなライターさんなら。トニカクも。

未完成の原稿を、おかしな「自己満足」で引っ張ったって。
担当者には嫌われるばっかりで。
ロクなことにゃ、ならねーってコト。



どんなことをどんな風に書いても、金がもらえる、てのは。

やっぱ。なんかの賞とかヨ。そんな立派なお冠を手に入れてから、なんだよナ。


それまではとにかく。「目的に添った文章」だけが商品になる。
それがどんなに「アンタ自身にとって価値のあるコト」であったとしても。

「目的に添ってない文章」なんざ。ヘのツッバリにもならねー不燃ゴミ。



『エンピツ』で日記を書くことは。そりゃ。たいした文章修行にはなると思うヨ。

けど。

ただ、漠然と思いのたけをブチまけたってしょうがねーし。
ただ、何となくいろんなジャンルに書きまくったってしょうがねーし。

本気でプロになりたい、て思ってんだったら。

一つの日記に。なんつうか、もっと。力を集中して。
コレが自分だ、コレが精一杯の自分だ、ていう。

そういう主張をすることに「慣れ」てった方が。断然有効に違いないと。
桜木は思う。


すでにプロでやってる人が気ままな日々のコトを書き連ねるのと。
いつかプロになりてーと思ってる人が、野心や自己顕示欲ギラギラさせて書くのとで。

日記のスタイルが一緒、てんじゃ。
あんまり良かァねーんじゃねーかナ、と思う次第。

ただ書いて書いて書きまくった、からって。
残念ながら。
よほど幸運な例を除いては。

うまくはならないと思う。


ちっとセンセーショナルな題材で人目を引いて。例えば票が集まってさ。
で。その先は。何なんだろ。

「文壇をめざす」

ていうんじゃなくて。

「文壇をめざしてる風ごっこ遊び」

ていうんなら。まあ。止めねーし。つうか、何もかもみなカラスの勝手だが。


くだんの「かけだし」ライター氏のよに。

テメエの可能性ってのを。
コトバをコネ回して遊んでるレベルで、オワリにしたくないんなら。


もうちっとキビシイ気持ちで臨んでもいいんじゃねーか、て。
思うダケ。

アマチュアの物書き志望の人間が集まるフォーラム、てのはネットの中にもたくさん有る。
批評、批判、足の引っ張り合い。大ゲンカ。
けど、そんな中でまあ。負けん気強く残ってった人間の中に。

今は随分と名を馳せてるライター、てのも何人か、居るもんだヨ。


ソコまで真剣にヤリタイわけじゃないからア、て言うんなら。
アイ。ワカリマシタ。桜木のお節介。ヤな思いさせたんだったら。謝るヨ。


『エンピツ』で。日記書いて。お友達作って。楽しいナ、ていうのは最高。
この素晴らしき、日記を介したコミュニケーション。万歳。だ。

しかし。しかし。

もしもカケラでも「プロになりてー」なんて色気が、あるんなら。
今からでも遅い、てことはねーんだからさ。

もっとこの『エンピツ』のシステムを。
有効に使ってみてもいいんじゃねーか、て思う次第。




サテ。年の瀬で。
毎日毎日更新すんの。ちっと難しくなってきやがった。

『エンピツ』日記の作者サンから。
ベストセラー作家ご誕生、ナンテ初夢でも、見てェモノ。

今日のタイトル。扇情的なタイトルに乗っかっちまった。
いや。
乗っかってくれちまった「内省的」なコトバ書きの人たちに。

アリガトウ。

良いテキストを。

そして。

良いクリスマスを。良いお年を。




可能性ってモンを信じて「我を張る」「ガンバル」気のある全ての紳士淑女のミナサンに。


チャオ。



2001年12月16日(日) 死にたくなったら。

裸で便所に座ってみナ。

腹の底から「寒ィ!」「死にたくネェ!」って気持ちンなって。



ブルブル震えながら布団の中か。コタツの中に逃げ込みたくなること請け合い。


けどな。それでもそのまま「死んでやる」て思うんだったら。

困ったナ。



そこまで強烈な「死にたい欲」。そらもう桜木の手にャ、負えねーヨ。


けどまー。死にたくなったら。

裸で便所に、座ってみナ。



暖房きかせた便所じゃなくて。
スキ間風吹くボロ便所。


死んでく恐怖、なんてモン。
死んだことねーから知らねーが。
ほぼまー。疑似体験。

ブルブルふるえて。



そりゃもう。オッカネーことこの上ナシ。

テメエの身体ン中にある。

「死ぬのはコワイよ」「生きていたいヨ」って思いに触れられる。

ちっと心臓麻痺の可能性アリの。オッカネー実験。



それともホントに死にそうなこた、やりたくねーか。
それもイイ。


ナニ。

ただ。ただヨ。


今夜風呂に入る前、便所で。この桜木が。

文字通り死にかけた、てだけの話。




死にたくねーとか以前にヨ。
寒ィのがゴメン。

寒ィのは堪忍だ。


むろん死ぬのも。
堪忍だ。



死にたくねーよナ。

まだまだ。

死にたくねーてのが。   今日の結論。



2001年12月15日(土) 「ココロ」のかかりつけ医があればいいナ。


単純な風邪ッピキとは比較にならねーのが、ココロの病。




ガッコでのイジメ。職場からの退職勧告。離婚。不倫と。
ココロの病の「原因」になるコトは増えてく一方なのに。

そのココロの病と向き合うすべは。あまりオープンになって来ていない。


新聞のコラムでは盛んに「堂々と心療内科の門をくぐりましょう」なんて書いたるけど。
行けッかよ。堂々と。

まーむろん。
記事書くほうも、「行けないだろうなあ。行けないとは思うけど行かないと。行った方がいいんだよ。だからホラ行こう。行きましょう」くらいの気分で書いてるだろうけど。


薬をもらったらラクになった、て人も多いわけで。
ココロの風邪、なんて言い方も、わりにメジャーになって来たわけで。


けどなー。まだまだ。世間の認識が低いってのは否めない。

そこでどうだろ。
またまたクダラナイ桜木の提案だ。


物心つくか。コトバを獲得するかしないか、あたりでヨ。

国民ぜんぶ。「ココロのかかりつけ医を持つ」、てのを習慣にしてみたら。






乳幼児を取り巻く世界でも。最近、「ボーダー児」とか「自閉症児」なんてコトバが聞かれるようになって久しい。
乳幼児の精神遅滞や言語、脳機能の障害については、気づくのは早ければ早いほどイイらしい。けど。気づきたくない、気づくなら遅ければ遅いほうが。イヤ、気づくこと、知らされることも放棄したい、ていうのが親心だろう。

だからこそ。「ココロのかかりつけ医」てシステムを作り出す。誰もが皆、ちっさい頃からつまずいた人間関係についてや、忘れられない事件、本人も気づいてないようなトラウマについて話せる「医者」を持つ。

そうすりゃ。きっとたぶん。

うんとちっせェ頃から、「この子はこういう先生のいるクラスに行けば幸せじゃないか」とか「この人にはこんな職場のこんな環境で働くことが適してるんじゃないか」ってことがわかってさ。

だいぶ。気持ちを病む確率ってのが低くなるような気がするんだけど。





もちろん。

ンな。ココロの奥底のことを知り尽くした人間が居るのはコワイとか。

そういう意見もあるだろうよナ。


けど。


そういうシステムに救われる人も、確実に存在すると思う。
そうして、かといって任意にすりゃ。
また。

差別の対象になりかねないっていうのがこの国のジレンマ。




結局のトコ。

信じあえる支えあえると信じて一緒になった亭主やらニョーボにすら。
言えないことばかりの大人タチ。

なんつんだ?

ンな親に、育てられてんだもんナ。

今時の若い子ォらが恋愛に不自由してるのも、ま。
推して知るべしってトコ。


けどさ。

もしも。

ちっさい頃からテメエのココロを知ってくれてる専門家みたいなのが居てくれたなら。
そんな、ある種の「ココロの病」にも陥らないで済むんじゃねーかって。

相変わらず軽めの未来予報をしてみてる桜木。





学校の中にカウンセラーを置くとか。
職場に相談室を設けるとか。

ラクに管理できるようなやり方ばっか考えてたらダメだ。


この国には優秀な。
心療内科医が必要。

で。その認識は、すでに。
遅すぎたくらい。



乳幼児虐待が増えて来たので児童相談所の機能を充実させてまいります?
役に立たねーことばっか、考えやがる。



この国には優秀な。
心療内科医が山のように必要。

なんたって患者は。
よほどひとにぎりの健康なココロの持ち主を除いては。



ほぼ。


全国民だから。



2001年12月14日(金) 「ヒヨッ子」の定義。

ウー寒。今年はあちこちでホワイトクリスマスになりそうだ。

「戦」なんて文字に語られちまった2001年か。

ヤだヤだ。辛気くせェにもホドがある。来年はもっとイイ年にしてーよナ。
今から決めちまおう。来年を一文字で語るんなら。こうがイイ。


「伸」。

さほど大きく変わるでもなく。ただ「良いトコが伸びてく年」で、あればいい。

所詮はモノリスも見つかりゃしなかった不景気な世紀のハジメだ。
ある意味「餅のようにねばり強く」なんてナ。

ベタな感じで。来年もガンバっていきたいもん。





さて今日は。ふいに思ったことについて自習する。

そう。人はいつから「ヒヨッ子」でなくなるのか? ていうのが今日の題目。



「コノ、ヒヨッ子が!」

なんて。上司に怒られてる若造が、イマドキどれくらい居るのか知らねーが。

まー。ヒヨッ子ていうのは、「未熟モノ」て意味。
立派なトサカも生えてねー、クチバシの黄色い連中って意味。

ピヨピヨと「強そうなモン」の後をくっついて歩いては、一緒ンなってアチコチつついたり。あるいはヨワっちいクチバシをつっこんだりして喜んでる、罪のない連中のコトを言う。


けど。そんなら何が「ヒヨッ子の定義」なのか、て考えると。

わりと曖昧なのナ。そんなのはオマエだけだろう? イヤ。面目ねーんだけど。




そこで考えて。たどりついた答えがコレ。
あのさ。
いわゆる一つの「ヒヨッ子」連中に欠けてるものってのは。



「人格」

てもんじゃねーのかな?


で、この「人格」っての。正しい意味はナンなんだろかと調べてみたら。
ただ単純に「人がら」なんてのも書いたるが、コッチの解釈が、本当だろう。

「人格」。個人として独立しうる資格。

個人として独立しうる資格。と来たモンだ。けどそれ。…どんな資格?


とまー。
ますます意味がわからなくなっちまったトコで。
人格ッてもんが「いかに大切か」てことについて。


つたない例を、いくつか挙げてみよう。


世間には。「あの人の人格を認める」て言葉があるよナ。
で。こいつをひらべったく言うなら、

「私は、あの人独自の判断とか行動とかに、きちんとした基準があることを認める」

てことだと、桜木は認識してる。

そう。ここで言う「あの人」には、常に動かない厳然とした「基準」があるワケ。
コレをさらにひらべったく言うなら、

「あの人が怒る時はあの人がハラに据えかねるようなことがあった時」
だし、
「あの人が誰かを好きになる時は、よほどあの人を夢中にさせるような魅力があった時」
だし、
「あの人が落ち込むとしたらそれはもう大変なことが起きた時」
だし、

ようするに「いつナンドキも、あの人にはあの人特有の基準が明確に存在してる」てこと。
そう。

これほど完膚無きまでに「あの人特有の基準」が明確な人間ってのが。

いわゆる「ヒヨッ子」の対極に位置する存在、つまり。


「オトナ」ってモンなんじゃねーのかな。

てーわけで。ここまで来りゃ、「ヒヨッ子の定義」も無事完成だ。

ようするに「ヒヨッ子」てのは。

「未だ人格を認めてもらわざる存在」

てコトにならねーか? で。ここで言う、「人格を認めてもらえねー」てのは。
再び、ひらべったく言や、

「私は、あの人の判断や行動に、一定の基準とか動機を一切発見できない」

てことじゃねーのかな?

つまり。ここで言う「あの人(ヒヨッ子)」には、常に動かない厳然とした「基準」てモンがないワケ。

コレをさらにひらべったく言うなら、だ。

「ヒヨッ子が怒る時は、何にそんなにハラが立ってるのかがつかみにくい」
し、
「ヒヨッ子が誰かを好きになる時は、何にそんなに夢中になってんだかサッパリ見当もつかねー」
し、
「ヒヨッ子が落ち込むとしたら、それこそ何に凹んでるのか周囲には皆目見当もつきゃしねー」
し、

ようするに「いつナンドキも、ヒヨッ子の行動にはロクスポ基準てーモンがナイ!」てことになるんだわナ。


ウン。

けど。

なんとなく居るだろ。このテの「ヒヨッ子」。

唐突に機嫌良くなってみたりヨ。唐突にハラを立ててみたり。
そうかと思うと、ある日突然。
アドバルーンみたいにフワフワ浮かび上がっては周りを混乱させたりヨ。
もう。

ワッケわかんねーの。
で。
そんな風に周囲を振り回しておきながらヨ。

「ああ。誰も自分のことを理解してくれない。それは自分が難解な人間で、周りに居るのがすべて単純な人間だからなのだ。なんてカワイソウで不運な人間なのだろう。オレ(アタシ)ってバ」

なんてナ。フザケたことを夢想していやがるの。



アー。こんな男(女)と結婚しちまったら苦労が耐えねーだろナ。
もしもそんなご同胞が居たらご同情申し上げる。

てーか。そんな男(女)とは。早めに別れちまった方がイイんじゃねー?





ツマンネー過ちに平身低頭。土下座に近い屈辱も味わいながら。
何にも知らねーテメエにハラを立てつつ。
それでも他人に教えを乞いつつ。

どうにかこうにか「ゆるぎない基準」てものを作り上げてくのが。
人の道ってモンだと。

桜木は考えている。


願わくば。もっとテメエの基準てモン。磨き上げていきてーな。
そう思ってる。

他人に簡単に流されたりヨ。
他人の言うことを簡単に信じちまったりヨ。

そんなんは、ヒヨッ子の、することさ。



本当の本当のオトナってモンは。

そう簡単に。
他人の意見や感情に流されたりはしねー。
だからまー。イロイロに失敗やら恥やら挫折やらを積み重ねてさ。
ある意味「完成した」ある意味「ツマンネー」大人ってもんに。

やっぱし、少しづつ。なってかねーとナ…。



それとアレ。実は「完成した」大人がまったく成長しないかってーと。
そんなこともねーから。

そんなに不安にならなくてもいいヨ。

だいたい二十歳で成長しないヤツは六十になっても絶対成長しないけど。
二十歳で成長してるヤツは、七十になっても成長できるから…。


そもそも「間違わない」人生、「失敗しない」人生なんざ。
あるわけねーし。


そんなに不安にならいでも。
成長の機会なんてモン。
いつでもいくらでも、目の前にあるワケだ。

いつでもいくらでも。

少ォしづつ、さ。
そのクチバシも。固く雄々しく。強くなってさ。

やがて。


一人で喧嘩を売れるし。
一人で喧嘩を買えるよな。

「オトナ」ってヤツに。

なってけるはずだヨ。



2001年12月13日(木) 放課後の理想の教室。

さて、人間ってモン。

何事も、他人から押しつけられて身に付くコトってのは、ない。

桜木自身について、考えても。
達者に出来ることのほとんどは、テメエでやりたいと思って始めたことばかりだ。

そこで今日は。
子どもらにとっての「理想の勉強のありかた」みたいなコトについて、考える。



桜木が田舎のアホなガキだった頃にも、塾通いをしてる同級生は居たし。
浪人して予備校に通っているのも居たし。

それ以外にやたらイロイロと習い事してるのも居たし。

それほど状況は違ってなかったろう、て思うんだけど。


何しろ勉強が嫌いなヤツらはとことん嫌いで。
まー。桜木もその部類に入ってたわけだがヨ。

いつのまにやら取り残されちまうと。もう、取り戻せない。そんな感じ。
しかもちょうどポロポロと落ちこぼれが出始める中学校くらいになると。
もう先生らは職員室にこもっちまってて。

その存在感すら。今じゃ思い出せない。


世間の親たちは子どもを強引に塾に入れたり。
あるいは子どもが自分で行きたがってるから、と塾に通わせるが。

そもそもそういう家庭の子ォらなら、塾になんぞ行かねーでも、テメエで学べるだろ。
今の「教育」てモンを考える時、一番問題視しなきゃいけねーのは。

たぶん「何かを学ぶことを楽しめない子どもら」なんじゃねーのかな、て思うんだけど。
どうだろうナ。

それも中学生くらいになっちまったら、もう手遅れで。
鉄は熱いうちに打て、ってコトワザじゃねーけど。
やっぱ、小学生くらいの頃から、何らかの手を打っておくべきなんじゃねーかな。


小学生にとって。

先生ていうのは憧れで。万能のパワーの象徴みたいなもん。
教壇に立って教科書持って。
イロイロなことを知っていて。イロイロな知識を授けてくれる存在。

だから本当はどの子どもも。
たとえ口では勉強も先生も嫌いだ、なんて言ってるような子どもも。
ろくに学校に出てこねー子どもも。
いじめてる子どもも。
いじめられてる子どもも。

みんな。先生が大好きなんだよナ。先生ってのは初めて出会う、まともな大人なんだ。
みんな、本当は心の中じゃ、先生を独り占めできたらいいのに、て思ってるんだよナ。

だからもしも先生が。
他のみんなに内緒で、自分だけに何かをコッソリ教えてくれる、て言うんなら。
喜んで先生のコトバに耳を傾ける、てのが。

小学生くらいの子どもの。ごくフツーの心のありかたなんじゃないだろうか。



放課後。

退職した先生でもいいし。就職先が見つからない先生でもいいし。
教員免許を持ってるだけの主婦やフリーターでもいいし。
そんな先生たちが。

教室で自習をしながら、子どもらが来るのを待ってるような。
そんな教室があればいいのにナ、て。桜木は思う。

先生の座る机の上には教科書しかなくて。
何の変哲もないエンピツや消しゴムだけがあって。

なのにその。古い木の机の上が。輝いて見えるんだ。

自分の意志で。自分の力で。新しい知識や技術を習得していけることほど。
人の心を引きつけるモノって、ないんじゃないか。って。
桜木は、思ってるんだけど。

どう思う?




学校離れが進んでる、とか。
塾の授業の方が魅力的だ、なんて言うけどヨ。

この国の「学校」ていうのは。
本当に、

「今現在、可能な試みを、最大限何かも試し尽くしてる」

と言えるんだろうか?

よけいなクラブ活動や鼓笛隊なんかに予算を使って足りなくなって。
町内会によぶんな寄付を募ることばっか一人前。

ンなバカバカしいことばっか、やってっから。

よほど頭のイイ親には見放されて。
テメエの出来がワルイの棚に上げて、ガッコやら教師やらを盲進してるようなマヌケな親しか。
集まってこねーんじゃねーのかナ?



子どもらが。
いつ何時。突然のように自分の中の知識欲に目覚めても。
受け入れてくれる教室。

いつ何時。
その日の授業について感じたちょっとした思いつきについて話したい、と思っても。
受け入れてくれる教室。

あるいは近所のジイサンが木屑で何か作ってるのを。
ただ眺めてるだけでもいい教室。

あるいはピアノを弾ける主婦が音楽好きの子ォらを集めて。
ただ楽しくイロイロな曲を奏でてるだけの、音楽室。



ただ目をつぶれば。
そんな理想の教室が、イロイロに浮かんで来るヨ…。



アホのくせに勉強嫌いだった桜木は。
まあまあこの程度の人生しか歩いていくことはできねーが。

もしも桜木がちっさい頃に。そんな理想の教室があったなら。

もうちっとコマシな人生を歩けたんじゃねーのかな、て。思うこともある


頭のイイ大人に出来る仕事は無限大。
子どもら、てのは所詮。大人の気の利いたお膳立てに乗れてこそ、輝ける存在だからさ。

小さなコトからでもいい。
何か始めてくことは、できねーのかな?





もしも、こんな放課後の理想の教室が。

「アナタもぜひ先生になってください」

と頼んで来てくれたら。桜木なら。何を教えようか?

そしてアンタなら。
何を教える?



今夜あたり。あったかい風呂にでも浸かりながら。

アンタにも、そんな夢想を楽しんでもらえたら。
桜木も嬉しい。



2001年12月12日(水) 今。初めての妊娠をしたオンナのヒトに捧ぐ。

たまにはタメになる(と思う。たぶん。)話をしよう。


とはいえ所詮は。ド腐れ中年の戯言だ。
ウッセェ、と思ったら。
My登録は削除してくれて構わない。




桜木の知り合いに離婚したオンナが何人か居る。

そのうちのほとんどが人工妊娠中絶を経験していて。
しかも、それほど相手のオトコを憎んでも居ない。

ヒトの心ン中には「地獄の釜」みたいなモンがあって。
そんなモノは開けねー方がいい、てわかってるのが。
いわゆるヒトツの。まっとうな人間てもんだからナ。憎しみもその一つ。

そんなモンは開けないで済むんなら。
開けねーで居た方がラクってもん。

ま。桜木なんかはガンガン開けてまってナ。それで満身創痍ヨ。
心ン中は、そら、ヤケドだらけ。



て。そんなこたーどうでもいいわけだ。

今。初めての妊娠をしたオンナのヒトに。
この一文を捧ぐ。




思うに妊娠ていうモノは。
お腹の胎児にとってみりゃ。「就職試験」みたいなもん。

胎児はみんな。

「とりあえず来ましたが。雇ってくれますか?」

て感じに。

オンナたちの身体の中で。たゆたいながら、尋ねてる。


妊娠ていうのはそうゆうもの。
桜木に妊娠した経験があるとかナイとか。産んだ経験があるとかナイとか。
んなこたー関係なく。妊娠ていうのはそういうもの。

雇うかどうか決められるのはただ一人。
その身体を「運営してるシャチョー」であるところの。母体の意志。

どんなにシャチョーさんが雇いたくても。
「やっぱ辞めます」
って姿を消しちまう社員もあるし。

どんなに社員がやる気満々でも。
「アタシー、どうしてもタバコ一日5箱吸わないと生きていかれないー」
なんつうシャチョーさんの仕打ちに耐えかねて。
途中で辞めてく社員も居るやら、居ないやらだ。

また。
「このまま行くと、ウチの会社自体危ないかも」
みたいな状況で。
やる気満々の社員が面接に来る、てこともあるだろう。

そう。ソコが、シャチョーの判断のしどころだ。

その。
やる気満々で可能性無限大の社員と一緒に。
シャチョーも一発、ハラをくくって覚悟を決めて、テメエの人生を踏ん張るか。

それとも。
今は状況的に、どうしても無理だし、と。
二度と同じその社員は雇えない、もしかしたら一生社員が雇えねーかもしれねーってリスクを負っても。

バクチを打ってテメエまで死んじまったら元も子もねー、て判断して。
社員サンを断るか。

そう。二つに一つ、だよナ。




中絶っていうのは気持ちイイことじゃない。
しかし。
妊娠っていうのも重たいこと。

中絶経験のあるオンナたちの大抵は誰のことも憎んじゃいねー。
みんな。テメエのことを責めている。心ン中で。

けど。
キリスト教徒にはブチ殺されるかもわからんけど。

一つハッキリしてることがある。

それは。

「この世に生まれなければ苦しみを味わわないで済んだイノチ」

もあるってコト。


飽きた玩具。
壊れた玩具なら。

修理すれば。もらい手を探せば。
再び玩具としての使命をまっとうすることも出来るだろう。

けど。

子どもは玩具じゃない。もっと大きな存在になってくもんだ。

イグアナだのワニだのアライグマだの。
たかだか「射殺オッケー」のペットですら。

飼いきれなくて捨てられた後は。世間を騒がせる。その影響力は甚大。



そう。そこへ来て、子どもってやつは人間なんだ。当たり前と思う?
けど。そんなことを「理解すらしてない連中」が。


世の中のこともなんも。
どう贔屓目に見ても4割かたしか理解してねーような。
ワッケわからんような状況で。

何も知らない純真無垢な社員サンを前にしてヨ。


「いいでしょう雇いましょう。ナニ、私が一生面倒見るつもりだからダイジョウブ」

なんて。

雇用契約書にサインしちまって、ホントにダイジョウブなのか?




知らないということは。それだけ取れば、何の罪でもない。

ただ。
「全部を知らないまま一部を知っただけで突っ走っちまったら」。

その行動が罪つくりになる場合も、あるってコト。



いわゆるまあ。セックスは知ってても妊娠出産育児の責任は知らなければ。
そうなっちまう可能性は高い。

そうしてオンナっていうのはケナゲだから。

歯ァ食いしばって。耐えていこうとする力は本当に強い。



今。そうやって耐えて生きてるオンナたち。世界中見てみればたくさん居るヨ。

もちろんテメエのセックスの不始末のせいでなく。
とんでもねー犯罪の犠牲になって、選択を迫られてるオンナも居るだろう。

だから一筋縄じゃ。語れねー問題。
一概にゃ。批判できねー問題。



しかし何にせよ。

ナニも知らずに入社した会社がさ。
「最初から倒産同然」
だった、なんて知れば。フツー、社員も物心つけば。シャチョーを恨むと思う。

けど。
もちろん。

社員もいつまでも新入社員のペーペーじゃねーからさ。

「まったくウチのシャチョーにも困ったもんだ。しゃーねー、仕事取ってくっか」

ナンテ。
強くたくましく育ってってくれる、場合もあるさ。



そこまで行かずに首吊るケースも、ナイわけじゃない。

けどまあ。
周りの支えがあれば、ダイジョウブなこともあるだろう。
一概にゃ言えんが。
ダイジョウブな「コト」もあるから。そんなに悲観せにゃならんこともない。



いろいろ見て。
思うのは。

結局のところ「生まれて来ればテメエの人生が待ってる」ていうこと。

まっとうに生まれた人間なら、
「産むだけ罪だ。無責任だ」「オマエに親になる資格はない」
なんて言葉のツブテをぶつけるんだろう。

けど。
親になる資格のない人間から生まれてきちまった、何割かの人間に言わせてもらやァ。

「他人のテメエにンなこと言われる筋合いはねーってんだタコ」
「こちとら立派に生きてオマンマ食ってんだダァホ」

てことに。なるんだわナ。



タメになってんだか、なってねーんだか。
所詮は言葉で。
明日の飯のタネにもならねーようなもん。

けど。

未成年の妹さんが妊娠して産む気で居るってことを。
心から憂えてるネーさんが居るのがわかっちまったら。

桜木には。

こんなことしか。
今は。
出来なくてヨ。




たかが日記書きが大きなお世話。アッタマ来た、て思ったら。
削除してくれ。

ただ桜木は。アンタたちのために祈る。

アンタたちの頭の上にいつも。
あったかい光が降り注ぐように。

祈る。





アー。ただこれを読んでてさ。

ワッケワカンネー、て笑いたいヤツは笑えばいい。
ウゼーんだよ消えろ、て思ってるヤツは。
テメエの方が消えろ。


言葉には何の力もねーて思うなら。
言葉なんぞ使うな。

言葉なんぞ読むな。

黙って後ろも振り返らずに。
テメエの仕事に取りかかりゃイイ。

言葉の力を過信してるわけでもない。
ただ桜木は。

フツーに生きてりゃ知ることもなかった誰かの人生に。
小さな。

視線を送りたいと思った。それだけ。



言葉の無力を知りながら。
言葉に頼るしかないこの場所で。

マッチ一本の炎にもならねーような。
小さな言葉を。

燃やしてみてるだけ。



2001年12月11日(火) アンタはいつも口ばかり。

言われた言われた。何百回も言われたセリフ。

アンタはいつも口ばかり。言うのはタダ。机上の空論。



しかし桜木の周りのヤツらときたら。そんなんばかり。
口から先に生まれて来たんじゃねーか、ていうようなヤツらの。

オンパレード。


畑を耕してイモを掘り。売って金にして家族を食わせる。
ヒトとしてまっとうなのは、そういう生き方ってもんだよナ。

桜木の周りの連中も。たいていそんな風に思ってる。

モノ言う口でしか日銭が稼げない、口舌の徒。
キーを叩いて言葉をこね回す、ヤワな指先しか持ち合わせない口舌の徒。

だからこそ言葉に向き合う時ャ誠実に。
それが理想だが。まあ。

こんな世の中。ウソをつかなきゃ語れんコトも、一つや二つ。



現実の「生」を切り取ってみせるのも言葉なら。
一見空虚な心ン中を暴いてみせるのも言葉。


イチローがモテるのは。典型的な「不言実行型のオトコ」だからだよナ。

しかし往々にしてオトコどもの口ってもんは。

スゴイだろエライだろ。
けどオレ。その上こんなにヨワイだろ、ナンテ。

余計なことまで宣伝しちゃ。嫌われる。


だからまあ。アンタはいつも口ばかり、なんて言われると。
グサーッと来るのも事実なんだが。なんだがヨ。


ココから名刺を投げたら届く…、わけもなし。
せめて言葉だけでも。アホの戯れ言だけでも。

遠くのアンタに、贈らせちゃもらえないか?



マジメに生きてる人間が言祝がれない世界は間違ってる。
けど。
誰も何にも言わなくたって。ホントはホント。

アンタが大将。
アンタが一番。



アンタが居なくなったら寂しいって人間が。

ココにも一人居る。
確かに一人は居る。



2001年12月10日(月) 余命六ヶ月になったら、わかればいいナ。

そんな、生命保険のCMがあったっけ。
「あしたのジョー」が出て来て。
余命六ヶ月で保険金が受け取れる、ていうの。

ようするに、

「残り少ない人生、好きなことをしてください。お金先にあげます」

てことなんだろう。イヤな金なんだか嬉しい金なんだかわからんね。

家族の居る人なら、

「よーし、どうせ死ぬんだパーッとやろう」

なんて思えねーだろうし。あの保険って、今でもあんのかな?


桜木は、死ぬ半年前に金をやる、なんて言われてもいらねーけど。
ただ。
不慮の事故で死ぬにしても病死するにしても。
アンタの余命は、あと六ヶ月ってとこですヨ、ていうの。

教えてもらえるもんなら教えてもらいてーな、て考える。


ガンにでもかかりゃ。わかるだろうが。
ふつーに暮らしてりゃ、余命なんてもん。なかなかわからねーよナ。

元気な10代でも明日死ぬかもしらん。
明るい20代も突然死するかもわからん。
大変な30代も。もちろん。

残りの人生がどれくらいかわからないから。みんな無茶をする。
ワケもなく世をはかなんだり。テメエの体をいじめたり。
責任取れそうにない冒険に手ェ出して、ワクワクしたりして。

今やってること。その同じことを。

残りの人生が半年だってわかっても、アンタはするか?




桜木は、するよ。

まー。今よりずっと力は入れるとは思うけど。
たいてい同じことをすると思うよ。

同じことを。今よりずっと一生懸命やろうとすると思う。

はは。結局のところ桜木も。
かなり手を抜いて生きてるってワケか。


人を愛することにしても。
世の中を憂うことにしても。
力を尽くすことにしても。

なんだかんだ中途半端な人間。


けど。

時々思い出して。
時々はブースターかけるようにする。

限りあるイノチ、なんて陳腐な台詞。

けど。

それはこれ以上無いってくらい。極上の真実の言葉だヨ。


半年あったら。
イロイロなことが出来ると思う。
今ナニも知らないで生きてるうちは。平気で「生き流してる」半年を。

いつもいつも「最後の半年」って思いながら生きられたら。

…疲れるかもナ。そのせいで、過労死したりして。

けどまあ。ゴロ寝しながらでも考え事くらい出来るから。
『エンピツ』を始めてからは。そんな時間も増えたと思う。

頭の使いすぎで寿命が減るかもしれねーが。なに。
ただこうしてバカをさらすのにも、きっと意味がある。

例えば「こんな大人にはなりたくねー」なんて。
反面教師に、なれるかもしれないナ。


桜木が、この年まで生きて。

「一番わかったこと」ていうのはさ。



やっぱ。ありきたりなことだけど。「今を生きる」ってことなんだよナ。



未来への夢とか過去への後悔とか。
生きてると。そういういろんな誘惑があるけれど。

そうして確かに未来を見つめたり過去を振り返ることも大切だけど。


いつも。

「未来2過去2今6」くらいの割合がイイと、桜木は思うよ。
それが、このバカが何十年か生きてきて、「わかったこと」。


んな、抽象的なこと言われてもわからんて。はは。そうかもしらん。

そんなら具体的にな。言っとくヨ。


さあ。今から。「今しなきゃいけないこと」をやる。6割くらいの力で。
そうして片づいたら、「あの時のこと、あの頃のこと」を反省したり悔やんだりする。
2割くらいの時間をかけて。


で。最後に。「これからのこと」を考えながら、布団に入る…。
楽しいことを。
嬉しいことを。
2割くらいの微笑みを浮かべてさ。




もしも今。桜木の前にカミサマが現れて。
「おい。オマエ余命六ヶ月になったよ」
て教えてくれたら。


どうすると思う?


ウン。答えは簡単だ。

桜木は、「今しなきゃならないこと」を10割の力でヤルよ。

過去も未来も。
もう桜木には、必要ねーんだから。



さあ。棺桶に片足つっこんだ人間の戯れ言は、これでシマイ。

今日もあったかくして寝な。
大事な季節に。
風邪なんかひかねーように。



2001年12月09日(日) 身を粉にしたくても砕いてくれる重さすら見つからない世界で。

今日はダラダラと休日モード。

見るともなしに見ていたテレビに「なかにし礼」が出ていた。


彼の著作「赤い月」をなぞりながら、彼の母親の半生を紹介する。そんな番組だった。

戦争とか。理不尽とか。苦難とか。複雑なことはいい。

ただ。


桜木の生きるこの時代には。
たとえ誰かが「身を粉にして何かをしたい」と望んでも。
この身を砕けるほど「重い何か」すら。


見つからないのかもしれねーなと思った。


いや。

たぶん、あるトコロにはあるんだと思うヨ。

けど。

見つからないんだ。なかなか。見あたらないんだ。ぜんぜん。



今日。

やっぱり女の子は育てやすいわよねェという話になった。

けど。そう言われると。

ま。育てやすい上に。
ちっと大きくなりゃ、子守りだのお使いだの水くみだのさせられたんだもんな。

「昔」は。

なんてナ。

言いたくなる桜木の悪いクセ。



昔の女たちはまさに身を粉にして働き。
子を産み、育て、死んでった。

昔の男たちも。ともすればサボりたくなる自分にカツを入れながら。
まあまあそれなりに身を粉にして働いて。
子を叱り、家のモンを睥睨しながら、死んでった。

そこには逃れられないほど重たい何かが確実に存在していて。
ただ彼らはそこから逃げ出すことができなかった。

ウン。それだけだ。



昔の人が偉かったわけじゃねーんだよ。

けど。

今。こんなにも軽い世の中で。


桜木は。


どんなもんに。
どんなトコで。

どんな風に「押しつぶして」もらえたら。ココから逃げ出さないで済むんだろう?



のたれ死ぬことも許されないくらい優しい社会だ。

本気で乞えば。きっと小学生でもコンビニのおにぎりを恵んでくれるよ。




はは。すげー世の中。

どうやって生きるか。どうやって死ぬか。
若い子ォらが、見失ってもオカシかないナ。


あの頃たくさんの人たちを押しつぶし。
彼らを麦の穂のように強くした「何か」たちは。

どこへ消えちまったんだろう?




「学級崩壊」とか。

子どもらが教室の机にすら座っちゃいねー、て騒ぐけど。

重石を無くしてフワフワしてんのは。大人も同じかもしれない。なんて。

そんなことを思った。休みの夜の散歩。





繁華街をうごめくたくさんの人。人。人。


携帯電話をしっかり握りしめて。
テメエの心が浮かび上がっちまわないように。
祈ってるみたい。

携帯電話をしっかり握りしめて。

メモリの中の誰か。
一人でいいから。

自分をココに。つなぎとめてくれと願ってる。




軽い軽い。

たくさんの心が。それでも家路を急いでた街。



2001年12月08日(土) 『エンピツ』の世界を心地よく泳ぎたい。−掲示板やメールのこと−

反響が、ただただありがたくてしょうがない。

アー。読んでもらってたんだな、見てもらえてたんだな、て思う。



いつも。ありがとうございます。

そんなヤツだけど、これからもよろしくお願いいたします。







ところで、見てもらってわかるとおり。

桜木は。この日記にメール送信フォームや掲示板をつけていない。



それを、まー。

「人の意見や感想に聞く耳持たぬヤツ」とか。

そう受け取る人もいるだろうな、とは思いつつ、つけてなかった。




何でか、ていうと。

ザックリ言うなら「話を、うんと広げていきたいと思う」から。そのヒトコト。



まー。
掲示板に書き込みしたり、メールをやりとりしたりすると、あったかい「情」ってのも生まれるし。
それは、ぜんぜん問題ないと思うし、イイことだと思う。もちろん。


けど。

桜木がココでやろうとしてることは、なんてーのかな。

そういうことじゃなくてさ。うまく言えねーんだけど。ウン。



誰かに自分の意見や理論をさ。「評価してもらう」てことじゃないんだ。

桜木は誰かに、自分の考えを、ただ「見てもらいたい」んだ。

そうして、この桜木の意見をそのまま受け入れてもらうんじゃなくて。

「テメエ何をふざけたことヌカしてやがる。オレ(アタシ)だったらこう考えるヨ」

ってさ。

負けん気マンマンで、勝手にそれぞれの心ん中で、ケンカ売ってほしいんだ。









そしてその負けん気を、アンタたちの日常やアンタたちの日記に、ぶつけてもらいたいんだ。

それでいいんだ。



またそれをさ。なまじメールや掲示板でぶつけてもらっちまったら。

ただの「意見のぶつけ合い」「意見のすりあわせ」にしかならねーけど。

一度自分の中に引き受けて、そこから「ナニクソ」ってテキストを作ってもらったら。

もう、それは紛れもなくアンタの意見だろ。だからさ。それがいい。




桜木がココで見たいのは。やりたいのは。そういうことなんだよナ。





昨日、とある方の日記に「オヤ」と思って。

えらく緊張しつつも、その方の掲示板にお邪魔した。



はは。まるで道場破りか出入りの気分。

のれんをくぐったら後ろからバッサリ来るんじゃねーか。なんて。



けど。フタを開ければ、向こうサンもおンなじこと考えてたってんだから。

笑った。そして、愉快な気分になれた。ちっと照れて、そして、嬉しくもあった。




桜木みたいな考え方。

時代遅れつーか。

かたくな、て思う人もいるかもしれねーけど。



でもま、勘弁してやってほしいんだ。悪ィけど、こういう不器用な人間なんで。



その方のトコでも書かせてもらったけど。

桜木は。

「思いは力」だと思ってる。


そして個々の思いを「本当に力にする」ためにはさ。




やっぱ。軽い身内同士のやりとりで終わらせず。

一人で。自分の中で。自分の心や価値観と向かい合って。


自分の名前をそえて。キッチリ書き表した方がいいと思うんだよナ。





別に、そんなに堅ッ苦しく考えることはないと思うんだ。

どっちみち。

どんなことでも人は勝手に傷つくしさ。前にも書いたけど。

誰のことも傷つけない言葉なんてないし。ただ。




それぞれの「思い」が。なんかこうさ、かけがえなく、そこに有るっていう。




それでいいんじゃねーかな。と思ってる。




桜木に、何か言いたいことがあったら。

それは、桜木宛の私信じゃなくて。
この方のように。どこか普遍的なネタとして、アンタの日記に書き記して欲しいと思う。

勝手な願いだけど。



でもさ。
そうすることによって、アンタの日記を読んだ人が、またそのネタについて考えてくれるかもしれねーだろ?

私信とかさ。
明らかに誰かのことを指してるとしか思えないような話題になっちまうと…、それはもう「他人のモメゴト」になっちまって。


話も、それ以上ふくらんでいかねーもんナ。






あと、掲示板についてもう一つ。

けっこう、悩んでる系の人で、日記に掲示板を置いてる人が多いと思うんだが。

いろんな人が書き込みに来るだろうし。
それに対して「ありがとう」なんて言うだろう。

けど。

実際、ちっとも救われてなかったり、実際、ろくに有り難いとも思ってねーんなら。


そんな掲示板は、いっそ置かねー方がマシだと思う、桜木の考え。オカシイかな?



掲示板に、いろんな人に書き込みしてもらってんのに。

「長いつきあいの友人には、やっぱりいろいろわかってもらえる」

なんて日記に書いてたら。フツー、書き込みした人間は、がっかりするだろ。




そういうケースがあるかどうか知らねーけど。

まー。



メールとか掲示板を置いたがために、コミュニケーションが複雑化するってのは本当だろうし。

せっかく気の利いた『エンピツ』なんだ。

心地よく泳いでいきたい、と思うし。さ。





いろいろ考えながら。楽しくやってこう。

けど。な? こんなアホウに言われるまでもなく。






百も承知だろう。

さあ。


笑っていこう。



2001年12月07日(金) 「報復」と「死刑」のかわりに。「学校」を建て「荒れ地」には「種」を蒔こう。

ずっと考えてた。



同時多発テロの時「報復はイケナイ」と言う人たちがたくさん居て。

むろん桜木も。
憎しみにかられて人を殺せば、また憎しみを再生産していくだけなのだから。
アメリカの「報復」に諸手を挙げて賛成したい、とは思わなかったけれど。


それならどうすればアメリカ人が受けた傷を癒すことができたのか? と自分に問うても。
ずっと、答えを出すことができなかった。



また。

桜木は。

山口県で起きた母子殺害事件の、残された夫のことも考えてた。

彼は「犯人が死刑にならなかったら自分が殺してやる」というようなことをマスコミに話し、一時は、その発言に対する反響も大きくあった。

けど。
時が過ぎてしまえば、あんな陰惨な事件の記憶すら。
人は心の片隅へと追いやってしまったんだ。


「報復」はイケナイとか。「死刑」はイケナイとか。

ただ人道主義をカサに反対するのは簡単なことだけれど。

所詮「本当に傷ついた人々以外は、事件があったことすら忘れていく」ということを。
それらの「反対ムーヴメント」に参加する人たちはじゅうぶんに意識するべきだと、桜木は思う。



なァ。

どんな町でも郊外に行けば、いくつか大きな工場があるだろう。
そこで働く人々のほとんどは善良な市民。
誰かの父であり母であり。誰かの息子であり娘。

朝は、眠い目をこすりながら新聞を読み、朝食を食べて出勤。
昼は、同僚たちと笑い合いながら食堂へ向かい、テレビを見ながら昼食を食べ。
夜は、めいめいの上着をひっかけて家路を急ぐ。寒くなったなァ。風が強いわねェ、と声をかけ合いながら。

それぞれの家路へ消えていく人たち。


しかしある朝、突然。

激しい轟音と共にその工場全体に炎が起こる。化学薬品が燃え上がり逃げ出す間もなく、ほとんどの従業員が焼かれたと言う。


轟音と炎の原因はテロだったとする。旅客機がハイジャックされ墜落させられたと。



家族のもとにはどんな風に電話が行くだろう。

主人を送り出し洗濯物を干す妻。電話が鳴り、受話器を取ると…。

ご主人の工場に旅客機が落ちまして、激しく燃えています。救出は不可能です。


陰鬱な声が聞こえ。妻は声をなくす。

ご主人が亡くなりましたとも。
どうぞお顔をご確認くださいとも言われることはない。

ただ。

ご主人は、朝、会社に行かれましたね? 今日もご出勤されていますね?

その確認の言葉だけが。たった一つの真実を告げるのだ。

だけどあなたのご主人の会社は今ごうごうと炎に覆われているのですと。
そしてあなたのご主人もたぶん炎に焼かれているのですと。




それは。一体。そんな電話を受けるというのは。一体。



どんな気持ちだ?






事故でも。許せない相手はあるだろう。
しかし「あれ」は事故じゃなかった。
テロだ。
故意の殺人であり見せしめであり。

亡くなった人たちには何の罪もないんだ。
彼らは顔も知られないまま訳も分からないまま「いけにえ」にされたのだ。
そして跡形もなく崩れ去るまで。焼かれたのだ。




同じ日本の。なんでもない町の郊外にあるなんでもない工場に。
もしも同じことが起きたとしたら。
そこで働いていた人たちの家族は、「報復するな」と言うだろうか。



そこで「報復するな」と言える人だけが、真実の平和主義者で。
所詮。桜木なんかは蚊帳の外。
けど。
そこで「報復するな」と。「報復よりも他に道がある」と言える人が居なかったからこそ。


人間の歴史から戦争が消えることはなかった。
「仇討ち」
「見せしめ」
「仕返し」
の論理。

新しい憎しみを生まないためには乳児までも殺害するという、戦国時代の論理そのままに。

かくも長き歴史を重ねたのに。未だに怒りにまかせ髪振り乱している愚かな人間ども、と。

神が本当に存在しているのなら。そんな風に言うのだろうか。




山口県の殺人犯を「死刑」にせよと思う時。
ただ、人は。
「とにかく殺してしまえば、そいつが二度と人を殺すことはないのだから」と思っている。

「死刑」の論理は単純だ。とりあえずそいつを殺してしまえば。
そいつがそれ以上誰かを殺すことはないだろうと。
そういうこと。

けど、「もう二度と殺さない」のは、「そいつ」だけ。

たった一人の「そいつ」を殺すためだけに。
どれだけの税金が使われる?

いろいろ調べてみりゃ。
「死刑」ってのはマコト、ワリに合わない刑罰だってことが良くわかる。

いざ殺す、その日が来るまで。
メシも食わせなきゃならん。洗濯もしなきゃならん。

けどさ。最終的には「殺す」んだ。
そいつの権利も生命も、法律の元に無かったことにする。
そうしてその日が来るまで。
メシを食わせ反省させ。時を待たせる。ただただ、飼い殺す。


まあ。冷静に考えれば、「無駄」なこと。

それならいっそ。
メシも食わせず着たモノの洗濯もしてやらず。
餓死するか身体が動かなくなるか爆死するまで、地雷の撤去でもさせりゃいい。

けど。それは「人道主義」とやらに反するってこと。

はは。人二人の命を無惨に奪った人間にも「人権」があるって。なんだかナ。





まあしかし。

「死刑」も「報復」も割に合わないやり方、てことは確か。

それにどっちみち。
「やられたらやりかえす」的な方法で解決したつもりになってても。
本当に傷ついた被害者の遺族の心は。どうにも癒されはしないだろうし。


それに部外者は。一年も経たないうちに悲劇を忘れていく。
そうしてそんな心のすき間を見透かすように。

悲劇の再生産の担い手が。次の機会を狙っている。




そこで桜木は思うんだ。

殺人が起こったら。その犯人の生涯から学ぶべきだと。
殺人を起こすに至った経緯から殺意の動機から。何かを学び取るべきだと。

殺人者の生涯で埋め尽くされた教科書を。

小学校でも中学校でも高校でも。採用すればいい。






人は。忘れすぎる。あまりにもたくさんの事柄を忘れすぎる。

だからテロにしたってそうだ。
一つ悲惨なテロがあったら。

世界の悲劇を集めた教科書の第一章に、付け加えていったらいい。

小学校でも中学校でも高校でも。テロについての授業をやればいい。

罪のない人たちが突然命を奪われる理不尽について。
それぞれの年頃にみあったやり方で、尊い授業をやればいいじゃないか。



そして授業のあとで、小遣いの中から募金させよう。

大人たちも折に触れ募金をしよう。

殺人事件の被害者とその遺族のために。

テロの被害者とその遺族のために。


小遣いの中から募金をする。そして荒れ果てた大地に学校を建てるんだ。

荒れ地に蒔くための花の種を。
戦争をするしか生きていくすべのない人たちが働くための、畑を耕す農具を。

その金で買えばいい。

そうして。

人の善意は、悲劇ののちに始まったが最後…。
決して止まることはないのだ、ということを。


世界に知らしめろ。






テロへの「報復」を。殺人者の「死刑」を無くしたあとでどうするつもりか。

それを考えたい。命をかけて考えたい。


代案を出してから批判しろ、と。賢明な上司ってのは言うもんだ。




桜木は。「考えるだけ無駄」なコトを考えるのが大嫌いだ。

だから一つの思考にたどり着いたら。何かが変わるような。かすかに変わるような。

そんな自習をこれからも続けていきたいと思ってるヨ。






いつも投票してくれる人。ありがとう。

「好き」と言ってくれた人。ありがとう。

ちっと照れたけどナ。ありがとう。





そして。どんなちっぽけな力でもいい。

明日のために。せめてアタマだけでも使ってこうや。

テメエどものことしか考えてないヤツら。
まあそれも自由かもしれねーんだけど。

時々。アホかとも思ってる。



何のために高等教育を受けてきたんだかナ。

こんなアホウのアジテートにでもいい。乗っかってくれ。

そうして。

その利口なアタマを。世界人類の幸せのために役立ててくれれば本望だ。
思う存分。
こんなアホウのことは、バカにしてくれてもいいさ。



2001年12月06日(木) 自分の罪深さなんぞ。一生自覚もしなきゃ償いもしないのが人間。

罪について考える。

罪と。その償いのバランスについて。



山田みつ子への判決は懲役14年。

二歳の顔見知りの女の子を殺害して14年。





これを長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれだろう。

桜木がこの14年間でやって来たことを振り返ると。
14年か。長いナ、て思う。

けど。

山田みつ子の息子や娘たちが14年後に何歳になってるか、と考えると。
きっと彼らはまだ若者で。14年なんて短いナ、て思う。

彼らのその年齢で。

自分の母親の犯した罪を受け入れることは、難しいだろう。




時の長さなんていいかげんなもん。

長いも短いも結局は比較論でしかないんだよナ。



そして思う。山田みつ子は無念だったろうと。

そして思う。人間というものは、本当に自分の犯した罪について。


自覚したり。償ったり。謝罪したりできるものなんだろうか。と。





公園の横を通ると若い母親の声がする。

「○○チャン、ゴメンナサイは!」

一緒に遊んでいた子どものオモチャでも取り上げたのか。
アタマを叩いたか。足をけっ飛ばしたか。

若い母親は気色ばんで我が子を叱りつけ、相手の親子への謝罪を要求している。

アー。と思う。

やっとオムツが外れたような幼児をつかまえて延々と謝罪の要求なんてするよりか。
無理からアタマに手を置いて下げさせて。
ゴメンナサイねと謝ればいい。母親が。

「ゴメンナサイは?」

なんて言われて謝れる人間が居るのかな。そんなことを考えて、ちっと笑った。

居るわきゃねー。

「ゴメンナサイは?」

なんて。こんな不遜な言葉もなかなか聞いたことがない。









古い友人に、会った。

重苦しい酒を、共に何杯か飲んだ。



友人は、小さい娘を元伴侶に残して離婚した。
今は再婚して、新たに子をもうけ、幸せにやっているのだが。

ふいにたまらなく悲しくなるのだと言っていた。

世間に無言で責められるのが辛い。
しかしそれ以上に。
今の自分の幸せが何よりも重くのしかかるのだと言って。少し泣いていた。


憎まれているだろう。恨まれているだろう。それはいい。
それは受け止める気持ちがあるのだから、と友は言った。

いっそ死ねたらいいと言った。

死ねたら楽になれるのかな、と言った。


再婚してから授かり、やっと歩きだしたばかりの娘の写真を、見せてもらっていた。
バカを言うもんじゃないよ、と答えた。


今お前が死んだらどうなる? シミュレーションしてやる。そう続けて。

シミュレーションしてやった。

すべての展開をシミュレーションしてやった。





まず、今、友が支えている再婚家庭が、その片方の柱を失って揺らぐ。
子どもは片親を亡くし。心的外傷を受けることもあるだろう。

それから、友が片親の元に置いてきた子はどうか?

いつか、自分と片親を置いて出ていった親が自死したことを知る。



知ったらどうなる。

子を捨てた良心の呵責にさいなまれて死を選んだと、思ってくれるとでも?



いいや。

結局のところ自分たちを捨てても。

幸せにはなれなかったのだ、と我が子に思い知らせるだけ。


それなら何のために捨てられなければならなかったのかと。

混乱させるだけ。




ひとりぼっちの苦悩。不幸せ。

自分を引き取り育てた片親との不和。二度と回復できぬ愛情。


けれども、血のつながった自分のことは愛してくれていたのではないのか。
この自分の命を生きる糧にはしてもらえなかったのか。

死にたいと思うほど苦しむなら、会いに来てくれたら良かった。
一緒に暮らす片親とよりが戻せないというのなら、引き取らせてくれ、一緒に暮らそうと。
言ってくれたって良かった。

なんでもいい。自殺するよりはマシだったと。


元伴侶のところに置いてきた子が思わないとでも? 感じないとでも?





その通りだね。と友は言い、だけど。とくぐもった声で続けた。

だけど。それでも思うんだよ。生きていていいのかなあって。

自分ばかり幸せでいいのかなあ、て思うんだよ。







氷のとけたグラス。

店の中には低い音色でストーンズが流れていた。

いつも欲しいものが手に入るとは限らない。
いつも欲しいものが手に入るとは限らない。

だけど挑めば。

本当に欲しいと思ってたものが。時々は。手に入ることもあると。


ミック・ジャガーが歌っていた。


本当に欲しいと思ってたものを手に入れたんじゃないか。

そう言うと。だけど。と、また、友は言った。




自死遺族って知ってる? そう聞くと友は、あぁ、と曖昧な答え方をする。

家族に自殺された人たちのことを言うんだヨ。
最近、よく聞くようになったよな。
それだけ、自殺する人が増えたのかもしれない。

友は黙っている。

バーテンを呼んで、新しい酒を作らせた。


自殺ってのは。

する方は知らねーが。される方は地獄だヨ。




そう言うと。友は、わかってる、と小さく言った。




とても小さく言った。






なあ。人間ていうのは。本当に罪を償おうって気があるのかな?

本当に自分の罪を自覚しようって気があるのかな?

無いような気がすんだけど、お前はどう思う?



友は桜木を見て、あるだろう、あるはずさ、と言う。

けど、少ししてから。

無いのかもしれないな。と言った。


無いのかもしれないけど、必死で償おうと躍起になってる。
だけど…、時々…。

友は自分の言葉に自分で気づいたように、少し苦笑して言った。

償うつもりで自殺なんかして。

ますます。

大事な人たちを傷つけてしまうんだろうな。











桜木は。

人間は、何故「罪」を持たされたのだろうと思う。

「罪」っていうのは本当に。大した発明品だと思ってる。


「罪」なんて概念があるから。「赦し」が必要で。「神」が必要で。




「神」に「赦し」を乞うってシステムに乗り切れなかった連中が、みんな。

ただ重苦しい「罪」だけを負って。

「死」に逃げ出す他なくなってる、出口のない世界。






「子を捨てたくせにテメエばかり再婚して、幸せになってやがる」

と。

友人は、誰かに責められたろうか。いや。
そんなことを直接本人に向かって言う人間なんて、居やしない。

直接本人に向かって言う人間なんて居やしないけれど。



「罪」は風に乗って。感じやすい人間の心だけに攻め込んで来る。

まるで「スギ花粉」みたいに。感じやすい人間の心にだけ。










「謝りなさい」と言われて。

本当に誠心誠意謝ったことがあるか?

桜木には無いよ。自慢じゃないけれど。

謝るのは。



本当に悪いと思った時で。

誰かに強制されたら、むしろ、謝るのをやめるかも。





オタクなネタで申し訳ねーんだけど。

「うる星やつら」の映画を、この間やっていて。

主人公の「あたる」が、ヒロインの「ラム」に、「好きだって言え!」と詰め寄られるんだけど。
決して言わないんだナ。


「言え」と言われて。

言ってしまったら。

そんなのは、ウソだから、と。ウソに聞こえてしまうかもしれないから、と。









桜木は。もちろん。

世の中には。償わなければいけない罪というものが、あると思ってるヨ。



けど。

この世界中の「罪を犯された人間」の数と。「罪を犯したという自覚のある人間」の数が。



決してイコールにならないということも、知っている。






自覚したつもりの「罪」では足りない。

きっと気づいてもいない「罪」を、全員がそれぞれに抱えながら。




特に目立った「罪」を断罪することで、善人になったようなつもりになってる、てのが。

この世界。


生きてるだけで「罪」。

それなら死んだ方がマシ?



新しい酒で小さな乾杯をして。

桜木は友に。

言っていた。



「確かに生きてれば誰かを不幸せな気分にさせることもあるかもしれねーけど」

「幸せな気分にもさせてやれるんだから」

「今日も、早く家に帰ってやれよ」


って。


なあ。桜木は。

間違ったことを、言っちまった?

「てめーなんて死んじまえ」

って。

言ってやりゃ良かった?





良く知りもしねーで他人の「罪」を。

声高に追求するのはオッカネー話。

けどまあ身近な人間には、優しくしよう。






むろん桜木にも時々。テメエの自覚してない「罪」の重さにやられて。

布団から出て行きたくないと思う、朝があるヨ。



2001年12月05日(水) 実の親ですら真実の愛をくれるとは限らない。

「醜さ」を憎んだ桜木の苛立ちもまた醜い。

けど。

口をつぐむことはない。誰の唇にも毒がある。

みんなでウワアとやられながら楽しく行こう。

ナニ。誰だって傷つけているし誰だって傷ついているのさ。




大げさなことじゃない。

みんなでやったりやられたりしながら行こう。  そんなにヤワでもないはずだ。


ただし傷つきやすい人間は。ここより先は、シャットアウト。








さてな。困った。


恋と愛の違いについて考えたら。なんとなくわかっちまった。



けど。

愛ってもん。これが難しい。


無償の愛情こそ本当の愛情だって言うけど。
実の親ですら真実の愛、本当の愛をくれるとは限らんのだよナ。


だって「お前みたいなのはウチの子じゃありません」みたいなことを。

小学生のヤンチャ息子相手に言うんでなくて。
マジで自殺一歩手前くらいに病んだ成人後の子どもに言う親だって居るだろ?



ホントは。

親の愛ってのは無償の愛。そして真実の愛のはず。




それは。


「お前がどんなんであれ、受け入れるし。どんなんであれ、お前の代わりは居ない」

て気持ちを、親なら持っているはずだから。




そして我が子の前じゃ、「お前なんかウチの子じゃない」「家名に泥を塗った」と叫ぶ親だって。
心の奥じゃ。

「どんなであれ受け入れる。どんなであれ代わりは居ない」

と思ってるのかもしれねーし。



だからこそ。親の愛こそ真実の愛、て言うのかもナ。






けど。

実際問題、実の親に取り返しがつかないくらい傷つけられる人間も居るもので。




そういう人は。

真っ暗がりを手探りで歩いているようなもんで。





ナニが真実の愛なのかもわからない。

それがどんな手触りのものなのか。
どれほど温かいものなのか、てことも。


わからないから。

ハマってしまう。



言葉だけにごまかされたり。
身体だけに満足させられたり。

暴力を愛と勘違いしたり。


金をせびられることを愛と思いこんでしまったりする。




もちろん実の親ですら真実の愛をくれるとは限らない。

ただし今目の前にぶらさがっているご褒美が愛であるとも限らない。



桜木は。

愛ってのは。


「相手が何かしてくれるから嬉しいとか相手が何か言ってくれるから嬉しいとか」。


そういうもんじゃねーんじゃねーのかな。と思ってる。





そうしてナニもしてもらえなくなったら。サミシイ。悲しい。死にたい。

そんなのは愛じゃない。




愛ってのはもっと懐の深いもん。

愛ってのは。




「ただソイツがそこに居てくれることが世界一の喜び」。てもの。




ちっさいちっさい命がホギャーと生まれて。
そいつを初めてみた時の気持ちは、子のある人ならわかるだろう。

「ただソイツがここに来てくれたことが世界一嬉しい」んだ。




それが親の愛だ。そして。


「ただソイツみたいな人間がそこに生きてたと知ったことがナニより嬉しい」のが。


たぶん。他人に対して初めて抱くホントの愛じゃないかと。桜木は思う。



何々をしてくれるから。
何々と言ってくれるから。
ドコドコへ連れてってくれるから。

抱いてくれるから。
遊んでくれるから。

慰めてくれるから。



そんなんじゃない。


ホントに愛してる人と寄り添ったら。

その人の鼓動が何より贈り物だ。






他には何も要らなくなる。静かな時間。




何かしてほしいことある?
何か足りないことがあったら言って。



ホントに愛してる人にそう聞かれたら。
こう答える他はない。


何もないよ。

何もない。




ただ。そばに居てほしい。



2001年12月04日(火) 貧富に依らず美醜に関わらず、醜い人間はとことん醜い。

イヤなモノを見た。


見なきゃ良かった。



後悔先に立たずとは良く言ったもん。不快な感情は足のシビレのごとく。

しばらく消えることはないだろう。




今日の自習は「醜さ」について。

せめてこうでもしてねーと胸が腐りそう。

『エンピツ』も時には罪。宝物ばかり見つかるとは限らんネ。

例えは悪ィが、砂場で遊んでたら犬のウンチが出て来たみたいな気分だ。









桜木が一番嫌いな人間。

それは、醜い人間だ。



貧しい人間でも。ブサイクな人間でもない。

低学歴な人間でも。整形してる人間でもない。


ただ。醜い人間だ。




貧富に依らず。美醜に関わらず。  醜い人間ていうのはとことん醜い。



何が、その人間の醜さを作ってるかって。



それは。        客観視の「出来なさかげん」だろナ。

「客観視が出来ない人間」じゃない。

「客観視の出来なさかげんが、醜さを形作っている人間」。

ようするに一番タチの悪い人間てのは。

「客観視なんてハナから出来ねーくせに、客観的にすべての物事を見てるつもりになってる」人間なんだ。




客観視、て何だろ?

物事を客観的に見る、なんて良く言うけど、本当の所の意味はどんなだと思ってる?


桜木は。客観視、ていうのは。

「自分の価値観や常識にとらわれずに、すべての物事を見、判断するコト」

と思ってるけど。違うかナ。




そう。「自分の価値観や常識」にとらわれてたら、すでにそれは客観視じゃないし。
だからこそ「客観視ができる人間」ていうのは少ないんだナ。

今。この桜木の自習だって決して「客観的」と呼べる代物じゃない。
ま。別に桜木自身カケラも、「客観的である」なんて思っちゃいねーんだけど。




なかなかネ。出来ることじゃないと思うし。

だから別に出来なくてもいいと思うし。


もっともテメエでテメエのことを、

「客観的に物事を見据えて冷静に論ずることの出来る賢い人間」

なんて思いこんでなけりゃ、って話だがね。





貧乏人には貧乏人の生活。金持ちには金持ちの生活があるだろヨ。

そんなこた百も承知。   と思ってた。

特に「アタマのイイ連中」にとっては自明のことだろうと信じてた。




けど。

そもそも「アタマがイイ」って何なんだ?

こむつかしい理屈をダラダラと書き連ねることの出来る才能?
退屈な書籍も勉強のためなら面白いと感じて読み続けることのできる賢明さ?
あとまあ、テメエのトラウマを大学在籍中に心理学の力を借りて解き明かす、なんてのも。
「アタマのイイ」人たちにとっちゃ必要不可欠な体験みたいだが。



たくさん傷ついたりたくさんストレスを感じたりして。
不自由な青春を送ったという。

けど。

いろんな本を読んでいろんな先生に教わってたくさん論文を書いて。

到達したのはドコ?






テメエより劣ってるように見える人間への。   容赦ない「見下しの意識」。

じゃねーのかヨ?







「お高く止まってる人間は好かねー」ていうのはありふれた感覚。

「テメエの学歴や交友関係を鼻にかけてると嫌われる」ていうのは大衆社会での常識。

「TPOを無視して行動したら、どんなヒドイ目に遭っても悪いのはテメエ」てのは全世界の常識。





だと思ってたんだけど。ひょっとして違うの?

「アタマのイイひとたち」には、「お仲間」だけに通用する常識ってのがあんの?







桜木は。

ま。貧乏だしさ。エリートでもねーし。幸せな生まれ育ちでもねーし。

けど。

金持ちの常識も貧乏人の常識もわかるし。知らねー部分もイメージできる。

いろんな人間を見て来たから。金持ちも貧乏人も。
いろんな家の裏側も、見て来たから。金持ちの家も貧乏人の家も。


でま。そういう経験も。
桜木の育ちが悪かったからこそ、出来たことなのかもしれねーよ。

お育ちのイイ人の「ご苦労」なんぞ。「苦労した苦労した」て言ってもタカが知れてら。

使用人専用の入り口に追い払われるような経験を。わざわざ「させてくれる親」なんてのも、今時、いねーだろ。




だから今の金持ちにゃ。貧乏人の常識なんて、想像もつかねーことなんだろう。
そしてそんなことの「想像もつかねーテメエ」を、心のどこかで誇ってもいるんだろう。

信じられない。わからない。と相手を否定することが。
テメエの自尊心をくすぐるんだろな。  ジブンハコンナニンゲンジャナクテヨカッタ。

他人を否定する言葉が、孔雀の羽根みたいなもん。




ハ。ヤラしいな。虫酸が走る。

信じられない。わからない。同じことを。


テメエが内心じゃバカにしてる連中も同じように思ってるに違いねーし。

世界中探したって万人に通用する常識なんてねーし。



力一杯ツッコミを入れたい気持ちになったところで。

お高く止まったその醜さが、今更マトモに戻るとも思えない。










無添加食品を食ってる連中の目には。
スーパーの安野菜に飛びつく人間どもが、浅ましく愚かに映るだろう。

安野菜しか食卓に乗せられないのは。
金が無いから。

けど。「それはあの人たちが怠けていたせい」と、内心は思ってる。

「良い暮らしをしたいと思えば、そんなのはいくらでもかなうのに」
「そもそも良い暮らし、ていうのがどういうものか、どこにあるのかすら、あの人たちにはわからないんだわね」
「そしてそのために努力をしよう、という意識も無い。怠け者なんだわ」
「小さな子どもを育てているのに。子どもたちの未来にも関心がない」
「どうしてもっと努力しないのかしら。ちょっと調べたらわかることなのに」

   アア、ワタシ。アンナニンゲンジャナクテホントウニヨカッタ。






安野菜しか食卓に乗せられないのは。
金が無いから。

けど。もっと言うなら。その人たちには。

「知性を買う金すら無かった」んだよ。
「知性と出会う場すら与えられなかった」んだよ。


貧乏な家でも。   本棚があるだけマシ。本が入ってたなら入ってただけマシ。

それすら無い家もある。無かったとしても可笑しくはない。

貧乏ってのは。まさに底無し沼。









思うんだけど。

この国の金持ち連中が、今、すべきことってのは。

ただでさえ高いプライドを、金積んで更に更に上げていく、てことじゃないだろ?



お受験なんて最たるもん。

それ以上テメエら「だけが」付加価値上げてどうすんだ? と桜木は問いたいよ。







「誰の国」に住んでくつもりなんだろ。アホくさ。て思う。

どんなに付加価値を上げる努力をして金をかけたとこで。

住むのは、この国だろ。    エリートの皆さんを支える屋台骨も崩れ始めてる、この悲惨な国。


なのに、このうえエリートを作ろうとしてるバカ親たち。アホちゃうか。
いいかげん。我に返ったらどうなんだ?








アタマのイイ、お育ちのいい人間も捨てたもんじゃないと。

思えるのは、まあ。皇室報道を見てる時くらい。あとは、知り合いの何人か。



ガツガツしたとこがなくて、気持ちのいいヤツら。
けど。
まあ。
決定的に、ハングリー精神つうか。厳しさの視点に欠けるのはご愛敬。

貧乏人が抱える妬みとか憎しみとかって。






尋常じゃねー時も、あんのヨ。





ちょっと前に。東京の文京区で、事件があったろ。
山田みつ子って主婦が二歳の女の子を殺した事件。

あれもな。見てて思ったヨ。

金持ちってのは貧乏人に対する想像力が欠如してんだなーて。

そりゃむろん。貧乏人も金持ちへの想像力は欠如してっけど。




そもそも…。ありゃ、同じ土俵でケンカしたコトそのものが、間違ってたろ?

持てる者が持たざる者に分かち与える思想っての。

なんか。この国には根付いてねーのな。平気で貧乏人を罵倒すんのな。
どう考えたって山田みつ子を追いつめるべきじゃなかったし。
そもそも、あの人らは、おつきあいするべきじゃなかったよ。これは双方の責任。




カケラでも「ま、イヤだわ」て思った時点で。相手とは袂を分かてばイイと思う。

二度とつきあわなきゃイイ、てだけの話と思う。




だけどそれは出来ないから、なんてイイ人ぶった結果が、乳幼児殺害。

どっちみち相手の生まれ育ち環境常識、慮る能力もねーくせして。


いい人のフリだけは一人前。








お育ちの違う人間とはネ。

やっぱ、やっていけねーと思うよ。桜木は。

誰かの自尊心をくすぐるための孔雀の羽根になるなんて。マッピラ御免だしな。




一見ただオロカに見えることをしてるヤツらにも。

五分の魂があるし事情があるし。


みんな、はじめはただ与えられただけの環境から逃げ延びたり、生き延びたりして。
ここにいる。


アタマのイイ人間ってのは得てして鈍感で。
高慢ちき。

そこに金持ちってのが加わったらもう「進んでバカになりたい」て言ってるくらいのハンデを、自ら課してるようなもん。



だからこそアタマが良くて金持ちなのに良い人、てのは。それだけ素晴らしいってこと。







どうりで。






ま。ブランドの名前がバリバリ出て来る時点で気づかなかった桜木が阿呆。

知性も美貌もみんな「テメエを上等に見せるための小道具」だったってわけ。



しかしまあ、マスコミ、財界、上流社会にゃ、ああいう人種が多いと来てやがる。
この国の未来。マジで危ないよ。

そりゃ大金持ちの皆さんのこと。贅沢品の税金よりは、消費税の方が有り難いわナ。




貧乏人と金持ちの間の溝ってのは。

本当に、乗り越えられねーもんなのかな?



昔な。桜木に大学進学を勧めた先生が言ってたよ。

「大学へ行ったら、より高い所から世の中を見渡すことができるから」って。





大学出た人間の感覚って、みんなそんな感じ?

すげーヤラしい。

みんながみんな、そんなじゃねーと思うけど。   違うよな?




その先生の言葉にも、一理あるとは思うけど。

桜木は大学に行かなくて良かったと思ってる。



わかる、てことと。わかったつもりになる、てのは別のコト。





桜木は、いつも、わかっていたい。

だから床に這いつくばり地面に頬をつけても、泥だらけの10円玉を拾ってやるさ。





桜木は。ちっとも賢明なんかじゃないし。アタマも良くない。

ただ、わかろうとしていたいと思ってる。




そう。醜さを脱ぐことだって出来るはず。

その気にさえなりゃ。




マザー・テレサのように。

一つの物質の力も借りないで自ら光り輝く人間にだって。

なれるはずだよ。



2001年12月03日(月) 中絶。

今日は重いことについて考える。





中絶について。だ。







しかし。まずはじめにおことわり申し上げておくが。

桜木は、中絶のことについて論じる時は、「自分は中絶をしたことがある」「中絶をさせたことがある」「うちの親兄弟に中絶している人がいる」等のことは明かさない方がいいし、明かす必要もない、と思っている。

「中絶したこと、させたことがない」人は、「しないほうがいい」と言うに決まっているし。
「中絶したこと、させたことがある」人は、「しなければいけない時もあるし、避妊も常に完全であるとは言えない」と言うに決まっているから。

自分の立場を守ったり、己の考え深さを吹聴して溜飲を下げることが目的でないのなら、自分の立ち位置を明らかにしたって意味がない。



どんな正論を言ったところで。

中絶した経験のある人間にしてみれば、その「絶対正論」は毒にしかならないからだ。








桜木は。

望まない子として生まれた子どもが自分の人生を言祝ぐことができるようになるために。

どれほどたくさんの「血のつながらない人々の愛情」が必要か、ということを知っている。


生まれて来たから人生があるんだ。
それは真実。

けど。
とうてい自分の人生の中に、踏みとどまれないくらい苦しい時。


誰もが救われるわけじゃないし。
そのために、無関係な大人たちに出来ることというのは、驚くほど少ない。

金を恵めばいいってわけじゃないから。








桜木に言えることはひとつ。

今。この国ってのは。


「今生きてるすべての人間の権利すら上手に守り抜くことが難しい」状況になってる。

そう。

「確かに望まれて生まれてきたはずの子ども」すら、幸せになれるかどうかわからねー社会なんだ。

悲しい話だけど。望まれない子を受け入れるだけの土壌は、無いに等しい。




乳児院のサイトを見に行った。

たいていの子は、「一時的に育てきれないから」預けられているのらしい。
たいていの子は、それほど大きくならないうちに親元に帰ったり、里子に出たりしているらしかった。

けど。


「確かに恵まれた家庭で望まれて生まれて来たはずの子ども」ですら。

今の時代を心健やかに生き抜いていくことは、難しく思えるのに。

そもそも生まれて来るところからしてハンデを背負った子どもはどうなるんだ?










けどね。

だから中絶OKとか気楽な結論を出す気はねーし。

そもそも結論なんて出す気はねーし。


みんなそれぞれテメエで考えるっきゃねーと思ってる。




そして今。

桜木に出来ることはただひとつ。


少なくとも。

「今、この国に生きているすべての、すでに生まれて来てる子どもたち」が。

どうにか心健やかに育っていけるよう。


大人としての努力を惜しまない、てこと。







大きな家に住んでウマイもの食って、実の親と一緒に居るのに孤独。
そんなのってない。あまりにもおかしな話。

けど。
今のこの国では。     ごくごくありふれた話。








生まれて来た子の幸せと。
生まれて来る子の幸せと。

それは、別にして考えるべき問題?          そうかもしれない。



けど。

とりあえず、今自分に出来ることをしてこうって話。







あと。桜木も。

どこかのネーさんが書いてみえた主張には、諸手を挙げて賛成。

中絶させる金もねー男が、避妊もしねーでセックスなんて。
ちゃんちゃらオカシイ。



と思いマス。



2001年12月02日(日) 美しく苦しみのない世界。三日で飽きる。

宗教の勧誘が来る。

キョーミないんで。と追い返す。


気分悪い。


何でかナ。ヒトの親切を無下にしたような気になるからか。
しかし疑問が一つ。
宗教の勧誘つーのは、親切なのか?



ンー。まあ本人にしたら、親切のつもりだからこそ、出来んだろうナ。
本人が「これは押しつけだ」とか「よけいなお世話だ」とか思ってたら。


はじめから来ないよナ。


あー。ただ本人が「親切のつもりでやっている」からといって。
どうしてコッチが罪悪感を覚えにゃいかんのだ。

幸せを配って歩いてるつもりか知らねーけど。
アンタの配ってるものって。

そらやっぱ。ほとんどの人間にとっては、不幸せだヨ。





信じれば救われるたぐいの神。
救われて運んでってもらえるらしい桃源郷を言うけれど。



それってさ。

一体どんなトコ?


美しい花々が咲き乱れたイラストが描いてある。
みんな優しく微笑み合い。
争いも病も死もないらしい。


まあ確かにそんなとこがあったらイイだろな。
そこに運んでってもらえるような人間同士なら争いも起きないんだろな?




そう。ココが最悪なのは。最悪な人間ばかり居るから。   なんだよナ?

誰かの言う通りに考えて誰かの言う通りに悔い改めさえすりゃ。

ココも楽園になるんだよ。  ようするに。   そういうことなんだろう?








安易な結論なら無い方がマシ。
誰かの言う言葉をそのまま鵜呑みにして。その通りに生きていかれちゃたまらんヨ。

テメエで考えろ。明日の身の振り方くらい。

テメエで見つけろ。

本当の意味で自分の心を救ってくれる、言葉くらい。    歌くらい。













ヤツらが理想郷と呼ぶ世界。
美しく苦しみのない世界。

もっとしっかりイメージしてみろよ。ホラ。


三日で飽きる。



ダイエットの苦しみがあるからカップ焼きそばが上手かったり不味かったり。

失恋の苦悩を知るから結ばれた喜びが感じられたり。

誰からもかれからも受け入れられて微笑みかけられる世界?




けたくそ悪ィ。




キライな人間は居なくならねーよ。

好きな人間も居なくならねーよ。

けど。だから何だい。     すべての人間に愛されるなんて無理。






選ぶのは自分だろ。
決めるのは自分だろ。

だから気持ちイイ。        愛することも愛されることも。

選ぶのは自分。
決めるのも自分。



誰に気ィ使ってんだヨ?      息を深く吸って。吐いて。 もう一度。





アンタの口ん中に手ェ突っ込んだって。

それは、桜木の力なんぞじゃ、出来ねーこと。







しがらみが多いのは事実。

だから苦しかったら。    理想の世界とやらを思い描け。




結局、好きなことばかりやってたら。

好きなことも。

三日で飽きる。




キライなヤツが居るから好きなヤツがまともに見えるってこともあるよ。
イヤな親に生み育てられたからこそ素晴らしい親に生み育てられたヒトたちの。


輝きがわかる。   こともあるよ。


気温マイナス30度の世界の芸術品を集めた部屋から。
気温20度の「何もないガランとした部屋」に移ったら。

はじめは天国に思える。かもしれない。

けど。   どうせすぐに退屈になっちまって。




マイナス30度の部屋の扉を開けて。
世界の芸術品を楽しみに。





きっと出かけていくのが人間。





苦しくも美しい世界。
それが今生きているこの退屈でくだらなくそれでいて刺激的な世界の名前だと。



桜木は、思ってる。



そしてアンタなら。          この「世界」を。




どう名付ける?



2001年12月01日(土) 理想の大人。

昨日の自習は、我ながら落第点だった。



ダメだな。やっぱ。集中しないとナ。


けど。あんな自習内容にも関わらず投票してくれた人が居たんだな。

ありがとう。     月並みだけど。これからも頑張ります。











さて今日は土曜日。会社がお休み、て人も多いだろう。

家族サービスであちこちお出かけするには絶好の晴天。



ちっと風は冷たくて寒いが。桜木も午後から出かけるとする。







それにしても最近は。

おもちゃ屋が好きな大人って増えたよナ。

あとディズニーランドに代表されるテーマパーク。遊園地。



今の大人たちは本当に遊び上手。楽しみ上手。

桜木なんかは、おもちゃ屋っていうと、母さんの不機嫌ヅラばかり思い出す。
早く早く。とか。そんなのダメ。とか。

今思うと。

一緒になっておもちゃを触って、あれがいいこれがいい、て言ってさ。
五秒でもいいから楽しんでほしかった。

だってさ。

買ってもらえないのは、わかってたんだ。

ただ、おもちゃの海で。
ただ、楽しみたくて。そこに踏ん張ってたんだ。   ガキの頃の桜木。









何もかも買ってくれ、て言いたかったわけじゃない。

遊園地にしたってそう。すべてに何百回も乗りたいと思ってたわけじゃない。


けど。桜木の親世代ていうのは。もう。楽しみ下手なのな。買い物下手なんだ。


手をつけたらすべて買わなきゃいけねーかも、と思ってるフシがある。
一緒にヘラヘラおもちゃで遊んでたらナメられる、と思ってたフシがある。

遊園地でもなんでも。
子どもがやりたがることを経済的にさせてやれなかったら親としての沽券に関わるとか。

なんか。みょーに肩肘張らないと行楽に参加できなかった、てフシがある。





けど。今の親はみんな楽しみ上手。ウィンドウショッピング大好き。だよな?

昔の親みたいに。

ダサい服で精一杯めかしこんで、遊園地に居ても、なんかちょっと緊張してたり。

いろんなものに「取って食われやしないか」ってビクついてるようなのは、どこにもいない。


何だかさ。

気の毒に思えて、仕方がなくなってくる。

あの頃の。真面目くさった親たちのことが。











理想の大人って何なんだろう。

頭に浮かぶのは安易なアメリカ風のリベラルな両親。


仕事はバリバリやって。母親にもキャリアがあって。スーツをたくさん持っていて。
でも休日は手作りの豪華なランチ。娘と焼くケーキ。
もうじき来るクリスマスのために、オーナメントの形のクッキー。

大きな犬と遊ぶ青々とした芝。庭木の手入れをする父親。

テーマパークに繰り出せば、子どものような笑顔で楽しむ両親。
子どもたちは親のすることを見て、テーマパークの歩き方を学んでいく。

ポップコーンを頬張り風船を買い。

「そんなものは、すぐにゴミになってしまうんだから、やめなさい」

なんて言わないで、つまらないキャラクターのノベリティグッズを幾つも買い。

キーホルダーはその場で洋服につけたり。
帽子はそのままかぶって店を出たり。





けど。そういうのって。みんな「消費型社会」の大人像。


昔。


キラキラピカピカした所では、やけに「見劣り」して見えた大人たちは。

この国の父親母親たちは。




「生産型社会」てのかな。そういう社会における大人像で。





あれもきっと。

素晴らしい理想の大人たちだったんだよナ。










それなら今。

桜木たちの世代は。どんな「理想の大人像」を目指すべきなんだろうナ?








トイザらスやディズニーシーを楽しみ。

チャイルドシートをつけたマイカーのステアリングすら、ひそかに交換。



それは一見。「センス良く自分の人生を楽しむ大人たち」のようだけど。

単純にアメリカ的理想の表層をなぞっただけの。



中身のない「見た目だけの大人像」、て感じがしないでもないんだよ。







テーマパークの中では。

ミッキーと握手したり記念撮影したりする時のイイ笑顔と一緒に。



見知らぬ人との距離の取り方や。

ぶつかったり子どもを騒がせたりした時の謝り方や。

公共の施設で楽しむ時のマナーなんかも。

一緒に。確固たる姿勢で伝えていけたらいいと思っている。









まだまだ大幅に価値観が変わったばかりのこの国では。

子どもの遊びに大人が首を突っ込む時のマナーとか。


あふれる子ども向け商品にどう対抗していけばいいのか、とか。


そういうことがまるでわからない。
なんの手引きもない。




なぞるべき理想の大人がわからないまま。

それでも小さな手を引いて歩いて行かなければならないんだナ。


この。ひどく危うい消費社会の真ん中をさ。








人口爆発とか自給率の低下とかいろいろ。

いつまでこんな贅沢な社会を維持していけるのかって。

正直言って、まったくわからないのに。





公園の枯れ葉をひろって楽しむことだって出来るのに。




きらびやかなモールに心は誘われていく。

まだまだ。こんなんじゃ。




本当の理想の大人には、当分なれそうにない。



これはもう自習ってより。    自戒だナ。



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桜木



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