私的正論。

2001年11月30日(金) 子育てに潜む暗闇。繰り返す失敗繰り返す暴力。

結婚生活はすずめのお宿のつづらみたいなもんで。

小さいので我慢するのが賢明だ。て前に自習した時に思った。



しかし小さいので我慢してれば安泰ってこともないのが家庭。




子どもがなけりゃ。離婚もある程度はたやすいし。
生活力さえありゃ、たいていの問題は解決できると思うけど。


虐待ってモンについて。



今日。考えてみることにする。そこにある暗い暗い闇に。

光を少しでも当てることができるように。








子育て、ていうと。どういうイメージがあんのかな。

やたら「ふわっ」とした、実態のない、それでいて温かいような柔らかいような。
そんなイメージを持つ人が多いと思う。

新生児用の真っ白いベビードレス。お宮参りの着物。乳くさい匂い。
タオル地のぬいぐるみ。


子育て、ていうと。

母性のイメージとだぶる甘ったるい感じを、思い浮かべる人も多いと思う。

けど。

母性なんてウソだ。まやかしだ。て主張する女も居る。

悲しい気持ちがするけれど。確かに万能の母性なんて無いのが現実。



だってみんな子どもを生む直前までは。セルフィッシュな小娘だったのだものナ。





母性も無いわけじゃないが。万能ではないし。人それぞれレベルも違うし。

それと一緒。

子育ての甘い時間。柔らかな幸福ってものは、決してウソではないが。



子育てという時間には。すべての荒々しい欲望や憎しみをときほぐすほどの力はないし。

幸福感なんて。

少し逆説的ではあるけれど。

幸福な人間だけが、抱ける気持ちだ。














子育てには闇がある。

誰もが目をふさぎたくなるような闇。





それは。



赤ん坊は、あらゆることに失敗する生き物だ、ていうこと。





腹が減ったと泣き出してミルクを飲ませれば。

ゲップに失敗。ミルクを吐き戻す。

残されるのはびしょ濡れの母親と。びしょ濡れで、しかも腹の中はカラッポの赤ん坊。

母親はメゲずに再びミルクを作るが。

またゲップに失敗されたらと思うと気が気じゃない。いや。母親は「赤ん坊がゲップに失敗したら」なんて思ってないんだよナ。

「私がゲップさせることに失敗したら」

て思ってる。そうでなかったらそんなにストレスが溜まることもないだろう。




赤ん坊は。何にもできない。スプーンも持てないし。歩いて便所に行くこともできない。

だからそれを一つづつ覚えさせてく、ていうのが子育てだ。

失敗の連続。

心は、日に日に暗くなるさ。誰だって失敗はツライ。いや。自分が失敗することより。





失敗されること、ていうのが何よりツライ。







夏休み。友達と二人で共同で工作をしてた、としよう。

自分が、紙を切り間違えて、すべてをおじゃんにしたとする。

もちろんツライが。

友達に責められたりそしられたりするのでなきゃ、まあ、そんなに辛くもない。

やり直すことは出来るんだ。いくらでも。



けど。

いくらやり直すことがいくらでも出来るから、といっても。


目の前の友達に、何度も何度も何度も。

失敗され続けていると。だんだんイライラしてくるんじゃねーのかナ。



お前。いい加減にしろよ。ていう気持ちをグッと飲み込む。

それでも、まだいいさ。友達は切り損じた紙を自分で捨ててくれるし。

新しい紙を買いに行くことだって、出来るだろう。





しかし赤ん坊の場合はそうもいかない。

イライラするうちに母親は。二つの感情にさいなまれ始める。

「この子は、どうして言ったようにできないのかしら」

「だけどもしかして、この子が言ったとおりにできないのは、私のやり方が間違っているせいなのかしら」

そしてそこで。

「そんなことはないよ。誰だって失敗するし誰だって一度で成功させることはできないのだから」

と口をはさんでくれる人間は。    あたりを見渡してもどこにもいない。





なんせ核家族で。

いくら友達が多くたって。

年がら年中、一日じゅう、誰かと一緒にいるわけにはいかないもんナ。





赤ん坊が赤ん坊でなくなって来ると。

さらにさらに失敗は増える。

排泄のそそうなんかは、代表的なものだろうナ。

母親のいらだちはピーク。

けど、ひとたびおむつが外れてしまえば。
何にあんなにイラついていたのか思い出せない、と母親たちは言う。

そうして、問題はまだまだ続く。






子どもって。

結局のところ。



自立して一人暮らしでも始めてくれない限りは。

永遠に親に自分の失敗の尻拭いをさせたり。

親の鼻先に「育児の失敗の現実」をつきつけて、ヘラヘラと生きてるようなもんだろう?





家中の料理も洗濯も全部やってます、て子ならともかくさ。

子どもていうのは。基本的に親がかり。そして失敗する生き物。何も知らねー生き物。




賢しい知恵をつけていっぱしの言葉を吐くようになってても。

んじゃー明日からアナタ一人で生きていきなさい。
部屋は借りてやるけど家賃も水道代もぜんぶ自分で稼いで暮らしなさい。

なんて言われたらお手上げ。






けど。そんな手のかかるじゃりどもを育てあげるのが親の仕事。義務。役割。


理想を言えば愚痴も言っちゃならんのだろうがさ。

親はともかく働いて金を稼ぎ。
子どもを養い。
床に広がった牛乳も小便も拭いてやる。

けど。

その繰り返し。そのイライラは。

何かにぶつけなければ消えなくなる、こともある。





そうして。

失敗されたイライラを暴力で解消する、ていう公式が一度でも完成してしまうと。




もう。

過剰なストレスで頭が回らなくなった親なんかは。

その公式に、延々と頼ってくことになるんだナ。





虐待が終わらないのは子どもが失敗を続けるからだ。

そして当たり前だけど子どもは悪くないんだ。

失敗しながら覚えてくのが子どもの仕事だからだ。




子どもが失敗するのは。

たしかに教え方が悪い、てこともあるかもしれないが。

必然なんだ。

失敗は必然。





親のせいじゃない。子どもってのは。ある意味わざと失敗して。

自分の脳細胞に、その気まずさと対処法と次への改善策をたたき込んでいる。











だから失敗は唯一、親があれこれ手出ししなくても済む「ものの覚え方」なのであって。
イライラする必要なんて一つもないんだが。




まあ。そりゃ。
一日に何十回も何かを拭いたり床を掃いたり汚れをごしごし落としたりしていればイライラもする。




だから何か他のことで解消すればいいんだろうナ。

暴力は。      結局のところクセになるからダメなんだ。





いろいろややこしい理由をつけたってしょうがない。

ラクチン過ぎることは依存につながる。

タバコをやめられない人間が多いのは。





火をつけて吸い込むだけで良いからだ。自動販売機が近くにあるからだ。













とかく物事を解決するというのは難しいことで。

だけど欲望を満たすということだって。難しければ難しいほど、本当はイイんだと思う。




ヒマをつぶすのだって難しい方が良かった。

ゲームをしたければゲームセンターまで自転車こいでったり。



だけど今は家の中で布団に入ったまま。スイッチ入れるだけだ。

展開や自分の下手くそさ加減に腹が立ったらスイッチ切ってやり直す。







子どもが何か失敗してイラだったら。ブン殴る。
ブン殴ると黙る。
また失敗する。殴る。黙る。




繰り返し。









まあ。したり顔のマスコミに。

ゲーム世代の安易なリセット感覚が虐待を呼ぶなんて言われると。

ゲーム好きとしてはさ。

何でもかんでもゲームのせいにしやがんな、て腹が立つよナ。




けど。


実の両親に。
段ボール箱に詰められて死んだ3歳の女の子の母親が乗ってた軽自動車は。

「どこいつ」のトロのアクセサリーで。なかなかセンス良く飾られてたよ。








トロをカワイイと思う気持ちと。

我が子を悪魔と呼ぶ心が。


同居する。








家庭用ゲームごときにリセット感覚とやらを植え付けられたのかは知らないが。

我が子すら愛せない。我が子すら道具感覚。
そうして激しい残酷な暴力とコントローラーのボタンを押す力の差も違いも分からない。





そんな人間も。居るんだよナ。









そして日常の中で呆れるほど繰り返される子どもの失敗と。
その失敗に耐えられる心の強さを得ることと。



子を孕むセックスの安易さとが。





特に今の世の中にあっちゃ。あまりにもアンバランスだ。















中絶した人を責めたくはない。

結局のところ男の側の意識。

そしてそんな男を受け入れざるを得なかった女の持っていた心のすき間。







不幸せが。無限の不幸せを呼び寄せる。




誰に止められる?

誰なら止められる?









聖人君子じゃなくても子をあやめずに育てていける環境って、どんなだヨ?






未熟な人間を未熟なまま排出してく装置。





それは。けど。たった一組の夫婦だったはずだろう?

平気で我が子に暴力をふるい殺人する「殺人装置」を生み出したのは。

結局のところは生きた一人の男と一人の女だったはずだろう?







あるいは一人の男にだまされた一人の女。

あるいは一人の男にすがり孕まされ捨てられる他ない人生を強いられた一人の女…。







そこで。

その女を支えてくれるものは何ひとつ。どこにも。無かったのか?

たわけな男に孕まされて捨てられた女なんてありふれた存在だ。

けど。そのほとんどがまぶしいくらい立派に生きてんだ。





何のせいだった?

その空洞の連鎖のおおもとは。どんな不幸せだった?












ああ。見えない。闇が深すぎて。

桜木の未熟な目には。

その闇の奥が見えない。







光を当てたいんだよ。



そこに。だけど。こんなモンじゃまだまだ届かないくらい闇が深い。









無駄って言うか?


無駄って言うな。







ただそこに。       光を、当てたいんだ。



まだ。

終わらない。








「トロ」の軽に乗ってたのは7歳の子の母親じゃなくて、3歳の子のだった。
 訂正。
 申し訳ない。気を付けて書くようにしていきます。



2001年11月29日(木) 「恥」と「責任」に出会えなくなって久しい。

日が暮れるのが早くなった。

じきに師走だナ。年と共に一年が過ぎるのも早くなった。






子どもの頃ってーのはどうしてあんなに時間がゆっくり過ぎたんだろうナ。

なんでもない空き地もだだっ広く見えた。

小さかったからかな。それだけかな。



桜木は。子どもは。本当に手に触れるもの目に見えるものしか感じられないから…。

だから、時間もゆっくりで。空き地も広く見えたんじゃないかと思ってるヨ。

母さんが呼びに来てくれなゃ晩ご飯にならないような気がしてた。
それが大人になると、朝起きた時から「今夜の晩ご飯なんだろ」なんて考えてるんだもの。

はは。時間が早く過ぎるのも仕方ねーよナ。






さてと。今日の自習テーマは、「恥」と「責任」。

こうして書くと堅ッ苦しいテーマに見えるかもしれないけど。

まあ。身近なモノを題材に考えてみるつもり。






最近。電車の中で化粧する女が増えたって言うけど、そうなの?

まあ。桜木も何人か見たことあるヨ。
甚だしいのはまつげまでカールさせてやがった。ていうか、そんなんフツーか?

今はもう、下地から始めるのがトレンドか?

そんなもんを見ないで済むってのは有り難いナ。電車通勤電車行楽。

二度とゴメンかも。




何にせよ。

キモをひとことで言うなら「恥」だよナ。

けど。それが伝わらないからこそ終わらんのだろう。

パンツを見せながら歩くのも「恥」の感覚の欠落。
道ばたでベタベタクネクネ。ヘビの交尾みたいなのを見せつけてるのも「恥」の感覚の欠落。

けど。

ハジのカンカクがケツラクしてたらナニがイケナイんですかァ? て尋ねられたら。

ちっとにわかには答えられない桜木だ。
だからこれから時間をかけて、理論武装を試みてみるってワケ。






順番に考えてこう。

女にとって化粧ていうのは。誰のためにスンだ? 何のためにスンだ?


たぶん、「自分をキレイに見せたいから」「身だしなみだから」するんだと思う。

もうちょっとかみ砕いた表現で言うなら、

「ていうか〜。素顔キタナイからゼーッタイ見せられないしぃ〜」

「ノーメイクの人ってナニ考えてるのオ〜って思うしぃ。超汚くない?」

てなとこか。


しかしな。そんなら、どーして人前で化粧スンだろな?

「キタナイから見せられない」っつうその素顔が、化粧することによって何パーセントか良くなって。
「お見せできるようなレベルに到達する」、てのはわかる。
むちゃくちゃ地の顔色が悪くて、ノーメイクで居るだけで救急車が来そうな子も居るだろうさ。


でもなー。

「キタナイから見せられない」→「キレイでいなければならない」

ていうのは。ふつうは。

「その裏側を見せてたらチャラになっちゃうようなモン」

だと思うんだけど。







もちろんさ。フランス料理の名店とか一流の寿司屋なんかだと。

裏の仕事ぶりも洗練されてっから。

その舞台裏は、客に見せても御馳走の品を落とすようなもんじゃないだろうと思うヨ。

けど。


テメエの顔が、一流寿司屋の寿司と同じだってのか!

て言いたくなんだけど。






アレなのな。一種、麻痺してる、ていうのもあるんだろな。

毎日毎日スッピン顔から化粧顔に変身し続け。

女性誌でメイク特集を見続け。

友達や知らない女とトイレで化粧直しをし続け。



「キレイな私」

ていうゴールだけがキラキラ輝いてんだろうな。ヤツラの頭ン中では。

「人前でガチャガチャ化粧道具をかき回して間抜けヅラして口紅塗ってる私」

ていうのは。    なんかもう。彼方なんだな。

















昔さ。芋を洗うような人人人が詰めかけた大きなイベントで。

トイレから帰ってきた女友達が気色ばんで、叫んでたのを思い出すんだ。

彼女はこんなことを言ってたヨ。

「テメェが口紅直すのに使った綿棒だかなんだかッ! 洗面所のトレイに置きっぱなしにしていくなよババッちいなっ! テメェのお顔はキレイキレイに元通りになったかもしれねーけどなッ、洗面所は長い髪落ちてティッシュは山んなって! ゴミ箱が無かったらテメェのバッグに入れてでも持って帰れこの田舎モンが!」


こんな彼女の叫びを聞いたあとではさ。



ワンレンの髪をツヤツヤさせてボディコンぱっつんぱっつんのネエちゃん見ても。(年バレバレだナ)

その舞台裏はドオなんだろ? て考えちまって。


これ以来かな。

見た目がキチッとしてる女でも。ゴミをテキトウなとこに捨てたりとか。
見た目のキレイさだけではわからんものなんだなー、て。

ていうか逆に。

公共の場所で、知り合いが誰も見てないような場所でも、どれくらいキチッとマナーを守れるかどうか、ていうのが、人を見る時の基準になってった気がするよ。














「恥」。「恥」ってナンだ? 電車の中で化粧するネエちゃんにとってはナニが「恥」?



ノーメイクのきたねーツラが「恥」?


心配すんな。  きたねーのはテメエの顔じゃなくてテメエの心の方。



「ハジのカンカクがケツラクしてたらナニがイケナイんですかァ?」

て尋ねられたら。

「全部だヨ」

て答えるっきゃねーな。





ナニが、じゃねー。全部がダメだ。

ヒザをきちっとそろえて座ってることもできないような女。

マトモな男は。相手しねーもん。














にしてもヨ。娘がガチャガチャ化粧道具持って歩く年頃ンなってさ。

ニキビヅラをベタベタと小汚く塗りたくってオモテに出てくのを、親も見てんだろ?








「恥」もそうだが。この頃聞かねーな。「責任」て言葉。

ギトギトした顔でダラシなく歩いてる年頃の娘を世間様の中に。
おてんと様の下に「放っちまって」。

「あれもこれもみんな、わたくしどもの責任でございます」

って頭下げられる親が、どれだけ居んだろな?






しかしアンタらの「責任」以外のナニモノでもないだろよ。

大事なムスメどもの「恥」の感覚を、きっちり育ててやれなかったのはお前ラだろよ。





「恥」を「恥」とも思わない人間が一人居たら。

その背後には、そいつらの厚顔無恥に「責任」を取らなければならない人間たちが、必ず居るはずだヨ。









『エンピツ』の仕事ジャンルで昔。けっこうムカつく日記を読んだことがある。

しかし。

そういう日記を平気で書いちまう人間に育てたのは親だろうし。上司でもあるだろうし。

気の毒にナ、て、思ったヨ。







その人の親や上司は。きちんと「責任」を持って、育児や教育をしたんだろうか。
ダメに仕上がっても。社会には出てかなきゃならん。
しかし。
親にも教えられない、上司にも教えられないでさ。


いつ、人として、マトモになれんのヨ?






小さい子どもっての。

自分が群衆の中で迷惑かけて、親が他人様に頭を下げてる姿を見て。



物心つかないながら。おぼろげながら。

「恥」ってものを知っていくんだそうだ。





しかしなー。ははは。    頭を下げない親が増えたもんナ〜。










「恥」と「責任」は表裏一体。

非常識なガキどもだけを責めても仕方ねーって事実が。





何より如実にこの国の病理を示してる感じがする。



2001年11月28日(水) 虐待。DV。育児ストレス。50代60代は冥土の土産にもっと口を開け。

虐待のニュースに心臓もしぼむ思いだ。







たった7つの女の子が実の母親と見知らぬ男から暴行を受けて。
身体にも心にもダメージを刻みつけられながら死んでったんだ。



信じられないが本当の話。
信じられないが。知らなかっただけの話。





知らないってことも罪なのかもナ。

プライバシー感覚ばかり優先して。
自分も知られたくないから他人のことも知ろうとしなくていいんだ、とばかり。

何かの勢いに乗っかって。ずいぶん遠くまで流されて来てしまったんだナ。
元に戻ることは…。だいぶ困難に思える。






そうこうしている間にも、虐待のニュースが、本当に後を絶たない。


市民団体等の活動も、むろん盛んだ。
今日も、虐待ダイヤルの相談員を養成する講座についての紹介記事が、新聞にあった。
しかしこういう講座に参加するのは。うんと真面目な人たちなんだろうな。と思った。

実際に虐待したことがあるような人は、行かないだろう。

相談員になろうとも思わないだろう。

まあ多分。死ぬまで一生余裕のない心で。

酒やタバコや男や女や泥沼のギャンブル感覚を手放せないまま。
あるいは虐待の報道を見もしないまま死ぬんだろナ。



まあ。そういう人間どもに相談員になれと言うつもりはないし。不可能だろう。

けど。
カケラも虐待じみた行動を取ったことのない真面目人間ってのも、適正として、どうなのかナ?
これはDVの相談電話なんかにしてもそう。


子どもを殴りたくなる思い。育児を放棄したくなる思い。女を殴りたくなる気持ち。

そういうののカケラも理解できない「おきれいな人たち」が。

ただ一方的に被害者だけを救済し加害者側を追いつめていく構図っていうのが。



どうも解せない桜木。





くだんの7歳女児虐待事件の犯人。実の母親は。

自分も母親に虐待を受けながら、まともな育児もしてもらえないで大きくなった、と話しているらしい。

そうなると。時代を超えて実の祖母まで逮捕しなきゃならなくなるのかな。
殺さないまでも無事に大人になりゃ、どんなに殴ってもほったらかしにしても罪に問われないってあたりが。
また、虐待ってモンのおっかないとこ。


けど。今の若い親たちってのは。

はっきり言って何もわかっちゃいねーんだ。

自分たちの親がどんなことを考えながらどんな風に子どもを育て、どんな気持ちで殴り。
時には育児放棄しつつも、ある程度は社会に助けられて事なきを得てきたか、てことを。


何も教えられてねーし。   教えてもらってねーし。



また、親たちも、教えるつもりがねーし。






虐待もDVも。ある日突然天から降ってきたってわけじゃない。

その根は深くあった。

何十年も何百年も昔からあったんだ。




桜木たちの親の世代。そのまた親の。そのまた親の世代から。

受け継がれてきた「虐待やDVの温床となる湿った空気」。



その根っこに迫らないで問題を無くすことはできないだろう。

その根っこに光を当てなかったら永遠にそこは暗がりのままだろう。





しかし。今の50代60代は、何も話さねーな。

テメエの趣味や旅行や登山に明け暮れてばっかりだ。

孫はカワイイが虐待には無関心。

育児に悩み追いつめられてるわが子に無関心。



ベネッセの「あなたにエール」って団塊向けの雑誌があるが。
広告をざっと見ても、テメエらの欲求がメインのコンテンツ。
まあ。雑誌のコンテンツについて受け手側に責任を問うてもしょうがねーけど。

世相を現してもいるんだろうさ。
一番金があって。一番人数が多くて。

なんだかんだ言っても、自分らより年寄りの世代は「戦争を起こした張本人」。
自分らより若い世代は「気骨のない新人類」と切り捨てて。


結局どんなアタラシイ世の中を構築するに至ったのか聞いてみたい。そんな世代。







口を開く用意が出来てるんなら。

テレビよ新聞よ雑誌よ。もっともっと拾え。50代60代の生の声を拾え。






DVに怯える二十代三十代の妻を恋人たちを。

虐待の誘惑に凍る若い親たちを。その子どもたちを。



テメエらの育児も恋愛も結婚生活も十分未熟だったのだと告白することによって救え。





わずらわしい時代を終わってスッキリした顔で。
テメエらだけため込んだ金で遊ぼうと思ってんじゃねーぞ。


誰の国だと思ってんだ。

テメエら世代だけが住んでる国じゃねーんだぞ。






真面目な辛気くせェ問題は真面目で辛気くせェ連中に任せとけ的な。

いかにも「ものを考えつけてない人間がしそうな」ことばっかしてんじゃねーヨ。





しつけと虐待のボーダー。

DVのボーダー。


人間関係の希薄な時代に生まれ育った若いモンは。
本当に「何もわからないまんま」だ。
そうして自分たちの「わからなさ」に、いらだちながら生きている。



弱いモノに刃が向くのは。   当然のことだろう。




ご隠居さんも。世話焼きバーサンも居なくなった今。


50代60代がもっと口を開いてくんなくて、どーすんだヨ。

70代になったら元気がなくなってくるからナ。

この十年二十年が勝負。







虐待男。虐待母。暴力夫。暴力男。

そういうのを育てた人間どもと、その同世代が口をつぐんでて、どーすんだ。


いろんなことを乗り越えて来ただけのことはあるってさ。
年の功ってやつを、ひとつ、見せてくれ。




みのもんた一人に人生相談させとくな。

知恵を集めりゃ、あんなもんじゃあないだろう?











虐待とかDVについては。

またもっと時間のある時に自習したいと思ってる…。




傷ついて当然の人間なんて一人も居ないのに。
こんな平和な国で死んでく子どもが居るなんてな。


信じられない。

本当に信じられない。




… 信じたくもない。



2001年11月27日(火) 今日は「場を踏む」ことの大切さと「デモ休暇」について自習した。

岡野版安倍晴明も言っていたが。「場を踏む」「現地に赴く」というのは大事なコトだ。


陰陽師にとっての「大事」と一般市民にとっての「大事」はかなり違うとはいえ。


「場を踏む」というのは大事なコトだし。

あまり軽んじてはいけないコトだと桜木は思うんだナ。





だから外相が異国に行くのは重要なことなんだ。
物見遊山とか言われても何でもいいから行ってみることだ。

現地に赴き現地のニオイをかぎ現地の人々と話してみて初めてわかることがたくさんある。
それは。
「知識」「教養」「理屈」のレベルで「わかる」ということを何万光年も越えた次元での「理解」を連れて来る行為なんだ。


ずっと前。乞われて南の方に呼ばれたことがある。
わりとたくさんの人の前で、二時間くらいかナ。話をさせてもらった。

その時に思った。


アー。この人たちの前に来るには、何時間もかけて新幹線に乗って。

駅から歩いたり。ホテルからタクシーに乗ったりして来たんだ。と。






活字を原稿に書いて新聞紙に印刷して。   届けるのは販売店がやる。

取材して撮影してナレーション入れて。   それを映すのはテレビがする。


雑誌を売るのは本屋。



送り手と受け手の体温は重ならない。顔すら見えないことばかりだ。

桜木がマスコミに対して時に暗い気持ちになってしまうのは。

その「距離」をヤツらはどれくらい意識してんのかな、てことを考えるからだ。



ちょっとした人数の前で話しをするだけでも。
そこには「生」としか言いようのない反応があって心が引き締まる。緊張する。
桜木は原稿を用意していったのだけど、すぐになぞるのを止めた。

ファイルをたたんで並んでいる人たちの顔を見渡したら。
嬉しかった。

この場にわざわざ来てくれたことが嬉しかった。
何でもいい。
何かを渡したい。何かしら受け取って帰ってもらいたいと、痛切に思った。

そこにいる人たちと「場」を共有し、初めてわかったこと。




それは。送り手と受け手の顔が見えずそれぞれにすれ違っているということが。
この国をどんどん不幸せにしていってるのかもしれない、ということ。






所ジョージの「一億人の質問」だったかな。番組のスタッフが村を訪ねていくやつ。
ああいう風に「場を踏む」のが大切なんだよナ。

実際に村を訪ねたスタッフと東京で編集するだけのスタッフでは、絶対に、その「村」に対する気持ちの入り方が違うだろう。

村を訪ねたスタッフは、「おろそかには扱えない」に違いない。
その村を。
出会った、話をした、ごちそうをふるまってくれた村人たちを。


そうしてその思いを編集するスタッフも皆共有することができていれば。
映像は、より暖かなものとなるだろうが。

それを難しくしているシステムも、厳然としてあるのだろう。



この国のテレビは、マスコミは、間違った使われ方をされることの方が多い。

だからこそ「場を踏む」ことの大切さを、もっとたくさんの人が知ればいいと思う。
そうして、ブラウン管の向こう側にあるものの8割方は血の通わない「やっつけ仕事」かもしれない、という疑いの思いを。
視聴者側も、「ある程度」は持っていた方がいいのかもしれない。


まあ。ちっと残念なことだけどナ。




最近自衛隊派遣のニュースを見ていると。
小牧に所属するC130Hの機体が良く映る。
桜木は、あの無骨な迷彩の機体が好きで、つい手を止めて見てしまう。

近くで見たらきっとデカいだろう。
近くで見てみたいと思うし、できたら腹の中に乗せてもらいたい。

そうして。その腹の中のビックリするくらいチープな座席に座って異国に送られていく隊員たちの思いに。
少しでも近づきたい。


相手の体温や呼吸が感じられないくらい遠く離れた場所で何を論じても。
空虚な感じがする。

ルポライターは取材すればするほど対象のモノや人に感情移入してしまうと言うけれど。
当たり前だ。            それが人間ってもんだ。











それにしても日本ってところはデモの少ないところだよナ。

だからたまにデモのウワサを聞くと、ちょっと驚く。居たんだ。て感じ。



そうなると、逆に、デモをしてる人たちの所に行って聞いてみたい。
今日はどうしましたか。
お仕事は休んで来られたんですか。と。

なんでそんなとこに居られるのか? と逆に知りたくなる。
あの人たちは、どうして来たんだろう。
どこから来てどこへ帰っていくんだろう…。




だからもう。こうした不自然な状況を打破するためにも。

日本の企業は「デモ休暇」を認めるべきじゃないか?

もしかして、もうあるのかナ。「デモ休暇」。



自由自在に仕事を休んだり家事や育児をバックれたり出来る人たちだけにヨ。
大事なデモを任しといても、イイもんか?


桜木は、もっとカジュアルにデモりたい。
デモ用のヘルメットとかも玄関に常備しておきたい。
とっておきのタオルをヘルメットにはさみたい。思いの丈を手製の看板にぶつけたい。



オシャレなOLの人たちにも、生理休暇より気楽にデモ休暇を取ってもらいたい。
ニュースを見て「何ヲ?!」と腹が立ったらデモ。
もっと「ふつう」に、国の行く末について心配したり本気になったりしたい。

だいたいニュースを見ていても、デモをしてる人たちの素性が全然わからない。
出向するイージス鑑への抗議デモとか。

誰なんだよ、アンタ。と質問したくなるが彼らはブラウン管の向こう側なのだ。

黙って見てる桜木。         ストレスが溜まる。




なので。

企業には「デモ休暇」を認めてほしい。

あと育児中の主婦のためには「デモ託児」を認めてやってほしい。
国の補助で託児料金を格安にすればデモに参加する主婦は増えると思う。


ふつうっぽいOLとか主婦とかサラリーマンとかが、

「今日はデモ休暇を取って来ました。この裁判の判決には不満があります」

とかインタビューで答えるようになってほしい。








国の政治に関心を持てとか言う前に関心を表に現せるシステムを考えろ。

どあほうども。





たかだか「場を踏む」ってことすらおろそかにしっぱなしの連中にヨ。



何が変えられる。

まったくヨ。悔しかったら、変えてみやがれ、だ。





それとも何か。

そんなにガンガンとデモられたら困るってのか。






悔しかったら国会で認めさせてみろってんだ。

「デモ休暇」。



て。もう他にも提唱してる人が居たらゴメンな。

アンタと同じ意見。

アンタに賛成。



2001年11月26日(月) すべての人間に心地イイ言葉なんて有りはしない。

だってそうだろ?

死ぬ瞬間に聖書の一節で救われて、微笑みながらあの世に去る人たちが居る一方で。

死ぬほど聖書の言葉を憎んでいる人たちが居るんだ。この同じ空の下に。




すべての人間に心地イイ言葉なんて。有りはしないヨ。

でも。だからといって口をつぐんでどうなる?





言葉は時に罪深いナ。     桜木の吐く言葉にしたってそう。

昨日の自習で、ちっとキツいこと書きすぎたかな。   寝返りを打つ時思った。




けど。口をつぐんだからといってどうなる?

大事なのは、万人に心地イイ言葉なんて一つもない、てことを知ることだろ。



桜木の言葉に傷つく人が居るかもしれないのと同じように。

アンタの言葉で傷つく人もどこかに居る。


けど。だからって口をつぐんでどうなる?


桜木とアンタの距離は、どうやって計る?







言葉は時に人を癒すが。
癒すためだけにあるんじゃねーよ。

言葉は時に人を傷つけるが。
傷つけるためだけに、あるわけでもない。そうだよナ。当たり前のこと。




言葉は時に心の距離を現し。

もしかしたら。

本来はそのためのツールじゃなかったのかと、思えるほどだ。








桜木の言葉が届かない時。

それはアンタとの距離が遠いからで。


桜木が間違ってるとか。アンタが間違ってるとかいうことじゃないんだよナ。




そうだと思うよ。

だから心配すんな。


口をつぐんだって。その距離が縮まることはないし。

今以上に自分のことが好きになれるわけでもないだろう。




言うなりになんなヨ。

ただ言葉は言葉だよ。他人との心の距離は厳然としてそこにあるもんだよ。




耳ざわりでない言葉。
ただアンタを癒す言葉。

ただアンタのやってることを100パーセント認めてやる言葉は桜木には吐けない。







胸が寒くなるのは。桜木とアンタの間を吹き抜けてく風が強いからだ。

それが距離だ。





けど。それだけのこと。        それだけのこと。








聖書の言葉すら憎む人たちが居る。

ナゼだと思う?


桜木は思うんだ。

それが片方で「特定の誰かを救う言葉たち」だからじゃないのかと。
そう。
救われるのは「特定の誰か」でしかない。

だから「特定の誰か」以外の人間が傷つく可能性はゼロではないんだよナ。






救いもまた。時には罪なんだ。

癒しもまた罪。








けど。微動だにしない心は。ただ自分の心の中にのみある。




だから、心配すんな。



アンタの中に。アンタを救う言葉は溢れている。

ただそれがアンタの中から外に出た時にゃ。

誰かを傷つけるってことも、あるかもナ。

だからそんなことすんな、て言うのは簡単だが。

知らずにやるんじゃないんなら。言葉の刃に気づいた上で吐くんなら。



いいんじゃねーか。気づかないまんま泣きながらマキビシを撒き散らすってよりは。














「言葉」。まったく難しいもんだと思う。


それを扱うのに資格が要った時代が。

ある意味。正しかったのかもしれないナ。

これが今日の自習で、わかったこと。




2001年11月25日(日) 人間を高める言葉がある。人間をおとしめていく言葉がある。

今日のジャパンカップは。
テイエムオペラオーとジャングルポケットの直線での競り合い…、いや、ジャングルポケットの伸びが、とにかく凄かった。

現役最強馬を、新進実力馬が叩きのめした瞬間だ。ゾクゾクした。



今日は「言葉」について自習する。

連休も終わり。また明日から頑張ってこう。





桜木は「言葉」に魅入られた人間だ。

「言葉」があったから生きてこられた。



しかしいつも心にとめている思いがある。それは、

「言葉には人を高めてくものと、おとしめてくものの二種類がある」

ってことだ。



憎い。ねたましい。うらやましい。腹立たしい。ウルサイ。無礼者。もっと自分を見てくれ。

こういう言葉は発した人間をおとしめていく。

嬉しい。ありがたい。温かい。がんばろう。気持ちがわかる。貴方を知りたい。

こういう言葉は発した人間を高めていく。



「高めていく」「おとしめていく」の関係で分けられるものはたくさんあるヨ。

「働き方」にも、その二種類がある。「セックス」にも。「夫婦関係」にも。「恋愛」にも。




そうして。
テメエのことばかりがカワイイ連中っていうのは。
所詮、自分という人間を「おとしめていく」生き方しか出来ないんだナ、と。

そんなことを思った。




それ。「ネタ」なんだろ?      て言いたくなるような日記に出会うとヨ。


寒うくなる。


人を笑かそうと思ってる「ネタ」ならイイよ。
けどなあ。

自分で自分をどんどん「おとしめていっている」ことに気づいてるのか、いないのか。
そういう言葉を吐けば吐くほど堕落していってることに、気づいているのか、気づくことができないのか。


アー。言いたかねーけど。見てるコッチが苦しくなってくる。

高めていきたく、ねーのかナ?
とことん堕ちてくのがカッコイイ、て思ってんのかナ?





お利口ちゃんの優等生だった自分を壊したくて。自由を確認したくて。
不倫に走るヤツらが多いんじゃねーか、て前に書いた。

しかし。

もっと根本的な問題なのかもしれねーな、て最近感じるようになった。









桜木は、小さい子どもをきちんと守れる大人が好きだ。

小さい子どもにきちんと愛情を感じられる大人が好きだ。

別に子どもずきじゃなくていい。きちんと「守るべきもの」って線が引ける人間を敬う。
そうして自分が関わるすべての人間に、幼い頃があった、てことを感じられる人間を敬う。


小さい子どもが輝いてるのは未来があるからだ。
自分の心に正しく生きていきさえすれば、曲がらずそねまずに大きくなれる。
それを守るのが大人の仕事だ。
阻害するのが仕事なわけじゃない。

けれど。阻害してる大人の方が多いような気がしてしょうがねーんだ。

だから。
きちんと愛情を感じて守っていけてる人間が、もっと頑張らねーと。負ける。



まっとうな生き方を。

まっとうな言葉の使い方を。働き方を。愛し方を。


していかないと負ける。           何かとても暗く重たいものにだ。





腹をこわしたらゲロを吐けば楽になるさ。

吐けばいい。






けどそれは闇の中のことで。
便所の中でのこと。

昔の人は便所のことを「はばかり」て呼んだがナ。






電車の中でゲロを吐く人間がいるような社会だ。

言うだけ無駄か?



いや。無駄じゃあない。そう信じるくらいはタダだよナ。

別にこんなことに腹を立ててるのは、桜木一人ってわけじゃない。

たぶん。

一人じゃないよナ?






テメエの快楽だけを求めてる人間の言葉は。

場の空気までおとしめる。

見ないフリをしてりゃいいか。
なかったことにすりゃいいのか。





勝手に墜ちていきたいヤツには、そうさせとけばいいか。



ハハ。これもゲロの一種か。




なんにせよアレだ。

同じように「言葉」を使ってても。気持ちいいヤツとそうでないのが、居るってコト。


桜木が居る世界にはどうして重力があって。

一番深いのは核で。一番遠いのはソラなのか。



それは肉体で理解せよということだろ。桜木はそう思ってる。

肉体で。


テメエがどこを目指していくべきか考えろ。ということだろ。





この星のマグマのまだ深い底の闇で、手招きしているのは誰だかわかるか?

そいつらの手先に墜ちたいんなら。



いくらでも吐けばいい。

やがてたどり着くのは。二度とはい上がれない重力の底だからナ。



テメエが知ってようと知ってなかろうと。

たどり着くのは二度とはい上がれない重力の底。








2001年11月24日(土) DVD「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見た。男と女の生き様について考えた。

オイオイ懐かしい。今さら「ヤマト」?

なんて言わずにつきあってくれるって人は、ひとつヨロシクだ。



ブッ壊れてたDVDプレイヤーの替え玉が来たんで。
嬉しくなって、買ったまま置きっぱなしになってた「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見た。

それで思った。

男の生き様ってなんなんだろうなァ、と。



いや。男の生き様、なんて言葉を使うヤツって。今でも居るのか。居るよナ? 居ると言ってくれ。

「男の生き様ムービー」としか言いようのない「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見ながら。
桜木はずっと考えていたヨ。

今日の自習では。まあ。女の、でもいいんだ。

「生き様」ってものについて考えてみる。






「さらば宇宙戦艦ヤマト」のストーリーを簡単に説明すると、こうナ。

軌道上にある星をすべて侵略しながら銀河を横断している帝国があって、次のターゲットとして地球がねらわれて。
かつてガミラス帝国との戦いに勝利し、地球に平和を取り戻したヤマトの面々が、新たな脅威へと立ち向かい。
熾烈な戦いを繰り広げ、多くの犠牲を払ったのち、宇宙全体の平和を取り戻すのであった…。

んー。こんな風に書いてみてもちっとも面白くないんだよなァ。
でも、だからといって「見ろ」とも言えないところが辛いところか。





で。実はさ。

遠い昔にこの映画が公開されたばかりの頃。
ストーリーが、けっこう叩かれたんだよナ。

最後にヤマトが○○するところが、第二次世界大戦末期の日本的挺身思想だの「死の美化」だのって。

まあ確かになー。勇気あるストーリーだったと思う。
主人公が、その恋人と一緒に戦いに赴いたのち、たった一人(二人?)で敵の懐にピーーッしちまうんだもんナ。

けど。

その○○の前にヨ。主人公の古代進は言うんだヨ。

何十年の寿命を生きて。死んだらそれでオシマイなんて。

命ってそんなにちっぽけなものじゃないはずだ、って。   ちょっと違ってたらゴメン。でも大体こんな感じ。



当時、まだ青々としたティーンエイジャーだった桜木は、何がなんだかわからないまでも、その古代進の言い分が「むちゃくちゃなもの」であるとは思わなかった。

確かにそうだよ。何年生きるかじゃなくて、どう生きたかが問題なんだ。と思った。



ものすごく保守的に生きたとしても。
ちょっと外に出た時に、パーンと車にはねられて死ぬかもしれない。

そういう保守的な生き方と唐突な死に方の前には「生き様」なんて言葉の入り込む余地はない。

何のために生きる?

そしてどんな風に死ぬ?


それを選択できるということが自由ってことだ。
その自由を存分に生かして生かしきることができる人間こそが、自由を与えられるに足る人間ってことだ。


地球。いや宇宙全体に迫り来る脅威を消し去るために、命とてんびんにかけて、「出来ること」があるのなら。

誰だってそうするんじゃないか。昔、桜木は思ったヨ。

人道主義とか。人間一人の命は地球より重いとか。命がけ、ていう言葉を軽々しく使うなとか。

そんなのは理屈に過ぎないんだと思ったヨ。
自分にとって何より大切に思えるものが。
目の前で燃え尽きようとしているのを見せつけられたら。

覆い被さっても炎を消し止めたいと、思う。
とっさに、ではなくて。

どんなに長い時間考えても同じ結論を出すだろうと思う。


そういう時。人は、自己保身よりも大切なものを見いだしているのだろう。
それは何か。

自己保身より大切なものって何だろうか。








もう、そろそろ記憶から薄れかけているのかナ。

ホームに転落した人を助けるために飛び降りて、死んでしまった人たちが居たこと。

転落した人のことなんて、何も知らなかった彼らが。

どうして身を挺して彼を救おうとしたのか。
韓国の青年の父親が「あいつはそういうヤツだった」みたいにコメントしていたのを何かで読んだけれど。

それが、あの青年の生き様だったんだろう。

彼というのは。そういう生き様を望む男だったんだろう。

そうして、それを知り、認めていた父親の生き様もまた。

そういうものだったんだろうと思う。





バカげている、と批判する人も居たみたいだ。
残される人間の気持ちを考えたら出来ない、と言う人も居たみたいだ。

そうして、その人のその気持ちも、尊い気持ちだと桜木は思う。




大切なことは人それぞれに違うから。

大切なこと、大切なもの、大切な人を守るために生きるという意味において。




選ぶ生き様も、人それぞれなんだ。

だけど。

その昔。


男ならこう生きろ。女ならこう生きろという規範がはっきりしていた時代があって。




「さらば宇宙戦艦ヤマト」を久しぶりに見た桜木は。

そのあまりの美しさに、涙してしまうところだった。



戦争賛美とか。自己犠牲賛美とかをするつもりはない。
死ねば英雄という考え方はキライだ。
女は男をたてるべきだとか。
男は女を守り抜くべきだとか。

そういうのもみんな人それぞれであるのだし、押しつけられてすることではないとは思う。

けれど。




生前の、古代進の恋人ユキの、

「これだけ地球が復興したのは、補給物資の船団を警護してくれている古代君の働きがあればこそ」

的なセリフには、昔ながらの「愛する男を尊び奮い立たせる女」の心が生きていて、とても瑞々しい感じがしたし。

冷たくなったユキの亡骸に向けて初めて、「愛してる」「大好きだ」と語りかける古代の姿には。
昔ながらの、「本当に言うべき言葉すら照れて伝えることができない男」の姿がだぶって見えた。



そうして桜木は、「さらば宇宙戦艦ヤマト」に描かれたそうしたシーンを。
「古くさっ」の一言で済ませる気持ちには、どうしてもなれなかった。




生き様の美しさは。    押しつけるべきものではない。


それはただ感じるべきものだ。


ただ感じて、胸に置くもの。ひびかせるものだ。




あさってになれば忘れてしまうかもしれない。
相変わらず自己保身の中で、日々を送っていくだけなのかもしれない。


けれど。

二十年以上の時を経て「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見た時。

桜木は、当時の自分が感じていた思いが、決して消えてはいなかったことを知った。





「ヤマト」シリーズは、本当にどうしようもなく乾ききってしまった。

製作指揮者によってここまでおとしめられてしまった作品も、他に例を見ないように思う。



しかし。「ヤマトは二度と貴方の前に姿を現さない」というテロップに、家人と失笑しながらも。
桜木は言っていたんだ。



確かに「ヤマト」には裏切られたし。ガックリもさせられたんだけれど。


「さらば」に感じた思いは消えないし。

「さらば」という作品の美しさが消えてなくなってしまったわけではないんだ。と。




日々くだらないことに奔走し。くだらない汗を流している桜木だけれど。

本当に大切なものや人のことは。守りたいと思ってる。




どんな安全な生活の中でも。
どんな退屈な日常の中でも。

命がけで守りたいものがあるのなら。


それが。
男にとっても女にとってもかけがえのない、生き様というものだと思っている。



2001年11月23日(金) 高い金を払って「貧乏臭さ」を買うような人間にはなりたくない。

いつもありがとう。

この三連休で、高速道路が渋滞しているみたいだ。事故がなけりゃいいナ。

まあ話のついでに高速道路について言わせてもらうなら。

車間距離、詰め過ぎだと思うヨ。アンタら。ぜってェ止まれねーヨ。

すべての免許所持者にナ。急制動体験とか、させてみりゃいいんだ。
止まらねー止まらねー。
ウギャーッて叫びたくなるくらい止まらねーヨ。

童話作家なみの想像力のある人だったらピンと来たと思うけど。
もうネ。スピードは出してもいいから。
車間距離はあけたほうがいいと思う。マジ。

で。相手と車格が一緒くらいだったら。
下手にハンドル切るよりはまっすぐ突っ込んだ方がいいんだとヨ。
まだまだ今の車は、オフセットの衝突に弱いからな。

大型トラックとかだと、乗用車は勢いで下に潜り込んじまうから。かなりヤバい。

乗用車乗りの人は。高速道路ではトラックにはさまれないように運転してくれナ。
はさまれそうになったら速攻逃げろ。
それでもまだ。乗用車同士の事故の方がマシだからナ。



それにしても。

今の日本人てヘンだよな。テレビじゃないけど本当にそう思うヨ。

桜木ン家に保険の外交員から電話がかかってきたんだけど。
それも夜の9時過ぎに。

あのさ。アンタに電話かけてくれって頼んだかナ?

家のモンに聞いたら、その外交員はそもそもが気の利かない人間みたいだった。
そんな人間が営業やっててもいいんデスか?

不景気で。せっぱ詰まってるんじゃないんデスか?

営業のイロハを学ぶ気もない外交員なんぞ。池の鯉より役に立たねーじゃねーか。
役に立つどころか腹を立てさせてどうする。お客様の腹を。


アー。イヤな世の中だ。

桜木は貧乏はキライじゃない。
仕事がなくなりゃ、農業に従事してもいいと思う。
おひさまと共に起きておひさまと共に寝るヨ。
ちょっとだけワラジを編んだあとにナ。

だってまあ。日本人だからナ。
そうやって生きてたら、大晦日にお地蔵さんが何か持って来てくれそうな気がするし。




けどなー。貧乏が嫌いな人が多いみたいなんだナ。

で。貧乏がキライなもんだから、たくさんいろんなものが欲しいらしいんだ。

モノがたくさんあれば豊かな気持ちになれるみたいなんだ。



けど。なんか貧乏臭いんだ。
三年でゴミになるようなもんばっかりなんだ。家の中が。



桜木の貧相なイメージに基づく考えだから。
そんなにマに受けずに読んでもらえるとありがたいんだけども。


昔の日本人は貧乏だったけど。

中には。センスのいい貧乏人ってのが居たと思うんだ。

テレビもないからテレビ雑誌なんてのは持ってないんだけど。
なんかこう、本物の道具ってもんだけは、しっかり大切にしてたと思うんだ。

鰹節削り器とかさ。
シュロのほうきとか。
鉄瓶とか。

本当に必要で本当に生活を正しくするための道具が。
きちんと手入れされて置いてあったような気がするんだ。

そうして。そういう貧乏な家で育った人の中には。成功した人がたくさん居たと思う。
だってそうだよナ。そういう生活の中からは傑出する人間しか育たないだろう。

いろいろ貧乏くさく買いあさったあげくに「捨てる技術!」なんて言ってる家庭からは。
親ナミの人間しか育っていかないヨ。
あるいは親以下の。




このままじゃヤバいよ。本当に。

日本人は、今一度「良い貧乏ワルイ貧乏ふつうの貧乏」ってものについて考えた方がいいと思う。


「良い貧乏」ていうのは。「モノは無いけど仕事はあって、粗末だけれど食べ物はあって、家族の会話があって、夢とか野心とかがある」貧乏。

「ワルイ貧乏」ていうのは。「モノはたくさんあるんだけど役に立たなくて場所ふさぎで、仕事が出来ないもんだから失業しそうで、食べてるのは外食フードかインスタントで、家族の会話は無くて、もちろん夢とか野心とかを想像するアタマもない」貧乏。

でま。「ふつうの貧乏」ていうのは。「モノもそこそこあるし仕事もマアマアやってるし食べ物も生協の食材使ってるし、それなりに家族の会話もあるし、一年に一度は海外にも行ってるんだけど、なんとなくそれぞれ退屈だからウッカリしてると不倫しちゃいそう」な貧乏。



あぁ。やっぱり一番いいじゃん。「良い貧乏」。

桜木は「良い貧乏人」になりたい。




そうして子孫が五代目くらい後に日の目を見てくれたらそれでいいや。

本をたくさん読んだり。
いろいろなことをたくさん考えて。

姿勢良く生きていこう。


とりあえず冷蔵庫の野菜室で野菜を腐らせるのをやめたいところだ。

モノに踊らされモノに翻弄されてモノの海でアップアップする生活の入り口が冷蔵庫だ。

まず冷蔵庫だ。


しょうがないので、今夜は野菜スープでも作るにしよう。



2001年11月22日(木) 「エヴァ」を経て。安倍晴明人気の秘密は「ココロのカベ」。

今日のは、ずっと考えたくて仕方がなかったネタだから嬉しい。

大人気。陰陽師安倍晴明ブームの秘密についてだ。

まあ。秘密ていったって、桜木の勝手な憶測に過ぎないんだけどナ。

で。安倍晴明人気、ていっても。岡野玲子の漫画の方なんだけどナ。


夢枕獏の方しか認めないって人。   悪かった。

あくまでも史実に残ってる晴明像のみリスペクトて人。 申し訳ない。


だって桜木は、岡野玲子の安倍晴明が好きなんだ。
だから今日は。

岡野版安倍晴明が、どうしてここまで現代人のココロを掴んだか、てことについて自習する。







二十世紀末。「エヴァ」って流行ったよナ。  とてもとても人気があった。

社会現象とまで言われたナ。

まあ単純にキャラが好き、萌え〜、て人も多かったかもしれないが。
あのストーリーの中の核の部分、つうのかな。

人との距離の取り方がわからないヤツら。ココロのカベ。ココロの守り方。

ていうのが大きなファクターだったんじゃないかと、桜木は思っている。


主人公のシンジは、人との距離の取り方、接し方がうまくない。不器用なヤツだった。
そうしてそれはそのまんま、人間関係のストレスにもがく現代人の姿でもあった。


自分に自信が持てない。好きな子がいる。だけど笑いかけて気持ち悪いと言われたらドウシヨウ。

主に「おたく層」にウケたのもそういった事情があったろう。
自信は。あるはずだ。プライドなら人一倍あるはずだ。


しかし。どうやったら愛されるのかわからない。どうやったら他人とココロを共有できるのか。

そしてどうやったら。      このガラスのハートを世間の攻撃から守ることができるのか。




で。結局のところシンジは、その問いかけへの回答はくれなかったのだが。

そこに現れたのが。

安倍晴明だったわけだ。





コミックス版の安倍晴明は、とにかく強い男だ。

式を操り。大地との絆を結ぶ。空とも呼応する。その魂は地球の核までも貫き通す。


そして何より。他人のどんな心的干渉にも耐えて自分自身の尊厳を守り抜く。

ここが強い。


晴明には敵が多いのだ。多すぎる。
しかし彼は勝つ。ココロの勝負において決して負けることがない。

ある意味、敵だらけと言っても良い京の町で。晴明は立っている。
友人の博雅とツマの(と書いてしまおう)真葛だけがココロ許せる相手だ。

それなのに晴明は飄々と立っている。

彼のココロにも深い傷があり。
けれどもそれを語ることもない。

ただ立っている。            その。大人の男の。強さ。





寸暇を惜しんで学び。かと思えば風雅を愛でる。酒を飲む。月を仰ぐ。


唯一無二ひとりの女を愛するが。
言葉多くはない。

そして魂の核には誰にも触れさせぬ深淵さを持っている。
けれども、そのハートはただ冷たく凍り付いているわけではない。




晴明の持つ強さ。モロさ。茶目っけ。寂しさ。そして大きさ。


それはこれまでに「見たこともないような」ものなのだ。

だから惹かれる。

彼が今ブームとなり人気を博している理由のひとつは。
とにかく彼が「新しいヒーロー」だからだ。


大昔からヒーローというものは強いココロのカベを持っていたが。
そのカベのあり様が「描かれる」ということは少なかった。

ヒーローは何の理由もなく何の努力もなく「強かった」。

何の葛藤もなく何の理由もなくただ、「戦っていた」。

しかし岡野版晴明には、「強さ」の理由がきちんと描かれている。

彼が「戦っているもの」の姿が、おぼろげながらも読者のココロには響いて来ている。



ココロの傷。出生の傷など。
そうしたある種のトラウマも、現代のヒーローには無くてはならないものだが。

だからといって、ただナヨナヨと泣いているわけではないのが、またひと味違うところ。

ココロに傷があっても。
周りが敵だらけでも。
理解してくれる人間が異常なまでに少なくても。

人は戦えるし。誰かを救うことができる。

安倍晴明は、そんな大切なことを教えてくれているのだから。


彼がこの混迷の世界に人気を博すのは、当たり前のことと言えるだろう。


皮肉屋で毒を吐く、というまでなら簡単だ。

そういう自分を操縦しながら、どうにか上手に世渡りしていくことも、決して不可能ではないだろう。

しかし晴明は、まだその先へ行く。




彼が見つめているのは肉体を越えた世界なのだ。

この世のしがらみではない。
この世の快楽でもない。

そこを越えていく星の人だからこそ。    安倍晴明は、これほどまでに尊ばれ愛されるのだ。





この月曜。

空いっぱいに流れる星を、おおぜいの人たちが見上げただろう。
そして涙をこぼしたのかもしれないが。

その涙は、しかし、当然の現象と言えるだろう。

誰もみな。「そこ」から来て。いつか「そこ」へと帰っていくのだ。




そして安倍晴明は、そのみちゆきの彼方に居て待っている。

とっくの昔に死んでいる彼が、しかしそこに息吹をはなって生きているように思う。



いつか行かなければならない世界の先に居て。
微動だにしないココロで微笑んでいる男だ。


そりゃ。惚れるって。
そんじょそこらの男じゃ、かなわんて。





せめて立ち居振る舞いだけでも優雅にと。心がけようか。

「一部の」日本人がもっとも優雅に。もっとも繊細に生きていた時代に。

今を生きる、このすさんだココロをしばし休ませ、思いを馳せてみようか。




今宵、笙と篳篥の音に耳を傾けながら。



2001年11月21日(水) 『エンピツ』の世界を心地よく泳ぎたい。

もう今日は不倫のこと考えるのヤメた。

なんて言うと浮気のことで頭が一杯だった既婚者が自暴自棄になってるみたいか。
違うんだけどナ。

ここ数日。『エンピツ』日記を始めてからの数日。
桜木は不倫のこと以外にもいろいろ考えてたヨ。もちろん。

いろんな事件があったよナ。
むごたらしく殺された人が何人も居た。

あんまり一日じゅうニュースって見ないから。

「今日ドコソコでいよいよ年の瀬のための準備にアレの製作が始まり」

なんてノンキな報道に出会う機会も少ない。

イヤだよナ。心がすさみそう。
それで『エンピツ』日記に心のやすらぎを求めてさまよってても。

また時々。心がすさみそうになったりしてナ。


もっと心地よく、この『エンピツ』の世界を泳ぎたいもんだ。
そのことについて今日は、ちっと自習する。




『エンピツ』に参加してて、一番嬉しいのってどんな時ヨ?

やっぱ、投票してもらえた時だよナ。見慣れた日記名。今日つけたタイトル。
浮上してるのを見つけた瞬間ってのは、イエスイエスイエス!!! て感じだよネ。

そんなら、一番へこむのってどんな時ヨ?

やっぱ、ぜんぜん投票がない時とか?
あんま面白くないや、て思ってた日記が浮上してるのを見つけた瞬間とか?

酒飲みたくなるわナ。コップ酒。

何か世の中の主流から自分は外れてんだな、ていうのを改めて認識。みたいな?
なんつって今風の言葉づかいすると、ますますへこむ。みたいな?


あとヨ。桜木は、まあ、始めたばっかりだから良くわからんのだけど。
投票ボタンっつってもイロイロあるんじゃんナ?

桜木のもそうだけど、まったくイジッてないのとか。

女の子っぽい可愛らしいのとか。

フザケたのとか(いい意味で)。

フザけたのとか(ちっとムカつく意味で)。

投票ボタンの改造については。
やれるようになってるんだから、やってもいいんだよナ。
フザけた投票ボタンでも。
まあ苦笑いで済むようなのは、イイと思うよ。

ただナ〜。

下手な手品みたいな投票ボタンは、やっぱ、どうかと思うわナ。

手品ってのは。タネがあるわけだ。
だまされるわけだ。
喜んでだまされて喜ぶわけだ。
いわゆるひとつの「喜びがパンでダマサレが具」のサンドイッチ。

あれで手品ってのは。人としての度量が問われる娯楽なんだヨ。


しかしナ〜。

何かのリンクか? て思って押したら「投票」っての。

ダマサレタ! 以外のなにものでもないんだよな〜。
苦〜いキモチになるのヨ。桜木。
いや。女子高生のパンツじゃないよ。マジで。         名誉にかけて。


けど。今日の日記みたいなのって。
何ヶ月かに一つくらいはupされるんだろうけど。
減らないんだろうネ。
もしも『エンピツ』のランキング常連さんとか掲示板の常連さんとか同士でオフ会したら。
絶対、みんな名指しでヒハンするだろうナ。

ていうか。ベテランの皆さんは、もう通り越したのかナ。そういう思い。

諦めみたいなさ。
カンケーないしぃ! みたいなさ。


まあ何にせよ。
桜木は『エンピツ』の世界を心地よく泳ぎたいんだ。

そのためにひとつ決めておきたいと思ってる。


まず。

好きな日記には投票すること。
 これは基本。

メールフォームとか掲示板とかは置かない。
 あくまで自習だからさ。けど、文句言いたくなるような内容にはしないよう気を付けるヨ。

勉強させてもらいたい日記はマイ登録する。
 これも基本かなァ。
 桜木のマイ登録はリスペクトサインだから、そう思ってもらえたら嬉しい。
 ネタをパクろうと思ってるわけじゃないから登録されても怒らないでくれ。

どうしても是が非でも何か一言言いたい日記には日記で言う。
 ていうのが一番良いのかな、て思ってさ。良くないかな。
 名指しするかどうかは微妙なとこだよナ。
 気になって眠れない人とか居たら気の毒だし(そんなに読まれてねーか)。

マイ登録してくれた人を全員マイ登録、ていうのはしない。
 こんなショボくせェ日記をマイ登録してもらえることには本当に頭が下がる思い。
 けど、ただのつきあい登録っていうのはやらねーつもり。
 そのかわり更新されたら読みに行くし。面白いと思ったら投票するヨ。
 なんかさ。
 つきあいで投票してくれてんのかな、て思うのが申し訳なくてイヤでさ。
 人によってイロイロだろうから一概には言えないが。


でもやっぱ。

面白いと思ったら投票。ていうのがイイんじゃねーのかな。

それでこそ。

ランキング上位の日記を読みに行って「当たりだ!」て感じてマイ登録してさ。
毎日笑かしてもらったり。
考えさせてもらったり、ていう。

『エンピツ』の醍醐味が味わえると思うんだ。



上の方にいくといろいろあるんだろうなって思う。
でもそういうプレッシャーもある中で毎日面白いの書いてる人はスゴイと思う。


まあ言葉を使うモン同士。
楽しくやってこう。

勝ちも負けもヌキ。


それぞれ泳ごう。
それぞれ自由に。



イイじゃん、ていうキモチヌキの1票じゃ。

やっぱ。

嬉しくないしさ。



2001年11月20日(火) わかっちまった。不快な不倫の理由。

ここ数日、不倫のことばかり考えてる桜木だ。

なんていうと、まるで浮気したくてしょうがない既婚者みたいな感じだナ。

あくまで自習のネタなんだけどナ。
昨日も投票してくれた人が居たみたいで。ありがとうな。

不倫で検索してたどり着いて。こんなの見せられた日にゃ不愉快だったかもしれねーけど。
どのみち不倫してただ楽しんでるだけのヤツが、こんな辛気くさい文章を最後まで読むわけねーか。

ってワケで。不倫に関する桜木の考察。第三章のはじまり。



唐突に。わかっちまったんだけど。


不愉快な不倫と、そうでもない不倫っていうのが、あるよな?

桜木にはあるんだ。でも、どうもその違いがはっきりわからないでいた。

けど。

わかっちまったんだ。唐突に。


日記読んでても…。   何か知らんジワーッと不快な気分がこみあげてくるのと。
そうでないのと。

でま、もちろん当事者の日常とか見てるワケじゃねーし。
実際のとこはわからんヨ。

けど。ほとんどの場合そうじゃねーかな、て思うんだナ。



不快な不倫してるヤツていうのは。

プロ意識のない裏方サンみたいな。なんとも言えねー「無礼さ」を持ってんだ。



テレビ局で言うならライトとかメイクとか衣装とか。そういう職の人っていうのは。
アイドルとか有名タレントの「裏の顔」ていうのも、知ってるわけだよな?

スゲーいばり散らしてるヤツもいるだろうし。
スッピンが見られたもんじゃねーのもいるだろうし。
乳が底上げで甚だしい、ていうのもいるだろうし。

まあいろんなのがいるだろうし。


けど。プロなら、そういう「裏の顔」については、いくら知ってても他言無用だ。
それがプロとしての自覚、意識、義務ってもんじゃねーのかな?

だから桜木は。そういう「裏方だけが知ってるような真実」がモレ聞こえて来たりすると、アチャーッて思う。
世の中にゃ、プロ意識のねー連中が居るんだなァ、て呆れる。

これでわかってくれたろ?

プロ意識のない裏方サンみたいな、ていう意味が。





そう。

愛してか。納得してか。何かの復讐のつもりで、ていうんじゃねーんなら。

それなりに好いて結婚した相手だよナ。亭主もニョーボも。



なのにヨ。ヨソに男やら女やらかかえた途端。

速攻で、その好いた亭主やらニョーボやらを「冷めた目で」見始めるヤツらが居るんだよナ。



やっぱり若い女と比べると肌のハリがチガウよな〜。押しても沈みっぱなし。とか。
やっぱり若い男と比べたらカワイソウよネ〜。どこもかしこもクタビレちゃって。とか。

そうなるともう。生理のパンツが干してあるのを見るだけで。
ステテコのゴムが伸びちまってるのを見るだけで。

めちゃくちゃゲンナリしやんの。な。

んで、それをまた、不倫相手に話しちまったりするんだわナ。
ウチのニョーボはよう…。アタシのダンナってねェ…。てなノリで。




なんつうか。一度は好いた人間への敬意とか一人格への畏怖とかいうもんが。

ゼロなのナ。

そういうこったから。
一番良い時を過ぎちまうと。不倫相手にも飽きられる。
長くつきあえる相手じゃねーな、て思われ始める。

ま。自業自得だろ。

他人の裏口を平気でバラすような人間に、敬意なんて払えっこないよナ。
最初のうちは、アバタもエクボでごまかされても。

結局のとこ、人間の魅力ってもんは。   そういう単純なとこに集約されるんだよナ。


別れた人間の悪口言わないヤツって。気持ちいいもんなァ。






だいたいヨ。

一緒に暮らしてたら、生理のパンツが干してあるのだって見るだろ。
ステテコのゴムだってヨ。一生伸びねーってわけにゃいかねーだろ。

イイ時にだけ会ってる不倫相手と。
一緒に暮らしてる亭主ニョーボを、同じ土俵で勝負させてやるなヨ。

たまにしか会わねーからアラが見えないで済むんだろ。
んなもん。
一緒に暮らしだしゃ、不倫相手だって亭主ニョーボと同じ文句を言い出すヨ。



そういうことも全部わかってて不倫してるヤツと。

そうでないヤツは。


やっぱ。かもしだす空気がチガウ。



不倫するのは結構だから。
せめて。
不快な不倫ってのだけは止めてくれねーかな。

一度は好いて。
自分の子まで生ませてくれた、生んでくれた相手をヨ。
あるいは毎日ゴハンを作ってくれた、雨風しのがせてくれた相手をヨ。


コバカにしながらヨソの男やら女やらとつきあうな。

ひとつ屋根の下で暮らしてる人間をコバカにしてるような男やら女の。




全く。どこが良くて相手のヤツらもつきあってんだか。知りたいもんだネ。








まーもちろん。

コバカにしてようとしてなかろうと。

不倫してる時点で、亭主ニョーボのことは人間扱いしていないわけだが。



そのへんの罪深さは決して消えないわけだが。
まだ。それほどは不快じゃねーってこと。



とはいえ。
不倫してるような人間に、モラルや誠意を求めても仕方ない…、かな?

ま、そだナ。


とにかくま、結婚生活ってのは、スズメのお宿の「つづら」みたいなもんで。
何が出て来るかわかったもんじゃない。


くわばらくわばら。
小さいつづらで我慢してるのが、身のためだ。



2001年11月19日(月) 不倫の快楽が解き明かす。大流行のワケ。

昨日の桜木の自習につきあってくれた人。ありがとうナ。

今日は快楽について自習するって言った。

公約通り行く。




不倫が人の心を掴んで離さないのは。まァ。気持ちいいからだわナ。

なにしろ自分を選んでくれたってことが嬉しい(気持ちいい)。

本当なら愛し合っちゃイケナイ相手なのに愛してくれるから嬉しい(気持ちいい)。

障害があるのを承知で愛してくれるから嬉しい(気持ちいい)。

そんなにヒマじゃない(他にもっと大事にしなきゃならないモノ、人がある)のにも関わらず、自分のために時間を作ってくれるから嬉しい(気持ちいい)。

あー。
数え上げるのも飽きてくるほどの。気持ちいいのラッシュ。だろ?


また、これら精神的な「気持ち良さ」に加えて肉体的な「気持ち良さ」もあるわけだな?

亭主(ニョーボ)が関心を示さなくなったパーツにご執心してくれるから嬉しい(気持ちいい)。

とにかく「知らない指」「知らない唇」「知らないムニャムニャ」だから気持ちいい。

マンネリじゃないから気持ちいい。

時間に追われてるから集中できて気持ちいい。

行為することで「ないがしろに出来てる」同性が存在する、て事実が、メス(オス)としての優越感情をそそってくれて、気持ちいい。


とか。まあ。
こっちも数え上げたらキリねーんじゃねーの?

他にも、いろいろあるわナ。不倫ってゆうだけですでに反社会的、非常識の世界なんだから、ていう「タガのハズしやすさ」。
それも決め手かな。
亭主ニョーボ相手にゃ使ったこともないお道具とかヨ。
なんでか、不倫相手とだと、使っちまえたりすんだ。
で。

「モウ! 嫌らしいわネ!」

とか。
古ニョーボに言われると萎えるが、若い愛人に言われりゃかえって燃え上がる、みたいな?
理不尽な構図だよナ。

「なんて嫌らしい女なんだ」

とか。
アホ亭主に言われたらムカついてブン殴りたくなるのが。年下の愛人に言われたらトロけちまうんだもの。
まったく理不尽だよナ。

けど。どっちのニョーボも亭主も、ま、ある意味「サボり過ぎ」て来たんだろう。

サボり過ぎちゃ。いかんわナ。

すきまがあれば、ほこりがたまる。これ。世界の常識ってやつだ。


とまァ。
不倫には、こんだけ「気持ちいい」がいっぱいなんだから。

そりゃ。   ハマる人間がたくさん居てもしゃーないわ。

でもヨ。そんだけかな?

桜木的には。
こんな考察で終えてたら。自習になんねーのヨ。

だからもう一歩。深く考えてみることにした。







江戸時代から不倫ってのは流行してた、なんて言うけどヨ。
そんなもん、江戸時代に生きてたわけじゃねーからなァ。

200年くらい経ってからテレビ局の倉庫あさられて。

「このように20世紀の日本では金曜日の妻たちが恋を何年も休んだのち…」

なんて語られても困るんだよなァ。


でまぁ。江戸時代はともかく。

昭和の人妻と平成の人妻っていうのは。ずいぶん様変わりしてるんと違うかな。
昭和の亭主と平成の亭主もヨ。

だからこの、不倫大流行、てやつなんだ。

桜木は思ったネ。




ようするに今不倫に熱中してるヤツらってのはさ。

ワルサってことを、したことがねーんじゃねーのかな?


子どもの頃から親にキュウキュウ絞られて。
お利口ちゃんで、塾行って。
お習いごともキチッとこなしてヨ。

親の望む学校。親の望む進路。

「んまァ、○○チャン、そんなことしちゃダメよ♪ アリさんがかわいそうでしょ」

なんてママに言われて。アリんこ一匹踏みつぶしたこともなかったりヨ。



そんなお利口ちゃんたちが。
思春期にろくにオナ○ーもしないで大きくなっちまって。

身体ばっかり立派になっちまって。

恋愛も結婚も中途半端に周囲の「ウケ」ばっか気にしてキメちまって。



けど、ふと気が付いたら。
思いの外、何もかも自由にできるようになった自分が居てヨ。

オシャレして。
ネットやって。
携帯持って。

親からも家族からも監視されない時間が、意外にたくさんあることに気づいてヨ。





そりゃ、そうだナ。




してェよな。ワルサ。

ずっと我慢してきたんだもんナ。

そうそう。アンタの人生、まさにココから、みたいな感じなんだろ?







若い頃ワルサしないで大人になっちまうと。

一番手頃にできるワルサが、不倫なんだろナ。

気持ちよくて。

嬉しくて。

子どもの頃からキュウキュウ締め付けられて、どんな形をしてるのかもわからなくなってた「自分自身」が。


ラブホの鏡の中に映ってるのを見て。初めて。

ああ。これが自分だったんだ。って。気づくんじゃねーのかナ。





それを桜木は。バカらしいとか言えねーヨ。
時代の病って感じがするな。

気づいたところで。
どうしようもねーんだもの。

だけどこれで。けっこう理解できることが増えたような、そんな気がすんだけどナ。

桜木としてはさ。








不倫日記書いてるヤツらの言葉のはしばしから溢れる。
なんともいえない文学性とかサ。

なんともいえない自尊感情の薄さとかサ。

こう。
ちっちゃい頃からガチンコで遊んで来なかったんだろうなァ、て感じがすんだよナ。
多かれ少なかれ。
不倫してる人間ていうのは。    押さえつけて来たものが大きすぎるんだよナ。








あんなに真面目な人だったのに。  て言われてたヨ。

桜木の伯父。

愛人のウチで倒れてそのまま意識が戻らなくてサ。
だけど籍は抜かないままだった。
てか、抜いてもらえないまま死んだ。

自分がハッキリしてなくて。

他人にキッパリとモノを言えない人間。

誰にでもかれにでも良い顔をしたくなってしまう。


けど。だからこそ。

ヨメには「もう別れる」なんて言って。
愛人には「もう離婚する」なんて言っちまうんだろうな。

だからこそ。

亭主にはっきりと「もう愛してないんだから別れてよ。触んないでヨ」とも言えず。
愛人にはっきりと「アタシの何が目当てなんだか言ってよ。本気じゃないんだったらいい加減にしてよ」とも言えないんだろうな。




不倫が流行ってるって言われてもサ。

だから。

桜木は、ただ物悲しいんだ。





そこにあるのが本当の愛?






愛って。なんなんだヨ。







「生きてる」って感じ。

今まで経験したこともないような「燃え上がってる」って感じ。



けど。何もそれをヨ。「不倫で」感じなくたってイイはずだろ。




大人になって初めて自由になった気がして。ハメをハズしてみたり、ていうの。

ある意味。不倫してるヤツも。チョコエッグ箱買いしてるヤツも。
テイスト的にはおなじなんだよナ。



なんか苦笑いなんだ。

こうゆうこと、やってみたかったんだ。でも本気じゃないヨ、みたいな苦笑いなんだ。




けどさ。もう、叱ってくれるママはいないんだ。





そんなんで。
何も知らないイタイケな独身女や独身男を、だますなヨ。





ロクすぽ愛してもいねー相手を選んじまった結婚生活の尻拭いは。

テメエ一人でカタつけろヨ。


だから不倫なんてもん。
大人の恋でも。

なんでもねーよ。



2001年11月18日(日) 不倫ってモンについて。いっしょに考えようや。

どいつもこいつもうざってェな。

単純なことを頭ン中でこねくり返して悦に入ってやがってヨ。

男と女が寝たら気持ちイイ、てだけのことなんだろ。
あるいは。
自分だけを見て自分だけを求めてもらえる瞬間ってモンが嬉しいだけなんだろ。


まーいいや。

不倫ってモンについて。桜木といっしょに考えてやってもいい、て人だけ。
こっから先は、読んでくれ。



今、不倫してる人。   不倫したい、て思ってる人。両方ナ。

 → お好きにどうぞダ。  人の趣味に口はさむのは好みじゃない。

次。不倫してる人間なんか大嫌い、て人。 憎んでさえいるゾ、て人。

 → なんで大嫌いなのか。なんでそこまで憎いのか。
   桜木といっしょによ。考えようや。



掲示板見てると。いろいろ攻撃的なのが見つかるよナ。

不倫は犯罪デス。
迷惑かけてると思うんだったら今すぐ止めろ。お前らは人間のクズだ。
とかなんとか。

そう。大嫌いだよな。憎たらしいよな。
自分らだけが悲劇のヒロインみたいに浸りきってるヤツらを見ると、虫ずが走るよナ。
あるいはアンタの家族が、不倫とやらに傷ついたり。
あるいはアンタ自身が、不倫とやらに傷つけられた過去を持っているのかもしれないな。

けどよ。分けて考えようや。

ココの日記で不倫があーたら書いてるヤツら。
アンタの家族じゃないんだろ。
アンタの亭主やニョーボじゃないんだろ。

いわゆる一つのヨ。スカーレット色の他人ってヤツじゃねーのかナ。


アンタは、不倫してる人間が大嫌いだ。
つまりアンタは不倫って行為そのものがキライだ。憎んでいる。


そんなら。
アンタが不倫しなきゃ済むことだよナ。
アンタがアンタの大事な亭主かニョーボにヨ。不倫されなきゃ済むことだ。

人間ってのは。

そんなに広範囲の他人にまで。
傷つけられたり。影響されたりするもんじゃネーだろう?

だったらヨ。
アンタの大事な友達や親や親類や子どもらが不倫なんてクダラナイもんに手を染めたりしないように、てことだけをヨ。
よっく気を付けてりゃ済むことなんじゃネーの。


あー。どうやって気を付けたらいいかわかんないか?
んじゃ。いっしょに考えようや。              時間はたっぷりある。


じゃ。

不倫は絶対にイヤだから知り合いにも家族にもさせたくない、て人。

 → 端的に言や。不倫ってもんを理解することだ。理解した上で、対策すればいい。


最近じゃ「され妻」とか言うんだな? 不倫されちまったニョーボのこと。

まー。されちまった不倫は、元には戻らんナ。

だからある意味。ただ不倫を憎んだって、不倫女を憎んだって、無意味ってこと。

けど。
せめて「不倫ってどうゆうことなの」って。理解しておくくらいはいいんじゃねーのかな。
つきあってやっからヨ。

考えようぜ。





不倫。       それはつまり。      ホコリみたいなもんだ。


プライド。の方じゃねーよ。
掃除機で吸うアレな。
フワフワして、ちっと掃除機かけるのをサボると部屋のすみっこにたまってるアレ。

そう。不倫ってのは、部屋の隅にたまるホコリみたいなもん。


わかるだろ。すきまがあるから、たまるんだ。そばを歩くヤツがいないから、風で飛ばされずにそこにたまるんだ。
部屋の真ん中にホコリってたまらないよナ。たいていすみっこだろ。

不倫っていうのは。      心にすきまがあるから。    つけ込んでくる。


シアワセな夫婦生活してたら。不倫も何も関係ねーんだ。
シアワセな家庭ってのは手術室みたいなもんで。
無菌状態。
二人の愛情以外は立入禁止。
そこは二人の愛情によって密閉された高度な無重力空間で。

それは外の人間には想像もつかないような隠微な世界でもある。

あんなデブの奥さんのドコがいいのかしら! とか。

色めき立って陰口叩いてる不幸な奥さんってのが、たくさん居るだろうがヨ。

なんでもいいんだ。
シアワセな夫婦には。シアワセな空間を作りだす能力がある。
それだけのことだ。

すべすべのお肌とかスケスケのネグリジエとかが作ってくれるわけじゃねーんだ。
シアワセな空間たらいうもんは。

ウチのニョーボは世界一。ていう亭主の思いと。
ウチのダンさんは宇宙一。ていうニョーボの思いが。
作り出すもんだ。


だからヨ。

そういうんじゃねー「すきま持ち」の夫婦は。
常に不倫の危険にさらされてるんだよ。
のんきにセンベイも食っていられねーな。

すきまの掃除は。大変だよな。

けどよ。

そんなすきまだらけの家庭でよ。育てられる子どもらもたまんねーよナ。

加えてヨ。

そんなすきまだらけの家庭で子どもを育ててるくせにヨ。

父親も母親も外に目ェ向けて色気づいてんじゃ。     もっとたまんねーよナ。





不倫させない。不倫しないためには。
すきまを作らないことだ。
相手から自由を奪うってコトじゃないよ。
ただ。すきまを作らないってことだ。



でもヨ。どうやって「すきま」を無くしたらいいかってことが。
わかんねーんだよナ。
結婚した時から「ぴちっ」てくっついてねーんだもん。今の夫婦。
スカスカなんだもの。

妙に互いの自由を尊重しあっていやがるんだもの。



そんなんだから。サクッと横から奪われちまうんだナー。恋愛中でもそうだ。
束縛しないのがスマートなことだと思ってやがんだな。
いつの間にこうゆう恋愛観が流行しちまったんだろ。

けどよ。

誰かのせいにできるようなもんでも、ないんだよ。


アンタの恋愛やアンタの結婚は。

全部アンタに責任があるんだからナ。
亭主やニョーボのすることにだって。
責任問われちまうのが結婚ってモンだし。
恋愛ってモンでもある。


そんなのイヤだ。ていうなら。恋愛の快楽も結婚の安楽も手放したらどうかナ。
イイとこ取りの人生なんて。

世界中探したって、どこにもないもんだ。





不倫の快楽そのものについては。
まあ長くなるから次に回す。


なんにせよ。
不倫なんてもんを嫌ったり憎んだりしたって一文の得にもならねーてこと。

どこの馬の骨ともわからん他人にギラギラ怒りを募らせる前にヨ。


自分と大事な人の心の間にすきまがねーかどうか。
確かめる方が先。



ナニ。すきまのない男女関係なんて息が詰まるって?




バカだなァ(笑)。

アンタ一度。大好きな人の口ン中に、指、突っ込ませてもらってみろヨ。





すきまのない男女関係っていったら。
そりゃ。ピーカン晴れの日に干した布団のにおいみたいに。

しみじみあったかくて。心からホッとして。

一度知ったら二度と離れたくなくなるような。代物なんだけどなァ。



2001年11月17日(土) 人間は死ねばただの肉塊。

日航ジャンボ機事故の検死記録が一冊の本になっている。
桜木は未読だが、読むと人生観が変わると言っている人が多い。

そこに書いてあることはつまり。

人間は死ねば皆ただの肉塊になる、ということなのだろう。
当たり前のことながら。
なかなか気づきにくい。
葬式に出ても。遺体は整えられて棺の中に収まっているから。
モノ、というカンジはあまりしない。
不幸にして鉄道自殺を目撃してしまった人なら。
モノ、というカンジがわかるかもしれないが。

日本という国は、ある時期をもって死体から国民の目をそむけさせることにしたので。

逆に死とか生きるとかいうことがわかりにくくなってしまったんじゃねーのかナ。
自殺者が何万人も出るようになってしまった。
リストラとか不景気の影響。それだけか?

本当にそれだけなんだろうか?


何も飛行機に乗ったままビルに激突するまでもなく。

いいかげんな交通事故でも肉塊になることはできる。

知り合いに検死担当の医師が居たが、彼が良く話してくれた交通事故の犠牲者の姿はすさまじいものだった。
一見優しい瞳の奥に、尋常でない輝きを秘めたその男は。

いわゆるひとつの地獄を知る目で。桜木に話してくれた。

ノーヘルで峠に突っ込んだバイクの事故現場。
頭が半分なくなって。
開いた口の中から、向こう側の景色が見えたそうだ。

思わずオエ、と言いたくなってしまうが。
いくらノーヘルで爆音をとどろかせて世間に迷惑をかけながら自爆して死んだのだといえ。ひとつの命には違いない。
人命だ。
とうとい命だ。

しかし。彼の話を聞いて出て来るのは、まず真っ先にウエエ、といった嗚咽である。

人があっさり人でなくモノになってしまう瞬間。
それは唐突に訪れる瞬間だ。

肉塊あるいは消し炭。
しかし。
その残酷な運命から完全に逃れることは、この地球上においては不可能なことだ。

死ねばそれ以上死ななくて済むというのは、そういうことだ。



尊厳を持って死ねるということが、どれほど素晴らしいか、という認識を。
死体を世間から遠ざけたものたちが、私たちの日常から奪い去ってしまった。

だから唐突に私たちは死体と邂逅するはめになる。
高速道路で車を飛び降りた少女の身体を、トラックがはねた。
虫の息だった少女は病院に運ばれたが亡くなった。
しかし何台もの車の中で。
何人ものドライバーが。

それが人なのかモノなのかということを。判断しかねていたのだ。


その境界はかくも曖昧なものなのだ。






震災でも。多くの日本人が理不尽な死に方を強いられ。
尊厳をふみにじられながら荼毘に付されていった。

そうして。そのような死は何も特別なものではなく。
いつなんどき自分たちに降りかかってくるかわからない。


ご遺体と呼ばれ。丁重に扱われ弔いを受けることができればまだ良いが。

人の手の足りない場所で突発的な事故にみまわれれば。
私たちは。
ただゆっくりと恐怖の中で、荒々しい自然にほふられて死んでいくしかないのだ。





今日もどこかで誰かが死んでいて。
それは自分ではない。
今さいわいにして自分は生きている。

しかし一つの死は一つの肉体を確実に滅ぼしていく。
死者一名とニュースが告げた時。
そこには滅び行く一つの肉体があるということなのだ。


死を思え。という言葉がある。






もしも明日この肉体が滅んでいるのだとしたら。
どんな今日であれば悔やまずにいられるのだろうと。



自分の心や他人の心を小説の題材かなにかのようにして楽しんでいるだけの人には。
ちょっと考えてみてもらいたいと思ったよ。


それにしてもどうしてこんなに不倫が流行っていやがるのかねェ。
明日あたり、そのへんのことでも、ちっと書いてみるかナ。



2001年11月16日(金) 教師は「はじめて出会うすばらしい大人」であれ。

忘れられない一人の教師が居る。

今その教師は桜木の母校の校長になっている。
二十年ぶりにタイムカプセルを開けに行った時に。
同級生の女の子が母校に子どもを通わせているのだが。
学校の駐車場で石を投げて遊んでいるのをその校長に見つかって、校長室でこってり怒られたらしいワ、と話してくれた。

どんな風にこってり怒ったのか見てみたかったなァ。
相変わらずおっかねぇんだろうなァ。

テカテカに磨いた細い棒をいつも持っててヨ。
忘れ物したりアホなことした生徒は、先生の机の横に呼ばれてケツ叩かれるの。
いつも叩かれてるヤツとか居て。
うらやましかったなァ。
愛の鞭、ていうけどさ。
あの先生のは、ほんとうにそんなカンジに見えた。

「**センセエ〜!!!」

って。廊下のはじっこから息せき切って駆けつけたいみたいな。
そういう教師だった。
生きてるうちに一度でいいから会いに行こう。
そんな風に思わせてくれる、教師なんだ。


修学旅行の電車の中で。タバコの煙を口から鼻に抜けさせるやつ見せてくれたり。
音楽担当じゃねェのに、音楽室でエリーゼのためにを弾いてくれたり。
自分の机の周りの床だけピカピカに磨きあげて、うらやましがらせて。ワックスがけの後、みんな必死で床磨いたっけなァ。

職員室も。体育館も。花壇も。駐車場も。トイレですら。

先生が歩いたところはみんな素晴らしい場所に見えた。
世の中は素晴らしいところに見えた。
それは先生が素晴らしい大人だったからだ。
先生が生きてる世の中だ。
素晴らしいに違いないと思えた。

ていうか先生なら。

どんなにくだらない世界だって素晴らしいモノに変えて。
自分がやるべきことをやってから。
満足そうに、あの机にふんぞりかえって笑ってるような、そんな風に思えた。


卒業式の日。
先生はクラスメイト全員に一枚づつメモを渡した。
そのメモには先生が前の日に書いた一人一人へのメッセージが書いてあった。
でもそれは一枚一枚すべて違うもの、というわけではなかった。
同じことが書いてある友人もいた。
だけどそれが感動を損なうこともなく。

一人一人が、その紙に書かれた言葉を宝物にした。


桜木のメモには。

実存的な生き方を。とあった。


実存という言葉の意味も知らない小学六年生に。
そんなメモをくれる教師だった。

いまだに実存というのがよくわからない。
哲学用語だが。
人間が実存するというのはどういうことなのか。
はっきりコレとわかったと言い切れない。


それでも。

実存的な生き方をするゾと心に誓う桜木がここにいる。

先生は、「ものを考えながら生きる人間になれ」とも言っていたナ。

「ものを考えないで生きる人間なんぞ、糞尿製造機みたいなもんだ」

なんてヨ。



先生。大好きだったよ。そして今も好きだよ。

糞尿製造機にならないように生きてくために。


明日も。自習をがんばるよ。



2001年11月15日(木) 今の親は「動物園で生まれ育って子育てデキナイ動物」みたいなもの。

他人事みたいにテレビでやってるよナ。

生まれた時から飼育係に世話されてきたので、このメスは自分の生んだ我が子を胸に抱こうともしないのです。とかナントカ。

人間だって同じだヨ。今の親たちっていうのは、結局のところ動物園育ちの動物とおんなじなんだ。

まっとうな「群れ」てものを体験してないからネ。メスならメス、オスならオスの「群れ」。幼児期には幼児期の。思春期には思春期の。
習得しておくべきいろんなことを、理屈じゃなくて姿勢や見たまんまで教えてくれる「群れ」が、今の日本には本当に少なくなってるからナ。


青年団なんての。田舎の方や下町に行くと、まだ残ってるところもあるけれど。
オイオイお前のどこが青年なんだヨて言いたくなるような親父が出入りしてて、けっこうオモシロイ場所だ。
あることないこと。上のことから下のことまで。
オモシロ半分に聞きかじってくうちに、だんだん男の子が男になってった。
そういう場所でも、あるらしかった。
虫も殺さぬような顔の美女が影でどんなことやってるか。
あそこンちの女房は何で逃げ出したのか。
あのキザ男は、じつはカツラ。

なんていうくだらないことも含めて。いろんなことを教わることができる場所らしかった。

女にしたら、大昔は井戸端。ちょっとレトロだと婦人会。
近所の子供会。大きいお姉さんが面倒見良くチビを連れて歩いてくれたりナ。
真面目な姉さんからエッチな姉さんまで。
いろんな女を見て、子どもながらに学んでく。
どこかの赤ん坊も、無造作に背中にくくりつけてた。だから赤ん坊なんて怖くない。
おしめも手早く替えて、乳が必要になったら母親のところに連れていった。
乳をやるところもそばで見た。
当たり前のこととして見てた。
「母乳育児の本」なんて買わなくたって。わざわざ読まなくたって。
母乳で育てるのが当たり前。母乳が出るのが当たり前。
そういう教育の場所になっていた。
もらい乳もあったろうし。
どうやっても泣きやまない赤ん坊のあやし方。母親の万能さ。
いろんなものを、女の子たちは目で見て覚えていったろう。

だから子育ては怖くなかった。みんな平気で7人も8人も産んだ。
手が回らなければ柱にくくりつけたけど、虐待とは言われなかった。

男も女も。自分たちが「まっとうな群れ」の出身であることを誇って生きてたんじゃないのかナ。
困ったことがあったら、そこに答えがある、て思える場所。
そういう場所があったから。
気が狂いそう、なんて独り言も。必要なかったのかもしれないナ。



密室なのは。別にマンションや団地の一室に限った話じゃなくてヨ。
今の日本人っていうのは、多かれ少なかれ、みんな密室育ちの密室暮らしなんじゃないだろうか。

人のぬくもり。人とのふれあい。目で見て覚えること。手で触れて感じること。
そういうのから。
なんか、隔絶されちまってるんだよナ。  いつの頃からか。


子供会は形骸化しちまった。ヒマな主婦のオモチャになっちまった。
健全な運営をしてるとこもあるだろうが。
そこにはたまたま、頭の回る、気持ちの正しい母親が居てくれたんだろうナ。

塾の仲間や部活動の仲間。そんなのも、まっとうな「群れ」とは言えないな。
勝ち負けがある。
劣等感。プライド。いろんなものが邪魔をして、素直になれない場所になっちまってる。
スポーツ少年団なんかで、うまく「群れ」的な役割を果たせている場所があるかもしれないが。
まあ。そこにもたまたま、自らが「良い群れ」を経験した親父が居てくれたんだろう。

自分が教わってないことは。
ふつー。デキナイもんだよ。
しかしヨ。だからといってデキナイって開き直っててもしょうがない。

今の親には。今からでも遅くない。まっとうな「群れ」が必要なんだろう。
それを小さなところからでも実現してく努力が、大人としての急務なんだろう。


今の親の、親の、親くらいの時代からすでに。

この国の基盤は明らかにおかしくなりはじめてた。
でも仕方ないよナ。
変化はあって当然。昔のままならすべてヨシ、てこともあり得ない。

だから今の大人として桜木は。
こうして少しづつ思考を整理していきながら。

何かできることはないか考えてる。


ただ漠然と何かが違うって考えてるだけよりは。
少しはマシなことのような気がして。ナ。



2001年11月14日(水) アンチダイエット論。もしも完全な痩せ薬が開発されたらどうなると思う?

ここでシミュレーションしてみようや。

完全な痩せ薬の登場も。まったく非現実的な話、というのでもなくなって来たようだ。
もちろん市販化にあたっては。いろんな方面からの様々な妨害が予測されるけどナ。

それでもまあ無事に発売されたとしようや。
価格も信じられないことに…、まあ、ひとつき服用を続けてもせいぜい一万円、てところとみておこう。

痩せるわナ。   みるみる痩せる。どいつもこいつも痩せる。

ハイ。  その後の世の中。どうなると思う?

シミュレーションしてみようや。


まず。

『エンピツ』のダイエット・ジャンルが無くなるわナ(笑)。

次に。

Lサイズショップが、在庫がはけなくなって困るよナ。
ちょっと気の毒だ。
影響を受けそうな小売り関係は、早めに手を打っておいたほうがいいだろう。
ダイエット食品、ダイエットグッズ、体脂肪対策のスポーツグッズ関係も全滅だろう。
どれくらい経済的なダメージがあるか、詳しく調べようと思えば調べられるのと違うかな。
経済学をやってる学生サンが居たら、自習がわりにやってみるとオモシロイかもしれないナ。

で。次に。

オーディション関係の応募が殺到するおそれがあるわナ。

これまでは「太ってるから」「笑われるだけだから」と後込みしてた彼氏彼女たちも、大手をふってオーディション番組に応募。
選考担当者は泡吹いて倒れるかもしれないよナ。

どうだ。書類の写真。書類の3サイズ。どいつもこいつもモデル並だ。
そういう中から頭ひとつ抜けるのは大変なことだよナ。

で。結局、身体で選べないから顔や才能ってことになってくる。
日本の芸能界のレベルは、格段に上がるだろうネ。
ハリウッドに通用するような人材が、出てくる可能性が大きいな。ちょっと心躍る。

「ただ痩せてる」「ただ生まれつき痩せてた」

ていうだけで優遇されるヤツらが、ブラウン管の中から居なくなるわけだ。
なかなか爽快だろ。

次に。

ファッション業界はウハウハ笑いが止まらないだろうネ。
それまで9号7号のブランドサイズを指くわえて眺めてた連中のすべてが、今日からすべてお客さんだ。
街行く人間ぜんぶがお客さんだ。
財布が歩いてるように見えるかもしれないネ。

ユニクロもますます喜ぶだろうな。そりゃ痩せた人間が着たほうがデザインが映えるに決まってるんだから。
サイズの一律低下と共に、衣類用の布の消費量は減るだろうか。
みんなオシャレになって、むしろ増えるだろうか。

そのへんは予測がつかないが、まあ、いろいろとオモシロイことになるだろう。

「ただ痩せてる」「ただ生まれつき痩せてた」

ってだけのことで、どれくらい多くの恩恵を授かることができていたか、ていうことを。
たくさんのおヤセさんたちが痛感することになるだろう。

顔の造作も今以上に問われるようになるだろうな。
頭の中身も、今以上に激しく問われるようになるだろうな。
軽くなった体でスポーツしたくなる男女も増えることだろう。
身軽になっていろんなことを始めたくなる人もあるだろう。

自分の太った身体がイヤでウツになってた人は解放されるだろう。
ある種の劣等感から逃れられて救われる人も多いだろう。


しかし。良いことばっかりじゃないんだよナ。

結局「デブ」がいなくなった世界には。

次のスケープゴートが必要なんだ。

そいつは誰だ?

チビかい?

ハゲかい?



それとも。    もっと深刻なハンディをかかえた人たちか?





バカげた差別が繰り広げられている。今この瞬間も。この国で。

「太るのは怠け者だから」
「意志が弱いから」

って書かれた錦の御旗に隠された残酷な差別心を良く見ることだ。



「デブ」がいなくなったら。     次が必要なんだヨ。ヤツらには。




醜いのはドッチなんだろうな。
本当に醜いのは。

ドッチだと思う?




もしも完全な痩せ薬が開発されたら。市販されるようになったら。

貴方にも考えてみてもらいたい。


半透明の壁の向こう側に。次の世界が見えるだろう?

サテ貴方はすんなりと。その向こう側に行けるかい?

それともその新しい世界でも。
次のスケープゴートに、石を投げつけるのかい?





                  



2001年11月13日(火) アンチダイエット論。痩せたブタより太った狼になれ。

その昔「デブであることは罪。ヤセこそ素晴らしい」という価値観をはやらせた言葉に。

「太ったブタより痩せた狼」

ってのがあった。その言葉が言われはじめた当初は、

「金の力で肥え太ってみっともないブタになるよりは、ハングリーな狼であれ」

ていう意味だったのかもしれないが。いつしか。

「太った人間はダメ。痩せてる人間がカッコイイ」

という価値観を言い表し喧伝していく言葉になってったような気がする。

しかしさ。痩せてる人間ってホントにカッコイイのかな。
俳優かモデルになりたいというのならともかく。
誰かに見られて「カッコイイ」って言われるのが目的の人生ならともかく。

フツーの人生だろ。フツーの人間なんだろ。

痩せてればタダのTシャツとジーパンでも様になる、なんて言い方もあるようだが。
洋服を着て見栄えよくなるための人生なのか。
いつなんどきも。
洋服を着て「格好良く見える」ための人生なのか。それだけなのか。


まーそのへんは、ボディビルダーとかにも言えることなのだが。
でもボディビルダーにはボディビルダーだけの特殊な世界観というものがあるので、ヨシとしてもイイ。

問題は。

誰も彼もが「痩せてないとかっこわるい」「デブになりたくない」と過剰な恐怖心を募らせているところだと思う。


だいたい過剰なダイエット…、9号ではすでにデブで7号じゃないと…、ていうようなダイエットが世間で幅を利かせたのだとして、得をするのは誰だろうか。

まず。圧倒的に得をするのは、「今現在痩せている人間」だろう。

生まれつき太れない。あるいは太らないような食生活、生活習慣の家庭に育った、というような人なら、その人は現代の「ダイエット社会」において紛れもなく「勝者」だ。

ちょっと油断すれば、すぐにブクブク太り出す。そんな下々のオンナどもを後目に、梅宮アンナはかつて言い放ったものだ。

「うちには甘いお菓子やスナック菓子をおやつにする習慣がなかったの。だからぜんぜん食べたいと思わない。その点は親に感謝しているかナ」

「今現在痩せている人間」は。

ただ世の中の価値観が、自動的に「痩せている人間こそ素晴らしい」という方向にシフトしてくれた、というだけで得をしているのである。
むろん、中には自ら努力して理想の肉体を手に入れ、現在も努力の上で維持している人もいるだろうが、そういう「努力のひと」にしたところで、

「たまたま、痩せたいという欲求が他のどんな欲求よりも強く、また生活パターン的に自分自身の条件に合致していた」

に過ぎないような気がするのだが、どうだろうか。

たとえば、駅までバスに乗らずに毎日30分から一時間歩くことで自然に痩せた、というような痩せ方があるが、かなり理想的なパターンだろう。
しかしそれと同じことを、自動車通勤の人間がしようと思っても不可能に近い。
あるいはSOHOで貧乏ヒマ無し系の人間であれば、ますます不可能だろう。

また、「痩せよう」と努力してダイエットを始めてはみたものの、思いの外ストレスが強く、挫折してしまうというパターンも多いが、それは別に当人の意志が弱いとかいうことではなく、

「痩せたいという欲求が、他の何らかの欲求に負けた」

からに他ならないのではないか。

しかし、「今現在痩せている人間」というのは、そういう言い方はしない。

「本当に痩せたかったらどんなことがあっても頑張り抜くはずでショ」
「結局意志が弱いんだよネ」
「これだからデブはダメなの」
「結局、身体も心もブクブクにたるんでるんだから」

等々と。このまま一生死ぬまで「勝利者宣言」を続けていくつもりらしい。

彼らは、

「私たちは選ばれた人間。意志も強いし体型も今風だしネ。だからもっと私たちを見てヨ。そしてせいぜいうらやましがりなさいヨ。あんたたちがどんなに頑張ったところで、どうせ痩せられっこないんだから」

と、全身で物語っているわけだ。

しかし。本当に彼らの天下は続くのだろうか。未来永劫その「ビジュアルクイーン・ビジュアルプリンス」の地位は保証され続けていくものなのだろうか。

ちなみに。

彼らの次に、というか、彼らよりもずっと得をしているのは。

ダイエット産業。ダイエット食品からスポーツジムに至るまでの様々な企業さんがただ。
特にダイエット先進国アメリカの場合、ダイエットに関する産業が、その経済の大半を占めているという話も聞かれるのだから、驚く他ない。

世界中には今日食べるものすら事欠く子どもが大勢居るというのに。
食べ過ぎた飲み過ぎたと言って痩せたいと言っては、まだ金を使う人間も存在しているのだ。しかも、その収益だけで何兆? というようなスケールで。


痩せたいとか。デブはみっともないとか言うが。

その価値観がどれほど狭い範囲にしか通用しないものであるか、ということを。
考えたことはあるのかナ。

生活習慣病になるから…、て脅しは、わりと正当なものに聞こえるけれども。
痩せ過ぎの人間よりは、太り気味の人間の方が生存率は高いんだヨ。
太り過ぎは知らないけど、それでも「太れる」てことはある程度健康な証拠だヨ。

それに。

やっぱりどう考えたって、明日食糧供給が止まって強制ラマダンとか始まった日には。
太ってればただ痩せていくだけだけど。
痩せてたら。
死んでくだけじゃないのか。


そもそも。痩せてるだけが取り柄の人間って何の役に立つんだろうネ。

整形して美人になって。フェイシャルエステで肌のキメ整えて。
外反母趾になりながらピンヒール履いて。

なんかそれって。愛人として究極のフェラテク見舞うために総入れ歯になるのと違いはないんじゃないのか。

そんなにチヤホヤされたいのかな。同性にも。異性にも。




このごろ。キレイなお母さんがとても増えたと思うんだけど。
小児科の待合いの前で。ワンワン泣いてる赤ちゃんを、座ったまま抱っこしてる「だけ」ってお母さんも増えた気がするナ。

立ち上がって優しい声をかけて頬ずりしてるお母さん。あんまり見かけないナ。
それでたまに見かけると、そういうお母さんはひっつめ髪でノーメイクで、すげー普段着だヨ。でも赤ちゃんはマッタリ嬉しそうに抱かれてることが多いナ。
おんぶひもでおんぶされてる子もいる。
そういう子のお母さんは確かにオバンくさいけど。
今すべき仕事を今してる、て感じがひしひし伝わってきて、イイと思うよ。

なのに。頬ずりもできないお母さんって何なのサ。よもや化粧がハゲ落ちるからデキナイってんじゃないだろな。
立って赤ん坊抱っこして揺すってあやすような腕力もないのかヨ。

それでいて。二の腕ボワンボワンしてる近所の母さんのこと。
影では、

「ねえ見た? あの腕。ハムみたい♪」

とか笑ってんじゃねぇだろな。


そうゆうヤツラはヨ。   ある意味、痩せてるだけのブタだよ。

ブタが痩せてても意味ねーのにヨ。
痩せてるだけのブタなんだよ。



二十一世紀は。   痩せた狼でも痩せたソクラテスでもなく。

太った狼。太ったソクラテスが流行るんじゃないかナ。





テロもある。飢餓もある。政治不信もある。失業もある。

こういう中で。        どう生きるべきだ?




ちゃらちゃらした洋服着て地下鉄乗って。
急ブレーキでよろついてんじゃねぇヨ。

目障りだ。



何か一大事って時には。ひえだのあわだの食いながら。畑耕さなきゃならん日が来るかもしれないんだゾ。

そんな時代にヨ。

ダイエットのしすぎで生理不順ダノ、タバコの吸いすぎで太った赤ん坊が産めないダノいう「ビジュアルクイーン」なんざ。

ヨメのもらい手、ないっての。




そんな時代、来るわけない?    そうかナ。絶対来ないって言えるかな?



とにかくこれからの時代はネ。
自分の価値観で生きてない人間は淘汰されてく。

実際。周りを見てみなヨ。



主婦太りしてみっともないだの、中年太りかっこわるいだの言われながらも。
地道に子ども二人も三人も育ててる人間が居るだろう?
ユニクロ着ながら笑って生きてる人間たちが、居るだろう?

カッコイイ人間。

学歴も身長も住んでるマンションもみんなお高い人間の方はどうヨ?

この学歴社会を生き延びさせるためには教育費がかかるし育児って手間暇かかりすぎるからウチは一人っ子で、なんて言ってやがるだろ?

夫婦二人で子どもが一人。
それを淘汰と言うんだけどナ。
それも生命の神秘に道を阻まれて、ていうんじゃなくて。
自ら進んで淘汰されてくってんだもの。


100年先の未来に興味がないんだろうな。そういう人たちって。




人間って。もっと骨太でみっともなくて。それでいて愉快な生き物だろ?
違うかな。
少なくとも。桜木は、そう思ってんだけどナ。



アンチダイエット論は、反響が大きかったら、また続けるつもり。
反響がなかったら。
今回でおしまい。

明日は明日の、自習時間。



2001年11月12日(月) 国民の「知る権利」はたぶん無限じゃない。


田中真紀子外相。なにやらたいへんなことになっているみたいだよね。
指輪を無くしたからといって自分の秘書に、

「お前が盗ったんじゃねぇのか、アアン? 今すぐ買ってこいよ」

などとジャイアンとスネオが悪魔合体したようなセリフを吐いて実際に買いに行かせただとか。女性事務員を人質に取って(笑)籠城したとか。
いろんなことが言われているみたいだよね。

でもなあ。そうゆうことが本当にあったんだとして、そんなことまで報道せにゃならんのか? この国は。この国のマスコミは。

またこういう事態が、冷静に「田中外相の外相としての資質うんぬん」で論じられず、外相イジメだとか伏魔殿のたたりだとか言われちゃうのも。
「どこをどんな風に報道していくのがもっとも正しいのであるか」って視点が欠落してるマスコミにも一因があるんじゃないのかな〜。と思うんだけど。


だいたい「知る権利」ってなんなんだろう。

たとえば国の外相が子どもじみているのだとして。

国民が、それを知ったからってなんなのよ。

むしろ国民はさ。

「指輪のひとつやふたつ」とか「外国のゲストを何十分待たせたか」とかいうことよりもネ。

その外相が、どれだけ「どうしようもないくらい腐りきっちまった外務省とその周辺」をタダしてくれるか、てことの方に関心があるんだヨ。


ババアの因縁付けとか女の浅はかさでも何でもいいから、
「これまでノータッチだった分野に光をあててとことん病巣を暴き出してほしい」
て思ってんのヨ。


それがはかどってるかどうか、ていうことだけなのよ。知りたいのは。
外相に人間としての正しさなんて求めてないのよ。
人格=ジャイアン・スネオでもかまわないから、とにかく腐ったジジイどもに制裁を与えてやってくれって思ってんのよ。

ってゆー時によ。おまえらナニを報道してやがる。  このアホンダラ。てことなわけよ。






マスコミ・ワークというものは。
たいへん影響力のあるやりがいのあるお仕事でございましょう。

しかし。その影響力とか使命とか「かっこよさ」「ただしげなムード」に酔うばかりで、ただ酔いっぱなしで、根本を見つめ直そうとしないマスコミ人の、どれほど多いことか。
まったくね。嘆かわしいとしか言いようがない。大衆の道具のくせによ。大衆の求めてるところから離れてどうする。大衆をウツにしてどうする。



小学校とかで。  放課後に殴り合いの喧嘩とかがあったりして。

けっこうな怪我をお互いにして。でも、それぞれの話し合いで解決したような時にさ。

わざわざ、「誰々くんと誰々くんが喧嘩して大けがをしました」なんて、翌日のホームルームで報告したりするか? せんやろが。

指輪がなくなったけど買いに行って事なきを得ました、ていうんならいいじゃないか。んな、わざわざ公の電波を使ってチクるようなことか?
外国のゲストとのミーティングに遅れて…、ったけど、相手方も遅れたから事なきを得たんじゃないのかよ。結果オーライにせよなんにせよ、国同士の外交に支障がなかったんなら、いいじゃないか。


それともナニかい。マスコミは、国民の投票で議員に選ばれたみなさんの「あほうさ加減」をばサラしたくてたまんなくて、何でもいいからしょうもない事件に飛びついてはがんがんニュースで流してるわけなのかい。

むしろそういうのをよ。  国辱っていうのよネ。


まとめるけど。

「知る権利」ってもんを。あんまり軽々しく扱ってほしくない。
それはとても重い重いもので。
平和ボケしたエリート連中なんぞに扱いきれるようなもんじゃないと思うよ。

桜木も大衆だけどな。
大衆なんてもんは。
知らされないでいるのが一番シアワセなんだよ。


一億総評論家、情報通になった結果さ。
年金は納めないワ労働意欲は失うワ引きこもるワ自殺するワ。
ろくなことになってないだろがヨ。

「知る権利」なんてものは。健全なまつりごとが行われてる国には必要ないんだよ。

農薬とか副作用とか狂牛病とか。個人が情報集めて自衛するような社会なんて終わってるのヨ。

だから国民はさ。「知らせろ!」って怒ってちゃいけないんだよ。むしろ。


「いちいち知らせるな!! 忙しいんだから!」って怒ってなきゃいかん。

というわけでまとめが長くなったけど。
今日のところはこんなカンジ。


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桜木



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