ことば探し
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2005年03月31日(木) 日本人の95%は悲観論者。残りの5%の楽観論者が

日本人の95%は悲観論者。
残りの5%の楽観論者が
各界をリードしている。


      松下 幸之助




なるほど、そうかもしれない…と
根拠があるわけでないけれど、
思ってしまったことば。

松下さんはまた、
「楽観論者だからできることが多い」
とも言っている。

ついつい、悲観論者になりたがるこの頃。
心して、楽観論者になるようにしてみよう。



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2005年03月30日(水) 不快な気分になる理由は、驚くほど単純だったりします。

不快な気分になる理由は、驚くほど単純だったりします。

たとえば、生理、睡眠不足や飲みすぎ、
上司が不機嫌だとか、子どもが試験に失敗した、
という場合もあります。

それなのに私たちは単純な理由に気づかずに、
自分の内面を覗き込んで沈思黙考し、
結婚の破綻だとかキャリアの失敗だとか
魂の飢えだとか、もっとドラマチックで
複雑な理由をこじつけてしまうのです。


 ■「考えすぎる女たち」より■
 S・ノーレン・ホークセマ著



今日の不快の原因ははっきりしている。

パソコンの調子が悪い上、通信回線、
プロバイダーを変えたので、その切り替えが
うまくいかず、かなり手間どってしまった。
(しかも結局うまくいかなかった…)

その上、この花粉症である。
鼻づまり、目が痒く、おまけに顔も痒い。
ついでに、まだ歯も痛い。

こんな日はついつい
「あーあ、ついてない日」と思いがちで、
何かにつけて、悪いことが目につく。

悪いことに目がいくと…
これから先も、悪いことばかり続くような
考えが浮かんでくる…
あれも、これも、きっとうまくいかないに
ちがいない…などと…

私は立派な「考えすぎる女たち」の一員である。


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2005年03月29日(火) 合コン、カラオケバーという保育園で遊んでもらっている男たち。

合コン、カラオケバーという保育園で
遊んでもらっている男たち。
立派なオバサンでもギャル時代のままでいたがる女たち。

このままでは国全体が幼稚化し、
日本には大人がいなくなってしまいます。
大人には大人の楽しみや幸せがある。
その喜びを一度想像してみてください。

それはそれは明るく豊かで快適な
人生が待っているのですから。


 ■「愛の話 幸福の話」より■
 三輪 明宏著



いいなぁ、「大人の世界」

そこには、落ち着きがあり、やさしがあり、
あたたかさがあり、なにより人生がある。
一人一人が背負ってきた生きざまがある。

「子ども」や「ギャル」や「若もの」には、到底
わからない、思いやりとやさしさに満ちた世界。

重いけれど、輝いていて、
静かだけれど、力強い。
笑顔の下に、涙があって、
しわも増えているが、思い出も増えている。
一人一人に見果てぬ夢もある。
ちょっぴり哀しく、切なくもある。

そこには、
乗り越えてきた者だけが持てる大らかさがある。
そして、生きてきた証がある。

そんな「大人の世界」…
私はつくっていきたいなぁ。



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2005年03月28日(月) 人にとって、自分自身こそが最大の敵です。
自分でつぶれていく生き物、それが人間です。

人にとって、自分自身こそが最大の敵です。
自分でつぶれていく生き物、それが人間です。

なにかをやってみようとしたとき、
ほかのだれかやなにかがジャマするのではなくて、
自分のネガティブな心や思考がジャマをするのです。
その敵とは自分の深層心理であり、無意識です。


「1分間思考改革術」
 伊東 明 著



まさに、今の自分に言われているようなことばだ。
何かをする時には、本当に自分との戦いだ。

些細なことから、大きなことまで、
「やらない方がいいのではないか」
「やっても、うまくいかないのではないか」
「やっても、無駄なのではないか」
「本当にできるのか?」
などなど、自分の無意識も意識も語りかけてくる。

その中で「でもやる!」「やりたい!」と
自分の気持ちに正直になるには、勇気がいる。
踏ん張る根性と、思いきりがいる。

そういえば、
昨日のTVでやっていた、アメリカで大成功した
日本人実業家がこう言っていた。
「やるときには、退路を絶つ」
うーん、そうだなぁ。
そのくらいしないと、本気は出せないかもしれない。


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2005年03月27日(日) 10円で苦しんでいる人の苦しみと、
10億円で苦しんでいる人の苦しみは同じです。

10円で苦しんでいる人の苦しみと、
10億円で苦しんでいる人の苦しみは同じです。
規模はまったく違うけれども、
お金の苦しみ方は変わらないんです。
要するに、揃わないと回らないわけだから。

それこそ、
いま3000円あれば
なんとかなるのにと思う人と、
いま3000万円あったら
問題が解決するのにという人と、
苦しみは同じなんです。


■「きみまろ流」より■
綾小路きみまろ  PHP研究所


また、怖い歯医者の日だったので、
先日の「綾小路きみまろ本」の味をしめて、
今日もきみまろ本を持っていった。
もっとも、今日持っていった本は、
大笑いできる本ではなかったが。

この本の中の、お金の話は…とても驚いた。
そうか…同じなのかぁ…苦しみは。
お金持ちは、苦しみなんてないと思っていたから、
(勝手にそう思い込んでいた)
そうか、お金の苦しみはあるのか…などと、
妙に納得したのだった。

…しかし、みみっちいので、
歯に詰めものをする時に、
私のように銀色ではなくて、
白い色のにできるんだろうな…お金持ちは…
などと、思ってしまった…。


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2005年03月26日(土) そうじゃないんだ。人間には、正面もあれば後ろもあるし、横もある。

人を知るには、よく見る必要がある。
ここで問題になるのが、どこを見るかなんだ。
普通の人は正面だけを見て、見たつもりになっている。

そうじゃないんだ。
人間には、正面もあれば後ろもあるし、横もある。
それを全部見なければ本当に見たことにならない。

だから、オレは人を六面体で見ろと言っている。
つまり、前と後ろ、右と左、そして、
右と左の後ろを合わせて六面体というわけ。


■「ホスト王のその気にさせる心理戦術 」より■
ホスト王 零士



この本によると、本当は球体で見るのがいいけれど、
それだと、見るところが多すぎるし、
見なくていいところもある、って感じらしい。

しばらく考え込んでしまった…
なかなか人をそこまで見ることはしないから、
相当な見落としがあるだろうな、と。
しかも今時は、そんな余裕もないし、
お手軽なことがもてはやされているから、
なんだか、見たつもりになっている…
ような気がする。

しかし、逆にこんなふうに、
自分が見られたいだろうか、と考えると、
それはそれで、ちょっといやな気がする。
そう考えると、せいぜい、
四面体がいいのではないか…

しかし、商売する人は、恐らく、
そうだな…きっと六面体なのだろうな。
そうでなければ、一歩前に出る何かは
できないのだろうな。


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2005年03月25日(金) 「あれも、これも」では、高い集中力は生まれない。

「あれも、これも」では、高い集中力は生まれない。

捨てることは何かを得ること。
テーマを絞り、ほかを捨て集中すれば、
成功率も高まり、たとえ失敗しても
次につながるヒントが得られる。



「ここ一番!1分間メンタル強化トレーニング 」  高畑 好秀著



この本の中に、衣笠選手(元広島カープ)の
話が出てきます。
衣笠選手は、打順が回ってきたとき、
打席に入るまでには「自分はこの打席でこう打つ」と
決めていたそうです。

打席に入るまでに自分はこう打つと決めていなければ、
気持ちの中に迷いが生じ、
一球一球に集中しきれないということです。
低めの好きなコースがきたらヒットを打ちたいと思い、
高めの好きなコースであればホームラン、
外野フライ(でもいいようなときには)外野フライを打ちたくなる、
それでは、結局中途半端なバッティングにしかならず、
結果を出せないそうです。


うーん…確かに「あれも、これも」では
中途半端になってしまうと思う。
しかし、そうわかっていても、
なかなか一つにしぼれないものなのだ…
迷った上に、リスクを恐れてしまうからだ。
あれもこれも…欲しいと思ってしまうからだ。
こういうみみっちさが、何も得られなく、
してしまうんだな…きっと。


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2005年03月24日(木) 男性に突然襲われたときだってありました。

振り返れば、亭主に会った、あの若いころ、
女房に会った、あの若いころ、
女房の顔を見るだけで、心がときめいた時代がありました。
あれから40年、いま、女房の顔をみるたんびに不整脈です。

昔は赤い糸で結ばれていると信じていました、
あれから40年、気持ちは変わりました。
ふたりはいま、コードレスです。

昔は口紅を塗っただけで、パッーと明るくなっていました。
あれから40年、いま、口紅を塗ったために、
唇だけが若返り、畦道に彼岸花が咲いているようです。
焼きそばに紅しょうが。カレーライスに福神漬け。

男性に突然襲われたときだってありました。
あれから40年、
いま、突然襲われるのは、息切れ、めまい、動悸。


「有効期限の過ぎた亭主 賞味期限の切れた女房」より
綾小路きみまろ著  PHP



とても久しぶりに歯痛になった。
かなり立派な虫歯…のようだ。
痛さと虫歯に勝てずに、歯医者に行くことを決意した。
私はとても歯医者嫌いである。
行く決意をするまで、正直3日かかった。

仕方なしに歯医者に行く決意をして、
「そうそう、笑いは免疫力が高まるはず」と
訳のわからないことを考えて、
持っていった本が、この本。

待合室で、読んでいたら、
思わず声を出して笑ってしまった…
いつもなら、ただ震えて待つのに、
今日は、笑って待っていられた。
何だか嬉しい…
治療は怖かったけど。



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2005年03月23日(水) 私が思っているより、私はすばらしい。

私が思っているより、私はすばらしい。
(略)
何歳であろうと、人は自己を認識して
肯定的な自己評価に到達することができる。
決して遅すぎることなどないのだ。



 「23のマンガによる心理カウンセリング」より
エイブラハム・J. ツワルスキー著  きたやま おさむ訳
  講談社


素直に、
「私が思っているより、私はすばらしい」と
思えたらどんなにいいんだろう…
思えたら、いいなぁ…




※※《このページに来てくださる方々へ》※※※※

いつも、見に来ていただきありがとうございます。
そして温かいメールをいただきありがとうございます。

紹介してきたことばが1000個を超えたことを
きっかけに、このたび「ことばの紹介と本の紹介」を
中心にした「ことば探し」ホームページを立ち上げました。
もし、よろしければお立ち寄りください。
そして、もしよろしければ、ぜひ感想などを
書き込んでいただれば、嬉しいと思います。

「男女の違い」や「本の読み方」「おすすめ本」
なども紹介しています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

「ことば探し」http://www.kotobasagashi.net/




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2005年03月21日(月) 「愛されること」自体は、癒しになりません。

愛は癒しにならないのでしょうか?
愛は確かに癒します。

でも「愛されること」自体は、癒しになりません。
できるのは、幸福が入ってくるように、
ドアを開けて待っていることだけです。

このドアの向こう側に歩いて行くには、
わたしたちは愛さなくてはいけません。
(ヒュー&ゲイル・プレイサー執筆)


 「小さなことを大きな愛でやろう」より
 リチャード・カールソン ベンジャミン・シールド著
 小谷 啓子訳 PHP



「愛されること」自体は、癒しにならないのか…
愛されると、いい気分でいられるが、
それは、癒しとは違うのかな…
一時の満足…ってことなのかな?

確かに「癒される」とは、自分の内側から
沸き上がってくるものであるようには思う。
愛されて、嬉しいという感情とは違う気がする。

そして、確かに、自分が癒されたら、
人を愛することも出来そうな気がする。
そういうことかな。


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2005年03月20日(日) 負けたと思う者は「負けた」という心理において負ける

勝ったと思う者は「勝った」という心理において勝ち、
負けたと思う者は「負けた」という心理において負ける
のである。

 「自分様と馬の骨」より
  勢古 浩爾著



今日、電車の中で、OL風女性たちが
「○○さんと、○○さんは、勝ち組だよねぇ…
 でも、○○さんは、ぜったい負け組だよね」
などと、最もらしく話していた。

私は「勝ち組、負け組」ということばが嫌いだ。
なんだか両方ともみじめったらしい気がする。
さもしい気がする。
何で、そんな線引きをしたがるのか…
よくわからない。

まぁ、だれもそこまで深くは考えてはおらず、
話題作りなのかもしれないが、
もっとましな話題作りはないのかと思う。
(彼女たちは、かなり本気で話していたが)

いったい、この話をしている女性たち自身は、
勝ち組なのか、負け組なのか…
そこんとこをはっきりさせろ…、などと、
どうでもいいことを思いながら、
なんだかなぁ…、日本!大丈夫か…などと、
大きなことを考えてしまった。


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2005年03月19日(土) 左脳思考は「証明されたものだけを信じる」思考です。
右脳は思考とは、別名「直感思考」とも呼ばれます。

左脳思考は「証明されたものだけを信じる」思考です。
それ以外は「疑う」という懐疑思考でもあります。
科学万能時代の20世紀型の典型です。

右脳思考とは、別名「直感思考」とも呼ばれます。
つまり証明という根拠なしにものごとを理解する思考です。
別名「信ずる思考」と呼ばれます。

先行きの不透明なこれからの時代に必要とされるのは、
言うまでもなく「右脳思考」でしょう。
なぜなら、右脳は見えないものを見る力を秘めた脳なのです。
先が見えない不安な時代には「右脳思考」こそが、
人生行路をいく船の行先を正しく見通すレーダーの
役目を持っているのです。

「七田式超右脳成功法」より
 七田 眞著


「右脳」ばやりである。
脳の話を読むとよく、
右脳の力はほとんど使われていないと書いてある。

右脳を鍛えてみようと、何冊か本を買い込んで来た。
簡単なやり方から、ややこしいやり方まで
いろいろあることがわかったので、
とりあえず、簡単なやり方からやってみることにした。

何がどんなふうになるのか…よくわからないが、
ともかく、鍛えてみよう。
いいことが起こるかも知れない。
これからは右脳の時代だからな、何と言っても。


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2005年03月18日(金) 考えすぎの人は正しく物を見ているのでしょうか?
答えはノーです。

考えすぎと仲良くするのは禁物。

考えすぎの人は正しく物を見ているのでしょうか?
答えはノーです。
考えすぎのおかげで、視野が狭くなり、
人生の悪い面しか見えなくなっています。

何もかもが暗く陰鬱に思われ、
息が詰まりそうになります。

前向きなことをしようという意欲がなくなり、
問題の解決法も考えられなくなります。


 「考えすぎる女たち」
  S・ノーレン=ホークセマ著 吉川 奈々子 



ついつい「考えすぎてしまう」癖がある。
すると、そうなのだ、すべてが悪い方にと向かうのだ。
不思議になぜか、いい方、前向きの方には向かないのだ…
なぜだろう…

いったん、その癖に引っかかってしまうと、
なかなか頭から、その悪い思いが離れてくれない。
なぜ、こんなに悪い方に考えすぎてしまうのか…
考えすぎてもいいことはないのに
ただ、自分がみじめになるだけなのに
なぜなんだろうなぁ…

なんて、考え込むのも今日はもうやめよう。


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2005年03月17日(木) 日本人はドリブルを練習するとき、できるだけ速いスピードでやろうとして失敗をくり返すが、

日本人はドリブルを練習するとき、
できるだけ速いスピードでやろうとして失敗をくり返すが、
失敗しないスピードで練習しながら、
徐々に早くしていくべきだ。


               ジーコ


このことばはジーコ監督が、
Jリーグの始まりの頃に、言ったことばである。
日本人は、すべてに急ぎすぎだと言っていた。
基礎体力や、基礎的な動きについて、
じっくりと取り組んだ方がいいというような
ことを言っていたように記憶している。
今の、ジーコジャパンはどうなんだろう…

いよいよ、またどきどきの、
ワールドカップアジア予選がある。
楽しみだが、落ち着かなくもある。
ともかく…元気に応援しなくちゃ…
などと言いながら、いそいそと
「サッカーダイジェスト」を買ってきた。


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2005年03月16日(水) 私たちは、自分の気持ちを直接的に表現しなくても、まわりの人が察してくれるだろうと期待する傾向があります。

私たちは、自分の気持ちを直接的に表現しなくても、
まわりの人が察してくれるだろうと期待する傾向があります。
悩んでいるときには、とくにその傾向が強くなります。(略)

親しければ親しいほど、その気持ちは強くなります。
何も言わなくてもわかってもらえる関係こそが、
夫婦であり、親子であり、友人なのだとまで
考えたりもします。

しかし、人の気持ちはそう簡単に
わかりあえるものではありません。
どうしても意識のギャップが出てきます。

そうしたときには、やはり素直に自分の気持ちを
伝えた方がいいでしょう。


 「こころが楽になる人間関係のヒント」より
 大野 裕著



言わなくてもわかってくれたら、ありがたいと思うが、
そんなことは恐らく不可能だ。
人は、それほどにまで余裕はない。

「わかってもらえないことの方が多い」と
思っていたほうが、気が楽だ。
「わかってくれない」とブツブツと言っているより、
ずっと、気が楽だ。

そして、どうしたら「わかってもらえるか」を
考え、手を変え品を変え、
いろいろとやってみればいいのだ。
「わかったもらうためには」やっぱり
時間も手間もかかるものだと私は思う。
簡単には「わかってもらえない」と思っている。


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2005年03月15日(火) 誰もあなたを変えることはできない。

誰もあなたを変えることはできない。
誰もあなたの変化を妨げることはできない。
誰もあなたがどのように変わるべきかを知らない。
変化を始めるまでは、
あなたでさえもそれを知らないのだ。


      ディヴィッド・ヴィスコット



他人の欠点や嫌なところは、よく気がつくものだ。
そして、それを直すか、変えたくなるものだ。
そして、こう思うのだ。
「ああ、ここだけでも変わってくれたら…」

もちろん、相手からは、こちらの欠点や、
嫌なところが見えているはずだ。
そして、こう思っているはずだ。
「ああ、ここだけでも変わってくれたら…」

つまり、お互いさまなのだ。
そして、例え、相手がどんなに直せだの、
変われだのと言ってきても、こちらに変えようと
する気持ちがなければ、変わらないのだ。

自分が変わろうとしなければ、変わらないのだ。
どんなに説得されても、指摘されても。
それが、誰がみてもおかしなことでも。


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2005年03月14日(月) 与える時はもう「与えっぱなし」がいい。

与える時は、もうできるだけ謙虚に感謝を込めて
与えるのが大事なのね。
そうすると、
与えるほど喜びが沸き上がってくるのね。(略)

与える時はもう「与えっぱなし」がいい。
「報いを求めない」というのがね、
それが与え方の秘訣よね。


「ありがとうおじさんの人生問答」
 ありがとうおじさん著



本当にその通りだなぁと思う。
ケチくさく、何をしてあげたとか、
何を与えたとか、言ってちゃダメだな。

「与える時にこそ、感謝をこめる」というのは、
ちょっと目から鱗だった。
でもそうかも知れないなぁ…

なぞの「ありがとうおじさん」の書いた本の中で、
このことばが一番、私には響いた。


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2005年03月13日(日) 「なによ、顔をひきつらせて。バカみたい」

がんばらなければならないときは、
これで自分を磨こうというくらいの意識をもって、
全力で打ち込む。

むしろ
「なによ、顔をひきつらせて。バカみたい」と
まわりから思われるくらい、
しゃにむに取り組んだ方がいいのです。


 「何もかも嫌になって泣きたいときに読む本」より
 鴨下 一郎著



しゃにむになること…
今の自分に足りないものかもしれない。
どうも気が抜けているような気がする。
いかん…なぁ。

何かをする時には、やっぱり必死で、
しゃにむにならなければ、何も生み出せないだろう。
どうやら、その必死さや、しゃにむさが
今の自分に欠けているもののような気がする。

わかっているなら、必死でやれ!…と
思うのだが…それができないのだなぁ。
甘えか?
性格か?
どちらにしても、
やっぱり、いかん…なぁ。







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2005年03月12日(土) もっとパワーがほしい?パワーがつくような意識をもとう。

もっと健康になりたい?
ならば健康になる意識をもとう。

もっとパワーがほしい?
パワーがつくような意識をもとう。

お金を儲けたい?
儲かるような意識をもとう。

もっと幸福になりたい?
幸福になれるような意識をもとう。

もっと精神性を高めたい?
それならば精神性がたまるような意識をもちなさい。

可能性のないことなどひとつもない。


「マインド・パワー」
ジョン・キーオ著  
片山 陽子+平本 かおり訳


意識は持ちたい!いつもそう思っている。
しかし、なかなか思うように持てない。
というより、持ち続けられないのだ。
すでに、意識が弱いのか…
とほほであるなぁ…

などと、言っていては、いつまでたっても
強い意識を持てないのだ。
ここはひとつ、大きく考えて、
意識を持ちつづけるようになりたい?
意識を持ち続けるように意識をもちなさい、
と自分にたっぷりと言い聞かせよう。
そして、強く意識するようにしよう。
まぁ、ちょっと曖昧だが…


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2005年03月11日(金) 犠牲者は「ノー」を言われるのを恐れている。その言葉を聞くのを避けるためなら驚くべきことをする。

犠牲者は「ノー」を言われるのを恐れている。
その言葉を聞くのを避けるためなら驚くべきことをする。
犠牲者にとって「ノー」はただの「ノー」ではない。
全人格を否定されたも同じなのだ。
彼らにとって「ノー」という言葉は、
「ノーノーノー!おまえにはまったく価値がない!」と
聞こえる。

だがスピリットの持ち主にとっては、
「ノー」は「イエス」のひとつの側面にすぎない。
「ノー」と「イエス」はいっしょなのだ。
すべての人間が「ノー」という権利も「イエス」という権利も
持っていて、スピリットの持ち主はそんなことを
気に病んだりしない。
その権利を尊重している。


「なりたかった自分になるのに遅すぎることはない」より 
スティーブ・チャンドラー著 桜田 直美訳



なるほど、そうなのか…
「ノー」は「イエス」のひとつの側面にすぎない、のか。
うんうん、なんとなくそう思えば、
気も楽になりそうだ。
うんうん。


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2005年03月10日(木) その女性は、話すことも、理解することもできない。

「その女性は、話すことも、理解することもできない。
 ときどき何時間もわけのわからないことを
 ブツブツとしゃべりつづける。

 人、場所、時間の見当識はないが、
 自分の名前には反応を示す。
 私がその女性の観察をはじめてから6ヶ月になるが、
 いまだに自分の身なりに無関心で、みずから身のまわりのことを
 しようという努力は見られない。

 食事、入浴、着替え、すべて人の手を頼っている。
 歯がなく、食物は裏ごしして与えなければならない。
 絶えず、流れ出るよだれのために衣服はつねにべたべたになっている。
 歩くことができず、睡眠は不規則。

 真夜中に目覚め、泣き叫んで他人を起こすこともしばしばである。
 たいていは機嫌よく愛想がいいが、日に何度かは、さしたる
 理由もなくいらだち、泣き叫ぶので、
 誰かがなだめにいかなければならない。」


これを読み上げたあとラスキン博士は学生達に、
この人の世話をしてみる気はないかとたずねた。
おおかたの学生がとてもそんな気にはなれないと答えたが、
博士は自分なら喜んでやるだろうし、
君たちもたぶん同じだろうと言った。

学生達がきょとんとしていると、
博士はその女性のものだという一枚の写真をまわした。
そこには、6ヶ月になる彼の娘が写っていた。

 「笑いの治癒力」より
アレン・クライン著  片山 陽子訳



この話がとても好きである。
ちょっと見方、言い方、話し方を
変えてみようかなという気になる。
その方が、楽しそうだ。


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2005年03月09日(水) 肯定されなくてもいい。嫌われ者でも鼻つまみ者でもいい。

肯定されなくてもいい。
嫌われ者でも鼻つまみ者でもいい。
なにがなんでも自分という存在を際だたせたい。
なぜか。
自分のこころが一瞬であれ満たされるからである。
嫌われることによって開き直りの自己承認となる。

自分をノーボディ(何者でもない者)ではなく、
サムボディ(ひどかどの者)だと思うことができるからである。

けれども根本的な承認が欠如しているから、
この満足はすぐに不全感にとってかわられる。
なにかをひとりでなす能力も人を魅了する人間的度量もない。
そのため彼らは、つねに他人の耳目を引きつける行為を
しつづけなければならないのである。

 「自分様と馬の骨」より
  勢古 浩爾著



ものすごい音をだしてバイクを運転していく人がいる。
周りはいい迷惑である。みな、顔をしかめる。
「そんなに大きな音をたてなくてもいいのに…」
そう思うが、彼らにとっては、
それが快感なのだろう。

誰にも(一部の仲間を除く)よく思われない満足って、
何だかむなしいような気がするのだが…、
きっと、それでもいいのだな。

それだけ、普段の生活の中で、
存在感が持てないのか…。
満足感がないのか…。

嫌われても、認めてほしいのか…
肯定されなくても、目立ちたいのか…
なんだか…こちらが空虚になるなぁ。

まぁ、ともあれ、
夜中に大きな音を立てるのは勘弁してください。


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2005年03月08日(火) 「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」ああ、この言葉はとりわけ虫酸が走るほど嫌いです。

「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」

ああ、この言葉はとりわけ虫酸が走るほど嫌いです。
それはウソだからであり、
自分を守っているからであり、
恩を着せているからであり、
愛情を注いでいるとかんちがいしているからであり、
つまり徹底的に鈍感でしかも狡いからです。


 「私の嫌いな10の言葉」より 
 中島 義道著  新潮社



はい、私も嫌いです。
まったく同感です。

もし、誰かに
「あなたのことを思って言うけど」などと、
言われたら…、ドキドキとしながらも、
「はっ?ホントにそうかな?」と思うと思う。
何だかそこに、
(仮に言ってくれた人に悪意がなかったとしても)
妙な違和感を抱いてしまうのだ。
妙な疑問がわいてきてしまうのだ。

もちろん、言われたら気になるし、
心のどこかで、引っかかるかも知れない。
しかし、やっぱり?は残る。
なぜ、私のことを思ってくれるのか。
なぜ、私のためとわかるのか?
なぜ、そう断言できるのか?

うーん、いろいろと、考えてみたけど、
やっぱり嫌いだ。


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2005年03月07日(月) この世は、芸能界も、会社も、サークルも、幼稚園のPTAも、成分はみんな同じ。悪意、ねたみ、そねみ、ひがみでできています。

この世は、芸能界も、会社も、サークルも、
幼稚園のPTAも、成分はみんな同じ。
悪意、ねたみ、そねみ、ひがみでできています。

それを知っているだけで人間関係は、
とてもラクになります。
他人が発するイヤミな言葉や態度、
そんなものはサラリと流して、何気なく
スイスイと泳いでいけるようになります。


 「愛の話 幸福の話」より
 三輪 明宏著  集英社


そうだったのか…
「悪意、ねたみ、そねみ、ひがみ」かぁ。
ひがみはよく感じるが、その他のものは
あまり感じたことがないなぁ…
(鈍感なのかな…)

けれど、とかくそういうものだと思っていれば、
心づもりはできているので、よしだし、
そうでなければそれもまたよしだから、
なんとか対処はできるかもしれないな。

しかし、
「悪意、ねたみ、そねみ、ひがみ」って、
なんだか、ものすご〜くどろどろしていて
いや〜な感じを受けるものだな。
ことばだけでも…。


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2005年03月06日(日) 私のことかまってよ、心配してよ。気を使ってよ。

私のことかまってよ、心配してよ。気を使ってよ。

そんな女はヤツデの葉っぱに
水あめをつけたみたいにベターッと重いのです。
愛のルールの基本は、いかに相手に心配をかけないか。

愛しあっている相手だからといって、
土足で踏み込んではいけません。
けじめある関係の中でこそ愛は育つのです。

 「愛の話 幸福の話」より
 三輪 明宏著  集英社


私は、
「私のことかまってよ、もう少しは気を使ってよ。」
と、日々思っているので、
きっと、ヤツデの葉っぱに水あめが
半分くらいついている重さの女だろう…かな、
などと、しばし思ってしまった。

しかし、愛する人たちに
「心配はかけたくない」と思っていて、
かけないように、いつも心している。
両親にも、兄姉にも、隣人にも、友人にも、仲間にも、
「心配だけはかけたくない」のだ。

心配かけないために「頑張る」と思う。
精いっぱいやると思う。
そしてこれが、私が与えうる、愛する人たちに対する
「愛」の形だと自分で思っている。


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2005年03月05日(土) 「仲がよい」ということを前提にしているだけに、ちょっとしたことで「裏切られた」という気持ちが生まれる可能性が大きくなる。

「仲がよい」ということを前提にしているだけに、
ちょっとしたことで「裏切られた」という
気持ちが生まれる可能性が大きくなる。

「理想の夫婦だから」「親友だから」
「家族的で仲良しだから」……と、
その関係性の「形」を何か教義のように
信じているケースというのは、あんがいもろいと
いうこともわかっておいたほうがいい。(略)

人と人との関係は、お互いに「自由度が大きいこと」が、
もっとも好ましい。

 『「イライラぐせ」を直せばすべてがうまくいく』より
 鴨下 一郎著  新講社



仲がよいと思っていたのに、
一瞬にしてその関係が壊れることがある。
そのショックは大きい。

後でよく考えてみると、相手のことを
実はよくわかっていなかったことに気づく。
いや、相手の気持ちというべきかもしれない。

こちらに不満がなくても、
相手は持っていたのかもしれない。
こちらにとっては、些細なことが実は、
相手にとっては、大きなことだったのかもしれない。

こちらがよかれと思って言ったことが、
決してよい方に向かず、
きっとわかってくれると思ってしたことが
わかってもらってはおらず、
喜んでくれると思ったことが、
実は大きな迷惑だったことに
後で気がつく。

あーあ、人間関係って、
なかなかやっかいなものだなぁ、
思ったようにうまくはいかないものだなぁと、
実感する時である。


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2005年03月04日(金) あなたの周りの93%の人間は、あなたと同じように自信をもっていなかったり、何かしら劣等感を感じている。

あなたの周りの93%(※注)の人間は、
あなたと同じように自信をもっていなかったり、
何かしら劣等感を感じている。

そうとわかると、世間を見るあなたの目も
変わってくるだろう。
誰もが自信満々のように見えるけど、
みんなあなたと同じようにいろいろなことを
気にしながら生きているのが現実なのだ。

(※注/アメリカの大学の劣等感調査、
   他、心理アンケートなどの結果)

 「やすらぎの処方箋」より 
 斉藤茂太著  新講社



自信を持って言う…私は93%の中に入る。
ちょっと安心した。(妙だが…)

そっかぁ、みんな劣等感持っているんだ…
なんだか嬉しい。(いじましいが…)

みんなもいろいろ気にしているんだ、
私だけじゃなかったのね。(やれやれ…)

しかし…
残りの7%の人、どんな人なんだろう。
ちょっと羨ましい…。
私の周りにもいるのか…。


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2005年03月03日(木) 子供たちが言うことを聞かない時こそ、母親のあなたが必要になる。

子供たちが言うことを聞かない時こそ、
母親のあなたが必要になる。

仕事がうまくいかない時こそ、
あなたが自分で解決しなければならない。

友人や家族も、自分たちに元気がない時にこそ、
あなたが元気づけてくれるのを待っている。

言うことを聞かない子供や、
うまくいかない仕事など、
不平不満の種となっているものが、
あなたを価値ある人間とするのである。



「人間の魅力」より
 ボブ・コンクリン著
 柳平 彬訳  創元社



なるほど…
人間は、本当に考え方、思い方、
ひとつなのかもしれないなぁ。


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2005年03月02日(水) 無理して「できない私」をやっていないで、「できる私」になっていい。

あなたが「私はダメです、能力がないのです」と
いいながら気持ちがすっきりしているなら、
あなたの能力はそこまでなので問題はありません。

でも、そういいながら
どこかで気持ちがくすぶっているなら、
(自分に)ウソをついている可能性がおおいにあります。

あなたは、自分で口に出しているより、
本当はずっといろいろな能力がありそうです。
自分のよさをディスカウントしています。

無理して「できない私」をやっていないで、
「できる私」になっていい。

何を怖がっているのでしょうか。


『「自分らしさ」を出せる人、出せない人』より
 鴨下 一郎著  新講社



しかし…
「できる私」の出し方は案外むずかしい。
女性の場合は特に。

やっぱりまだ、なんだかんだ言っても
男性優位の社会だから、出し方によっては、
つぶされることもあるし、
同性からの反感も買うからだ。
同性の目は怖い。

なんて、
ごたごたと言っていては「できる私」など
出しようもないのだ。
もっと自然に、もっと気楽に出しても
いいのかもしれないなぁ。
といっても、何ができるかがもっと重要なのだが…
出し方を考える前に、できることを考えよう、っと。


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2005年03月01日(火) 誰もがスーパースターになれるわけではない。

誰もがスーパースターになれるわけではない。
普通の人は、マグワイアのようなホームランは打てないし、
中田英寿のようなパスは出せない。

しかし、人間だれしも、
自分にしかできないことがあるはずだ。
自分なりのやり方でお客さんに喜んでもらうこと、
社会に役立つことができるはずだ。

少なくとも、そうありたいと
願うことはできるはずだ。


「ブランド人になれ! 」
 トム・ピーターズ著
 仁平 和夫訳 TBSブリタニカ



自分にしかできないこと…
あるようなないような…。

でも、きっと何かある、と信じたいし、
きっと、何かあると思っている。
それはすごくささやかなことかもしれないが、
私にしかできないこと…あるはずだ。


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