ことば探し
まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]
 

2005年02月28日(月) あなたが私と同じ視点から物事を見てくれれば、きっと私が悪い人間でないとわかってくれる。

残念ながら、相手も同じように感じています。(略)

「あなたが私と同じ視点から物事を見てくれれば、
 きっと私が悪い人間でないとわかってくれる。
 そうすれば、きっとあなたは私を拒絶するのをやめて
 また私を愛してくれるにちがいない」


 「心を読む本」より
  D・グレン・フォスター
  メアリー・マーシャル著
  新田 久美訳 みくに出版



相手にわかってもらえないと辛い。
そして、つい思ってしまう…
相手が、私のことを、わかってさえくれれば、
すべてがうまくいくのに…と。

わかってくれたら、私がどんなにいい人間か
気づいてくれるに違いないと期待する。

わかってくれたら、相手は私の愛や考えの深さに
感動して、もっと愛してくれるに違いない、
感謝してくれるに違いない…と期待する。

でも、そうか…きっと相手も、
同じように思っているのだなぁ…。


My追加



2005年02月27日(日) そもそも「かっこいい人生」とはどういう人生か。

そもそも「かっこいい人生」とはどういう人生か。

世間で言われるのは、ただ傍から見ると
「かっこよさそうに見える人生」ということではないか。
しかもその人生は、かならず
第三者(歴史家、伝記作家、小説家、記者)によって
記述された人生であり、
脚色された情報としての人生である。(略)

再び問う。
「かっこいい人生」とはどういう人生か。
そんなものはない。
(あったとしても、そんな人生にわたしは興味がない。)
あるとすれば、見事な人生、立派な人生があるだけである。


 「ぶざまな人生」より
  勢古 浩爾著 洋泉社



本当に「かっこいい人生」なんてあるのだろうか。
(きっとどこかにはあるんだろうな…)

私は著者と同じように、人生はぶざまなんだと思う。
少なくても、私はぶざまでいいと思っている。
その方が、楽に生きられる気がする。
なにも、生きるのに、
かっこつけなくていいと思えると気が楽になる。

若い頃は、かっこいい人生にあこがれた。
あるかどうか、わからないままに、見た目の。
そういう人生があると思えたからだ。
しかし、今は、そんな人生があるとは思えないし、
あるとしても、自分は欲しくないと思うようになった。
(年をとった証拠なのか…)

そんな人生より、ぶざまだけれど、
一生懸命な人生とか、
何かを求め続ける人生とか、
そんな人生がいいなと思っている。
少なくても、私にはその方が合ってると思う。
(年を取っていけば、また変わるのだろうか)


My追加



2005年02月26日(土) 「今日は昨日より1%でいいからよくしよう、伸びていこう」

「今日は昨日より1%でいいからよくしよう、伸びていこう」
そうした堅実な成長志向が人間を大きな成功に導きます。

「たった1%」の成長志向があるかないか。
また、そのわずか1%の成長を地道に継続し、
積み重ねていけるか。
それがやがて成功と失敗を分けるのです。


 「成長するものだけが生き残る」より
 上原 春男著  サンマーク出版



毎日1%の成長…、考えただけでも、
ものすごいことのように思う。
このことを本気で考えたら、
私などは、とても身が持たないような気がする。
(やっぱり成功からは遠いか…)

しかし、この本では、成長をやめた段階から、
限界が来ると言っている。
人間常に「成長」することが大事で、
それが人間を支えるとも。

そうか…成長か…
自分のこれからの成長とは何か、
少し考えてみてもいいかもしれないな、
本気で。


My追加



2005年02月25日(金) 思いやりの気持ちをもっても、思いやりの行動をしない人はいくらでもいる。

思いやりの気持ちをもっても、
思いやりの行動をしない人はいくらでもいる。

電車の中で老人が杖にすがっているのを見ると、
急に新聞が読みたくなる、といった工合である。

やはり心がしっかりしていなくてダメだ、
ということだ。


「人間の強さ」 本明 寛著
 実務教育出版



今日は電車の中で、まさに、
この例のようなことをしてしまった…
疲れていたとはいえ、
本を読んではいけなかったのだ。
ちょっと情けなく…恥ずかしい。
「すいません」…などと今さら謝っても遅いのだが、
でも、ともかく、やっぱり
何かに向かって、言っておきたい。
「すいませんでした…」

本当は、本を読んでいても、
どうも心が落ち着かなかったのだ…
そんなことなら、席を譲ればいいものを…
けちくさい根性の自分がいる。
情けない。


My追加



2005年02月24日(木) 心配は怖れから生まれ、怖れは攻撃の思いから生まれる。

心配は怖れから生まれ、怖れは攻撃の思いから生まれる。

心配はつねに「いやなことが起きるかもしれないよ」と
ささやきます。
だれかのことを心配するときは、
その人やそうした状況をまったく信頼していません。

そこでは心の力を否定的に使って、
その人に自信を失くさせ、
その状況に怖ろしい要素が入り込むことを
許してしまうのです。


「傷つくならば、それは「愛」ではない」より
 チャック・スペザーノ著 VOICE



適度な心配なら、嬉しいが、
過度に心配されると、どうにも気になってしまう。
心配されるあまり、身動き取れなくなったりする。
自分でも心配のあまり、身動き取れなくなることもあるし。
過度の心配=その人や(自分のことも)信じてないこと、
だと思った方がいいのかもしれない。

自分がそう感じるので、
できるだけ過度な心配はしないようにしているが、
年老いた両親のことは過度に心配してしまう。

そして、転んだりすると危険だから、何かをする時は、
人の手を借りろ、無理するな…と言いたくなる。
いや、実際言っていた…。
余計な程の「気をつけろ」と、
いつも「心配している」を、押しつけていた。
そうして、親思いのふりをして、自分を安心させていた。

しかし、それが、こちらの身勝手な心配で
両親を決して幸せにしないことに、気がついた。
両親はしたいことする自由があるのだし、
自ら何かをすることが生きがいになっているのだ。
そういう自由を私は「心配」という名のもとに
奪っていたと気がついた。

私は、両親を信頼せねばならない。
きっと、大丈夫だと、信頼せねばならない。

もしも、何か不慮の事故が起こったら、
そのときに対処しようと決めて、
過度な心配はしないことにした。


My追加



2005年02月23日(水) ある人が教師に向かって、先生はなぜいつもほほえんでいるのですか、と尋ねた。

ある人が教師に向かって、先生はなぜいつも
ほほえんでいるのですか、と尋ねた。

先生の答えはこうだった。
「私は何も持っていないし、
 私には何もないからです」

先生は限りなく本来の姿で生きていた。

〈スティーヴン・レヴァインのことば〉


「魂をみがく30のレッスン」より
リチャード・カールソン ベンジャミン・シールド著
鴨志田 千枝子訳  同朋舎



しばし、思考停止状態になったことばでした。
「私は何も持っていないし、私には何もないから」
だから、ほほえんでいる…

それだけしかできない…
それで精いっぱい…
それが一番いい…
それが自分に合っている…
それが愛?

うーん、深いな…


My追加



2005年02月22日(火) 生きていると、必ず何やかやとあります。そのたびに

生きていると、必ず何やかやとあります。

そのたびに
「ああ、ここまでよくやってきたな」と
思ったらいいんです。


「こころと人生」より  河合 隼雄著
 創元社




頑張っている自分に、時々、
「ここまでよくやってきたね、ご苦労さん」と
声をかけるってとても大事なことじゃないかと思う。

誰も褒めてくれる人がいなかったら、
余計、自分で言ってあげないといけないと思う。
結構自分って、頑張っているし、
無理もしていると思うのだ。

時々は、自分に言ってあげよう…
「ここまでよくやってきたね、ご苦労さん」

そして、余裕があったら、誰かにも、
「よくやってきたね、ご苦労さま」と
言ってあげよう。


My追加



2005年02月21日(月) いく度となく心に浮かびあがる執拗なものである時に限って、その気持ちを率直に打ち明けることが必要なのである。

私が経験上、とても役立つと思いあたったひとつのルールは、
たとえそれが相手に対して言いにくい事柄であっても、
心にひっかかることは言ってしまった方が、
関係を長続きさせるためにはむしろよいということである。

それを我慢することは、かえって関係を
だめにしてしまうことになりかねない。

そうかといって無分別に何でもかんでも
不満をぶちまけろというのではない。

まずその関係が自分にとって大切で、しかも、
長続きしなければならないばあいに限ってあえて
そうする必要があるのであり、しかも、
いく度となく心に浮かびあがる執拗なものである時に限って、
その気持ちを率直に打ち明けることが必要なのである。

もし、そうしなければ、表現されない心の
わだかまりがしだいにその関係を損なっていく…


           カール・ロジャース




言いにくい事柄は、やっぱり言いにくい。
そういう前で、言おうかどうか迷いに迷う…

しかし、
「いく度となく心に浮かびあがる執拗なもの」で
あるなら、言った方がいいのだとわかった。
もちろん、言い方は考えないといけないが、
何度も繰り返し浮かんでくるものは、
言った方がいいのだな。

しかし、
それがいくつもある時は、
どうしたらいいのだろう。
全部を言った方がいいのか、
順番に時をずらして言った方がいいのか、
一つにしぼった方がいいのか…

言いにくいことは、どうやっても
何をしても…やっぱり言いにくいなぁ…
もうちょっと、待つことにしよう…
もっと浮かび上がってくるまで。


My追加



2005年02月20日(日) 人を見るときに、「あの人は○○な人である」とレッテル貼りをなるべくしないこと。

人を見るときに、「あの人は○○な人である」と
レッテル貼りをなるべくしないこと。

『今のところ私には○○に見えるが、
 だからといっていつでもどこでも誰に対しても
 「○○である」とは言い切れないかもしれない』と
自分に言いきかせることである。


「自分を変える心理学」より  國分 康孝著



ついついしてしまうなぁ、レッテル貼り。
その方がわかりやすくて、
自分を納得させやすいから。

特に何かあったときには、そうしたくなる。
「ああ、やっぱりね、あの人は○○だから」と
つい言いたくなる。思いたくなる。

なかなかこの癖は、
なくなりそうにない…なぁ。
うーん。


My追加



2005年02月19日(土) 疑い深い人は、誰もが疑い深いと考えます。

疑い深い人は、誰もが疑い深いと考えます。
嘘をつく人は、嘘をつかない人間などいないと
考えることで自分を納得させているのです。
けちな人は、誰もが自分のお金を狙っていると疑っています。
快楽主義者は、聖人は偽善者だと考えています。

その一方で、
愛の思いの中で生きている人は、
他者の中にも愛を見出します。
誠実で信頼されている人は、
疑心暗鬼になることはありません。
善良な人は、嫉妬にとらわれることがあまりありません。
自らの内に神を見出した者は、
外の世界の至るところに神を見出します。


『「運命」は今日から劇的に変わる!』より
ジェームズ・アレン著   三笠書房
ジェームズ・アレン「こころの置き方」研究会訳



「類は友を呼ぶ」とこの本では言っている。
そして、あなたの生きる世界は、
あなた自身を映す鏡だとも…。

うーむ、なるほど、その通りだなぁ。
いいものを得たかったら、自分の中に
いいものを持たないといけないのだな。
愛が欲しかったら、愛を持たないと
いけないのだな…
なるほど…そうか…。




My追加



2005年02月18日(金) 諦観には、誇りがあってこそ生まれる質のものもあるのである。

諦観やあきらめという感情は、ともすれば、
人生に対して消極的な、否定的なニュアンスを
持たれがちだが、じつは、この感情は、
脆弱な心から生まれるものではないと思う。

これはほかの人の存在や立場を尊重し、
また自分の誇りを持ち続けようとする、
強い心あってのものと思うのだ。

人の行為のなかに、「誇りある諦観」といったものを
垣間見るとき、その人に真の「大人」の姿を
みることができる。

諦観には、誇りがあってこそ生まれる質の
ものもあるのである。


「人間関係ぎらい」を楽しむ生き方  坂崎 重盛著
 PHP文庫



このごろ、「あきらめる」ということが
できるようになってきた。
迷ったりせずに、未練を残さず、心から
「あきらめる」ことができるのだ。
区切りをつけることができるようになったと
言った方がいいのかもしれないが。

まだ「諦観」とまではいかないまでも、
人間には、できないこともあるとわかってきた。
あきらめないといけないこともあると、わかってきた。

そして、そう思えたら、とても楽になってきた。
できないことがあるって、なんだか
素晴らしいことのように思える。
あきらめないといけないことがあるって、
とてもいいことのように思える。

できないことはせず、できることをやればいいのだと、
思えたら、無理しなくてもいいし、
あきらめきれないことをやればいいのだと
決心したら、気持ちが楽になった。




My追加



2005年02月17日(木) どうやら、人間の心理にとって決定的なことは、自分が他人に「好かれる存在」であるかどうか、ということであるようだ。

どうやら、人間の心理にとって決定的なことは、
自分が他人に「好かれる存在」であるかどうか、
ということであるようだ。

実際に好かれているかどうかということではなくて、
好かれる存在であると本人が感じているかどうかと
いうことである。

自分は愛されるに価する存在であると感じられるか、
自分は愛されるに価しないと感じてしまうかは、
本人の一生の幸不幸を支配する。


「やさしさ」と「冷たさ」の心理より 加藤 諦三著
 大和出版



自分は愛されていると、愛されると
自然にわかっている人がいる。
こういう人は、あまり愛にこだわってなかったりする。
愛されねばならないと、強迫的に思ったりはしない。
愛されているのを、どこかで感じているからだ。
自分を肯定できているのだと思う。
こういう人は、強いと思う。

愛されているかどうかに、こだわるのは、
どこかで「愛されてないのではないか」と
いつも疑問に思っている人だ。
いつも疑問に思っているので、確かめようとする。
しかし、どんなに「愛してる」と言ってもらっても、
自分の気持ちの中に、疑問は残る。
自分を肯定できてないので、
愛される自信が自分の中にないからだ。

なんだか、とても切なくなる…
どうやったら、自然に愛されていると
感じられるのか、その方法がなかなか
みつからないからだ。

自分の中から、「愛されている」…と
本当に感じることができたら、
いいのになぁと、しみじみ思ってしまう。


My追加



2005年02月16日(水) 深刻な問題は、やることがあるつもりになっていると、あなたの未来がそれによって食いつぶされてしまうことです。

深刻な問題は、やることがあるつもりになっていると、
あなたの未来がそれによって食いつぶされてしまうことです。

実際よりも忙しい、と自分に信じ込ませることで、
「本当」のチャンスや、
「本当」の時間を無駄にしているのです。
ただ、そうしなければならない、と
心配することに忙しいだけですね。


「本当に好きなことをして暮らしたい!」
 バーバラ・シェール著  VOICE



おおっ、なんだか言い当てられている気がする。
そうそう、あれもしなくちゃ、これもしなくちゃと
自分で自分を追い立てているところがある。

やることを整理してみれば、
そんなにたいしたことでも、
今焦ってやらなくてもいいこともある。
それなのに、気持ちばかり焦ってしまう。
ああ、あれもやらねば…そうそう、あれも、
これも早いうちにやらなくちゃ、と
やることを数えることに満足しているふうがある。

そして、そう思いつつ…
さっさとやることが出来ない、と言うのが
もっとよくないなぁ。
さっさと行動に移せば、さっさと終わるのに…
もたもたしてしまうんだなぁ。
これって、やっぱり時間があるってことなのだ、
本当には。

そうか…未来を食いつぶしているのか…
そうかも知れない…


My追加



2005年02月15日(火) 日常に起こる取るに足らぬ出来事こそ、小さな奇跡なのかもしれない。

日常に起こる取るに足らぬ出来事こそ、
小さな奇跡なのかもしれない。

神という存在がいるのならば、
その存在はわれわれがまったく心の準備を
していないときに、大切なメッセージを渡す。

しかもそれはごく日常的な風景のなかで起きる。


「シンクロニシティ」より フランク・ジョセフ著
 宇佐和通訳 KKベストセラーズ



日常の中の小さな奇跡…
取るに足らないような出来事の中にある奇跡。
本当にあるのかも知れないなぁ…
気づいてないか、
取るに足らないものとして扱われている中に、
本当は奇跡があるのかもしれない。
そんな気がする。

明日から、そんな奇跡を探してみよう。
もしかしたらいっぱい見つかって、
嬉しくなるかも知れない。
いっぱい見つかったら、奇跡とは言わないのかな。
でも、どう思うかは私の気持ちしだい。
小さな奇跡探し…やってみよう。


My追加



2005年02月14日(月) 「間違っているのは相手。自分は正しい」

「間違っているのは相手。自分は正しい」と
非難の応酬をするのは、0に0を足していく
不毛な行為であることを、まず悟ろう。

確かに多くの人は「話し合う」ことで
問題解決できると思い込んでいる。
しかし、その時あなたが非難にとらわれている限り、
話し合っても何も解決しない。

傷をどんどん深くするだけ。
誰が悪いか決めつけようとしている
真っ最中だからだ。


「男と女のすれ違いはすべて言葉で起こっている」より
バーバラ・アニス+ジュリー・バーロウ著
窪嶋 優子訳  主婦の友社



先日、元上司と仲間内の飲み会で久しぶりに会った。
そのとき、その元上司がこう言っていた。
「仕事や人間関係で、何か起こった場合、
 90%は、こちらが悪いと思っていれば、
 間違いはない」と。
私はスゴイ人だなぁと思って聞いていた。

帰ってきてから、自分を振り返ってみた。
そして、なるほど、そう思っていれば
間違いはないかもしれないと思った。

誰だって、
「自分が悪い」と思うことは嫌に決まっている。
「正しいでいたい」に違いない。

しかし、そんなことにこだわって、
「自分が悪くない」と意地をはったり、
自分の正しさを証明しようと躍起になったりしていては、
手を打つのが遅くなったり、問題解決が遅れたりする。

問題解決の観点からみたら、
ぐちゃぐちゃ話し合って結論先のばしにしたり、
悪者探してをしてもたもたするより、
さっさと解決した方が、傷は少ないし、
はるかに前向きであると思うにいたった。

なかなか元上司のように、すっぱりと
「90%は、こちらが悪い」とは思えないが、
これからはできるだけ、そう考えるようにしよう。


My追加



2005年02月13日(日) 私は苦しんで働いたことを誇りにしている人が嫌いである。

私は苦しんで働いたことを誇りにしている人が嫌いである。

なぜなら、もしそれが苦しいのであれば、
他の仕事をすればよいからである。
この時、その仕事が自分にふさわしいものであるなら、
そこには喜びが生まれる。


 「地の糧」より  アンドレ・ジイド著
  新潮文庫



私も嫌いだ…

でも、苦しんで働くことが生きがいの人はいる。
そういう人は、周りが何をいっても、
苦しんで働くのだ。
だから、そういう人も、ちゃんと認めようと思う。
そして、そういう人には、
いつも、ご苦労さまと言ってあげよう。
それ以上言いようがないから。

 


My追加



2005年02月12日(土) 「ほめる」「ねぎらう」「祝う」「喜ぶ」、こんな簡単な自己表現が不足しています。

健全な批評や意見は必要なのですが、
マイナスの表現力が異常に発達しているような
状況では、やはりバランスが崩れます。

「ほめる」「ねぎらう」「祝う」「喜ぶ」
こんな簡単な自己表現が不足しています。

家庭から、職場から、自分から、
表現することができれば、
ちょっとだけバランスが戻ってきます。(略)

ちょっとした表現習慣の変更で、
魔法のような変化が起こり始めます。


「感動力」より  平野 秀典著
 ゴマブックス


できるだけ、ほめようと思っていても
いざとなると、うまく言えない。
うまく言わなくてもいいのだけれど…
どうも、恥ずかしい…
なんだかうまく表現できないのだ。
なんだか不自然な気がして、躊躇してしまう…
これは、もったいないことだなぁと思う。

他人だと、素直にほめられるのに、
身近な人をほめるときは特にそうだ。

素直に、ほめことばを出せなくても、
不自然でも、うまく言えなくても、
ともかく、口に出すことがきっと
大切なんだろうな。




My追加



2005年02月11日(金) めでたいとは、「父死子死孫死」のことだ。

めでたいとは、
「父死子死孫死」のことだ。


「腹の立つこと、笑うこと」より  大藪 正哉著
 ライフ社



「父死子死孫死」ということばは、
一休さんがお正月におめでたいことを書いてくれと
頼まれて書いたことばだとされている。

これは本当だなぁと、最近しみじみ感じている。
両親は看取りたいと思うし、
両親より早くは死ねないと思う。
本当にこころからそう思う。

知り合いのお子さんが自殺した…
知り合いは、しばらく立ち直れないだろう。
かけることばもみつからない…


My追加



2005年02月10日(木) 幸せは香水のようなものである。

幸せは香水のようなものである。
人にふりかけようとすると、
自分にも2〜3滴ふりかかってしまう。


            ルイ・マン



幸せは、こうでなくっちゃな。
ケチケチした幸せって、
なんだかどっかゆがんだ幸せって
感じがするもの。

一人だけ、幸せってのも、
なんだか、嘘っぽい気がする。
やっぱり幸せは、みんなに
ふりかけないともったいないな。

今、幸せな人は、
その幸せをみんなに、ふりかければ
みんなも幸せになれるのだ。
たとえ、小さな幸せでも
ふりかけてあげた方がいいのだな。

などと、
幸せに関する本を読んでいて
感じた次第。


My追加



2005年02月09日(水) 怒りは、ぶつけるものではなく、伝えるもの。

怒りは、ぶつけるものではなく、伝えるもの。
さらにいえば、
「どう伝えるのか」という表現方法こそが、
怒りの感情をプラスに生かすうえで重要なのです。


「怒りに効くクスリ」より
 松本 桂樹・松浦 真澄・白鳥 早奈英
 池田 久乃著


おお、そうか…、
怒りは、ぶつけるものでなくて、
伝えるものなのか…と、なにやら
腑に落ちた気になったことばである。

この本の中に、怒りの気持ちがわき上がってきたら、
怒り度を自分の中で、はかってみるといいとあった。
最大の怒りを10、怒りなしは0。
そうすると、少し気持ちが落ち着くという。
なるほど…。

通販で買った商品が壊れたので、直しに出して、
直しから戻ってきてまたすぐおかしくなった。
買ったところに連絡したら、
簡単に「また送ってくれ」と言ってきた…ムカッ。
(この商品は送るのに手間がかかるのに)
この怒り度を冷静にはかってみたら、
私の中では7くらいの高さであった。

よぉーし、明日、この怒りを
「ぶつけるのではなくて、伝えようと」と
ひそかに決心したのであった。
もちろん表現方法はちゃんと考えて。


My追加



2005年02月08日(火) うれしい、楽しい、気持ちいい、うまい、という快の感情は、どんどん口に出して言うことである。

楽しいことをしていない人ほど、
「うれしい」という言葉を発していない。
発していないからますます何をしている時が
一番うれしいのか、わからなくなるのだ。

心で思っているから口に出さなくてもいいだろうと、
思うのは間違いである。

うれしい、楽しい、気持ちいい、うまい、という
快の感情は、どんどん口に出して言うことである。
悦びの感情は、しつこいほど、繰り返し口に出して
言った方がいい。


「思い残し症候群」より  岩月 謙司著
 NHK BOOKS



ことばに出して、うれしい気持ちを伝えた方が、
こちらも気持ちがいいし、周りも気持ちがいいだろう。
また、うれしかったら、楽しかったら、
そう言ってもらった方が、こちらもうれしい。

少なくても…本当に、
うれしかったら、「うれしい」と言い
楽しかったら「楽しい」と言い、
おいしかったら「おいしい」と言い、
気持ちよかったら「気持ちよかった」と言い、
ありがたかったら「ありがとう」と言うのは
人間関係においてはとても
大切なことだと思う。


My追加



2005年02月07日(月) 初めに心に浮かんだものにそのまま従うか、それともその直後に「ちょっと待て」と

初めに心に浮かんだものにそのまま従うか、
それともその直後に
「ちょっと待て」と浮かんでくるものに従うか、
自分にとってどちらが自然なのかという区別をつけて、
あとになって後悔することをすくなくするのが、
内在的技術の最も熟練の境地であろう。

しかしどのように高い境地に達しても、
後悔することが絶対になくなると
いうようなことはありえない。


「心のクセ」 広瀬 米夫著
 日本生産性本部



後悔は、後から来るから後悔なので、
先になんてわかりはしない。
あの時、ああすれば、こうしていればと思うが、
もちろん、後の祭りである。

その後悔を、最小限にしたいと思うわけだが、
実際にそんなことは不可能で、無理な話だ。
だいたいどれが最小限なのかもわからないのだから。
ただ、自分の納得度にかかっているような気がする。

などと、ちょっと考えてみたが、
できれば後悔はしたくない…
しかし、どうしたってする。

すると、後悔することを前提に考えた方が
いいのかも知れないと思ったりしてくる。
つまり、どうせ後悔するのだから、
「思い切りやってやれ」というふうに。
少なくてもその方が、スカッとするのではないか。

それに、なぜか、
小さな後悔をするより、大きな後悔の方が
自分の為になるような気もする。
どうなんだろう…
こう思うのは私だけか…。


My追加



2005年02月06日(日) 本来「すみません」は謝罪の言葉です。

恋人や家族からプレゼントをしてもらっても「ごめんね」
上司からお昼をご馳走になっても「すみません」
落としたハンカチを拾ってもらっても「申し訳ありません」
こんな言葉をかけてもらうより、
たったひと言の「ありがとう」のほうが、
何倍も嬉しいのは当然のことです。

本来「すみません」は謝罪の言葉です。
つまり「わたしが悪かった」と
自分を否定しているのと同じことになります。

一方の「ありがとう」は感謝のことばです。
ありがとうと言われたほうも気持ちがいいし、
感謝する自分も「この人はいい人だ」
「自分は幸せ者だ」と感じることができます。


「眠りはじめの5分間」より  佐藤 富雄著
 宝島社



ついつい言ってしまう「すいません」
このごろは大分気をつけて「ありがとう」と
言っているが、やっぱりまだ出るなぁ。
何かをしてもらったら「ありがとう」と言おう。
感謝の気持ちは表さないとな。


My追加



2005年02月05日(土) たとえば、ここに10万円の宝石があったとします。

たとえば、ここに10万円の宝石があったとします。
「10万円の宝石」という事実にはかわりありませんが、
それを見て頭に思い浮かぶことは人それぞれ違うでしょう。

同じ宝石でも人によって、
「高いな」「安いな」「大きいな」「小さいな」
「カットが素敵だな」
「値段の割に、カットがイマイチよくないな」
などと、正反対のことを思うことがあると思います。(略)

その一つの宝石から無限に様々な考えが浮かび上がります。
そして、その考えはその人の中では現実なのです。



「ついつい焦ってしまう人たち」より  白井 由佳著
 ヤマト書房



本当に人の見方は違うものだ。
今日はまざまざとその実態を見た思いがした。

両親に電話して、雪がどうなっているかを聞いた。
初めに父が出た。
「雪はそんなにつもってないし、屋根の雪も今日は
 暖かいから大分落ちたし大丈夫だ。
 今、また降ってきたけど、大したことないな」

次に、違う部屋にいた母に変わった。
「雪がつもって、もう10センチ以上はあるわよ。
 今日は雪かきもしたし、大変だったわよ。
 今また、大粒の雪が降ってきて、これはつもるわね、
 ホント、大変よ」 

今日は相当驚いた…
こんなに違う見方、言い方をするのかと。

伝えたい気持が違うと、見方が全く違うのだろう。
父は恐らく
「大丈夫、大したことはないから、心配するな」
母は恐らく
「大変よ、もっと心配してよ。そして、その中で
 頑張っている私を認めてよ」
という、気持を伝えたかったのではないか…

事実は、どのへんにあるのか…
もう察するしかないなとつくづく思った。


My追加



2005年02月04日(金) わたしたちがもつ感情には、いいも悪いもなく、悪いのは

わたしたちがもつ感情には、いいも悪いもなく、
悪いのは自分と他人を傷つける
悪い(破壊的な)行動だけである。

すべての感情を「いい」感情として認めれば、
自分自身をいい人間として認めることができる。


「こまった男を愛したとき」より
 ナンシー・グッド著  藤野 邦夫訳
 風媒社


確かに感情は、
自分で制御できないことがあるし、
自分の感情に腹立たしくなることもあるし、
もてあましてしまうことが多い。
怒りとか、悲しみとか、憎しみとか、
あまり好ましくない感情は、特に。

しかし…
自分にとって好ましくない感情、たとえば、
怒りの感情=良くないこと、とか、
憎しみ=悪いこと、とか判断せずに、
もっと素直にこの感情の存在を認めて、
うまく付き合っていけたら、
いいのかも知れないなぁ…。

感情をコントロールするのではなくて、
うまく付き合っていけたら、
いいのだろうなあ。


My追加



2005年02月03日(木) 女性は、議論を人の性格にまで広げようとする。

女性は、議論を人の性格にまで広げようとする。
女性は他人の発言の中からその性格までも読み取り、
そこにまで追求してしまう。
その結果、議論はとめどもなく展開してしまうのである。

男性は、議論を現在の問題として捉えている。
つまり今の件だけに議論を限りたい。

しかし女性は、過去に経験した同様の出来事
あるいは似通った議論を現在進行形の議論と
結びつけてしまう傾向がある。


「男と女のすれ違いはすべて言葉で起こっている」より
 バーバラ・アニス+ジュリー・バーロウ著
 窪嶋 優子訳  主婦の友社



男性と議論していると、
どうもかみ合わないなぁ…と思うことがある。
どうやら、議論の仕方が違うらしいことに
この頃やっと気が付いた。

男性は結論や解決策をすぐに出したがる
…ような気がする。
女性は過去のことやこれからのことも含めて、
よく考えたがる…ような気がする。

こういう議論の仕方の違いが
溝を作り出しているのかも知れないが、
こうした違いがあるからこそ、
議論も深まるのではないかと思う。
恐らく、余裕があればだが…。


My追加



2005年02月02日(水) 相手を許したら、きちんと傷を癒してください。

苦痛の原因を忘れられるかどうかは別として、
かさぶたができるそばからかきむしるように、
いつまでも苦痛をひきずっているようでは、
許したことになりません。
かさぶたをむしりつづけるかぎり、血は流れつづけます。

あなたを傷つけた相手を許すことで、
あなたは怒りから解放されて、
傷の回復も早まるでしょう。


「くよくよするな」ブックスより  
 リチャード・カールソン著
 安野 玲訳   扶桑社



年月がたっても、許せない人はいる。
まだ許す時期が来ていないのだと思っている。
そういう人を許すことは、今、私には無理だ…
まだ、しばらく時間がかかる。

そんなときには、
この気持ちを放っておくのがいいと思っている。
許せなくてもこだわらない。
許すことばかりがいいことではないと
思っているからだ。

いつか許せる日がきたら、それは嬉しいことだが
それも期待しない。
しかし、いつか許せたら、
その時には、私の傷も癒したい。
いつか、そんな日が来ればいいと思っている。


My追加



2005年02月01日(火) ブスッとした顔をしてると、敵が増えるんです。

ブスッとした顔をしてると、敵が増えるんです。
それから人を傷つけるようなことを言うと、
敵が増えるんです。

会う人、会う人を敵に回すか、
会う人、会う人を味方にするかでね、
人生は全然違うんです。


「心が千分の一だけ軽くなる話」より 斎藤 一人著
                  角川書店



そうだなぁ…
ブスッとしてちゃ、ツキも回ってこないなぁ。
ブスッとしてると、心までつまらなくなってくるし。
笑顔でいるようでありたいなぁ。
楽しそうな笑顔がやっぱりいいなぁ。
自分も相手も。

そうであれば、
傷つけるようなことも言わないだろうし、
敵をむやみに作ることもないだろう。


My追加


 < 過去  INDEX  未来 >


 
まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加