2004年02月29日(日) |
人間は、日々行う数々の決断によって、価値と尊厳に達する。 |
人間は、日々行う数々の決断によって、価値と尊厳に達する。 こうした決断には、勇気が必要である。 勇気は、人間存在にとって不可欠のものなのである。
「創造への勇気」より ロロ・メイ著
決断する「勇気」…ほしい。 あれこれ考えても、最後に決断する勇気。 右往左往しても、決断できる勇気… そして、その決断に後悔しない勇気。
2004年02月28日(土) |
怒りを爆発させたり興奮して争ったりすることは一時的な開放感をもたらしはしますが、 |
怒りを爆発させたり興奮して争ったりすることは 一時的な開放感をもたらしはしますが、 嵐が過ぎてみると、 実際は何も変化してないことに気付かざるをえません。 つまり、持続的な変化を生み出すためには、 責め立てではなく、落ち着いた状態を保とうとする 人間関係こそが基本と言えます。
「怒りのダンス」より H・G・レーナー著
今日もつまらないことで怒ってしまった… 怒った後で、自分を責めた… ああ、後味が悪い。
私が悪いんじゃない…と思いきり言いたいが、 頭の隅っこから、そうは言えないんじゃないかという声が 聞こえるので、言えない。 言えないけれど、言えない分怒ってしまう… あーあ、自己嫌悪。
2004年02月27日(金) |
人の人生には、必ず光と闇があります。 |
人の人生には、必ず光と闇があります。 光だけの人生はありえないのです。
その闇の部分まで見える感性がないから、 人をうらやんでしまうのです。 言いかえれば、いつも人をうらやんでいる人は、 感性が欠けているのです。
人の心の闇も見えれば、 人はみんな平等であることがわかります。 自分の幸せも気づくことができるのです。
そのためには、心の視野を広く持ってください。 今この瞬間の物質的な栄華に目を奪われるのではなく、 その背後にあったであろう闇の部分、 その人が今までにしてきた努力、 これからするであろう苦労、 そういうものを見てください。
「スピリチュアルブック」より 江原 啓之著
以前も同じようなことを書いた。 (生きるということには「光」と「影」がある。2003年11月21日(金)) 同じようなテーマによく出会う。 人生は「光」だけではない…きっとそうなのだな。 それはよくわかる。
けれど、人を羨ましいと思うことは自然な感情だと思う。 私にはいっぱい羨ましい人や、羨ましいことがある。 (感性が欠けていると言われようが…) 闇を想像してみても、影を受け入れても、 羨ましいと思う気持ちは、わいてくる。 (そんなにいつもではない…が) そして、人生は、不公平だと思ってもいる。 (これはいつも思っているな) この感情も自然なものであると私は思っている。
こういう気持ちが何かをする原動力になることもあるし、 自分を奮い立たせる力にもなる。 反面、力を奪うこともある。 あまりの違いに情けなくて、やる気をなくしてしまうのだ。 こういう気持ちにも、光と闇があるのだと思う。
羨ましいと思うことや、不平等だと思うことが悪いのではなくて、 その気持ちをどう自分の中で活かすかが大事なのではないのか。 そんな気持ちとどう付き合っていくかが大事なのではないのか。 それが、心の視野を大きく持つことにつながっていくと思う。
などと、ちょっと偉そうなことを書いてみた…が、 心の視野は、なかなか広がってはくれないな…ちっ。
2004年02月26日(木) |
人生は一冊の書物に似ている。 |
人生は一冊の書物に似ている。 馬鹿者たちは、それをペラペラとめくっていくが 賢い人間は念入りにそれを読む。 なぜならば、彼はただ一度しかそれを読むことが できなことを知っているから。
ジャン・パウル
仕事を退職して、時間が出来たら、 ゆっくりと、たまっている本を読もうなどと思っていたが、 それがなかなか出来ない。 時間があれば、本を読むというものではないとよくわかった。 どうも私の場合はきっかけが必要なようだ。
時間は、何も考えなくても、 何もしなくても、忙しくしていても、 静かに過ぎていくものだと実感している。
2004年02月25日(水) |
愛情表現のつもりで何かをして、彼に感謝してほしいと望むくらいなら、 |
女性が男性の感じていることや実情に合わせて「与え」ない限り、 二人のどちらも男性の愛する能力をじゅうぶんに 引き出すことはできません。
彼は押しつけがましい「愛」に対してはネガティブな反応を示し、 エネルギーを衝突や自己嫌悪にばかり注ぎます。 自己中心的な愛は、彼のありのままの姿に向き合おうとしないので、 うっとうしく思えるのです(略)
愛情表現のつもりで何かをして、 彼に感謝してほしいと望むくらいなら、 何もしない方が彼のため、二人のためです。
「なぜ彼は本気で愛してくれないのか」より ハーブ・ゴールドバーグ著
自分にとってありがたくないこと、余計なことをされて、 感謝を強いられるのは気分のよくないことだ。 それが「愛」からだと押しつけられたら、或いは、 それが「夫婦だから」「常識だから」という理由で押しつけられたら… 男性でなくても、おそらくうっとおしく感じると思う。
私は、男性にも女性にも、 望んでないことは、してあげなくていいと思っている。 余計なことはしなくていいと思っている。 望むことをしてあげたらそれで十分と思っている。 (してあげるってことばもちょっと抵抗があるな…)
もちろん、こちらの好意で余計なこと、 こちらがそうしたくて、何かをしてあげることもある。 そう言うときには、感謝をしてもらおうとは思わないし、 私がそうしたかったからと言うことにしている。 感謝の強制は…するべきでないと思う。 余計なことはすべきでないと思う。
2004年02月24日(火) |
「経験の深さ」もしくは「経験のしかたの深さ」が心の深さをつくるではなかろうか。 |
「経験の深さ」もしくは「経験のしかたの深さ」が 心の深さをつくるではなかろうか。
いいかえれば、ひとの心に、 2つ、またはそれ以上の世界が成立し、それぞれの世界から、 各々べつな角度で同じ一つの対象をみるとしたら、 この「心の複眼視」から、 ものの深いみかたと心の奥行がうまれるのではなかろうか。
「生きがいについて」より 神谷 美恵子著
神谷さんの本は、いつ読み返しても考えさせられる。 「心の複眼視」か…。 きっとそうしたら、物事が立体的に見えるのかも知れないな。 1つより2つの目で見た方が、発見があるだろう… 表からだけでなくて、裏から見ても(横でも) きっと違ったふうに見えるだろう。 その方が、物事のより正確な姿を写し出すのではないか… しかし、そう見えるにはやっぱり、体験とか経験が必要なのだな。
2004年02月23日(月) |
真実の持つ難点は、それがたいてい不快でしばしば面白くないことである。 |
真実の持つ難点は、 それがたいてい不快でしばしば面白くないことである。 人の心はもっと楽しくて心和むことを求める。
H・L・メンケン(アメリカの著述家)
何でもそうだが、真実を知ることはとても難しい。 みんな隠したがるし、真実はなかなか見えないものだからだ。 真実は、知っている者にとっても、 知らない者にとっても、やっかいなものなのだ。 扱いが難しいものなのだ。 しかも、何が真実か、実はよくわからない。
「真実を言え」ともし私が言われたら… (もちろん、言うだろうが) それは自分なりの真実でしかない。 素直にそれが真実と認められるものだろうか?
真実って何だろう… 真実ってどこにあるんだろう。 真実って……
(2月23日の「TVのチカラ」を見ながら)
2004年02月22日(日) |
悲しみ、怖さ、怒りといった激しい感情は、時には押しとどめようもなくなることがあります。 |
悲しみ、怖さ、怒りといった激しい感情は、 時には押しとどめようもなくなることがあります(略)
でも、感情がそれほど激しくなるのは、 それなりの理由があってのことです。 大事な話を伝えたいからなのです。 自分全体の中の大切な一片を呼び戻してくれているのです。
「やさしいフォーカシング」より アン・ワイザー・コーネル著
感情の扱いは、難しいと思う。 上手に付き合わねばと思うが、 自分でどうしようもないときがある。 怒りがこみ上げてきたときは、少し間を置くといいとか、 悲しいときには、素直に涙と流すといいとか、 人によっていろいろな方法があるだろうが、 私はどうも、上手に対処することが出来ない。 特にイライラしてるときの感情の収め方は難しい…
体の声に耳を傾けるというフォーカシングを やってみようと思っているが、 イライラが高じたら、恐らく全然効き目がないと思う。
しかし、感情が何かに反応して動くことだけはわかっている。 例えば、誰かと話しをしていて、イライラの気持ちがわいたのなら、 そこに何か私のイライラの感情を刺激するものがあるのだと思う。 それがどんな感情だったのか、 何に、どんなことにどのように反応したのか、 知れば少しは、イライラは収まるのか… 少し感情探求をしてるみる価値はあるかも知れない。
2004年02月21日(土) |
私は完璧を目指さない。できっこない。 |
私は完璧を目指さない。できっこない。 狙うのは、プロとしての素晴らしさだ。
タイガー・ウッズ
プロとしての、素晴らしさか… 完璧さより、素晴らしさ… うーん…
2004年02月20日(金) |
人間は愛しているか、愛されているか、どっちかでないと辛いね。 |
人間は愛しているか、愛されているか、どっちかでないと辛いね。
「大語録」より 永 六輔著
友人と愛の感情の持ち方の違いについて語り合う。
私は、愛する方が好きだが、 友人は、愛される方が好きだという。
私は愛する方が幸せを感じるが、 友人は、愛されて幸せを感じるという。
私は尽くされるより、尽くす方が好きだが、 友人は、尽くされる方が好きだと言う。
私はいつも「愛してる」なんて言われたら、 とても耐えられそうにないが、 友人はいつも「愛してる」と言ってほしいと言う。
うーん、両方がうまくバランスがとれるのが理想だと思うが、 恐らく、人はどっちかに偏るのではないかと思う…な。
2004年02月19日(木) |
相談事をする時には、常に明るく振る舞うことです。 |
相談事をする時には、常に明るく振る舞うことです。 そうしないと、相手に暗い波動が伝わってしまいます。 それほどたいした問題でもないのに、 暗く言うことによって、たいしたことになってしまうのです。 話し口調によって、問題が深刻にもなるし、 それほど大きな問題でなくすませることもできるのです。
「あなたが動けば人は動く」より 中谷 彰宏著
いつも問題を大袈裟に言う人がいる。 その人から電話がくると、暗い気持ちになる… 「ああ、また何かあったんだな…」と。 その人がどういうつもりで、大袈裟に言うのか、 さも大変そうに言うのかわからないが、 (実際にその人にとっては大変なのだろうが…) 大袈裟に言うことで、自分の力を誇示できると思ってるように見える。 (こんな問題を、私は解決しようとしているのよ) 自分に注目してもらいたいという気持ちの表れかも知れない。 (こんなに大変なの、みんなわかって…) 暗い波動を振りまくのが…好きなのかな? それとも、そうして騒ぐと安心するのかな?
私なら、人に言わずに黙って解決するであろう問題を その人は、必ず言ってくる。 人に、大変さを見せることに私は抵抗を感じるが、 その人は、大変さを見せることで、 自分の存在価値をアピールしたいんだろうと思う。 仕事の中身で勝負した方が価値が上がると思うが、 それより、大袈裟に言うことで自分の価値を上げたいらしい… (に、見えてしまう…) 大騒ぎせず、さらりと問題解決した方が、 スマートでその人の価値も上がり、 みんなからの信頼も得ると思うのだが、 その人にとっては、違う思いがあるんだろうな。
2004年02月18日(水) |
人はその「人となり」の行動をする。 |
人はその「人となり」の行動をする。 人は行動のとおりの人になる。
ロバート・ムシル
先日、メークアップアーティストの藤原美智子さんの 本を読んでいたら、次のようなことが書いてあった。
送られた来た自分の講演しているビデオを見たら、 自分が思い描いていた講演イメージと全然違っていた。 例えば、丁寧にお辞儀をしてると思っていたが、 実は、ぺこんと頭を下げたいただけだった… 自分の行動とか、その時の姿を客観的に見ることが いかに必要か思い知った…と。
本当にそうだと思う。 自分の客観的な姿はあまり見たくないが、 見てみたら、気が付くことは相当あると思う。 今までの自分の姿、行動を見たら、 ぞっとすることが多いような気がする… 自分ではかっこいいと思っている姿や行動が、 実は、自分の思い描いていたものと違うことは 大いにあり得る… 恐らくがっくりくるのではないか… これから、自分の姿や行動を少し客観的に 眺めて見る努力をしようと思う。
女優さんの立ち振る舞いがキレイなのは、常に 客観的に自分の姿を捉えているからだと言う。 いつも見られているという緊張感だけでなく、 自分の姿を客観的に見ているからだと言う。 見習おう。
2004年02月17日(火) |
相手をほめるというのは、自分が負けることです。 |
相手をほめるというのは、自分が負けることです。 自分が負けるということは、自信がないとできません。 自信のある人間は相手をほめることができます。 相手をほめることができない人間は、自分に自信がないのです。
「あなたが動けば、人は動く」より 中谷 彰宏著
このことばと全然関係ないが…この中谷さんって 何者だろうと思って、巻末の著者紹介を読んでみた。 今まで、中谷さんの本を何冊か読んでいるが、 あまり気にもとめていなかったが、いきなり気になって。 博報堂のCMプランナーだったらしい。
その巻末のコメントに、こんなことが書いてあった。 「本の感想など、どんなことでも、お手紙楽しみにしています。 他の人に読まれることはありません。 僕は一生懸命読みます。中谷 彰宏」とあった。
なんだか…やられたと思ってしまった。 これじゃ、手紙を出してみようという気になるじゃない、 (出さないが…) うーん、さすがCMプランナー…と思ってしまった。
などなど、やられたと思いながら、今日のことばにぶつかった。 ほめることは、負けることなのか…と少し違和感を持ったが、 もしそうであったとしても、 同じ負けるなら、気持ち良く負けた方がいいし、 素直に負けたいと思った次第。
2004年02月16日(月) |
もっとも難しい3つのこと |
もっとも難しい3つのこと ・秘密を守ること ・他人から受けた危害を忘れること ・ひまな時間を利用すること
キケロ
どれも難しいが、 私にとっていちばん難しいのは 「秘密を守ること」だ。 これは相当難しい… 内緒話が好きだし、 ここだけの話しも好きだし、 誰にも言っちゃいけない話しはもっと好きだし、 誰かの秘密を聞くと、誰かに話したくなるし… 秘密を守る自信は…ない(自慢じゃないが)
その代わり(には全然ならないが…) 他人から受けた危害は、割と忘れられる。 あまり気にしない方のたちだ。 あまり、恨みには思わない方だと思う(多分)
最後のひまな時間の使い方だが… 仕事を退職したので、時間はある。 さて、これからどう時間を使うか… これは、これからの課題である。
なんとすみやかにわれわれは、この地上を過ぎてゆくことだろう。 人生の最初の1/4は、その使い方もわからないうちに流れ去り、 最後の1/4は、その楽しさを味わえなくなってから過ぎていく。 しかも、この何の役にも立たない、両端にはさまれた期間にも、 われわれに残された時の3/4は、睡眠、労働、苦痛、束縛、 あらゆる種類の苦しみによって、費やされる。 人生は、短い。
ルソー
なるほど、もたもたしてはいられないな… って、そう急いでもなぁ…
人生は短いから、 つまらないことをあれこれ考えてばかりいたり、 ふりまわされてばかりいたりして、 限りある有意義な時間を無駄にするなってことだと思うけど (かどうか、わからないが勝手に) そんなに濃くは生きれないなぁ、私は。 残りの1/4は、思い切り楽しみたいし… 違うな…考え方が。 まぁ、ルソーさんと違っていても全然いいしな。
2004年02月14日(土) |
するりするりと生きるも人生。壁にぶつかり煩悶しながら生きるも人生。 |
するりするりと生きるも人生。 壁にぶつかり煩悶しながら生きるも人生。 さらりと浅く生きるか、 どっぷり深く生き抜くか… 舵一つでいつもでシフト出来るのが人生です。
「愛の言霊・スピリチュアルメッセージ」より インドラ・チョーハン
会社仕事に区切りがついて、 やっと、気持ちに余裕も出来てきた… まだ疲れはとれないが、ゆっくりと休むつもりだ。
時間をかけて、 「今まで」なくしてきたものを取り戻して、 「今まで」を見つめ直し、 「今まで」をすべて受け入れようと思っている。 いろいろあった「今まで」の人生を、全部受け入れて、 新たな道に踏み出したいと思っている。
とりあえず… 今まで読めないで溜まっている本も読もう。 見れなかった映画もまとめて見たい。 そして、ゆっくりと考えよう…これからを。 楽しみだ…
2004年02月13日(金) |
すぐ「わかりました」という人間に、わかったためしはない。 |
すぐ「わかりました」という人間に、わかったためしはない。
小早川 隆景
私は隣人とケンカをして、 言っても無駄だと思うと ああ、もう聞きたくないと思うと、早々に 「わかりました」と答えて、その場を終わりにするが (終わりにならないこともあるが…) わかったためしなどない。 このことばにまったく同意する。
2004年02月12日(木) |
親密な関係を築き上げるのは容易なことではない。 |
親密な関係を築き上げるのは容易なことではない。 その過程はのろく漸進的である。
あまりに急速な親密さはもろい。 そのようなものは、もし一方が相手について否定的な、 あるいは気に入らない何かを発見したときには、 たやすくこわれてしまう。
それに反して、時間をかけて活動を共にし、 自己開示をし合うという強い基盤の上に築き上げられた 親密な関係は、簡単には壊れないのである。
「ふれあいの心理学」より V.J.デルレガ A.L.チェイキン著
壊れにくい関係でありたいと思う。 隣人とも、友人とも、親兄弟とも。 しかし、近い関係ほど、なかなか冷静でいられなくて、 お互いに干渉し合ってしまう。 言いたいことを言ってしまう。 なかなか適度な距離が取れない…保てない。
その関係に時間をかけたからといって、 親密な関係が出来るかというと…そうではない。 上手に互いに自己開示をする間柄でないと親密な関係を 築くのは、難しいだろう。 自己開示するには、強い信頼感がないといけないし、 恐らく、大きな勇気が必要だ。 それを超えて、自己開示出来るかどうか… また、肉親とはどのような開示がいいのか… うーん、難しい。
2004年02月11日(水) |
人生に疲れたという人がいたら、それは人生のほうが、 |
人生に疲れたという人がいたら、それは人生のほうが、 その人間に疲れたのだと思えば、間違いはない。
ジョージ・サンダース
そっか、そういう見方も出来るのか… いつも自分の側からばかり見てると、いけないな。
人生に疲れたと言う人は、自ら疲れさせている人が多いように思う。 余計なことに気を使っている人が多いように思う。 自分の考え方に固執してる人が多いように思う。 だから、思い通りには行かなくて、余計疲れる…ように見える。
もっと、違う見方をしてみたらいいのにと思うが、 頑固に自分のやり方、考え方、見方に固執する。 そう言う人は、自分ばかりが疲れていると思っているだろうが、 実は、人生の方でも、その人間に疲れているのだな…きっと。 それに、実は回りの人もその人を見ているだけで、 とっても疲れているのだ…
2004年02月10日(火) |
我々は自分一人の力で自分を肯定することは出来ません。 |
我々は自分一人の力で自分を肯定することは出来ません。 必ず誰か他の人間が、その瞳の中に我々の美点を写し出して 見せてくれなければなりません。 他者が鏡となって、 我々の姿を投げ返してくれなければならないのです(略)
すべての人間にとって本当に必要なものは、 ひとからもらう肯定的な愛であります。
「孤独なこころを支える」より ロバート・E・ラーソンJr
肯定的な愛か… 深くて、重いなぁ…
自分にとって重要な他者から、今ある自分を 受け止めてもらえ、認めてもらえ、OKをだしてもらったら、 それはとても自信になる。
しかし、その重要な誰かも、同じように、 誰かに受け止めてもらい、認めてもらい、OKをだしてもらい、 自信を持つことが出来ないと 肯定的愛などあげられないのではないのか…
肯定的愛の連鎖が必要なんだと思う。
2004年02月09日(月) |
その人その人の命があるように、その人その人の時がある。 |
その人その人の命があるように、その人その人の時がある。
「人間の深層にひそむもの」より 河合 隼雄著
昨年、希望退職制度に応募し、 仕事の引き継ぎが終わり次第退社という条件で折り合いを付け、 やっと引き継ぎが完了した…長かった… 資料の整理も終わり、残務処理も終わり、 ほとんどの仕事に区切りをつけた。
私にとっては、タイミングのいい希望退職募集だった。 仕事に対しての、熱意もやる気も失っていたし、 今の仕事は自分を賭けてやるべき仕事ではないと かなり以前から思っていたから。
今の会社にはとても感謝している。 ことばに言い尽くせないくらいだ。 私は今の会社が好きだし、一緒に働いている仲間も好きだ。 けれど、 感謝や、好きだけでなくて、私は生き甲斐が欲しくなった。 自分を賭けてやれるものが欲しくなった。 そういう時期が来たのだ…
さあて、これからだな、勝負は。 まぁ、のんびり行くとするか…
答えはない。 答えは存在したことがない。 答えはこれからも存在しない。 それが答えなのだ。
ガートルード・スタイン
答えはないのか、 自分のこころにあるのか… いつも答えが欲しいわけではないが、 時々欲しくなる…
2004年02月07日(土) |
人間というものは、少しやさし過ぎるくらいでなけりゃ。 |
人間というものは、少しやさし過ぎるくらいでなけりゃ。 もともと十分やさしくあり得ないのだから。
マリヴォー
今日は、朝からいろんな人にあたってしまった。 家に点検に来た人達(今日は朝から3つもあったのだ) 買い物に行った先… ともかく、ムカムカとして かなり不愉快な顔をし通しだった。 ことばも相当乱暴で、つっけんどんだったと思う。
こんな日もある…が、誰にあたっても、 不愉快な顔をしても、決していいことはなかった… 誰もいい思いをしなかった日。
やさしさ……うーん。
2004年02月06日(金) |
どんなときでも希望を失わないことは、底抜けの楽天家だけに許された能力ではない。 |
どんなときでも希望を失わないことは、 底抜けの楽天家だけに許された能力ではない。
それは健全な自己防衛のメカニズムであり、 生物学的にしっかりとした根拠がある。
ピーター・フェンウィック
今の時代は希望が見えにくい時代なのではないか… そんな気がする。 疲れていて、先が見えなくて、いらいらしていて、 目先のことばかり優先される環境にいると、 希望ということばさえ、忘れてしまう。 希望…みんな持っているのだろうか… 希望…今の私の希望は、何だろう…
2004年02月05日(木) |
「友達がいない」「心を許せる同僚がいない」と嘆く前に、 |
「友達がいない」「心を許せる同僚がいない」と嘆く前に、 もしあなたが他人だったら、日頃のあなたと友達になれるかを 考えてみてください。
真の友を得たいと思うなら、まず自分自身が 自分に対して友達になりたいような人物になることを 心がけるべきです。
「人生成功の名言389」 マーフィー しまずこういち編著
何においても基盤は自分であるということだな。 何でも…自分からはじまるのだ…。
いくらでも、世の中が悪いと言えるし、 他人のせいに出来るが、 しても何にもならないことも多い。 他人より、まず自分だからだ。
足元、しっかり見よう…
2004年02月04日(水) |
他人とうまくやっていく能力は、自分とうまくやっていく能力と同じです。 |
他人とうまくやっていく能力は、 自分とうまくやっていく能力と同じです。 まず、自分とうまくやっていくことを身につけなさい。 そうすれば、他人ともうまくやっていけるようになります。
「人生成功の名言389」より マーフィー しまずこういち編著
自分とうまくやっていく能力… なるほど、そうなのか。 なるほど…
2004年02月03日(火) |
傷つきやすい人間ほど、複雑な鎧帷子(よろいかたびら)を身につけているものだ。 |
傷つきやすい人間ほど、複雑な鎧帷子(よろいかたびら)を 身につけているものだ。 そして、往々この鎧帷子が、 自分の肌を傷つけてしまう。
三島 由起夫
身の守り方はいろいろとあるし、 その身の守り方ひとつで、回りとの関係や、環境が 大きく違ってくるように思える。
下手な守り方は、決して守ることにならず、 下手に守るなら、守らない方がまだいいように思えるのだが、 下手な人は下手に守る…ように見える。 (何が下手なのかは、実はよくわからないのだが…)
時々、 「この人はこれで身を守っていると思っているのか…」とか、 「こんな守り方をしたら、かえって反発をかうだろう」とか、 「固い(守りだ)なぁ」などと、感じてしまう人がいる。 本人は、恐らく自分を守っているつもりなんだと思う。 しかし、横から見ていると、 どう見ても、損をしてるように見えたり、 決して、その人のためにはならないように見えたりする。 けれど、そう言う人は、 損でも、自分のためにならないとわかっていても、 自分のやり方に執着している…ように思える。
逆に、とても守りがうまい人がいる。 上手に自分を守っているように見える。 「うまいなぁ…」と感心する。 自然な人もいる。 全然守ってなんかいないような感じの人もいる。 何となく自分を守っている…そんな感じがする。
自分の身を守る思いは同じなのに、 その守る方法が、こんなに違うのはどうしてなんだろう… 何かが、どっかが違うと思う。
私はどうかなぁ…
2004年02月02日(月) |
うまくやりたい気持ちの人一倍強い人は、失敗することを極度に怖れます。 |
あきらめ癖があり、何事に関してもほどほどのところで 撤退してしまう人がいます。 ちょっとみると無気力でやる気のない人のようですが、 実は「うまくやりたい」という気持ちが すごく強い人が多いのです。
うまくやりたい気持ちの人一倍強い人は、 失敗することを極度に怖れます。 だからこそ、 失敗したときのダメージを軽くすることに腐心するのです。
「あなたの魅力をひきだす心理学」より 榎本 博明著
昨日から、この「失敗」ということについて考えていて、 「そうか、私には失うものがあまりないんだ」と気がついた。 そうだ、私にはあまり失うものがないのだ…
もちろん失いたくないものはある。 けれど、それは絶対に失いたくないものではない。 失いたくはない…けれど、失うこともあるかもしれないと 思っている「失いたくないもの」なのだ。 失うものがあまりないってことも、強みなのだと 今日、はたと気がついた。 (もちろん、絶対に失いたくものを持っている人は それはそれで強みだと思う)
自慢にならないが… 私には失うものがあまりないのだ…なぁ。
そうそう、 「うまくやりたい」という気持ちもあまりない。 うまくやれたらいいが、うまくやれなくても、 ともかくやれたらいいかと思っている。 ともかくやってみることが大事なのだからと思っている。
…というか、理屈抜きで、 やってみたいのだな…失敗しても。
2004年02月01日(日) |
失敗したら何を失うのでしょうか? |
例えば、社内で奨励されている資格取得をめざつつ、 試験で落ちたらみっともないという不安があるとします。
試験勉強に真剣に取り組んでいる人を冷やかしつつ、 自分もやらなくてはとの焦りはどこかで感じています。 でも、試験に落ちたときのことを考えると、 ムキになって、勉強できないのです。 仕事でも恋愛でも、同様のことがあるはずです。
失敗したら何を失うのでしょうか? 資格はもともとないのですから、失うことはできません。 うまくいけば得られるというだけです。 自信は失うかも知れません。 しかし、初めから逃げて失敗を免れることで保てる自信とは どれほどのものなのでしょう。(略)
落ちたことを同僚に知られたら、体面を失うという人が いるかもしれません。 でも、逃げて虚勢をとりつづけて失敗を避けている人が、 もともと尊敬されていると思っているとしたら それは虫がよすぎます。 つきあっていれば、そのくらいのことは見抜けるものです。
そうしてみると、何事によらず、全力を尽くして失敗することで 失うものはほとんどないことになります。 うまくいけば一段と飛躍でき、 失敗してもやる前の状態に戻るだけです。
「あなたの魅力をひきだす心理学」より 榎本 博明著
私は、失敗してもいいから挑戦したいと思っている。 しかしやっぱり失敗は痛い。 なにかどっか…自分の中で痛い。 自分の力のなさをまざまざと感じるからかも知れない。 回りに対する恥ずかしさも確かにある。 自分で自分に言い訳しないと、いたたまれない 気持ちになってしまう…そんな痛さがある。
そして、やっぱり怖い。 やれるかどうか…ことの大小にもよるが、 自分の力の限界を知るようで怖い…
けれど、それでも、失敗してもいいから、 挑戦してみたい気持ちの方が大きい。 出来ないことを知るのもいいと思えるし、 自分の限界に挑戦してみるのも悪くないと思えるからだ。 それに、やってみないとわからないことが 世の中には多いと…最近しみじみ思うからだ。
失敗したっていいじゃないか… 失敗したってたかが知れている。 失敗してわかることもある。 そう思うなぁ。
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