今日は母の四十九日。 31年前の今日、母は私を産んでくれました。
一日、母のことを考えて過ごしました。
自分の心に優しい部分があるとしたら、それは殆ど母からもらったもの。 母は、とにかく心優しい人でした。 こんなにわがままで甘えん坊の娘の言う事を嫌な顔一つせず聞き入れてくれ、そしていつも私を誇りに思ってくれていました。 誇りに思われるような娘では、決してありません。優秀でも勤勉でもありません。でも、母はいつでも私を褒めてくれました。
どうしてそんなに褒めるの? と、母に聞くと、 「だって、おかあさんにはそんなこと出来ないもん。本当にすごいと思ってるから褒めるのよ」 と、言いました。でも、本当に、人様に褒められるようなことは何一つ出来ない娘なのに。
亡くなる前、まだ少し意識がはっきりしていた頃にも、娘のことを人に自慢していました。 どうすれば自慢の娘に育てることができるのでしょうか?と、ある方が母にたずねたら 「自慢してりゃあ、いいんですよ」 そう答えていました。
母は、そういう人なのです。 私の、自慢の母です。
31年前のこの日、母は命がけで私を産んでくれたそうです。 小学生の頃、私が産まれた日の事を母が手紙に書いてくれたことがありました。 看護士が血圧の低下を叫ぶ中、母の意識は遠のき、たくさんの輸血を受け、命を取りとめたそうです。 だから、母は献血車を見かけると、必ず献血をするのだと。 18歳になったら、母と献血に行こうと思っていたのに、結局行ってないなぁ。 今度帰国したら、献血に行こう。
必ず、毎年行こう。
月曜日の登園は、土日に家族でベッタリだっただけに、至難です。 毎週のことながら、別れ際は大泣きです。
今日も大泣きでした。 「ママ、行かないで!」「ママ、一緒に遊んで!」「ママ、そばにいて!」 数々のれおの訴えを受け入れずに幼稚園をあとにするのは、本当に身を裂く思いです。
特に今日、午前中に家で遊んでいた時に、カーテンにかくれたれおとばあばを探すのに「れおどこいっちゃったんだろう。れおがいないとさみしいよ〜」と私が言ったとたん、れおはカーテンから出てきてくれたのに。 私が寂しいと言えばれおはそばにいてくれるのに。
ブラジルでの登園はれおの試練であると同様に、母の試練でもあります。
2005年09月23日(金) |
我が家にバッタがやってきた |
日本へ一時帰国していた間ほぼ毎日バッタ採りに行っていたほど、れおはバッタが大好き。 10cmくらいあろうショウリョウバッタを手づかみでつかまえる。
ブラジルに戻ってからはとんと虫にはお目にかからなくなってしまったのだが、虫探し大好きなれおは、草むらをみつけては「バッタいそうだね!」雨が降った日には「カエルいるかな?!」と私に問うていた。 そう言われてもね。かわいそうだがここには日本で馴染みになった虫達は殆どいないのだよ。と、ちょっとだけ我が子を哀れに思っていた私。
そして今日。 なんと、我が家のベランダにバッタがやってきた。 全長3cmほど。ショウリョウバッタ風。暗いベランダの落下防止網に深緑色のバッタがとまっているのをほろ酔いの夫が見つけたのは、かなりの奇跡に近いのでは。
母が、バッタ好きのれおのために、連れてきてくれたのかもね。
今週から幼稚園のお迎え時間を通常通りにしたので、幼稚園帰りにポップコーンを買うというれおの日常が戻ってきました。
買ってきたポップコーンを家で食べる時。 お皿の上に分けられた「ママのぶん」の量が「れおのぶん」の量よりあまりにも少なかったので、イジワルしてやろうと思って、れおがよそ見をしている間にれおのぶんの半分以上をママのぶんの方へ入れました。
「あれ?れおのぶんずいぶん少なくなったね!食べちゃったの?」 というばあばの声で初めてお皿の上を見たれお。 どういう反応をするかなぁと見ていたらしばらく黙って、 「うん、たべちゃったの〜」
自分が疑われる事を期待していた私は、拍子抜け。 そうか、この子はとても素直で純粋だから人を疑ったりしないんだ〜と思ったら、なんか、あらためて子供のすばらしさを実感。
子供ってホント、天使だよなぁ。
週末はおかあさんを連れ、リオデジャネイロを旅行してきました。 早朝5時前に家を出発してリオに到着したのは7時。空はあいにくの雨。我が家はどうも雨を呼ぶ癖があるらしく、旅行する度に雨が降る・・。
といっても、降りっぱなしではないのがブラジルの雨。雨が止んだ時にはコルコバードの丘にのぼったりショッピングをしたり、日曜の午前中は晴天だったのでれおはビーチで走り回ったりして、楽しく過ごすことが出来ました。 と、思います。
寝る前に本を読むれおですが、3冊読んでも足りない時は本を閉じ電気を消し、寝物語を聞かせています。
2人で横たわって「むかーしむかし、あるところに・・・」と話していると・・・ 気付いたら、自分が先に寝てしまっています。 で、れおに「ママ!おきて!!」とか言われて「ああ、ごめんごめん」と慌てて話をすすめる母。 しかし、しばらくするとまたウトウト・・・。
私が子供の頃、母もよく寝物語を聞かせてくれました。 私を抱いている腕がずしんと重くなったなぁと思うと、物語が止まってしまいます。続きが聞きたくて何度母を起こしたことか。
30余年前の母と同じ事をしている自分に、苦笑。
でも、これからもきっと私は母と同じ道を歩き、道を真似、時には母に道をたずねつつ、歩いていくんだろうな。
そうして、母は私の心の中で、これから先ずっと生き続けていくんだろうな。
2005年09月13日(火) |
ストリッパーあらため。 |
最近めっきり太ってしまった夫。 私は事ある毎に彼が太った事を指摘して嫌がられているのですが、今日の彼は開き直ってました。 沢田研二のヒット曲(って私ってば何歳?!)「ストリッパー」を替え歌して「おれ〜は〜フトリッパー♪」だって。あっぱれ我が夫。
昨日から幼稚園に行きはじめたれお。まだ時差もあるし、挨拶がてら少しだけ遊ばせてすぐに帰ろうと思っていたけれどあまりにも楽しそうに遊んでいるので、彼をおいて幼稚園を出てみました。 別れ際も泣かなかったれお。久々の幼稚園なのに!やはり成長したんですね〜。 でも、お迎えに行った時、私の顔を見るなり「おやつたべたかった・・」と泣いてました。おやつの時間が過ぎてから登園したのでおやつを持参しなかったのですが、彼は幼稚園でおやつを食べることを楽しみにしていたようです。 泣くれおを抱き、帰りにパンを買って帰りました。
というのが、昨日の話。
昨日の反省を生かし、今日はおやつをちゃんと持参。 みんなと一緒におやつを食べ、教室で遊び、こちらを時々確認しつつもなんとか楽しそうに遊んでいたれお。 まぁ、みんなが本を読んでいる時間に一人で教室のアリを追いかけて捕まえていたりしてたけど・・。 今日も別れ際はあっさりでした。顔も見ずに手を振って、バイバイ。 親なんて、そんなものなのね〜。。
時差ぼけはだいぶ解消されたようで、夜に眠れるようになりました。 やはり日本→ブラジル時差12時間を完全に自然に解消するには一週間くらいかかるなぁ。
ブラジルへ戻ってきました。 約2ケ月の日本での生活は長かったようで短かったようで、とにかく色々な事がありすぎて気持ちも文章もまったく整理がつきません。 それについては、こちらでの生活リズムを取り戻し少し落ち着いたら、まとめてみようと思っています。
久しぶりに我が家に帰ったれおは、水を得た魚の様に、家中を駆けめぐり自分のおもちゃ達でひとしきり遊んでいました。 れおは2ヶ月で本当に成長しました。 日本でのれおは、虫が大好きになりました。 魚取りをおぼえました。 高い所からジャンプするようになりました。 好き嫌いがちょっとだけ減りました。 優しくなりました。 イジワルをおぼえました。 とにかくたくさんの事を吸収しました。 ブラジルに帰ってからのれおは、三輪車をこげるようになりました。 一度に寝る時間が長くなりました。(時差ぼけしてるけど) ブラジル人に対して少しだけ積極的になりました。 日本での経験を糧に、まだまだ成長しています。
ああ、それにしても時差ぼけで眠い。 今は徹夜明けの出社前って感じです。 でも、ブラジルは夜なのでこれから心おきなく眠れます。 時差ぼけれおが変な時間に起きなければ、だけれど・・・。
それではおやすみなさい。
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