愛より淡く
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2008年09月26日(金) |
霊感人妻? 病室での出来事 |
おととい、幽霊を見るという夢を見た。
夢の中の幽霊は、白装束の髪の長い女の人で、半分くらい透けていて向こうの景色が見えていた。
いかにも幽霊という感じの、ものすごくわかりやすいタイプの幽霊だった。
夢の中の私は、初めてこの目ではっきりと幽霊の姿を見ることができたことに妙な感動を覚えていた。
場所は、どこかのビルのエレベーター付近だった。
夢の中の私は、
「ほら、あそこに幽霊が」
と、見知らぬ女の人に教えてもらっていた。
幽霊は、胸のあたりまでは、はっきりと人の姿で見えたけど、胸からの下のあたりは、ところどころが透けていて向こうが見えていた。
幽霊は、伏し目がちで、私と目を合わそうとはしなかった。
夢の記憶はそこで終わっている。
その後二部構成で、中年の男性の霊能者の夢を見た。
なんでもその人は、巷で有名な霊能者らしくて、実際にはその姿を人前にあらわしたことがなくて謎に包まれているとのことだった。
なのにあっさりと夢の中ではその姿をあらわしていた。
やや長髪で、俳優のT・N氏にどことなく似ていた。
しばらくやりとりをしてから、目が覚めた。
それからまた眠ったら、今度はその霊能者が女装して現れた。 さっきと口調も全然変わってしまって、おんなおんなした言葉遣いになっていた。
内容は忘れてしまった。
産後の肥立ちが悪くて入院していた頃の私の体験を思い出すことは、もうあまりなくなった。
あの頃のことは、どこからが夢でどこからが現実のことだったのかも、よくわからない。
夢にしては、やけに鮮明に記憶に残っているし。
それでも現実に起こったことであるとすれば、ありえなさすぎるし。
夢であろうと現実であろうと、場所が病室であったことだけは確かだった。
私は、最初6人部屋だったけれど、症状が悪化したので、個室に移された。
そこで起こった奇奇怪怪な出来事を完全に思い出すことは、もう不可能のようだ。
無理して思い出そうとすると、「思い出させまい」とする強烈な邪魔が入ってくるような感覚に陥るのだ。
思い出さない方が身のためのということなのだろうか。
なんで、そんなに当たるのかというと、やはり使っている虎の巻がよかったのかもしれません。
それでも、ふと思いついたことを適当に付け加えたりしたのも、当たっていたみたいです。
単なる偶然かもしれませんが。
霊感というものがどんなものなのかよくわからないのですが、もしかしたら、ふと思いついたことが霊感?
だったのかもしれません。なあんて。
知り合いの中学2年生の女の子は、霊感があるらしいのです。
実際に、何度も霊のようなものを目撃したことがあるそうです。
やはり見える人には見えるようですね。
私も、以前にここの日記にも書いたと思うのですが、産後の肥立ちが悪くて入院している間に、いろいろと不思議な現象にあいました。
なんと申しますか、誰かに憑依されているみたいな感覚を味わったことがあります。
憑依されたのは、ひとりではなく、志なかばで亡くなってしまった修行僧とか、往年の喜劇俳優とか、ええと、ええと、ちょっと今はすぐに出てきません。あ、そうそう姫路城の姫君とか。
あと、芸能雑誌の芸能人の写真の背後に無数の霊が写っているのを見てしまったりとか。
あれは、本当に驚きましたね。
どのページをめくっても、掲載されている写真の背後にいろいろと人の顔が映っているんです。
なんで、そんなのが、見えたのかは今でもよくわかりません。
つづく(のか?)
どちらかというと、神秘的なことスピリチュアルちっくなことに興味があるのですが、のめりこむというほどでもなくて、まあ中途半端です。
私自身は、霊感があるようで、ないようで、たまに、インスピレーションというか、カン?のようなものがめちゃめちゃが冴えることはあるようです。
でもそれが果たして霊感かどうかは、よくわかりません。
それでも、占いが得意だったので、社会人になって最初の赴任先では、
新入社員紹介(お披露目?)の時に、直属の上司に「霊感少女」と、紹介されました。
当時は、もうすでに二十歳も超えていたし、「霊感少女」の「少女」という響きにかなり違和感を覚えたというか、こそばゆいというか、あてはまらないような気がしましたが。
その上司にしてみれば、社会人1年生なんて、ほんのひよこなので、 本人は違和感なく「霊感少女」と紹介できたのかもしれません。
もちろんそれは、違和感もさることながら、適切ではない表現でした。
だって、当時の私は、霊感があるとは、自分でも全然思えなかったからです。
ただ、私の占いは、なぜだか、よくあたる、あたりすぎるくらいあたると評判になってしまいました。
噂を聞きつけた社内の人間が次々に「ねえ、ちょっと私も見てくれない?」「たのむ占って」 と、私のところにやってきました。
頼まれるたびに、占いの虎の巻をもとに、気軽に適当に占った結果を紙に書いて渡していたのですが、それがなぜだか、びっくりされるくらいよく当たっているとのことで、占った本人である私のほうがびっくりするくらいでした。
つづく
お彼岸なので、夫の実家のお仏壇にお線香をあげに行く。
夫の実家は、歩いて数分のところにあるけれど、さらにいつも近道を通っていく。
近道は、道が整備されていないので、雑草だらけで、昨日雨が降ったためにぬかるんでいた。
実家に着くと、玄関の前で、夫の母が、イスに座って、なにやら作業をされていた。
声をかけても気がつかれなかったので、義母の顔をのぞきこんで、両手を合わせて、「お線香をあげに来ました。」という意思をゼスチャーを示した。
了解という感じで義母は、小さくうなずいた。
お線香をあげて、帰り際に、義母から葡萄とおはぎときゅうりをいただいた。
庭木のコスモスが愛らしかった。
夫の実家の向かいの家は、すっかり廃屋と化していた。
上の子が生まれて間もない頃、夫の実家に同居していた時のことをふと思い出す。
あの頃は、まだお向かいには、S子さん夫婦が住んでいらした。
S子さんは、子供のように無邪気な人だった。
毎朝旦那さんが出勤されるとき
「行ってらっしゃーい、はやくかえってきてねーー」
と、不自由な両手を懸命に振りながら、大きな、大きな声で見送られていた。
そして、旦那さんの車が見えなくなるまで、ずっとずっと手を振られていた。
やがて旦那さんの車が見えなくなると、さみしげな表情を浮かべ、肩を落とし気味に、やや左足をひきずりながら、家の中に入って行かれるのだった。
私は、ほぼ毎朝、その一部始終を、洗濯物を干しながら眺めていた。
S子さんは、交通事故に遭われてから、脳にダメージを受け、両手と下半身に麻痺が残り、知能にも障害が生じてしまわれた。
S子さんの毎朝のお見送り風景は、いつも胸にぐっとくるものがあった。
映画の感動的なワンシーンを見せてもらっているような気になった。
S子さんの旦那さんは、「おらが町のサブちゃん」と呼ばれるくらいのカラオケの名手だったようだ。
ここに来てまだ間もないころ、町内会のお花見の余興で、歌われていたことを思い出す。
正直歌声は覚えていない。
覚えているのは、S子さんの旦那さんよりも、Mさんのところの徳さん(仮名 当時80代)の熱唱だ。
マイクを握り締めて
「いくつになっても、わたしはおんな〜どこまでいってもわたしはお〜ん〜な〜♪」
と、めいっぱい感情を込めて、ものすごい迫力で歌われていた。
周囲も度肝を抜かれていたという感じだった。
あの時の光景は、脳裏に焼きついてしまっているので、今でも鮮明に思い出すことができる。
徳さんは、すでにもう他界されている。
S子さんも、S子さんの旦那さんも他界されている。
S子さんが亡くなってから、まるで後を追うように旦那さんも亡くなられた。
歳を重ねるごとに、
この土地に来て知り合いになった人が、一人去り、二人去り、
と、いなくなってしまわれる。
それは自然の流れで仕方のないことなのだろうけど。
彼岸。
この土地に嫁いできて、これまでに出会った人のことを
あれこれと思い出しながら、来た道とは違う道を通って帰った。
2008年09月16日(火) |
まあそのうちに、きっと、そのうちに |
あれから時間が経過したので、例の小説に対する思いは、しだいに薄まってきました。
今は、ほぼ何にも感じなくなってしまいました。
つづきを書こうと思ったのですが、もうその気力も残っていません。
もし今、私に、そのような人が現れたらということを想像して書こうとしたのだと思います。
想像する気力すらなくなってしまいました。
ところで、今、遠くで風が不気味にうねっています。
台風くるのかしら?
カラスも鳴いています。
なにげに不穏。
ああそれにしても、感情(気持ち)というものは、おもしろいもので、刻一刻と変わっていくものなのですね。
感情というものは、ほんとうに一過性のものなのですね。
怒りを感じたら、10数えよ、さらに怒りを感じたら100数えよ、
ということわざを思い出します。
そうそう執着。
私は、ある人に対して執着していると思っていたのですが どうも執着しているのはある人ではなくて、「ある人に対する自分の気持ち」なのではなかったのか?と 最近思い始めています。
いずれにせよ、現在は、執着とは、ほとんど無縁です。
かつてあれほど執着していたのが不思議で不思議で仕方ない
というまでにはまだ至っていませんが。
まあそのうちに
きっとそのうちに
昨夜も、前回の日記に記した小説を読み返した。
私が、最初にこの小説を読んだのは、まだ10代の頃で、しかも英語のリーダーのテキストだったので、辞書を片手に、日本語に翻訳しながら読んでいった。
当時の私は、日本語にするという作業で手いっぱいで、小説の内容について深く考える余裕もなかったようだ。
それでも一部のクラスメイトたちにとって、この小説は非常にインパクトがあったらしく、ことあるごとにジョークのネタとして取り上げられていたことを思い出す。
ええトシして分別もわきまえず、男に夢中になったが、思いは遂げられず、逆に男に敬遠され、あげくの果てにアル中になり、列車に弾かれて死んでしまった愚かで哀れな女性を嘲笑するような、いわゆるブラックジョークだった。
当時みんなまだ10代で、誰も小説の中のさみしい中年の女性の気持など理解しようがなかったのかもしれない。
当時の私はといえば、一部のクラスメイトたちが、なんでそこまでその小説に関心を示すのかが不思議でしょうがなかった。
そしてそれは、私とそのクラスメイトたちの英語読解力の差だったのかもしれないとも思った。
要するに、私には、その小説を読んでインパクトを受けるほどの英語読解力がなかったということ、なのですがね。 (当時は、翻訳されている小説の方は、読まなかったので、全体の流れが理解できなかったようなのです。)
つづく
2008年09月12日(金) |
破滅に導く「肌の触れ合いへの要求」 |
何度読んでも、ほとんど何も感じなかった小説を、昨夜、読み直してみると、なぜだかじわ〜っときてしまった。
学生時代に英語のリーダーのテキストになっていた小説だった。
中年の男女が登場する物語で、女性の方は、いわゆるさみしい境遇にある夫人だった。
夫人は、夫には顧みてもらえず、娘も成長して親離れしていて、いつもひとりぼっちで長い夜をやり過ごしていた。
でも、ひょんなことから、ある男性と知り合うことになり、夫人はしだいに彼に惹かれていく。
二人は、しばし、夫人の家で会い、哲学談義?のようなものに花を咲かせるようになる。
男性は、夫人のことを、女性としてではなく、同志?のような感覚で見ていた。
でも夫人の方は、そうではなかった。
そう、それはおそらく恋心。
ある夜、内に秘めたる恋情を抑えきれなくなった夫人は、とうとう思い切った行動に出てしまう。
そしてこの思い切った行動が、後に破滅的な結末を生むことになる。
その夫人の思い切った行動とは、いつものように自分の思想について熱弁をふるっていた男性の手をとり、自分のほっぺたにおしつけるという行動だった。
これが、夫人にとって、初めてのスキンシップというか肌のふれあいへの要求?だったのかもしれない。
でも、男性は、困惑してしまう。
同志だと思っていた夫人が、自分をそういう対象と見ていたなんて!と、幻滅に近いものを味わい、逃げるように夫人の家を去るのだった。
そして、二人は、喫茶店(菓子店)で落ち合い、今後もう会わないことを、互いに話し合って決めたのだった。
夫人は、その後どうなったのかというと、また一人ぼっちで長いさみしい夜を過ごす元の境遇に戻ってしまった。
でも、男性との薔薇色の日々を忘れられずに、
しだいに酒に溺れるようになっていく。
おそらく、酒に浸りながら、かつて男性とこの場所で語り合った楽しかった日々を思い出していたのだろう。
そんなある日、泥酔した夫人は、線路沿いをおぼつかない足取りで歩いているうちに、列車に轢かれてしまう。
夫人の轢死事件を、男性は偶然、新聞で目にする。
そして、夫人とのことを回想し、
その後の夫人のさみしい境遇を想像する。
もしかしたら、自分が彼女の人生を台無しにしてしまったのではないかと いう思いが頭をかすめる。
というふうに私は勝手に解釈して、じわ〜とこみあげてきたのですが、こういう気持になったのは、昨夜がはじめてだったのでした。
つづく
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2008年09月10日(水) |
もしかして、私だけ? |
ものすごく、ものすごく、昔の話なのですが、私が、3つか4つの頃のことだったと思います。
生まれてはじめてエレベーターに乗った時のことなのです。
幼い私は、エレベーターに乗って、扉が閉まって、しばらくして、扉が開いた時、目の前の景色が、変わっていたことに、ものすごく驚いたのでした。
す、すごい、ちょっと扉が閉まっている間に、あああっという間に変わる。 なんなんだこれは!!いったいどうなっているんだろう???
と、不思議で不思議でしょうがなかったという記憶があるのです。
まあ、とんちんかんといえばめちゃくちゃとんちんかんなのですが
あの頃の私は、エレベーターのしくみがよくわからなかったので、
扉が閉まっている間に、何かとんでもないことがおこって、景色を変えられてしまうのだ、と思い込んでいたようなのです。
「扉が閉まります、扉が開きます。」
と、扉が閉まって開くごとに、目の前の景色が変わっていったことが、すごく不思議で、またすごく面白くて仕方ありませんでした。
本当に、本当に、なんてふしぎなお部屋なんだろうと思っていました。
扉が閉まっている間は、なんとなく妙な感覚でしたし。
まさか上や下に移動しているなんて、思いもよらなかったようです。
ですから、扉が閉まっている間に、不思議なことが起こって景色を変えられている。
と思い込んでしまったのでした。
「きっと扉が閉まっている間の、この妙な感覚に何か謎が隠されているに違いない」
なんてことまでは、思ったかどうかは、すでに記憶にはありませんが。
幼い頃に、初めてエレベーターに乗って、そのように感じたのは
もしかして私だけ?
それとも、「ある、ある、私も、そうだったよ。」
って、共感してもらえたり、
「そんなの小さい頃は誰だってあたりまえに体験することさ」
って、思ってもらえたりするのかしら?
それとも
ありえなさすぎ?
そんなふうに昼下がりにあれこれと考えをめぐらせながら
今
自分がものすごくひとりぼっちであることを
実感したりしています。
2008年09月05日(金) |
もう一度、もう一度、生まれ変わって、 |
今、家の中を、蝿が一匹、飛び回っている。
以前の私は、どちらかというと蝿を毛嫌いしていた。 もう、憎んでいたといった方が近いかもしれない。
蝿の羽音を耳にしただけで、なんとも不快な気持になったものだ。
でも、今は、違う。
ぶんぶんと飛び回る羽音がいとおしくすら、ある。
「蝿さんもがんばって飛んだはるねんなあ」
という、穏やかな気持にもなれる。
たぶん、物事に対する受け止め方が変わったのだろう。
蝿に対して、ストレスを感じなくなったことは、私にとってよかったように思う。
もしかして、もしかして、人間が丸くなったのかな?
お久しぶりね〜、あなたに会うなんて〜あれから、何年経ったのかしら? 少しは私も大人になったでしょう
って、何よいきなりって?
すみません。実は、おとといくらいに、この歌を臨場感たっぷりに劇場で演奏されているところをテレビ中継されているのを観ている夢(ややこしすぎ?)を見たことを思い出したのでした。
「イントロの調子が歌いだしに入る寸前で、バラード調から突然アップテンポでアクティブエネルギッシュになるとこがええよなあこの歌」 と夢の中の私は絶賛していた(謎)
このごろ、わけがわからないけど、そこはかとなく楽しいような夢を見る。
でもその内容のほとんどは、目覚めた時に忘れてしまう。
だけど、そこはかとなく楽しいような感覚だけは残っているのでなんかよいかも。
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