愛より淡く
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2007年01月19日(金) |
気づくと試練になっていた |
このところの、すっかり春めいた妙な陽気も手伝って、情緒がサッパリ定まらない。
何でこんなことに心をかき乱されなければならないのだろう、とわけのわからないこと(本当は、よくわかっている。でも認めたくないだけ)に、ものすごくかき乱されている。
制御不能になる前になんとかしなければと思う。
これも、いわゆるひとつの、試練なのかもしれない。
その人の所在を知ってしまったことから、よけいな憂鬱を抱え込んでしまったようだ。
知らないほうがよかった。知らなかった頃に戻りたいと思う。
でももう戻れない。知ってしまったのだから。
心はどうしてもその方向に向かってしまう。つらい。
心のバランスをとるのがしんどい。
実生活において、何もなかったように普通にしているのが苦しい。
でも、世の中には、ものすごく深刻な悩みを抱えていても、それをおくびにも出さず普通に振る舞わざるをえない状況におかれている方が、きっとたくさんいらっしゃるのだろう。
たいへんだなあ。生きていくって。
これも私に与えられた試練だと思って、乗り越えていくしかないのでしょうね。
一夜明けて。
気持ちが少し落ち着きました。
要するに、煩わしいという考え方をせずに、
なるべく楽しめばよいのですよね。
どっちみち、はなはだ現実離れした恋(もどき?)なのだからして。
ひとりで勝手に楽しむ分にはなんにも問題ないわけなのですから。
それこそ、韓流スターやアイドルの追っかけをされているご婦人がたと同じようなノリで。
ただね。
いったいどんなふうに楽しめばよいのかが、問題だったりして。
せや。
どんなふうに楽しめばよいのかあれこれ考えることを楽しんでもいいかもしれませんね。
こうなりゃ無理やりプラスの方向に持っていこうと思います。
強引ぐマイウェイですわ。
おほほほほほほほほほほほ。
やけに陽気なのは、睡眠不足だからかしら。
ではまたね♪
とかなんとか、いろいろと理屈をこねまわしてみたところで、これは、この感情は、やっぱり恋なんだと思う。
まぎれもなく恋なんだ。
認めたくないけど、恋なんだろう。
もともと、心の中にあって、すっかり影を潜めていた想いだったのだろう。
だけど、どうしてもどうしても完全に消し去ることができなかった。
オリンピックの聖火のような想いだったのだろう(いまいち自分で書いていて意味不明)
不可抗力としかいいようがない。
そいでも消えかけた火に油を注ぐようなマネをしてしまったのは
何をかくそうこの私だ。
ああ。ああ。
なにがなんだかよくわからない。
切ないような苦しいようなやるせないような
それでいてどことなく華やいでいて甘美?
報われることも、振り向いてもらえることも、この先永遠にないのに。
こんな時間と情熱の無駄遣いを
いったい何度繰り返せば気がすむというのだろうか?
完全無欠の片思いなんだよ。
どこをどう切り取っても金太郎飴みたいに
片思いしか出てこないんだよ。
もうやめてほしいよ。もうなんとかしてほしいよ。たすけてほしいよ。
て、誰に助けを求めればいいのやら。さっぱりわからない。
考えたくないんだよ。でも考えてしまうんだよ。
その葛藤だよ。毎日が毎日が、闘いなんだよ。キツイよ。あほみたいだよ。
気持ちの置き所がないんだよ。
なんで今頃になって、こんなことに煩わされなければならないんだろう。
2007年01月15日(月) |
混乱はまだまだ続く? |
「片思いは、時間の無駄だ」と切り捨てた人がいます。
川上弘美さんの小説の中に出てくる、「おかまさん」だたっと思います。
「あたしのこと、きちんとおかまって呼んで、中途半端な言い方だけはしないでね」
とかなんとか、主人公に訴えていた、何気にチャーミングなおかまさん。
たしかに。
時間の無駄。
そうかもしれません。
私は延々と時間の無駄遣いをし続けてきてしまったということになります。
でもね。
たぶん、私は、その人に執着していたわけではないようにも思います。
執着していたのは、ほかならぬ、その人を想う自分の気持ちなのです。
その人を想う自分の気持ちを、知らず知らずのうちに、育ててしまったのでしょうね。
手塩にかけて大事に大事に育てすぎてしまったのだと思うのです。
日常とは、全く別の空間で、現実逃避の意味もかねて。
今さら捨て去れないのです。
つきつめれば、その人ことなんて、どうでもいいのです。
大切なのは、その人ではなくて、その人を思う自分の気持ち、自分が勝手に作り上げてきたその人のイメージだったりするのかもしれません。
自分が育て上げてきてしまった限りなく架空に近い存在に、熱烈に恋焦がれてきたということになるようです。
空虚です。あまりに空虚なんですよね。
すごく虚しい。虚しくて虚しくて。
でも、今さらやめられないのです。
その空虚な部分に、ずいぶんと支えられてきたところがあるのです。
空虚だけど、かけがえのない存在。
だけどその存在は、限りなく架空に近くて、あまりに空虚で。
このへんからこんがらがってきます。
。。。
なんだか昨夜から突然マイナスの感情が噴出してきて
どうしようもなくなって、困りました。
たまにこういうことが、あるのです。
あることがきっかけとなっていることは確かです。
あまり詳しくは書けませんが、他愛もないことです。
つきつめれば、嫉妬のようなものかもしれません。
歳をとるにつれて、おかげさまで、昔に比べればかなりコントロールできるようになったのですが、まだまだなんでしょうねえ。
突然、ひどく子供じみた人格が出てきてしまうんですよね。
その人格でもって、突然、感情を殴り書きしてしまう。
自覚があって、それなりに調整とれているうちは、まだ大丈夫かな?
このどうしようもない敗北感は
いったいどこから来るのだろう?
何に負けたの?
わからないことが〜♪
って、「スィートドリーム」だったけっかな。
落ち着いて、落ち着いて、冷静になる必要があるだろう
現実から目をそらしてはいけない
これがまぎれもない現実だ
全ては恐ろしいまでの空回り
徒労
おおいなる
時間と生命エネルギーの無駄遣い
傷ついた時に
もっとしっかりケアをしておくべきだったのだろう
どんどん悪化して
慢性化して
いつまでたっても疼いて疼いて
どうしようもない
2007年01月10日(水) |
「体操服に着替えるべきだ」 |
今朝、ものすごく久しぶりに、「昔好きだった人その2」の夢を見て目が覚めた。
通勤途中で出会ったという設定だったみたい。
夢の中の私は
「その服装はだめだ。体操服に着替えるべきだ」
って、その人に言われていた。わけわからん^^。
なつかしかったけれど、夢の中でも、恋愛感情はすでになかったみたい。
時の流れと共にごくごく自然に自然に忘れることができた理想的なパターン。
どうしてるのかな?
今思い起こせばちょっと切ない別れだったかも。
最後にその人が私にくれたのは、とあるOA機器の操作マニュアル
操作のことで私がすごく困っていることにその人は気づいてくれていたみたい。
だけど私は、その人に、酔ったはずみとはいえ、電車の中でひどいこと言ってしまったんだ。傷つけてしまったと思う。私も傷ついたけど。
ああ、ああ
わたしって、ほんとうに、トラブルメーカー。
なのに、なのに、マニュアルをくれた。
トラブルから、ずっと互いにまともに顔をあわせられず、もちろん口もきけなかった。
そんな状況だったから、きっと勇気が要ったと思う。
かなり決まり悪そうに、手渡してくれた。
私もわだかまりを残したまま職場を去るのは心苦しかったから
うれしかった。
ありがとう。
翌日。私は、後片付けが間に合わなくて、休日出勤して、
誰もいない、がらんとした職場で、一人でコツコツ私物の整理をしていた。
全て片付いた後、その人のデスクに行った。
引き出しを開け、お返しの品物をこっそりしのばせた。
品物に簡単な手紙を添えた。
手紙は、誰に見つかっても大丈夫なような文面だけど。
その人だけにしかわからない「暗号のような文面」をしっかり最後に書き加えていた。
だから、それは、私にとっては、究極の告白。
それから、もう二度と会うこともないだろうと思いながら、職場を去ったのだった。
そして、ほんとうに、それっきり。
川上弘美さんの短編集「ざらざら」の中の
「山羊のいる草原」の一節を思い出す。
「中林さん、と口に出して言ってみたが、何も感じなかった。
じゃあ、あたし、中林さんのこと、もう好きじゃないんだ。
中略
中林さんが、かわいそう、とあたしは思ったのだ。
あんなに好かれていたのに。もう、ひとかけらも好かれていない。ひとかけらも嫌われていない。
なんの感情も、あたしにいだかれていないんだ」
という記述が、印象的だった。
ふっきれた後のむなしさのようなものかしら?
お祭りの翌朝の気持ちと似ているかも。全然違うかも。
かつてあれほど好きだったのに、そういう感情がひとかけらも残っていない人に対して「かわいそう」って、思ってしまう気持ち
なんとなくわかる。
限りなく解脱に近い精神状態になっているような気もする今日この頃。
もしかして、ただの錯覚かもしれないけれど。
心がかき乱されて眠れなかったのが、うそみたい。
ノイローゼだったのかもしれない。
今は、わりと平和。比較的心もおだやかで、落ち着いている。
もう、かき乱されることもないと思う。そう願いたい。
全ては、私の気の持ちよう。
。。。
2007年01月04日(木) |
愛を求めてばかりの一日 |
「愛の挨拶」「愛の夢」のMIDIを交互に聴いてばかりいた。
いっしゅの中毒症状に陥ってしまって、どっちかの曲を耳にしていないと落ち着かなくて、作業もはかどらなかった。
妙な感じ。
今は、「愛の夢」を流しながらこれを打っている。
音楽にあわせてピアノを弾くマネをしたりして、しばし恍惚の世界
エアギターならぬエアピアノ?
そんな「愛」を求めてばかりの一日
2007年01月03日(水) |
追いかけるつもりはないけれど |
どこかの大学の広い広い構内で、迷子になってしまう夢。
迷いに迷って、結局どこにも出られないのだ。
この広い広い構内のどこかに「昔好きだった人」がいるような気がして、迷いながらその人のこと探していて、見つかればいいなあと思っていた。
学生たちがたくさんいて、ざわめいている中に、「昔好きだった人」の気配を強く感じて、そわそわ落ちつかなかった。でも、見つけることはできなかった。
そんな感じの夢を私は、けっこうよく見るみたい。
どこかの駅前(たぶん実家の近くの駅)で、「昔好きだった人」と待ち合わせをしているところを、知り合い(という設定になっていたけど実際は知らない人)に目撃されて、後からひやかされる夢も見た。
「あの子は、かいらしい女の子には好かれへんタイプやけど、いい男やな」
というようなことを言われて、なんとなくうれしくなっていた私。
待ち合わせしていたとはいえ、その人とはひとことも言葉を交わしていないし、半径5メートル以内に近づけなかった。
。。。
「この頃さあ、昔の女がとっかへひっかえ夢によく出て来るんだよ。しかも、目が覚めても、夢の内容までしっかり覚えていてさあ」
と、いうようなことを夫が、宙を見て、つぶやくように言った。
「それはきっと、いよいよ晩年に近づいてきた証拠と違うか?人生が終わりに近づいてくると、やたらと昔のことを振り返るようになるっていうし」
と、いうようなことを返した。
「なるほどね。若い頃なんて夢をほとんど見なかったし、見てもサッパリ覚えていなかったけど、この頃、なんだかやけに覚えているんだよねえ」
と、いうようなことを、また、しんみりとしながら、言った。
「みんなきれいな女だったなあ。あの頃は、はんぱじゃなくめんくいだったからさあ。きれいな女ばかり追いかけて・・・、」
と、ここで言葉がつまり、
ひと呼吸か、ふた呼吸おいて、
「で、結局は、いつも、捨てられてしまうんだ」
と、さみしげに言った。心なしか目が潤んでいるようだった。
でもまあ、捨てられたということは、それまで、曲がりなりにも相手にしてもらえたということやろうし、ええんちゃうん、わたしなんか、わたしなんか、相手にもされず、思いきり冷たくあしらわれただけやったで。
というようなことは言わずに黙っていた。その代わりに
「私も、昔のことよく思い出すよ、昔好きだった子のこととか、どうしてるのかな?元気かな?って思い出すよ。」
ぽつんと、ひとりごとをつぶやくように返した。
返事はなかった。
会話は、そこでぱったり、途絶えてしまった。
夫の夢の詳しい内容までは訊かなかった。
私は、作業を続けた。
日付が、元旦なので、
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
と、一応、ご挨拶をしたくなります。
思い起こせば、今年の元旦は、とても穏やかに始まりました。
わりとというか、かなり、よい元旦でした。
お天気もよかったですしね。
そういえば、2005年に、来年はもっと穏やかにしたいものだ、というようなことを記していたように思います。
その通りに2006年は比較的穏やかな年になりました。
愛の挨拶♪
私の好きな曲のひとつです。
この曲を耳にすると、なんともしあわせなきもちになります。
それもそのはず
この曲は、作曲者であるエルガーが31歳の時に婚約者キャロラインに贈るために書いた作品だそうです。
愛妻家としても知られているエルガーが、生涯愛し続けた妻にささげた作品だそうです。
素敵ですね。
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