愛より淡く
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2006年12月31日(日) 束の間の幻想

日付は、去年の大みそかですが、実際は、1月16日です。

1月5日から、休みなしで、1日10時間以上拘束され続けてきた案件がようやく一段落しました。今は次の依頼待ち。

いささか脱力気味。

年末年始に、たっぷりの自由時間を与えられた時も、かなりとまどってしまいましたが、今も、少しどまどっています。

さみしいとか、やるせないとか、せつないとか、そんな類の感情に浸る間もないほど忙しくなってしまったのは、もしかしたら、神の思し召しだったのかもしれないと思うことにしています。



昨年の約2ヶ月間の、熱に浮かされたような状態に陥ってしまった時も、
それはそれでまた神の思し召しだったような気もいたします。

「あんたそんなにカリカリせんと、ちょっと色気を思い出し」

という、神のご配慮?だったのだと思うことにします。


ありがたいことに、思春期の頃のような、なつかしい感覚を味わうことができたように思います。

そいでも、あまりにヒートアップしてきたので、また、

「あかん、そこまでにしとき」

って、また神様が・・・



なんて。

こんなふうに、また、あれこれ思い巡らせることができるようになったのは、



喜ぶべきことなのでしょうか?



2006年12月30日(土) メール王子

あいかわらず仕事に忙殺されている毎日だけど、今日とってもドキドキすることがあったので、記念に記そうと思った。

仕事の関係で、いろいろと営業のかたとメールのやりとりをしなければならないのだけれど、今日、とっても素敵なメールを拝見して、ぽーっとなってしまった。

もちろん仕事なので、色恋沙汰とは無縁のメールなのだけど、なんだかとってもチャーミングな書きっぷりに、思わずときめいてしまった。

やん。このときめきは、久しぶり?


一目ぼれならぬ、一文ぼれ?


素敵だ。素敵だ。素敵な文章をさらっと書ける人って本当に魅力的だとしみじみ思った次第。

まさに文は人なり。


まあ、そういう楽しみもないとね、やってられませんものね


彼を勝手に「メール王子」と命名しよう(あほ?)


さて、またお仕事。お仕事。と。


2006年12月29日(金) 忙しさが私を救う

何だか突然めちゃめちゃ忙しくなってしまいました。

おとといから、ひっきりなしに作業を続けています。

果てしなさ過ぎて気が遠くなりそう。

現実は厳しいです。

おかげさまで、よけいなことを考えるヒマもありません。

もちろん浮かれているヒマも、センチメンタルにひたっているヒマもありません。

作業。作業。作業。

せまるは、納期。納期。納期。

それにしても

忙しいことですくわれるってこともあるのですね。しみじみ。

そういえば、まだ洗濯物も干していません。今気づきました。

まあ、どうせ干しても、このお天気では、乾きそうにありません。

今、かなりご機嫌ななめのような風が吹いています。おっかないです。

どうでもいいですが、なぜだか、とっても箇条書き?


では再び作業を開始します。


2006年12月28日(木) 魔性の女?

引き続き、とってもヒマなので、書いては消し、書いては消しのくり返し。


恋愛体質診断というのを試してみた。

結果は、「魔性の女タイプ」と出た。


あまりにも当てはまらなさ過ぎるので、しらけてしまった。



は。


でも、でも、もしかして、本人が気づいていないだけであって、



私は、潜在的に、魔性の女なのかしら?




んな。あほな。ありえなーーーーーーい。



参考にならないので、他を試すことにしたのだった。


え?


どういう結果だったら納得するって?



そりゃあやっぱりこれですわよね。


おほほほほ。





。。。













2006年12月27日(水) 袋小路的感情

日付は、12月ですが、今日は1月4日。


こうまとまった休みをいただけるのはものすごく久しぶりで、戸惑ってしまう。思えば、昨年はほとんど休みなしで仕事にかまけていた。身内の結婚式で2日留守にした以外、なにかしら仕事していた。

本当に仕事ばっかりしていた。朝から夜遅くまで。途中、家事と休憩ははさむけど。

だから。

こんなにたくさんの自由時間をもらっても、どう使いこなせばよいのか、正直、持て余してしまっている。すなわち、とってもヒマ。


そのような状況下で、ついつい考えてしまうことといえば、



ああ、やっぱり、なんだかとっても袋小路



2006年12月25日(月) 記憶をたどって その7

夏休みをはさんで、2ヶ月ほど入院した。

夏休みをはさんだことが幸いだった。おかげで私は留年を免れた。

いくつか単位を落としたものあったけど、充分挽回できた。


新学期。

ビクビクしながら登校した。知った人に会わないように、会わないように、それだけを祈りながら登校した。


特にある人に会ってしまうことを極端に恐れていた。

もちろん、会わす顔もなかった。あるわけがない。

壊れてしまった時に数々の意味不明な迷惑をかけてしまっていることもおぼろげながら覚えていた。


ごめんなさいね。あの時の私は、病魔に襲われていて、正常な判断力を失ってしまっていたの。許してください。軽蔑されて当然です。あきれられて当然です。


と、勇気を出して、正直におわびをすべきだったのだと今でも悔やまれる。

理解してもらえようがもらえまいが、きちんとおわびすべきだったのだと悔やまれる。



でも、まだあの時は、そこまで回復していなかった。



登校するのがやっとの状態だった。


きちんとお詫びするべきだったと気づいたのは、もっとずっと後になってからだった。






それほど精神的に未成熟だった私。幼い私。許されるべきではないのだろう。


人格が未形成だったから、壊れてしまったのだと、担当医師は言う。


あの頃は、人格がまだ充分に統合されておらず、様々な人格が主人格の地位を獲得しようとして争いをはじめ、制御しきれずに壊れた。と。





「まあ、今回のことは、それまで一番に抑圧されてきた人格が謀反を起こしたのだ。くらいにと考えればいい。いずれ歳をとっていくうちに自然に落ち着くから」




あの日、担当医師は、気楽に言った。


思えば担当医師の気楽さにはずいぶんと救われた。








「記憶をたどってその6」までは


2001年10月の日記
に移動しました。


2006年12月24日(日) センチメンタル大全開の夜

「クリスマスの約束」という小田和正さんのコンサートをテレビで見ながら、いろいろと、昔のこととか思い出したりして、感慨に浸ってしまった。


最初に出会った頃のこととか。

最初に手紙を出した頃のこととか。




私は、どんなにどんなに小さなことでも

しっかり覚えているけど。


そんな昔のとるにたらないようなことは、

きっとみんな忘れてしまっているのだろうな、って思ったら、さみしくなった。


ちょうど「さっちゃん」の歌に出てくる「ボク」みたいな心境。


忘れられてしまうということは、本当にさみしくてやるせないことだけど、

どうしようもないこと。


忘れられてしまっているんだから、思い出してももらえない。





などなどあれこれ考えながら、テレビから流れる小田さんの歌声を耳にしているうちに、涙があふれてきて、どうしようもなかった。









そんなふうにセンチメンタル大全開の夜は更けていった。





2006年12月23日(土) 未練を断ち切る

一葉への未練を断ち切るために、思い切って、諭吉を手放すことにした。

すみません意味不明^^


で、珍しく早めに帰宅した夫に、諭吉を託し、買い物を頼んだ。



1時間ほど経って、諭吉は、特売のお肉やたまごやお魚やパンやお菓子や飲み物などなどに姿を変えて戻ってきた。

英世が数人ついてきたけど、夫にあげた。


もうなんでもどうでもよくなったのだ


どうせ諭吉や一葉持って死なれへんし


おいしいものいっぱい作ってそれを食べたらすっかり機嫌がよくなった


おかげさまで一葉への執着もほとんど消えていた。





。。。


2006年12月22日(金) うれしいような、さみしいような

「あたいの一葉を返せー」

って、夫にメールを送った。


ぎざぎざはあとの模様と、ありったけの絵文字を並べて送ってやった。

何せ、今日はめちゃめちゃヒマだったもんで^^


それにしても、これほどまでに一葉に執着している自分にいいかげん嫌気がさした。


何だか元に戻ってしまったみたい。


ああ、とうとう、夢から覚めてしまったのかしら?


ここ2ヶ月と半月あまり煩わされていた、例の病が完治したのかしら?





うれしいような、さみしいような








。。。




2006年12月21日(木) ひとえに風の前の塵に同じ

ふと、自分の存在価値について考える


激しく落ち込む










昨夜寝る前にまた


ひどいことを言われたので


「朝おきてなんかやるもんかいーだ、勝手に行きよし」





というような憎たらしいことを言ってしまった。


「いらんし、起きてもらったって全然役に立たんし」


って言い返された



さよか


どーせ私なんて私なんて


いてもいなくても同じようなもんなんだ


たしかにあんましなんの役にも立たないけどさ^^


それよか

あやつにあっけなくもっていかれてしまった

一葉のことばかり考えていた


一葉がいれば



栄養剤だって

ちょっとおいしいもんだって

買えたのに


壊れかけの炊飯器だって


新しくできたのに


あやつの口車に乗せられて

まんまと貸してしまった私があほだった


何度だまされたことか



勝つわけないっちゅーの

懲りないやつ


おまけに暮れやし



ああ


自己嫌悪







午前5時半


目は覚ましていたけど


きまり悪いので起きてやらなかった



いちおう真夜中におにぎりを作って

テーブルの上に置いておいたけど





出て行った後に起き出して



テーブルの上を見たら


何もなかった




持って行ったようだ












。。。


2006年12月20日(水) 浮ついている場合ではない

今年は、去年に比べれば、比較的穏やかに思えた我が夫婦仲。

しかしここに来て、派手にやり合ってしまいました。





きっかけはささいなことだったのです。


昼寝の夢見が悪すぎて(詳細は夢日記に記す)寝起きも悪く、まだ完全に覚醒しきれていなかった私もいけなかったのだと思います。


大いに反省すべきです。


でもね。


追いつめてはいけないと思いつつ、追いつめてしまうのですよね。


頭の中では、

あかん、これ以上言うたらあかん、やめておけ

って一応わかるんですが


ついつい、言ってしまうのです。


相手を怒らせるまで言ってしまうのです。

逆鱗にふれるような憎たらしいことを言ってしまうのですよね。


そういえば、小学校の時も、掃除の時に、同級生の男の子を怒らせて、ほうきで殴られそうになりましたっけ。




おかげさまで、今は雨降って地固まる状態ですけど。




やはり私がいけないのでしょう


ああ




雨にも負けず

風にも負けず


雪にも


冬の寒さにも負けず


丈夫な心と身体を持ち

穏やかでいつもにこにこ笑っている


そんな優しく愛らしい女の人に


私もなりたい





2006年12月19日(火) それくらい許されるでしょう?

情緒が定まらない時期に来ているようで、書いては消し、書いては消しを

繰り返しています。


先ほど書いたものは、2001年11月の日記に移しました。


なんでそうしたのかって?


ループだからです。(意味不明?)


情緒が定まらないところを持ってきて、この時期はテンション低めで、投げやりです。



どうでもなんでもよくなってしまう時期でもあります。



何もかもが虚しくて、虚しくて、虚しくて。


おかげさまで、例の病も、すっかり影を潜めています。



まあ、この時期が過ぎれば、元に戻るのでしょうが。



すっかり慣れっこになっています。


そうやって、好きになったり、嫌いになったり、憎くて憎くてどうしようもなくなったり、全然どうでもよくなったり、


その延々のくり返し。


けっこう忙しかったりします。


まあ、いずれにせよ、勝手にひとりで想っているだけですから


そのくらい許されるでしょう?


自分の心の中だけのことなのですから。


ほほ。





さて。



これ以上、情緒を乱さないように、この時期は、なるべく静かにしていようと思います。



2006年12月18日(月) どっちやねん?

例の病の状態は、比較的、落ち着きつつあります。


このまま完治してほしいものです。

でも、そうなれば、そうなったで

ちょっとさみしかったりして



それに、また、あの、


生活に追われて殺伐とした日々に


戻ってしまうのかと思うと


かなりウンザリ。




このまま完治せずに


永遠に熱に浮かされたように、


夢見心地でいたい気もします。



2006年12月16日(土) ある意味究極の告白?

このような状況に陥ってしまう前の私は、


生活に疲れきっていた


頭の中は、諭吉や一葉や英世のことでいっぱいだった



寝る前も必ず、考えていた


諭吉や、一葉、英世のことよ^^


彼らをひとりでも多く増やすことを

彼らをひとりでも多く残すことを


あれこれ考えながら


眠りにつく日々だった。


なんともやりきれなくて辛くて苦しい日々だった



それほど


私たちの生活は貧窮していた


小銭単位のことで


いつもイライラカリカリしていた


ひまさえあれば、ワンクリックで、0.2円くらいにしかならない、

リードメールをクリックするのに躍起になっている日々でもあった





ホレタハレタ


などというものとは、まさに無縁の世界。


色恋沙汰とは、はるかはるか離れたところに身を置くようになってから


はや、5〜6年が経過していた。(やや曖昧)






恋愛運?け。関係ないし パス。パス。




と、いつも占いの恋愛運のところは飛ばして読んでいた



興味があったのは


金運と仕事運ばかりなりけり



そんなそんな私が




いったいどういうことだろう?




このところ


仕事運、金運そっちのけで、



ついつい、恋愛運を、まっさきにチェックしてしまったりしている


ラッキーアイテムなんかも意識して、しっかり取り入れてみたりして(あほ)


無意味であるとわかっていても


で、ある。



気づくと



諭吉や、一葉や、英世への執着も消えていた



ある意味すくわれたのかもしれない


このような状況は


確かに


せつなくて、やるせなくて、もどかしいけれど



少なくとも




四六時中


諭吉や、一葉や、英世のことで頭がいっぱいだった



あの頃よりは



ずっと、ずっと



健康的?








。。。


2006年12月15日(金) 恋とかなしみの道行き

日曜日くらい仕事を休もうと思った。

なんだかやる気もいまひとつだったし。


で、「ニシノユキヒコの恋と冒険」を読破した。

ニシノユキヒコは、きちんと真面目に会社に行っている折り目正しい商社マン。しかもなかなか優秀。それでもその本質は、風来坊。

ただの風来坊でないところが魅力なのだろうなあ。と思いながら読み進めて行った。

少年時代、学生時代、社会人時代、そんな感じで、年代ごとの「ニシノユキヒコ」と関った10人の女性が、それぞれ語り手となって登場する。

最初の「パフェー」は、20代後半の人妻。ちなみに、彼は、その女性には、「ニシノさん」と呼ばれていた。その「ニシノさん」が40代の時の、その女性との恋のお話だった。

次の「草の中で」は、14歳の西野君として登場する。その「西野君」と同級生の女の子が語り手。

ちなみに大学時代は、「西野くん」として登場。語り手は、高校時代の先輩。

「ユキヒコ」と呼ばれていたのは、3つ年上の職場の上司と恋仲になる30代。
会議室で、ふたりして、いけないことをしてしまう。

すごい女たらしだけど、全然憎めなくて、いくつになっても子供ぽくってチャーミングだから、女の人が放っておかない。だけど、最後は、女の人に去られてしまう。


晩年(50代)に、18歳の女の子を、本気で愛するようになったところで、

THE END。


「果てしなくしょうもないニシノの生きようが、切なく胸に迫る連作短編集」と、本の裏に記してあった。

「果てしなくしょうもない」って、いうのが、言いえて妙だった。





2006年12月14日(木) 独白

自分でも、よくわからないのです。





様々な思いが錯綜しすぎて




錯綜しすぎて



錯綜しすぎて


。。。


2006年12月12日(火) 振り向いてもらえないまま・・・

それにしても


いったい 私は


どこまで空回りを続ければよいのでしょう?






ふと今

ある映画のラストシーンが浮かんできました。


私はその映画を一度も観たことはないのですが


その衝撃的なラストシーンを

高校の時、同じ軽音楽部の友人から教えてもらったこ

とがあるのです。



ヒロインが

もう二度と会えないものとあきらめていた

愛しくて愛しくてたまらない人


偶然に

人ごみの中で見つけるのです



必死で

呼び止めようとするのですが


声が、声が出ず、


声の出せないまま


発作が起きて


彼女の心臓は止まってしまうのです




最後までその人の後ろ姿に向かって手をさしのべながら、

その場に倒れこみ、息をひきとってしまいます



ああされど

その人は、彼女に全く気づかないまま


しだいに

彼女から遠ざかり

人ごみの中に消えていってしまうのです




THE  END





って、実際観たわけではないので


私は、友人から聞いた話を

そんなふうに勝手にイメージし、脚色してしまったのですが。


それでも私にとって

観たこともないその映画のラストシーンは

どんな映画よりも

衝撃的で

くっきりと

鮮やかに


心に刻まれた


ラストシーンになってしまっています。









。。。


2006年12月06日(水) 突然、あまりにも、突然に

妙な感情に支配されています。


切ない。切ない。切ない。

やるせない。やるせない。やるせない。

もどかしい。もどかしい。もどかしい。


なんとかしてくれーーー。


って、叫びたい。



やはり、もうこれは、お医者様でも、草津の湯でも、治せないという


例の病?










。。。


・・ MAIL

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