愛より淡く
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2004年05月16日(日) あの時の潔さは我ながら小気味よい快感

Iさんは、全然普通に話をするので、こっちは本当に面食らってしまった。

Iさんの話によると、3人は相当飲んだみたいだった。

「なんだかねえ、2人とも酔っててね。私がお風呂から上がってきたら
ベッドの狭い隙間に2人で向き合ってVの字の形で寝てるんだもの、どうせならちゃんとベッドに寝ればいいのになんて思って・・・」

というようなことをIさんは言った。

そしてそのままの形で朝まで寝ていたので驚いたというようなことを話した。

なるほど2人は泥酔して意識を失うようにそのまま眠ってしまったようだった。


その人は、泊まるつもりはなかったようで、いきがかりじょうそうなってしまったようだ。


それでも今思えば、あの時のことは、その後の伏線のようなものになっていたのだった。




それから、私は、IさんとAさんといっしょに新幹線に乗った。

その人は東京にある実家でもう一日ゆっくりしていくということで

私たちは東京駅で別れた。


別れ際に、その人は私たちに、せっかくだからいろいろ案内しましょうか、と言ってくれた。

でも、Iさんが

「いいよ、君も疲れているんだから、実家に戻ってゆっくり休んで」

と言ったので

結局やはりそこで別れることになった。

そしてそれがその人との最後になった。


新幹線の中で、私はほとんど放心していた。

Iさんたちは、神戸で降りた。

2人が席を立つ時

この2人は、これからもいつだって職場であの人に会えるのだなあ

というようなことをぼんやりと思いながら、別れのあいさつをした。

「お元気で」


それから私は新大阪で降りた。

地下鉄の中でふいに向かいの窓ガラスに映る自分の姿を見たときに、急にこみあげてくるものがあった。

こんなところで泣くわけにもいかず

ひたすら耐えた

耐えて耐えて耐えて

どうにかこうにか耐えぬくことができたと


ほぼ同時に

ある決意も固まっていたようだ


それは


その人への思いをきれいさっぱり断ち切る


というような決意


その人のことは金輪際一切考えない

思い出そうとしたら素早く打ち消すこと

とにかく一刻も早く

私の中から抹消すること


それあるのみ



振り返らない

未練を持たない


完全に断ち切る



そういう確固たる自らの強い意志でもって

思いをきっぱり断ち切ることができた対象は

その人だけだった







2004年05月15日(土) 祝賀会の夜はふけて・・・

その人は、営業所の人たちとひとかたまりになるように、いた。

なつかしい顔ぶれがそろっていた。お世話になった同じチームのリーダーやサブリーダーや先輩たち。

とあるアパレル会社の社長に、「彼女は天性の営業ウーマンだ」と絶賛された、我が憧れの先輩Iさんもいた。

私は彼女のテリトリーを引き継ぐことになって一ヶ月ほど引継ぎでいっしょに行動を共にしたことがあるのだけど。彼女は、ちょっと浮世離れした感じの、笑顔の美しいチャーミングな人だった。成績は常にトップだったけど、いかにもやり手のバリバリキャリアウーマンという感じが全然しなくて、本人にそういう気負いがないせいだと思うけど、ずごくナチュラルで素敵な人だった。

それから私のひとつ先輩にあたるAさんもいた。彼女もIさんにあこがれていて、Iさんを目標していた。目標にしているだけあって、雰囲気がIさんにとても似通っていた。

またAさんは、私が密かに恋焦がれていたその人と、同期だった。

IさんとAさんとその人は、3人で談笑していた。

私も3人とふたことみことくらいは言葉を交わしたと思う。
印象に残らないくらいの他愛もない会話だった。

「どう?がんばってる?」

「ええ。まあ」

そんな感じの。

だけど私はそのあとすぐに同期の人たちと合流して飲みにいかざるをえなくなってしまった。

ほんとうは、その営業所の人たちといっしょにいたかったのだけど。


同期のみんなたちが、盛り上がる中、私は上の空で、その人のことばかり考えていた。


関西方面から参加した面々は、泊まっているホテルがみな同じだった。

だからロビーとかで、また会えるかもしれないと思った。

飲み会が終わってホテルに戻ったら階段のところで、本当にちらっとだけ会えた。彼はその時、IさんとAさんといっしょだった。



中略


翌朝、私はまたIさんとAさんとその人に会って、いっしょに朝食をとった。


その時私は、Iさんから

とんでもない事実を知らされることになった


2004年05月14日(金) もっと恋せよ営業レディ  いざ祝賀会

祝賀会は、東京のとあるホテルの大広間で行われた。

全国から集まってくるので、広間はものすごい人だった。

化粧室で、同期の子に会った。以前日記にも書いたことがある、妖艶で色っぽい女の子だ。研修以来の再会だった。彼女は研修の頃より、妖艶さと色っぽさがパワーアップされているように感じた。

ふとあたりを見回すと、おとなのいい女(付け焼刃あり?)たちが、いるわいるわ。

まさに百花繚乱

さすが祝賀会、どの女性もしっかり気合いが入っていたのだった。

うちの営業所からも、私を含む3名の女性営業が参加した。

2人とも思いっきり気合いが入っていた。

そういう私はどうなのかというと、それは自分ではわからない。

ただ自分の限界に挑戦した気合いの入れようだったことだけはたしかだ。



私は、大勢の人の中、その人を探しはじめた。




2004年05月13日(木) もっと恋せよ営業レディ その3 おとなのいい女

要するに私はその人にとって恋愛対象外なのだった。

その人にとって私は、同じ職場のけったいな後輩。

そんなところだろうか?

たぶんその人が求めていたのは、ずばり「おとなのいい女」

おとなのいい女

遠い。それは私にはあまりに遠かった。どう背伸びしても届きそうになかった。

おとなのいい女

目指したところで、努力と根性でなれるようなものでもないだろうけど。

おとなのいい女

そういう女は、少なくとも歩きながらハナウタで「10人のインディアン」は唄わないだろう。

おとなのいい女

正直どういうのがそうなのか、いまいちようわからんかった。

ただ漠然としたイメージだけはあったけど。


不思議なもので、私のように片思いばかりしていると、この恋を実らせたいとか、相手に振り向いてほしいとか、そういう要求がずいぶんと希薄になってしまうようで、その人にただ恋焦がれているだけでもう充分満足してしまうようなのだった。


だから私は祝賀会で、その人にただひとめ会えさえすれば、もうそれでよかったのだ。


それでも祝賀会に向けての気合いは、充分入っていた。

私はその日のためにありとあらゆる努力をした。

祝賀会で再会したその人の目に、少しでも自分が美しく映るように。

私なりに可能な限りせいいっぱいの努力をしたのだった。


名づけて、

「祝賀会に向けて、目指せスーパービューティフルないい女プロジェクトEX」







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あほかしら?


それではまたね〜。





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ありがとうございました









2004年05月12日(水) もっと恋せよ営業レディ その2

その人は別の課に所属していて、私たち営業を、より専門的な知識でもって、サポートしてくれる人だった。

東京出身で、どことなく洗練されていて、話し方がとてもスマートだった。

私は、その人に対して、最初興味もなにもなかったけれど、一緒に仕事をしているうちに、次第に惹かれていった。という感じ。

恋とは、だいたいそんなふうにして始まるものなのかもしれないけれど。

私は、いつも直感で好きになる、というか一目惚れするタイプだったので、いつのまにか好きになっていたということがあんまりなくて、その人を好きになったパターンは、珍しいケースでもあった。

といっても、私は自分の気持ちを相手に伝えたりすることができず、自分から積極的なアプローチなどできるはずもなく、それどころか自分の気持ちを悟られるのが気恥ずかしくて、逆に素っ気無い態度とかとってしまったりした。

「私は貴方のことなんてなんとも思っていないのよ、ふん」っていう態度をついついとってしまうのだから、もう最悪。

思うに、私は、生まれついての「片思い体質」なのかもしれない。

そういえば、片思いで終わってしまう恋の多かったこと多かったこと。
ほとんどそればっかりだった。よよよよよよよよ。むせび泣き。


それでも、その人とは仕事でいっしょになれる機会が多かったので、それなりに充実していて楽しかった。
いろいろ打ち解けて話せるような間柄にもなれたし。冗談とかも言い合えるようになれたし。


当時の私は、歩きで外回りをしていた。テリトリーは神戸市中央区だった。

今は地名が変わっているかもしれないけど。

毎日毎日、重い鞄を持って、主に神戸のフラワーロードとトァロードを行ったり来たりしていた。

たまに足を伸ばして神戸税関あたりまで行ってみたり、波止場をうろうろしたり、歩くことはそれほど苦にならなかった。

ちょっと疲れたら、神戸地下街にもぐってお茶したりしていた。


そんなある日、私がハナウタで「10人のインディアン」を唄いながら

花時計の前を歩いていた時のこと。うしろから、その人にワーーーって驚かされたのだ。

びっくりした。心臓が止まるかと思った。

テンリトルインディアンズボーイ♪のところで

いきなり、ワーーーだもの。

あんまり私が驚いたので、その人はケラケラと笑っていた。

思うに、いたずらっ子で茶目っ気のある人だった。

仕事の時は、そういうところをおくびにも出さず、いたってクールな切れ者という感じだったので、そのギャップがなんとも新鮮だった。


「なんかしょんぼりしながら歩いてたからさあ、こいつ、また契約決まらないのかな。って思って、励ますつもりでおどかしてやったのさ」

というようなことをその人は言った。

「しょんぼりなんかしてませんよ。機嫌よくハナウタ唄って歩いてたくらいですから」

「なに?なに唄ってたの?」

「10人のインディアンですよ。ワンリトルツーリトルスリーリトルインディアンって、なんか楽しくなりません?」


なぜだかそのことがその人には大いにウケたみたいで、その人は「そりゃあ傑作だ」と、しばらく笑っていた。




そんなふうなやりとりが何度かあったある日



私は、まじまじとその人に見つめられて、しみじみと








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ありがとうございました



2004年05月11日(火) もっと恋せよ営業レディ

独身OL時代の私は、お気楽でぼんやりしていた。

いわゆる有能でバリバリ仕事ができるキャリアレディとは程遠いところにいた。

仕事は営業で、絶えずノルマに追い立てられていたけれど、さほどプレッシャーを感じることもなく、ずいぶんとのん気にしていた。

ノルマ?別に私はなんでもええしどうでもええわ。

そんな感じでヒトゴトみたいに考えていた。


自分に対しても人にも対しても仕事に対しても、全然厳しくないアバウトでルーズな人間だった。


ノルマは前期後期に分けられていて、両方のノルマを達成できた者だけが年に一回開かれる絢爛豪華な祝賀会に出席できた。


私には、当時密かに思う人がいて、私の転勤と同時に離れ離れになってしまったけれど、その人に会える唯一のチャンスがその祝賀会だった。


ふだんは無気力でぼーっとしていた私だったけど、その時だけは、その祝賀会に出たいがために、ガゼン頑張り出したのだ。

別人のように頑張った。なにかにとりつかれたように数字だけを追いかけた。

そしてあと一件でノルマ達成となったとき

毎日毎日、その最後の見込み客を訪ね、なんとか契約してもらおうと粘りに粘りに粘った。


しまいには、その企業の担当者に根負けされて

「この間ついに夢に貴女が出てきたわ。夢でまでお願いしますって通ってこられてはもうかなわんわ」

と苦笑いされて、契約をもらえることになった。

ありがとうございます!!ありがとうございます!!

私は、感激にうちふるえ、目をうるませながら、何度も何度もその担当者にお礼を言い、深々と頭を下げた。


契約書にサインをもらって、会社に向かう途中

感極まって泣いてしまった。







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思えば、祝賀会までの10日間ほどが、いちばん楽しい期間だった。




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ありがとうございました





2004年05月10日(月) 真夜中のフッティングヘルス


百円ショップで買った、フッティングヘルス(青竹踏みボード)をお風呂上りに踏んだ。

黙って踏むのもなんなので、唄いながら踏んでみることを思いついた。


人生楽ありゃ苦もあるさ〜♪

涙の後には虹も出る〜♪

歩いて行くんだしっかりと

なんとかなんとか踏みしめて〜♪


歌詞のわからないところは、なんとかでごまかしながら唄った。


こんな真夜中に台所の片すみで青竹踏みをしながら水戸黄門の主題歌を歌うことは、果たして楽しいことなのか、わびしいことなのか、おかしいことなのか

よくわからないままに、二番も唄いながら踏み続けた。



人生勇気が必要だ〜♪

なんとかなんとかなんとかで〜

あとから来たのに追い越され
泣くのがいやならさあ歩け〜♪


そんな私のすぐそばで、夫はソファーで足を組みながらふんぞり返って
熟睡していた。



ついでに「365歩のマーチ」も歌おうかと思ったけど

なんか突然虚しくなって、









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ありがとうございました















2004年05月09日(日) 潮時

潮時というタイトルの日記を書いてUPしたつもりなのに、どこかに消えてしまった。へんなの?


どんな内容かというと、毎日新聞のマーク矢崎の星占いはよく当たる。ということ。少なくとも私には、あまりにもよく当るので驚いている。

今朝は、「何かの潮時がありそう。潔く撤退が次の幸運の鍵となりそう」

なんてことが書いてあった。

潮時っていったいなんの潮時なのだろう?

漠然としすぎてよくわからない。

なにを潔く撤退すればいいのだろう?


2004年05月08日(土) あの素晴らしい愛をもう一度

ほの暗い坂道の10メートル先を

好きな人が歩いていた


私は彼の後をつかず離れずついていった


10メートルほどの距離も保ちながら

彼が私に気づいているのかどうかわからなかった


私の心ははずんでいた

はずみながら、ある歌をくちずさんでいた



あの時同じ空を見て

うつくしいと言ったふたりの♪

ココロとココロは〜♪

今はもう通わない

あの素晴らしい愛をもう一度♪


繰り返しのところで

好きな人も唄い出した

こちらをふりむかず

前を向いたままだったけど


あの素晴らしい愛をもう一度♪


2人で声を合わせて唄った


何度も何度もくりかえし唄っていた


あの素晴らしい愛をもう一度♪


の部分だけ。


うれしかった


たのしかった


好きな人がつぶやいた


「どうでもええけど、えらい古い歌やなあ」


ほんまや、なんでまた?

いったいなぜにそんな歌が出てきたのだろう?

おかしくて笑ってしまった



笑いながら笑いながら


とても清々しい気持ちで目が覚めた


楽しい夢には違いなかったけれど


ただ一点残念なのは







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夢の中だけそうであるのだと思い込んでいた


なつかしいのには違いないけど



不思議





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ありがとうございました










2004年05月06日(木) 回想電車はバックで進む

回想電車の窓から見える景色は


セピア色で


この目に映るものは全て


なつかしいものばかり



回想電車に乗って

過去へ過去へと旅したい




私はどの駅で降りようか?









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まだ

なにも失わず

なにも壊れず

傷跡が残らない程度に傷つくだけの




一等平和だった頃







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ありがとうございました




2004年05月05日(水) 彼は今でも詩人だろうか?

学生時代よく梅田の紀伊国屋書店の前で待ち合わせをした友人がいた。

友人は、私が来るまで壁にもたれて本を読んでいた。

時には、あまりに本に夢中で私が来たことにも気づかないこともあった。

その時、友人が夢中で読んでいたのは私が薦めた本。梶井基次郎の短編集。

ものすごく気に入ってくれたみたいで、薦めがいがあったと、私もうれしかった。


その友人とは、私が山川方夫の「安南の王子」を薦める前に別れてしまった。



2004年05月04日(火) 感傷的な婚前旅行の帰り道

結婚が決まった時、当時ひとり暮らしだった夫の部屋に一度だけ、寄ったことがある。

二階建てのアパートで、ドアを開けるといきなりこの目に飛び込んできたのは、台所のガスコンロの上にあるフライパンだった。チャーハンかなんか作ったみたいで、洗わずにそのまま放置されていた。フライ返しが乗っかったままのフライパン。

それから次に目に入ったのは、台所のすぐとなりの部屋のぺしゃんこになっている万年床。

布団の近くに無造作に置かれた電話機。散乱する雑誌。

記憶にあるのは、すでにそのくらい。



「あのさあ、こんな汚いところで申し訳ないんだけど、」

と、その時の夫は、本当にものすごく申し訳なさそうに、そして遠慮がちにあることを切り出したのだ。


うそ、あの万年床で?

いまから、あの万年床で?

しかも、こんな明るい昼間から?







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ありがとうございました



2004年05月02日(日) カバトットと美少女姉妹

カバトットで、小学6年生の時の同級生のことを思い出してしまった。

彼女は、りかちゃん人形によく似ていて、学校でも評判の美少女だった。また二つ下のその妹が、姉に輪をかけたような美少女だった。

当然2人は巷で噂の美少女姉妹だった。

私は、その姉妹と、ひとなつだけ一緒に夏期講習会に通ったことがある。

いつも駅で待ち合わせして、いっしょに電車に乗って通っていたのだ。

あの頃の私は、彼女たちといっしょに電車に乗っているだけで、子供心になんかいつもドキドキしてしまっていた。照れくさいというかなんというか、こんな美少女姉妹と仲良くなれて、ちょっと誇らしいというかなんというか。うまく言葉にできないサマザマな感情を持て余していた。
なんだったのかしら?


姉妹は、いつも素晴らしく可愛い服を着せてもらっていた。「今朝は、あの子たちいったいどんな格好で来るのかな?」と私は毎朝彼女たちのファッションが楽しみだった。

生きている着せ替え人形、まさに呼吸するリカちゃん人形のような姉妹だった。

それでもどちらかというと私は妹の方が好みだった。あの頃の彼女は、私にとってほとんど奇跡だった。世の中にこんな可愛い子が存在するなんて、と信じられなかった。

そう思っていたのは、私だけではなかった。少なくとも当時私といちばん仲のよかった子(実は例の友人)もそう思っていたようだ。

「なあ、なんであの子らあんなに可愛いのん?特に妹、おかしいよね。可愛すぎるよね。思わへん?」

なんて言っていたもの。

たしかに、あの姉妹の可愛らしさは、人間離れしていた。


姉の方の名前は出てくるけれど、妹の方の名前がどうしてもどうしても出てこない。

容姿にあまりにぴったりのものすごく可愛い名前だったことだけはたしかだ。


なんで今頃そんなこと思い出しのかは、よくわからないけれど。しかもこんな真夜中に、カエルの鳴き声もまばらになりつつある真夜中に。



キーワードはやはり、カバトット?



彼女たちが、そのアニメ「カバトット」を見てよく泣くと言っていたから。


思い出したのだろう。


か?



だけど、なぜに、カバトット?



あ、ついにカエルの鳴き声が止まった。



おやすみなさい





2004年05月01日(土) 回想電車の車窓から

そういえば、ここの日記、滞っていますね。

いろいろ思うところがあるようで、ないようで・・・。


例の友人の恋は、あっけなく、幕切れとなってしまったみたいです。


「人間の驚愕の顔ほど恐ろしいものはない。まるでムンクの叫び状態だった」

という、ただそれだけの謎めいた?メールからこっち、ぷっつり連絡が途絶えています。

それ以上の情報は今のところなにもなし。詳細は不明。

たぶん、彼女は、元気です。


私はといえば、特に可もなく不可もなく。

微妙に、何かが、変わりつつあるようですが。

例えば、このところ、妙に昔が恋しく、なつかしくなったりしています。


まるで過去へ過去へとさかのぼる回想電車に乗ってしまったような気分です。





テンションがヘンなので、寝ます。

ただいま、午前2時45分


おやすみなさい。











・・ MAIL

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テキスト庵さん