愛より淡く
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2003年12月31日(水) 心おきなく年の暮れ

よいお年を

なんとか必死で帳尻を合わせることができたような

できないような

朝からとりつかれたように掃除をした。


気になるところ、みんな、した。


なんかすごく疲れたけれど


ものすごい充実感


終わりよければ全てよし


来年は、もうすぐそこ。ってあと数秒後くらい?




よいお年を!!!!


2003年12月11日(木) 待っている女

待っている女


という歌のタイトルがあったようななかったような

たしか五木ひろし?


古い記憶だ。



今日は、もう、2004年1月2日



そういえば


私は、「夜空」という歌が好きだ。



ねよっと。


ぐっどない♪


2003年12月10日(水) イヤというほど身に染みて・・・

いやはや、ひどい目に遭ってしまった。

この三日間ほとんど眠っていた。よくもまあこんなに眠れるものだと我ながら感心するくらい眠ってしまった。処方してもらった薬のせいもあるのかもしれないけれど、とにかくだるくて、起きていられず、横になるといつのまにか眠ってしまった。

ある時、目が覚めると、汗をびっしょりかいていたので、これはすぐに着替えないとと思い、立ち上がるとめまいがした、ものすごい気持ちの悪さだった。がまんしながら、階段をおりて、着替えのある部屋に行くと、そこの入り口で立ったまま、一瞬意識が遠のきかけた。

筆舌に尽くしがたい気持ちの悪さだった。

このまま倒れるわけにもいかないし、かといって、立ったまま意識を失うわけにもいかないし、どっちつかずで、カラダも迷っているようで、ふらふらふらふら、ただただ立ったままカラダが左右に揺れていた。

目の前は、くらくらくらくら回っていた。

そんな気持ち悪い中で、なぜか京都の景色が脳裏をよぎったのだった。

金閣寺にうっすらつもる雪の美しかったこと!!

なんだったんだろうあれは?

一瞬の蜃気楼のようなものだったのか?全くのなぞ。



そのうち苦しさは、ピークを迎えたようだった。

あんな苦しい思いをするくらいなら、いっそ気絶していた方がましだと思えるような苦しさだった。


「たすけて、たすけて、たすけて」

声にならないようなか細い声で、たすけを求めたけれど、

夫は、助けにきてくれなかった。

それもそのはず、夫もとなりの部屋で、高熱を出してうなっていたのだった。


しかたがないので、ふらふらになりながら、なんとか下着を着替えた。

そのつらかったこと、気持ち悪かったこと、心細かったこと。時間のかかったこと。


結局、にんげん、いざというとき、頼れるのは自分しかいないのだ。

とあらためて、思った。


しかしよりによって2人とも、風邪でダウンするなんて。

これでは、看病することもしてもらうこともできないではないか。


間が悪いというかなんというか。


今年最後のゴミ収集車も行ってしまった。


大掃除で大量に出ると予想されるゴミたちは、年を越すことになった。


とほほとほほの年の暮れ。







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あーもっともだ。もっともだ。






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ありがとうございました



2003年12月08日(月) さんざんなクリスマス 救急車に乗って・・・

救急車に乗ったのは、たしかこれで、4度目だ。

一度目は、とある喫茶店のトイレにたてこもって騒ぎを起こしてしまった時のことだった。


二度目は、社員旅行で行ったスキー場で、全身の筋肉痛が全部頭に行ってしまい、のたうちまわるような強烈な頭痛に襲われた時のことだった。


三度目は、サバに当たった時のことだった。


しかし今回は、付き添いで乗った。


二男が、おかしくなった。わけのわからないことを口走り、白目をむき

錯乱状態になってしまった。てっきり高熱で頭をやられてしまったと思った。

私は、二男を抱きしめて、なんとか落ち着かせようとした。

「ごめん、ごめん、おかあさんがもっと早く病院に連れていけばよかったんやね。ごめんな。しっかりしてしっかり気をもって」

それでも錯乱はおさまらなかった。


「救急車、救急車呼んで、○○ちゃんがおかしなってしもた!!」

あわてて、夫と長男が二階にあがってきた。

夫が救急車を呼んでくれた。

救急車が到着する頃には、二男は、少し落ち着いていた。


中略


午前3時ごろタクシーで帰宅した。



それにしても、我が子のあんな恐ろしい形相はもう二度と見たくない。

小学校の時に通っていたそろばん塾でよく読んでいた楳図かずお氏の漫画
の登場人物のような、おぞましい形相だった。

ああ今思い出しても、背筋が寒くなる。


今は、落ち着いている。熱も下がって元気も取り戻しつつある。


本人は、錯乱した時のことをうっすら覚えているようで、

「ぼくが地球になって、たらば蟹と戦っていたんだ」

とわけのわからない説明をしてくれた。




今は、夫が高熱を出して寝込んでいる。


そしてさっき、夫に頼まれて、どうしても断りきれずに







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あかん、しばらくうなされそうだ。






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ありがとうございました









2003年12月07日(日) ドラマチックレディMの思い出

学生時代、友人にクリスマスコンパに誘われたことがある。でも私はどうも気が進まなかったので、断ってしまった。別にほかに用事もなにもなくて断る理由もないのに、そうしてしまった。そして私はその年のクリスマスもひとりでぼんやり過ごしたのだった。

しかし、そのコンパに参加した友人は、そこで未来の伴侶を見つけた。当時からエリート予備軍の申し分ない相手だった。

さらにその友人は、そのクリスマスコンパに参加したことで、その後のキャンパスライフをよりドラマチックなものにしていった。

もっとも彼女の場合、まるで生まれつきドラマチックな人生を約束されているかのように、それまでの人生も充分ドラマチックだったので、どっちに転んでもその後もドラマチックな展開が待っていたに違いないとも思うけど。

当時の私は、なんで彼女ばかりに、これでもかこれでもかというくらい、ドラマチックな出来事が次から次へと起こるのだろう?って不思議でしょうがなかった。そして、うらやましかった。

かくいう私は、それまで生きてきて、ドラマチックな出来事とはあまりに無縁だった。どちらかというとひたすら地味で波風の立たない人生を平々凡々と生きてきた。


まあ、そのようなエリート予備軍が集うクリスマスコンパに参加しないということじたい、無意識のうちにどこかでドラマチックな展開を避けてしまっていたような気もするのだけど。


2003年12月06日(土) 愛しい人と過ごすクリスマス

今まで生きてきて、クリスマスの楽しい思い出がひとつもない私。

無理に思い出せば、いくつかはあったのかもしれないけれど、そんなことをしてようやく思い出せる程度の「楽しさ」なのだ。


今、ふっと脳裏をよぎる思い出といえば、大学主催のダンスパーティで、異国の留学生と踊ったこと。(たしかインドかメキシコかアフリカあたりのかただったと思うけれど。)その人は、私を見つめて、瞳をキラキラ輝かせながら、カタコトの日本語でささやいてくれたっけ。

「アナタキライデスネ」←?????


友だちのお供で、友だちの彼氏とその友人の4人で行った場末のスナックのくじびきで一等賞が当たったこともあったなあ、(たしか温度計つきセザンヌの複製の静物画だった。しょうもないもんだったけどしばらく部屋に飾っていた。目にするたびにその日のことを思い出した)

まあそのくらい。でもそれらは、どちらかというと「わびしい思い出」の部類に入る^^。


ああ、私も一度でいいから、愛しい人といっしょ過ごすクリスマスの思い出がほしかった。



2003年12月05日(金) 泣いて泣いて泣いて泣いて 真夜中の修羅場 

まだ少し胸が苦しい。背中も痛い。

あまりにたくさん泣くと、人は、呼吸が困難に陥るものなのだろうか?


泣いて泣いて泣いて、泣いて泣いて泣いて泣いて

気がつくと、息が苦しくなって、意識が遠のきそうになって

やっとの思いで、

た・す・け・て、と声を出したけれど

無駄だった


私は、廊下に倒れこんだ。


詳細を記すことはまだできそうにない。

それは、まだ生々しい傷口をえぐることになる作業だから

少し時間を置かないと、きっと無理だろう。


そういえば、昔よく聴いていた歌の文句にあったなあ


わたしは♪傷ついて息もできないほど♪


って


なんでここまで傷つく必要があるのだろう?



いたたまれなくなった私は、真夜中、家を飛び出した

泣きながら歩いた


上を向いて歩く余裕もなかった


だから涙はこぼれっぱなし


あほみたい



はるか遠くの家々に、ぽつぽつと明かりが灯っているのが見えた。


こんな時間にまだ起きている人がいるんだということが

私の心細さを少しだけ、ゆるめてくれた



もちろん、後を追ってきてくれるはずもなく

そんなドラマチックな展開は、わたしの現実には、ありえないのだと


わかっていた、わかっている



ほらね


うしろをふりかえっても



誰もいない














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相討ちだっちゃ。










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ありがとうございました










2003年12月04日(木)  予期せぬ反応

さっき夫が帰宅した時、思い切って、メールのことを伝えた。


2003年12月03日(水) メール音痴?

昨日は、雪が降っていて、子どもたちは、近所の「バババーババー(おばあちゃんの愛称?)」のところに行っていて、家の中には誰もいなくて、暗くて、さみしくなったので、昼寝をした。


目が覚めたら、もう真っ暗だった。階下に人の気配がした。

耳をすませていると、米を研ぐ音が聞こえた。

夫が帰ってきていたのだ。夕飯の支度をしてくれているようだ。

起き出して下に行くと、台所があたたかくて明るかった。ので気持ちがなんだかほわっとなった。

テーブルの上に、おでんの材料がおいてあった。


彼の作る冬のメニューといえば、おでんか、カレーか、お鍋くらいのものだった。

大根を大量に切っていたので

そんなにたくさんはいらないので、少しぬかづけ用に回してもらった。

切ったあとだったので、いちょう切りにされた大根をぬかにつけていった。


夫は今まで、ぬかづけは、細かく刻んでつけるものだと思っていたようだ。

ふつうは、ある程度大きいままつけて、後から刻むんだよ、ということを伝えた。

細かく刻んでからつけたほうがすぐにつかるのに

と言っていた。なるほど。

こんなふうに書くと、なんか夫婦のごくごくありふれた日常のやりとりみたいだけれど。


やはり違う。私は、夫に対して不満をいっぱい抱えている。

抱えきれなくなってメールを送ってしまったくらいだ。

しかしそのメール、今思えば、あまりにも幼稚で意味不明な文面



2003年12月02日(火) 壊れる前に上る階段

朝、起きて、下に行くと、夫は、もういなかった。

また例の場所だ。

なんともやりきれない気持ちになった。

まあ、いつものことといえばいつものことだけど。


こんな休みの光景、もう、うんざり。もう、たくさん。


限界をはるかに超えてしまっていた。


なんとかしなくてはと思った。


なにか行動を起こさなければ何も変わらないだろうし

行動を起こしても、たいして変わらないかもしれないけれど。

なにもしないよりは、ずっとマシ。

そう思ったのだ。


そこで、思いついたのが、「夫にメールを送る」ということ。


といっても、彼はアドレスを持っていないので、私が作った。

以前に作ったやつは、ぜんぜん使わなかったので、無効になってしまっていたし。


フリーメールなので、夫にIDとパスワードを教えて、のぞいてもらえさえすれば

あとは万事休す、おっとちがった、万事OK。


気がせいていたので、ほとんどなにも考えずに、ほぼ無意識に作ってしまったアドレスだけど

そのアドレス名が私の深い苦悩?を象徴しているようで






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もうすこし考えればよかった。

でも、それしか浮かばなかった。


返事くるかな?




それにしても寒い。

窓の向こうは、大雪だよ。

吹雪だよ

気が遠くなるほど

真っ白だよ










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ありがとうございました




2003年12月01日(月) 互いに深くわかりあえる相手

「こんなに広い世の中に、もっと、お互い深くわかりあえる相手が、いるような気がする。できることなら、そういう人と穏やかな余生を送りたいわ〜」というようなことを言ってみた。


「それはない、ない、ない、あんたとわかりあえる相手なんてこの地球上にはいないわ。いるとしたら、宇宙人や」


さらに


「そして、ピポパ、ピポパポパポパポ。パパピプポ。って宇宙人があんたのいうこと聞いてうなずくんや、あはははははははははははは」

そう自分で言って自分で受けて笑っているのだった。


この人は、なんでそこまでひどい冗談を言うのだろう。哀しくなった。

でも一番哀しいのは、つられてて笑っていた自分自身かも。




・・ MAIL

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テキスト庵さん