愛より淡く
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2003年01月31日(金) 私が壊れるに至るまで その5 美しい人

しばらくは安静にしていなければならず、トイレにも行けなかったので、看護婦さんが導尿に来た。

導尿に来た看護婦さんは、後に私たち新米ママたちの間で話題になるほどの美貌の持ち主だった。非常に長身でスーパーモデル並みのナイスボディだった。

そのような美しい人に導尿してもらう時、私は恥ずかしくてどうしてよいかわからず、真っ赤になってドキドキしていた。

美(び)・ナース。私は、彼女のことを密かにそう呼んでいた。彼女には、その5日後に非常に迷惑をかけることになる。







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その4「汚れた手」


すっかり朝になる頃、私は病室に戻された。

6人部屋だったけれど、ひとつひとつのベッドの周りは、カーテンで仕切られていた。

すでに朝の食事が用意されベッドの横の引き出しつきの台に置かれていた。

私の子供をとりあげてくださった助産婦さんが、私の様子を見に来てくださった。二言三言、何かお互いに言葉を交わしたように思うけれど、もうよくは、思い出せない。

ただ、彼女が、朝食のトレーの上の食パンを見て、

「よし、私が焼いて来て上げるわ」

そう言い、私の食パンをトーストしに行ってくださったことだけはよく覚えている。


私は、彼女からパンを受け取る時に、一瞬、躊躇した。

その前に私は手を洗いたかったのだ。

昨夜分娩台で、産みの苦しみを味わっていた時から一度も洗っていない手だった。

たぶん私の前に何人もの妊婦さんが握り締めていたであろうと思われる分娩台の握り棒を、必死で握り締めていた手だった。汗にまみれた手だった。

できれば、全ての汚れをきれいに洗い流した手で、受け取りたかった。


「はい、いっぱい食べてたくさんお乳を出さないとあかんからね」

トーストを手に持った助産婦さんの屈託のない柔らかな笑顔を見ると言いづらくなってしまい、結局、その言葉を飲み込んだまま、私はトーストを受け取った。


でも、自分の汚れた手のことばかりが気になっていた。

今になって思う。強く思う。

私は、やはりあの時、はっきりと意思表示すべきだったのだ。







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2003年01月30日(木) ☆さみしいCM?(枯れかけた夫婦)☆私が壊れるに至るまで

☆「私が壊れるに至るまで その3」



今日は猛吹雪だった。でもどうにかこうにか今日も無事に終わった。やれやれ。

暖房の効いた部屋で、ひとり、この日記を記している。

ファンヒーターのごぉごぉと炎が燃える音が耳に響いている。

外は、すごい風だ。


以下回想


いよいよあと少しで赤ん坊が出てくるという時に、お医者さんが現れた。

そして、そのお医者さんは、思いっきり私のお腹を押したのだ。

なにすんねん、やめてんかと思った。気絶しそうに痛かった。

あまりの痛さに叫ばずにはいられなかった。

ぎゃあ〜助けて〜

叫んだとほぼ同時に、生まれた。


痛みから解放された時のあの、なんともいいようのない感覚ったらなかった。完全に放心していた。恍惚とするにも似た感じだった。

もういきまなくてもいいんだ。

そう考えるだけで、たまらなく、安心できた。

出産後、裂けたところを麻酔なしで縫ってもらったようだけど、

感覚が麻痺していて、ほとんど痛みを感じなかった。ちょっとチクチクしていたような記憶もあるけれど。

あのとてつもない痛みに比べれば、数針縫うくらい、どうってことなかったのだろう。か?

あ、でももしかしたら、局部麻酔をしてもらったのかもしれない。わからない。そのへんはずいぶんとあやふやだ。

しばらく処置室で、横たわったまま安静にしていた。

カーテン越しに看護婦さんの会話が聞こえてきた。

その日行われる予定の堕胎手術の時間を確認していたようだ。

いたって事務的なやりとりだった。

この世に生まれることのない命のことを思い、

ちょっと感傷的な気持ちになった。


身体は、疲れきって体力も消耗しきっていたのに、頭が妙に冴え渡り
眠れなかった。

どこからともなくG線上のアリアが聞こえてきた。


不思議だけど、その時の私は、子供が生まれたということに対して






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2003年01月29日(水) 私が壊れるに至るまで その2

「どうしました?」

お手洗いの前で、うずくまっている時に、運良く巡回の看護婦さんに見つけてもらい、声をかけられた。

私の尋常でない様子を見て、異変を察し、彼女はすぐに車イスを持ってきてくれた。

そして私は、ただちに処置室に運ばれ、助産婦さんの診察を受けた。

「子宮口が全開しているわ。すぐに分娩せんと」

助産婦さんは、慌てていらした。なんでこんなになるまで誰も呼ばなかったのかと、あきれられた。せやかて初めてでわからへんかったんや。                       
分娩台に移る前に、私は、無意識のうちに
いきんでしまって、助産婦さんに注意された。

「まだだめだめ、いきんではだめ、準備が整うまで、がまんしなさい!!」

しかし、自然にいきみそうになるのだった。いきまずには、苦しくていられなかった。

ようやく準備が整い分娩台に移された、両手両足を固定されたように思う。

なんだかものすごい妙な格好だった。

「いいですか、いち、にい、と息を吸って吐いて、三番目に思いっきり息を吸って、いきんでください」

助産婦さんは、そんな感じで、いきむ要領を教えてくれた。

苦しかった。

こめかみの血管が破裂しそうなほどいきんだように思う。
しかしなかなか子どもは、うまく降りてきてくれなかった。

私は、呼吸の仕方がまずかったようで、途中から酸素吸入と点滴をつけられ分娩に臨んだ。

そのうちに、いきむことが、耐え難い苦痛になっていった。

一回いきむたびに、相当の体力を消耗した。

いきむことが、苦痛を通り越して、すでに恐怖になっていった。

できれば、もう、いきみたくない。と思った。

怖い。いきむのが怖い。

私は、自分の肉体から逃げ出したくなった。

できれば、ふわーっと幽体離脱して楽になりたかった。

その時の私は、






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2003年01月28日(火) 私が壊れるに至るまで

長男を出産した時、私は死線をさまようような、大変な目に遭ってしまった。

出産直後からすぐに異変は起こった。いや出産前からそれは、始まっていたのだろう。

子宮口が少し開きかけているので、念のため入院をした方がよいといわれ、
その夜、私は入院した。

なにしろ何もかもが初めてなものだから、

陣痛のなんたるかもわからなかった。

しばらくは、「イテ、イデデデ。」という程度の軽い痛みが、10〜15分おきくらいに襲ってきた。

そのうち痛みの感覚は、だんだん短くなり、短くなるにつれ、痛みの激しさは増していった。

就寝時間を少し過ぎた頃、その痛みは、想像を絶するほどの痛みに変わっていた。

なんなのいったい?なんなのいったい?

そう思わず問いかけずにはいられなくなるほど、

その痛みは、わけのわからないほど、とてつもないものになっていった。


私は、ベッドのパイプを握り締めながら、ひたすらその得体の知れない巨大な痛みに耐えた。

それは、下剤を大量に飲んだ時起こりうるような腹痛の何十倍にも匹敵する腹痛だった。

あまりの痛みで、意識が遠のきそうなくらいだった。しかし何かの拍子に、その痛みは、うそのように消えた。

やれやれなんとかおさまった。とホッとするのもつかの間、すぐにまた、強烈な痛みが襲ってきた。しかもその痛みは、ますます強く激しくえげつなくなるようだった。


私は、また、ベッドのパイプのところを握り締めて、しばらく必死でその痛みに耐えた。

夜中で、6人部屋だったので、他の人は眠っていたし、うめき声を上げるわけにもいかなかった。

折れ曲がるかと思われるほど、強く強くパイプを握り締めて、暗闇の中でひとり、脂汗をたらたら流しながら、私は、痛みに耐えていた。


そういうことを何度か繰り返しているうち、だめだ、もうこれ以上ここにはいられない。そう思い、なんとかベッドから起き出して、ある場所を目指した。

病室を出て、廊下の壁をつたいながら、ひたすらその場所を目指した。


お恥ずかしい話だが、その時の私はまだ、






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web日記を始めて、この5月で、丸3年になろうとしている。

始めた頃は、まだ自分のHPも持っていなくって、ネットの世界のことも全くわからない状態だった。って、今も大してわかっていないのですがね。。浅瀬でちゃぷちゃぷ泳いでいるという感じ^^。

記念すべき最初の日記に書いたことは、今でもはっきり覚えている。

お弁当を作っていて、出来上がりをテーブルの上に持っていこうとしたら、手元が狂って、あああっというまに床に落っことしてしまって、その決定的瞬間を、二男に見られてしまったことを書いたのだ。

あの時の二男の泣き出しそうな顔ったらなかった。はは、なつかしいなあ。



今朝は、よい天気だけど。ひじょうに風が強い。今も部屋のあっちこっちの戸をガタガタと揺らしている。



私の日記を読んで、「独身病」を探し出してくださった人がいた。その人から昨日メールをいただいた。共通の趣味を通して親しくさせてもらっている人だ。

私が独身の頃に、すでに廃刊になってしまっていた、いわば私にとって「幻の本」が、手に入るなんて、夢のようだ。まさにこれはうれしい奇跡だ。




言語障害が激しくなっている。どうしたものか?

昨夜、珍しく夜更かししている夫に向かって

とんでもない言葉を投げかけてしまった。

「あまり夜更かしせんようにな」と言うつもりが

こんなことを言ってしまった。






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2003年01月27日(月) 塞翁が馬  

月曜日だ。しかも雨だ。

ものごっつユーウツ。

昨夜は、眠ると今朝が来るかと思うと、なかなか眠れなかった。

眠っても眠らなくても朝は来るのに。あほみたい。

ものすごい重圧感。

また例のハイテンションの着飾った声で、

「おはようございます。○○の○○でございます。」

って、あっちこっちの企業に電話をかけまくるのだろうなあ、と思うと

うんざりだ。

逃げ出したくなる。

自分が選んだ仕事じゃないか。そうだ。そのとおりだ。

しかしやはり甘かったようだ。

こんなに精神的にキツイ仕事とは思ってもみなかったのだ。ぶつぶつぶつ。

あさはかだった。

もっとよく考えて決めるべきだった。


どうりで、いっつも募集しているはずだ。みんなすぐにやめすぎ^^。

一緒に入った人は、私とあと一人しか残っていない。

回転率早すぎ?

あああ。私も崖っぷちだ。

やめるのは簡単だ。物事というのはなんだってそのようだ。

途中であきらめるのも投げ出すのも簡単。

その後に襲ってくる、敗北感や挫折感に耐えさえればそれですむ話。


どうせ私は、なにやったって中途半端であかんたれの負け犬なんや。ええやんそれで。ええやんそれで。って開き直って、ふてくされれば、それですむ話。


あの人はあんなにがんばってはるのに、なんであんたはがんばられへんのん?この根性なしが。

って、ハッパをかける自分が、まだ自分のどこかに存在している。

でも

今の私は、そういう前向きでつねにプラス思考の自分が、うっとーしーてしゃあないのだ。

そういう自分になんとか支えられてここまで来たけれど。

だけど、すでにもうそれは


強迫観念めいてきている。


がんばらなくてはいけないんだ。がんばらなくてはいけないんだ。


てね。なかなかしぶとい奴でもある。




とりあえず、行かなくちゃ。

休む理由が、なにも浮かばないし^^。



↑から数時間後。





今朝の雨は、すぐに雪に変わって、今はすっかり雪模様。

な、な、なんと、今日、契約がまた1件決まった。10日ほど前に、

担当の人に、いろいろ質問され、しどろもどろに答えていたところだ。

なんだかねえ。決まる時はすんなり決まるものなのだなあ。

ありがたいことである。

がんばっていれば、けっこういいことあるのかも。

強迫観念も捨てたものじゃないのかも。

契約決まれば、気持ちも変わる。上司の機嫌も上々。


本日は笑顔で業務終了。








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2003年01月26日(日) 濡れ場まで何マイル?風呂場が丸見え?アルバイトをめぐる回想 

「濡れ場まで何マイル?」

昨日夜更かししたので、今日は休みだし、思いっきり寝坊するつもりでいたら、夫がやってきて、私の布団に入ってきた。

その時私は、ほとんどまだ眠っていて、意識朦朧としていた。

こっちは眠とうて眠とうて、全然その気になれなかった。

しばらくあっちこっち触ってきたけど、眠くて眠くて、

なんにも感じなかったし^^。


しばらく触っていたようだけど、あまりにも私が反応しないので、っていうか私がほとんど寝ていたので、あきらめたようだった。

布団から出て

「ゆっくり寝なよね。」

と言って、夫は部屋から出て行った。


それにしても、なんという間の悪さだったことだろう。

モヤモヤした思いを抱きながら、うとうとしているうちに、また深い眠りに落ちていった。


「風呂場が丸見え」

休みの日は、あああっという間に終わってしまう。


今日は、遅くまで寝たのに、また夕方からうとうとしてしまった。

いろんな妙な夢を見た。夫といっしょにどこかの旅館に泊まっていて、

私は、ユニットバスにお湯をはっていた。

湯加減は、まあまあで、

「お風呂わいたよ」と夫に声をかけていた。

それから一緒にお風呂に入ろうとして、はっと気づくと

浴槽のすぐ前に、大きな窓があって、窓の外は宴会場で

たくさんの団体客が並んで座っていた。

「なにこれ、あそこから丸見えやん」

と私は、湯気の向こうの夫に、そのことを知らせようとして

あせっている妙な夢だった。


それから場面が変わり、家の階段を下りて居間に行くと、

ずっと探していた、つぼ押し器が出てきていたので、

「見つかったで、つぼ押し器」と

奥の部屋にいた夫に声をかけたら

「いつまでたっても探さないから私が見つけたんや」

と義母の声がした。

その声で一気に目が覚めた。

あたりはもうすっかり真っ暗だった。


いつもそんなふうに、終わってしまう私の休日。



「アルバイトをめぐる回想」


偽名を使ってアルバイトをしていた頃。

学校の授業が、早く終わって、アルバイトの時間まで、私はいつも

当時大阪梅田の紀伊国屋の近くにあったベンチに座って、ぼんやりと人間ウォッチングなどをしながら、時間をつぶしていた。

仕事前の腹ごしらえとして、いちごポッキーなどをかじりながら、30分から一時間ほど、その場所にいたと思う。

そこで、一度だけ、見知らぬ外人の男の人に声をかけられたことがある。

そしてこんなふうに言われたのだった。






その後私は、どうしたのか、よくは思い出せない。

たぶん祈ってもらったのだろう。か?

だけど、いつも私は時間まで決してそこを動かず、時間がくるとバイト先に向かったことだけはたしかだ。

バイトが終わると、大阪環状線大阪駅のホームのベンチに座り、電車を待っている間に、ボサーっとしながら缶コーヒーを飲んだ。ささやかな楽しみの時でもあった。

電車を乗り継いで、自分の降りる駅に着くと、改札口の近くで、いつも父が私を待っていてた。父の愛用の自転車の荷台には、座布団が無造作にくくりつけてあるのだ。

牛乳瓶の底よりもさらに分厚いメガネのレンズの下の小さな小さな目を思いっきり大きく開きながら、電車から降りてきた人々の中から、父が私の姿を心配そうに探す様子は、今もはっきり覚えている。

私を見つけると、すごく安心したように、にっこりと笑って、手を上げて

「おおいここやここや」

と声をかけてくれるのだった。

「なんか今日は電車遅れてへんか?ちょっと心配したで。仕事終わったらすぐ帰って来なあかんで。まあええわ、はよ乗り」

私は、軽くうなずき、父の自転車の荷台に腰かける。出発進行。

しばらく行くと、交番があるので、

「あかん、おまわりおるわ。はよ降り」

といつも言われて、そこの前だけ二人して自転車を降りる。

そしてしばらく、自転車を押す父と二人で歩くのだ。

「よっしゃもう大丈夫や、はよ、乗り」

交番が見えなくなる頃、また乗る。

ちょっとスリルに満ちていて、楽しかった。

「しっかりつかまっとりや、ここから一気に飛ばすで」

そういって父は、ペダルをこぐスピードを上げるのだった。

市役所前の交差点に来ると父は決まってスピードを上げるのだ。

そこの横断歩道を通るとき、いつも「お馬の親子」のメロディが流れていたっけ。


なんかなつかしいなあ。




今日は、よい天気だ。洗濯物を干している時、そこはかとなく

春の息吹を感じた。










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2003年01月25日(土) 昔の名前で出てみます。

天気は、すごくよいのだけれど、洗濯ものすら干す気力がない。

というか、布団から起きる気力すら沸いてこなかったのだった。


昨日のミスをずっと気にしている。また同じようなミスをしてしまうのではないかと思うと、怖くて、資料も送れない。

だめだっちゃ。こんなことでは。

えぶりばーで はば びゅうていほぉねえむ♪

びゅーてほ♪ねえ〜む♪びゅーてほ♪ねえーむ♪(東北なまりのこぶしをきかす)←特に意味なし。


てかてか。    





そういえば、


私は、20歳の時、偽名を使ってアルバイトをしていたことがある。

親には、アルバイトの詳細については話していたけれど、偽名で働いていることまでは話さなかった。

仕事の内容は、居酒屋のお運びさんのようなものだった。

そこのユニフォームは、カスリの着物に似ていた。
ちなみに、私がバイトしている階のちょうど上だったか下だったかにあったお店のユニフォームはバニーガールだった。まあそれはおいておいて^^。


勤務は、午後5時から午後10時までの5時間。

場所は、大阪梅田の駅前のとある飲み屋がいっぱいテナントで入っているビルだった。

その頃の私には、わずか20才にしてすでに、ものすごく波乱に富んだ人生を歩んできてしまった同級生がいた。

ひとことで言うと、彼女の人生は、実に謎めいていて劇的だった。

当時の私は、彼女の話を聞いてとてつもない衝撃を受けたものである。

実に多感な頃でもあったし。

今思えば、私が、偽名を使ってアルバイトをしようと思いたったのは

その同級生の影響を受けたことも多分にあったかもしれない。

自分も何かしら謎めいてサスペンスちっくな経験をしてみたかった。

偽名を使って、そういうところで働くと、もしかしたら、なんか非日常的な出来事に遭遇することもあるのではないかなあ、という思いもなきにしもあらずだった。

だけど、偽名にしても私は、相変わらず私だったし、ただただ真面目に働いていただけで、密かに期待していた「非日常的な出来事」は何ひとつ起こらないまま、バイトの日々は過ぎていった。

バイトしている間は、誰に気づかれることもなく、なんの問題もなく、結局そのバイトは三ヶ月で辞めた。

今思えば、なんとも愚かで浅はかで

ずいぶんと


無意味なことをしたものだったと思う。




2003年01月24日(金) うまく言葉にできないもどかしい思い

今日もなんとか無事に一日が終わった。ありがたいことである。

だけど、仕事では、ミスをしてしまった。

企業に送る担当者の名前の漢字が間違っていたので、クレームの電話が来たのだった。直接受けたわけではなかったので詳細まではわからないけれど、かなりご立腹だったそうだ。

電話で名前を確認するときに漢字まで確認しなかったために起こってしまったミスだった。

例えば、「赤井係長様」と送るべきところを「中井係長様」と送ってしまうようなミスをしたのだ。

「ナカイ」って聞こえてしまったので、

てっきり「ナカイ」さんだと思い込んでしまっていた。

(もちろん実際は別の名前です^^。)

上司に

「私だって、自分の名前間違われたら、すごく腹が立ちますよ」

って言われた。

「はい、たしかに、そうですよね、すみません」

ってあやまったけれど。

正直信じられなかった。

まさかそれが、クレームになるほどのミスに発展するなんて!!


まあ、わざわざ電話をかけてきて、間違いを指摘しはるくらいだから、よほど気を悪くしはったのに違いない。申し訳ないとも思うけど。

今ひとつ釈然としないものが残ったのだった。


ふと、ずっと前「ニュースステーション」を見ていた時に久米宏さんが、何かのニュースの取材で登場したアナウンサーの名前を言い間違わはったら、本人がムッとしてすぐさま「○○です」と言い返したはった場面を思い出した。

「あ、失礼しました。○○さんでした。」

と久米さんは慌てて訂正されていたけど、生放送だったので、一瞬その場が

なんとも気まずい空気になったように感じた。

そのアナウンサーに対して私が感じたことと似たようなことを

そのクレームの人にも感じたのだった。






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うまく言葉にできなくて、もどかしいです。
このモヤモヤを伝えたかったのですが。

まだまだ私が甘いのでしょう。反省反省日々反省。


それではおやすみなさい。ただいま午前2時。

明日元気になりますように。




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2003年01月23日(木) 日々是好日



今朝「まんてん」を観ていたら、一気に話が昨日から半年後の設定になっていた。
はえーーーーー。

黒田食堂の一人娘、漫画家志望のつばめちゃんの漫画が、なんとついに優秀賞をもらっていた。やったね。つばめちゃん!!うれしかーー。

「私の目標は、もっともっと高いところにあんねん
こんなことくらいで、はしゃいでいたらあかんねん」

そうきっぱりと言い放つつばめちゃん。りっぱや。


目指せ明日の売れっ子少女漫画家。黒田つばめちゃん えいえいおーー





昨日、ぶり大根を作った。なかなかおいしくできた。





昨夜「人間ドキュメント」を見た。つらかった。




今日は、電話の仕事で、あんましキツク言われるお客さんに当たらなかった。

驚いたのは、いつも、うちの社名を聞くなり、めちゃめちゃきっつーい対応をされるお姉さんが今日は、とっても、アイソよくて優しかったことだ。

なんかええことでもあったんかな?

あのお姉さんにいつもええことありますように!!あーめん。


☆今日は、夕方からまた仕事。







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2003年01月22日(水) 神様へるぷ

今朝、日記を書いていて、ふと、窓の外を見ると、雪がものすごくいっぱい降ってきていて、そのひとつひとつは、消え入りそうに、とてもか弱い感じの雪なのに、それがいっぱいいっぱい集まって降ると、見る見るうちに積もっていって、あああっというまに、あたり一面真っ白になってしまった。

ただそれだけのことだけど、静かな感動を覚えたのだった。


2003年01月21日(火) ひとりぼっち

雪だ

雪だ。

雪だ。

すごく積もっている


まっしろだ


まっしろだ



さみしさは寒さに似ている

でもそれは

毛布などでは解決しない




なにもかも

いやになった

だけどくさるのは


やめとこう


なんだかものすごくひとりぼっち


もともと


にんげんは



ひとりぼっちだから


あたりまえかなあ


おとん大丈夫かなあ


今日目の手術だって

神様



今日電話の仕事をしていたら

おとんの声とそっくりな人が

電話に出た。

なんだか泣きそうになった

あほみたい

ものすごく感傷的


降りしきる粉雪のせいかな?

ごっつめるへんちっくやったし




おとん

がんばってや






2003年01月15日(水) 荒々しいひめごと

ある男とキッチンのテーブルに隣同士に並んでいた。

彼は、食事をしながら

「悪いけど、腕に触っていてくれないかな?」

と言った。彼は、前の彼女にいつもどこかしら触られていたので、

絶えずそうされていないと落ち着けないのだとも言った。

「ふうん、前の彼女は甘えたさんだったんだ」

そう言いながら私は、少しさみしい気持ちになっていた。

私は、そうすることが苦手だった。

男の人の腕に絡んだり、しなだれかかったり、ベタベタすることなんて、私にはできなかった。

そういえば、私は今まで生きてきて男の人と腕を組んで歩いたことがなかった。手をつないだことすらなかった。フォークダンス以外で。

などということをふっと思い出していた。

彼の腕は、たくましいのに柔らかだった。何よりも、すごく温かかった。

彼は、私が触れている間、とてもうれしそうな顔をしていた。

男の人の腕って、こんな感じだったんだ。触り心地もすごくよかった。

なんでもっと早く気がつかなかったのだろう?



 今朝見た夢の記録です。





2003年01月13日(月) 若くて美しいカラダ

今日は、よいお天気だったのに、布団を干す気力がなかった。

もったいないことをしたような気もするけど、もう日が暮れてしまった。

私は、裸眼で星を観ることができないのだけれど、昨夜、寝る前に、もしかしたら見えるかも見えたらよいなあ、などと思って、布団から窓の向こうをのぞいてみたら、ピカピカきらきら輝いているものが、ぼんやり見えた。

もしかしてUFO? などと思ったけれど、な、わけないような気もした。

無意識のうちに、その光る物体に向かって、ああ、どうか私をここから連れ去ってほしい、などと願ってしまった。あは。相当神経がまいっているのかもしれない。

いったいあのきらきらひかる物体は何だったのだろう?

それからいつのまにか眠ってしまって、なんか夢を見たような気もするけれど、さっぱり思い出せない。

それにしても、昨夜観たLAコンフィデンシャルのキムベイシンガーの美しかったこと!!高級娼婦役だったのだけれど、

「あの人なら、一回30万くらいはするだろうなあ」

と夫が言っていた。(下世話ですみません^^)

さ、さ、さ、さんじゅうまんえん!!ひえーーー。

映画の中の彼女が

「今日は、まだ二人しか相手してないのよ」

と憂いを含んだ表情で、聞き込みにきた刑事に話すカットがものすっごく色っぽくて印象的だった。

彼女は、この映画でアカデミー助演女優賞を受賞したそうだ。






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2003年01月12日(日) 経験豊富な女性

うちの夫は、テレビを見ながら、画面に登場する女の子の品定めをするのが
けっこう好きだ。家の中だけでのことだから、遠慮なしに、言いたい放題言っている。

例えば↓のようなこと。


「ううむ、まだまだ色気が足りない。」

とか

「きっとこの子は、勉強ばっかりしてきたんだろうなあ」

とか

「相当遊んでるな」

とか

「カワイ子ぶってるけど根性悪そうやな」

とか

「パス!!」

とか

「まあどうしてもというならつきあったってもいいレベルやな」

とか

「清潔感が漂いすぎて近寄りにくいな」

とか

「たぶんこの子は、結婚しているか彼氏いるな」

とか


ほっといたれや!!関係ないがな!!

と思わずつっこみたくなるようなことばかり言っている。


「男性経験豊富な女性か否かは、女性のカラダのある部位を見れば、瞬時に、ある程度わかる」というようなことを夫が言った。

なんでも経験豊富な女性は、その部位が鍛えられているらしいとのこと。








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ただし、これはあくまで夫の独断と偏見で適当に言っていることなので、なんの信憑性もないと思われます^^。えらいすみません。



ありがとうございました。

















2003年01月11日(土) 魅了される 夢と現実のはざまで・・・


2003年01月10日(金) アイ 愛 EYE

仕事から帰ってきたら、夫が親子どんぶりと味噌汁を作ってくれていた。

親子どんぶりは、「どっちの料理ショー」を見て、自分でも作りたくなったみたいだ。

そこに、目によいらしいという牡蠣を入れてくれていた。

牡蠣が視神経を丈夫にするらしいと知ってから、なるべく牡蠣を食べている。ちなみに昨日は牡蠣フライだった。夫がお惣菜コーナーで買ってきてくれたのだ。ブルーベリー製品とかも意識して買ってきてくれるので、うれしい。

病院で検査をしてきたのだけど、右目は正常で、左目は正常とまでは言い切れないけど異常というほどでもないという微妙な結果が出た。定期的に検査をして様子を見ようとのこと。神経質になるほどのことでもないらしくてひとまず安心した。

コンタクトレンズが割れてくれたおかげで、見えることのありがたさをしみじみと実感できたし、目を大切にしようという意識も芽生えた。






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ありがとうございました。


2003年01月09日(木) プリンセススタート?

昨夜、午前零時前に日記を記していた。

いつものように、しんとした部屋でひとり、コタツの上にパソコン置いて。



夫が布団の中から、私を呼んで、「おいで可愛がってあげるから」

と言ったので、ちょっとソワソワどきどきしながら布団に入ると

なんのことはない、肩とか腰とか腕とかを揉んでくれただけだった。

しばらく揉んでもらってから、これ以上なんの進展もないと察したので、

「もういいわ、ありがとうおやすみ」と言いながら布団から出た。

布団から出る時、涙がこぼれそうになった。期待して損した。

ち。なんてね^^。

それにしても、あの人は、なんでいつもさっさと先に寝てしまえるんだろう?


というようなことを書いていたら、突然ドアが開いて、夫が入ってきた。

「なんだか眠れなくなってさ」

そう言って、テレビをつけた。

ぎょえ。やばっち!!

反射的に、パソコンを閉じた。

こんなん見られでもしたら、えらいこっちゃ あたふたあたふた。

一瞬ですっごい挙動不審に陥ってしまっているのが自分でもわかった。

パソコンの中身を見られたくない一心で

「なんで起きてくるのんさあ。邪魔せんとってよ、明日早いっていうてたやん。寝なよ」

と心にもないことを強い口調で言って、邪険にしてしまった。ほんまは、起きてきてくれたこと自体は、少しうれしかったのだけど、なにせタイミングが悪すぎた。

そんな事情を知る由もない夫は、ただただ邪険にされたことにカチンと来たらしく、えらく怒った。

またまた、言い争いになった。

なんでいつもこうなってしまうのかわからない。時計を見ると、午前零時をすっかり過ぎていた。


中略


私は、明け方近くまで眠れなかった。頭が妙に冴えてしまって。

いろいろなこと考えて。そのほとんどが、あほみたいなしょうもないことばかりだった。







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ありがとうございました。






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テキスト庵さん