愛より淡く
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2002年03月31日(日) 女性の虚偽と真実

今日は日曜日で、焼け跡の後始末の作業をしてくださる業者もお休みで、比較的自由になれる時間がとれた。

家のそばにある物置きは無事だったのだけど、なんでもそこの物置きは縁起が悪いのでずっと以前から壊せ壊せと言われていたそうなのだ。

実はうちの夫は戸籍上では三男なのだけど、二男が生後2ヶ月の時、その物置きで亡くなっているのだ。奇しくも原因は「火」

物置きから夫がかつて読んでいたと思われる大量の書物が出てきた。幼少期の絵本や童話、偉人シリーズなどなどは、ダンボール3箱くらいにびっしり入っていた。私も小さい頃、絵本とか童話とか大好きだったけど、こんなにたくさんは買ってもらえなかった。だからうらやましかった。

「ちびまるこちゃん」「ドラえもん」「じゃりんこチエ」「美味しんぼ」
「ドラゴンボールZ」などのコミックも出てきた。

あとは加藤諦三氏の本がたくさんあった。夫いわく「加藤諦三はオレの命や」
学生時代に夢中で読んでいたとのこと。

以下加藤諦三氏の著作のタイトルだけ一部抜粋

「自分を嫌うな」「自分を許す心理学」「思いこみの心理」「やさしさと冷たさの心理」「はったりの心理」「強気の人弱気の人」

などなど。夫がこんなに読書家だったとは知らなかった。おびただしい本の量だった。文芸音痴だとばかり思っていたけど、古今東西の有名な作家の本もズラリとあった。これらを全て読んでいるとしたら、私の数十倍の読書量になってしまう。ひえー。ちょっとシャク。

あまりの豊富な書物の量に驚いたことを夫に話すと

「そんなもんじゃないぞ。二階の部屋にはもっとあったぞ。みんな燃えちまったなあ。もったいないあなあ」と言ってしんみりしていた。

それにしても、いったいそれらの書物で得た知識はあの夫のどこに残っているというのか?全て身にならず消えてしまったのかな?わっからん。

今、時間がある時にちょこちょこっと、夫がかつて読んでいたらしい石川達三氏箸の「女性の虚偽と真実」を読んでいる。エッセイのような女性論のような本だ。

例えば↓のようなことが書いてある。

「男に浮気をするなというのは、犬に一夫一婦制の道徳を教えるのと同じことだ。」

「不道徳な性生活は劣等意識を招くけれど、道徳的な性生活をもつことは、人間の牝の誇りであるらしい」


「情事と結婚とは、行為は同じであっても、本質は違っている。結婚の目的は繁殖種族保存であるが、情事はそれ自体が目的で、繁殖の意図は持っていない、つまりお互いの、心をふるわせるような消耗だけが目的なのだ」


「女は誰かから求められているという自覚によって、生きてゆく自信を支えられる」



2002年03月28日(木) お知らせ

日記の更新が滞ってしまっていたのは、ちょっといろいろ大変なことになってまして。実は、夫の実家が全焼してしまったのです。夫の実家はすぐ近くにあります。近道をすると徒歩2分くらいです。

うーーん、今もまだちょっと現実感があまりなく、日常と非日常の間をいったりきたりしているという感じです。茫然自失。


と、いいながらたまにチョコチョコっと書くかもしれません。

ちょっとまだよくわからない状態ではあります。


2002年03月25日(月) 春の嵐も過ぎ去って

朝起きたらあっちこっち痛かった。まいった。でも自分が不注意だったせいだし、夫にもいろいろ言われてしまった。
「だいたいそんなに目が悪いのにコンタクトもメガネもかけずに外に出るのがまちがっている。なんとかなるなんてテキト−に考えていたら、しまいにえらい目に遭うぞ。自分のことは自分で守らんと」

まあたしかにその通りだ。

今日はいろいろヤボ用とかもあってバタバタしていた。あることに過剰に反応してしまって、傷ついて落ちこんでわけもなくひとりでメソメソしたりしていた。

でも冷静になって考えてみると、そないにタイソ−にふさぎこむほどのことでもなかったような気もしてきて、しだいに立ち直って、そうすると自分のまちがいや落ち度にも気がついてだんだん後ろめたいような気持ちになってきて、でも時すでに遅しで、全てはもう起こってしまった後なので、どないもこないも修復不可能だったりして。なにやってんだか。とほほ。っていうような目によくあっているのに、こりない私。成長しない私。

話はかわりまして、今日BBSにありがたい書きこみをいただいて、まさにその通りだと思ったのです。今までいただいていたご意見も、そうそうそうなんですとうなずけることばかりで、参考にさせてはもらっているのですが、なかなか実践できないでモタモタしているのでした。

あ、でも本当は若干の進展はあったのですが、ちょっと今まだ気分が滅入っているので、もう少し気持ちがシャンとしてから書きたいと思います。








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ありがとうございました



2002年03月24日(日) 傷が疼く

今日は子供会の歓送迎会で朝からバタバタしていた。会は滞りなく無事に終わったけれど、私は帰りに寄ったスーパーの駐車場で思いっきし転んで両手両膝を負傷してしまった。あほみたい。今もまだズキズキ疼く。いろいろがっかりするというか頭に来ることとかもあったりして。あんましよい日ではなかった。かな?


気持ちが落ち着いたら改めてゆっくり書こうと思います。



2002年03月23日(土) 自由と恋愛と秩序と混沌



「男なんて金とヒマとチャンスさえあれば浮気するに決まっているやん。それが男っていうもんさ。あははは」と夫はよく冗談交じりで言っている。

まあたしかにそうかもしれないとも思う。でもそれは男の人に限らず女の人にもあてはまるかもしれない。もちろん例外もあるだろうけど。

一夫一婦制は、社会の秩序を乱さないためのルールであるというだけのことであって、より多くの異性と知り合いたい、ふれあいたいと思うのは、もしかしたらものすごく自然な欲求なのではないかしら? などとたまに考える時がある。

でもそれはあくまでも頭の中だけで考えていることであって、いざ実践するとなるとどうなるのかということは、今のところわからない。のでまた別の話。

☆☆

熱烈に恋焦がれた人と実際会うと、案外冷めた目でその人を見ている自分に気づくことがあった。やっぱ恋って幻想なんだなあ。その人を想う自分に酔っていたにすぎなかったのだなあ。と恋がすっかり冷めてしまってからようやく気づく。そういうパターンの恋ばかりしてきてしまったような気もする。あーめん。



2002年03月22日(金) 妻がいることを忘れる?

昨夜は10時過ぎに夫が帰ってきた。車の音が聞こえたので、玄関で待機して趣向をこらしてお出迎えしてみっかなとも思ったけど、やめた。

部屋の中に入ってきてから私の顔を見るやいなや、一瞬とぼけた顔をして、

「あ、そうかオレに奥さんいたんだな」と言った。

たまにそういうことを夫は言う。日中ガムシャラに仕事をしていると、家族のこととかみんな飛んでしまうんだって。ふっと家に戻って我に返ると、あ、そうか自分には家族がいたんだった。と、ようやく思い出すらしい。

そんなあほな、と思うけれど、ほんとに忘れてしまっているらしい。それほど必死で仕事をしているということを言いたいようだ。

「できれば、一日オレの仕事ぶりをビデオに撮って、オレがどれだけ大変な仕事をしているか、家族に見せたいくらいや、そのビデオを見たら認識変わるぞ、きっと涙なしでは見られんぞ、一大感動労働ドキュメントや」と言った。

「それなら、探偵ナイトスクープにでも依頼してみよか?これこれこうでうちの主人は涙なしには見られないと言ってるんですが、ほんまかどうかビデオに撮って検証してもらえませんかとかなんとか書いて送るだけ送ってみよか?」と言い返すと

「いやや。テレビに映ったらはずかしいやんか」と照れた。


すでに夫の生活パターンというかリズムがキッチリできあがってしまっている。ふだんは、夜遅く帰ってきて食事をしてウダウダしてから寝る。休みの日は、朝寝坊してから遊びに出かけて夕方5〜7時に帰宅して、食事をしてテレビかビデオを見て寝る。毎日ハンで押したようにほとんどその繰り返し、おそろしいほどその繰り返し。ここ一年半ほどそういうリズムができあがってしまっている。私の入りこむすきなんてほとんどないのだ。

で、急にふと思ったのだけど、



2002年03月21日(木) 趣向をこらして旦那様をお出迎え

例えば玄関で待機して、夫がドアを開けると同時に
「おかえりなさい会いたかったわ〜」と言って抱きついてみようか?「すみません家まちがえました」って言われそう。「気持ち悪いやめろ〜」って言われるかな。ショックのあまり玄関でフリーズされたら困るしな。

そういえば、その昔職場のみんなから結婚祝いとしてもらったエプロンがあったはず。「ボクが代表して○○百貨店で選んできたんだよ」と同僚のSくんのお言葉つき。ちなみに私はその職場の紅一点でした。
それは純白の総レースでフリルいっぱいのまるでウエディングドレスのようなエプロンだった。汚すのがもったいなくて、一度も着ずに大切に保管してある。今思えば恐ろしく実用的でないエプロンだ。

初々しい新妻の頃に、エイヤーと勢いで着ればよかったのかもしれないけれど、さすがに今はとてもじゃないけど着る勇気がない。ああ着る機会を見事に逃してしまった。よよよよよ。号泣。

いや勇気をふりしぼって着てみようか!!それを着てメイクもばっちり決めて、玄関でお出迎えしてみようか!!名づけて「その気にさせるドレスアップエプロン大作戦」えいえいおーー。
なんてね^^。ようせんわうちら。


2002年03月20日(水) 春の嵐 恋愛不足

☆「恋愛不足」
 
現実は思うようにはいきません。性格教育法なんてあてになりません。頭ではフムフムとわかっていても、実践に生かすことができないのですもの。

だいたいうまく甘えられないのです。甘え下手というのでしょうか。気位(きぐらい)が高いというだけでなく、異常に照れ屋でもあるのです。

不器用で要領も悪いしバカ正直ですので、心にもないことは言えないので、お世辞などなどで相手をいい気分にさせてあげることもできないのです。

私も一度でいいから世間一般の恋人同志のように好きな人と思いっきりいちゃいちゃしてみたかったです。

著しく恋愛不足です。今さら補給もできません。このまま儚く朽ち果ててゆくしかないのでしょう。


2002年03月19日(火) 慢性化

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2002年03月18日(月) 暑さ寒さも彼岸まで 

その昔私は、ある人に片思いをしながらその一方で、せっせとお見合いをしていました。当時から結婚と恋愛は全く別のものであると考えていましたし、意外と堅実?なところが私にはあったのかもしれません。

お見合いは、約一年の間にうんざりするくらいたくさんしましたが、みんなうまくゆきませんでした。お見合いのことは、別の日記に「果てしなく続くわが見合いの日々その1〜その5」として残しています。今、その5で、止まってしまって、その後のことは、まだ書いていないのです。気が向いたらまた書こうと思っています。それらの日々は、今では、楽しくてなつかしい思い出であります。


今日は花粉症がひどくてまいりました。目も鼻ものども真っ赤に腫れて、色気もなにもあったものではありません。とほほ。体調も芳しくありません。

日本全国花粉症の皆様あともう少しです。がんばってこのつらい季節を乗りきりましょう!!では〜♪


2002年03月17日(日) ハンドタオルとティーバッグとランドリーバスケット

おととい16日に、夫から一日遅れのホワイドデーのプレゼントをもらった。
例の吉野屋の店員さんの格好をしたキティちゃんのハンドタオルとティーバッグの詰め合わせだった。ちなみティーバッグは紅茶でなくて緑茶のティーバッグだった。

そのプレゼントを見て、ふっと昔に見たドラマのことを思い出した。兄が高校生の妹にバースデープレゼントを贈るのだけど、妹がプレゼントの中身を見て複雑な顔をする。その中身は「ぬり絵セット」だったからだ。この兄は、妹が小学生の頃から欠かさずプレゼントをするのだけれど、プレゼントはいっつも決まって「ぬりえセット」だった。

「ありがとう」とお礼を言う妹の、やや引きつっている笑顔を見て、何も気づかずに思いっきりうれしそうな顔をする兄がいた。そうです。この兄こそが(以前ここの日記にも書いた)愛しい人をなぐさめるために、1晩中可能な限りの数の雪だるまを作り続けた人物なのです。きっとこの兄は、妹がいくつになっても誕生日には「ぬりえセット」を送り続けるに違いないとドラマを見ていてふっと思ったことを思い出した。

昨夜は、ピンクのランドリーバスケットと今川焼きを買って帰ってきた。今使っているランドリーバスケットは、取っ手というか持つところが壊れてしまい手に下げることができずに、二階のベランダまでどっこいしょっと抱えて運ばねばならず、重労働やわ〜、とぶつぶつ言っていたのを覚えていてくれたみたいだ。これで快適に洗濯物を運べる♪と、うれしかった。

それから「南極物語」を見ながら、その映画に出演していた夏目雅子さんと荻野目慶子さんの話になった。夫が夏目雅子さんを見て
「この人のダンナさんたしか作家だったよな」と言ったので、そうそうその人をめぐってその昔桃井かおりと取り合ったとかどうとかあったらしいで、というようなミーハ−ちっくな話を私がすると、「やっぱ作家ってモテるのかなあ」と夫が言ったので「人によるんちがうか」と答えた。ちなみに伊集院氏は、今は女優の篠ひろ子さんのご主人だと思う。

それから同じく出演者の荻野目慶子さんの話になった。そういえば昔彼女の不倫相手が彼女のマンションで自殺を図ったというショッキングな出来事もあったねえと私が言うと、そうかそんなことあったかなあと夫ががぼんやり答えていた。

その後、お風呂に入った夫が、頭を洗ってくれ、と私を呼んだので、頭を洗ってあげた。頭を洗っている時に夫が、魚を食べたり、納豆を食べたりすると頭がよくなるらしいということを聞いてきたみたいで、上の子は魚好きで納豆好きでよく食べるから頭がよくて、下の子はお菓子ばっか食って偏食がちで納豆嫌いなのでいまいちぱっとしないのかなあというようなことを言ったので、納豆食べている人がみんな頭よくなるわけではないやろう、と私が答えた。たしかに上の子の方がバランスよくなんでも食べて頭の回転も速いような気はするけど、やっぱ食べ物と頭のよしあしは関係があるのだろうか?本当のところはよくわからない。

私は夫の頭を洗いながら、夫といろんな話をするのが結構好きだ。

そんなこんなで他愛もなく昨夜も終わってしまった。


2002年03月16日(土) 出会った頃

夫と私がはじめて出会ったのは、新人社員研修の合宿施設だった。研修はとても厳しくて営業のノウハウを徹底的に叩きこまれた。毎回テストがあって、隣同士解答用紙を交換して採点するのだけれど、目標点に達せないものは、居残り学習をさせられた。まるで学校の授業の延長みたいだった。で、たまたま私のとなりが夫だった。

トレーナーが答えを読み上げて○か×をつけてゆくのだが、私は夫に点数をかなりおまけしてもらった。というか無理やりまけさせたのだ。居残りさせられたくなかったので私も必死だった。
×のところでも、「これはこれこれこうでこういう意味やから○やで」とこじつけて○にしてもらおうとすると
「しかたないなあ」と言いながらも○にしてくれた。おかげで居残りを免れた。その時私はありがたいと思った。なんかぼさーっとして目つきがヤらしそうだけど、いい人だなあと思った。

研修は、そこの研修施設でほぼ2ヶ月間徹底的に行われた。朝の体操とミニマラソンから始まって夕方5時くらいまでガンガン詰めこまれた。かなりハードだった。土日は休みで、女の子だけ別の宿泊施設に移動した。2ヶ月もいっしょに寝食を共にしたので同期のみんなの結束は固くなっていった。そいでもって同期の者同志であっちこっちに恋が芽生えたりした。○○くんちょっといいと思わない?△△くんもなかなか素敵。☆☆くんのことちょっと気になっているんだ。とかなんとか女の子同志で噂話をし合ったりもした。私はみんなの話を「ふうん。ふうん」と聞いているだけだった。

あの頃の私は恋とは無縁のところにいたし。必殺仕事人になろうと燃えていた。


2002年03月15日(金) 愛を求めて三千里

昨夜は、


2002年03月14日(木) 夫婦ゲンカと性格教育法

仕事が終わって帰ってきたら、夫がソファーに寝っ転がって「フォレストガンプ」を見ていた。私が帰ってきても知らんふりだった。
なぜだかムショーに腹が立って、「お帰りくらい言いいさあ」と言ったら、それでもまだ知らんふりしていた。まあその前から不機嫌な兆候はあったのだ。私が仕事に出る前にみんなで夕食をとった時からつまらんことで、もめた。もめた原因は実にしょーもないことだ。おソバのつゆが濃いだの薄いだので言い争いになった。


で、二度も知らんふりをされたので、「なんで知らんふりするのんさあ」と言ったら、ケンカになった。

なんだか思うようにはいきませんわ。でもまあ今回のケンカは大したことはないのですぐに解決するだろうとは思っています。それに今日はホワイトデーですしね。
他愛もないケンカは解決しても私たちの根本的な問題はまだまだ解決しそうにありません。

私の性格にも問題があるようです。ってそのことはずっと前からわかっているのですがね。独身OL時代にふと気まぐれで購入したもののサッパリやらなかった「ボルソナーレ性格教育セット」を最初からやり直してみようかしらと思っています。一日わずか10分ほどのテキストで、貴女も驚くほど魅力的な性格、誰からも愛される性格の持ち主に変身できますという広告のうたい文句についついつられて買ってしまったのです^^。やはり当時から自分の性格のこと気にしていたのかもしれませんね。そのくせめんどくさくなって放ったらかしにしてしまっていたんです。嫁ぐさいに、やっぱもったいないのでいつかやろうと思って持ってきたのでした。ダメ元でやってみます♪


2002年03月13日(水) バスルームにて ままならぬ現実





倒れても依りかかれるものがどこにもないんだ。今。だからそのままバタッと倒れるしかない。まあそれならそれでもよいのかも。倒れたままでいるしかないさ。しばらく。そのうちよっこらしょっと起きあがれるくらいの気力ぐらい取り戻せるはず。

精神的にも肉体的にも一人でもしっかり立っていられるようにならないといけないのだろうね。そんなのあたりまえのことなんだろうけど。しっかり自立しないと。

何書いているんだかわからなくなってきた。



2002年03月11日(月) 今なんとかしたいこと

昨夜は花粉症がひどくて、夫が帰宅する前に先に寝た。薬が効いているうちに眠ってしまいたかったのだ。いちおうテーブルの上に「具合が悪いので先に寝ます」というメモを置いておいた。

帰ってきたのはわかっていたが、その後すぐに眠ってしまったようだ。夜中、薬が切れて息苦しさで目が覚めた。夫が2階に上がってきたことにも気づかずに眠っていたようだ。

なかなか切り出すタイミングがうまくつかめない。なんというか答えはすでに出ているような気もする。私はそれを確認するのが怖いだけなのかもしれない。

まあ今は全神経が花粉症の煩わしさに集中している。おかげで悶々に悩まされないですんでいる。


2002年03月10日(日) 夫の衝撃の告白


「実は黙っていだけど、仕事が終わってからアルバイトをしている。普通のバイトではない。女装しないといかんのや。すなわちオカマバーや。俺はそこで、コワモテのNO1と呼ばれている」

と真剣な顔で私に打ち明けていた。そういえば最近いつも帰りが遅いなあと思っていたけどパチンコ屋に寄っているとばかり思っていたら、そんな信じられないバイトをしていたなんて!と私は激しく動揺していた。

「貯めた金でモロッコへ行って手術をしてイランモンを取ってしまおうと思っている。そしてその時こそ心身共に女になれる」

とさらに言った。そんなあほな、そんなあほな。

何が何だかわけがわからなくなって混乱していた。混乱しながらネオン街のような所を歩いて薄暗い路地に入って行った。はっと気がついた時、いっしょに歩いていたはずの夫の姿は、もうどこにもなかった。


とまあそんな感じのものすごく強烈な夢を見てしまった。昨夜は花粉症がひどくてひどくて鼻が詰まって呼吸が苦しくてサンザンな夜だった。お天気があまりによかったものだからよせばいいのにお布団を干したのがいけなかったのだろうなあ。きっと布団に大量の花粉が付着してしまったのだろう。そんな布団で寝たものだから・・・。ここまでひどい鼻詰まりとくしゃみと涙に悩まされたのは、今年初めてのことだった。あああ。

それにしてもやけにリアルでけったいな夢だった。今思い出しても自分でも笑ってしまう。今日仕事から帰ってきたらこれこれこうでこんな夢を見た。と夫に話してみようと思う。



2002年03月09日(土) ..

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2002年03月08日(金) さまざまな家庭の事情

「夫婦というのは半人前同志がいっしょになってこそうまくゆくんだって、一人前同志の夫婦は離婚しやすいんだって」

と、夫が言った。


「そんなことどこから聞いてきたん?」

と尋ねると

「おとといの苦情電話のわけのわからんおっさん」(3月6日の日記をご参照ください)

と答えた。どうもその電話の主に洗脳されてしまっているような気もする。何かにつけて引き合いに出すのだった。


2002年03月07日(木) ..


私に対する夫の愛情表現は、私にパンやお菓子やキャラクターグッズや本などなどを買ってきたりすることのようだ。子供におもちゃやお菓子を買い与えるのとほとんど同じパターンだ。

どうやら私は、完全に子供扱いされてしまっているようだ。すでに私は彼の「妻」というよりは彼の「娘」に近い存在になってしまっているのかもしれない。年数を重ねるごとにその傾向が強くなってきているように思う。


2002年03月04日(月) いろいろ

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2002年03月03日(日) お嫁にいらした姉さまとよく似た官女の白い肌♪



「このまま私の女の一生も終わりなんかなあ、と思うとなんや虚しいなってしもてなあ」

おととい「はぐらかされた」というか「全然聞いとらんかった」ことを昨夜ふたたび夫に言ってみた。すると、


「残りの一生は子供たちのために生きればいいやん」


と言われた。


「子供らのために自分をおし殺して生きろってこと?」


「なんもそこまでは言ってない。でも子供をしっかり育てるのは親のつとめや、あんただってそうやって育ててきてもらったんだろう?順番や、まずは子供のことを考えてやらんと」

思いも寄らぬ方向に話が展開してしまって、またしても本題?に持って行けない雰囲気になってしまった。とほほ。

それから「金曜ロードショー」を録画していたビデオを見た。ア−ノルドシュワルツネッガー主演の近未来を扱ったSFアクションものだ。私はすでに見て結末を知っていたので、結末を教えたくなったけどがまんした。

夫はソファーに横になりながら見ていたけど、そのうちウトウトし始めた。

「風邪ひくから上で寝てきたら?ビデオはここで止めておくから続きはまた別の日に見たらええやん」と声をかけた。

「うん」と言って二階に消えた。



2002年03月01日(金) はろー弥生 馬耳東風男




「私の女の一生もこれで終わりなのかと思ったら急に虚しくなってしもてなあ」

と思いきって切り出した。

すると妙ににやにやして

「知ってるか、白豚を黒豚として売ってたんだって」

と言った。

驚異の馬耳東風男健在なり。




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