愛より淡く
DiaryINDEX|past|will
2002年02月28日(木) |
そんなこんなで2月も終わり 日々是葛藤 |
オレも長年の結婚生活でずいぶん鍛えられた。とたまに夫が言う。
オレだからまだなんとか持っているんやで。フツーの人やったらあんたのダンナさんしてたら、神経やられてるか、身体壊してるかのどっちかやで。とも言う。
冗談で言っているのだとばかり思っていたけれどあながちそうでもなかったのかもしれない。と、今ごろ気づかされた次第。あわわ。
でもまあ、ずっと気づかないままでいるよりかは、進歩があったのだと思って、これからは改めてゆきたいと思う。一度には無理でも少しずつ改めていこうと思う。
問題はそのコントロールがうまくできるかどうかだ。
☆☆☆「夫の手」
実は私は冷え性で、特に冬場は手先が異常に冷たくなるので、たまに夫の手で温めてもらう。といってもほんの数秒程度ですがね。まあゆいいつのスキンシップといったところでしょうか。
最初は、「ちょっと悪いけど手貸して」と言って手を借りていたけれど、このごろは「手」と言うだけで通じる。「手」と言って手を出すとだいたいいつも温めてくれる。ソファーにごろんと横になってテレビを見ている時でも、ごはんを食べている時でも、朝出かける時も帰ってきた時、「手」と言って手を出せば手を貸してくれる。
夫の手は血液の循環がよいのかして、いつもホカホカあたかくて気持ちよい。
冬にはうってつけの人だ。
テレビから、は〜は♪は、来ました〜♪今日も〜来たぁぁぁ♪この岸壁に今日も来た〜♪という哀愁を帯びたメロディが聞こえてきた。 これはもしやあの昭和の名曲「岸壁の母」ではないのか?とテレビに注目してしまった。「知ってるつもり」だった。
戦争でシベリアに抑留された日本人捕虜が、願いむなしく、とうとう家族との再会を果たせぬまま、はるかかなたシベリアの収容所で病に倒れ、その短い生涯を閉じる、というあまりに哀しいドキュメントだった。
日本への帰還が絶望的になってしまった彼は、仲間たちにすすめられて家族へ宛てて遺書を書く。彼はベッドの上で最後の気力をふりしぼって必死に遺書をしたためるのだった。それは実に大学ノート15ページにも渡った。
彼の死後、その遺書を読んだ仲間たちは、その遺書に激しく心を動かされた。それでなんとかしてこの遺書を彼の家族のもとに届けてやりたいと思う。しかし もしその遺書が見つかりでもしたら、スパイとみなされ再び捕らえられ自分たちの帰還もままならなくなってしまうかもしれないという厳しい状況だった。
そこで彼らは、みんなで分担して彼の遺書を暗記したのだ。みんなはそれぞれ自分の担当のところの彼の遺書を一字一句間違えぬよう必死で覚えこんだ。
そして無事に日本へ帰還した後、仲間たちは、彼の妻の家にそれぞれ訪れ、妻の前で、彼の託した遺書を暗唱して聞かせた。
その遺書は
「実によき妻を持ったということを 心から感謝する
さようなら」
で終わっていた。ひとりで見ていたということもあって、嗚咽が止まらなかった。
しばらく現実に戻れなくなってしまった。
余韻さめやらぬ時に、夫が帰ってきたものだから、テレビを見る前にいろいろ考えていたことなどふっとんでしまい、その番組について熱く語ってしまったのだ。
話を聞いた夫も 「オレもそれ知ってる。観たことあるぞ。映画かなにかでやってたんじゃないか」とすぐに反応したので、その話でしばらく大いに盛りあがってしまったのだ。
2002年02月22日(金) |
2002年2月22日の朝の奇跡? |
あっというまに今年もはや2月22日になってしまったではありませんか。2002年の2月22日、2がけっこう揃っていますね。VピースおーおーVピースピースピース。そいでもって今日は大安♪なんとなくおめでたい日のような気もします。でも別にどーってことのない一日でした。たぶん今夜もなんもなしでしょう。
でもね。こう間隔があくとなんだかもう今さらジローって感じもします。けっこうこういう状況に慣れてしまってさほど悶々ともしなくなったようです。いちばんつらい時期を乗り越えられたとでもいえばよいのでしょうか?
もしかしたらこういうことって、禁酒とか禁煙とか絶食とかに似ているのかもしれません。よーするにですね。禁断症状との激しい闘いの末にとある境地に達することができてしまったような気もいたします。でもまだちょっと無理しています。
まあ多少意味合いは違うと思います。禁酒とか禁煙とか絶食は自らの意志でやめようと思い欲と闘うわけですから。 自らやめようなどという意志はさらさらなく、欲しているのに得られないというのは、のたうちまわるほど苦しいものです。それこそ悶絶地獄です。ああ私もいったい何度苦しみながら畳の上を転がり続けたことでしょう。おかげでうちの畳はもうボロボロです。ってウソです^^。そういう辛い時期もたしかにありました。今となってはもう笑い話です。おほほほほほ。ってほどではありませんが。とほ。
「神さま仏さまどうかわたくしを煩悩地獄からおすくいください」というようなことを唱えながら眠ったのです。こうなりゃもう神の力におすがりするしかないと思ったのかもしれません。私は特定の宗教を信仰してはおりません。いわば無宗教です。そんな私が神におすがりするなんて。知らず知らずにそこまで追い詰められていたのでしょう。そのうち眠ってしまったのですがね。 雲の上に乗った世にも優しくお美しい観音さまがこちらを見て微笑まれている夢を見たのです。観音さまはほんとうに安らかなお顔でした。
目が覚めたら、急につきものがおちたように気持ちが楽になっていたのです。 ちょっと不思議な体験でした。 これぞまさしく神だのみ効果か?ありがたや。ありがたや。なんて思ったくらいです。こういう気持ちが持続してくれるとよいのですけれどね。
2002年02月20日(水) |
探偵に依頼してまで逢いたい人 |
「探偵になりたい」 テレビを見ていて夫が言った。私立探偵の活躍ぶりを紹介する番組だった。晩ご飯のときにちらっと新聞を読んで、「これ見たい!!探偵の浮気調査だって」と夫が反応を示したのだ。でもテレビをつけた時にはもう浮気調査は終わっていて、タレントの小池栄子さんが塾に通っていた頃、密かにあこがれていた先生の所在を確かめてほしいと女性探偵に依頼しているところだった。
それを見ながら夫は「いいなあ探偵、オレも探偵になりたいなあ」と言った。追跡したり張り込んだり聞きこみしたりすることにたまらない魅力を感じるらしい。車の中で一晩中張り込むなんて考えただけでわくわくする、いっぺんやってみたい。と言った。
それにしても探偵をやとってまで逢いたいと思われて、探し当ててもらえたらうれしいだろうなあと思った。
私には過去の知り合いで探偵さんをやとってまで私を探してくれる人なんていないだろうなあ。
もし私にありあまるほどのお金があれば、探偵さんにこっそり頼んで近況を探ってもらいたいと思う人はいることはいる。でもやっぱり怖いなあ。知らないままでいる方がいいのかもしれない。
その人のイメージは、いつまでも若くてさわやかな頃のままだし。下手に探し当てて、もし変わり果てていたとしたら、その人のそんな姿を目にするのは哀しいし。でも逆に、渋くて苦み走ったいい男にでもなっていたら?やん、どないしよう。どきどき。
って私の想像は果てしなく続くのだった。
昨夜お風呂に入っている時に夫が帰ってきた。脱衣場の戸をガラッと開けて、ただいま♪と歯切れよく言ったので、おかえり♪と歯切れよく返した。 私は湯船の中にいたので、「足洗ってもいいよ」と声をかけた。
一応両手で胸を覆って隠していた。まあ隠すほどもない胸なのですがね。おほほほほほほほ。
夫は機嫌よく足を洗っていた。ふと気がついた。視線をこっちに向けようとしない。うつむいて自分の足だけを見て洗っている。
なんでやねん!!目の前に湯気にまぎれたすんばらしい裸体があるというのに。ちょっとムカッときた
あんなヤらしい雑誌の目ばりバリバリの怪しげな裸体は喜んで見ているくせに、妻の裸体は見れんゆうんか?失礼なやっちゃ!許せん!
なんて視線をどうしてもこっちに向けようとしない夫の足元を見ながら、湯船の中でひとり、心の中で、怒りまくっていた。
「あーたゥ久しぶりにごいっしょしませんか?お背中でも流しましょうか?遠慮せずに入っていらして」
なんてことは言えるはずもなく
「おでんいっぱい余ったから今日も食べてな、今日はじゃがいもと結びこんにゃくとにんじんも足したから、にんじん入れると苦味がとれるんやて。あんたのおかあさんに教えてもろてん」
などと気がつけば、湯船の中で両足を交互にバタバタ動かしてながら、色気もなにもないことを口にしていた。
「そうか、温めて食べとくわ。白菜も早く食べないと悪くなるからな」
「昨日また新しいの持ってきてくれはったで」
「いやそれでもかなり悪くなってる」
「ホウレンソウのおひたしも食べや。パーシャル室に入ってるわ」
めっちゃ所帯じみた会話だった^^。話しているうちになんだかもうどでもよくなってきて投げやりになってしまったのだ。
結局夫はほとんど私を見ずに行ってしまった。しくしく。
そういえば私は、生まれてこの方「誘惑」というものをしたことが一度もないことに気がついた。これからもたぶんないだろう。所詮誘惑する度胸などこの私にはない。よよよ。
それによく考えたら「誘惑」ができたらこんなところでウダウダ言ってないかも。そうよね〜そうだわ〜。
昨夜も夫はパンを買って帰ってきた。ねじれたスティック状のパンだ。 「おいしそうやから買ってきてん」と言った。夫は関西人ではないけれど、長年いっしょに暮らしているうちに私の関西弁がうつってしまったようだ。言葉遣いは関西弁でも、発音がへんなので、けったいな感じがする。
昨夜はおでんだった。私が「のび太の持っているようなおでんの串もあるよ」と言ってから、はっとして「あ、まちがった。のび太とちごてちび太や。ちび太のおでん」とすぐに言いなおすと、夫は、ははははと笑った。
それからあわててテレビをつけて、チャンネルを、うっかり見るの忘れていた日曜洋画劇場に合わせた。ほとんど終わりかけていたのでさっぱりわからなかった。
ニコラスケイジ主演の「スネークアイズ」だった。新聞に表示されていた映画のオススメ度を表すニコちゃんマークは2個だった。ちなみに土曜日の「マルサの女」は3個だった。マークは3個が超オススメ、2個がオススメ一個は時間があれば。という目安だ。
そのあとNHKに変えて、テレビを見ながら夫とオリンピックの審査員が不正な審査をした話とか、ショートトラックで日本の選手が失格になってしまった話とかした。
そのあと「青春のポップス」を見た。渡辺真知子さんが迫力のある歌声を披露していた。サビの部分がどうしても「おばはーんおばはーんおばはーん♪」と唄っているように聞こえたので、そういうふうに聞こえないか?と尋ねたら夫もそういうふうに聞こえると言った。英語の歌詞ってたまに日本語みたいに聞こえるなあと思ったら、今朝新聞で読んだ川柳のことを思い出した。こんなのだ
「毎度ありぃ」マイダーリンに聞こえるの 「青春のポップス」が終わってしばらくすると「そろそろ寝るわ」と言った。 毎度のことながら、夫の口から「そろそろ寝るわ」という言葉を聞くとたまらなくさみしい気持ちになる。
夫にさっさと二階に行かれるとリビングでひとり取り残されたような気持ちになるのだ。置いてきぼりにされてしまったというか。部屋の中がさみしい空気で充満するというか。そのせいで、部屋の温度が下がるような気さえするのだ。
いささか感傷的になりすぎる傾向が私にはあるのもしれない。よよよ。
2002年02月17日(日) |
肉体的快楽をはるかにしのぐ快楽 |
お天気がよかったので布団を干そうと思って夫の部屋に行った。布団の枕元のところに雑誌がおいてあった。目バリとでもいうのだろうか、目のところだけが黒い長四角で囲ってある、女性が数人写っている表紙だった。一目見るなり、ヤらしい雑誌だとわかった。けど今日は中を開く気力がなかった。それにしても新作か?いつのまに仕入れたのだろう?やっぱアヤツはヘンタイなのだろうか?などなど思いをめぐらしながら、とりあえず布団を干した。
こんな雑誌を読む活力がまだ残っているのなら、なんでその活力を妻である私に費やさないのだ?なんて思うとちょっとやりきれない気持ちになっていった。
やはり、もう私は夫にとってそういう対象ではなくなってしまったのだろうか?そんなふうに思うとよけい自分がみじめになった。もうこうなったら洗いざらい私の気持ちをぶちまけて相手の反応を確かめてみたいとも思った。でもそれをしてしまったら、かえって全てがおしまいになってしまうような気もしている。
それにしても、肉体的快楽をはるかにしのぐ快楽ってなんだろう?実のところよくわからないので、モヤモヤしているのだった。やはり精神的快楽のことだろうか。じゃあ精神的快楽っていったいなんなんだ?
そういえば昔、夫から借りて、天上の神様たちが多数出てくる漫画を読んだことがある。官能的で面白い漫画だった。天上の神さまともなると、肉体的快楽など一切必要でなくなるらしい。彼らは思う相手と見つめ合っただけで、肉体的快楽をはるかにしのぐエクスタシーの境地に達することができるからだ。さすが天上人と感心しながら読んだことをふっと思い出した。帝釈天や弁財天なども出てきたような記憶がある。たしか「雲に乗る」というタイトルだったと思うけど違ったかな?
今日はバレンタインデーですね。 実はこの日はバレンタインという人が処刑されたおどろおどろしい日なんですってね。「名探偵コナン」でコナン少年が言ってました。なんだかねえ。 わたし個人的にいやーな思い出しかない日でもあります。よよよ。
|