愛より淡く
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2002年01月31日(木) 消えた夫の「心の歴史」

昨日はとくにこれといって波風もなく終わった。要するにこの私さえ夫にかまわな

ければ波風は立たないのだ。それもなんだかねえ。惰性でこのまま行くしかないの

だろうか?よくわからない。夫は全然さみしがり屋ではないようだ。自分で言って

いる。「ひとりでも全然平気。孤独がいっちゃん好き」

なら結婚なんかするなよな。って言いたくなる。

以前不思議でたずねてみたことがある。

「今まで疎外感とか感じてさみしい思いしたことない?」

「ぜんぜん。他人に興味ないもん」

「あ、そ」てな具合に話が続かなかった。

そういえば私は夫に干渉とか詮索とかいっさいされたことないなあ。私も特にしな

いけどね。たまにちらりと夫の部屋をのぞくけど。たいしたもんおいてないし。ノ

ートとか勝手に読まれても平気みたいだ。まあたいしたこと書いてないみたいだ

し。会社の女の子たちにもらったバレンタインデーの義理チョコも封も開けずにそ

のまんま何ヶ月も放置されていたりする。その昔私が贈った誕生日プレゼントもリ

ボンもかけっぱなしでそのまま半年近く机のすみに置きっぱなしにされていたこと

もある。そうなのだ。贈り物をさほど喜ばない人みたいだ。

もらった時はうれしいけれど、あとで見ようと置いておいてそのまま忘れてし

まうんだって。ううむ。人にもモノにもさほど執着しない人なのかもしれない。よ

くわからない。あっさりしすぎ?これからもう少し探求する必要があるかもしれな

い。私のメインのHPも見ようともしない。ネットにもほとんど興味がないみたい

だ。

以前夫はワープロのフロッピーに「心の日記」を保存していたのだけど。実はその

フロッピー私が間違えてダメにしてしまったのだ。無知な私は、ワープロのフロッ

ピーってもしやパソコンにも使えるかもって、試してみたことがあって、おかしく

してしまったのだ。互換性なかったみたいだ。

空だと思って適当に持ち出したフロッピーがたまたま夫の「心の日記」だったの

だ。だけどラベルも貼ってなくてわからなかった。まあ中身を確認すればよかった

のだけどそこまで気がまわらなかった。

ある日、血相を変えて二階から降りてきた夫に問いつめられるまで、まさかダメに

したフロッピーがそれだったなんて思いもよらなくてこっちが驚いたくらいだ。

わざとやったわけではなかったし。消えてしもたもんは。消えてしもたもん。あき

らめてもらうしかなかった。

「オレの心の歴史を消しよった」と嘆かれて、申し訳ないと思ったけど。どうして

あげることもできなかった。でもすぐにケロッとしていた。





2002年01月30日(水) 夫の大逆襲

・・


2002年01月29日(火) 火曜日はシチュースデーなんて言っている場合ではない

・・


2002年01月28日(月) 傷心の夜が明けた今

慟哭というのだろうか、号泣というのだろうか?よくわからない。とにかく部屋中に響き渡るような声で激しく泣いてやった。幸いここは田んぼの中の一軒家なので
誰にも聞こえる心配がない。2階の奥の部屋で、ぐっずり眠り込んでいる子供たちの耳に届くこともない。心置きなく泣ける。

私の魂をすりつぶすような悲痛な泣き声を耳にすることができるのは、ただひとり。真上にいるあの愚鈍で冷淡で非情な馬耳東風男だけだ。

これだけ伴侶が泣きわめいて救いのサインを出しているのに知らんふりだった。気づかずにガオガオと怪獣のようないびきをかいてすでに眠ってしまっているのかもしれない。確かめる気力など残っていなかった。

そのあとはもう放心状態だった。この家の中には、自分の身の置き所がどこにもないような気がした。かろうじて思い浮かぶ所があるとすれば、それは、私の布団の中だけだろう。

今朝、やっとこさ起きて、子供たちを送り出してから、胸のあたりが苦しくて立っていられなくなってしまい、私の布団に逃げ込んだ。

心がそうとう傷んでいるのがわかった。うまく呼吸ができなかった。そのうち眠りに落ちた。


2002年01月27日(日)  「やや、あせリ出す」

いえね。今大阪女子マラソンをちらちら見ながら打っています。なんとなくふるさと大阪の景色を見たら郷愁にひたってしもてね。

あ、あそこが御堂筋、あ、あれは公会堂、そしてあそこは中之島、ツインタワー、あ、今先頭選手が走っている街並みは、まさに私が高校時代通っていた町並みにに違いない!ああ、ああ、なつかしいではあーりませんか。うるうる。

まあそんな感じでふるさとをなつかしみながらキーを叩いています。

こたつに入って夫もテレビを見ています。

「しっかし胸ないよなあ。旦那さんどうするんだろうか?」

一生懸命走ってはる、とある奥様ランナーの胸を見て、不謹慎なことをぬかしております。さらに、

「まあ、ああいう夫婦はもっと志の高い所で結ばれているのだろうなあ。同じ目的を持つ同志として、男女の欲求なんてすでに昇華してしまっているのだろうなあ」
やて。


2002年01月25日(金) 事態は別の意味で深刻な方向に・・・

・・


2002年01月23日(水) かみ合わぬ歯車 夫との充実した時間

今となっては、ウソみたいなことだけど、


2002年01月22日(火) 家出の理由

昨日は大雨でウットシかったけれど、今日はすっきり晴れた。私の気分はお天気に左右されるので、晴れてくれるとただそれだけで気分がよくなる。ららら♪って感じだ。

今朝、朝ごはんの時にさりげなく夫にたずねてみた。

「あんた私に対してすまないなあ。とか、申し訳ないなあとか思ったことない?」

「ぜんぜん」

「ほんまに?ほんま?」

「うるさいな〜朝っぱらからなんなんだよ」

「朝っぱらからって言うたって、あんた夜は遅いし、休みはいつもいてないし
こんな時くらいしか会話らしい会話もできないやんか」

夫、ノーコメントで、朝食を食べる。

だめだ。失敗した。まあ朝っぱらから本論に持って行くのもなんだものね。と思ったのでやめた。このくらい伏線?をはっておいて、夜にイッキにだだだっとたたみかけてみっかな。無理だろうか?無理だろうな。あああ。

ってこういうことばっか考えているわけではないのよぉぉぉぉ(エコー)おほほほほほほ。ふぅ。


私は何度か家出を決行したことがある。家出といっても「ぷち家出」みたいなものですがね。はじめて「ぷち家出」をした時は、さすがに相手もオロオロしたみたいだ。夫のオロオロぶりを見てけっこう快感だったりした。手紙ももらった。
「なんというか、やはり○○(私の名前)のことが好きなんだろうね。だからもし○○がいなくなったら、俺は会社を辞めて○○を探す旅に出ます。だからもうこういうことはやめてください」とかなんとかいう手紙だった。今思えば信じがたい内容だった。もちろん今となっては当の本人もさっぱり覚えていないだろう。

昔の夫はよく手紙をくれた。最近は全然だ。そんなヒマないのだろうけどさ。


まあ「ぷち家出」も効果?があるのは、2回目くらいまでだった。それ以上決行すると、相手も「またかよ〜勝手にやっとけ」って感じになるみたい。それに家出したって私には行くあてなんてなかったし虚しいだけだった。

私の家出は、どこまでも果てしなくまっすぐまっすぐ歩いて歩き疲れたらくるりとUターンして、今来た道をまたまっすぐ引き返すだけというしょうもないものだった。
まっすぐしか歩けなかった。というのも実は私はヒドイ方向音痴で、あっちこっち曲がると迷子になって帰れなくなると困るから。ってこれではまるで最初から帰るつもりで家出してるみたいですよね。ははは。あほみたい。

その時はカッとなって発作的に家を飛び出すのだけれど、だんだん歩いているうちに冷静になって我に返ってゆくみたい。

家出はここしばらく決行していないなあ。効果ないとわかるとやる気も薄れてしまうようだ。どうせそこらをウロウロして帰って来るだけ。って相手にも思われているしね。まあその通りなのですがね。

当時の家出の理由も、ずいぶんと理不尽でハチャメチャなものだったような気がするが、具体的ではっきりした理由は、


すでになにひとつ思い出せないのだった。


2002年01月21日(月) 恋愛模様雨模様

私の場合、自分ひとりで相手のことを熱烈に思っているだけで、相手にその気持ちが全然伝わらないというパターンがほとんどだった。その本人を前にすると意識しすぎるあまり異常に緊張してしまって、その緊張をほぐすために、わざと素っ気ないそぶりをしてしまっていたし。

気のないそぶりばっかしてしまって、熱いまなざしはついに一度も送れずいじまいだった。あああ。

だけど内に秘めたる想いを抑えきれずに手紙などを送ったりしてしまった。今思えば不気味なことだったかもしれない。自分に対して全然素っ気無い態度をとる相手から突然、自分に並並ならぬ好意を寄せているような文面の手紙をもらうと、やはりとまどってしまうものなのだろうか?自分も好意を寄せている相手だったら、そりゃあどまどいながらもうれしいだろけれど、なんとも思ってない相手だったら
「なんやねんこいついったい」そんな感じなのかな?



2002年01月20日(日) カラダの相性

・・





2002年01月19日(土) 愛情度を計る心理テスト?

おとといテレビで見た「冷めた夫婦の温めかた」の中で、心理テストのようなもの
があった。相手の愛情度を計るテストだった。あの番組をご覧になったかたは、あああれね〜とおわかりになると思う。こんな感じのテストだった。

鉢植えの花があります。その中の一本が枯れています。
さてあなたならどうするでしょうか?

1、水をやる

2、枯れたところだけ切って捨てる。

3、ドライフラワーにする。

4、全部捨てる

とまあこんな感じの簡単なテストだった。これで相手が自分対する恋愛度がわかるとかなんとかだった。

1と答えた人は、愛情たっぷり心配なし。
2と答えた人は、冷めかけてはいるがやりなおせる余地あり。
3と答えた人は、(すみません。答え忘れました。あまりよい結果ではなかった)
4と答えた人は、全然だめ。

ちなみに私は、1とこたえた。

で、さっそく帰ってきた夫に試してみた。夫の答えは

「う〜ん。どれでもない。そのままにしとく」だった。

「?」

こういう回答の場合どこにあてはめればよいのだろう?


2002年01月16日(水) 恋 


2002年01月15日(火) 恋は


2002年01月14日(月) ダブルベッド導入大作戦!求めよさらば与えられん! 

・・


2002年01月13日(日) 怠惰な日曜 蜜月回想日和


2002年01月12日(土) 長い結婚生活によりなくなる緊張感





2002年01月11日(金) 単純なのに難解で病的にシャイな性格の問題

私は今まで生きてきて

好きな人に面と向かって「好きです」って

1度も言ったことがないのだ。

たぶんこれからもないだろう。


面と向かうどころか

恋文にさえも「好きです」なんて恥ずかしくて書けなかった。


私は手紙を書くのが好きで

とくに好きな人にはいっぱい手紙を送った。

きのうの日記にも登場したBFにも

ほとんど毎日のように手紙を送った。

4年間ほど送りつづけたので

のべにしてスゴイ数になると思う。



その手紙の中にも1度も好きだと書かなかったと思う。

ていうか書けなかった。

「好き」「愛」「恋」の文字は意識的に外していた。



では何を書いたのかというと

実にまわりくどいこと。


それとなく「私はあなたが好きなのよ」と
思ってもらえるように
ありとあらゆる工夫をして書いていたように思う。



毎日毎日、いかに相手に的確に自分の心情を伝えられるか

喜んでもらえるか楽しんでもらえるか

私なりに一生懸命考えて書いていた。



それは私にとって実に楽しい作業だった。


授業なんてほんとうにろくに聞かずに

手紙の下書きばっかしていた

いっちょまえに手紙の構想を練っていた。

書き出しを考えるのにあれこれ頭を悩ませていた。



その子は私の手紙が楽しみだと言ってくれた。

うれしかった。よけいはりきってしまった。


でもでも気がつくと
なんかおかしな方向に行ってしまった。


不自然というか曖昧な間柄になってしまった。


ありきたりだけど「友だち以上恋人未満」というのがやっぱ適切かな。


ごくごく一般のフツーの高校生同志のカップルとは全然違っていた。


その頃私は「つきあう」という言葉を嫌悪していて

そういう言葉を使うのが嫌だった。で、使わなかった。

つきあう。やだやだ。なんかやだ。お下劣な言葉。

つきあう。なんて使いたくない。いやいやいや〜。

妙なところにこだわりを持っているわけわからんやつだった。


でもね。「交際する」という言葉は、もっと嫌だった^^。あは。


だから私とその子は

つきあっていたというわけでもないし

交際していたというわけでもない

ならなんだったの?


たまにいっしょにサボって田んぼのあぜ道を語り合いながら
歩いた間柄


朝電車でいっしょになった時だけ電車の中で話をする間柄

帰りの電車がいっしょになった時だけ途中までいっしょに帰る間柄


そんなのウソで。私はいつも待っていたのだ。
いっしょになりたいために
その子が来るまで、何度も電車を見過ごして
待っていたのだ。

帰りだって、いつも待っていたのだ。

偶然を装って待っていたのだ。


そのくせ自分からは絶対に声をかけない

よー!とかおー!とか。

相手から声をかけられるのを待っていたのだ。


声をかけられたら


いつもわざと驚いて見せていた^^。あらまあ!偶然。とか言ってね。

今思えば、すっげー不自然なリアクションだった。ははは。

そんな感じで約4年間続いた。






2002年01月10日(木) 冷めない情熱という名の駅を通過する回想電車

オリンピックの聖火じゃあるまいし
いつまでも燃えつづけていられるような情熱も恋愛感情もありえない。

安定を得ると自然と冷めてゆくものである。


どんな男女の間にも倦怠期は必ず訪れる。


もっとも現在ラブラブ真っ只中の新婚さんには

想像したくないことかもしれないけれど

現にこの私だって、新婚の頃は

想像だにしなかった。

近い未来の自分がこんなに悶々とするさみしい人妻になっていようなんてこと。



当時の夫は私にぞっこんというか首っだけだったし

私のイイナリ、忠実なシモベだった。

もちろん今でも、まあある意味イイナリでシモベだ。

結婚当初私には、自分のどこかに、「結婚してあげたんだ」

という思い上がりが存在していた。




バリバリの進学校に進んでしまってから
私はさっぱり勉強をしなくなった。

進学校というのは、成績優秀の生徒たちばかりが
集まってくるので
その中でまた上を目指すとなると

もうそれこそガリガリになるまで必死で勉強をしなければ
ならなかった。

当時の私は、恋にうつつをぬかしていたし
サッパリ学業には身が入らなくなっていた。

だいたい一時間めの授業はサボっていた。

サボってなにをしていたかというと
他校にいたBF(↑に登場した好きになった子のことです)
といっしょに田んぼのあぜ道を
語り合いながらウロウロと歩き回っていたり
ホームのベンチにすわってボンヤリしていたりした。
(BFについては、ここの過去の日記のタイトル「清い仲」を
ご参照くさだい)


授業に出ても、ろくに授業も聞かず
こっそりBFにあててひたすら手紙を書いていた。

それか寝ていた。


ようするに不真面目でダラケタ生徒だった。


えらい変わりようだ。

たぶん中学時代にめちゃくちゃ無理していたのが

いっきに気が抜けてしまったのだろう。

もともと希望して入った高校ではなかったし。



2002年01月07日(月) ☆なんで翼を使わないの?☆どうにも止まらない

☆「どうにも止まらない」


というわけで帰ってきました。


2002年01月06日(日) (単純で複雑)な(心とカラダ)

。。








2002年01月05日(土) アーモンドチョコボール日和

昨夜は調子が悪かった。

仕事で疲れていたせいもある。

ホルモンバランスを崩しているせいで

情緒が不安定も不安定。

感情のコントロールがうまくできなかった。

夫は休みで相変わらずパチンコ三昧。

いろいろ買ってかえってきたけれど

なんだかむしょうに腹が立ってあたりたくなった。


それに、

「お風呂から上がったらマッサージしてやっからな」

と約束したにもかかわらず。

「あかん眠たい」

と言って、

さっさと寝に行きよってん。


この大うそつき!!


イライラもピークだった。


むしゃくしゃするのでネットにも集中できず

早めにパソコンを離れ

ぼんやりと年賀状の返事などを書きながら

午前1時ごろ床についた。

布団の中で
突然今までの悲しい思い出なんかを
思い出してしまった。

どんどんどんどん次から次へと
悲しかったことが浮かんでくるのだった。


そのうち
涙があふれてきた。

仰向けに寝ていたので

あふれた涙がこぼれ落ちて耳の穴に入って
くすぐたかった。

なかなか寝つけなかったけど
そのうちに眠ってしまったようだ。


途中非常に不気味な夢を見て夜中に目が覚めた。
実に嫌な夢だった。胸が苦しかった。
恐怖で叫びそうになったけれど
我慢した。がくがく震えていた。夢であったことを感謝して
これがどうか夢だけで終わってくれますようにと
何度も何度も祈った。



朝になって、しぶしぶ起き出して仕事へ行く支度をした。

昨日夫が買ってきていたイチゴケーキのような菓子パンを食べた。


しばらくして夫が起きてきた。

知らないふりをしてパソコンで非公開日記をつけていた。

口をきかなかった。なにも話したくなかったのだ。


まわりの空気を察したらしく夫も話しかけなかった。

朝ごはんを適当にすませて出て行った。


時間ギリギリまでパソコンで日記をつけていたけど

いよいよ時間になったので出かけようとして

ふとテーブルの上を見ると

森永のアーモンドチョコレーボールの箱が置かれていた。
私がパソコンに向かっている間に

夫が置いたのだろう。

グリコや明治のアーモンドチョコレートなら
知っているけど

森永のは知らなかった。


パチンコの景品かな?

まあいいや。
おかげで心が和んだ。


仕事に向かう車の中で


昨夜私を泣かした

悲しいことを思い出そうとした。


でもぜんぜん出てこなかった。

不思議だけど

なにひとつ思い出せなかった。

まあ無理に思い出して

悲しくなる必要もないのでそれ以上もう無理に思い出そうとはしなかった。


無理しなければ思い出せないことなのだから

さほど悲しいことでもなかったのかも

なんて思った。


仕事が終わって帰ってきてから

チョコボールを食べた。


おいしかった^^。



2002年01月04日(金) ☆情緒めちゃめちゃ☆恋よ来い来い

☆ 「情緒めちゃめちゃ」


夫に「陰陽秘術パワー全開奇跡の大金運財布」の広告を見せる。

「これこれ、この人、前夫の暴力から逃れ
香港の資産家と電撃再婚
できたんやて。
すごいよね」

とわざと茶化して言ってみた。

「ははははは。よーここまで書けるよな」夫、あきれながら笑った。

なんだか、情緒不安定で、なにもかも投げやりになっていた私は

「ああ私もこの財布買って、アメリカの大富豪と知り合って
みそめられ、ビバリーヒルズで余生をしあわせにすごしたいわ〜」

と言ってみた。

さらに

「そしたら広告に乗せてもらうわ。
夫に見放された私が、この財布のおかげで
アメリカの大富豪と知り合いになりました。
なんのことはない、財布をバッグに入れて
道を歩いていただけです。突然向こうから
リムジンに乗っていた人に呼び止められたのです。
そして同乗していた通訳の人に
奥さん、そんなご主人とサッサと別れて
私とアメリカへ行きましょう。そしてしあわせに
暮らしましょう。と言っておられます。って
言われたのです」


と続けた。ペラペラペラともう止まらなかった。

でもね。


ぜんぜん聞いとらんかった


さすがに、むなしくなってそこでやめた。


ああ、こんな馬事東風男にサッサと見切りをつけて

残りの人生をもっと薔薇色ちっくなものにしたい。


花の命はもうギリギリ

やり直すのなら今しかない


でもやっぱめんどくさい。

そんなドラマチックな出会いが展開するわけもなく。


このまま惰性でゆくしかないのだろうか?

☆「恋よ来い来い」


友人S子から年賀状が届く。

添え書きに「貴女のその美の秘訣をおしえて!」とあった。

めっちゃ気をよくする。

これで3時間くらいは機嫌よく過ごすことができる。ありがたい。

いい友人をもってしあわせかも。おおきに〜ららら♪


なんてね^^。たんじゅーん。


そういえば、今年の夏に里帰りをしたさいS子に

「なんでそんなに全然変わらへんの?
肌めっちゃキレイ!」

と感心された。うれしかった。ほっほーー。


わたしなんて全然たいしたことない。

でも美に対する執着心は強く
美意識過剰な方なので

そこそこのコスメフリークではある。

今までにありとあらゆる通販化粧品を試してみた。

それなり効果はあったように思うけれど

いちばん効果があるのはやっぱり



「恋」だと思う。







2002年01月03日(木) 中途半端な愛情

今日から仕事はじめだ。あいにくの大雪だった。

車が雪で埋まっていた。

夫が先に外に出た。慌てていた。寝坊したのだ。遅刻ギリギリ。

あせって車の雪を払っていた。

窓をあけて、「ついでに私の車の雪も払っといて」


とダメ元で頼んでみた。


「ふざけんな。急いどんのに。自分でやれ」

と言いよった。


「そうか!わかったわ。あんたやっぱり私に対して愛情ないんやね」


と窓越しに言ってやった。


「ったく、愛情どころじゃないわ」


と言い返しよった。ムカムカ。


雪は降りしきる。


言いすぎたと思ったのだろうか


ほんのしばらくして


「前だけ払っといてやるわ」

と言って前だけ払ってくれた。


中途半端な愛情やなあ。と思った。


まあ慌てとったし



こんなもん?




2002年01月02日(水) 7の質問

昨日は元旦なのに

夫はひとりで遊びに出かけた。パチンコだ。


私もいっしょに行くと言い張ったので

夫もしぶしぶ承知したが

よく考えれば、私はああいううるさくて空気の悪いところは
苦手なので、やっぱやめにした。


夕方にいろいろ食べ物とかパンとかを
買って帰ってきた。


私には、キティちゃんのガラス皿とキティちゃんのキャンデーボックスと
キティちゃんのクッションと
キティちゃんのおともだち帳を買ってきた。



どうでもよいが、
この「キティちゃんお友だち張」というのは

夫がダイアリー&スケジュール張とまちがって買ってきたものだった。

中身を見てがっかりした。いくらなんでも使いようがなかった。

たぶん小学生用?


アドレス張のようなものなのだが

やっぱつかえない。

おともだちの

じゅうしょ  なまえ  ニックネーム

しょうらいのゆめ とくぎ

などを書く欄があって(ほとんどひらがな書き)


その裏にお友だちへの質問事項があった。

こんなのです↓ひまなので答えてみた
ほとんどテキト―。

1 今いちばんほしいものは

答え  あるけど活字にできない。

2 たからものは


答え  命


3 もしも生まれかわれるなら?

答え  今度は自由奔放に生きてみたい


4  今、はまっているものは?

答え   とくになし



5  10年後はなにしてる

答え   わからん 



6   好きな人はいる


答え  そこそこ


7   もしも魔法が使えたら


答え  逢いたい人に逢わせてもらう




とまあこんな感じだった。

7個の質問の答えを考えるのも
かなり面倒でたいへんだった。


100の質問に答えるなんて私にはとてもできそうにない。と思った。



2002年01月01日(火) 元旦の朝の秘め事(修正)

あっちこっちで雑記とか日記を書いて
。。。


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