愛より淡く
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2001年12月30日(日) 夜の真ん中

今はとっても真夜中だ。もうすぐ午前2時。

真夜中はしんとして、回りの空気も心も澄んでくるような気がするのだ。

心が澄むと、すごく無防備になって、心が勝手にしゃべりだす。



なんだか混乱して何を書いているのかわからなくなってきた。


ひとます消えよう。明日の朝気が向いたら書きなおそう。そうしよう。

ではぐっどない♪



2001年12月28日(金) 夢のホストクラブ

今年も残すところ(今日を除くと)あと3日。

あああ、あと3日しかない。いや、まだ3日もある。

あせってももうどうしようもない。開き直ろうなにもかも。


で、昨日は、年末特別ドラマ「ナンバーワン」を見ていた。

ホストクラブが舞台のなかなか面白いドラマだった。

夫といっしょに見た。


テレビを見ながら

「ホストクラブなんて無縁の世界やわ」

としごくあたりまえのことを私が言った。


「そりゃあ一般の奥さんは行かないでしょ。
やっぱ有閑マダムとか風俗嬢とかホステスさんとかが
憩いの場所として利用するみたいだよ」

と夫が言った。

よくわからないけれどたぶんそうだろう。

でももしかしたらリッチな独身OL嬢とかも行くんじゃないかしら?


私は、軟派はどうも苦手なので

たいして興味はないけれど。

おもいっきり硬派なホストがいるクラブとか
バリバリ体育会系ホストがいるクラブとかあれば
面白いかも。

例えば

ホストクラブ「柔道一直線」とか
(全員柔道着を着てもてなしてくれる)

ホストクラブ「ラガーマン」とか
(全員ラガーシャツを着てスクラムを組んでいる)

ホストクラブ「THE 新選組」とか
(新選組の衣装を着ている)


ホストクラブ「THE 高倉 KENCHAN’S」とか
(ホスト全員が、無口で不器用)

(すみませんほとんど全部意味不明^^)

でも、もしかしたら
この広い日本探せばあるかもしれない。


2001年12月26日(水) ダンディらいおんハートブレイクカウントダウン

昨日、おとといとクリスマスだったので

回想にひたって日記を書いてみた。

ほとんど無意味なことだったかもしれない。

あの頃のひたむき?な夫は、今はどこを探してもおらん。

おらんおらんおらん。「お」さえ外せば、らんらんらん♪(つまんねーーー)


2001年12月25日(火) ハッピークリスマス

昨日のつづき

○○銀行の前で、待っていた夫は、心なしか心細そうだった。

でも私を見つけると少し顔が明るくなったように思えた。
まあ私の気のせいだったかもしれない。

その時どんな会話を交わしたかはもう覚えていない。

しばらく神戸三宮界隈をうろうろして、
北野通りの居酒屋に入ったと思う。

そこで、新人社員研修の頃の思い出とか
同期の仲間のその後とか話したように思う。

女の子の何人かはすでにもう辞めてしまっている子もいた。
たしか名古屋に配属された子だったと思う。

「そんなんじゃ会社も元とれないよなあ」

とか何とか話していた。

新人社員研修時代は、研修所で約2ヶ月間の缶詰状態で
会社の企業理念と営業のノウハウを徹底的にたたきこまれた。
かなりハードだった。


研修もキツかったけど現場に入って仕事をすると
もっとキツい。ということも話したかな。

社会は厳しい。やっぱ学生時代はよかった。

お互いの学生時代の話などもしたように思う。


あとは
神戸の明石屋焼きがおいしい。という話をしたような記憶もある。

うだうだととりとめもない
話をするうちに時間は午前2時近くになっていたと思う。

あかん。明日仕事や。とあわてて帰ろうとした。

すると夫から

「・・・実は行き当たりばったりできたから
泊まるところないんだ。泊めてくれないかな?」

と言われた。



「それは絶対無理や」

とつっぱねた。そんなの無理に決まっていた。

嫁入り前の私がひとり暮らしの自分の部屋に
男の人を泊めるなんて考えられなかった。

もしうっかり泊めでもして、まちがいでも起こったら
とりかえしのつかないことになる。と思ったのだ。

夫も「じゃあどこか探すは」とすぐに納得してくれた。

まあ当然でしょう。と思った。


で、私はタクシーに乗って自分の部屋に帰り
夫は泊まるところを探してそのまま三宮界隈を歩いた。


翌朝、夫から電話があって

「ひでーぞーーどっこも開いてなくてさ。
ひとりでラブホテルに泊まったんだ。わびしかったぞー−」

と嘆いていた。

ちょっと気の毒だったかもしれないけれど
やっぱ泊めるわけには行かなかったし。
まあ、しゃあないわね。

それにいきなり来るんだもの。

それから私は出勤した。
夫は1日休みをとっていたので
神戸の観光めぐりをしてから帰るとのことだった。


で、夕方また夫から事務所に電話があった。

「今から帰る」

「そう、気をつけて」

そんな感じの実に淡々とした別れだった。

そしてもう会うこともないだろうと思っていた。





その日仕事を終えて部屋に戻ると
郵便受けのところに
プレゼントが入っていた。

夫からだった。

私が仕事中に、夫が私の住んでいるところを
見つけてポストにプレゼントを入れておいてくれたのだ。

全く予期せぬことだったので、うひゃあラッキー!!って感じだった。

中を開けると、お気に入りのブランドのポシェットだった。
肩からななめがけできるようになっていて
とても可愛らしいものだった。

短いメッセージが添えられていた。

何が書いてあったのかもう覚えていない。

男の人からクリスマスプレゼントをもらったのは
その時が初めてだった。

じんわりと感激した。

それに、こっそり届けてくれるところがなかなか憎いかも。
けっこういいヤツかも。なんて思った。

でも近い将来いっしょになるなんてことは思いもしなかった。


そのポシェットは今でも愛用している。


2001年12月24日(月) 奇跡のクリスマスプレゼントその2(イブの出来事)


☆☆「イブの出来事」☆☆


その年のクリスマスも

私はこれといってなんの予定もなく
事務所に残って苦手な事務処理に煩わされていた。


私は営業職だったが、やたらとミーティングが多くて
提出書類も多く、時には、外回りをしているひまもないほど
事務処理に時間を費やされなければならなかった。


夜もかなり更けていた。事務所に残っている人もまばらだった。

いつもの残業の顔ぶれといっていいかもしれない。

所長とあと数名の仕事人間ばかりなりけり。


女性陣は、はやばやとお帰りだった。なにせクリスマス。
それに予定がなくてもそんな日に
やっぱ会社には残っていたくないよね。
ほっほーー。


私は、事務処理が遅いので
その日に限らず、いっつもモタモタウダウダと
残業していた。

どうせ家に帰ってもひとりだったし
当時は新人だったし、それなりに仕事に意欲的でもあった。
少しでも早く事務処理に慣れたかったこともある。


そんな時に電話が鳴った。外線だった。

普通は、電話の外線は、営業の部署にはかかってこないのだが

その日は事務の人たちが全員退社してしまっていたので

事務が出ないと、自動的にこっちに転送されてくるのだ。


まあ夜が遅い時はだいたいそうなった。事務の人は
いつも営業より早く帰っていたし。


そういう電話に迅速に出るのも新人の役目だった。

で、出た。

「はい、ありがとうございます。○○(社名)でございます。」


「あ、○○さんですか(私の旧姓)

○○(私の今の姓)です。」


すなわち今の夫からだった。


「実は、さっき神戸に着いた。ウロウロして
今、○○銀行の前からかけているんだけど
出て来れないかい?」

驚いた。

私に会いに来たのだった。しかもはるばる水戸から。

そう、納豆でも有名なあの水戸です。


そんなあ、いきなり来られても・・・・。


別に全然困らなかったけど^^。


で、大急ぎで片付けて

というかもうそんなのそっちのけで

○○銀行に向かったのだった。


電話のやりとりから

私のまわりにいた人は、いいように勘違いしてくれた。

みんな電話の相手が私の恋人だと思い込んだようだった。

まあ状況からして無理もなかった。

違いますよ。私に遠距離片思いしている人なんです。

なんてことをわざわざ説明する必要なんてあるはずがない!

で、ちょっと気分がよかった。

調子に乗った私はわざとうきうきソワソワしたふりをして
事務所を出た。

へっへーー。


○○銀行の前に

トレンチコートを着て

ボストンバックを持った夫がいた。


明日へつづく。


2001年12月23日(日) 奇跡のクリスマスプレゼント

朝からあーでもないこーでもないと
あっちこっちの日記のデザイン設定を変えて
収拾がつかなくなってしまいました。とほ。

復旧作業に大幅な時間を費やしていまいました。

なにやってんだか。暮れのこの忙しい時に。あー自己嫌悪。

そういうわけで、クリスマスなのでツリーを飾ってみました。↑のことです。

しめて2時間くらいかかってしまいました。


その間かんじんの日記はなんにも書けず。

こういうのって、本末転倒っていうのかしら?あせあせ。


では気をとりなおして本日の日記にいってみましょう!


クリスマスといえば

神戸でひとり暮らしをしていた時に

茨城でひとり暮らしをしていた夫から

クリスマスプレゼントをもらったことがあります。

うちの夫は私に遠距離片思いをしていたのです。

「私には、好きな人がいるからあきらめてください」

と何度も丁寧?に断ったのですが

なにせ夫は驚異の馬耳東風男。

断わった後も連日連日の電話攻撃にあってしまいました。

まあひとり暮らしでしたし

さみしいということもあって

ついつい電話の相手をしてしまった私も私でした。反省。


もともと優柔不断なもので

そう強くは、つっぱねられなかったのです。

押しの強い新聞勧誘員さんに負けて
わけのわからない英字新聞までとってしまったこともありました。
まあ1ヶ月だけでしたがね。

あの時もっとバシーンと強く断わっておけばよかった。

あ、新聞の勧誘のことではないですよ^^。夫の方です。


そうすれば、私は、こんなところで悶々とする必要もなかったのかも。

なんてね。あとの祭り?

長くなりますので、クリスマスプレゼントのことは、
明日のクリスマスの日にでもまた・・・。

それではみなさま





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ありがとうございました













2001年12月17日(月) 産婦人科の一人娘だった友だちのこと

花も身もある十代のころ

私にも心に思う相手はいたけど

一応心が通じあっていると思ってもいたけど

その相手との関係は

なかなか思い通りに展開してくれなかった。

以前もここの日記にチョコっと書いたとも思うけれど。
その相手とは、中学時代の同級生で高校もいっしょになるはず
だったのに、ちょっとした手違いから、別々になってしまった。

よく考えれば私はその頃から絶えず欲求不満状態だったのかも。

自分のウチなる欲求をひたすら抑圧してきてしまった。

そのせいで、どこかが、いびつに歪んでしまったようにも思う。


当時私のまわりにもボーイフレンドたちと
「大人のつきあい」をしている女の子たちが何人かいたけど。

そういう女の子たちは、私にとって別世界の人たちでもあった。

やっぱ高校生なんやから節度を守ったつきあい
をせなあかんと思うわ!

なんて頭ガチガチに考えているところが私にはあった。

それでもどこかでうらやましいと思っているところもあって

心の中はいろいろと複雑だった。


高校2年の時同じクラスで
仲良くなった女の子は、産婦人科の病院のひとり娘だった。

彼女は中学までは地元で有名なお嬢様学校の中等部にいたけど
男女共学にあこがれて、公立高校を志願したということだった。


彼女から女子校の実態とか産婦人科の実態とか
いろいろ教えてもらった。

私は、彼女の話を聞きながら

うっそーーすごーーひえーー

と、いつも目をまんまるくさせていた。


彼女んちの産婦人科の主な収入源が堕胎の手術料だと
いうことも知った。

彼女んちの病院の冷蔵庫には、処置した胎児が入っているビニール袋が
大量に保管されているということも知った。

「えげつない眺めやけど、慣れるとまあ
どうってことないけどさ、知らんと開けたら
まあビビルやろなあ」

と、彼女は実に淡々とした口調で話して聞かせてくれた。

強烈に印象に残っている。

光景を想像するとめちゃめちゃグロテスクで気分が悪くなった。

彼女の病院には
避妊に失敗した女子高生とか女子大生とか
がひんぱんにやって来ていたということだった。

「あきれるで〜
避妊もせんとやることやってからに、いい加減もいいとこ。
もっとしっかりせんとあかんがな。って、言いたなるで、
まあウチとこは儲かっていいけどさあ」

とあっけらかんと話してくれた。


彼女の話はいつも私のキャパシティをはるかに越えてしまっていた。

当時の私にはやはりついていけない世界だった。

とてもではないけれど把握しきれなかった。

それにしても

冷蔵庫の中の

ビニール袋の数だけ

この世に生まれることのなかった生命が存在するのだと思うと

なんだかとてつもなく恐ろしくなった。

その一個一個はもしかしたら無限の可能性を秘めているのかもしれないのに。


そんなふうに考えるともう収拾がつかなくなるほど混乱してしまった。



さすが産婦人科の一人娘だっただけに
彼女の知識は信じられないくらい豊富だった。

知識はあるけど経験は皆無だった。

いわゆる耳年増ってやつだろうか?

彼女本人は同じクラブの男の子に片思いとかしていて

その子の話をするときは、ちょっと赤くなったりして
別人みたいになってしまって

めちゃめちゃシャイで愛らしかった。

今ごろどうしているのかなあ?

高校卒業後いつのまにか疎遠になってしまった。

当時の彼女が話していたように
お医者さんのお婿さんをもらって病院を継いでいるのかもしれない。


2001年12月12日(水) 恋愛と結婚

恋愛と結婚は全く別の質のものであると
思っている。

対極に存在するものだ。とも思う。


恋愛は非日常
結婚は日常

ゆえに結婚という日常の中に、恋愛という非日常を
共存させられるわけがない。

結婚すればその人との恋愛はそこで終わってしまうのだ。

そんなふうに私は考えている。


私には死ぬほど恋焦がれた人がいたけれど
その人と結婚したいとは思わなかった。

ていうか、片思いだったので、あきらめていたということもあったけど


客観的に判断して
その人は結婚に向かないタイプのように思えたし。

それにこれほど好きな人なのだから
できればずっとこのまま心の中で色あせないでいてほしい。
輝き続けていてほしい。なんて思っていた。

まあ永遠の私のアイドル。って感じでしょうか。


その人には、ただあこがれて恋をしていただけであって
愛しているわけではなかったのだろう。

「愛する」に至るまで親しくもなれなかったしね。
もっと深く知り合いたかったけど。うまくいかなかった。とほ。
もっと深く知り合えていたら、案外すぐに幻滅していたかもしれないし
さらに愛するようになれたかもしれない。

わからない。わかりようがない。


その人は今でも相変わらず私の心の中に存在し続けている。

どんなにがんばって
拭い去ろうとしても拭い去ろうとしても

繊維の奥にしみ込んでしまって絶対にとれないしつこい油汚れのように


私の潜在意識に深くしみ込むように

存在し続けている。



2001年12月05日(水) 昨夜は極楽気分♪

昨日は、家族で外食をして
子供たちを寝かしつけてから

リビングでマッサージ器を使って

夫婦で交代でマッサージをした。

そのマッサージ器
患部に当てると適度な震動がおこって
実に心地よいのだ。その名もずばり「バイブレーター」

その上に足を乗せることもできる。

うつぶせになり、それを足首のところにのせて
ブルブルさせながら、夫に足の裏のつぼを押してもらった。

それがトロ〜ンとして
うっかり眠ってしまいそうなくらい
なんともいえない気持ちよさだった。

まさに極楽気分。

それから交代して、そのマッサージ器を手に持って
夫の腰にあてたり肩にあてたりしていた。

「うぅーー効くなあ。気〜持ちいい〜
あーだめだ。眠っちまう」

そう言い、夫はマッサージが終わると
そのまま寝に行ってしまった。

夫はひとり個室で眠る。

さすがに私も睡魔に襲われて
ほわほわ気分でそのまま眠った。

私は子供たちといっしょに眠る。

それでも、悶々とした思いからも解放され
久しぶりにぐっすり眠れてとっても快調♪



そういうことにしておこう。ため息。



2001年12月04日(火) 「都合のいい女」のあの退廃的なパート主婦を思い出して・・

かなり昔のドラマなのだが

「都合のいい女」というドラマがあった。

浅野ゆう子主演で、風間杜夫、宅麻 伸、大谷直子などが脇を固めていた。

ドラマの初回の冒頭シーンにいきなり
浅野ゆう子(役名不明)と風間杜夫(役名不明)の公衆トイレでの濡れ場が
あるらしいという前評判で話題になったドラマだ。

恋人(宅間 伸)にいいように弄ばれているだけの
自分に嫌気がさして自暴自棄に陥ったヒロインが
偶然に乗ったタクシーの運転手と
こともあろうに公衆トイレで行きずりの関係を持ってしまう
というようなところからそのドラマは始まる。

しかし実際の問題のシーンは
前評判ほどたいしたことなかったという
ブーイングの嵐だったとかそうでなかったとか。
詳しくはわからないけど。

公衆トイレで二人が絡むシーンは
全てシルエットだけで処理されていて
浅野ゆう子(役名不明)らしき人影が
公衆トイレの洗面所らしき物影につかまって
お尻を突き出している。
その上に風間杜夫(役名不明)らしき人影が
おおいかぶさっていて
なにやらリズミカルに双方が動いている。

ただそれだけの画像だったのだが

まるで影絵状態で、その様子がなんだか滑稽で
妙に白けたという記憶が私にもある。

そのことがきっかけで
風間杜夫(役名不明)は
浅野ゆう子(役名不明)を追いかけ回すようになるのだが。

そこに浅野ゆう子の恋人役の宅麻伸が
絡んですったもんだすったもんだしながら
ドラマは展開してゆく。

私が忘れられないのは、風間杜夫の妻役の
大谷直子さんの演技なのだ。
毎回ほとんどノーメイクで画面に登場していた。
生活に疲れきっている退廃的なパート主婦で、さらに
ストレス性の発疹に悩まされているという
役どころだった。

彼女は、毎回体中のどこかを
掻きむしりながらセリフを言うのだ。


すごく印象に残っている。

見るからにみずぼらしいアパートに住み
今は冴えない亭主(実はもと有名大学の学生運動の
リーダー)とは、とうにカラダの関係はなし。

そんな感じで、なにもかもすさみきった主婦を
実に巧みに演じておられたのだった。

全身を掻きむしりながら
彼女が吐き捨てたとあるセリフが忘れられない。
↓な感じのセリフだ。

「毎日毎日炊事洗濯そうじパート。そのくり返しさ。
しかも夜のアレは、なし。全然なし。ばからしくってさあ
やってらんないわよ」


実は最近私もあっちこっちにジンマシンのようなものが出て
かゆくて仕方ないのだ。

我慢しきれずポリポリと掻くたびに
ふと、その大谷直子さんの演じる退廃的な主婦のことを
思い出してしまうのだ。

もしかして、これって、同じにストレス性の発疹なのでは?

なんて思うとやりきれない。

ついに私もここまで追いつめられてしまったのか?
私の行く末も、あのなりふりかまわずにすさみきった
退廃的なパート主婦なのか?

しばし自問自答。

今年もあと残すところ27日。

もう間に合わないのか?まだ間に合うのか?

なんとかせねば。なんとかせねば。

なんとかなるやろか?






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