2009年11月30日(月) |
眠る前、娘がきゃぁきゃぁ言いながら私に抱きついてきた。これ、やめなさい。やだー、やめない! 重たいよぉ、潰れるよぉ。いいじゃん、このくらいっ! 娘はなかなか抱きつくのをやめようとしない。本気で彼女の身体が重たくなってきた。そろそろどかしてよ。やだ。足、重たいよ。やだ。結局そのまま寝入ってしまった。眠ってしまった彼女の足はなおさら重い。私はよっこいしょとそれをどける。布団を掛け直しながら、彼女はどうやってこういう術を覚えてきたのだろうと不思議になる。確かに彼女が赤ん坊の頃、私は滅多やたらに彼女にキスをした。抱きしめた。ぎゅうぎゅうやった。でも、ある程度大きくなってからというもの、こちらに照れが出てきたこともあってやめた。キスは父母に止められてやめた。「誰にでもキスするような子供になったらどうするの?!」という父母の主張には閉口したが、でも、さすがに私も、小学生になってからの彼女には、こちらから進んでキスすることはしなくなった。まぁ彼女はそれでもしてくるのだが。私は、子供の頃、父母に自分から抱きついていくような子供ではなかった。抱き合うような「家」でもなかった。だから、小学四年生といったら、部屋で一人で眠って、相手といったらぬいぐるみで、それを抱きしめて眠っていた。そのせいかもしれないが、娘のこの、親愛の表現に、時々戸惑う。照れる。照れて、やめてーと言ってしまう。言いながら、なんか変だなぁとも思っている。変なのは私なのか、それとも娘なのか、どっちだろう。まぁどちらでも、いい。 まだ雨の降る中、ベランダに出て髪を梳く。マリリン・モンローが、ものすごく濃い色に染まっている。留守の間にますます色を深めたらしい。そして僅かずつだけれども綻んできている。今週中には咲くだろうか。 ミミエデンはまだ病葉を持っており。私は飽きずにその葉を摘む。隣のベビーロマンティカは元気だ。病葉もない。このくらいの雨なら吹き込んでこない場所に鉢を移したせいか、土がすっかり乾いている。そろそろ水をやらなければいけないかもしれない。
レモングラスの葉とペパーミントの葉。それぞれ2:1の割合で混ぜてお湯を入れる。ペパーミントは苦手だと思い込んでいたけれど、こうして混ぜると、胸がすぅっとすることに気づいた。おいしい。気持ちが窪んでしまった時には、ちょうどいいかもしれない。そんな気がする。 そのハーブティを飲みながら、とある作家のエッセイを開く。横書きの、絵本の作りになっており。彼女の作品は画廊で何度か見たことがあった。ここ数年画廊通いもしていないから、最近の作品は全く知らないけれども。私より年上の彼女が語る。まるで、ぬいぐるみのなかにくるまって、世界を見ているようだった、と。悲しいを初めて知った、と。人っていいなと初めて思ったと。ってことは自分も結構いいものかもしれないと思えた、と。 エッセイにいつの間にか入り込んでいて、私はそのエッセイに沿って自分を辿る。私は父母の「家」に沿うよう必死になってその「家」の子供を演じていた。演じているというより、それが全てだった。他のことなど知らなかった。私にとって「家」は大きかった。大きすぎた。世界の全てのようにさえ見えた。だから、そこからはみ出たら生きていけないんじゃないかと思っていた。 少しずつ外の世界を知るようになるにつれ、私は徐々に「家」からはみ出していった。はみ出しながら、とてつもなく不安に陥った。これでいいんだろうか、本当にいいんだろうかと何度も自分に問いかけた。問いかけながらも、はみ出さずにいられない自分がいた。気づいたらすっかりはみ出して、そうして自分から「家」を飛び出した。 今もやっぱり、「家」からははみ出している。でもまぁそれでもいいのかなとも思う。もはやはみ出したものは元に戻らないのだし。手足をちょん切ってまで元に戻ろうとは今更思えないし。こういう在り方も、あるのかなぁと。そう思う。 そもそも、演じていたと思うのは、今だから演じていたと思うのであって、あの当時は演じていたわけでも何でもなかっただろう。それが全てだったのだから。それしか知らなかったのだから。そして何より。 父母は化け物でも何でもない。ただちょっと普通とは異なっていたというだけで。そして間違いなくそれが、私の父母だというだけで。 今は、そう思う。
友人と、それぞれの学生の頃の話で盛り上がる。彼女はお酒が好きで、友人ともよく飲んでいたらしい。どちらかといったら潰れるタイプだったらしく、だから、逆に友人を潰すのが楽しくてしょうがなかったという。 私はといえば。たいてい会計係か世話係で。酔うということを殆ど知らずに過ごした気がする。夜のバイトを経験するまでは、自分は飲めないんだと思い込んで過ごしていたし、夜のバイトをしてからは、余計にセーブがかかった。酒を飲んでも飲まれるな、というような。酔っ払いをあまりに大勢見て過ごしたからかもしれない。酔っ払えるというのが少し羨ましくもありながら。 彼女の話を聴いていると、本当に可愛くて、そしてちょっと羨ましくなる。私には、そういう、何と言ったらいいんだろう、そうだ、女の子、として過ごした時間が、殆どなかった気がする。 ドスの効いた、よく通る声で、そもそも可愛いもへったくれもあったもんじゃない。それが私の持ち声だし、図体もでかければ仕草もでかい。かわいらしい、という言葉はだから、私にはどうやっても似合わない。 やっぱり、人には、役割みたいなものがあるのだなと思う。生まれ持った性質というか。私はかわいいと言われるより、姐御と言われる方が、多分、しっくり来るんだろう。 いや、それにしても。かわいい女の子はいい。頭を撫で撫でしたくなる。
雨が、止んだ。いつの間にか。私はバスに乗ろうと思っていたのを止めて、自転車に変更する。走り出せば、途端に凍える指先。でもそれは、気持ちいいとも背中合わせ。銀杏並木の道は、昨夜の雨で葉がすっかり散り落ち。絨毯のように葉が敷き詰められている。その上を自転車でそろそろと走る。なんだかただ走りすぎるのはもったいない気がして。 出掛けの娘の言葉が頭の中蘇る。ママ、いってらっしゃーい、ほら、ミルクにキスして! やだよぉ。してよぉ! 青空が見えたり隠れたり。雨が再び降り出さなければそれでいい。今朝一番で電話を掛けてきてくれた友人の上にも、できるなら青空を。
さぁ、今日も一日が始まる。 |
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