2009年12月31日(木) |
午前五時、アラームの音で目が覚める。アラーム音の向こうで、回し車の音がする。からら、から、からら。あれは誰だろう。立ち上がって近づいてみると、ココアがちょうど回し車に乗っているところだった。おはよう、ココア。声をかけながら私は窓に近づく。カーテンを開けて外へ。まだ辺りは闇の中。街も沈黙している。そんな中、点る灯りは二つ。点在する街灯の灯りとは異なる色合いが、私の眼の中で揺れる。 闇の中、ぼうっと浮かび上がる白いホワイトクリスマスの蕾。ぱつんぱつんに膨らんで、それでもまだ開かない蕾。私は正直少し心配になっている。いくら寒いからとはいえ、こんなにも長いこと蕾が開かない、そのことが心配でならない。株がどうにかなってしまった、というのでなければよいのだけれども。でも蕾は生き生きとして、ぱつんぱつんに張っている。 その隣のベビーロマンティカの蕾が濃い煉瓦色を見せ始めたのが数日前。昨日の天気のおかげでそれは一層姿を露にし。今は闇に溶け込むようにしてしんしんと黙っている。 雲がなんとなしに空にかかっている。今朝朝焼けは見えるだろうか。私は空をじっと見つめている。
顔を洗い髪を梳かし。そうして私は、今度巣から出てきたゴロを手に乗せ、布団の方へ。そして娘のほっぺたの上にゴロを乗せる。さて娘はどうするんだろう。 ゴロの、遠慮がちに歩く仕草に娘はすぐに気づき、ゴロを手のひらへ。でもまだ瞼は開いていない。私は放っておくことにする。しばらくすると、ゴロ、ゴロ、と名前を呼ぶ娘の声がする。起きたらしい。私は朝の仕事に取り掛かりながら、その声を聴いている。 ママ、今度からこうやって起こして! 娘が言う。ええー、それは気分次第ってことで。私が返事をする。娘はゴロに、ママってけちんぼだよねぇ、と言っている。私はちょっと笑いながら、お構いなしに仕事を続ける。 今朝一番に入れたお茶はレモングラスとペパーミントのハーブティ。そして二杯目はジンジャーミルクティ。ちょっとだけお砂糖を入れて甘くしてみた。たまにはこういうのもいい。 二杯目のお茶を飲みきったところで、私は朝の仕事をさっと切り上げる。こういう日はさっさと行動するに越したことはない。私はミルクと遊んでいる娘に声をかけ、大掃除を始める。 布団を上げ、シーツを洗濯機に放り込む。娘の枕からカバーを引き剥がし、これも洗濯機へ。タオル関係を全部洗濯機へ放り込み、スイッチを入れる。洗濯機が回っている間に、本棚の掃除。もう娘が読まなくなった、小さい頃の冊子を全部よけて、そこに娘の新しく買った本を入れるように伝える。彼女がその作業をしている間に、私はテーブルを片付ける。改めて見てみると、要らないものがある、ある、ある。私はここぞとばかり、遠慮なく捨ててゆく。 そして気づく。数年前友人が送ってくれた荷物の大きな箱。それは、私がまだ多少なりの或る活動をしていた頃だった。その活動の足しになればと、友人が送ってくれたのだった。私は懐かしく、それを順繰りに眺める。友人はどうしているだろう。私がその活動から身を引いて久しく会っていない。今彼女はもしかしたら裁判の真っ最中かもしれない。そう、そんな身の上にもかかわらず、彼女は荷物を送ってくれたのだった。あぁ、これらをどうしよう。私は深く迷う。私の家で個人的に使ってしまうにはあまりにも。そう思い、私と同じく生活を切り詰めている友人一人に電話をしてみる。 結局、幾つかを手放すことにした。そして、それまでテーブルの下、横たわっていたダンボール箱を、私は折り畳む。今まで本当にありがとう。心の中で何度も言いながら、私はそれを折り畳む。 娘が片付けた机の下や畳の上をぐいぐい箒で掃いて、仕上げに掃除機をかける。少しでも要らないと思えるものは次々ゴミ袋へ。娘もだんだん乗ってきて、ゴミ袋はあっという間にいっぱいになる。ついでだからと、娘のぬいぐるみも整理してもらうことにした。溜まる一方だったぬいぐるみ。こちらにも、今までありがとうと一声かける。娘の遊び相手になってくれてありがとう。そうして私たちは、一通り大掃除を終える。時間はあっという間に昼前。ようやく一息つけると、煙草に火をつけた私は、一杯の珈琲を入れる。
昨夕、久方ぶりの友人との再会。北海道から出てきた友人は、出てきてからの数日間、走りっぱなしだったらしい。疲れたぁと言いながら、ごくごくとお茶を飲み干す。私はその様子を少し笑いながら見守る。 思いつくことを思いつくままに語り合う時間。あっという間に過ぎてゆく。友人と知り合ったのはもうどのくらい前だったか。お互い写真を撮っている、ということから、縁が生まれた。お互い撮り焼いたものを見せ合ったり、催した展覧会に足を運んでみたり。そうしてもう何年もの時間を重ねている。その間に友人は、東京から北海道へ引っ越した。その前後に彼の写真もまた変化していった。環境や心境の変化がそのまま写真に現れた。でも何だろう、彼の写真は大勢並んでいる写真の中からも、彼のものだということはこちらに伝わってくるもので。だから私は彼の作品が好きなのだった。 再会を誓って別れる。またすぐ会えるだろう。そう、きっと。
帰宅してすぐ、私は、展覧会のお礼状作りにかかる。いらしてくださった方の中で、ノートに名前を残してくださった方へ、年明けにでも送ろう。そう決める。写真を一点添えたいと、選び始めたのだが、一瞬迷う。でもやっぱり。結局、モノクロの、街景の写真にした。地味かもしれないが、これが多分、ここ最近の私をよく映し出している。そんな気がする。 そうしている間に娘が帰ってくる。娘が帰宅するなり、いっそう騒がしくなった三つの小屋。娘は会いたかったよぉと言いながら、ミルク、ココア、ゴロに挨拶をする。
娘がテレビに見入っている。何を見ているのかと思えば、動物たちの出産、子育ての番組だった。キリンが立ったまま必死に痛みと戦い、そして産み落とす赤んぼう。ママもこんなふうに産んだの? うん、そうだよ、あぁでも、あの膜みたいなのがあるでしょ、あれがね、破れちゃったんだよね。え? うん、まだ破れる時期じゃないのに破れちゃったの、それが分かって、慌てて入院したら、陣痛が来たの。へぇ…。ねぇママ、象の赤ちゃん、120キロだって。でかくない?! そりゃ大きいでしょう。あなたは2890グラムだったよ。覚えてるの? そりゃ覚えてるでしょう。ふぅん、そういうものなんだぁ…。 朝方空に大きくかかっていた雲はだいぶ散っていったものの、まだ北西の空に溜まっており。でも私たちはそんな空を見上げながら自転車に跨る。学校の脇を通り、小さな教会を通り過ぎ、埋立地の方へ。大掃除が無事に終わったら映画を見に行こうかと約束していた。その約束を果たさなければ。 私は所々で自転車を止め、娘を待つ。娘は、骨折してから自転車の乗り方がひどくゆっくりになった。昔は待つ必要など殆どなかったのだが、今はこうして時折止まって待たないと、走る速度が違いすぎて、離れ過ぎてしまう。 高架下を潜り抜けると埋立地へ。明るく弾けるような陽射しが辺りに降り注いでいる。その陽光を受けながら私たちは走る。今日は風が強い。びゅうびゅうとビルの間を吹いてくる風に押されながら、私たちは自転車を漕ぐ。 街を行き交う人の表情はみな軽く柔らかで。今日でこの一年も終わる。そう、もう半日もしないうちに今年は終わるのだ。なんて早い一年だったろう。あっという間だった。その間になんとたくさんのことがあっただろう。私は自転車を漕ぎながらそれらが走馬灯のように脳裏を過ぎってゆくのを見やる。でも多分、いい年だった。いい一年だった。 ママー! 後ろから声がする。振り向けば、必死になって自転車を漕ぐ娘。どうしたの? 私が立ち止まって尋ねると、なんでもないよぉ、って、ほら、抜かした! 娘が嬉々として走ってゆく。私は苦笑しながらそれを追いかける。 ちょうど信号が青に変わった。空の色と交差するその色。私たちは勢いよく横断歩道を駆け抜けてゆく。 |
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