見つめる日々

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2009年10月31日(土) 
午前三時。電話のベルで目が覚める。こんな時間に一体誰だろう。ナンバーを確かめて受話器を上げる。今仕事が終わってこれから帰るところなんだ、と友人は言う。ちょっとこのところ仕事がきつくて疲れてしまったよ、と言う。うんうん、と私は応える。こんな時間に申し訳ない、でも元気かなと思って。うんうん、こっちは何とかやってるよ。ひぃひぃ言いながらも、それでも何とかやってる。そうかぁ、よかったぁ。このところあなたたちが夢に出てくるんだよ、娘さんは笑ってるんだけど、あなたの顔がよく見えなくて、なんだか心配になってしまって。うんうん、ありがとう、大丈夫、何とかやってるから。そうかぁ、それならいいんだぁ。少し酔っているらしい友人は、それでも心配げに訊いてくる。困ってることはないか、悩んでることはないか。だから私は笑って応える。困ってることといえば、お金くらいで、あとは大丈夫だよ。悩んでることかぁ、悩んでることも特にないよ、大丈夫。それよりそっちはどうなの? あぁ、自分は、なんかもう、わけが分からなくなってきてるかなぁ、働いているのか働かされているのかもよく分からない。それでも回っていかなくちゃいけない、それがどうにもバランス取れなくて。でもさぁ、仕事があるだけいいと思うよ、うちの弟なんて、仕事がなくてなくて、今本当に困っているもの。そうだよねぇ、仕事があるだけましだよねぇ。それは分かってるんだけど。そうだよねぇ、そんなこと分かってるんだよねぇ、分かってても、これでいいんだろうかって思うことあるよねぇ。うん、あるんだよぉ、どうしようもないんだよ、もう。ねぇ、久しぶりに会えないかな、時間取れないかな。ちょっと待って、予定表見るから。
運が悪いときは徹底して悪いもので、私の予定と友人の予定がうまく噛みあわない。結局、じゃぁまたいつか、と言って電話は切れた。これから始発まで何処まで歩けるかやってみるのだという。
私は、もう眠れる心境でもなく、なら折角空いた時間だ、と、パックをすることにする。パックなんて殆どしない自分だから、こういうひょんとできた時間がちょうどいい。私は、鏡に向かって顔中にクリームを塗りながら、頭は別の所に向いている。時間は午前四時を少し回ったところ。確か十分放置するんだったよな、と思い出しながら、私は一本の煙草をくゆらす。開けた窓の隙間から流れ出る白い煙。そして改めてさっきの電話を思い返す。何故こんな時間に友人は電話をかけてきたのだろう。普段とても礼儀正しい友人だ。こんな時間にかけてくることはまずない。よほど思い余って電話をしてしまったのだろうと思う。今頃何処を歩いているのだろう。線路沿いの道、まだ闇の中、とぼとぼと歩く友人の背中が見えるようで、私は心がきゅっとなるのを感じる。明日も仕事なのだと言っていた。私はそれを手伝うこともできない。彼が為さねばならない仕事。誰も手伝いなんてできない。
気づけば十分はとうに過ぎており。私は顔を洗いにゆく。これをしたからって何が変わるんだろう、と思うのだが、多分多少は何か、変わってるんだろう。私が鈍くて気づかないだけで。とりあえずパック終了。化粧水をはたきながら、私は廊下を行ったり来たりする。この、ぽっとできた時間、どうやってすごそうか、同時に、友人は無事に始発に乗ることができるだろうか、と。
髪を梳きながら、私は薔薇を振り返る。今日多分、マリリン・モンローの蕾は開くだろう。ちょうど留守にする今日だから残念だが、仕方がない。半分開いている花に鼻を近づけ、私は息を吸い込む。芳醇な香りが胸に流れ込む。この品種を作った人は、何をもってマリリン・モンローと名づけたのだろう。きっとこの香りと花びらの色味なんだろうけれども。それにしても、なんて豊かな香りなんだろう。豊かでありながら、少し切ない。そんな香り。

しばらく連絡のつかなかった友人から連絡が来る。このところ微熱が続いていて、と彼女が言う。大丈夫? うん、なんか上がったり下がったり、安定する時がなくて。そうかぁ、それじゃぁしんどいねぇ。うん、しんどい。でも、展覧会行きたいなぁ。うん、見てほしいなぁ、体調さえよければぜひ見てほしいなぁ。もし今月が無理でも、来月何とかしたいと思ってるんだ。うんうん、ありがとう。待ってるよ。
今彼女には一つの転機が訪れている。再婚という大きな転機が。最初の結婚は、殴られ続ける毎日だった。殴られ追い詰められ、彼女は耐えられなくなって逃げ出した。病院に何度もお世話になった。他にも彼女には傷がある。そうしたたくさんの傷を負いながら、彼女は今を生きている。
再婚するということに対して前向きになろうとすればするほど、かつての結婚のことが思い出され、混乱するのだという。それとこれとは違うのだと自分に言い聞かせても、無意識の部分が葛藤してしまうのだという。無理もない。
きつい時、私が彼女に頼まれて作った言霊ブレスを眺めながら、彼女は石の言葉を聴いているのだという。死んで何になるの? 今死んで何になるの?と石が語りかけてくるのだという。私は敢えて、彼女に、普段彼女が選ばないだろう石を一種類、ブレスに編みこんだ。その石が、特に語りかけてくるのだという。ねぇさん、そのせいかね、この石、どんどんぴかぴかに光ってくるんだよ。もうべかべかっていってもいいほどなんだ。私は電話の向こう、彼女の腕にはめられたブレスを思い浮かべる。強く光り輝くあの石の様がありありと思い浮かぶようだ。それに引き上げられて、浮上することが時々あるよ。そっかぁ、うんうん。私は彼女の言葉を聴いている。最近、ねぇさんとこのあの石もまた気になってるんだ。あぁ、とてもいい子たちだよ、穏やかで、それでいて強くて。写真見てるだけでどきどきするんだよ。あの子たちだけ違って見える。そうかぁ、うんうん。
じゃぁまた連絡するよ、わかった、待ってるね。そう言って私たちは電話を切る。多分大丈夫、彼女とはまた会える。私はそう信じている。

私は疲れ果てて眠った。顔を洗うことさえできぬほど疲れていて、そのまま眠った。眠りの中で何度も、もう亡き友人たちの顔が浮かんでは消えた。走馬灯のようにそれは浮かび上がり、万華鏡のように次々姿を変え。私の中で回っていた。私は思わず呼びかける。もういないはずの友人たちの名を次々呼ぶ。彼らは笑って、逝った当時の若さのまま、私を振り返り、にっこりと笑う。ねぇどうして、あなたたちは逝ってしまったんだ。私は無駄と知りつつそんな問いをぶつける。誰も応えない。誰も応えない。それでも、私はぶつけてしまう。ねぇ、どうして死んでしまった。どうして生きていてくれなかった。どんな形であっても生きていてくれさえいたら、まだ次があったのに。
そうして夢は唐突に消えた。

気づけば五時半。慌てて娘を起こす。今日は早めに家を出なければならない。娘の代わりにミルクとココアに餌をやる。ミルクが身体を伸ばして小屋の入り口に上り、こちらに出てこようとしている。だめだよ、だめだよ、と声をかけながら、私は餌を小屋に入れる。ほら、ごはんだよ、そっちにいきな。そう言っても、ミルクもココアもいっこうに、小屋の出入り口から離れようとしない。仕方なく、ふたりを掌に乗せ、ちょっと構ってやる。支度を終えた娘にバトンタッチし、私はゴミをまとめる。今日はゴミの日。
家を出て始発のバスへ。バス停から見える東の空が、今、朝焼けで燃えている。ママ、すごいね。うん、すごいね。雲がどんどん流れてゆくよ。これなら晴れるかなぁ、今日。どうだろう、わかんない。晴れてくれると助かるんだけど。そうだよねぇ。私たちは二人で東の空をじっと見つめる。
始発のバスに乗って駅へ。そして電車へ。そこで私たちは別れる。じゃぁね、じゃぁね、またね、メールちょうだいね。うんうん、分かった。電話もするよ。うん。それじゃぁね。といったところで電車のドアが閉まる。娘がウィンクをしてくれる。私はウィンクできなくて、にっと笑って手を振る。
さぁ、一日が始まった。感傷に浸っている暇はもうない。このまま走ってゆけ。自分。逝ってしまったみんなの分も、精一杯、走れ。


2009年10月30日(金) 
寝過ごした。慌てて時計を見る。五時十分。私は布団を跳ね除け起き上がる。ミルクが気配を察しがりがりと小屋の入り口を噛んでいる。ごめん、相手をしている暇は今ないんだ、謝りながら私は支度をする。顔を洗い、化粧水をはたき、口紅を引き、髪を梳く。慌てすぎたせいかいつもと順序が逆。何となくしっくりこない。小さな習慣であっても、それを崩すとどうもこうお尻のあたりがむずむずする。こんなふうになるのは私だけだろうか。コンピューターのスイッチを入れながらそんなことを考える。
何となく辺りがけぶっている。アスファルトを見下ろして気づいた。昨日のうち雨でも降っていたのかもしれない。出しっぱなしにしていた雑巾もしっとり濡れている。雨というより霧雨だったのかもしれない。その程度の湿り。私は振り返って薔薇を確かめる。マリリン・モンローの蕾は多分今日開くだろう。もう綻びかけた蕾の先。私は空を見上げる。今日の天気はどんなだろう。まだ湿り気の残る空気。でも、空はだんだんと明るくなってきている。雲も地平を漂う。天辺は空洞。これならきっと晴れてくれるに違いない。

ママ、ママ、見て! ほら! 娘に呼ばれ窓際に飛んでいく。すごい夕日だよ。燃えてるよ。ほんとだぁ。ママ、写真撮らなくちゃ。え、ママはいいよ。じゃ、私が撮る。そう言って携帯電話を取り出し早速写真を撮る娘。何でママは撮らないの? うーん、ママの写真はモノクロだし、今あなたが撮ったし、ママは心の中に刻んでおくんでいいかなと思って。ふぅん。あ、ほら、もう堕ちるよ。うんうん、ここから速いんだよねぇ、堕ちてゆくのが。あの雲がなければなぁ! そう? 雲があるから太陽が燃えてるのがぐっと引き立つんじゃないの? そうかなぁ、私はないほうがいいと思うけど。あ、堕ちる!
私たちはそうして、しばらく窓際に佇んでいた。堕ちるのがあっという間なら、堕ちた後空が黄昏るのもとてもとても速い。瞬く間に辺りは紺色に染まっていく。私たちの影も、いつの間にか闇に溶けている。

友人が亡くなった知らせが届く。電話一本。密葬だという。
久しぶりにそういう知らせを受けた。心がしんとする。確かに世界は、誰か一人がいなくなったからといってどうこうなるものではない。実際、いつもと変わらず夜も来れば、朝も来る。それでも。何だろう、この、何かが欠けたような感覚。
ここしばらく会っていなかった。一番最後に会ったのは、いつだろう、多分三年くらい前だ。私がぐらぐらとまだまだ揺れていた頃だ。それ以降は、時折手紙のやりとりをする程度だった。お互いに気軽に会える距離ではなかったし、気軽に会える心境でもなかった。でもそれは、私がそう思っていただけだったのだろうか。もうしばらくして、落ち着いたら会おう、そう思っていたのは私だけだったんだろうか。
一週間前、届いていた彼女からのメールを読み直す。普段と変わりなく、生きてるよ、という言葉から始まるメールだった。そこには、私たちが出会った当初のことがいろいろ書かれていた。そして、こうも書かれていた。思い出すよ、あの頃まだ、エネルギーが残ってた。あの頃まだ、生き延びなくちゃと思ってた。最近それが、曖昧になってる。それでも生き延びようって約束したよね。だから生き延びようって思うんだけど、でも。
でもの続きは? でもの続きは何だったの? 今更もう訊きようがないけれど、それでも私は尋ねてしまう。でもの続きは? ねぇ、教えてよ。
そうしてまた一人、消えてゆく。私の周りからまた一人、灯火が消えてゆく。消えたものを再び元に戻すことはできない。だから私はただ、こうして祈るしかない。
私は生き延びるから。約束したよね、生き延びるって。私は生きるよ。ぎりぎりまで生きる。だからそっちへは当分行けない。

人参を買ってミルクとココアにやってみたいと言う娘につきあってスーパーに行く。薩摩芋が一本九十八円。あぁと思いついて私は二本買い込む。それからレモン。あとは夕飯に使う長芋とブロッコリー。
人参を細めに切って娘に渡す。早速ミルクとココアの鼻先にそれを差し出す娘。しかし。ココアはぴゅっと巣の中に逃げてしまう。そしてミルクだけが、これは何だというふうにかり、かりっと噛んでいる。あんまりおいしくないみたいだね。うん、そうみたい。つまんないのー、折角買ってきたのに。まぁまぁそう言わず。梨でもむこうか? うん、食べたい。友人から届いた大きな大きな梨を、私は包丁でむいてゆく。パン皿に切り分けるのだが、本当にそれは大きくて、山盛りになってしまう。でも、娘にかかればそれはあっという間。ぺろりとたいらげられてしまう。
その間に私は、まず一回目、お湯を沸かす。塩をふたつまみ入れ、その中にブロッコリーの芯をまず入れる。少ししてから残りの部分を全部。そうして一分ちょっと。緑が鮮やかになってきたら堅めの状態でざるにあける。
ブロッコリーを茹でている間に一センチほどの厚さに切って水にさらした薩摩芋を、次に沸いた湯の中にどぼどぼと入れる。ぐつぐつ、ぐつぐつ。薩摩芋が茹で上がるまでには少し時間がかかるから、その間に私は長芋を卸す。
芋が柔らかくなってきたら、木ヘラで細かくする。とろとろ煮込まれて来たら、砂糖をひとつまみ入れて、最後にレモンを軽く絞ってできあがり。これは多分、娘は食べないだろうから、私の好みで全部仕上げる。シナモンも振っておこう。おなかがすいたときにはこれを一口食べればいい。
勉強終わったよぉという娘の声を受けて、私はもう一度湯を沸かす。そして蕎麦を茹でる。四分ちょっと。そうしてとろろ蕎麦とブロッコリーのサラダで手抜き夕飯。まぁ、疲れているときはこんなもの。
それでも、娘ははふはふ言いながらおいしそうに食べてくれるのだからありがたい。私の二倍の量入っている蕎麦を、あっという間に食べてしまう。そして、膨れたおなかを私に見せて、ほらほら、こんなになったよ、と言う。まさにドラえもんのおなか。

ねぇ、あなたがいなくなったからって、世界ががらりと変わるわけじゃぁないけれど、それでも、私の周辺はちょっと変わるよ、やっぱり。私がいくら出したとしても、あなたからの手紙や電話はもう二度と届かない。生き延びようと思い直す時思い出すのはもう、過去のあなたの顔ばかり。今のあなたの顔をもう思い出すことはできない。それにね、何よりね、あなたと一緒に泣いて越えた幾つもの夜は、あなたが死んだからといって、消せるものじゃぁない。決して。
たとえ私たちの命が、この宇宙の中、砂粒より小さいものだったとしても、それでもね、変わるんだよ、砂粒一つが、在るはずの砂粒一つがないというだけで、さらさらと砂山は崩れるかもしれないんだよ。ねぇ、聴こえる? 聴いてる? 今、あなたは何を思う?
だから、私は生きていく。生き延びる。ぎりぎりまで生きてやる。誰が何と言おうと、恥を晒そうと何をしようと、それでも私は生きてやる。
だからサヨナラ。当分、サヨナラ。また、会う日、まで。

それじゃぁね、うん、ママ、頑張ってね。わかったー。それじゃぁねー。手を振り合って別れる。別れた直後、メールが入る。応援してるよ!と一言。
今日は学校の初日。娘も学校なら私も学校。どうしてもしたかった勉強を、いまさらだけどしてみるつもりだ。もしかしたら勉強したからといって何の役にも立たないかもしれない。何の形にもならないかもしれない。それでも。勉強したいと思った。そんな自分を、今は信じてみる。
駅の脇を流れる川は緑青色、ゆらゆらと水面を揺らしながら流れてゆく。陽を受けてそれは、きらきらと輝く。街往く人はみな、何処かしら俯いて歩いてゆく。私はその間を、できるだけ背筋を伸ばして歩く。意識して顔を上げ、背筋を伸ばして。


2009年10月29日(木) 
真夜中何度か娘に蹴られて目が覚める。子供の頃ってこんなに寝相が悪かったっけか、と娘の寝相を眺めながら思う。私は子供の頃ベッドで一人で寝ていた。ベッドでどう暴れようと、ベッドの柵があったし、そもそも私のベッドの半分はぬいぐるみで埋まっていたから、暴れようがなかったのかもしれない。それに対して、娘はもうこれでもかというほど身体を動かす。よほど何か夢でも見ているのかと思い後になって尋ねると、「女子トイレに男子が入ってきたんだよね」とか「ママがいないときに家が火事になってミルクとココアを連れて逃げたんだ」とか、やっぱり結構な夢を見ている。でもまぁ、笑いながら話せるうちはまだ大丈夫なんだろう、夕方になってもう一度尋ねると、もうすっかり彼女は夢のことなど忘れている。私は今朝も、彼女の足蹴りで起こされ、布団から起き上がる。
外はまだ闇の中。窓を開けベランダに出る。冷気が私の全身を覆う。背筋がぶるりと震える。でも、私にはこの冷気が気持ちいい。鼻水が出そうになる寸前の、この冷気が、たまらなく気持ちよくて、私は深呼吸する。
徐々に緩んでゆく空。張り詰めていた闇が少しずつ少しずつ緩み、やがて夜明けの色になる。私はその空の下、顔を洗い、髪を梳き、口紅を引く。

二つの荷物を抱え、郵便局へ。ひとつは西の街に住む友人とその娘さんへ。もうひとつは引っ越したという友人へ。それぞれ送る。郵便を出すという行為は不思議なもので、その行為の最中ずっと、出す相手の顔がふわりと目の前に浮かび、まるで目の前に彼女らがいるような気持ちになる。私はだから時折彼女らに話しかける。ねぇ元気だった? 今何してるの? これから郵便を送るよ。無事に届いたら返事をしてくれると嬉しい。そんなことを思いながら、荷物を託す。
それが終わったら銀行へ。昨日注文があった品物の代金が振り込まれているかどうかの確認。無事振り込まれている。これで荷物をまた一つ送ることができる。
郵便局と銀行を行き来しながら、途中、私は川と海とが繋がる場所に寄ってみる。川岸に止められた小舟の屋根に身を寄せ合いながら止まる鴎たち。この季節になると鳩より彼らの体の白い色に目がゆく。まさに凛とした白い色。そして彼らの啼き声は、潮騒を思わせる。濃い灰緑色の川面にゆらゆらと揺れる白い影。

まだ搬入の時の疲れが残っているのか、体が何となくだるい。だるいのに、動きたくて仕方がない。動かなくてはいけない気になっている。私は体の中に溜まった力に引きずられるようにして、あちこち部屋を片付け始める。
手始めに洋服ダンス。畳んでしまってある薄手のシャツなどのうち、縁のほつれたものを片っ端からゴミ袋に入れてゆく。あまりに繰り返し着すぎて色褪せたものも併せて、次々放り込む。それから本棚。本棚に入りきらなくなった本たちをどう片付けるか。私は本棚の前で腕組し考える。本は棄てたくない。棄てるくらいなら古本屋に持っていって必要な人に渡したい。さて。最近図録が増えている。あとは文庫本。新刊で買ったものは数えるほどだから、とりあえずそれらを段ボール箱を使って作った即席本棚に片付けてゆく。次、娘が読み散らかして放り出している漫画本を片っ端から片付ける。思いついて、その間に洗濯機を回す。下着と上着は分けて。ついでに色物も分けて。掃除機をかけようと立ち上がって思いつく、折角なら箒で掃除しよう。要らない通販のページを次々水に浸し、適当に絞って千切って床に撒く。そしてそれと一緒にゴミを掃く。そうすると埃が立ちにくいと祖母に教わった。一人暮らしを始めた頃は、掃除機も持っていなくて、この掃除方法で対処していたっけ。思い出せばあの部屋は、いつでも泥棒さんに入られそうな部屋だったけれど、居心地はよかった。バレエ教室が下の階ににあって、時々音楽やトゥシューズの音が聞こえてきたっけ。懐かしい。私は掃除をしながらそんなことを思い出す。どんどんゴミは絡め取られてゴミ袋へ。長い髪の毛も、これなら簡単に取れる。洗濯物も干したところで、最後、私はガス台に向かう。ものはついで、ガス台も磨くことにする。こびりついた汚れは使い終わった割り箸を使ってごしごし。さっき棄てた洋服の布地を破って、さらにごしごし。
本当はもっと片付けたいものはあるのだけれど、エネルギーが切れた。今日はこれで終わり。
開け放した窓から、心地よい風がふわりと吹き込んでくる。

マリリン・モンローの蕾がもうすぐ咲こうとしている。たっぷりと膨らんだ蕾は瑞々しく、天を向いている。挿し木したものたちをひとつひとつ確かめて回る。とりあえず今日のところは大丈夫。新芽の気配もあるし、黒ずんでいるものはひとりもいない。玄関に回ってアメリカン・ブルーを確かめる。こちらも大丈夫。植え替えてから元気を取り戻し始めてくれている大きな二株と、周りの挿し木した子供たち。それぞれ、みんな頑張っている。芽の先が黒ずんであやしいものもあるけれど、気にしない。その間からまた新たな芽を出してくれるかもしれない。

これだけ時間があるのだから、と、私は思いついて、一枚のよれよれのセーターを引っ張り出す。染色液がまだあったはず。紺色のものが二瓶。これなら大丈夫、何とか染められるかもしれない。どうせ棄ててしまうかもしれない代物なのだから、試しにやってしまおう。私は洗濯機に水を張り、その中に染色液を溶かし始める。そろそろとセーターを中に下ろし、漬け置き。
その間、私はりんご煮を作ることにする。必要なのはレモンとシナモン。それだけ。砂糖はいらない。りんごを薄く切って、大き目の鍋へ。一番弱火にして、シナモンと一緒にことこと煮る。煮ているうちに果汁がたっぷり出てくる。さらに煮て、りんごがくたくたになるまで。半透明になってくたくたになったら火を止めてレモンを絞ってできあがり。ヨーグルトにもあうしパンにもあう。いっそのことジャムにしてしまおうかと思い、寸前で止めた。今キウイジャムが手元にある。このりんごは、形がまだ残っているこの状態で保存しておこう。瓶につめ、冷蔵庫へ。明日のおやつはりんご煮をのせたヨーグルトで大丈夫。
再び洗濯機の前へ。そろそろ色が馴染んできているかもしれない。水の色は濃紺だけれど、引っ張り上げたセーターは淡い青色。まぁこのくらいでいいか。でも。残りの染色液をこのまま棄てるのはもったいない。私は洋服ダンスをあちこちかき回す。三枚のシャツを持って洗濯機へぽい。これも一緒に染めてしまおう。
夕方になる頃には、青色のセーターと、紺色のシャツが三枚、出来上がっていた。これを日陰で干して、乾いたら出来上がり。その頃にはまた色が変化するかもしれない。どんな色に仕上がるのだろう。ちょっと楽しみ。

母に電話をする。体調はどう? うん、まぁまぁよ。そっちは? 元気元気。弟のことや孫のことをあれこれ話す。薬のことなども。来月の中頃にまた検査があるそうだ。まだ当分気が抜けそうにない。それでも。毎週注射を打たれていた頃より、格段に母は元気になっている。あとは。半年後の検査の結果を待つだけ。
そういえば、と、私はコガネムシの幼虫にすっかりアメリカン・ブルーの根を食べられてしまったことを話す。そして、潰すときとても嫌だったことなども。すると母は「あら、私なんて、潰すのがいやだから、水を入れた瓶に次々入れておくことにしてるのよ」「えぇっ! 水漬けですかっ」「そうよ。触らなくて済むもの」「それって、潰すより残酷なんじゃないの?」「あらそう? でも、嫌なものは嫌でしょ。潰して足が汚れるのも腹が立つし」「…」。母らしいといえば母らしい仕打ち。潰す私が言えた義理ではないが、水漬けの刑というのもどうなんだか。水でふやけたコガネムシの幼虫の映像が頭に浮かびそうになって、私は慌てて頭を振る。とんでもない。思い描きたくもない。
天気がよくて母の体調がよい時に、食事でもしようかと、久しぶりに母が言う。そうだね、そうしよう、約束を交わす。

ママ、ヨーグルトない? 朝起きてすぐ、娘が言う。今日はヨーグルト作ってないなぁ。なんで? あのね、ハムスターってヨーグルト食べるんだって。えぇっ! そうなの?! うん、本に書いてある。ほら。ほんとだ。でも、下痢しそうじゃない? 大丈夫だよぉ、ちゃんと本に書いてあるんだから。うーん、じゃぁ今日作っておくよ。うん。
ミルクとココアは、娘が近づくと途端に気配を察知し、巣から出てきてお出迎えをする。娘もそれが嬉しくて、ココアとミルクを手に乗せては、遊んでいる。今朝のおにぎりは彼女の好きな明太子だというのに、お構いなしにミルクとココアと興じている娘。あっという間に時間が過ぎてゆく。
ほら、時間だよ! 私たちは慌てて身繕いし、玄関を飛び出す。空全体が雲に覆われ、あたりは灰色の世界。私たちは冷たい風の吹く中、駆け出してゆく。
じゃぁね、またね、あとでね。袖なしのワンピースを着て手を大きく振ってゆく娘の後姿を見送りながら、私は、あの格好がいつまで続くんだろうとちょっと思ったりする。
さぁ、私も動き出さねば。昨日は昨日。今日は今日。やることはいっぱいある。胸のここの辺り、ちょっとしたわだかまりがもやもやしているけれど、それがすぐに解決されることはない。きっと時間がかかる。だから今は保留棚にしまっておこう。そして私は自転車のペダルを漕ぎ始める。
信号は、ちょうど青。私は走り出す。


2009年10月28日(水) 
娘に何度も蹴られる。夜通し蹴られ続け、結局私は早々に起き上がる。一体何度蹴ったら気が済むんだと、思わず彼女の足をぱちんと叩いてしまった。それでもびくともせずに眠っている娘。感服してしまう。
西の空に雲が漂ってはいるけれど、今日も晴れるのだろう。そんな気配が辺りに満ちている。私はからりと窓を開け、胸いっぱい呼吸する。昨日の一仕事を終えて、ようやくひと心地ついたような気がする。私はベランダに出ていつものように髪を梳く。梳きながら薔薇を見やる。新芽をずいぶん出している。夏のうちに挿したものは殆どだめになったが、今月に入って挿した枝はみな新芽を出してくれている。この気候だ、このまま根付いてくれればいいのだが。
東の玄関に出てみる。東の地平にもまだ雲があり、朝焼けは望めそうにない。それでも、晴れるということが嬉しくて、私の心は弾み始める。今日の用事を指折り数え上げながら、アメリカン・ブルーを振り返る。今のところ無事新芽が顔を出している。これが萎れなければ大丈夫だろう。私はしゃがみこんで、新芽にそっと触れてみる。ぴんと立ったその芽が、私の指の腹をそっとそっと押し返す。

朝一番に友人から連絡が入る。電話を取ってみると、これからそっちに行こうかと言ってくれる。救われる思いでありがとうと告げ、では何時にと約束を交わす。それまでの間に荷物をもう一度確認しなければ。
額縁は十三枚。写真が十二枚にテキストが一枚。それからプリントアウトしたテキストが十部、芳名帖用のノートにボールペン、DMの残り少し、あとは写真集。それから搬入を手伝ってくれる女友達二人にお礼のお土産。全部持った。鞄に入れた。
改めて荷物を持ち、それがどれだけ重たいかを思い知る。額縁を買う時にガラスのものでなくアクリルのものを買えばよかったと、今更ながら少し後悔する。まさに今更。後悔したってもう遅い。とにかく運ぶしかない。そして。
今回は私だけの展覧会ではない。私と同じ犯罪被害者の、参加してくれたみんなの気持ちが私の肩に圧し掛かる。今年で三年目を迎えるけれど、その重みは年々大きくなる。重くなる。彼女らと関われば関わるほど、彼女らに対しての責任を感じる。
彼女らが書いてくれたテキストは、プリントアウトした十部と写真集の中に在る。写真集とプリントアウトした用紙、それだけを見たら大した重みはないかもしれない。でも。実際持ってみれば分かる。それは十三枚の額縁と同じくらい重い。彼女らの、想いが詰まっている。だから重い。
駅に着くと早々に友人らが迎えてくれる。私も混雑した乗り物が苦手だけれど、それは彼女らだって同じだ。彼女らもそれぞれ、過去に重い傷を背負っている。それでも今回の搬入の手伝いを快く引き受けてくれた。本当にありがたい。電車の中、何度か頭がくらくらする。多分人酔いしているんだ。でも、今日は友人らがいる。いてくれる。彼女らだってきっと私のようにふらふらしているはず。だからこそしっかり立たねば。彼女らがいてくれるということが、私を強く強く支え後押ししてくれる。
約二時間かかって会場の喫茶店へ。書簡集の入り口はとても小さい。小人の家の扉のようだ。もう何年展覧会をやらせてもらっているだろう。その展覧会のたび、誰かしらが扉に頭をぶつける。私はそのことを思い出しながら扉をくぐる。
今年は去年より一枚額縁が多い。展示しながら調整していく。急遽、一点、展示順を変更することにする。そうして一枚、一枚、微調整しながら展示が進む。
搬入に女友達二人、そして展示にマスターも加わってくださって何とか形が整う。気づいたらもう昼前。扉の脇にある小さな窓からは、日が燦々と降り注いでいる。
撮影したのは、確か三月だった。その日は特別寒い日で、日が昇る前にこの公園に着いた私たちは、寒くて寒くて凍えそうになっていたのだった。それでも彼女らは白く薄いワンピースに着替え、裸足になり、私のカメラの前で走り、横たわり、立ってくれた。思い出すと心がじんとする。被害の折、カメラを向けられていた子もいた。そのためにカメラを向けられることがとても怖いという子もいた。それでも彼女らは私のカメラの前に立ってくれる。そして自らを晒してくれる。そのことが、私の手を震わせる。でもそれは同時に、奮わせるということでもあった。そのことを改めて私は、ありありと思い出す。
今回書いてもらったテキストの中に、幸せになりましょうね、という言葉を書いてくれた人がいた。幸せに。その言葉を書くことができるようになるには、どれほどの時間を要しただろう。どれほどのことを経なければならなかっただろう。それを思うと涙が出そうになる。それでも彼女は、幸せになりましょうね、と声をかけてくる。その力に、私は脱帽する。
今回写真に写ってくれたのは三人、テキストを書いてくれたのはさらに二人加わって五人だ。その五人それぞれが、今それぞれの道を歩んでいる。血反吐を吐く思いを味わいながらも、それでも今を歩いている。どうかそんな彼女らのこれからが、少しでも明るく穏やかな時間でありますように。私は祈らずにはいられない。

ねぇママ、ママはどうしてこういう写真を撮るの? 頼まれて撮るの? 違うよ、ママが自分でやりたくて撮るの。どうしてやりたいの? どうして、うーん、改めて訊かれるとうまく答えられないんだけど、でも、それをしたいと思ったから、撮る。どうしてそれをしたいと思ったの? そうだねぇ、深く傷ついた人たちの、それでも前に進もうとする姿って美しいでしょう? うーん。わかんない。そうかぁ、ママはそういう姿、美しいと思うんだよね、で、そういう彼女らを撮らずして何を撮る、と思ったの。だから、毎年撮らせてもらうの。ふぅーん。
ねぇママ、写真って何? うっ、難しいことを聞いてくるね。写真って何、かぁ。うん、写真って何? 写真は。そうだなぁ、在るがままに在るがままのものを映し出す、そして刻印する、ってことかなぁ。浮かび上がらせる、と言ってもいいかもしれない。でも、写真に写らないこともあるよね。そうだね、写真に写らないものの方がどれほど多いか知れないね。そういうのはどうするの? 想像してもらうしかない、かなぁ。想像するの? 絵でも何でもそうだと思うけれど、見る人がそれぞれに想像するんだよ。絵や写真を前にしてね。だから、たとえばママが写真を一枚何処かに飾ったら、もう飾ったその時点から、写真はママだけのものじゃなくなる。見る人それぞれの人のものになる。そうなの? ママはそうだと思うよ。だって、見る人それぞれに多分想像することは違うから。ふーん。なんか難しいね。たとえばさ、あなたは最近カエルが好きでしょ、カエルの財布とかカエルのシールとか集めてるでしょ。うん。でもたとえばママはカエルじゃなくて和の模様のものが好きで集めるでしょ。うん。それだけでももう違ってるでしょ。うん、違う。そんなふうにさ、人によって目が行く場所が違うんだよ。同じ一枚の絵の中でも、木に目が行く人もいれば、木の横に咲く花に目が行く人もいる。たった一枚の絵を前にしても、もうすでに、見る人によって違うんだよ、捉え方が。ふぅーん。やっぱり難しい。そうだね、難しいね。ママにもまだまだ難しいよ。

少しずつ少しずつ夜が明けてゆく。それと共に雀の啼く声が何処からか響いてくる。ちゅんちゅん、ちゅんちゅん、彼らは声を大にして啼いている。私は仕事をしながら、その声に耳を傾ける。ココアがからからと、回し車を回す音が、雀の声に重なって響いてゆく。
それじゃぁね、じゃぁね、またあとでね。娘と手を振って別れる。彼女は学校へ。私は私の場所へ。頭の中で今日済ませなければならない用事を反芻しながら、私はペダルを漕ぐ足に力を込める。
さぁ、行こう。銀杏並木の葉が、黄緑色にきらきらと、輝いている。


2009年10月26日(月) 
細く開けた風呂場の窓から滑り込んでくる冷気で目が覚めた。夜中何度か、娘に布団を掛け直したことを覚えている。掛け直すたび、彼女はまた布団をはいでいたくせに、いつの間にか私の布団に身体を滑り込ませ、私の足にぴったりその足を絡ませてきていた。寒かったのだろう。私は彼女の身体を自分の布団で包み直し、起き上がる。ベランダに出ようとして気づく、雨が降っている。どおりで寒いわけだ。私は改めて洗面台の前に行き、顔を洗い、髪を梳く。鏡の中、少し浮腫んだ顔が映っている。それがいやで、何となく目を逸らす。
浮腫んだ顔を再び鏡に映しながら、念入りに化粧水をはたく。気に入らない顔でも自分の顔、今日一日つきあう自分の顔、だから少しでもましになるよう、今度はじっと鏡を見つめながら化粧水をはたく。その上に日焼け止めを塗り、軽く口紅を引いて終わり。ただそれだけの作業に時間が流れる。
私はカーテンの隙間から、もう一度外を見やる。雨と強風とに煽られ街路樹の葉が踊っている。明日は搬入日だというのに大丈夫だろうか。私は自分の心が不安に覆われてゆくのを感じる。でも、天気ばかりはどうしようもない。私が左右できるものではない。

うっかりしていた。海に見入っているうちに、煙草入れを海に落としてしまった。お気に入りの大事な煙草入れだったのに。私は真っ黒な海を見つめる。何処に落ちたのか、今何処にあるのかなんて見つけようがない。そんな暗さだった。それでも、恨めしくて、煙草入れを飲み込まれたことが恨めしくて、私はじっと見つめる。暗闇の中で白く砕ける波が、まるでそんな私をあざ笑っているかのように翻る。もう何処にも、私の煙草入れはなかった。まさに飲み込まれてしまった。
帰宅して一番にやったことはだから、和紙を使って煙草入れの代わりを作ることだった。今手持ちの和紙は赤しかない。それでも作った。とりあえず作れるものを作ってみた。しかし。和紙で作ったものは、真新しすぎて、手に馴染まない。失くしたものがどれほど自分にとって大切だったのか、失くしてから改めて知る。悔やんでも悔やみきれない。海に見惚れていた自分が馬鹿だった。そうとまで思えた。なんだか情けなくて、泣けてきた。そんな私を娘が不思議そうに見ている。それでも、私は嘆くのを止められなかった。

彼の絵はたくさんの絵本になっている。私の手元にもそれなりの数彼の絵本がある。そんな彼の絵が一堂に飾ってある。とても小さな美術館。それでも、雨の中、たくさんの人が訪れている。絵を前にして若い男性がこんなことを隣の彼女に呟いている。絵が喋ってるみたいだ。彼の言葉はまさに当たっていた。ワイルドスミスの絵は、こちらに語りかけてくる。そんな力を持っている。
青い鳥の絶版になった絵本が片隅に置いてあり、私はそれをしげしげと眺める。青い鳥の絵本の彼の絵は、透明で、時に残酷に、時に穏やかに、こちらに語りかけてくる。私は一枚一枚その絵を見つめる。何処からか青い鳥の啼き声が響いてくるかのような錯覚をおこす。
迷いに迷い、結局、私は娘に「うさぎとかめ」の絵本を買って帰ることにする。そんな話もう彼女だって知っている。知っているが、その絵はとても新鮮で、新しいうさぎとかめの話を見せてくれるかのようだった。
美術館を出ると再び雨。見上げれば空は一面、濃灰色の雲に覆われている。

待ち合わせの場所で待っていると、娘がきょろきょろしながらやってくる。ここだよと手を上げると、彼女はたったと走って私に近づく。ほら、おみやげ。手渡すと、早速彼女は包装紙を開ける。うさぎとかめかぁ。うん、絵が素敵だったからね。彼女は絵本の中の文言を小さい声で読み上げながらページをめくってゆく。あ、これ好きかも。へぇ。みんな動物たちが笑ってるよね、きっと。そうだね、うん。
日曜日の喫茶店、人の出入りの激しい店の片隅で、私たちは絵本を前にひそひそ話している。

朝の一仕事を終えて私はベランダに出る。一番に目に入ったのはホワイトクリスマス。大きく大きく開いた花が、首を垂らしている。私は慌てて部屋に戻り鋏を持ってきて切ってやる。鼻を近づければふわんと涼やかな香り。思わず声を上げる。起き上がった娘が近づいてきてどうしたのと言う。私は彼女にも花の匂いをかがせてやる。ママ、これ、ミルクとココアにもかがせてあげようよ。いいよ。私は花をコップに生けて、テーブルに置いてやる。娘がそれぞれの手にミルクとココアを乗せて花に近づけると、途端にそっぽを向くミルクとココア。そんなにハムスターたちにとっては苦手な香りなんだろうか。それとも突然すぎてびっくりしたんだろうか。私たちはあまりのはっきりした彼女たちの動作に、思わず笑ってしまう。
ねぇ、ママ、発泡スチロールって電気通すの? 娘が突然訊いて来る。通さないよ。なんだ、つまんない。どうして? 今日理科の実験やるの。電気通すものを持って来なさいって言われてて、玄関に発泡スチロール置いてあったから、どうかなって思ったの。なぁんだ、簡単じゃない、あなたの缶ペンがあるじゃない。え? あれ電気通すの? 多分ね。釘でも通すよ。じゃぁそれ持って行く。
それから私たちは、部屋のいろんな場所で電気の通るものを探し始める。娘はおにぎりを頬張りながら。私は一本煙草をくゆらしながら。

少し早めに玄関を出る。玄関の脇ではアメリカン・ブルーが風に吹かれている。私はしゃがみこみ、覗き込む。挿し木の方はまだ分からないが、根を食われた二本は、新芽をそれぞれ二枚ずつ出している。私はほっとする。これならまた根を伸ばしてくれるかもしれない。そんな気がして。
階段を駆け下り、外へ。相変わらず風が強い。混み合うバスの中、私は身体をぐいぐい押され、扉にほとんど押し付けられるような形になる。避けようと身体を捻ると、さらに押し付けてくる。嫌だ。反射的にそう思った。その時腰に伸びてくる手に自分の手が当たり、気づいたらその手を掴んでいた。手の主と目が合う。私は、絶対この手を離してやるものかと思った。相手はもちろん逃れようと必死になる。だから私は声を上げようとする。声が出ない。悔しかった。だから絶対手を離してやるものかとさらに手に力を込める。
バスが駅前で止まる。下りれば目の前は派出所。私は手を握ったまま引き摺り下ろすようにしてバスを降りる。気配に気づいた隣の男性が、手伝ってくれて、派出所へ。扉を開けた途端、目の前が真っ暗になる。
気づけば派出所の椅子に座っていた。大丈夫ですかと何度も誰かが訊いてくる。大丈夫じゃないです、答えようとして声が出ない。制服を着た警官が私に何度も尋ねてくる。大丈夫ですか。声がやっぱり出ない。もう大丈夫ですよ、痴漢ですね、そこの男性が説明してくれましたよ。さっき派出所に来るのを手助けしてくれた男性が横に立っている。私は一体どうしていたんだろう。思い出せない。
私は手帖に、声が出ません、とボールペンで記す。これから病院に行かなければならないんです。警官が、あれこれ説明してくれる。そして必要事項を記し、私は立ち上がろうとする。立ち上がれない。もう一人の警官がそっと私の手を支えてくれる。思わずふりほどこうとしている自分に愕然としながら、頭を下げる。声が出ない、ただそれだけで、すべてがモノクロームになってゆく。
どのくらい時間が経ってしまったんだろう。慌てて私は時計を見る。ふらふらしながら派出所を出る。何がどうなって、今こうなっているのか、うまく把握ができない。とにかく病院に行かないと。私の中にあるのはそれだけだった。

女性専用車両に乗って病院の最寄り駅へ。世界はモノクローム。声を出そうとしてもうまく声が出ない。今日の診察は筆談になるかもしれない。
引き出しの中に奥深くしまったはずの記憶がすっかり表に出て散らかっている。ワンピースを着ていた。黒いストッキングをはいていた。かつての自分。あの時の自分。すべては一転した。世界は一変した。あの時の出来事が、蘇る。
私は頭を振って、何とかそれを意識から追い出そうと試みる。今そんなことを考えたって何も始まらない。何も変わらない。起きてしまった出来事を消すことはできない、変えることもできない。
私はただ前に進むだけ。

電車を下りれば再び雨の中。雑踏の音が私の鼓膜を激しく揺らす。大丈夫、声もじきに出るようになる。音が聞こえるのだから、声だって出るようになる。世界だって色を取り戻す。ここを越えればまた。
あぁ、そういえば、お礼を言い忘れてしまった。せっかく助けてもらったのに。派出所の隅にひっそりと立っていた男性を思い出す。心の中で、お礼を言う。ありがとう。
そうして私は傘を広げる。病院はもうすぐ。そして明日は搬入日。
今はそれだけを考えて。

外は、雨。


2009年10月25日(日) 
濃紺一色だった世界に水平線が現われる。空と海とを分ける一本の線。二色の色。その色が徐々に徐々にはっきり分かれてゆく。空にはまだ昨日の雨雲が漂っている。薄の穂が強い風に揺れ、足元では波が激しく砕ける。私がこうして情景を記している間にも、私の目の中でどんどんと色は変化してゆく。それに追いつききれることはない。

小さな庭園の中、ガラスの光が溢れている。小さなライトの下で、澄んだガラスがきらきらと輝く。細かな模様が刻まれたそれは、まるで万華鏡のように変化する。雨の中訪れたその場所なのに、雨粒とともにガラスの光が遊んでいる。それで気づいた。この間感じたガラスに対する違和感を。私はガラスをこうやって光と共に遊ぶものと捉えていたんだろう。だからこの前の、陶磁器に似たガラスの在り様に、違和感を持ったんだ。でも、どちらもガラスの在り方で。どちらを否定してもガラスではない。
ガラスは、まるで鏡のようだ。人をそこに映し出す。多分、今私の周囲にいる誰かと、私のそれとを形にしたら、全く違う。顔が違うように、同じ器であっても異なる輝きを持つんだろう。

ロダンとロッソの彫刻を一度に見るのは初めてなんじゃないだろうか。ロダンのそれが内面の塊、叫びとすれば、ロッソのそれは陰影の彫刻に感じられる。光によって編まれるそれは、唄を歌っていた。切ない唄、寂しい唄、笑いに満ちた唄、それぞれがそれぞれに。叫ぶのでもない、カミーユのように囁くのでもない、歌っているのだ。私はだからその唄に耳を傾ける。目で見る唄だ。思い出したのはシークレットガーデンのRaise Your Vices。あの歌声に何処か似ている。
荻原守衛の坑夫も並んでいる。そう、荻原の女を初めて目の前にした時、私は思わず目を閉じた。あまりに哀しくて目を閉じた。しんとしてそこに在り、一筋の光さえも色を変えるかのような哀しさだった。今思い出しても涙が溢れるほどにそれは哀しかった。今ロッソと同じ部屋に荻原の彫刻を見、はっとする。荻原の彫刻とロッソのそれとが何処か似ていると思うのは、私だけだろうか。ロダンに恋焦がれ渡欧した荻原だが、彼の彫刻は、カミーユとロッソの間にあるような気がする。囁きと唄との間に。

娘が日記を書いている。彼女はそこにハムスター日記とタイトルをうっている。どんなことを書いているのか私は知らない。いつも私の机の横に腹ばいになって、ミルクかココアを手に乗せたり肩に乗せたりして数行書いている。
私も幼い頃から日記をつけていた。小学生の頃の日記帳は何処へやっただろう。今残っているのは中学生後半から二十代後半にかけてものものだ。それ以降、私は病に陥り、その中でも一番堕ちていた時期で、日記さえ書けなかった。だからそれらの時間は何処にも残ってはいない。
文字を書き記すのが好きだった。ただ一文字、今、と書くだけでも私はどきどきした。青、と書けば一番に海が浮かび、空と書けばその後に樹、水、光と続いた。文字を書いているだけで、私は落ち着いた。哀しみも憤りも切なさも何もかもが、浄化されてゆくかのようだった。同時にそれは魔物だった。一文字書くことによって、それはまさに刻印される。書いてしまうということはそこに、遺してしまうということでもあった。刻んでしまうということでもあった。一度記したそれは、消しゴムで消してももう私の心からは消えなかった。それほどの力を持っていたから、憧れもし、恐ろしくもあった。
娘にとって言葉は、どんなものに育っていくのだろう。今記しているそれを読み返したりすることはあるんだろうか。
私はいつか、全てを燃やしてやりたいと思っている。燃やして天に返したいと思っている。できることなら。
彼女は、言霊を、どんなふうに捉える大人になるんだろう。

できるなら、夜明けを見たかった。ぱっくりと割れる水平線を見たかった。昨夜の雨雲の残りに覆われ、それは叶わない。残念ながら。
私は歩く。海岸線を。ただ歩く。うねうねと続く道。右は崖、左は海。私はその境を歩いている。まるでこの境目は人の生き様のようだなと思う。轟々と唸り砕ける波に呑まれることなく、そして逃げることなくこの道を往かねばならない。曲がりくねる道の先は見えない。何処へ続くか誰も知らない。それでも歩く。歩いて歩いて歩いて。
そうして私は、何処へ何処へ辿り着けるんだろう。

立ち止まり、波の砕ける様を目の前にしながら、昨夜の娘との短い電話を思い出す。さっきプールから帰ってきたんだ。私の目の前で黒い波がどうどうと砕ける。どうだった? うん、たくさん泳いだ。ママはどう? うん、疲れたあ。明日は何時頃? 夕方だな。分かった、また電話して。それじゃぁね、じゃあね。
電話を切ればまた目の前に黒い黒い闇の海がうねっている。私は電話を片手に、その海を見つめる。目を閉じても何をしても、ごうごうとどうどうと唸る音から逃れることはできない。耳を手で塞いでみても、隙間から音は零れてくる。そして目を開ければ。
まるで招いているかのような波だった。こっちへおいで、こっちへおいで、と招いているかのような波だった。誰がゆくものか、と唇を噛んだ。おまえのところへゆくのはまだ先だ。私はこのまま生きる。おまえに呑みこまれることなく、このまま往く。

朝は来た。夜は明けた。そして目の前に海と崖。そして一本の道。私はそうやって歩いてゆくんだろう。何処までも何処までも、自分の持ち時間いっぱい。
海鳥が目の前をゆく。私は一瞬目を閉じる。そして再び目と耳を澄ます。
今、世界に。


2009年10月23日(金) 
聞いた覚えのない音が、がりりがりりと部屋に響く。何だろうと思い身を起こす。音が出る場所といったらミルクとココアのところだけ。私は恐る恐る近づく。すると。がりり、がり、がりり。犯人はミルク。籠を齧っているのだ。私と目が合うと。一瞬動作が止まる。しかし、彼女は再び籠を齧り始める。籠齧っても出れないよ。私が言うと、くるりと身をよじって今度は入り口でなく水飲み場の網の方へ。そこでもがりり、がりりと網を齧る。ねぇ、無理だよ、出れないよ。私は苦笑して言う。何をそんなに、と思ったが、でも、もしここに娘がいたら何と言うだろう。きっと間違いなくすぐに籠を開けて、手に乗せてやるんだろう。私は。ちょっと今は遠慮したい。と思って、ふと思いつく。もしかして、君、月のもの? それでそんなに苛々してるの? まさか、そんな? しかし、犬も生理は来る。猫も生理が来る。ハムスターは?
目覚めから悶々としながら、私はいつものようにベランダに出て髪を梳く。梳きながら薔薇を見やる。大丈夫、新芽は元気だ。そしてホワイトクリスマスの蕾が、もうすぐ開こうとしている。まさにぷっくらと膨らんだそれは、今か今かと開かれる時を待っているかのよう。私は指でそっと蕾を撫でる。大きく咲くんだよ。声をかけながら。
挿し木たちもそれぞれ、葉を出し始めた。早いものはもう四枚、新しい葉を開かせている。でも。油断は禁物だ。葉が出たからといって根もでているかといえばそうじゃない。根はまだまだ先だ。だから根付くまでは、しっかり見守っていてやらないと。
先日から、プールが気になり始めている。私は玄関をそっと開け、外に出る。もう誰もいなくなったプール。当分使われることのないプール。それでも。しんしんとそこに在り。かつて水泳部に所属していた中学の頃、プールの清掃は当たり前のことだった。季節が来れば、苔や泥に塗れたプールを、しこしこ磨いた。体中汚れるけれども、それは何処か、特権のようで、気持ちがよかった。何よりも、誰よりも先にプールに入れる、というのが、心地よかった。そのくらい水が好きだった。
今朝のプールは、微風に吹かれ水面が細かく震えている。細かく細かく震えながら、夜明けを待っている。東の空は一面雲に覆われ、朝焼けは見えそうにない。それでも、水は待っている。光射す時を。
アメリカン・ブルーは今のところ元気だ。こんもりした茂みも何もなくなってしまったけれど、それでも、今、新たな芽を出そうと、力を貯め込んでいる。葉の色艶も、台風の後よりずっと瑞々しくなった。もっと早く気づいてやっていれば。今更ながら悔やまれる。だから祈る。このまま育ってくれますように。再び茂ってくれますように、と。

ママ、コンプレックスってなぁに? コンプレックス? うん。辞書で引いてごらんよ。えー、めんどくさい。そう言わずに、ほら。無意識の中にあって行動を妨げるものってあるけど。無意識って何? 無意識、うーん、気づいていないところ、かなぁ。普段意識してない部分のことかもしれない。人間ってさ、脳みそ持ってるでしょ、脳みそを使って考えたり計算したりするでしょ。うん。でも、実は、その脳みその半分も普段使ってないんだって。そう聞いたことがあるよ。へぇ、そうなんだ、じゃぁ意味ないじゃん。意味ないって、うーん、でも、脳みそないと、何も覚えていられないかもしれないし、考えたりすることもできなくなっちゃうかもよ。それは困るけど。でも、使わない部分があるんじゃもったいないじゃん。そうだねぇ、でも、きっと、そういうところにもいろんなものが蓄積されてるんじゃないの? だからそれだけ、無意識の部分が広いってことなんじゃない? ふぅん。まぁママ、医者でも学者でもないから分からないけど。ふぅん。で、何でコンプレックスなんて聞くの? Kちゃんに、コンプレックス何?って聞かれたから。へぇ。で、なんて答えたの? Kちゃんは背が低いことって言うから、私は太ももって言った。ふ、太ももですか、それならママもコンプレックスだなぁ、このぶっとい太もも。えー、ママはいいじゃん、もう大人だもん。私なんて、身体検査の後、体重こんなにあるの、とか、いろいろ言われた。すんごい嫌だった。みんなががりがりすぎるんじゃないの? あんまりがりがりだと、巨乳になれないよ。えー。巨乳になるのが夢なんでしょ? いやぁ、それはもう夢じゃないけど。ふぅん、まぁでも、がりがりより適度にふっくらしてる方がいいよ。そうかなぁ、それでも、太もも、やだ。まぁそれは、ママの娘だから諦めな。やだぁ。
コンプレックス。娘の年頃からもう、そんなことを気にするのか、と思ったが、私も確かにもうその頃から、コンプレックスはあった。当時は目だった。目が大きいのは生まれつきだったが、私の真っ直ぐ見てしまう目が、友人たちにいつも指摘された。怖い、だとか、恐ろしいだとか、果ては見るなよと目を叩かれることもあった。要するに目つきが悪かったんだろうと今は思う。でも当時は、どうしてそんなこと言われたされたりするのかが分からず、悩んだ。ただふつうに見ているだけなのに、なんでみんな怖いとか言うんだろう。見るなよって言うんだろう。泣きたいほど悩んでいた。それで俯けたらよかったのかもしれないが、私はどうしても俯くことができず、いつでもやっぱり真っ直ぐ相手を物を見てしまうのだった。中学になり、目つきのことでやはり先輩からつつかれ、いじめられた。それでも下を向けず、それどころか、私は、反発するようになった。私の目の何処がいけないんだ、普通に見てるだけじゃないか、おまえたちが悪いんだ、と、開き直るようになってしまった。今考えれば、それは単に、負けん気が強すぎただけの苦笑話なのだが。
そんなこともあったなぁと私が思い出していると、娘が唐突に言い出す。ママは自分の顔で何処が一番好き? え? 好きなところ? うーん。目、かな。あ、おんなじーー! 娘はそう言って喜んでいる。一方私は。かつてのコンプレックスだった目を今は好きだと言う自分に、心の中苦笑する。そう、今はもう、コンプレックスとは感じていない。自分の目つきも何も、それは多分自分が営んできた培ってきた時間の中で育まれたものなんだろうと、受け容れている。
娘もよく、目つきが悪いとか、ガンつけるなよと人からちょっかいを出される。それでも、かつての私とは逆にその目を好きだと言う。この子はどんな娘に育つのだろう。私はふと思う。この世に生まれ堕ちたその瞬間からもう、別々の道を歩んでいるとはいえ、本当に私たちは違う。似ているところはもちろんあるけれど、それでも違う。その違いが、私には面白い。太い太ももをコンプレックスといい、ガンつけるなよと小突かれる目を好きだと言う娘。君の将来は、どんなふうになっていくのだろう。母は楽しみでならない。

いつものより早く家を出る。そして一ヶ月ぶりに訪れる街。道を往く人たちには外国人が多く混じっている。ここは彼らの住む場所でもある。丘の上には彼ら専用のアパートがあるくらいだ。登校する子供たちもたくさんいる。朝練でもあるのだろうか。みな、大きな鞄を背中に掛けている。その子たちが、横断歩道を渡ろうとした途端、信号が点滅し始める。二、三人は走って渡ろうとする。それを引き止める子がいる。結局彼女らは、笑いながら戻ってきて、信号を待つことにする。その光景がなんだか微笑ましくて、私はつい、笑みを浮かべてしまう。
まだ少し時間がある。私は川沿いに走ってみる。かつてここには不法投棄されている船がごまんとあった。今にも沈みそうな、いや、沈みかけた船体が、綱に繋がれ置きっぱなしにされていたりもした。私はその船のある風景が、実は好きだった。もうどうやっても人が乗ることのできない船、ぼろぼろに崩れかけた船、それでも必死にとどまろうとする船を、じっと見つめるのが好きだった。今はもう、見ることはできない。整えられた川には、整えられた風景が横たわり、私の心をくすぐることはない。だから私は、そのまま走りすぎる。
この角を曲がり坂を上りきれば、港を一望できる場所がある。私は自転車を降りるのが悔しくて、ギアを変えながら必死に上る。息も切れ胸がぱんぱんになったところで、ようやく到着。もう何年も来ていなかったのに、身体は道を覚えているようで、自然、その場所へ辿り着く。何処からか汽笛が響いてくる。工場の煙がもくもくと上がっている場所もある。山積みになった色とりどりのコンテナが、朝陽を浴びて輝いている。高速道路がうねうねと絡み合い、あちこちに延びている。海の入り口では、幾隻もの船が行き来している。そして海は。
濃灰色をして横たわり、全てを受け容れているかのように見える。何もかもあるがままに、と、黙って受け容れているかのように。私はその様を、じっと見つめる。あぁ、こんなふうになれたら。
さぁそろそろ時間だ。戻らなければ。今度は坂を下りるだけだから楽チンだ。私は一直線に坂を下りる。こんな時は車よりずっと速い。ブレーキはぎりぎりまでかけず、そのまま一直線。
通りには人が増え、制服姿の娘たちも増えた。朝の風景だ。そしてみな、この季節、上着を羽織ったりマフラーを羽織ったり。モノトーンの波が街を往く。シークレットガーデンのLore of the Loomが私の耳元で流れ始める。街の色より少し明るい音色。明るいリズム。それを聞きながら私は目的地へ走る。あともう少し。と、甲高い声がして私は振り返る。今、鴎が三羽、旋回してゆく。


2009年10月22日(木) 
二重のカラカラという音が途切れ途切れ耳に滑り込む。カラ、ラという音がミルク、カラカララと速い音がココア。それぞれに違う。眠りの中、あぁまたココアが、今度はミルクが、と音を辿る。そして娘の蹴りで目が覚める。今日は脇腹に。彼女はといえば90度回転して眠っている。
一番に玄関を開ける。まだ誰もいない校庭。水が張ったままのプール。しんしんと静まり返っている。そしてその向こうには夜明けの気配。まだ紺色の天辺と、燃える橙の地平と。そして交わり揺らぐ色合いと。決して名前など付けられないその色味は、私の目の中、刻一刻、変化してゆく。
一旦部屋に戻り、顔を洗う。そして櫛を持ったまま再び玄関を出る。そろそろだ、空が割れるのは。待ちながら髪を梳く。風と呼ぶには拙い微風が私の耳元をくすぐる。赤く白く燃え始めるビル群。そして今。
日が昇る。アメリカン・ブルーはただじっと、その光を浴びている。

もし娘が強姦された上に殺され、棄てられたとしたら。それは生きている以上、この世界に生きている以上、在り得ないことではない。私はどうするんだろう。もしその犯人を見つけ出したら私はどうするんだろう。どこまでそれを受け容れてゆけるんだろう。そしてその後どうやって、生きていくんだろう。
自分が強姦された時、私の中に一番最初に浮かんだのは罪悪感だった。こんなことになってしまった、そのことに対する罪悪感だった。こんなことになってしまったのは自分のせいに違いない、自分がいけないに違いない、自分がいけないからこんな目に遭ったに違いない、そう思って、私はひたすら自分を責めた。自分を責めるほかに、何もできなかった。そうして心を病んでいった。
でも。もし自分ではない自分の愛する者が、同じ目に遭ったとしたら。私は怒り狂うだろう。呆然とし、でも直後、怒り狂うだろう。誰がこの子をこんな目に遭わせたのか、一体誰がどうやったらこの人をこんな目に遭わせることができたのか、と、怒り狂い、猛り狂うだろう。大きな大きな、虚無感を抱えつつ。
それでも。私は生きていかねばならない。死ぬこともできるかもしれないが、今の私に死ぬという選択肢はない。だとしたら生きていくしかない。何処までも何処までも生き残る。それが私にできる唯一のこと。その、生き残った時間を、私はどうやって、何に費やすのだろう。
復讐に費やすのだろうか。それとも全てを受け容れることに費やすのだろうか。
娘だったら? もし逆の立場だったら娘は、どうするんだろう?
祈るように思うのは。もし私が何処かで殺されることがあるなら、娘には生きて欲しいと思う。生き残ってほしいと思う。何処までも何処までも生き残って、私を越えていってほしいと思う。思いながら、身勝手だなと思う。生き残らされた者の辛さがどれほどのものか、私は少なくとも多少、知っているはずなのに。それでも生きてくれと願うのは、なんて我侭なんだろうと思う。それでも。
生きてほしいのだ。生き残っていってほしいのだ。命果てるまで。
でもそれには、全てのことを受け容れてゆくことが必要になるのかもしれない。それがどれほどの労力を費やすものか、計り知れない。実際私はまだ、全てを受け容れたなんて言えない。ほんの欠片、ひとかけら、受け容れたに過ぎない。自分が強姦されたという事実を受け容れた、まだそこで止まっている。加害者に対する思いは、まだ凍りついたままだ。でも。
どうせ生き残るなら。復讐に費やすよりも、受け容れていきたい。そうは思っている。どうせ生き残ってゆくなら、残った時間をめいいっぱい呼吸し抱きしめて生きていきたいと思う。精一杯生きた、と、死ぬ時に笑って言えるくらいに、生きたいと思う。
だから。娘よ。
そんなことがおまえの身の上に起きた時。それでも私は生きていこう。おまえのことをしっかり胸に抱きながら、それでも私は生きていこう。だからおまえも、できることなら。できることなら、私の身の上にそんなことが起きたとしても、生き残っていってほしい。そして与えられた時間を精一杯、生き抜いてほしい。
死ぬな。生きろ。
それが、多分、今私があなたに贈ることができる、唯一の言葉だ。

朝からプリンターをフル稼働させる。次々にデータを送り出す。それは単調な作業だ。単調な作業だけれど、これを為さなければ、次には進まない。インク不足のランプが次々点滅する。そのたび私は椅子に上がってインクを交換する。
おはよう。娘の声がする。おはよう。私も返事をする。娘がおにぎりを食べ始めるのを確かめて、私は如雨露に水を汲んでベランダに出る。次々新芽を出し始めた薔薇に、丁寧に水をやる。この時期に花が咲かないのは寂しいけれど、でも、また来年がある。この新芽たちが冬を越え、春を迎え、そうしたらまた、蕾をつけてくれるに違いない。唯一今膨らんで、もうすぐ咲きそうなホワイトクリスマスとマリリン・モンローの蕾が、東からの陽光を受けてきらきらと輝いている。花が咲いたら早速切り詰めてやろう。きっと彼らも疲れ始めているに違いない。よく頑張ったよ、夏を越え、台風を越えて花を今咲かせようというのだから。
アメリカン・ブルーにも水を。私は如雨露に水を汲み直し、玄関を出る。もう東の空はすっかり落ち着いた色合いになっている。発光する太陽は、どんどん高みに昇ってゆく。私は太陽を背にしながら、水をやる。無残な姿を見せている今だけれど、きっとここを越えてくれるに違いない。そう信じて、私は水をやる。

信じるものが崩れ堕ちるのは、一瞬だ。ほんの一瞬でそれは、無残に崩れ堕ちる。一方、それを再び立て直す、これには膨大な時間がかかる。
それまで築いてきたもの、信じてきたもの、愛してきたものが崩れ堕ちる。そこからまた這い上がる。這い上がるこの作業の、なんと重たいことか。それでも。
私たちは這い上がるんだ。死ぬその瞬間まで、這いずってでも生きるんだ。それが、生を受けた者の、唯一できることだから。

受け容れること。受け容れてゆくこと。生き残ってゆくこと。生きてゆくこと。

ママ、時間だよ、と娘が言うのと、ほら、時間だよ、と私が言うのと、殆ど同時だった。私たちは駆けながら玄関を飛び出す。階段を駆け下りれば、集合場所まであと50メートル。ママ、隣のクラス、今日から学級閉鎖だよ。そうなんだってね。遊びにもいけないんだって。外出ちゃいけないんだって。やだねぇ、ほんと。そう話す娘の格好は、ノースリーブに半ズボン。今年もまた、彼女は友達と、半袖同盟でも作るのだろうか。
それじゃぁね、じゃぁねー! 手を振って別れる。彼女は学校へ、私は私の場所へ。
今、陽光が私の目を射る。虹色の環が私の目の中に生まれる。その目のまま、私は自転車のペダルを漕ぐ足に力を込める。


2009年10月21日(水) 
何か耳元で動いた、その気配で目が覚める。何だろうと横を見れば、足。足? 確かに足だ、そしてようやく気づく。娘の足だ。身体を起こして見てみれば、娘がいつの間にか逆さになって眠っている。私は娘の足の甲をぱちりと軽く叩き、寝床から立ち上がる。まだ街は眠りの中、午前四時半。
Tシャツのまま玄関の扉を開ける。そこに広がるのは夜明けの気配。青と燃える橙とが交じり合う部分が、まるで輝いているかのように見える。日が昇る直前の茜色も好きだが、私はどちらかを選べといわれたらこの、交じり合う空の色を選ぶんだろうと思う。人の手では創りえないその色は、じっと力をこらえている、今か、今か、と。
挿したアメリカン・ブルーの枝は、今のところ真っ直ぐ天を向いている。ラヴェンダーの枝も。このままこの色のように力を貯めて貯めて、いつかぐいっと萌え出してくれたら、と、祈るように私は思う。
顔を洗い、化粧水を叩き込みながら、窓を見やる。空がまた変化している。さっきの闇色が薄らいで、夜明けの準備に入った気配。私は再び玄関扉を開ける。目の前に広がるのは。燃える茜の空と雲。この場所から見ると、ちょうど日の出る場所にビル群がある。だから、ビルは燃え上がるような様を見せる。全てのガラス窓が光を反射させ、その輪郭は燃え上がり。そして、日が昇るのだ。生まれたての朝。

朝一番、仕事が入る。二人展用の原稿が新たに二点、届く。私は早速プリンターを動かし始める。原稿を加工し、出力。プリンターが動き出すのを確かめて、私はハーブティを入れに台所に立つ。私の後方では、ココアが木屑を掘り返しては居場所を確かめている。
ちょうどステレオから流れてきたのは、リストの波を渡るパオラの聖フランシス。この曲を弾いたのはいつだったか。高校か大学の頃だったはず。はっきりは思い出せない。左手だけを何度も何度も繰り返し練習した。弾き終える頃には、腕がぱんぱんになるほど筋力を使う曲だった。それでも。美しい曲だった。決して吼えあがることはなくとも、力を湛えた曲だった。無事に弾き終えた時の爽快感はだから、たまらないものがあった。
中学の頃はベートーヴェンが好きだった。それが、いつのまにか、リストやバッハ、ラフマニノフに変わっていった。気づけば彼らの曲ばかりを選んで弾くようになっていた。そういえば、母や父はショパンが好きだった。私がショパンの練習曲を弾いていると、なんだかんだ言いながらソファに座り、聞いていた。それが嫌で、私はよく、練習部屋の扉を閉め切ったものだった。今思えば、もっと扉を開けて、彼らに聞いてもらっていればよかった。今だから、そう、思う。
ピアノの哀しい思い出が一つある。祖母だ。亡くなる直前入院するまでの半年、祖母はうちにいた。日に日に弱ってゆく祖母は、よく私のピアノを聴きたがった。祖母が寝ていた部屋は二階の一番奥。ピアノのある部屋は一階。だから、祖母に頼まれてよく、その頃は扉を開け放してピアノを練習した。でも。
何故だろう。祖母の最後の入院が決まった直後、祖母に改めてピアノをと頼まれた時、私は弾けなかった。どうしてもどうしても、弾けなかった。何度も弾いてくれと頼んでくる祖母に、私は唇を噛み、ただ下を向いて、拒否をした。そうして祖母は、そのまま入院し、死んだ。
何故あの時、あんなにも強く拒否したのだろう。何故拒絶なんかしたのだろう。何故ピアノのひとつくらい、弾けなかったのだろう。どうして。
認めたくなかったんだ、私は。これが最後かもしれない、これがあなたのピアノを聴く最後になるかもしれない、だから弾いて、と頼む祖母の言葉を、私は認めたくなかったのだ。どうしてもどうしても、認めたくなかった。祖母が死ぬなんて、赦せなかった。あってはならないことだった。だから私は。弾くことはできなかった。
でも。こんなふうに後悔するくらいなら。弾いておけばよかった。もう最後だろうからと言う祖母の言葉を笑って吹き飛ばし、何度だって聴けるよ、大丈夫だよ、と笑ってピアノを弾けばよかった。今なら、そう思う。
祖母が焼けてゆく様を背中で感じながら、火葬場でただ、泣いた。ごめんね、と、私は泣いた。あんな思い、もうしたくない。

そんなコンプレックス、なくしちゃえばいいじゃないか。言われて、ぎくりとする。どうせ昔何かあったんでしょ。言われてさらに私はぎくりとする。
下手といわれたことはない。むしろうまいと言われたことはある。でも。そのコンプレックスは、私が遭った事件に絡んでいた。事件前はだから、私にとってそれはコンプレックスでもなんでもなかった。むしろ、得意といってもいいものだった。しかし。
事件に遭って、それは一変した。汚らわしい代物となった。以来、閉じ込めている。もう二度と私は生きているうちにそれと出会いたくはない、と、思っている。なのにそこを、その知人はずばんと射てきた。私は黙り込む。
やってみてごらんよ。やれるよ。自分なんて、何度も挫折するけど、それでも喜んでもらえるなら、と思ってトライすることあるよ。ね、やってみなよ。
私は返事ができない。すぐに返事するのは、とても無理だ。でもその人が続けて言う。生きているうちにだよ、それにトライできるのも。
私はがくんと自分の力が堕ちるのを感じる。全身の力が堕ちた。抜ける、のとはまた違う。堕ちた、んだ。
私はあと何年生きるのだろう。残りの人生もずっと、もうこれは二度とできないと思って過ごすのだろうか。もう一度とトライもしないで過ごすのだろうか。それでいいんだろうか。でも、でも、あんなに嫌な思いをしたのに? それでもまたトライする? でも。
頑なに拒絶し続けることと、それでもとトライすることと、私はどちらを選べばいいんだろう。いや、どちらが後悔しないだろう。私は。

おはよう。逆さに寝ていた娘が起き上がる。いや、逆さに寝ていたはずなのに、またいつの間にか元の位置に戻っている。私は思わず笑ってしまう。器用な寝方をする奴だ。まったく。
娘にしそ昆布入りのおにぎりを渡して、私は昨日残した洗い物を片付ける。昨日は焼き魚に海草サラダ、大根のお味噌汁、味付けご飯だった。大根のお味噌汁の中に、娘の大嫌いなきのこをみじん切りにして入れたのだが、どうも気がつかなかったらしい。おかわりして食べていた。きのこの形をしていなければ食べられるんだな、と私は心の中納得する。好き嫌いが殆どない私に比べ、娘は結構好き嫌いがある。まぁまだ子供だから仕方がないのかもしれない。これからいくらでも、味覚は変化するだろう。
ねぇねぇ、ママ、この髪型、みんな、変わったって言ってくれるかなぁ? 昨日髪を15センチ切った娘は、鏡の前、飛び跳ねる。どうだろう、長いのには変わりないからなぁ。えー、でも、こっちの方がちょっとはお姉さんっぽく見えない? うーん、まぁ見えるかなぁ。黒のカチューシャをしてポーズを取る娘の後姿の方がずっと、色っぽいよと私は心の中で呟いてみる。
プリンターはまだ動いている。まだ途中だ。しかし。もう家を出る時間。私は諦めて、途中でプリンターを切る。残りはまた後で。とりあえず今は家を出よう。ママ、私先に行くよ! 玄関から娘の声がする。はーい! 私も返事をする。
窓を閉めて、電気を消して。私はひとつずつ確かめながら玄関を走り出る。自転車に跨ると勢いよくペダルを漕ぐ。ママ、いってらっしゃーい。登校班の集合場所から娘の声がする。私も大きく手を振って応える。
朝の時間は瞬く間に過ぎる。さぁ乗り遅れないように。このまま真っ直ぐ走って行こう。私の場所へ。


2009年10月20日(火) 
風の音で目が覚める。びゅうびゅうと吹き上げるように吹いて来る風が、窓を叩く。街路樹の葉が表に裏に翻り、枯葉は宙に舞う。窓を開けると途端に吹き込んでくる風。カーテンがばたばたと暴れる。私は後ろ手に窓を閉めながらベランダに出る。
髪を梳かすどころではなく、逆に私は髪を結う。そして風の中、しばし佇む。薔薇を短く切り込んでよかった。風に煽られることなく、しんしんとそこに在る。私はほっとする。でも、ホワイトクリスマスとマリリン・モンローだけは別だ。蕾のついた枝は長く伸びている。ゆうらゆうらと、大きく枝が揺れている。蕾はだいぶ膨らんできた。あともう少し。もう少し耐えてくれれば。
アメリカン・ブルーが心配で、私は玄関に出る。目に飛び込む東の朝焼け。それはまさに茜色で。まだ日は昇らない、雲が燃えているのだ。赤く赤く燃えながら、日の出を待っている。今か今かと。校庭の隅のプールはさざなみだっている。まるでそれは琴線のよう。昨日ひっくり返したアメリカン・ブルーの鉢は、そんな中、しんとしている。昨日のことが嘘のようだ。あれは悪夢だったのか。そう、まさに悪夢だった。それでも今、こうしてここに在る。アメリカン・ブルーの小枝が五本、ラベンダーが二本、挿してある。これらが無事に育ってくれることを、今はただ、祈るばかり。
今、日が昇る。

彼女はいつものように、今日も淡々と話す。淡々とであるのだけれども、決してそれは冷たくはない。むしろあたたかく相手を包む。その心地よさに揺られながら、私も彼女に言葉を返す。
彼女と話していて、いつも感心させられることがある。それは、彼女の、言葉の受け取り方だ。どんな言葉を返しても、彼女はその中から、相手の長所を見つけ出す。そしてそれをさりげなく褒める。あまりにさりげないから、それは、まっすぐこちらに届く。褒められ下手な私でさえ、素直に、ありがとう、嬉しいと言いたくなる。
喋り言葉を、決して零すことなく、その掌に受け取り、掌でそっと転がし、彼女は見つめる。彼女の瞳は決して大きくはないけれど、いつでも真っ直ぐだ。その目が言葉をあたためる。そして彼女は、あたためた言葉の中から上澄みをすっと掬い取って相手に返す。
私には、そういう術がない。彼女と接するたび、それを思い知る。そして、できることなら彼女からその術を学びたいと思う。

帰宅した娘が、驚声を上げて私に尋ねる。どうしたの、アメリカン・ブルー? うん、食べられちゃった。食べられちゃったって何に? うん、食べられちゃった。…そうなんだ。とりあえず今、あまりそのことに触れたくない私に気づいたようで、娘は言葉を切る。また咲くよね? そうだね、また咲くといいね。私は返事をする。
あの青い可憐な花。今度見られるのはいつだろう。あのこんもりとした茂みが、蘇るのはいつだろう。

大きな大きな荷物が届く。ひとつは港町で買い込んだ海産物。紐解けば潮の香りが私の鼻腔をくすぐる。冷蔵庫に順々にしまいこむ。ただそれだけなのに、一気に家が豊かになったような気持ちになる。市場でおじさんがおまけしてくれた牡蠣も入っている。早々に食べつくさねば、と思って気づく。そういえば娘は牡蠣が嫌いだった。どうしよう。私は呆然とする。そんなことに気がつかないで、買ってきてしまった。仕方ない。娘にはホタテを食べてもらって、私が牡蠣をたいらげよう。私は開き直る。明日の夕飯は贅沢な食卓になるんだろう。
もうひとつは。毎年友人が送ってくれる大粒の梨だった。私の両手からも零れそうなほどそれは大きくて。ダンボールを覗き込みながら、私はしばし見惚れてしまう。彼女とは写真展を通じて知り合った。実際に会って交わした言葉は多分とても少ない。それでも彼女は私にこうして梨を送ってくれる。ありがとうありがとう。思わず声に出しながら、梨をひとつずつ、籠に入れる。籠はあっという間に山盛りになって、今にも零れそう。

朝の一仕事にとりかかりながら、私は改めて思い出す。悪夢、まさにそれは悪夢としか私には言いようがなかった。
帰宅して、アメリカン・ブルーを切りそろえてやろうと、鋏を持って再度玄関を出る。触って、すぐ、おかしいと思った。感触がないのだ。根があるという感触がない。まさか、と思い引っ張ってみると、苗はすぐに抜けた。そして根は。
丸ごとないのだった。きれいさっぱり、コガネムシに食べられていた。これじゃぁいくら水をやっても、苗がおかしいわけだ。納得がいった。私は、土を掘り返し始める。とたんに出てくるコガネムシの幼虫。一匹、また一匹、次々出てきた。出てくるたび私は指でつまみ、足元に放り投げる。そして容赦なく足で潰す。
一体何度繰り返しただろう。それは分からなくなるほど。数えるのを忘れるほど。そのくらい、一つの鉢から出てきた。潰して潰して潰して。
私は泣きたくなる。どうして、と思う。同時に、どうして、と思う。最初のどうして、は、どうしてアメリカン・ブルーの根がこんなになってしまったのだろうというどうして。次のどうしては、何故こんなにも容赦なく次々生きているものを潰さなければならないのだろう、ということに対してのどうして。その二つが平行になることはない。交じり合うこともない。決して在り得ない。だから私が苗を生かそうと思ったら、どうやっても生きている幼虫を潰すしか術がない。
納得のいかない思いで、それでも私は土を掘り、幼虫を見つけ、潰し続けた。鉢の底が見えるまで。そして、土を盛り直し、そこに、まだ青さの残る枝を切って挿した。どうか新たに根がつきますように、と祈りながら。
振り返れば。そこには、亡骸が山ほど。私はアメリカン・ブルーの、もう用を為さなくなった枝葉を箒代わりにして亡骸を掃く。掃いて集め、ゴミ袋に入れる。もはや私の中に、何の感情も、ない。

殺生を為した後の感覚というのは、言葉ではもう、表しようがない。からっぽ、まさに私はからっぽになる。あそこまで潰し続けた自分の左足。靴の底を改めて見るまでもなく、きっとそこは幼虫の体液に塗れていることだろう。靴を脱げば私の足は汚れていない。でも。それは目に見えないだけで。ただ目に見えていないだけで。
毒々しい泥のような色をした体液。踏み潰すたび飛び出る体液。それは靴など飛び越えて私の足に染み込み、私の身体に染み込み、私の心に染み込み。私を侵す。
侵されて侵されて、私の心はばらばらになる。誰も好き好んでやったわけじゃない。それはわかっている。アメリカン・ブルーを守るためにやっただけのことだ。それもわかっている。それでも。
汚れた足、汚れた手、は、石鹸をつけて何度洗おうと、拭えるものじゃぁ、ない。
その手で、私は食事を作り、テーブルに出す。その連なりが、たまらない。

燃えていた空は雲はやがて散り散りになり、そこから新たに生まれ来るのは青空。発光する太陽を讃えるように、広がる青空。
夜明けの頃の狂ったような風もだいぶ止んだ。そろそろ出掛ける時刻だ。私たちはそれぞれに荷物を肩に、玄関を出る。洗い流したとはいえ、まだ何となく残っている亡骸の気配を、振り切るようにして私は階段を駆け下りる。娘もそれに連なって駆け下りる。
じゃぁね、それじゃぁね、手を振って私たちは別れる。娘は学校へ。私は私の場所へ。そうして一日はまた始まってゆく。
いつもと違うことがただ一つ、私の中、亡骸が、亡霊となって、ひゅうるりひゅうるり、泣いている。


2009年10月19日(月) 
窓を開ける。途端に肌が粟立つ。日はまだ昇っていない、午前四時半。昨日は早々に横になった。娘が、フィギュアスケートを観ながら声を大にして応援していたのをおぼろげに覚えている。私はその番組の内容を殆ど覚えていない。多分途中からすでにこっくりこっくりしていたのだろう。スケートは二人でいつも応援しながら見る、数少ない番組だったのに。もったいないことをした。そんな気持ちが朝から湧いてくる。滑り込んできた冷気に寝返りを打った娘の顔を、私は覗き込んで一言謝る。
もうそういう年齢なのかもしれない。仕事で遠方に出掛けると、途端に体が疲れを訴える。以前はそういうことがなかった。だから気づかなかっただけかもしれないが、私の身体は相当に疲れているのだなと、昨日気づいた。腰が痛いとか頭が痛いとか肩が痛いとか、そういうのではない、ただだるい、全身がだるい、そういう疲れだ。普段横になりたいと思うことなどそうそうないのに、頼むから横にならせてくれ、と、昨日は思った。だから洗い物も何も全部やりっぱなし。私は蛇口から水を勢いよく出し、残っていたものを洗い出す。
濡れた手を拭き、ベランダに出て深呼吸をする。冷気が一気に身体に吸い込まれる。とても気持ちがいい。私は髪を梳かしながら、ゆっくり呼吸を繰り返す。
一日放っておいただけなのに、薔薇はあちこちから新芽を出させている。力強いその芽が、薄暗い闇の中、それでも凛々と天に向かっている。先っちょをちょんちょんと、指の腹でつつく。柔らかい先端は、私の指の腹をくすぐる。その間にも徐々に徐々に闇は薄れ、夜明けの気配が近づいてくる。まるで足音を立てて近づいてくるかのよう。その速度に、私はしばし見惚れる。
まるっきり放っておいた丸いプランターから、新たにムスカリの芽が出ている。それは私の意識からまるっきり外れたところにあったプランターで。ムスカリの芽はそれでも、ぴんとした太い芽を出している。私は感嘆の溜息をひとつ、つく。そしてその丸いプランターを、改めて、手前の位置に運ぶ。これで水遣りを忘れることもないだろう。それにしても。去年私がどの鉢にどの球根を植えたのか、思い出せない。そのことが、私を不安にさせる。何も思い出せないに等しい。たった一年という時間なのに。それでも私は記憶を巻き戻すことができないとは。去年の冬、そんなに自分は不安定だったのか、それとも単に思い出せないだけなのか、それが分からないから私は不安になる。

思ったより天井の低いその建物。文化勲章を受章したというガラス芸術家の作品を順繰り見て回る。ガラスの透明さよりも、ガラスの持つくすみの方が先に現われる作品たちを前に、私は少し、考え込む。確かに美しい。技術はすばらしい。でも。なぜだろう、私の心には響いてこない。なぜだろう、なぜだろう。
そして気づいた。私はガラスの透明さ、その光の映し出し方にこそ惹かれるのだな、ということに。ガラス絵を思い出す。油で描かれるガラス絵より、水彩で描かれたガラス絵の方にこそ魅力を感じる自分。ガラスという素材が沈んでいるよりも生き生きとそれが前に出ているものの方に私は魅力を感じるたちなのか、と改めて思う。だから、大御所と呼ばれるこの方の作品群よりも、入り口に三つだけ飾られていた新人の、ガラスのコラージュの方に目が行ってしまったのだ。作品の横に小さく添えられた新人の経歴を読みながら、手帖の名前を控える。
併設していたミュージアムショップの隣で、陶器の展示が為されている。思わず引き寄せられ、私はそこに向かう。ちょうど作品を並べ終えたばかりの作家に声をかけ、作品を手にとってもいいかと訊ねる。ぜひにと言われ、手に取り、陶器から滲み出してくる感触を私はしばし楽しむ。手ごろな器を手に、あちこち眺めていると、作家が、ぜひ口に持っていってみてくださいとおっしゃってくれる。口元にそれを運ぶと、薄い陶器が実にやさしく唇に触れる。飲み口のその感触に私は惹かれ、ひとつ買い求める。青と緑を混ぜたようなその色合い。これからの季節、私の机で活躍してくれるだろう。

朝の一仕事をしていると、娘がおにぎりを頬張りながら、ココアを連れてくる。ちゅーしてあげてよ、とココアを私の顔に近づける。やだよぉと避けると、娘はなんでなんでぇと笑いながら私の肩にココアを乗せてくる。ひゃぁと言いつつ、ココアが落ちたらと思い動けないでいる私を指差して娘が笑う。その娘に、訊いてみる。
ねぇ、ママが髪の毛洗うのと、ばぁばが洗うのと、どっちがうまい? えー。ねぇどっち? うーんうーん、えへへ。なになに? えへへへへ。どっちよぉ。そりゃね、ばぁば! はっはっは、やっぱりねぇ。私は大笑いする。どうしてばぁばの方がうまいの? だってさぁ、ママはすんごい力が強いんだもん、ばぁばはね、弱いくらいやさしいんだよ。そりゃ、握力が違うからなぁ。えー、ママ、握力どのくらいあるの? 今は分からないけど、学生の頃は50は余裕であった。え、ママ、女なのに? うん、ピアノやってたからね、握力強かった。そうなんだぁ、女でもそんなに強くなるんだ、へぇ! なるよ。その代わり、男にからかわれるけどね。そりゃそうだね、ママより握力ない男だっているんでしょ。うん、そうだったね。だからからかわれる。でもね、それよりね。なになに? ママは、手首が太いことで悩んでたよ。なんで? だってさぁ、自分の彼氏より、手首が太かったら、悩まない? えー、太かったの? うん、太かった。なんでそのことに気がついたの? 彼氏の腕時計を借りようとしたら、はまらなかった。わはははは。

少し時間が余ったため、街の循環バスを使って、あちこち回ってみる。そういう季節なのだろう、観光客がとても多い。様々な詩でうたわれたこともある入り組んだ海岸線に沿って歩く人。松の足元に佇む人。カメラを構える人。思い思いに街を歩む。私はそんな人たちの顔を眺めながら、歩く。
耳を澄ませば、朝とはまた一味違う海鳥たちの声が何処からか響いてくる。丘に上がり、私は街を見下ろす。耳を閉じてみれば、一枚の絵のような風景が、そこには在る。私はカメラを構える代わりに、手帖にその風景を、言葉にして記す。

今日は病院だ。確かカウンセリングの日。そう思いながら少し早めに玄関を出る。アメリカン・ブルーを覗き込み、やはり全体を切り込むしか術はないのかもしれないと自分を納得させる。今日帰ってきたら、早々に刈り込んでやろう。今ならまだ、新芽が出るかもしれない。
バスに乗り、電車に乗り換える。そして一本の川を渡る。かつてこの川の近くに住んでいたことがあった。日照りが続けば川の水は減り、雨が続けばこれでもかというほど水量が増え轟々と流れる。海とは違うその水の有様を、私は毎日のように見に来たものだった。そして何故だろう、いつも切なくなった。ただ流れてゆく川の様に、切なさをいつも見ていた。そしていつかまた、川ではなく海の近くに住むのだと、心に決めた。
川を越えればもうすぐ駅だ。二つ目の駅で私は降りる。ここに最初降り立った時、歩道のないその街景に驚いたものだった。どこをどう歩けばいいのか、迷うくらいだった。今はもう慣れ、車の間をすいすいと歩く。具合の悪い時はそれができないから、大回りに車を避けて歩く。
朝のうちあった雲は空からいなくなり、空は今、白く発光している。その傍らには今見えずとも、太陽が必ずある。燃え盛る太陽があるからこそ、私はここで空を見上げる。
少し時間が空いたので娘に電話をかける。三度鳴らしたところで娘が出る。なぁに。気をつけて行って来るんだよ。うん、ママもね! 気をつけてね!
イヤフォンからは、シークレットガーデンの、Homeが流れている。


2009年10月18日(日) 
厚いカーテンに守られた眠りはおのずと明けた。ベランダに出てみると目の前には海。小さな島とこことを繋ぐ橋が、影になって浮かび上がっている。夜降っていた雨はいつの間にかあがり、空は今、静かな紅色に染まり始めている。地平線に沿って漂う雲と海とが、ゆったりと動いているほか、まるで静物画の中にいるかのような夜明け。
髪をいつもよりゆっくり梳かしながら、私は波の様子を見つめる。何処から生まれ何処からやってくるのか、私は知らない。いつの間にか生まれ、いつの間にかやってくる、そんな波間を縫って、鴎の鳴き声が響き始める。少しずつ少しずつ、影でしかなかった島と橋との姿があらわになってゆく。海が隣にある朝というのはこんなにも、表情豊かなものなのかと、改めて私は知らされる。

彼の作品をこんなに多く見るのは久しぶりのことだった。海外の彫刻家のもとで修行した彼の作品はとても洗練されており、余計なものは何もない。余計なものは何もなくとも、ただそれだけでこちらに何かを伝えてくる。大きさも手頃なものが多い。決して大仰に訴えることなく、淡々とそこに在る。それは、彼の作品ほど、街中に佇ませて溶け込むものはないのではないかと思えるほどだ。
ひとつひとつ、作品を見つめながら、会場を回る。よく知られた作品が幾つも並んでいる。私はそれと向き合うたび、久しぶりねと話しかけたくなる。常設展であるにもかかわらず、多くの人がそこを訪れており、中には子供も居る。けれどみな、落ち着いた穏やかな表情で静かに鑑賞している、それこそが、彼の彫刻の力だろう。人の心を静かに惹きつけてやまない、そういう力を持っている。

今日が初日の展覧会には、多くの人が訪れていた。会場は人で埋め尽くされているといってもいいくらいだ。私はその中を、ゆっくり回る。様々な棺やステラがガラスケースの中並んでいる。初めて見るものが多いというのに、懐かしくなるのは何故だろう。
そうだ、母のスケッチの中に、こうした模様がたくさんあったのだ。母は壁画が好きだった。特にエジプトのそれを好んで、写していた。グラシンに描かれたそれは、時にクッションの刺繍になり、時にスカートの裾に施される刺繍となり、幼い頃から私の目の前にあった。母に隠れて、こっそり母の作業場を覗き、これらの文様をうっとり眺めたことが何度あったことか。鉛筆で丁寧に描かれたそれは、私の胸をいつでも刺激した。私は夢見た。これらが実際に描かれている世界の何処かのことを。風化してゆくそれらの様を。
展示の奥の方、ミイラの作り方が詳細に描かれている前では、子供らがじっとそれらを見つめている。大人はその子らの後ろから、それをじっと見つめている。私はその光景を、丸ごと見つめている。こうした光景が見られることが、私には嬉しい。
会場を出たところで、私は二冊カタログを購入する。一冊は自分の、そしてもう一冊は。母に贈ろうと思う。

空が徐々に徐々に明るんできている。先ほどより強くなった波は、まるで島から生まれているかのように、ぐいぐいとこちらに寄せてくる。海鳥たちの声はだんだん大きくなり、それと共に街の音も大きくなっている。島はもう影ではない。濃い緑色を湛えたそれに変わっている。上着を羽織っていても、じんじんと冷え込みが私の肌を覆う。私は腕を擦りながら、それでも刻一刻変わってゆく世界を見つめている。

近代の日本の絵画だけを集めた会場に佇んでいると、彼らがどれほど海の向こうの藝術に憧れていたのかがひしひしと伝わってくる。ユトリロのそれであったり、ゴッホのそれであったり、ゴーギャンのそれであったり、セザンヌのそれであったり。彼らの筆はそれらの世界を懸命になぞる。なぞりながら、自分の筆を何とかそこから導き出せないものかという模索がある。
でも何故だろう。彼らが懸命になればなるほど、絵の中に、筆の中に、土の匂いを私が感じてしまうのは。たとえばそれが、フランスの街中を写し出した絵であっても、彼らの筆から土のどろくささを私は感じてしまうのだ。
私たちはやはり、日本人なのだと思う。決して土から離れては生きていけない種族なのだと思う。そしてそれを、誇りにしていい種族なのだとも、私は思う。

今日が昇る。雲間から真っ直ぐに伸びてくる陽光はまだ赤々と燃え、辺りを染め上げる。見つめれば目の中に点が生じ、世界はその虹色の点に犯されてしまう。それが分かっているのに私は今生まれたばかりの太陽をどうしても見つめてしまう。丸く丸く、何処までも丸く、自ら燃える星。その星のもたらす陽光が、私たちにどれほどの恵みをもたらしているのか。この陽光が私をあたため、この陽光が薔薇の芽を生み出す。この陽光と共に私たちは在り、この陽光と共に世界は回る。
今雲間を抜けて、太陽が昇ってゆく。海鳥の声が港中に響き渡っている。

娘に電話をすると、今お風呂に入っているんだよねぇ、とおどけた声。ばぁばに髪の毛洗ってもらってるんだぁ、と。私は慌てる。ばぁばにそんなことやらせて、あなた、何やってるの。だってぇ、ばぁばが洗ってあげるって言うんだもん。娘はへっちゃらな声だ。私は母に申し訳なくなりながらも、ふと思い出す。
小学校に上がると共に、私は一人で風呂に入るようになった。風呂場で洗濯板を使って自分の洗濯物を洗うのが、私の日課だった。うちはそう決まっていた。大きなものはもちろん母が洗濯機で洗ってくれる。でも、下着は自分で洗濯板で洗う、それが決まりだった。洗濯板で何度、指の皮を剥いて泣きべそをかいたことか。数知れない。でもそれを訴えることはできなかった。決まりだったから。
私は一人で身体を洗い、一人で頭を洗い、出てくる。それが当たり前。でも時々、母や弟が一緒に入ってくる。そうすると、何故だろう、私は照れてしまって、いつも下を向いていた。何処を見ればいいのか分からなくなるのだ。母の裸を見ると、それは罪深いことでもあるかのような錯覚を抱いていた。でも。
母が時々、思い出したように時々、私の髪を洗ってくれる。それが、嬉しくてたまらなかった。同時にこそばゆかった。泡が目に染みようと何だろうと、それでもやっぱり嬉しかった。
我が家で今、そんな決まり事はない。洗濯板もなければ、娘と一緒に風呂にも入る。が。そういえば、最近娘は私と一緒に風呂に入ろうとしなくなった。なんだかんだと理由をつけて、一人で入りたがるようになった。それが今、ばぁばと入っているという。私は、なんだか笑ってしまった。ばぁばと一緒にお風呂に入ってるの? ううん、違う、ばぁばはね、洋服着て、椅子に座って、私の髪の毛洗ってくれてるの。えへへ。娘が笑う。なぁんだ、そういうことか。と思いつつ、母に申し訳なくなる。でも。そんなふうにばぁばに髪の毛を洗ってもらえるなんて、あと何年あることか。今のうちなんだぞ、と心の中で呟きながら、私はそうかそうかと返事を返す。
電話を切った後も、何故だろう、母と娘の風呂の様子が、目の中から離れない。

そして太陽は白く燃え始める。もうだいぶ地平線から離れ、島から離れ、雲からも離れ、ぽっかりと空に浮かぶ。燃え盛る星をそれでも見つめようと私は目を凝らす。あぁ、もう無理かもしれない。私の目は負けてしまう。やっぱり彼の前で私は、頭を垂れるしか術はない。
今日はあと二つ美術館を回り、そして帰路に着く予定だ。そうしたらまた娘と会える。娘に聞いてみよう。ばばとママと、どっちが頭洗うのうまい?って。絶対に娘はこう答えるだろう、ばぁば!と。
私は煙草を一本、ゆっくりとくゆらす。すっかり体が冷えてしまった。今のうちに熱いシャワーを頭から浴びておこう。手に取るように分かる速い速度で東の空を昇りゆく太陽を、もう見つめられないと分かっていながら、私はもう一度見つめてみる。私の目はいっぺんでやられてしまう。それでも。名残惜しいのは何故だろう。
足元を電車が今通過してゆく。もう朝なのだ。街も人も動き出す。私は煙草を消し、部屋に戻る。そう、みなが動き出す時間。それは私も。
今日という一日はもう、始まっている。


2009年10月17日(土) 
寝過ごした。耳元でアラームが鳴っている。急いで止めて時計を見る。四時十分。まだ間に合う。プリンターを見ればまたインク不足のランプが点灯している。私は急いで椅子に上がると、切れた二本のインクを手を伸ばして新しいものに交換する。
顔を洗い化粧水をはたき日焼け止めを塗る。それだけの作業なのだがもどかしい。時間がどんどん過ぎてゆくように思える。上着を羽織るのも忘れてベランダに出ると途端に粟立つ肌。日に日に冷え込むようになってきている朝、タンクトップに短パンでは寒すぎる。それでも私は鳥肌が立つまま髪を梳かす。
こんな朝でも、ミルクとココアは気配を察してちょこちょこと小屋から出てくる。そして鼻をひくひくさせてつぶらな瞳でこちらを見つめる。私はちょっと迷った後、ひとりずつ掌に乗せ、ちょこちょこと撫でてやる。
そういえば薔薇におはようを言い忘れた。思い出して急いで再びベランダに出る。まだ暗闇の中、それでも薔薇の新芽はほんのり輝いており。その瑞々しい様がありありと分かる。挿し木したものからも新芽が出始めている。これはどの樹の枝だったか、思い出すことができないのだけれど、何にしても新芽が出てくれることはとびきり嬉しい。これで増やすことができる。新芽の先を、指の腹でちょこっと触る。赤子の肌のような柔らかさがじんじんと伝わってくる。

駅近くの画廊に、友人の絵を観に行く。彼女とはかつて、インターネット上で毎月テーマを決め二人展と称したものを為していた。毎月一枚、彼女は絵を、私は写真を更新した。一枚だから簡単だろうと思われるかもしれないが、テーマに沿った一枚を生み出すのは、繰り返していけばいくほど難しくなる。どのくらいの期間続けたのだろう。それでも二年くらいは続けていたんじゃなかろうか。
彼女の絵はしっかりと自分を持っている。どんなテーマを与えられても、その一貫性は変わらず、だから見ていて安心できるものだった。彼女は油も版画も為すが、二人展では水彩で描いていた。描写が実に細かいかと思えば、構図はとても大胆で、そのギャップが彼女の絵の一つの魅力にもなっていた。決して人を不快にさせることのない、それでいて芯の通った絵が、いつも在った。
そんな彼女の絵に久しぶりにじかに会える。それが楽しみで、私はわくわくしながら会場に出掛けていった。グループ展ゆえ、所狭しと小さな絵が並べられている。入り口から入って少しいったところに、彼女の一角があった。
あぁ、懐かしい。見た途端、そう思った。二人展の時の感覚が蘇ってきた。でも、彼女の絵は決してとどまることはない、新化し続けている。以前よりずっと観察力が増したのだろう、細かな描写が実にいい。それでいながらやはり構図は大胆で、私はその様にほうと溜息が出る。小さな額の中で、絵は生き生きと踊っていた。今にも額から飛び出してきて、こちらに話しかけてきそうだった。
ここに私は在る。祈りよ届け。まるで絵は、そう言っているかのようだった。久しぶりにいいものを見せてもらった。なんだか心が満腹で、私は足取りも軽く、画廊を出た。

お米を普通にといで、いつもの分量の水を入れる。そこに、濃縮されためんつゆを二回しほど入れて炊く。それだけで、風味豊かなご飯が炊ける。これを基におにぎりをつくる。昆布を入れたり、たらこを入れたり、具材はその時思いついたものを。どんな具材でも何故かしっくりくるのだ、このご飯は。ついでにいえば、握る時、塩がいらない。炊いた時すでに味がついているから、塩をつける必要は殆どない。お手軽おにぎりできあがり、である。
もう一度、今度は何も入れることなく普通に炊く。炊き上がったご飯に鮭のほぐし身を入れる。全体にまんべんなく混ぜ上がったら、それをまたきゅっきゅっと握る。うちの鮭にぎりは、真ん中に具があるのではなく、鮭を混ぜたご飯を握るという具合。これもまた、握る時の塩は殆どいらない。
そうして時間のあるときにまとめて作ったおにぎりは全部冷凍庫へ。これを必要な時解凍して食べる。うちの毎朝の朝食おにぎりは、こうしていつも作っている。
今朝のおにぎりはちりめんじゃことゆかりを半々に混ぜたごはんを握ったもの。私に叩き起こされて、娘はまだ半分目が閉じている。それでも口は動いており、はぐ、はぐ、とゆっくり噛んで食べている。それを横目で見ながら、私は洗い物をしている。
ねぇママ、今日先生出張で留守なんだよ。ふぅん。やったーって感じ! まぁそんなもんだよね、私は笑う。それでね、いろんな先生が交代で来てくれるんだって。楽しみぃ! 食べながら娘の顔は笑顔になってゆく。よほど楽しみなのだろう。K先生でしょ、T先生でしょ、それにS先生も来るんだって。あ、ママ、私ね、音楽会、ソプラノ担当になった。えー、高い声、出るの? まぁ何とかなるんじゃない? そうなんだ、頑張れ。と言った途端、彼女がオペラ歌手の真似をしてみせる。思わず私は噴き出す。何それぇ。高い声、出るでしょ? そういう声で歌うわけ? まっさかぁ! でもまぁ、何とかなるってもんよ、うん。はいはい、頑張れ。

そろそろバスの時間だよ! 私は娘に声をかける。大きな鞄を背中に掛け、娘は靴をはく。玄関を出ればアメリカン・ブルー。今日は三つの花が咲いている。青い青い小さな花。こんな曇り空の下でも、鮮やかに咲くそれは、私の元気の素だ。
始発のバス、ゴルフバッグを担いだ人、マスクをし俯いたまま吊革につかまる人、みなばらばらにバスの中、揺られてゆく。駅まではあっという間。娘は私の隣で小さく鼻歌を歌っている。
ねぇママ、このパン、じじにあげちゃっていいの? うん、いいの。そのパン、じじ好きだから。ママの分は? ママのはまた新しく作ればいいじゃん。そっか。それならいいけど。何で? だって、ママの分がなくなっちゃうと思ったから。はっはっは、そんなの大丈夫、また作ればいいのさ。
駅のホーム、すぐに青い電車は滑り込んでくるはず。私たちは軽くキスをして、手を握り、別れる。しばしの別れ。青い電車に乗り込む娘。私はオレンジ色の電車に乗る。
乗った途端、娘からメールが届く。ママ、行ってらっしゃい。私、頑張ってくるからね! だから私も返事を返す。行ってらっしゃい! 頑張れ、応援してるよ。ママも頑張るからね!
曇り空の下、私たちの一日が始まってゆく。この雲の向こうには、青空が広がっていることを信じて。


2009年10月16日(金) 
枕元でアラームが鳴っている。セットしたのは四時。ちょうどプリンターにセットした用紙がなくなる時間。私は無理矢理寝床から起き上がる。しかし。セットした用紙はまだ残っていた。おかしい、と思えば、用紙より先にインクがなくなっていたのだ。これは計算外だった。私は急いでインクを交換する。プリンターが再び動き始めるのを確かめ、私は溜息をつく。ついてから慌てて口に手をやる。朝一番に溜息をつくとその日一日中溜息ばかりの日になると誰かに聞いたことがある。そんな日になったら困る。私は頭を振り、余計な思いをかき消す。気のせいでありますように。そうして私はベランダに出て今日も髪を梳かす。まだ街の気配は眠りの中。
娘の世話のおかげですっかり人になついたミルクとココアが、私の気配を察して家から顔を出す。おはよう、と声をかけると、ふたりして、籠の入り口にやってくる。私はちょっと躊躇い、でも何も構わないのも申し訳なく、冷蔵庫からキャベツを取り出す。葉を千切って籠に入れてやると、ミルクは下の方から、ココアは身を乗り出して上の方からかじかじ齧る。
再びベランダに出、薔薇の様子を見やる。枝を切り詰めてからというもの、薔薇が力を蓄えていくのが手に取るように分かる。蓄えられた力は、新芽となってやがて噴き出す。今日もまた新たな新芽がもぞもぞと動き出している。最初は真っ白な、そして少し顔を出し始めると真っ赤に染まるそれは、空気の振動をそのまま受け取っているかのように微妙に震えている。それが私の気のせいだということは分かっている。それでも、私にはそう感じられる。まるで生まれたての赤子のように震えている、と。
振り返れば金魚が、こちらを向いて尾鰭をゆらゆら揺らしている。日に日に大きくなっていくその尾鰭は、優雅な曲線を描き、水の中、発光するように揺れている。私はちょんちょんと、水槽を指で叩く。その指の音に吸い付くように、金魚が顔を寄せる。

郵便受けを覗くと、エアメールが届いている。誰からだろう、と思いながら封を切ると、米国に今いる友人からだった。便箋を開くと、その彼らしい律儀な文字が並んでいる。最近の様子などが簡潔にしたためられたその手紙を、二度、三度読み返す。
幼い頃から武芸を嗜んでいた彼の姿勢はいつもきりりとしていて、立ち姿が実に美しかった。仲間からひとり外れて座る私のところに、何故かやってきては、挨拶をしてくれた。真っ直ぐな彼の目はいつも、私には眩しかった。大学を卒業するとともに、疎遠になった。私は私ではちゃめちゃな時間を送っていたし、彼もきっと、自分の道を邁進することに懸命だったろう。いつでも前向きな彼だった。落ち込む時はとことん落ち込むけれど、それでも這い上がってくるのが彼だった。きっとそうやって、仕事をし、家庭を守り、今があるのだろう。自信に満ちた彼の語り口は、今もやっぱり私には少し眩しい。私は読み終えたそれを丁寧にたたみ、封に戻す。

母の今月の検査の結果が出ているはずだ。それを聞くために実家に電話をする。呼び鈴が三度鳴ったところで母が出る。多分庭から駆けてきたのだろう、息が切れている。そんなに急がなくても、私の電話は切れないよ、と言いそうになりながら、やめる。そして、調子はどう、と尋ねる。検査の結果は、担当の先生がちょうど留守で違う先生からの説明しかなかったから、正直なところ正確なことはわからない、でも、今のところは治療のかいあって順調なようだ、という。ただ、半年後、再発しないとは限らない、とのこと。こればかりは誰にも分からない。その時になってみないと何とも分からない。それでも。
今のところは順調。それだけでも十分だ。先のことが分からないなら、今分かることを噛み締める方がいい。話していると、母に尋ねられる。インフルエンザの予防接種はしたの? まだ。母子家庭は少しは安くなるんじゃないの? うーん、調べてないから分からないけど。どうだろう。早く受けなさい、罹ってからじゃ遅いのよ。いや、まぁ、そうしたいんだけど、何分お財布の状態が、と私は苦笑する。ちょうどマンションの更新時期と重なっているこの冬、正直余裕がない。娘だけでも、と思っているのだが、どうも病院を訪ねるのが躊躇われる。友人の話によると、病院に行けば行くで、風邪を引いた人がわんさか待合室にいて、そこで移ってしまう危険が多分にあるという。今の健康を過信するな、というのは、母を見ていればよく分かる。でも、どうしようか。私は迷っている。
とにかく早く受けなさいね、母がたたみかけるように繰り返す。そして電話は切れる。一体どちらが心配してかけた電話なんだか、分かりやしない、と私は受話器を見つめながら再び苦笑する。

六時に起こして、という娘に声をかける。二度、三度、四度。ぴくりともしない。ほら、起きなさい! 彼女の身体を揺らす。全く起きない。時計を見、私はあと三十分放っておくことにする。その間に洗い物をしてしまおう。昨日の夜洗い残した陶器のカップを二つ洗い、ついでに洗濯機も回し、私は再び時計を見る。
ほら! 起きろ! 私の大声に、娘がばっと身体を起こす。今何時? 六時半。六時に起こしてって言ったじゃない! 何度も起こしたよ。起こしてないよっ。起こしたってば。起きなかったのはあなたでしょう。起こしてないよ、もうっ! 娘はぷりぷり怒りながら、布団を畳み始める。私は密かにその様子を見やりながら、笑いをかみ殺す。
今日のおにぎりは梅ひじき。混ぜご飯を握ったもの。差し出すと、彼女が何故か握り直している。何をするのかなと思えば、「卵!」と、まん丸になったおにぎりを見せに来る。それは食べづらいだろうと思うのだが、先日野球のボールを拾ってからというもの、彼女は丸い形に拘っている。卵、と言ったそばから、拾ったボールとそのおにぎりとを見比べ、さらに丸く握り直している。そこまでこだわらなくてもいいだろうにと思うのだが、彼女の手は止まらない。
週末の天気が知りたくて珍しくテレビをつける。秋晴れは今日までらしい。私は今日二つ目の溜息をつく。それに重なるように、洗濯機の終わった音が風呂場から鳴り響く。私は慌てて洗濯物を広げにかかる。

大学時代の私は、一体どういう生徒だったのだろう。浮いていたな、というのは、自覚している。何処のグループに所属するわけでもなく、私は一人、何となく浮いていた。グループというものが苦手だった。かといって、一人でいるのが得意だったわけでもない。本当は少し寂しかった。寂しかったが、どちらをとるのかと聞かれれば、一人でいることかもしれない、と多分答えていたんだろうと思う。
授業は可能な限り出席した。大嫌いな英語を覗けば、フランス語、古典ギリシャ語、ラテン語、他の学部の生徒で殆ど埋まる授業をあえて選択し、出席した。西洋美術史を専攻した私は、関連する書物を片っ端から読んだ。眺めた。現代になるほど理解しがたくなるそれに閉口したことは覚えている。西洋美術史の中でも何をやりたいかは、もう最初から決まっていた。近代彫刻、カミーユ・クローデルの研究だった。高校の頃からそれはもう私の中にあった。初めてカミーユ彫刻に出会った時の衝撃を、私は今も忘れていない。彫像がみな、ひそやかに喋っている、決して声高にではない、みな、ひそひそと、しんしんと語っている、その印象は、力強い彫刻ばかりを見てきた私には発見だった。こんな静謐な彫刻を作る人がいたのか、と、当時、ショックを受けた。彫刻をひとつずつ見て回るうち、涙が滲んできた。彫刻のどれもが、楽しげな様子を描いている彫像さえもが、どこか切なく、やるせなく、哀しげな面持ちをしていた。それから私はカミーユに関する資料を読み漁った。線を引きすぎてページが破けることもあり、そういう本は二冊買ったりもした。そして大学四年の秋、私は教室を飛び出して巴里に飛んだ。現地で見た彼女の彫刻を、私は今もありありと思い出す。ロダンの彫刻が叫ぶ彫刻なら、カミーユのそれは、囁く彫刻だった。一日中そこにいても飽きなかった。だから毎日通った。お金がなくなれば、橋の袂で歌を歌い、微々たるお金を得、パンを食べた。ジリ貧の旅だった。いつも鞄に入れているパリ市内の地図は、よれよれになり、じきに破け、用を足さなくなった。それでも私は歩き回った。もう残っていない彼女のパリ市内のかつてのアトリエがあった場所を歩き回った。できることならタイムスリップして、彼女に会ってみたかった。歩きながら私はひとり泣いたり怒ったり笑ったりしていた。彼女を想って。
ちょうどいいタイミングだったんだ。もうここに居たくない、ここは私の場所じゃない、私の場所は何処、と、探しているところだった。そんな時巴里に飛んだ。だから私はカミーユを追いながら、同時に自分の居場所を探していた。そして。
サクレクール寺院のてっぺんから街を見下ろした時、悟ったんだ。ここも私の場所じゃない、と。そして日本に帰ろうと思った。私は私の場所をあそこで作るしかないんだな、と、そう思って。
日本に戻ってからも、様々なことがあった。どうしようもない出来事が待ってもいた。それでも私は日本に帰国した。そして、大学卒業と同時に家を飛び出し、小さいながら自分の部屋を持ち、暮らし、事件に遭った。
それからの紆余曲折は、語りようがない。

ママ、出る時間だよ。娘の声がする。私は鞄を肩にひっかけ、彼女の後を追って玄関を出る。玄関の右手にアメリカン・ブルー。今日は三つの青い青い花が咲いている。傷だらけになりながら、全身ぼろぼろになりながら、それでも咲く花。東から伸びる陽光に照らされ、きらきらと輝いている。
階段を走り下り、自転車の鍵を開く。そこまで後ろ乗ってく? 声をかけると娘が飛び乗ってくる。たった五十メートルあるかないかの距離。二人乗りはしちゃいけないんだよーと後ろで娘が笑いながら言う。そういいながら乗ってるのは誰? と私も言い返す。
じゃぁね、じゃぁね、娘が唇を突き出してくる。一瞬迷いながらも私はキスを返す。手を振り合って別れる。
大丈夫、今はここが自分の居場所だと私は知ってる。心が迷子になりそうになったなら、ここに戻ってくればいい。
私はペダルを漕ぎながら、歌を歌ってみる。今ウォークマンから流れているのはCoccoの絹ずれ。鳥が堕ちた 私が殺った 夢を見てた 君が染みたそこらへんで 小さな声を聞いた気がする この手を握るのは誰だろう いつだろう 今だけほしいのはなぜだろう いつからだろう ひとりでゆくのはみな同じだろう…
大丈夫。私はここにいる。そして今日もまた一日を、積み重ねてゆくんだ。


2009年10月15日(木) 
午前四時半。まだ外は夜闇の中に沈んでいる。隣で眠る娘が寝がえりをうち、布団をすっかりはいでしまう。私はそれを掛け直し、起き上がる。
昨夜からずっとプリンターは動かしっぱなし。インクを足すようにというランプが点滅し始めている。足元でカラカラとココアが回し車を回す音がする。私は台所に昨日洗って置いておいた葡萄を一粒口に入れ、ベランダに出る。
髪を梳かしながら薔薇の樹を見つめる。切り詰めたのがよかったのだろう、新芽があちこちから顔を出し始めている。まだ縁の赤い初々しい芽。暗闇の中でも何故だろう、その姿をはっきり捉えられる。仄かに発光しているかのように見えるほど、それは瑞々しい。
痛々しいほど傷ついた蕾たちは、それでもまっすぐ天を向いている。全身傷だらけになりながらも凛としたその姿は、ただそれだけでもう私の胸を射る。じっと見つめながら私は、背筋が伸びてゆくのを感じる。

友人と待ち合わせた喫茶店、わずかに私が早く着く。窓の外、空がくるくると様子を変えている。水色の空を見せたかと思えば曇り、曇ったかと思えば再び青空が現れ。まるでそれは猫の目のようで。
やってきた友人と隣り合わせに座りながら、窓に面した席、おしゃべりをする。他愛ない、何処にでもあるようなことを、私たちは次々に言葉にして交わす。あっという間に二時間が過ぎ、私たちは店を出る。
途中で別の店に寄り、必要なものを買い込んで私たちはバスに乗る。目的地は私の家。
そして私たちは作業を始める。二人展に必要な大事な作業だ。彼女からファイルを預かり、ひとつひとつ開いては試し刷りをする。彼女に確認してもらった後保存する。あとは私が時間を見つけては必要な枚数を刷り出すだけにしておかなければならない。
彼女の絵はやわらかい。それはパステルという材質によるところも多分にあるかもしれないが、それ以上に、祈るように描いているとかつて彼女が言っていたその言葉がすべて現れている。対峙していると、心の澱から浮かび上がった澄んだ水を見つめているような気持ちになる。多分その後ろには、幾つもの紅い斑点があったはず。血反吐吐くような思いがあったはず。それらをすべて溶かした上での、上澄み液はだから、彼女の涙のような色合いをしている。
作業を続けながらも、私たちはずっと喋り続けている。あぁでもないこうでもない、あれもあったこれもあった、次々に言葉は溢れ出す。

突然、終わったー!という娘の声が飛んでくる。何が終わったの? ご飯食べるのが終わったの。うん、で、次は? 着替える。うん、その次は? 考えてなーい。
考えてない。私は少々驚く。考えてないなんてことがあり得るのかとこの時初めて知る。それが普通なのだろうか。それとも彼女独特なものなのだろうか。分からない。
私には多分、こういうことが、ない。考えていないことなど多分あり得ない。次は、次は、と、四六時中考えている。
余裕がないのかもしれない、私には。ふと思う。彼女が持つものが余裕だとして、私と彼女とはどこがどう違うのか。どこがどう違って、余裕を持つ余裕を持たないになるのだろうか。知りたい。でも分からない。一体どういう思考回路を持ったら考えないでいられるのだろう。それが分からない。
着替え終わった彼女は、るんるんと鼻歌を歌いながら、廊下を行き来し、そして歯を磨き始める。次に彼女は何をするのだろう。はっきりいって、かなり、気になる。

一通りの作業を終えて、私は友人と歩き出す。朝のうち曇ったりしていた空がすっかり晴れ上がっており。それどころじゃない、陽射しはまるで夏のように強くて。目的地に着いた時には、汗をかいている始末。私と友人は向かい合って座る。窓際の席。それが私たちの定位置。
窓の外の街景は、刻一刻変わってゆく。春の頃にはまだ鉄骨が丸見えだったものが今はガラスも嵌め込まれ、ずんと聳えている。その手前の小さな空き地に、薄が揺れている。そういえば薄もずいぶん見なくなった。昔はあの鋭い葉でよく手を切ったものだった。でもあの葉はとても芯が強く、小舟を作ってどぶ川に流して遊ぶこともできた。開いた穂で作る梟は、ふわふわとやわらかく、触り心地がとてもよかった。今そんなことをして遊ぶ子供はいるのだろうか。薄自体が街で見かけなくなっているのだから、そんな遊びをする子供は殆どいないのだろう。考えてみれば、子供の頃、手や足はいつも傷だらけだった。遊べば擦り傷ができるのは当たり前、バンドエイドなんてものを貼るまでもなく、舐めて終わり、だった。なんだかあの頃が、とても懐かしい。
いつの間にか日が落ち、辺りは黄昏ている。彼女のおなかの虫が動き出し、じゃぁそろそろ、と手を振って別れる。

娘の髪を三つ編みに結っていると、彼女が私に話しかけてくる。今度のバレンタインのチョコは、誰と作るの? うーん、誰とだろう、まだ分からないよ。作りたいものもう決めてるんだよねぇ。もう? 早すぎない? だってあげたい人、決まってるもん。
果たして、今彼女が思い描いている人に彼女がちゃんとチョコを渡すのかどうか、私は知らない。バレンタインデーまでの数ヶ月の間に新たな想い人ができて、その人にさっと渡してしまうのかもしれない。そういえば私は、小学生の頃はあげる方だったが、中学にあがると何故か、チョコをもらう側になったっけ。下級生から、先輩これ!と、小さな花付のチョコをプレゼントされた時には、どういう顔をしていいのかずいぶん困ったものだった。チョコをもらって帰ると、弟に文句を言われた。あのチョコたち、私は最後どうしたのだろう。いつ食べたのだろう。ちゃんとお返ししたんだろうか。全然思い出せない。

朝の時間は実に慌しい。気がつけばもう玄関を出る時間。私たちはそれぞれに窓を閉め、玄関へ急ぐ。ママ、競争だよ!と言いながら娘が駆けて行く。私は自転車でそれを追いかける。小走りでも何でも、走れる彼女の姿を見ることができるのは、ほっとする。
おはよう、おはようございます。集まってくる子供らに声を掛ける。返事が返ってくるのはほんの少数。それでも私はおはようと声を掛ける。俯いていようとそっぽを向いていようと、彼らに声を掛ける。
じゃ、いってらっしゃい。全員が集まったところで送り出す。彼らは学校へ、私は私の場所へ、それぞれに出発だ。

さぁ、今日も一日が始まった。信号が青になる。私は思い切りペダルを踏む。そう、乗り遅れないよう、逃さぬよう、私もめいいっぱい駆けていこう。


2009年10月14日(水) 
おのずと目が覚める。午前四時半。まだ外は夜闇の中。すっかり明かりの消えた街はしんしんと眠っている。街灯に照らし出される街路樹の下葉が、ほんのり橙色に染まっている。私は髪を梳かしながら、そんな街の様子を見るでもなく眺める。東の光が伸びてきたとき、一番最初に明るむのがあの白い向こうの丘の一番上に建っている建物。そしてその光の筋は徐々に徐々に辺りに広がってゆくのだ。
薔薇は切り詰めることができた。今薔薇は、短く短くなって、まるで幼い子供のようだ。早いものはもう新芽をむずむずさせている。残ったのはアメリカン・ブルー。私は玄関に回り、座り込む。昨日思い切って、何本かの枝を切り落としてはみた。それでもまだ足りないらしい。あのこんもりした茂みは何処へいってしまったのだろう。もう再び見ることは叶わないんだろうか。いや、そんなことはない。再生する、きっと。だから、信じて待とう。あと少し、枝を切り詰めて。そして私は鋏を取り出し、真ん中の方から弱った枝を選んで切り落とす。右手に鋏、左手に切った枝葉。あっという間に左手はいっぱいになってしまう。もうこの辺でやめておこう。そして気づいた。以前挿しておいたものが、新芽を出している。こっちも、そっちも。あぁ、生きているんだ、呼吸しているんだ、そう思ったら、胸がいっぱいになった。弱って来た親株の隣で、新芽が三つ、四つ。まるで親株を守るかのように。そうだそうだ、芽を出せ、葉を広げろ。そして、親を守りつつ育ってゆけ。

小麦粉と全粒粉と砂糖、塩、ドライイースト、スキムミルク、それからショートニング。分量通りとはいかない、計量カップでだいたいの目安をつけてボールに入れる。そこに最後水を足して、あとは機械任せのパン作り。
昔は、そう、実家にいた幼い頃は、母が捏ねてくれたパン生地で、いろいろなパンを作った。シナモンロールパン、レーズンパン、梅ジャムパン。思い出すときりがない。実家には大きな大きな、食卓よりも大きな作業台があって、そこでいつもパンを捏ねた。ステンレスのひんやりした感覚が、冬場などは指に這い上がってきて、でもそれ何故かいつも、気持ちよかった。無駄口を叩かない母が黙々と作る横で、私は自由にパンを作った。自分で責任もって食べるのが条件で、好きなように作った。鋏で切りこみを入れたり、うねうねと巻いてみたり。とても楽しかったことを覚えている。
今私のところには作業台もなければ、捏ねているだけの手間暇をかける時間がない。だから、機械任せになってしまう。けれど。
今日はどうしても、パンを作りたかった。数日前からちょこっとずつ材料を集め、そして今日になった。何故だろう。突然パンだなんて。そう思ったが、どうしてもどうしても、作りたかった。
発酵する匂い、焼けてくる匂い、それぞれの匂いがそれぞれに部屋を満たす。私はその匂いに包まれながらぼそぼそと仕事をする。
そこへ娘が帰ってくる。突然私の腰に抱きつきじっとしている。どうした、何かあった? 聞いても答えない。でも何かあったのは明らかだ。私もじっと待つ。ようやく私の腰から腕を離し、ランドセルを片づけにゆく娘。改めて彼女の顔を覗き込めば、目の周りがほんのり赤い。これは泣いたな、と気が付いた。だから私は待つ。彼女が話してくれるまで待つ。
彼女が、作業をしている私の隣に椅子を持ってきて座り、話し出す。べつにたいしたことじゃないんだけどね、でもね、今日学校で…。うんうん。でね。うんうん。
そして結局彼女は、とばっちりをくらって、こめかみに段ボールの角をぶつけられて泣いて帰って来た、という次第だった。災難だったねぇ、もう痛くない? ま、もういいけど。別にいいんだけど。別にいいよね。うん。そう? うん、もういいや。そっか。
そして彼女は、パンの匂いに気づく。パン、焼いてるの? うん。失敗しないといいけど。はっはっは。ちゃんと焼けるといいね、ママ。そうだね、ちゃんと焼けるといいね。
そうしている間にも、部屋は、パンの焼ける匂いで満たされてゆく。それはやわらかい匂い。幸せの匂い。

娘と塾の宿題をしていて、だんだん二人とも、部屋にいることに疲れてくる。パンが焼き上がるまでにはまだ一時間半はかかる。
「お茶飲みに行こう!」。私は思いついて立ち上がる。娘に、残りの宿題をかばんに入れさせ、私は本を一冊かばんに入れ、玄関を出る。もう日が落ちて辺りは暗い。自転車のライトが私たちの道を照らす。くねくねと曲がる裏道を通って、それから公園の横を通って、大通りを渡り、高架下をくぐって埋立地へ。店に入ると、客は一組しかおらず。私たちは案内された席に座る。
向かい合った席、彼女は宿題をやり、私は本を読む。彼女は冷たい飲み物、私は温かい飲み物を口に運ぶ。そして時々、私たちはおしゃべりをする。
気づけば外はすっかり夜。宿題が終わったところで、娘がいきなり云う。おなかすいたぁ! じゃぁ家に帰るか。帰ろうか。ね。
私たちはさっき来た道を走る。銀杏並木の下のぎんなんを、誰かがきれいに掃除したのだろう。一粒も落ちていない。でも、匂いはかすかに残っている。次に現れるのは金木犀の匂い。次に現れたのは。家々から漏れてくる夕飯の匂い。
そして。玄関を開ければ、部屋中パンの焼けた匂い。私たちはパンを覗き込む。これなら大丈夫? まぁ大丈夫ってことにしておこう。そして私たちは笑い合う。
夕ご飯は、家を出る前に作っておいた炊き込みご飯にオクラとベーコンの炒め物、唐揚げ、マッシュポテト、トマトのサラダ、野菜スープ。野菜スープとトマトのサラダ以外は、娘からのリクエスト。

いつもより少し早く出る。今日は二人展の打ち合わせだ。娘に断って出ようとするところへ、ココアを抱きかかえた娘が追いかけてくる。ココアも見送りがしたいって。そうなの? でもそこから出ちゃだめだよ。大丈夫だよー。だめー。
じゃぁね、それじゃぁね、手を振り合って別れる。私は階段を駆け下り、やってくるバスに飛び乗る。何となくおなかが痛いのは気のせいだろうか。
明るくなってゆく空は青く青く澄んでいる。日に日に高くなる空を見上げながら、秋から冬に変わってゆくのだろう様を思う。この秋が過ぎてゆけばやがて冬。そう、じきに私の一番好きな季節がやってくる。
さぁ今日も、私の一日が始まってゆく。


2009年10月13日(火) 
娘の腕が飛んできて目が覚める。痛い、重い。思わず跳ねのけそうになり、寸ででとどまる。布団をすっかり剥いで、パンツ丸出しにして眠っている。彼女の腕をそっと適当な位置に戻し、私は起き上がる。午前四時五十分。まだ外は暗い。
見上げた空には一面雲がかかっている。大きなでこぼこの雲だ。東から光が伸びてくる気配さえも覆っている。窓を開けてベランダに出ると、ぶるりと肌が震える。肌を粟立たせながら私は髪を梳く。抜け落ちる髪をティッシュに包んで、ゴミ箱に捨てる。私はよく真っ直ぐな髪の毛だねと言われるが、実はそうじゃない、癖毛だ。細かい小さい癖がうねうねと髪の毛全体に広がっている。長く伸ばしているからその重みで癖が目立たないだけの話。結構これがコンプレックスだったりする。月経が始まる前、私の髪もまだ娘のように真っ直ぐでさらさらだった。でも月経を向かえて気づけば、うねる髪になっていた。子供を産むには遠い年齢だったその頃、どれほど月経を恨んだことか知れない。体のいたるところに変化が起きた。それに自分の目がついていけなかった。でっぱった胸、突き出た尻、子持ちししゃものような脹脛、誰かのウエストくらいありそうな太もも、うねる髪、鋭い目つき、どれをとってもコンプレックスだった。
自分の身体にだいぶなじんで来たのはいつ頃だったろう。確か、娘を産んだ後だ。それまで張り詰めてたコンプレックスという糸が、いきなり緩んだ。コンプレックスなどに構っている暇もないほど、子育てにてんやわんやだった。気づいたら、皺も染みも白髪も適当にある姿になっており、私はそれを受け入れた。とはいっても、できるなら美しくありたいという気持ちが全くなくなったわけではなく。まぁ要するに、適度な諦めと、適度な憧れとがごちゃまぜになったような状態が、今の自分なのかもしれない。

ママ、ほら、見て! 娘が大仰に叫ぶ。近寄ると、前足をあげて立つミルクとココア。最近ね、私が近づくと、二人ともこうやって待ってるんだよ。へぇぇ。私は思わず覗き込む。確かに、近づいた私などお構いなしに、ふたりとも娘を一心に見つめている。たまりかねたミルクが、籠の入り口に取り付き、出してくれ、といったふうに暴れ出す。よしよし、といいながら娘がミルクを左手に、ココアを右手に乗せる。私はそれを眺めつつ、取り残された金魚のそばに行き、餌をやろうとして娘に止められる。もう餌はやったんだから、とのこと。なるほど、金魚の世話をしてからミルクとココアの世話をするようにしているのか。私は納得し、立ち上がる。台所仕事をしながら、足元できゃっきゃと笑う娘の姿を見つめていると、こんな小さな生き物であっても、飼ってよかったんだなと思う。自分で世話をし、可愛がり。ただそれだけといってしまえばそれだけかもしれないが、それを自分でしっかり為すことを覚えた娘は、夏前より少し、大きくなったように見える。

朝の一仕事をしながら、昨日の夜、弟から来たメッセージを私は思い出す。まったく調子よくありません。一応できることそれなりにやってはいるけれども。もう半ば投げやりになってます。そんなことが書いてあった。文面全体から、自嘲気味に口元を歪めて笑うあの弟の顔が滲み出ているかのようだった。文章はどうしてこうも残酷に人を映し出すのだろう。まさに鏡だ。私は一語一語ゆっくりと読みながら、彼の追い詰められた心境を思った。私より多分、あの弟の方が爆発率は高いだろう。思ってもみないところで彼はきっと爆発する。そうなる前にどうにかできないものだろうか。どうにか。
そこまで考えて、自分がどれほど無力かを私は痛感する。自分の生活を立たすことさえままならない自分が、誰かを助けるなんてできるわけがない。できるのは無責任な応援だけだ。それ以上のこと、何もできない。ただ見守って、応援して、愚痴を聞いて、頷くだけだ。それが、歯痒い。悔しい。
でもそれが、多分、現実だ。

昨日の夜現像したフィルムを私が光に透かしていると、娘がぱっと覗き込む。ねぇねぇ、あの変な顔見せて。娘はどうも、自分の変な顔を見たくて仕方がないらしい。私はそれを選んで彼女に渡す。へっへっへー。何、へっへっへーって? いや、もっと変な顔すればよかったと思って。これ以上いいよ、使える写真、全然ないやん。私が笑うと彼女はぺろりと舌を出す。確かに、使える写真は殆どなさそうだった。数えるほどしかないだろう。でも。
自分が九歳や十歳の頃、父母に素直に写真に撮られていた自分がいたかといえば、絶対に否だ。逃げるか、口をへの字或いは一文字にして睨むようにカメラを見つめていた。それに比べたら、彼女のこれは、上出来なんだろう。そして多分、年月が経ってみれば、懐かしく笑える写真になるのだろう。私は、変な顔の中から特に五枚を引き抜く。これをプリントして彼女に渡してやろうと思う。そして。
今回私が一枚だけ、とてもとても気に入ったものがある。それは、雲がたくさん浮いた空を背景に彼女のアップを捉えた写真だ。彼女の目が真っ直ぐにこちらを見つめている。笑うでもなく睨むでもなく、その中間の表情が、強い力を湛えていて、私にとってはたまらない一枚になっている。これを大きく引き伸ばしたら面白いだろうなと思う。
昔はただ、コントラストの強いばかりの私の写真だった。それが少しずつ変化しているのは自分でも分かる。正直、グレーがきれいに出てしまうと、今もまだ迷う。それをぶち壊したくなる。でも何故だろう、今ぶち壊してプリントする気持ちにまではならない。不思議なものだ。心のありようによってプリントの状態はいくらでも変化する。一枚のネガから、百通りの写真が焼ける。それが、私にとっては面白いところなんだと思う。

明るくなってきた空の下、私は鋏を持って再びベランダに出る。そして。
ぱつん。ぱつん。ぱつん。思いっきり薔薇の枝を詰める。新芽がでかかっている箇所の上で、容赦なく切り落とす。ぱつん。またぱつん。鋏の音が、まだ静かな街に響き渡る。
台風で擦れぼろぼろになった葉をひとつずつ切り落とすのではもう間に合わないと思った。いっそ今のうちに詰めてしまった方がいいんじゃないかと思った。それが正しいかどうかは分からない。分からないが、私はそうすることにした。
結局、マリリン・モンローとホワイトクリスマス、三つの蕾を残して、あとはきれいに切り詰めた。あとは。アメリカン・ブルーだけだ。帰宅したら、思い切ってやってみようか。その前に母に電話しようか。どうしよう。私はまだ、アメリカン・ブルーに関してだけ、迷っている。

今日は病院。病院を二つ回らなければならない。娘に声をかけて早めに家を出る。バスに揺られ、電車に揺られ、病院の最寄の駅に着く。いつのまにか空はきれいにすかんと晴れ渡っており。街行く人の中には、数えるほどだが半袖の人もいるくらい。多分昼間は暖かくなるんだろう。
いつもの喫茶店でいつものカフェオレを頼む。そしてもう一つ思い出す。昨日届いた素敵なニュース。かつて一度、「あの場所から」の撮影に参加してくれた子が、妊娠したというニュース。まだまだ初期らしいが、私の時と同じく、吐き気などに襲われ、食べることがままならないらしい。ねぇさんも妊娠って分かる前、薬飲んじゃってたんだよね? うん、妊娠と知らずに飲んじゃってた。それでもあんな元気な子が産まれたんだよね? うん、まぁそういうことになるね。でもそれは、産んでみなけりゃ分からない、うん。ははは。でも、十ヶ月という時間は、十分な時間だよ、どんな子が産まれても引き受けて育てていこうって思えるだけの時間なんだよ、うん。そういうもんなんだぁ。そういうもんだぁね。
短い時間だったが、久しぶりに話した彼女は、思ったよりも元気だった。今具合が悪いとはいえ、それでも声に張りがあった。私はそれが何より嬉しかった。
共にPTSDという代物を背負ってはいるけれど、だからって子供を育てられないわけじゃない。やろうと思えばいくらだっていろんなことに挑戦できる。自分が選んでそこに飛び込むならば、やれないことなど殆どない。もちろんそこに苦難はあるけれども、それでも、いろんな人のサポートを受けながら、乗越えていけばいい。やってやれないことは、ない。そう、きっと。
そう思ったところで、私は、自分がどれだけ恵まれているかを思う。いろいろなことがあった。いろいろなことが今だってある。それでも。
いろんな人がいろんな形で見守っていてくれる。それが、どれほど自分に力を与えてくれているか。そのことくらい、今の私でも、分かる。
感謝しよう。私の周りにいる人たちに。感謝しよう。私のそばにいてくれる人たちに。そしてそれにありがとうと言いながら私は歩いていこう。
ごめんねや申し訳ないよりありがとうをこそ。

さぁ、私の一日が、また始まろうとしている。


2009年10月12日(月) 
目を覚ますと五時。寝過ごした。慌てて顔を洗い髪を梳かす。髪を梳かしながら薔薇を見やる。台風の爪痕はまだまだ植木に残っている。干からびた葉が今日もまた幾つか。摘み取りながら、哀しい気持ちになる。薔薇だけではない、アメリカン・ブルーもまだまだ元気がない。無事だったのは、球根類だけだ。イフェイオンやムスカリ、水仙の葉を撫でつつ、やはり薔薇やアメリカン・ブルーを振り返ってしまう。早くもとのように元気になってくれないものだろうか。
娘を急いで叩き起こす。そして今日はもう海に行く時間がないことを告げ、去年撮影した公園でまた撮影することを話す。少しぶぅたれながらも着替えてくれる娘。始発のバスにはあと少し。おにぎりを鞄に入れ、玄関を飛び出す。

娘と待ち合わせた駅前の喫茶店、街は休日、しかもあちこちの店でセールが催されていて目が回りそうな人ごみ。それでも娘は一直線に私を見つける。シュークリーム食べる? 太るからいらない! えー、あ、そうなの? うん。私は娘のその言葉に笑い出しそうになりながら我慢する。太るから、か。私もそう言っていろんなものを我慢したっけ。我慢したけれども、生まれ持った体質は変わらず、いつでも健康優良児のような体格、これもまた、変わらなかった。多分あなたも私と同じように体型で悩むんだろう。そして折れそうな細い身体を持つ友人を、羨ましく見つめるんだろう。
二人で歩きながら、ふと思いついて店に立ち寄る。一番端っこの、人の少ない店。思いついたのは、娘にスカートを選んでもらおうということだった。これがいい、あれがいい、娘は次々スカートを持ってくる。これは短すぎるよ、これ、レースがついてて恥ずかしいよ、これ、太って見えるよ、私も彼女に負けず言い返す。やってみて分かった。もうすでに彼女の好みはかなりの部分出来上がっていて、ついでにいえば、私と多分に好みが違うということ。まだ10歳を数えぬ娘なのに、もうこんなにもはっきり好みを持っているのかと、私は改めて心の中驚く。
結局一枚も買わずに出てきたのだけれど、一度やってみたかったのだ、母とできなかったこと。一緒に買い物をしてあれこれ選んでみるというただそれだけのこと。ただそれだけのことなのだけれど、私は母とそれを為すことがなかった。母はいつも決まった店にしか入らなかったし、小学生の頃私はいつでも母に洋服を作ってもらっていた。私の好みに関係なく、だからいつでも洋服は母の好みだった。何度かそれでいじめられた。やーい、ひらひらの変な服! みっともねぇなぁ、それ、どこの服だよ。今考えればそれは、他愛のない冷やかしだったのだろう。でも当時私はその言葉に傷ついて、傷ついて、毎日俯いて過ごしていた。早く母の服から逃れたかった。でも何処にもそれを言い出せず、俯くしか術がなかった。中学になり制服になった時はだから、ほっとしたものだった。今思えばなんて贅沢な、と思う。実際私は、娘に洋服を作ってやったことなど一度もない。カーディガンを編んでやったことだって一度もない。それに比べて母は。レースさえ自分で編んで私の服を作っていた。刺繍もアップリケも何もかも手作りだった。あの服は今何処にあるのだろう。もう何処にもないのだろうか。世界で唯一の、たった一着の服だった。

始発のバスは私たちふたりだけを乗せて走る。坂を上りくねくねの商店街を通り、そうしてようやく公園へ。坂の一番上の公園は見晴らしがよく、芝生が広がっている。娘に裸足になるよう促し、私はカメラを構える。あそこまで走って。娘が走る。私はカメラのシャッターを切りながら追いかける。
夜明けの公園。もうすでに多くの人が犬を連れて散歩に出ている。その人影を避けながら私たちはあちこち走り回る。途中、あまりに大きな犬に出会い、私たちは立ち止まる。ねぇ、あの犬、すごく大きい。ママも初めて見た、あんなに大きい犬。すごいねぇ。すごいねぇ。私たちはしゃがみこみ、しばらくその犬が遊ぶ光景を見やる。
去年歩いたのと同じ道筋を、私たちは駆け、また、歩く。でも、娘の集中力は短い。あっという間にタイムリミット。もう限界といったふうに彼女はどんぐりを拾い集め、池に投げ始める。かと思えば、近寄ってきた犬に抱きつき、頬擦りする。私も写真を撮ることを諦め、煙草を吸う。
ねぇママ、ママはなんで写真を撮るの? 撮りたいから。なんで撮りたいの、なんで写真なの? うーん、たまたま自分がこれが欲しいと思った画面が写真だった、だから写真を撮ってる。学校で習ったの? ううん、ママは独学。独学って何? 自分で勉強したってこと。そうまでして写真やりたかったの? そうみたいだね。変なのー。
そして彼女はまた走り出す。鳩を追いかけ、緑を追い越し、芝生の上を転がって回る。ママ、変な顔シリーズ撮って。何それ。いろんな顔するからそれ撮って。それ、ママの趣味じゃないよ。いいじゃん、たまには。しょうがないなぁ。
フレームを固定して、彼女が表情を変えるたび私はシャッターを切る。白目をむいた顔、唇を突き出した顔、寄り目の顔、ぶしゃむくれの顔。やっぱり彼女は私と異なる人間らしい。私はカメラの前でこんな表情は一度たりともできなかった。これからだって間違いなくできないだろう。私の腹を破って出てきたというのに、まるで異星人だ。つくづく思い知らされる、生まれ出たその瞬間から、別個の人間なのだ、ということを。いや、腹に宿ったその瞬間から、私たちはもうそれぞれの道を、歩んでいるのかもしれない。

そういえば、父が昨日、珍しく、おまえも仕事で疲れているだろう、などと言っていた。私が実家に電話をし、娘をいつ迎えに行くと告げた時のことだ。送ってやってもいいぞ、と言う。びっくりしながら、私は、お父さん、目が今大変なんだからいいよ、と断る。父の目は今、緑内障に脅かされている。今度の検査の結果次第で手術をすることになっている。日常生活の中でも、まるでカーテンが降りてきたような視界の状況になるのだと母から聞いた。
「父さんもね、同級生が死んだりして、どんどん気が弱くなってきているのよ」。母が言っていた。私はまだ、年齢によって友人が死ぬ、という体験は経ていない。突然自ら命を断ってしまう友人はごまんといても、寿命が来てという友人の死にはまだ出会っていない。だから、父の気持ちはなんとなくしか分からない。
「だからね、気が弱くなってきて、よけいにあなたや弟のことが心配になるわけよ」。母が言う。年を重ねてますます口うるさくなる父に閉口していた私も、この言葉にはっとした。あぁ、と思った。でも。
できるなら、父よ、気の強いままでいてほしい。誰を踏みつけてもわが道を行くという顔を貫いて欲しい。その厳つい歩き方を変えずに、何処までも歩き抜いて欲しい。できることなら。
それが私にとっての、あなただから。あなたは私にとって、どうしようもなく厳格で強い、越えられない岩なのだから。

そろそろ終わりにしようか。そう娘に声をかけ時計を見れば、二時間が経とうとしていた。あっという間の時間。気づけば日は東の空にしっかり昇っている。まっすぐに伸びてくる光を体いっぱいに浴び、私たちは深呼吸をする。
さぁ、これから何しようか。私ブーツが見たい! え? ブーツ? うん、だってね、みんなブーツ持ってるんだよ、私も欲しい。見るのはいいけど、買えないよ。えー、じゃぁ私の1000円使っていいから! 1000円じゃブーツは買えないよ、そんなんで買えるならママが欲しい。えー…
あれやこれや喋りながら、私たちはバスに乗る。明るい陽射しの中、バスは走る。とりあえず娘のおなかの虫をおとなしくさせなければ。私はお財布を覗く。
坂を下り、川を渡り。そうしてバスは走り続ける。私たちを乗せて。


2009年10月11日(日) 
カーテンの向こうはまだ闇の中。いつもより少し早く目が覚める。時間もまだある。昨日疲れて洗えなかった髪を洗うことにする。
強くて熱めのシャワーを頭から浴びる。眠気はもう何処へやら、いっぺんに消えた。顔を洗い髪を洗い身体を洗い。もし髪の毛を乾かす手間隙がなければ、私はもっと髪の毛を伸ばしていただろうなぁと思う。ドライヤーが苦手な私には、乾かす作業は一苦労なのだ。そうこういいながらも、いつのまにかもうすぐ腰に届く。このまま伸ばすか、それとも思い切って切るか、ちょうど迷っているところ。せっかくだから、腰を越えてもう少し伸ばそうか、とも思っている。

娘がそばにいない日。でも心の中にいつも彼女はいて、だから私は今日も心の中の彼女におはようと声をかける。にっと笑った時の顔を思い出し、私も少し笑う。仕事で離れている時、この、にっという彼女の顔は、私のお守りのようなものだ。

小さな町の小さな美術館。それが美術館だと気づかないで通り過ぎてしまいそうになるほどこじんまりとした美術館で、その写真展は為されていた。扉をくぐると、写真家のファンの人たちが入り口に溢れている。私はその間をぬって券を買い、順繰りと作品を見始める。銀塩の、プリント独特の色が厚みが、額縁を通してこちらに迫ってくる。チャップリンの写真、シュバイツァーの写真、水俣病の写真、その間に彼の写真が表紙を飾った雑誌や写真集たちがガラスケースに収められて飾られている。窓から撮っただけの風景や炭鉱夫の写真などもある。でも。私は入り口にあった、幼い子供を写した写真が、どうしても心に残る。何度もその場所へ戻り、私はその写真たち二枚を見返す。写真の持つ力が、私の心を捉えて離さない。有名なテーマを取り上げた写真よりも、私にはこちらの方が心にじっくりと迫ってくる。

大きな大きな池のほとりに建てられた美術館は、建物自体は大きいわけじゃない。しかし、後ろからこちらに流れ来る雲の勢いに乗って、まるでこちらに迫ってくるかのような風貌をしている。もし今モノクロ写真でこの建物を撮ったなら面白いだろうなぁと思う。
そうして入った美術館。ぎょっとした。こんな個人のコレクションが日本にあったとは。ダリの彫像が所狭しと飾られている。一番入り口にあるのは不思議な国のアリス。そしておなじみの溶けた時計。白鳥と象とを一体化したような灰皿。人体を引き出しに見立てた像。ここまでたくさんのダリの彫像を見たことがあっただろうか。私には確かそういう経験はないはずだ。あまりにたくさんありすぎて、頭がくらくらしてくる。しかし面白い。だから私はふらふらしながらも会場を次々回る。絵画よりずっと彫像の方が私には面白くて、何度も同じフロアを往復する。池に面した側の壁にはたくさんの窓があり、自然光が漏れてくる。その効果がまたいい。美術館を出ても、頭の中はダリの彫像がありありと浮かび、それはまるで津波に襲われたかのごとくの印象で、私の中に刻まれた。多分またここを訪れることになるだろう。そう思う。

水彩画家の作品と改めて対峙する。繊細な線だが実に厚みを持った画面で、それはこちらに迫り来る。特に雲や光がいい。雲を特に観察してスケッチしたものが飾られてもいたが、それだけ画家がこだわったのだろう。作品の中でその効果は実によく現われている。また彼が当時の流行から試みた絵葉書も並んでいた。小さな画面の中、実に生き生きと人や風景が描かれている。それにしても、この絵の厚みは何処からくるのだろう。絵の具を重ねたというわけではない。描き方や塗り方は実にあっさりとしているのだが、何かが肉厚で、それが私たち見るものに迫ってくるのだ。それが何なのか私はすぐに分からない。これはとりあえず宿題だなと、頭のノートにメモをする。会場には老夫婦が多く、中には手をつないで作品を共に鑑賞している方もいた。年老いて、そんなふうに伴侶と時を過ごせるというのはなんて素敵なことだろう、と思う。私にはありえない光景で、それは本当に本当に羨ましいこと。

そうして仕事を済ませ次の場所へと進もうとしたとき、激しい雨が降ってきた。これでもかというほどアスファルトを叩き、跳ね上がる雨。私はしばし雨宿り。どのくらいしただろう。雨がさっと止んで、私が歩き出すと、目の前に大きな大きな虹が。
誰もが声をあげ、誰もが立ち止まる。カメラを持つ人はカメラを構え、そうでない人もただただ虹を真っ直ぐに見上げる。それほど見事な円弧を描く虹だった。
私は思わず走り出していた。分かっている。虹の足元に辿りつくことなどできやしないことは。でも昔聞いたんだ、虹の足元に辿りつけたら夢が一個叶うって。だから私は駆け出す。荷物がかたかたと両肩で鳴る。それも構わず私は走る。少しずつ、少しずつ薄れてゆく虹。でもまだ足元は確かな色合い。もう少し、もう少し、信じて私は走る。あと少し。
そうして虹はやがて消えた。坂道を走り疲れて私はその場にしゃがみこむ。思わず笑い出す自分。
あぁ、今日は、いいものを見た。

濡れた草の上を歩く。両側には黄金色の稲穂。半ば倒れてそこに在る。もうすでに刈り取られた田では、鴉が集い、何かをつついて歩いている。雲が実に美しい。背泳ぎの格好の雲、羽ばたく鳥の雲、龍のような雲、綿菓子のような雲。もくもく、もくもくと、それぞれに空に浮かんでいる。雨上がりのそれは、豊かな色合いでこちらを向いている。そしてぐんぐんと流れゆく。おまえたちに構っている暇はないと言うが如く、ぐいぐい、ぐいぐいと。そうしてやがて、西日は傾き、地平に堕ちる。
私はそうしてまた家に戻る。電話をかければ娘の声。いつ迎えに来るの、と急かすような声。だから私も勢いよく応える。あと何時間でそっちに着くよ。迎えに行くよ。
ホームに電車が滑り込んでくる。これに乗ればあっという間に日常が戻ってくる。さぁ、帰ろう。そして娘に一番に、虹の話をしてやろう。


2009年10月10日(土) 
暗い空が広がっている。重たげな雲が一面。昨日の天気が嘘のようだ。無理矢理起こした体がぶるりと震える。肌が粟立つ。私はベランダで髪を梳かしながら、じっと空を見上げている。
葉を切り落とされて蕾だけになった枝は不恰好に天を向いている。それでもこの分なら何とか花が咲いてくれるかもしれない。私の中に僅かな望みが浮かぶ。でも。玄関のアメリカン・ブルーはどうだろう。台風の後から一変してしまった。葉が下を向いて、枝もみすぼらしく伸び、なんともかわいそうな姿をしている。枝を切り詰めるしか術はないのだろうか。もう少し様子を見て、母に訊いてみよう。できるなら花芽をつけた枝を切りたくはない。

おかしな一日だった。一日のうち五度の注文、五度のキャンセル。最後は郵便局に取戻請求を出して駆けるような事態。すべて同じ人から。私は頭を抱えてしまった。でも。その理由がやっと分かる。
朝一番に受信したメールの中に、その方からのメールが入っていた。心の状態が不安定であることが記されていた。本当はオリジナルブレスを注文したかったがそれがなかなかできず、結局このようなことになってしまった、と。
だから私は返事を書く。お店にすでに出ているものも、全て精魂込めて作っています。状態を少しでも教えていただけたなら、アドバイスできることもあるかもしれません。最近どんな状態なのかもう少し詳しく教えていただけないでしょうか。お返事、お待ちしています。
メールを送信する。でも心許ない。何度も送信ボックスを確認し、自分を納得させる。メールというのは何というか、頼りない。本当に届いているのかどうか、私はいつも不安になる。こういうメールほど、大丈夫だろうかとコンピューターに確認したくなる。どうか無事にその方に届いていますように。そしてできるなら、返事が来ますよう。

お店を営んでいると、時折こういう事態にぶち当たる。そのたび私は正直落ち込む。また、「私の状況を見透せませんか?」というような言葉が時々届く。何の説明もなしにそういう言葉が届くと、私は頭を抱えてしまう。私は超能力者ではない。その方から届く情報から感じ取れるものを懸命に自分の中で噛み砕き、石に問いかけ、その方と石とを巡り合わせる、そのお手伝いはできるけれど、でも、万能ではない。
そもそも石は、その方の心のサポートをすることはできても、石が運命を変えてくれるわけではない。運命を変えてくれる石を教えてくださいというメールにはだから、石が運命を変えてくれるわけではありません、運命を切り拓くのは自分自身で、石はあくまでサポート役なのです、ということをお伝えする。
ねぇさんは商売が下手だね、という人もいる。ばか正直にそんなことを言わないで、あなたにはこれが合います!と声高に言って商品を売ることだってできるだろう、と。もちろん、そうすれば商品は売れるかもしれない。もっと店は潤うかもしれない。でも。
そんなことをしたって、私は嬉しくない。石も嬉しくない。石を持つ人もきっと嬉しくない。そう思う。だから、できうる限り心を込めて、まっすぐに向き合っていたい。

久しぶりに街中に出て、大きなスーパーに足を運ぶ。娘の下着を探すためだ。少し、ほんの少しだが、娘の胸が膨らんできた。以前胸の部分が二重になっている下着を何枚か用意したのだが、すっかりつんつるてんになってしまっている。だからもう一回り大きいサイズの、胸の部分が二重になっている下着を買ってやらなければと、少し前から思っていた。
四階建ての店には、たくさんの人が出入りしていて、私は少し気後れする。古い建物で、エレベーターは一機、エスカレーターは上りだけ、という具合。私は階段であがることにする。下着売り場、下着売り場。そう口の中で呟きながら、三階まで上がる。色とりどりの下着。これまではいつも通販で済ませていた。でも何故だろう、店で自分の目で確かめて娘に買ってやりたいと今回は思った。
思っていたよりもすぐに、目的のものは見つかる。しかし。種類がたくさんありすぎて、私は困ってしまう。
そして思い出す。私は、母にこういったものを買ってもらったことがなかったことを。母はそういうところが不器用な人だった。もしかしたら無頓着だったのかもしれない。私の生理が始まったことに気づいたのも一ヵ月後で、ようやく気づいて、唐突に、母は私の箪笥にブラジャーとナプキンを入れてきた。ナプキンの使い方も何もなければ、ブラジャーのサイズも小さすぎて私は途方に暮れたのだった。今思い出しても苦笑してしまう。
そんな私はだから、スポーツブラというものをつけたことがない。もしかしたら母が嫌いだったのかもしれないが、こういうブラジャーを着けないで大人になった。今でもこういうタイプのブラジャーを、私は使うことがない。
そんなブラジャーが、山ほど今目の前に並んでいる。私の目はちかちかしてきて、なんだか頭がくらくらしてくるような錯覚を覚える。一体何をどのように選んだらいいのだろう。娘はこういうブラジャーを買ってやって、果たしてつけてくれるんだろうか。嫌がるだろうか。やっぱり最初の目的の、胸の部分が二重になっている下着だけにしようか。どうしよう。
私は不慣れな場所で、とうとうしゃがみこんだ。本当に私は悩んでいた。たかがこれっぽっちと思われるかもしれないが、私は真剣に悩んでいた。そして思い出す、娘の一言。「ブラジャーをつけてるといじめる人がいるんだよね、ブラジャーつけるのいやだなぁって思った」。
よし。今はまだブラジャーはいらない。キャミソールだけにしよう。ようやく決心がついて私はレジに行く。何となく俯いて品物を受け取る。キャミソール四枚。白いキャミソールがなんだか余計に眩しく見えて、私は一瞬目を閉じる。でも。
何とか買い物ができた。今はそれだけでいい。私は店の前で深呼吸をし、自転車に跨る。今度ここに来る時は、娘を一緒に連れてこよう。娘の好みもあるのだろうし、それが多分一番いい。自転車を漕いで坂を上りながら、私はそう思い巡らす。
頼まれたとおり、私は五時半に娘を起こす。なかなか起きない。ゆすっても呼んでも起きない。最後私は彼女の脇腹をくすぐって起こす。新しい下着をつけた彼女は、その下着の色同様、眩しく私の目に映る。くすぐったいような、恥ずかしいような、何となく落ち着かない気分。でもそうやって、気づいたら彼女は、あっという間に女になっていくのだろう。私が母にとってそうであったように。

ほら、バスの時間だよ。急いで。私は娘を急かす。両手にゴミの袋を提げて、私は玄関に立つ。すぐ脇にはアメリカン・ブルー。まだまだ元気がない。こんな時は本当にどうしたらいいのだろう。植木で困ると、やっぱり母の顔が浮かぶ。彼女はいつもどうやって乗越えてきたのだろう。母の母は、植木など見向きもしない、同時にそんな時間を持つこともなく逝ってしまった。だから祖母が母に植木のことを教えるなどという場面は、一度たりとも私は見たことはない。母はきっと昔からいつもひとり草木と向き合ってきたに違いない。どんなふうに彼女は耳を傾けていたのだろう。どんなふうに草木の声を聞いたのだろう。アメリカン・ブルーの垂れ下がった枝を撫でながら、私は心に浮かぶ母の顔をなぞる。
始発のバス。それでも席はみんな埋まっている。私たちは唯一空いていた席に座る。ねぇ、月曜日の朝、写真撮りにいこうか。いいよ。また始発だよ、それでもいい? うん、いいよ。
とりあえず、休日の予定はこれで決まった。バスはあっという間に駅に着く。そして私たちはそれぞれに電車に乗る。じゃぁね、うん、じゃぁね。彼女は実家へ。私は私の場所へ。

雲間から一筋、今光が、射す。


2009年10月09日(金) 
足が重だるくてたまらず、湿布を貼って眠った。夢の中何度か、巨大な石に押し潰されそうになる。足がだるい、転ぶ、起き上がる、また転ぶの繰り返し。ようやく走りかけたところで目が覚める。夢のおかげなのか湿布のおかげなのか、足はだいぶ軽くなっている。私は身体を起こし、早速窓を開ける。
空はからんとしていた。からんと澄み渡り、雲がまばらに散っている。まだ開けていずとも、東から伸びてくる光が辺りに溢れようとするのが分かる。きっと今日はきれいに晴れる。街景はその輪郭をくっきりと見せている。
髪を梳きながら薔薇を見やる。私は溜息をつく。新芽がすべてぼろぼろになっている。風にやられたのだ。棘に絡まり、擦れ合って、端の方はすでに黒ずんでいる。鋏を持ってきて一枚一枚切り落とす。ホワイトクリスマスの蕾、マリリン・モンローの小さな蕾、三つとも、黒く傷ついている。でも、蕾まで切り落とすことはできず、私はしゃがみこんでそれらを見つめる。咲いてくれるだろうか。自信はないけれど、そのまま残す。
風が強すぎる中に長時間いると、肌もそうだが葉もその生気を吸い取られる。水分が十分にあったはずのものが、みなからからになる。今薔薇は全身そんな状態。一本一本手で撫ぜながら、これも自然の宿命と何とか自分を納得させる。
後ろではまだココアが回し車を回している。風に乗ってその音が、カラカラと空に上る。

娘は明日学校の壇上で何か発表するらしい、その台詞の練習を繰り返している。私が前期頑張ったことは、体験学習です。その時私は骨折をしていて、ウォーキングの時みんなから遅れてしまいましたが、それでもなんとか村まで歩いていけました。後期頑張ろうと思っていることは音楽会です。クラスみんな心一つになってやることができたらいいと思います。
文字にしてしまえばただそれだけだが、彼女は私がトイレに行っている時や台所に立っている時、いきなり声を上げて練習を始める。そして私が彼女のそばにいくとぴたっと止める。その様が可笑しくて、私はこっそり笑ってしまう。
今朝、六時に起こしてくれというから、私は何度も彼女に声をかける。が、しかし、結局彼女が起き上がれたのは六時半で、それから慌ててまた練習を始める。私は何も言わず、ただ黙って彼女の声を聞いている。彼女も私には、発表することになったなど何も言わない。担任から電話があって私はそのことを知っただけで、彼女からは何も聞いていない。だから、私は知らないふりをしている。

ねぇママ、と、娘が突然言う。何、と問うと、彼女がいきなりこんな話をする。ねぇママ、友達が友達の悪口を言っていたら、ママはどうする?
私は思い出す。小さい頃、そういう場面に何度も出会った。その時、私は正義感を振りかざして、そんなこと言うべきではない、ということを主張した。そのせいで私はいじめられる側になることが多々あった。それでも、その頃の私は強かったのだろう、というか意地だったのだろう、決して自分を曲げることができなかった。悪口を言うのは悪いこと、しかも陰でこそこそ言うのは悪いこと、と、私は思ってやまなかった。
ねぇどうする? 娘が問うてくる。だから私は訊いてみる。あなたはどうするの? うーん、何も言わなかった、心の中で、なんでそんなこと言うのかなって思った。そっか、そう思ったなら、自分が同じことをしなければいい。ふーん。ひとつ言えるのは、自分がされて嫌なことを人にはするな、ってことかな。ふーん。あなたは陰口叩かれていい気分する? しない。なら、自分はしないことだな。ふーん。
あなたは私より利口かもしれない。思っても口に出すべきじゃないこと、口に出さない方がいいタイミングというものは、ある。私は、そういうところでいつも躓いてきた。余計な傷を作ってきた。それがいけないわけじゃないかもしれないけれど、余計に傷ついて泣くのは自分だ。それでもそれを選ぶのかどうかは、最後自分で決めればいい。
彼女がさらに問うてくる。じゃぁ、友達が友達の悪口言ってきて、これは秘密だよとか言ってきたときはどうするの? あなたはどうしたの? 黙ってた。そしたらどうなった? うーん、私は黙ってたんだけど、他の子が言っちゃって、そしたら何でか知らないけど、私が言ったことになってて、後で責められた。ふーん、そうかぁ、そういうこともあったなぁ。ママもそういうことあったの? あったよぉ、ママは何も言ってないのにいつの間にかママが言ったことになってて、全部ママのせいにされたとか、そういうこと、たくさんあったよ。ふーん、ママもあるんだぁ。うんうん。そういう時、ママ、どうしたの? どうしても我慢できない時は、ママは言ってない、って両方に主張した。でも、どうでもいいような時は放っておいた。え、放っておいたの? それでどうなった? まぁママは悪者になってたけど、でもまぁそんなもの、時間が経てば消えるしね。そういうもんなの? うーん、まぁそういうもんだったなぁ。ママ、悔しくなかったの? 悔しいって気持ちもあったけど、そういうのに関わってるほど暇じゃなかったってのもあるかも。ははは。結局さぁ、自分が信じることをしていれば、いつか本当に分かって欲しい相手には伝わるものだよ。ふーん。全員に分かって欲しいなんて、それは無理。そうなの? うーん、ママはそうだった。ふーん。だから、割り切ることにした。自分が本当に分かって欲しい相手は誰なのか、その相手が、たとえばそれがたった一人であっても、その人が自分をちゃんと理解してくれていたなら、もうそれでいいって思うことにした。ふーん、そうなんだぁ。そうだねぇ。ふーん。
娘によって引き出される記憶は、結構傷だらけだったりする。でも、それを思い出し、改めて日の当たるところに出すことで、私はそれを整理することができる。今回もそうだ、改めて思い出し自分で噛み締め直すことによって、あぁそういうことがあったなぁ、まぁあの頃はそんなもんだったよなぁ、と、少し笑うことができるようにさえ、なったりする。不思議なものだ。痛い、から、懐かしい、へ。変化してゆく。

いつの間にか雲がきれいさっぱりなくなっている。あれだけ浮いていた雲は何処に行ったのだろう。娘とふたりベランダに出て、空を見つめる。ねぇ、また台風来るのかな? 来るかもしれないねぇ。来たらまた薔薇がぼろぼろになるの? なるんだろうなぁ。でもママ、あのテレビに映った、がんがんに荒れてる海に行きたいんでしょ? うん、行きたい。あんな海の真ん中で写真撮れたら最高だって思う。なんだ、写真撮るのか。そうだよ、写真撮るの。台風の真ん中で写真撮る人って、多分ママくらいだね。そうかな。そうだよ。ママって変なの。ははは。

娘と手を振って別れた後、私はまず公園に立ち寄る。池を見たかった。樹を見たかった。樹は変わらず立っていたが、葉はすっかり散り落ちて、それが池の水面を埋めていた。私は池の側で深呼吸をひとつしてみる。緑の匂いが胸いっぱいに広がる。命の匂いだ。
そして私はさらに走る。銀杏並木の銀杏が落ちて潰れ、強い匂いを放っている。その只中を走り、さらに真っ直ぐ海へ。
堤防に激しく打ち付ける波。砕けて散って、そしてまた再び砕けて散って。白い飛沫はさんさんと降り注ぐ光にきらきらと輝き。
海という言葉に女性名詞をつけたのは一体誰なんだろう。これが女性なら、私は本当に女性に産まれてきてよかったと思う。小さい頃は、真剣に、海になりたいと願っていた。大きくなったら海になりたい、そう思っていた。それができないと知り、それなら海女になりたいと願い始めたこともあった。結局それは、叶わなかったのだが。
さぁ。私は一つ息をする。今日は忙しい。仕事が三つキャンセルになってしまった。その分を取り返さなければならない。まず自分ができることは何だろう。今頃娘は娘で頑張っているに違いない。負けてなるものか。私もしっかりやらねば。
そして私は、自転車を漕ぐ足に力を込める。今日という一日がまた、始まろうとしている。


2009年10月08日(木) 
嵐が来ている。それは窓を叩く風の音で分かる。気配に起こされるようにして私は身体を起こす。カーテンを開け窓の外を見やる。街路樹はもう上下左右からぐるぐると風に巻かれている。それと共に舞い上がる雨。見事としか言いようがない。
時々雲がぱっくりと口を開ける。そこから零れ落ちる光。そして再び口は閉じられ、辺りは灰色の世界に染まる。
揺れるのは街路樹だけではない。薔薇も四方に揺れる。支柱を立てておいてよかった。幸運なことに今蕾は小さな三つだけ。今のところこれなら大丈夫だろう。
ココアがまた回し車をカタタと回している。でも今日はその音より、外の嵐の音の方がずっと大きい。びゅぅんびゅぅんと吹く風の音が止むことは、ない。

昨日も雨だった。雨の中バスに乗る。一つ手前の駅で降り、私が歩き出すのは初めての道。この道ができたことは知っていたが、歩いたことはなかった。雨に濡れるまだ若々しい街路樹。その足元に種類もまばらな花木たち。でもみんな風と雨に打たれてしなっている。絡まった枝々が痛々しげに伸びている。薄桃色の花もアスファルトにへばりついてしまってすっかりぐしょぬれ。せっかく咲いたのに、手を伸ばしかけて、私は止める。今私がもし一つを掬い上げても、他の者たちは変わらない。つまりこの場所は何も変わらない。それならいっそ、この空が晴れるのを待つ方がずっと、いいような気がした。この嵐だってじきに止む。通り過ぎる。
そうして歩道橋を越え、信号をひとつ越え。待ち合わせの場所へ急ぐ。

現われた友人は、寒い寒いと言いながらあたたかいカフェオレを啜る。何を話すという目的があるわけではない。ただ会う。それだけ。でもその中で私たちは、本当にたくさんのことを話す。
それぞれの娘たちのこと、自分の心のこと、自分の周辺の最近あったできごと、そこから感じたこと、考えたこと、引きずり出される過去のこと。とりとめもなく私たちは話す。
そういえばこんな短編があった。桃を食べながら中絶の書類を書こうとして、桃の汁がぽとり、その書類に落ちるかするのだった。その染みはまるで、今の自分を象徴しているかのようで、いつまでもいつまでも、それを主人公は見つめているのだった。そういう短編があった。中沢けいの「手のひらの桃」という、数十ページの作品だ。
彼女はそれを、シュールだね、と言った。私は。痛いと思った。たった数十ページの作品からの感じ方でも、それぞれに違う。当たり前のことだけれども、私はそのことに、改めて心が震える。そんな、それぞれに違う人間がこの世界で渦巻いて生きている。そのことが改めて感じられて、私の心はぶるりと震えた。
それからも私たちの話は続く。ロルカの詩はいいね、ラディゲやパウル・ツェランもいいよね、日本人なら長田弘もいいなぁ、私、吉原幸子も好きだよ、茨木のり子だったっけ、そういう人いたよね、その人も好きだなぁ。
途中から、私の体がちょっとおかしくなる。発作の前触れだ。背中半分から上に熱がこもってくる。そしてぼおっとしてきて、やがてぐらぐらと体が揺れる。そんな予兆。そのことを彼女に話す。対処方法はないのかというから、この発作に関しては対処方法が見つからないことを話す。発作が起きたらとにかく手近にある何かに捉まってやり過ごす、それしか、今のところ術がないのだ。頓服を飲んでも、効かない。こればかりは、仕方がない。

それにしても。この半年で、彼女はぐんと大きくなった。頑丈になってきた。その彼女が、下の娘をいつ手元に呼び寄せようかと、その時期を今考えているのだという。自分の体調、心調、それらを考えながら判断しなければならない。すぐにできることじゃぁない。今まで何度もそれで失敗している彼女は、また失敗したときのことを考えている。でも。
何だろう。それでも光が見えるのは何故だろう。彼女の道に光が射して見えるのは何故だろう。それだけ彼女が、回復してきた証なのだろうか。
焦ることはない。まだその判断を下さなければならない時期まで半年はある。十分考えてすればいい。そんなことを私たちは話す。
自分のテンポで、歩いていけばいい。ひとつひとつ、できることから積み重ねていけばいい。そうすれば、きっと、道は拓ける。

彼女と別れてから、一旦家に戻り、おにぎりを用意する。そして私は再び娘を迎えに出る。いつもの場所での待ち合わせ。娘が駆け足でやってくるのを見つける。何かあったな、と思い、黙って彼女の言葉を待っていると、彼女が話し出す。ねぇねぇ、ママ、今日、算数が一番早くできた! よかったじゃん。でね、先生とRっていう子が、解き方で競争したんだよ、先生が説明しようとしてた裏技をR君が先にやっちゃったから、先生、やられたーって倒れる真似したりしたんだよ。そうなんだ、楽しかったね、それなら。
娘は話しながら、昆布のおにぎりを食べている。家に帰ったらもう一つ、明太子おにぎりと野菜スープを食べる。でも塾がある日は、それで夕飯は終わり。それ以上のことができない。それが正直、不憫でならない。娘は文句一つ言わないけれども。

小学校は嵐のため休校になった。昨日のうちに連絡網が回ってきた。起きた娘に、ママは仕事に出掛けなくちゃならないから、お留守番、頼むね、と告げる。娘はきょとんとしている。そりゃそうだろう、娘をひとり家において出掛けるのは、多分これが初めてだ。そんな日が来ることは分かっていたが、それが今日だとは誰も思っていなかった。
ママ、台風の中でかけるの? うん。じゃ、テレビ見なくちゃ。娘が急いでテレビをつける。台風情報が流れている。娘はあっけらかんと、あぁ、午後になったら向こうに行くんだって、じゃぁ大丈夫だね、と言う。そう、大丈夫なの? じゃぁママ、行かなくちゃ。分かったー。早く帰ってきてね。うんうん、できるだけ早く戻るよ。
そう言って玄関を開けて娘が一言、うわぁ、雪みたいだ、と言う。私も目の前の景色を見やる。そう、ここにいて見ていたら、雨は雪のようだった。雪のように舞っていた。風は四方八方から吹き荒び、雨はそれに乗ってあらゆる方向に舞っていた。美しい。そう思った。
じゃ、ね、戸締りちゃんとしてよ。分かったー。

私はそれでも心配で、でも出掛けなければならない現実に後ろ髪を引かれながら、何度も振り返る。玄関は閉まった。私は階段を下りる。そしてちょうどやってきたバスに飛び乗る。バスの中で、振替乗車券が出ているとのアナウンスが流れる。高台から坂を降りてきたバスの周りには、大きな水溜りができている。それを跳ね散らしてバスは駅へと向かう。
昼過ぎまで。娘はどんなふうに過ごすのだろう。大丈夫だろうか。何もなければいい。まだ私の心は娘のもとにある。それを引きちぎるようにして私は傘を広げ歩き出す。
早く終わらせればそれだけ早く帰れる。大丈夫、もうそのくらい自分で過ごせるようになっている、娘は大丈夫。自分に言い聞かせ、私は足を速める。
人がまばらな駅構内を横切り、一番端の乗り場に行く。電車に乗り込んでしまえばもう、行くしかない。
薬は飲んだ。頓服など一式鞄に入っている。忘れ物は、ない。大丈夫。
その時、携帯電話が鳴る。慌てて出ると娘だ。どうしたの、と問うと、ママ、今大丈夫? 怪我したりしてない? と言う。大丈夫だよ。もう駅に着いたし。そう言うと、娘は心底安心した声で、じゃぁ大丈夫だね、と言う。それだけだよ、じゃぁ頑張ってね、娘はそういって電話を切った。
大丈夫。そう、私は大丈夫。だから、できるだけ早く仕事を切り上げて、彼女のところへ帰ろう。私を待っていてくれる彼女のもとへ。
私は足を進める。駅の外、嵐はびゅうびゅうと風を唸らせ、吹き荒れている。


2009年10月07日(水) 
重たげな空が広がっている。いつ雨雫が落ちてきても不思議じゃない。私は試しにベランダから手を伸ばしてみる。まだ今は落ちてこない。でも、いつもならすっきり見渡せる向こう側の景色が、何となくけぶってみえる。
街路樹が風に煽られ、裏の白緑を見せ翻っている。風の向きのせいだろう、今のところベランダにその風は吹きこんでこない。一応支柱を立てておいた。台風がもし本当に来るなら、今の薔薇たちにはまだ支柱が必要だ。
夜、途切れ途切れ目覚める。そのたび、耳にはココアの回し車の音が響いてくる。毎日毎日飽きないものだなぁと思いながら、私は再び眠りに落ちる。その繰り返し。気づけばもう、すっかり目は覚めており。時刻は四時半。まだ少し早い。
Gパンを履きかけて、あっと気づく。ファスナーがまた壊れた。考えてみれば何年このGパンを履いているんだろう。草臥れたファスナーを一度修理した。それからもまた二年履いている。今度はどうしよう、修理しようか。ここまで履いてくると、捨てるのは惜しい。私は壊れたファスナーを、無駄と知りつついじってみる。

娘が突然、きゃははと笑う。何事かと思い振り返ると、ココアを足に乗せて笑っている。そして、振り返った私に気づいた娘は、ぱっと身を起こし、こちらに向かってくる。何するの、と云う暇もなく、娘は私の頭にココアを乗せる。私は身動きできず、口で必死に訴える。どけてよ、ほら、どけて、髪の毛で滑ってるよ、ココア! わはははは、おもしろーい、滑り台みたい。そんなこと云ってないで早くどけてよ、もしおしっこしたらどうするの! わはははは。娘はそれでも笑いながら、ゆっくり手を伸ばし、ココアをすくい取る。もうねぇ大丈夫なんだよ、ココアは、慣れたもんね! そう云いながら、ココアにキスするような仕草をしてみせる。参った。ココアはこちらの騒ぎを、不思議そうに鼻をぴくつかせながら見つめている。じゃぁミルクは? ミルクは多分まだだめ、凶暴だもんね。娘は即答する。確かに、彼女はちょっと凶暴だ。ちょっと、という表現が正しいのか知らないが、少々凶暴の気があるのは確かだ。かわいいんだけどね。そう云って娘は、ココアを巣に戻す。そして今度はミルクを手に乗せて遊んでいる。

知人から分けてもらった山ほどのトマト。何にしようかと一瞬考え、半分はスープに使うことにする。
玉ねぎをみじん切りにし、これもまた小さく角切りにしたベーコンと一緒に長いこと炒める。しんなり透けて黄金色になってきたら今度は細かく切ったキャベツ、そして角切りにしたトマトを豪勢に鍋に投げ込む。水を少々加え、ブイヨンを入れて蓋をしてあとはとろ火。ただそれだけ。でも。
何故だろう、スープを煮込んでいるときというのは、幸せな気持ちになれる。多分その匂いなんだろう。徐々に徐々に部屋を満たしてゆく匂い。特にトマトの時はその匂いが芳醇で、私はうっとりする。時々鍋を覗き込みながらも蓋は開けず、ことこと、ことこと三時間。野菜スープのできあがり。
あとは、昨日のうちに作っておいたスペアリブと、ひじきご飯が炊ければ夕飯だ。しかし、スペアリブを一口口にした娘が一言、ねぇ、ちょっと味薄くない? そうかな? ママはちょうどいいんだけど。薄いよ、なんかもうちょっと味が欲しいんだけど。…。
結局娘は、皿の端に塩胡椒を用意し、はぐはぐと食べる。今度は味付けを濃い目にしないとだめってことなのかな、と私もまたはぐはぐ肉を噛みながら思う。

髪を梳いていて気づく。爪が伸びたな。私は部屋に戻り、爪切りを手にして、ふと首を傾げる。
じいちゃんは、朝爪を切るなと言った。出掛けに切るといいことはない、と。でもばあちゃんは夜爪を切るなと言った。夜切ると悪い夢を見る、と。どちらが本当なんだろう。
私は爪切りを持ったまま、しばらく椅子に座って思い巡らす。田舎から出てきたじいちゃんが、ばあちゃんに一目惚れして、でもばあちゃんは全然なびいてくれなくて、そこでじいちゃんは考えた。ばあちゃんの母親を口説き落としにかかった。結局ばあちゃんは、母親に説得されてじいちゃんと一緒になった。そして、子供を四人産んで、これからというときに癌にかかった。それからは入院と退院の繰り返し。「私の人生は限られてるのよ、人より短いんだからめいいっぱい生きなくちゃ!」が口癖だった。その口癖どおり、ばあちゃんは、踊りやお茶、お華、そして最後にはゲートボールの審判にもなって、とにもかくにも走り回った。
じいちゃんは。そんなばあちゃんの傍ら、黙々と働いていた。いつ遊びに行っても、じいちゃんは片方の耳にイヤフォンを差し込んで、競馬の中継か相撲の中継を聞いており、傍らには新聞があった。でも、じいちゃんの棚のひとつに必ず、駄菓子が用意されており、私と弟はそこから、梅ガムやラムネをもらっては食べた。そんなじいちゃんも最後癌に全身を蝕まれ、倒れてから一週間であっけなく逝ってしまった。
じいちゃんとばあちゃんは。ばあちゃんが生きている頃はなんとなく仲がよくないような、いつでも意地張ってそっぽ向き合っているようなところがあった。でも、ばあちゃんが死んだ時、じいちゃんはぼろぼろに泣いた。ただの人なのに何百人もが集まったばあちゃんの葬式の真ん中で、じいちゃんは背中を丸めて泣いていた。もしかしたら、ばあちゃんが死んで初めて、じいちゃんとばあちゃんはお互いに素直になれたのかもしれない。どんなに体が弱ってからも、じいちゃんはばあちゃんの墓参りを、毎月欠かさなかった。母が皮肉っぽく一度こんなことを言った。「こんなふうになるなら、ばあちゃんが生きてる頃から仲良くしておけばよかったのに」と。
それができたら、本当によかったんだと思う。でもできなかった。できる人たちじゃぁなかった。ばあちゃんにはそんな余裕もなかったんだろう。じいちゃんも多分それが分かっていたんだろう。
今頃空で、ふたりはどうしているんだろう。生きていた頃と同じように、ばあちゃんがぷりぷりじいちゃんを怒りながら、でもじいちゃんは黙ってラジオを聴いている、みたいな光景が繰り広げられているんだろうか。そうだと、いいな、と思う。

そういえばじいちゃんから戦争の話を何度か聞いた。それは数える程だったが、でもだから、私の中にとても深く深く刻まれている。じいちゃんの乗っていた船が沈んだ。仲間が何人も何人も海に投げ出され、呑み込まれていくのが見えた。木切れに捉まる腕もしびれてきて、自分ももうだめかと思ったとき、じいちゃんは声を聞いた。あっちだ、あっちに泳いでいけ、いくんだ、という声を。じいちゃんは必死に泳いだ。どのくらい泳いだか覚えていない。ただ泳いだ。そして。気づいたら足の着くところに来ていた、と。
それから紆余曲折を経てじいちゃんは日本に帰ってくることができた。
そんなじいちゃんの話の一方で、ばあちゃんの話は一度だけだった。ふたりの弟がいた、その弟ふたりとも、特攻隊で亡くなった。ただそれだけ。ばあちゃんはそれ以上何も話してくれなかった。戦争の話をするのはいやだ、と、それ以上何も話してはくれなかった。
でも、この二つの話だけで、小さい私には十分過ぎた。じいちゃんとばあちゃんの顔は暗く、まるで穴を穿ったように暗く、闇の一点を凝視していたから。私はじいちゃんとばあちゃんの間に丸まりながら、何も言えず、眠った。じいちゃんとばあちゃんの布団の匂いは、線香の匂いがしていた。

娘が笑う。娘がすねる。娘が意地を張る。娘がそっぽを向く。一日のうちに何度、そういった彼女の仕草を見るだろう。私の前でそうやっていろいろな仕草を惜しげもなく見せてくれるのは、今のうちかもしれない。じきに反抗期がやってきて、こちらをちらりとも見てくれない見せてくれない年頃になってしまうんだろう。
そんな娘に、私はどんな話を残してやれるんだろう。じいちゃんやばあちゃん、そして父や母のような物語は私にはない。ただ必死に生きていることしか、ない。それにまだ、人生を語れるほど、私は生きてはいない。
できるのはただ、ありのままの姿を見せてゆくことだけ。多分に我侭で、自分勝手で、雑草のような自分の姿を、見せてゆくだけ。それでも。
それでも今は、彼女が笑ってくれる。泣いてくれる。それはとても、幸せなことだと、存分に味わっておこう。今だからこそ、味わえるこの幸福を。

気づけば雨。降りしきる雨。耐えられなくなった雨雲がようやく雫を落とし出したか。私と娘はそれぞれに傘を持ち、階段を下りる。
じゃあね、またね、後でね。そう言って手を振る娘に私も手を振り返す。娘は学校へ、そして私はバスに飛び乗る。
今日もまた一日が、無事に過ぎてゆきますように。私は祈るような思いでそう、呟く。


2009年10月06日(火) 
多分ココアなのだろう、回し車の音が夢の中に途切れ途切れ入り込む。幼い頃から繰り返し見る夢は、線路がぐっと広がっている光景から始まる。私は何故か線路に立っていて、そこから高いホームへ這い上がろうとする。するとわらわらとヒトガタが何処からか現われる。私は逃げる。走っているのに何故かぴょーんぴょーんと蚤のように跳ね上がりながら逃げる。ヒトガタもやはり、ぴょーんぴょーんと飛んで追いかけてくる。山を越え、焼け野が原を越え、それでも追いかけてくる。私は逃げる。山の登り斜面で、私は息を切らし足を止める。振り返ると、ヒトガタの中に父がいるのが分かる。あぁ危ない、そう思ったとき、父の身体を突き抜けるように血が噴出す。
いつもそうだ、いつも。そして私は父を今回も助けることはできず、何処からか響いてきた弟の、逃げろ姉貴という声に押されるようにしてまた逃げ始める。何故かそこに母はいない。
そうやって目を覚ました私の鼓膜に、またココアの回し車の音が響いてくる。這うようにして近づき、その様子を見やる。手足を器用にちょこまかと動かすココア。それと共に回るプラスチックの車。回る回る。カララと回る。ココアが止まればそれも止まる。
窓を開けると一面の雨。降りしきるその雨は隙間なく、辺り一面を埋めている。まるで太い糸のような雨だ。真っ直ぐに降り落ちてくる。風に揺れることもなく、ただ真っ直ぐに。耳を傾けると、アスファルトを叩くその音が、足元から響き上がってくる。

久しぶりに年上の友人と会う。髪の毛を肩の辺りで揺らしながら現われたその人は、肩にかけていた布をふわりと畳み、椅子に座る。ただそれだけの動作なのだが、そこには彼女がしんしんと現われている。やわらかい布、やわらかい動作。遠慮がちな指先。
少し斜めに視線を逸らしながら、話し出す彼女の声は、穏やかで心地よい。でもそれは、彼女がこちらを気遣ってくれているからこそ醸し出される距離感だということを、私は知っている。決してこちらに土足で入り込むことはない、必ずノックをして、今いいかしら、という具合にこちらを覗き込んで、それからにっこり笑って現われる。だから心地よいのだ。とても。
お茶が冷めてゆくのも忘れ、私たちは話をする。言葉は次から次へと溢れてきて、彼女と私の間で転がる。彼女が受け取り、私が受け取り、それぞれに味わいながら、また次の言葉へと移る。そうしているうちにあっという間に時間は過ぎてゆく。
気づけばまた雨が降り出していた。駅前で手を振って別れた後、私は自転車に跨る。朝止めるときに、座席にカバーをかけておいてよかった。すっかり濡れそぼったそのカバーをそっと外し、私はそこに座る。そして勢いよくペダルを漕ぎ始める。
雨は、私の髪を濡らし、頬を濡らす。けれど、決して私を射ることはなく降り続けている。その中を私は縫うように走る。やわらかい雨だった。まるでそれは、彼女がそっと手を翳してくれているかのような、そんな感触の、雨だった。

背中合わせに座っていた娘が、突然言う。ねぇ、私の名前に前の姓って合わないよね。はい? だから、なんか合わないよね。うん、合わないね、とりあえず私は急いで応える。やっぱりそうか、なんかちぐはぐなんだよね。娘が言う。どうしてそう思うの? なんか口の中で言ってみたら、変なんだよね。やっぱり今の姓が私の名前なんだ。そうなんじゃない? あなたの名前はそれだよ。でもねぇ。何? もし前の姓だったら、私は出席番号2番か3番だったんだよね、それだけがちょっとねぇ。あぁ、分かる、ママもね、小さい頃、出席番号が後ろの方でいやだった。なーんだ、そうだったんだ。うん、でもまぁ、いきなり名前呼ばれるより、心構えができてから呼ばれる方がいいかなって思うようになった。特に中学とか高校になるとそう思ったよ。そうなんだー。じゃぁこれでいいんだ。うん、いいんじゃない?
娘は何を思って突然こんなことを言い出したのだろう。それに。覚えていたのか、まだ。昔の姓を。それはちょっとした衝撃だった。もう忘れているかと思っていた。時折思い出して、こんなふうに、口の中で言ってみたりしているのか、娘は。そして、自分の名前はこっちなんだ、と自分に言っていたりするのか。それが、私には衝撃だった。小さな衝撃だけれど、衝撃であることに変わりはない。今、背中合わせでよかった。顔を見られなくてよかった。多分今私は、とっちらかった表情をしているに違いない。

いつもより早めに朝の一仕事を終えた後、娘に頼まれていたビーズのピアスに手をつける。ピアスの穴を開けているわけでも何でもないのに、これを作ってくれ、と、手渡された。パーツが欠けたビーズピアスのセット。ちょっと考えて、私はワイヤーを取り出す。短く切ったそれを丸くし、ビーズを九つ通す。そして最後、一つに二本のワイヤーを通し、留玉で止める。涙型のビーズのピアスのできあがり。
はい。娘に手渡すと、もうできたの?!と驚く声。余ったビーズは工作に使えばいいんじゃない? あー、じゃぁ木工作のカエルに使うよ。ありがとう。へぇ、こんなふうになるんだぁ。娘はピアスを掲げてちらちら揺らしながら見つめている。
いつかこの子がピアスの穴を開ける時が来るんだろうか。私は、そう、自分でマチ針で開けたのだった。耳たぶを氷で冷やし、勢いよく穴を開けた。今私の耳に穴は四つ。つけっぱなしにしているピアスもだから四つ。高校の、一年か二年の頃だった。「ピアスの穴を開けると運命が変わるんだよ」と友達が言い、私はその言葉に惹かれて穴を開けることにした。開ける時、ちくりと痛んだけれど、ただそれだけだった。あっけなく穴は開いた。
それで運命は変わったんだろうか? いや、変わることなんてなかった。最初からそんなこと、分かっていることだったけれども、それでも何となく、がっかりしたものだった。こんなもんか、と思いながら、ピアスをつけていた。時折、かわいらしいピアスをゆらゆらとつけている女性を見ると、羨ましいなと思ったりする。。自分だってピアスの穴があるのに、それでも羨ましいなと思う自分が、ちょっと可笑しくて、私はつい笑ってしまう。
娘が最近よく言う言葉。ママの洋服もママのピアスも全部、私のものでしょ? うん、そうだよ。ママがおばあちゃんになったらあげるよ。そう応えると娘は、にぃっと笑う。やったね、と言って笑う。あなたに似合う服やピアスが私のそれらの中にあるかどうかは分からないけどね、と私は心の中笑いながら言ってみたりしている。でも、何だろう、そんなふうに、私の服やピアスが彼女に受け継がれることは、くすぐったいようなこそばゆいような、心のこの辺がむず痒いような、そんな感じがする。
私はそういえば、母から受け継いだアクセサリーといものをまだ持っていない。服も、スレンダーな母のそれと体格のよい私とでは微妙に合わないから持っていない。いや、持っていなくていい、持ちたくないと思う。多分それは、母の死を意味するだろうから。だから私は、当分母から服もアクセサリーなどもらいたくは、ない。
そう思うと、素直に、嬉しそうな顔をすることができる、娘がちょっと、羨ましい。

雨が降る。雨が降る。しんしんと雨が降る。まるで私を閉じ込めるように雨が降る。だから私は外に出る。出れるうちに少しでも外気を吸っておこうと、外に出る。
バス停もバスの中も駅も、傘の花が咲いて、いつも以上に混みあっている。その合間を抜けて、私は裏通りに出る。小さな橋があって、そこで私はしばし立ち止まる。だくだくと流れる川。濁り澱んでそれでも流れる川。とどまるものは、何処にもない。
そう、とどまることはできない。時間は刻一刻過ぎてゆく。私の時計も娘の時計も、母や父の時計もそうして時を刻んでゆく。昨日も今日も、明日も。誰の上にも平等に時は在り、容赦なく時は在り、逃れさせてはくれない。
私はだから、脳裏に残る夢の残骸を振り払い、歩き出す。今日という日に向かって。歩き出す。今はただ、歩く。


2009年10月05日(月) 
まるで人形がその目をぱちりと開けるように目が覚めた。その直前のことも見た夢のことも一切覚えていない。きっかりと目が覚めた。
そういえば昨日は疲れ果てていて、早々に横になったのだった。多分娘より早く寝入っただろう。途中一度だけ起きて、娘がつけっぱなしにしていた灯りを消して回った覚えはあるが、それ以外何も覚えていない。そのくらい、疲れていた。
閉め忘れた窓からベランダに出る。髪を梳きながら空を見上げる。重たげな空だ。今日もまた雨が降るんだろうか。少し憂鬱。でもまだ雨は降り出してはいない。これなら自転車で出掛けても大丈夫だろうか。この週末乗れなかった自転車に、今日は乗りたい。
ホワイトクリスマスとマリリン・モンローは元気だ。パスカリの一本が少し、疲れたように見えるのは気のせいだろうか。ひととおりの蕾は咲き終わり、今は次の芽が出てくる時期。薔薇はその内に計り知れない力を秘めて在る。そんなときはとりわけ、静かに見える。
まだ通りを行き交う車もない時刻。私はベランダの手すりに寄りかかり、街路樹を見やる。散り落ちる葉が徐々に徐々に多くなってきた。そういえばあの銀杏並木では、二本の銀杏からぎんなんがたくさん落ちて、人の足に潰されたそれが独特な匂いを放っている。それにしてもちょっと変だ。二本のぎんなんだけが落ちてくるというのは。何故なんだろう。
ミルクとココアも今日は静かに眠っている。金魚だけが、わらわらと私の影を追って忙しげに泳いでいる。

娘を迎えに行った帰り、娘と一緒に珍しくデパートに立ち寄る。言ってしまえば、私が夕食を作る余力がなかったからで、何か安い食材があればそれで夕食を済ませてしまおうという魂胆だった。何がいいかなあ、ママこれは? それはちょっと高い。あ、試食がやってる、食べてもいい? いいよ。もらっておいで。おいしいけど、これ、高いねぇ。高いねぇ。これじゃぁ無理だ。他のにしよう。じゃぁこれは? あ、安くなってる、これがいいかも。じゃ、一つはこれ。もう一つは? うーん。野菜がいいなぁ。そんなこんなで、私たちは、作ればもっと安くなることがわかっていながら、麻婆豆腐と野菜の塩炒めを買った。そしてその帰り道、娘にねだられ、アイスクリームを一つ。半分ずつ食べる。
バスの乗りながら、週末のことをあれこれ話す。
娘が突然、言い出す。ねぇママ、うちにも金木犀あったらいいねぇ。あら、どうして? だってすごくいい香りだもの。あったらいいなぁ。うーん、あれはとても大きく育つから、ベランダじゃぁ無理だなぁ。いつかあなたが一軒家でも建てたら、そのとき植えたらいい。それまで無理かぁ。じじばばの家のがあるじゃない。うーん、でもなぁ、そばにあの香りがあったりいなぁと思ったの。
私と同じようなことを考えている娘。こういうところ、親子なのかなぁなんて思う。

訪れた美術館は二度目で、前回と同じく静寂が漂っている。油絵の具を使ってのガラス絵を飾られており、私は順繰り見て回る。ガラス絵というと油が多いけれど、私はやっぱり、水彩絵の具でのガラス絵が好きだ。清宮質文先生のガラス絵が、私は多分一番好きなんだと思う。あの、漂うな色合いが、ガラスの透明さと相まって、何処までも何処までも広がってゆくように見える。あの澄んだ色合い、あの空間性、あれは、水彩でしか出せないだろう。清宮先生のアトリエを訪れたとき、先生の、ガラスについて調べたノートをちらり見せてもらったことがある。光の屈折度などについても実に詳しく書かれていた。それらをすべて頭に入れた上で、ガラス絵を作っていたのだなと思うと、それは途方もない作業で、先生がどれほど神経を使ってそれを描いていたのかがうかがわれる。西に傾いた燃えるような夕日を描いた作品などは、見ているだけで涙が溢れてくるような、優しく切ないものだった。何度見てもあれは、立ち止まってしまう。
ガラス絵。ガラスという素材を使っての絵でも、無限の術があるのだな、と、思い知らされる。

誰もいない喫茶店。ふと視界に入った何か。あぁ雀だ。まだ子供なのだろう、とても小さな小さな身体で、ちょこんちょこんと飛び跳ねながら、何かをついばんでいる。
ここに来る途中、立ち寄ってきた公園では、鳩が忙しげに、落ちたどんぐりを啄ばんでいた。その傍らにぽつり在る池には、茶色い葉が幾つも散り落ちていて、でも、静止画のようにそれは止まったまま。私はしばしそこに佇み、じっと見つめていた。
かつて、この池の色を毎日毎日見に来たことがあった。深緑色に輝くこともあれば、褐茶色の底を見せていることもある。光を浴びてきらきらと白緑色にさざめくこともあれば、深く沈んだ瑠璃色に見えることもある。たった一つの池の中、繰り広げられるその様に、私は毎朝驚嘆したものだった。そして、私が見るものは、私というフィルターを通して受け止められていることを、つくづく感じたものだった。自分の心が暗いときは、私のフィルターも暗くなり、おのずと池の色も暗く澱んで見えたものだった。一方、心が晴れやかなときは、池の色もさざめき輝いて見えたものだった。
すべては私の心次第。そのことを、私は池を見つめることで改めて知ったのだった。

今頃、父母は、別荘へ向かっている頃だ。もしかしたら私よりずっと早起きして、今頃にはもう到着しているかもしれない。電話もテレビもない別荘。でもそこは、父母にとって、憩いの場の一つなのだ。部屋の壁にかかる時計も小さく、ただ一つきりで、時間に追われることもなく、ゆったりと過ごせる場所。早く母を元気にさせたい父が、緑内障の恐れのある目で必死に運転し、連れてゆく。私が運転できるなら、私がふたりを連れて行ってあげたい。そして、あの空間で好きに過ごさせてあげたい。そう思う。残念ながら、それが叶うことはないのだけれども。
そろそろ向こうは寒くなる季節。長袖に上着が必要な季節。風邪など引かなければいいのだけれども。

ねぇママ、どうしてみんな結婚するの? 娘が朝、突然そんなことを聞いてくる。うーん、どうしてだろう、分からない。本当に私には、分からなかった。何故結婚するのだろう。何故結婚して子供を産み、育てるのだろう。
結婚しなくてもいいの? 娘が続けて問う。うん、したくなければしなくてもいいんじゃないの? ママはどうして一度結婚したの? あの頃は結婚したかったから結婚したの。どうして結婚したかったの? うーん、どうしてだろう、結婚したくてしたくてしょうがなかったんだよね、あの時は。誰かと一緒に生活したかった。一緒にいたかった。そう思ってた。そうなんだ。じゃぁママは、結婚したかったの、それともパパと一緒にいたかったの、どっち? あまりの鋭い質問に、一瞬返答が遅れる。ねぇどっち? 両方、だな。結婚したいなぁと思ったとき、誰かと一緒にいたいなぁと思ったとき、ちょうどママの目の前にはパパがいた。パパが好きだった。この人となら一緒に老いていけるかな、と思った。だから一緒になったの。ふぅん、それでだめだったんだね。あ、はい、そうです、だめでした。ははは。まぁそういうこともある。ふぅん。
子供の問いは時に、非常に鋭く、残酷なときがある。逃げようがない問いが放られることがある。私は娘の顔を見つめながら、ちょっと苦笑する。説明、しようがないんだよ。その時はそう思ってた。でも、いろんなことがあって別れることになった。永遠に続くものなど、何処にもないんだよ、きっと。私はそう言いかけて、やめた。それは彼女が、自ら体験していけばいいこと。私が今言うことじゃぁない。

玄関を出ると、アメリカン・ブルーが三輪、咲いて私たちを出迎えてくれる。二人して傘を持たず、そのまま走り出す。
さぁ、また一週間が始まる。あいにくの天気だけれど、娘はそんな空の下でも袖なし半ズボンだ。昨日ばばに買ってもらったらしい。かわいい刺繍模様の入った半ズボン。そこから伸びる足は真っ直ぐに伸び、黒く日焼けしている。
じゃ、ね、いってきます、いってらっしゃい。手を振り合い別れるいつもの交差点。娘は左へ。私は右へ。
私はそうして走り出す。私のいつもの場所へ向かって。様々に交差する思いを胸に抱えて。


2009年10月04日(日) 
目を覚まし窓を開ける。地平線辺りにかたまっている雲は灰色だけれども、これも朝のうちだけだろう。きっと今日は晴れる。てっぺんがからんとしている空を見上げながら、私は思う。
ミルクとココアに餌をやり、水を替え、金魚にも餌をやる。ただそれだけのことなのだけれども、娘がいないことが痛感される瞬間。辛いわけでも痛いわけでもないけれど、でも、傍らがぽっかり空洞になっているかのような、そんな感覚を味わう。
薔薇とアメリカン・ブルーに水をやり、その後ようやく私は髪を梳かす。徐々に温んできた空の色を眺めながら髪を梳く。

いつもより早い時刻に玄関を出、バスに乗る。今日行くところはもう決まっている。三か所。それを回って資料を書けば家に帰れる。休日の朝のバスはがらんどうで、誰もが少し眠そうな顔をしている。私は窓際の席に座り、駅までの道のり、外をぼんやり眺める。
乗り込んだ電車の中、本を読もうとするのだけれど、やっぱりまだ、うまく活字が辿れない。どれもこれも象形文字のようなカタチで私の目に映り、解読まで辿り着かない。仕方ない。本をぱたんと閉じ、私は車窓から流れる景色を見やる。街中から一時間半も乗ると、少しずつ刈り取られた田んぼやまだ黄金色にそよぐ稲穂の姿が見られるようになる。ひとつひとつが異なる色合いで、私の目を楽しませてくれる。

前の日、少しショックなことがあった。少し、だけれどもあった。一緒に事を始めた人が、一方的にその事を放り出すという出来事。自分にはまだ無理だという手紙が一方的に届いただけで、それで事が片付いたのだろうか。本当にそれで事が片付くといえるのだろうか。私は不思議に思う。でも、自分は多分何も言わないんだろう。去るものを追っても何も得るものはない。
私はこれからどうしたいだろう。私もその事をいっそ放ってしまおうか。そういうことも考えた。でも、もう私たちだけではない、他の人も巻き込んで営まれている事柄。一方的に放ればいいというわけではないだろう。少なくとも今、そんなふうにどうこうできる段階ではないと私は思う。私だけでも、続けていけるなら、それでしばらく様子を見てみようか。そう思う。
ひとつ小さなため息をつき、私はそれをそのまま、深呼吸に置き換える。大丈夫、何とかなる。

訪れた母の庭は、秋色に染まり、自由に咲き乱れた草花が風に揺れていた。手入れはまだ殆どされていない。それでも花は咲き、風に揺れる。まるで母を恋し待っているかのようにさやさやと揺れる。それを見ながら母が、「そろそろまた球根の季節だから、どうにかしなくちゃねぇ」と呟く。まだそんな体力、戻ってきていないだろうに、と私は思う。思うが口には出さない。母が好きなようにしたらいいと思う。そして時々私が手伝えばいいと思う。母だけでは無理でも、私が少し手伝うだけで、多分きっと、状況は変化する。金木犀の花の香りが、風に乗って窓から入り込む。まだ実家の二階に住んでいた頃、季節になると毎日私はこの香りを胸一杯にかいだ。夜も昼も朝も、その香りは漂い、私を包み込んだ。懐かしい匂い。芳香剤にも金木犀の香りはあるけれど、好きだけれど、どうしても使えないのは、ここでこうしてあの大きな金木犀の樹の香りをかぎ続けて育ったからじゃないかと最近思う。自然の香りと作られた香りとでは、どんなに似通っていても違う。私はこの、自然の中に漂う金木犀の香りが、好きなのだ。
「あなたが置いていった紫の薔薇、まだ何とか生きているわよ」。母が突然思い出してそんなことを言う。母に案内されて庭の隅に行くと、確かに生きている。弱々しくも生きている。「花は咲きそうにないね、まだ」「そりゃそうよ、まだ無理よ、でも生きているの」「そうだね」。母と私はそんな会話をやりとりする。紫の薔薇よ、一度だけ咲いた紫の薔薇よ、おまえは来年、はたして花をつけるのだろうか。できるならこのまま母の元で、ここで、母にその顔を見せてやってほしい。私は心の中、そんなことを願う。
「私が死んだら、この庭、どうなるのかしらねぇ」。母が呟くように言う。その声は凛としていて、もうどこか達観していて、すっきりしている。私は慌てて言う。そりゃ、私たちが何とかするにきまってるじゃない。あぁそれは無理よ、あんたたちにここの庭の手入れは無理。私にしかできないわ。母はそう言い切った。
そう、それは分かっている。確かに、母の庭は母にしか手入れできない。他の人がどう努力しようと、それはもう、違う人の庭になるだろう。庭は変化してゆくのだ、そうやって。だから母が死んだら。母が死んだらこの庭も死ぬ。そして別の人の庭になる。
母もそれが分かっているのだろう。分かっているからこそ、こんなにもあっけらかんとした声でこんな言葉を言えるのだ。でも。
まだ早い。まだ早いよ、母。そんなことを言ってはだめだ。母はまだ生きているのだから。そう言いたかったけれど、言えなかった。

ようやっとの思いで三か所場所を回り、私は帰路につく。疲れ果てた足がぱんぱんに膨らみ、靴がきつくなったかのような感じがする。
飲み忘れていた昼の薬を口に放り投げ、お茶で呑み込む。これで少しぼんやりできるだろう。最寄りの駅に着くまで、眠れないまでも、ただぼんやり、していたい。何も考えずに。

ふと気づけば、すっかり日は西に傾き。そろそろ駅に着く頃だろう。そして、少し待てば娘も実家から帰ってくる。待ち合わせした場所で待っていれば大丈夫。
そうして押し出されるようにして電車を降りる。
あとは娘と一緒に家に帰って、夕飯を作って、風呂を用意すれば、何とか一日は終わる。後少し、後少し頑張れば、終わるんだ。
私は、疲れにすっかり呑み込まれた体に、思い切り喝を入れる。そう、後少し。頑張ればいい。
長く伸びた線路の向こう、燃えるような夕日が今、落ちようとしている。


2009年10月03日(土) 
お馴染みの回し車の音が、夜じゅう響いている。カラララ、カラララ。勢いよく回り続けるその音は、夢の中に入り込んでくる。カララララ、カララララ、いきなり現われた何百本もの脚が大群になって、こっちにやってくる。カララララ。そんな音、脚が出すとは思えないのに。まさかブリキのおもちゃというわけでもなかろうに。それでも脚がカララと音を響かせこちらにやってくる。逃げようか、どうしようか、と思っているところで目が覚める。
窓の外を見やれば、地平線に沿って斜めに流れる雲。まるで傾いた渦のように、左へ左へと流れる。それはまるで、燃え広がろうとする炎のようで、私はしばし見惚れる。砂丘で焚き火をしたとき、確かこんな感じだった。あの時、真っ暗な闇の中、私たちの真ん中で火は燃え続けたのだった。轟々と音を立てて寄せる波が、まっすぐに広がっていたっけ。水平線は闇に溶け、目を凝らしても見ることは叶わなかった。朝は何処かと途方に暮れるほどの闇だったけれど、彼女らの息遣いが火の向こうに感じられ、それだけでもう安心できた。大丈夫、と思えた。
大きく窓を開け、私はベランダに出る。強い風の中髪を梳き、薔薇を見やる。ゆらゆらと揺れる伸びた枝の先に、二つの蕾。葉はつやつやと輝き、これから来るだろう朝陽を待っている。

気持ちがおかしかった。朝からおかしかった。バランスがとれないというのは多分こういうことなんだろうと思うほど、私は妙だった。どんどんどんどん、足元から崩れてゆく、そんな感じだった。
何をしてもその気配から逃れられない。何を思い心を切り替えようとしても逃れられない。このままじゃ本当に崩れてしまう。そう思ったとき、或る友人と声がつながった。
こういう状態の時、正直あまり人と会いたくない。自分の状態が人に与えてしまう影響がどんなものか、考えてしまうからだ。不安が全くない人などいないだろう。そんな中、自分だけ悲鳴を上げて助けを求めるのは、なんだかおかしいような気がしていた。大丈夫、自分は大丈夫、何とかなると思いたかった。誰だって何かしらの不安を抱え生きているのだから、自分だけじゃないのだから、自分のことは何とか自分で始末をつけたい、そう思っていた。でも。
彼女が、そっち行こうか、と言う。いや、こういう状態で会うのはよくない気がするからと一旦断った私に、大丈夫だよ、と彼女が言う。そして、今から出るね、と彼女が言う。私はありがとうと答えながら、それでも、迷っていた。
彼女は。高校時代に知り合った友人だ。でも、途中長いこと疎遠になっていた。いろいろなことがあった。私たちの間にはいろいろなことがあった。これでもかというほど汚いことばかりがあった。彼女から差し出されるものはいつもその後ろに裏切りや嘘が潜んでいた。
彼女と再び出会い、縁を取り戻してから、そういったことはすべて、流してしまおうと私は思った。でも。もしかしたら何処かで、またそういうことがあるかもしれない、と思っていたのかもしれない。
時間が過ぎてゆく中で、私は、彼女が来なくても何も言うまいと思った。来なくて当たり前、と思おうと思った。今までのことを考えたら、それは当たり前だったからだ。彼女を一晩中待ち続けたことが何度あったことか。だから、今回彼女が行くよと言っても、その気持ちだけでもう十分だと思おうと思っていた。でも。
彼女は、来た。

多分あの時、私はへろへろの状態だったと思う。もうどうしようもなくなって、自分で自分を支えることができなくなりかかっていて、倒れかけていたと思う。そんなところに彼女がやって来た。
そして、いつもと変わらぬ顔で、淡々と、私と向き合った。
彼女と、言葉を交わしながら、少しずつ浮上していく自分を、私は感じていた。幻覚に囚われ、足元をすくわれそうになっていた私が、少しずつ少しずつ、現実を取り戻してゆく、そんな感覚だった。足元の蟻地獄はすぅっと消え、土が戻ってきた。足を踏み出してもへこむことのない土が足元に戻り、私は、一歩踏み出した。大丈夫。もう、歩ける。
それは瞬く間の数時間だった。最近食欲がないという彼女はそれでも、一生懸命目の前のサンドウィッチを食べ、その間に彼女は自分の身の回りの話をし、私もその彼女に自分の話をし。時間は瞬く間に流れた。
でもそれは、私に自分を取り戻させるのに、十分な時間だった。それを、あの彼女が、私にくれたのだった。

三つ子の魂百まで、という言葉がある。それはそれで真実なのだろう。確かにそうだと思うことが多々ある。自分自身に照らし合わせても、それは言える。
でも、同時に、人は変わってもゆけるのだろう。経てきた体験をどう受け止めどう受け入れてきたのか。それによって人は、いくらでも変わってゆくのだろう。私は、今隣に座る彼女の横顔を見つめながら、強くそう思った。
あれほど自分を嘘で塗り固めていた彼女が、今、そうではない姿で私の目の前にいる。自分だって疲れているだろうに、それでも彼女は今私の隣にいてくれる。
あれほどの彼女が。
そのことが、私の心をいっぱいにした。あぁ彼女も再生していっているのだなぁということを、実感した。
そして、もし明日彼女が、私に刃を向けても、私は多分、それを受け入れるだろうと思った。そんな彼女を私は、きっと抱きしめようとするんだろうと思った。

ありがとう。じゃ、またね。そう言って別れた。彼女は去り、私は家に戻る。そういえば、彼女がこんなことを言っていたっけ。どうやって休んでいるの? それに対して私は、うまく言えないけれども日記を書いているときかもしれない、と応えた。ひとり日記を書いているときが唯一、休んでいる時間かもしれない、と。横になることや眠ることに罪悪感を覚える私は、寝逃げということができない。だから、起きた状態で休む術を私は身につけた。それが、ひとり日記をしたためる、という術だった。
どうやって休むの? どうやって気分転換するの? そういった彼女の言葉が改めて思い起こされ、私はふと思い立ち、風呂場に立つ。思い切り水を出し、頭からかぶった。そして、長い髪を思い切り洗ってみた。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。何かが流れ落ちる。またひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、何かが剥がれ落ちた。そうして気づけば、私はまっさらになっていた。
それはとても、心地よかった。

彼女にメッセージを送る。今日はありがとう。あの後髪を洗ったよ。とてもさっぱりした。また会えるのを楽しみにしている。そして彼女から返事がある。こちらこそお土産ありがとう。またつらくなったときはいつでも連絡してね。
短いやりとりだったけれども、もうそれで十分だった。

彼女の嘘に、泣いた日があった。彼女の裏切りに泣いた日があった。そういう時間が、かつての私には山ほどあった。でもそれはもう、過去なのだと、今改めて思う。
ごめんね、あのときはごめんね、と再会の直後そう言った彼女の言葉が、どれほどのところから発せられたものなのか、私にははかりしれない。でも。
またここから始まるのだな、と。今改めて、そう、思う。

おにぎりを頬張る娘をそれでも急かして、私は出掛ける準備をする。ミルクとココアの水も替えた。新しい餌もやった。これで一晩大丈夫だろう。
徐々に徐々に明るくなってくる空。今日裏の校庭では幼稚園の運動会があるらしい。朝からいろいろな人が出入りしている。そんな様を、一輪咲いたアメリカン・ブルーが、ちらちら揺れながら見つめている。
玄関を開けた途端、降り注ぐ明るい陽光。私たちは手をつなぎ、階段を下りる。マンションを出たところで空を見やれば、もうあの、地平線辺りに渦巻いていた雲はなく、薄灰色の雲が空に広がっている。
さぁ、今日も一日が始まる。今日という一日が、始まってゆく。


2009年10月02日(金) 
気がつくと雨。粉のような雨が辺りに散っている。昨日しまいわすれた洗濯物がベランダでしっとり濡れている。もう一度洗い直しだな、と思いながら私はそれをそっと取り込む。
眠れたような眠れなかったような、多分それは夢が多かったせいだ。細切れの夢にたくさん襲われた。どうあってもありえないような話ばかりで、その夢を辿るのに少々疲れた。よほど体が強張っていたのだろう、知らないうちに握り締めていた右手の爪が、掌に食い込んで痕を作っている。
こんな時、ココアとミルクの呆け顔は、私をほっとさせてくれる。近づくと、何、何々、といったふうに鼻をひくつかせ、近づいてくるその顔。潤んだつぶらな瞳。手に乗せると忙しげにくんくん歩き回るその仕草。少しずつ少しずつ、自分の体の余計な力が抜けてゆくのが分かる。
細かい雫をつけた薔薇の葉たちは、生き返ったようなみずみずしい緑を見せている。咲いているのは一輪の白い薔薇。灰色の空の下で咲くその花の色はあまりに鮮やかで、私の目を射る。その傍らで、アプリコット・ネクターが新しい蕾を膨らませている。ほんのり杏色に染まった花びらが、もう付け根からちらり見えている。そっとそれを指でなぞれば、柔らかい、花びらの感触が伝わってくる。
多分、今一番元気なのは、かつて枯れかかった、ホワイトクリスマスとマリリン・モンローだろう。新芽を次々に出しているその姿からは、かつてのあのぼろぼろになった姿はもう想像できないほど。幹は徐々に太くなり、こんもりと茂っている。
緑に囲まれて、それでも灰色の空の下、こんなに疲れている自分は何なんだろう。

朝のバスは込み合っている。その中で、ひとり、足を広げて二人分の席を取って新聞を読んでいる男性。その隣の女性は、どうも足を踏まれているらしく、しょっちゅう身体をずらす。それに耐えかねた隣の男性が、いきなり怒鳴り声を上げる。あんた、いい加減にしないか、どれだけこのバスが込み合っているのか分からないのか。でも新聞を広げた男性はいっこうに気にしないのか、黙々と新聞を広げたまま。バスの中に沈黙が広がる。誰も何も言わない。誰も視線を合わせようとしない。ただ空気だけが刺々しく、肌に突き刺さる。
結局真ん中に座っていた女性は途中で立ち、吊革につかまる。そうしてバスは客を乗せて駅まで走る。
私は。ふつふつと自分の中に怒りが湧いてくるのを感じていた。でもそれを、何処にぶつけられるわけでもない。だから私の中に、怒りは蓄積される。

昨夜弟が訪ねてくる。新しい仕事を探す傍らで勉強を始めるつもりらしい。私は彼の言うものに当たるような本を、あれやこれや探し出す。本棚にあれもあった、これもあったと引っ張り出すと、さすがに弟も苦笑い。しばらくその本を間に話をする。
お茶を出すのも忘れて私が話していると、娘が、ひょいと麦茶を弟に渡してくれる。おお、ありがとう、と弟が受け取る。私は、目が覚めたような気持ちになる。娘に、こんな気遣いができるとは思っていなかった自分がいて、頭を殴られたような気持ちになる。娘を見くびっていたのか、私は。そんな気持ちにさせられて、嬉しいやら情けないやら、気持ちががたがたと交錯する。
一時間ほどして帰ってゆく弟の後姿を見送りながら、私は、生活するということについて思い巡らす。生活するということはあまりに当たり前のことだけれども、それはなんて、重たいのだろう。うまく回っているときはいい、でも、一度躓くと、雪崩のように崩れゆく。自分もかつてそうだった。そして今もまだ安定なんてしていない。振り子のようにいつだって揺れ動いている。たった一点の、その点に、片足で爪先立って、両手を広げて何とか落ちないようにバランスをとっているようなものだ。もし今下を見たら私は堕ちるだろう。まっさかさまに墜落するだろう。そして、その後には、真っ赤な花が咲くのだ。いや、どす黒いといった方がいいかもしれない、そんな血の花が。
だから今は見ない。決して見ない。下は向かない。
私は目の中に残った弟の背中の残像を心で撫でながら、自分にそう言い聞かせる。

いろんなことが不安なんだと思う。だから今、あらゆるものが歪んで見えてしまうのだろう。私は、自分の胸に手を当て、とりあえず深呼吸してみる。不安がっても仕方がないのだ。来るものは来る。そこでできることを私は為すだけだ。ただ、それだけだ。

昨日の晴れ間を思い出そう。きれいに晴れ上がった空の下、私は少し汗ばみながら自転車を漕いだ。娘の好きな明太子おにぎりも握った。仕事のメールも二件舞い込んだ。用意した二人展用のポストカードの、展示の順番も決められたし、DMの下準備もできた。空は何処までも澄んでいて、そよぐ風が肌に気持ちよかった。世界は丸く、ゆっくり回っているように見えた。ゆっくりゆっくり。
不安に襲われるときほど、昨日できたことを思い出そう。昨日あった小さな幸せを数えてみよう。そしてそれを、こくりと呑み込んでみよう。
それでも足りなければ。いっそのこと、泣き喚いてしまえばいい。誰もいない部屋で、こっそり、ちょっとの間だけ、思いっきり泣き喚いてみればいい。多分、少しはすっきりする。

ジョシュ・グローバンの、D'ont Give Upが偶然にもステレオから流れてくる。いや、大丈夫、諦めるつもりなんてこれっぽっちもない。私は容易に転ぶが、それでも、何度だって立ち上がる。転んで倒れ伏したままでいるつもりはこれっぽっちもない。そりゃ、倒れ伏すことはあるだろう、それでも、必ず自分は立ち上がる。そして生きることをそこからまた始めるんだ。
今できることを探そう。そこから始めよう。ひとつひとつ、そうやって片付けていくしかない。

雨が降っている。いつのまにかみっしりと雨が降っている。窓の外、まるで線を描くように、まっすぐ雨が降っている。雨線に満ちた世界はそれでも、今日もゆっくりと回っている。私を乗せて、弟を乗せて、娘を乗せて、父母を乗せて。大切な大切な、友人たちを乗せて。


2009年10月01日(木) 
夜じゅう回し車の音が響き続けている。あの勢いのよさはココアだろう。一時、二時、三時…うとうとしては、回し車の音に起こされ、私は何度も寝返りを打つ。娘がご飯のとき、ミルクとココアにいくつものひまわりの種をやっていたっけ。あれで景気づいてしまったんだろうか。そのおかげでこんなに元気になっちゃっておかげで私は眠れないのだろうか、そんなくだらないことを考えては打ち消す。じきに止むだろう、そう思い続けて気づけば朝の四時。もう眠るのは諦めた。いっそのことしっかり起きてしまえば、あの音も気にならなくなるはず。私はそうして身体をえいやと起こす。何故だろう、身体を横にしているときと起こしているときでは音の聞こえ方が違うんだろうか。身体を起こしただけで、ココアの回し車の音の呪縛から解放されたような気持ちになる。私が回し車を回すココアを覗き込むと、彼女は、なになに、といった顔つきでこちらを見やる。まったく。どうぞどうぞ、いくらでも回してください。私は苦笑しながら彼女に手を振る。
雨が気になってすぐ窓を開ける。あぁ、止んでくれたのか。私はほっとする。今日は娘の社会見学の日。昨日から娘があれこれ準備していた。私は水筒を用意するように言いつかっている。天気も大丈夫、これでよし。
徐々に光を湛え始める空。窓際の机で朝の一仕事を始める。ひんやりした風が窓から吹き込む。肌がぷるりと震え、でもそれはとても気持ちがいい。

友人と二人展の打ち合わせ。彼女との二人展は今度が二度目。準備することはだいたい分かっている。その確認。それと、彼女が見ておきたいと言った、私の出品候補のリストを前に、あれこれ話す。考えてみたら、もう十月になるのだ。すると、一月の展覧会まで本当にあと僅か。私たちはあれやこれや頭を突き合わせ、話し合う。
ふと。人との縁ということが思い浮かぶ。彼女との縁も不思議なものだ。インターネットに私が開いたサイトに、彼女が訪れてくれた。それが最初のきっかけだった。それから一体何年が経つだろう。確かもう十年は経つ。その間、音信が途切れたこともあった。しかし私たちは今再び一緒にいる。それぞれに、紆余曲折を経て今に至り、そしてここに在る。
私たちの命は有限だ。星の光にしたら一瞬の瞬き。一瞬で燃え尽きる命。でも。考えてみれば無限のものなど在るのだろうか? この世に存在する全てのもの、私の知る限り全てのものが有限だろう。そんな限りある時間の中で、私たちはどれだけ何を共有できるか、なんだろう。時に離れ、時に交差し、時に共有し。そんな綾なすものたちの中で私たちは生きている。永遠はないけれど、それでも、私たちが今ここに在ったことは、間違いなく真実だ。悲しむよりそれをいとおしんで慈しんでいけたらいい。

知人がこんなことを言った。親孝行をしたいと思うなら、いつまでもその親の子供でいることだ、と。その意味が、言われたその時は分からなかった。親でいることの重さ、子供でいることの重さの方が先に立ち、その哀しさの方が大きく見えた。
今頃多分実家では、父母と弟とが今後のことを話し合っている最中だ。父は母は、そして弟は、今それぞれに何を思っているのだろう。私は彼らの顔を順繰り思い浮かべながら、彼らの心を思う。それは決して私には分かりえないことだけれども、それでもゆっくり思い浮かべる。私たちの辿ってきた道を思い浮かべる。
私も弟も、それぞれにそれぞれの一時期、親との縁を絶っていたことがある。いや、あれは、絶たれたのか、それとも絶ったのか。どちらだったろう。もうそれは定かではないが、それでもそれは在ったのだった。
私が知っている限り、弟と父母の絶縁状態は、五年ほどだった。その間、母は時折弟に連絡を取ったりしていたが、父は見事に絶った。弟が何年かして頭を下げてきたときも、最初は拒絶した。何を今更と追い返した。その間に母が入り、少しずつ、本当に少しずつ縁が戻ってきたのだった。あの頃、彼らは何を思っていただろう、それぞれに。
私が絶縁していた時期。その時間は正直はっきりとは思い出せない。私は大学を卒業すると同時に家を飛び出した。その前からぎくしゃくしていた関係を、放り出すように私が家を出た。そして決定的だったのが私の事件だった。上司から暴行されたあの事件、そしてその一年後病院に駆け込んだ、その私の治療に立ち会うことを、父母が拒絶した、その時、縁は切れた。そこから一体何年という時間をそれぞれに過ごしたんだろう。私の時間はまだしも、父母はどんな思いで過ごしていたんだろう。
私が子供を産み、育て始めた直後倒れた、その時、母が駆けつけてきてくれたのだった。それまでのこと何も言わず、孫の世話をしてくれたのだった。あの時自分がそれをどう受け止めたか、私は今思い出せない。ただ、思い出すと今は涙が出る。ただ涙が出る。あの頃表に現われたのは母だけだったが、きっとその後ろで父もいろいろなことを思っていたに違いない。
私が離婚した折、一度だけ母が、うちに来たらいいのに、と言ったことがあった。それを私は、どうしても受け入れられなかった。本当は。そうしてしまえば楽だと思った。でも、そうしたら私は彼らに完全に寄りかかってしまうようで。それができなかった。今思えば、なんて自分は幼かったのだろうと思う。でも。幼少期から父母との関係で悩み続けてきた私には、彼らをどう受け止めていいのか、どうしても分からなかった。今ならどうだろう? 今なら。いや、やはり、共に一つ屋根の下で暮すことはしないんだろう。少し離れた場所で暮しながら、それぞれに思いやる、その距離が、多分私には必要なんだと思う。少しだけでも離れているからこそ、私は彼らを思いやることができる。私には、まだまだ度量が足りない。
父母は私にとって、多分大きすぎた。私は彼らを求め過ぎた。だからすれ違ってしまったような気がする。確かに彼らからの虐待はあった。でも。じゃぁ私が彼らを傷つけていなかったかといえば、それは違う。私は私で彼らをきっと傷つけていた。間違いなく傷つけていた。今になればそれらは多分、おあいこだった。
おあいこだった。と今自分で書いて驚いた。あぁ私は今そう思えているのか、と改めて気づいた。
多分私と父母は、ようやく親子になれているんだと思う。親と子。なんて遠く、でもなんて追い求めた言葉だったろう。
そう、いつだって私は父母を愛していた。愛していたからこそ哀しかった。辛かった。でも多分父母も辛かった、哀しかった。痛かった。お互いにそうだったんだ、きっと。
「どうやったら親孝行ってできるんだろう」。ぽつりとそう言った私に、知人が言った言葉。「親孝行をしたいと思うなら、いつまでもその親の子供でいることだ」。今もその真意は分からない。分からないけれど。
私は間違いなく今、彼らの子供だろう。そして私にとって彼らは間違いなく唯一無二の親なんだ。それだけは、分かる。

気づけばもう家を出る時間。娘が早く早くと私を急かす。あれこれ思い巡らしていて、時計を見ることをすっかり忘れていた。私は足元にある鞄をひったくるように肩にかけ、玄関を飛び出す。
外は十分に明るい。そして十月なんだ。空気がひんやりと気持ちいい。ママ、あそこまで競争だよ!と娘の声が飛んでくる。走り出した娘の後を私が自転車で追いかける。娘の背中を見つめながら、私は、私と娘の間にも、いつか確執や葛藤が生まれるのだろうか、とそんなことを思う。それでも。
多分それは乗越えられないものじゃぁない。どれほど時間がかかろうと、いつか、お互いに受け入れ乗越えていくんだろう。それぞれの形でもって。
いってらっしゃい、いってきます。互いに手を振って別れる交差点。娘は水筒を下げて学校へ。私は私の場所へ。

今、鳥が空を渡る。


遠藤みちる HOMEMAIL

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