見つめる日々

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2005年12月31日(土) 
 朝、六時近くになって布団に潜り込む。寝息を立てている娘の身体はぽかぽかとあたたかく、私は思わずぎゅうぎゅう抱きしめてしまう。娘が寝ているのをいいことに、好きだよーん、愛してるよーん、などと繰り返し言いながら、小さなぺちゃ鼻にいっぱいキスの雨を降らせる。
 細く開けた窓の間から、白い光が漏れてくる。もう朝なのだ。私は、その白い光に引き寄せられるように、四つんばいのまま窓辺へゆく。そして思い切り音を立てて、カーテンを開ける。
 朝。朝がそこに在った。朝以外の何者でもない、ただ朝である朝がそこに在った。風は細く薄く流れゆき、ぽっかり空いた空を、今、鳥たちが渡ってゆく。
 娘と手を繋いで歩く。いつのまにか彼女の手のひらはずいぶん大きくなり、私の手をしっかり握れるほどになっている。結んだ手と手を大きく振りながら、私たちは坂道を下ってゆく。
 電車に乗って、いつものようにおしゃべり。その合間に、私が何気なく、「あやちゃんもおにいちゃんもみうと遊ぼうって待ってるから、いっぱい遊んでおいでね」と言った。彼女はもちろん、うん、と勢いよく返事してくれたわけだが、その後に驚かされた。
 ねぇみう、お友達たくさんできてよかったね。小学校行ったら、もっともっとたくさんお友達できるよ。好きなお友達も嫌いなお友達もいっぱいできるだろうけど、みうはかわいいから何とかなるさ、大丈夫! と、私がそんな言葉を軽い気持ちで彼女に言った。すると、彼女が思っても見ない返事を返してきた。
「それはね、ママがみうをかわいく産んでくれたからなんだよ」
 私は心底吃驚して、同時に呆気にとられてしまった。ママがみうをかわいく産んだから、みうにはお友達がいっぱいできるんだ、というその彼女の発想は、一体どこから生まれてきたのだろう。私のなけなしの脳味噌でぐるぐるぐるぐる考えてみたものの、全く想像もつかない。だから、おずおずと言ってみる。みうはね、最初からかわいく産まれて来たんだよ、もうねぇだからママは、みうがかわいくてしょうがなかったの。そう言うと、今度は彼女はさらりとこう言ってのける。でもね、かわいく産んでくれたのはママでしょ、みうをかわいくしてあげますようにって神様が魔法をかけて、そういうみうをママが一生懸命産んでくれたからみうはかわいいんだよ。
 …参った。自分で自分のことをかわいいと認識している、というその時点で、私には正直もう理解の域を超えている。そして最後に彼女は首をちょっと傾げて、私に向かってにっこり笑って言うのだ。「ママ、みうをかわいく産んでくれてありがとね!」。こういう言葉に、親は一体どう答えればいいのだろう。私はもう、何の言葉も浮かばなかったので、とりあえず彼女を抱きしめ、みう好きー!とじゃれるのが精一杯だった。
 子供というのは、一体どんな頭をしているのだろう。一体どんな心を持っているのだろう。大人ではとても叶わない宝石を、きっと幾つも幾つも持っている。それを自ら拾い上げて磨くのか、それとも、そこに在るものとしてスキップしながら通り過ぎてゆくのか、人それぞれだろう。でも、きっと、子供の歩く道筋、草原には、山ほどの宝石が、きらきらと輝いているに違いない。大人ではとても、手の届かない、子供だけの宝物が。

 私は娘をじぃじに預け、書簡集へ向かう。今日が展覧会最後の日。途中、自分が体調を崩してしまい、会いたい人とも会うことができなかった。それが心残りで仕方がない。
 芳名帖、と言っていいのかどうか、一冊会場に置いておいたノートに、私がいない間にいらしてくださった方々が、様々なメッセージを残してくださっている。私は一言一句見落とさないように、ゆっくりゆっくり頁をめくる。めくり終わるともう一度、最初から、繰り返し眺める。
 来年も、必ず。展覧会という、直に作品を通してみなさんと再会できる機会を必ず作ろう。私はそう心に決めて、書簡集を後にする。

 夜、ひとりになった部屋を片付ける。娘の散らかしたおもちゃだとか、読みかけの本だとか、ひとつずつ片付けてゆく。それはどうってことのない作業のはずだった。それがふいに、世界が反転した。突然に。
 私は慌てて頓服を呑む。薬が効き始めるまでしばしの間がある。私は必死にそれを耐える。が。
 私の意図とは関係のないところで、私の身体は勝手に動き始め、次々に己の身体を傷つけてゆくのだった。ものの見事にそれは、ぱっくりと割れていた。私ともう一人の私、傷と傷。何処まで行ったら止まるのか、もう、見当さえつかなかった。
 包丁を研ぐと精神統一できるんだよ、と私に教えてくれた人がいた。私はそれを思い出し、不器用な手つきで包丁を研いでみる。が。心が落ち着くどころじゃなかった。私は、研ぎ途中の包丁の刃に見せられて、気づいたら左腕を斜めに大きく切り開いていた。
 こうなるともう、とめどがないのだ。手当たり次第、切れるものを手に取り、次々、斜めに左に右に、私は自分の左腕を切り刻む。それがもう肉が盛り上がって身体が拒否していることにもそのときは全く気づかず、私は切り刻む。
 もう、全部、なかったことにしたかった。親子関係も、強姦も、その後何度も受けてきたセカンドレイプも、何もかもを、なかったことにしたかった。腕を切り刻んで切り刻んで腕全体が血だらけになったら、僅かかもしれないけれどもそれらの疵を拭えるような気がして、私はとめどなく切り刻んだ。
 でも。
 むなしかった。今更どうしてこんなことをしなければならないのだろう。私は、すべてを引き受けて、歩いていこうとこの間決意したばかりじゃなかったのか。どんな荷物がこの先に転がっていようと、それが私の背負うべき荷物なら躊躇いなく受け容れ背負い、娘の手を引いて歩いてゆこうと思ったはずじゃぁなかったのか。
 神様、私の左腕一本くらい、動かなくなったって別にいいです。ピアノがひけなくなるくらいだし、まぁタイプするにも不便になって、生活のいろんな場面で支障はでてくるかもしれないけれども、私が生き延びるためにこの左腕が必要だというのなら、この左腕、あなたにあげます。こんな腕ですけど、私にとっては大事な大事な腕です。その代わり、私を生かしてください。まだここで死ぬわけにはいかないんです。見上げれば20階建ての高層ビル。あそこから飛び降りたなら、私は粉々に砕け散って、見るも無残な姿になるでしょう。そしてもう二度と、息を吸うことも、娘を抱きしめることも叶わなくなる。だから、私は途中で逃げたりしません。だから、生かしてください。とことんまで。
 心配して、真夜中二度ほど電話をくれた女友達の声を、頭の中、反芻する。彼女が今どれほどしんどい状況にあるのか、彼女は私には絶対に話さない。話さないで、私を励ます。こんちくしょう、いつかあんたを泣かしてやる。泣かして泣かして、大笑いさせてやる。待ってなさいよ、まだ数年かかるかもしれないけど、でもね、私はいつか、必ずあなたを思い切りハグして、くすぐってでも何してでも大笑いさせてみせるよ。理由なんかいらない。あなたの笑顔が、あなたの泣き顔が、私は何よりもいとしいだけ。

 縫った傷跡を、再び私が解いて疵を新たに増やさぬよう、先生はぐるぐるぐるぐる包帯を巻く。私は、麻酔に酔っ払っているのか何なのか、ぼんやりと何処を見るでもなく眺めている。
 大丈夫。大丈夫だ、きっと。明日だって私は生きていける。明後日だって生き延びてみせる。私にはまだまだ、やりたことがたくさんある。ほらまず、作品集販売を始めたじゃないか、予約を幾つか頂けている中、私がいなくなったらどうするよ、しっかりせねば。
 今、海の向こう、旅をしているSのことをふと思い出す。昨日深夜、私のわけのわからない電話につきあってくれたMやYを思う。大丈夫。私はやっていける。

 それにしてもいい天気だ。年の最後がこんなにいい天気だなんて。今頃娘は、じじばばの家で走り回って遊んでいるだろうか。それとも母の庭の手伝いをしているだろうか。みう、ママは大丈夫だから、安心して。いつだってあなたを抱きしめて、好きよと愛してるよとキスをするから。

 こうして書いていったら、とめどなく続いてしまう。だからもうこの辺でやめよう。今日一日の世界からの贈り物を、一つ残らず手のひらで受け止められるよう、私は耳を澄ましていたい。


2005年12月29日(木) 
 朝、いつものように窓を開け、ベランダに出る。私が最近一番最初に覗くプランターは、花韮の球根が植えてあるプランター。花韮と一緒に、幾つかアネモネも植えた。でも、植えた時期がかなり遅かったために、彼らはまだ、ほんのこれっぽっちしか芽を出してくれていない。大丈夫だろうか。今年の冬は寒いと、今更になって天気予報が言っていた。朝陽が東からベランダへ細く細く伸びてくる。プランターの土に陽光が降り注ぐ。少しでもあたたまってくれたらいい、そう思いながら、私は次のプランターに視線を移す。
 ラナンキュラスもアネモネも水仙も、みんな元気だ。今元気がないのは、薔薇の樹とミヤマホタルカヅラたちだ。私が球根たちに気持ちを傾けている間に、彼らはすっかり拗ねてしまった。たったひとつの大きな蕾をつけたまま、彼らは沈黙している。ミニ白薔薇は、今年もまたうどん粉病になっており、私は毎日毎日白く粉をふいた新芽を摘む。せっかく顔を出したのに、出したとたんに摘まれるなんて。申し訳なくて、でも他にどうしようもなくて、私はあまり余計なことを考えないようにして淡々と摘む。
 一通りベランダを回り、私は部屋の中に戻る。そして、娘に声をかける。おはよう。娘は、友人が私用にとプレゼントしてくれた抱き枕をすっかり自分のもののように抱きしめて、瞼をしばしばさせている。ほら、今日で保育園最後だよ、今日行ったらもう冬休みになっちゃうよ。私がそう言うと、娘はいきなりがばりと起き出した。保育園。最初まだ六ヶ月ほどの彼女を保育園に預けた頃は、私は罪悪感で一杯だった。具合が悪く、自分でトイレに行くこともままならないような身体のくせに、それでも何とかならないものだろうかと足掻いた。でも。今はもう、彼女は、保育園という場所で、彼女の世界をしっかり作っている。頼もしいものだ、子供というのは。置かれた環境に、自分をぐいぐい馴染ませてゆく。そして、大人がよく言い訳に口にする、生きる意味やらなにやらといったご大層な大義名分なんてそっちのけで、ただ一心に、毎日を毎瞬を生きている。
 出発! そう言って私が自転車のペダルに足をかける。娘も後ろで出発!と声を上げる。それにしても、ずいぶん重くなったものだ。坂道の多いこの街を、いつも彼女を後ろに乗せて自転車で走るけれども、上り坂なんて、すぐに息切れしてしまう。彼女の体の重さが、命の重さが、ずっしりと私の身体にのしかかり、でもそこでギブアップしてしまうことが悔しいから、私は必死にペダルを漕ぐ。途中で降りて自転車を引っ張るなんて、死んでもやるもんか、なんて、心の中、自分で自分に檄を飛ばし、必死にペダルを漕ぐ。でも。これもきっと、あと一年、二年で終わってしまうのだろう。彼女は今年のクリスマスプレゼントに自転車を欲しいと言った。そして私はそれを、サンタクロースからと言ってプレゼントした。今、時間を見つけては、練習している。補助輪のない自転車なんて初めてだから、彼女はぐらりぐらりと揺れ、それを支える私の方が転んで膝をすりむいたりする。でもそうやって、彼女はやがて自分で自転車に乗るようになるのだろう。そうしたら私の後ろは軽くなり、今こうしてじかに感じられる彼女の重さは、遠のいてしまうのだろう。何だかそれは、嬉しい反面、寂しいような気がする。私は青になった信号に沿って交差点を渡り、今度は下り坂、ブレーキをかけながらひゅるひゅると坂を下る。あっという間だ、そうやって彼女はあっという間に、一人の人間として、一人の女として、どんどんと歩いてゆくのだろう。
 娘とキスをして別れ、私は家に戻る。さて。大掃除。今日一日で何処までできるだろう。
 捨てられなかったもの、捨てたくなかったもの、そういったものが部屋のあちこちに山積みになっている。本当はまだ、捨てたくないのかもしれない。でも、今年はもう、捨てることにした。私はゴミ袋を幾つも用意し、次々袋の中に投げ入れる。
 何故捨てようなんて思ったのだろう。分からない。でも、もしこれらの物たちがここからいなくなっても、私の心の中にはずっと残ってる。だったらもういい、捨ててしまおう、そんなふうに思った。
 あっという間にゴミ袋はいっぱいになり、それがひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、玄関に積まれてゆく。気づけばもう、午後三時。いい加減一息つこうかと、私はハーブティを入れる。
 開け放した窓際で、ハーブティを飲みながら煙草を一本吸う。空を見やると、地平線近くに雲が漂っている。そして、刻一刻、日差しは黄味を帯びて、空は薄く橙色に染まり始めるのだった。

 そして今、もう午前五時。じきに夜が明ける。部屋はまだ片付いてはいない。こういうときに限って、読みたい本があったり聴きたい音があったり、作りたい写真があったり。でも、それと同じくらいに、眠りたくもあったりして。私は苦笑する。結局、私は欲張りだから、どっちも欲しくて、多分朝まで部屋を片付けながら煙草を吸い、時々本の頁をめくっては鉛筆で線を引き、そして、娘を起こして出掛ける電車の中で、娘に怒られながらもこっくりこっくり眠るのだろう。
 さぁ、残りのハーブティを飲みきったら、また動き出さなくては。朝はあっという間にやって来る。そして、一日はあっという間に終わってゆくのだ。欠伸をかみ殺しながら、私は伸びをする。窓の外、裸ん坊の街路樹が、街灯にちろちろと揺れている。


2005年12月27日(火) 
 カーテンの向こうが少しずつ明るくなってゆく。その気配を感じながらも、布団から起き上がる気持ちになかなかなれず、枕を抱きなおしてみたり、まだ眠っている娘のほっぺたをつんつんしてみたり。もういい加減まずい時間だろというところまで、結局布団に包まっていた。
 橙色のカーテンを開け、同時に窓も開ける。ひゅんっと首筋を滑ってゆく朝の風は、まるで私をからかっているようで、耳を澄ますと笑い声が聞こえてきそうな気がする。
 いつもの習慣で、私はベランダのプランターをひととおり見回す。土はまだ湿っている。今朝は急いで水をやる必要はないかもしれない。そう判断した私はベランダにくるりと背を向け、娘を起こしにゆく。ほら、急いで、ほら、着替えて、ほら、こっち。とある絵本の中にこんな一節があったっけ。「早く早く、早くしなさいってママは言う、でも、ママはずっとお喋りしてる」。そう言って、男の子はお喋りを続けるお母さんの足元にぺたんと座って、ぶすっとした顔をしているのだった。私も朝は特に、早く早くと娘を急かしてしまう。急かしながら、あぁあの絵本と同じことしてるよなぁ、と、心の中、苦笑している。今頃娘も、「ママってば、早く早くって言うけど、ママだってだめじゃない!」なぁんてお思っているんじゃなかろうか、と。
 いつものように病院へ。受付のソファに座ったものの、何だか身体がだるくて、鞄を枕に横になる。できるだけ小さく身体を丸め、目もしっかり閉じて、自分の診察が回ってくるのをただひたすら待っている。
 このところ猛烈に湧き上がる自分を切り刻みたい衝動、自分を消滅させたい破壊させたい衝動、私の時間を終わりにしてしまいたいという衝動などについて思いつくまま主治医に話す。そういう時、娘の存在が何とか歯止めをかけてくれるのがたいがいなのだけれども、時々、それさえ効かないことがあることも話す。私は私に価値を見出していない。私は私がここに存在していること自体に罪悪感を抱いているし、もっと遡れば、この世に生まれたこと自体に罪悪感を持っている。そんな私に、価値を見出せと言ったって無理な話だ。ここで呼吸して息をして存在しているその事自体が罪であるのだから、罪から価値を生じさせようとしたって土台無理なのだ。けれど。
 そんなんじゃいけない、と、私は思っている。このままじゃいけないとも思っている。ただ、じゃぁどうすればいいのか、それが分からない。
 父母との関係の捩れ、強姦やそれにまつわる諸々の、これまで経てきた体験から身に着けてしまった自己破壊的な鎧、自分でももはや意識していないような領域でこれでもかというほど高く積み上げてしまった壁等々。
 いつか解かなければならないことたちだけれども、今は無理、とにかく今は次に会うときまで生き延びていてくれればいいから、それだけ考えてちょうだい。それからね、さをりさん、あなたは自信を持っていいのよ。ここまで踏ん張ってきたのは、間違いなくあなたの力なのだから。そんな自分を誇っていいのよ、自信もっていいのよ。主治医がそう繰り返す。私は返事ができず、ただ俯いて黙って先生の言葉を聴いている。

 帰り道、何となく立ち止まり、煙草に火をつける。私のすぐ脇には、庭からはみ出るほどに大きな大きな桜の樹が立っている。幹は見事なほど黒光りし、四方に伸びる枝々は、凛としている。私はちょっと真似してみる。背筋を伸ばして、左手だけ空に伸ばして。でも、とてもじゃないが、この桜の樹には似ても似つかぬ姿。私の心は惨めなほど縮こまっており、それはそのまま、姿にも現れ出てしまう。だからどう真似をしようとしたって無理なのだ。礎のところから彼に沿うのでなければ。
 電車の中、急に情けなくなって、ぽろりと涙が零れてしまう。全くこんなところで何をしてるんだかと慌てて目をこすってみるものの、ぽろりぽろりと零れてくる。何だか悔しくなってきて、私は唇を思い切り噛んでみる。泣いたって何も変わらない。涙なんてこぼしてみたって何も変わらない。泣くくらいなら笑ってしまえ。へらへらへらへら笑っていたら、いつかいいことのひとつくらいあるかもしれない。笑っていればとりあえず、ご飯くらい食べられるかもしれない。笑っていれば。
 真夜中、衝動的に切り刻んでしまった傷は、ぱっくりと深く切れているのに、殆ど血が零れてこない。先生の言った通りだ。私は何だかおかしくなってしまって、ひとりでくすくす笑ってしまう。もういくら切ったって、当分私は救われない。ぱっくり傷口が口を開けて、白い筋やら何やらが丸見えになったって赤い血は溢れてこないのだ。私の中に血は流れてる? その血は本当に赤い? それさえ今はもう、確かめようがない。
 なら、笑ってしまえ。そうさ、笑ってしまえ。転んだり倒れたりしても、へへへと笑って起き上がればそれでいい。
 気づけばもう真夜中も過ぎた。明日も用事が山ほど詰まってる。私は半分開けた窓から夜空を見上げる。大丈夫、きっとまた朝が来る。そしたらおはようと言って笑ってみればいい。多分それだけで、ひとつかふたつの厄介事くらいなら、何とかなる。多分きっと。そう、きっと。


2005年12月24日(土) 
 横になってみたものの、浅く短い眠りを少し得られただけで、身体も意識も早々に起立してしまっていた。私は布団から這い出して、軽く上着をひっかけ、窓際へ。カーテンの向こうの空はまだ、ほんの少し白み始めたばかり。鳥の一羽さえ横切る者もなく、街はしんとしている。
 私は窓を半分開け、如雨露を手に取る。そしてプランターひとつずつに、たっぷりと水を撒く。じきにプランターの底から水が零れ始める。それを合図に、私は次のプランターへと移る。このところ乾燥が強くて、特にラナンキュラスはすぐに葉がへたってしまう。だから、私はしゃがみこみ、一枚一枚葉を撫でて、お水いっぱいあげるから元気になろうね、と話しかける。アネモネや水仙は相変わらずだ。まっすぐに空に向かって手を伸ばしている。花韮も、ひょろりんとしたひげのような葉を伸ばし始めており、それはちょっと滑稽な姿。
 一通り球根のプランターに水をやると、今度は薔薇の樹の方へ移る。こまめに水をやっているつもりなのに、土は瞬く間に乾いてしまう。だから今日も私はどくどくと如雨露から水を撒く。ひとつ、ぷっくらとふくらんだ蕾が、枝と枝の間かくれるようにして在る。私はそこに指を伸ばし、触ってみる。ねぇ、頑張って咲いてよね、話しかけながら、二度、三度、そっと撫でる。こんなんで気持ちが伝わるとは思わないけれども、植物と相対するとき、私はつい、話しかけてしまう。もちろん彼らは沈黙し、決して返事など返してはこない。それでも、いいのだ。私が彼らに話しかけることを、伝えることをやめてしまうのは、やっぱり、できそうにない。
 気づけば、空は東の方から白く輝き始め、朝が動き出している。さっきまで一台も姿の見えなかった表通りにも、気づけば忙しなく、車が行き交っている。私は如雨露を片付け、部屋に戻る。そして、思い切り顔をばしゃばしゃと洗う。

 急患扱いで、朝一番に病院へ出向く。椅子に座っていることもしんどくて、小さなソファーに身体を丸めて目を閉じる。誰ともすれ違いたくなかったし、誰とも目を合わせたくなかった。私はここにいるけれども、ここにいないかのように誰彼もに通り過ぎて欲しかった。だから私はなおさらに身体を小さく丸め、縮こまって、自分の名前が呼ばれるのをひたすら待っていた。
 診察室に入り、先生にメモを渡す。言葉を発することが全くできないわけではなかったけれども、いくら言葉を尽くしたとて、上滑りしそうな気がした。だから、昨夜のうちに書き記したメモを渡した。
 言われることは、すでに分かっていた。先生が言うだろうことは、もうすでに、これまでにもさんざん言われ続けていることだ。私も頭ではそれを理解している。しかし、感情ではそれを割り切ることができず、延々と引きずっているのだ。
 父母のことを、相手に理解してもらえるように説明することは、至難の業だ。近しい友の中でも、ほんの数人しか、私と父母との関係の実情を把握している人はいない。
 「ねぇさをりさん、何度も言っているけれども。切り捨てるしかないのよ、もう。彼らはあなたの命を削ることしかしないことは、もう充分に分かっているでしょう? そんな人たちに、それでもあなたは期待してしまう、信じようとしてしまう、でもそのたびそのたび、あなたは突き落とされて、ぼろぼろになってる。もう、いい加減割り切らないと。期待してはいけないのよ。諦めなければいけないのよ。割り切らなくちゃいけないの。分かる?」
「頭では、分かります。でも、でも、私、心の奥底で、やっぱり親たちのことが好きなんです。そして彼らを愛してるし、彼らからもできるならほんのちょっとでいい愛されたいって願ってしまってる」
「でもね、それは無理なの。無理。どうやっても無理。そのことも、分かってるわよね?」
「…はい、分かってます。分かってるけど、けど、って思ってしまって、だからぐちゃぐちゃになる」
「このメモ、すべて、あなたはあなたのことをひたすら責めてる。でも、本当にあなただけが悪いの? あなたが悪いの? 違うでしょう? 誰が見たって、おかしいのはあなたじゃない。あなたは正しい。当たり前の反応をしているだけよ」
「…そうなんでしょうか」
「あなたから怒りを奪い、あなたの生存自体に罪悪感を植えつけたのは、あなたのご両親だって事を、もういい加減受け容れなくちゃだめ」
「…頭では、分かります。頭では。でも、心がついていかない、それでも、それでも血のつながった親なのだから、とか、思ってしまう」
「血が繋がっていようが繋がっていまいが、そんなことは関係ないの。血なんてものにに惑わされちゃだめ。あなたが大切にしなければならないのは、信頼関係を結んでいる人たちをこそなのよ」
「…分かってます」
「あなたがあなたの価値をちゃんと認めないでどうするの。自分をしっかり見なさい、そして、自分を貶めるのではなくて、自分を認めてあげなさい。あなたがそれをしないで、一体どうするの。そんなあなたを見ていたら、みうちゃんだって不安になるわよ」
「…それは、いやなんです、そんなことにだけはしたくない、でも、でも、どうやって自分の中のこの、これでもかというほどの強力な罪悪感と無価値無意味さ加減を転換したらいのか、全然分からないんです。浮かんでくるのは、いつだって、生きてること自体への私がここにいること自体への罪悪感ばかりなんです」
「あなたはここにいるべき人間なの。あなたにはここに存在する価値がこれでもかというほどあるのよ」
「…」
「とにかく。振り回されちゃだめ。あなたのご両親は確かに血のつながった親だけれども、あなたを支配するばかりであなたをこれっぽっちも信頼していないことを、ちゃんと受け容れなさい。そして、諦めなさい。諦めるところからもう一度、新しく始めるしかないのよ」
「…」
「死ぬ意味なんてないわ、あなたがここから消滅する意味なんてこれっぽっちもない。あなたはここに存在すべき人間なの、それだけの価値があるってことを、忘れないで」
「…」
「ね?」
「…」

 帰り道、私はただ項垂れる。先生も、数少ない私の父母を知る親友たちも、みな同じ事を私に言う。このままじゃあなた潰されちゃうよ、と、真剣な面持ちで私に必死で訴えてくれる友の顔が浮かぶ。分かってる、分かってるのだけれども。
 降り立った駅、長いエスカレーターが私を地上へ運ぶ。自動ドアを潜り抜け外へ。途端に吹き付けてくる北風。私の髪はぶわりと煽られ、咄嗟に右手で髪を押さえる。
 街路樹の殆どはもう、全ての葉を散り落とし、代わりに今は、イルミネーションでびっしりと飾られている。クリスマスが終わるまであと少し。それが終われば、彼らも重たい荷物から解放されるんだろう。
 家に戻り、洗濯を始める。こんなときは、とにかく何かしら身体を動かすのがいい。色物、タオル、下着、それぞれに分けた洗濯物を、ぽいっと洗濯槽に放り込み、スイッチを入れる。次は布団乾燥機をセットして、その次は、冷蔵庫に余っていた材料を使ってトマトスープを作る。
 「ねぇ、もう一度言うわ。あなたの中にこれほどまでに根強い罪悪感、それからあなた自身が無価値無意味であるというその感覚を植えつけたのは、間違いなくあなたのご両親なの。それが、あなたをどれほど苦しめ、貶めてしまっているか、もう分かるわよね? だから、もう、あなたの中で親と縁を切るしかないのよ。あなたはあなたを守らなくてはいけないの。あなたがあなたを守るということは、みうちゃんを守ることにもつながるのよ。ね? とても難しいけれど、あなたの中の、あなたの根源に絡み付いてしまっているその強力な罪悪感を、いつか解いてゆかなくちゃ。ね、一緒にがんばってみましょう」
 先生の声が頭の奥の方で木霊する。私の根源にでーんと横たわるこの罪悪感、それを一体、どうやて解こうというのだろう。私はひとつ、小さくため息をつく。
 こんな時、気を抜くと、刃をまた自分の腕に当てて幾重にも切り裂いてしまうから、私はとりあえず机から離れて、床の上にうずくまる。
 窓の外を、カラスが三羽渡ってゆく。手前の街路樹には、珍しく、夥しいほどの雀が止まっており、ちゅんちゅん、ちゅんちゅんと鳴きながら、くりくりと頭を動かし、周囲の気配をかがっている。
 あぁそうか、気づいたらもうたそがれ時なのだ。私はゆっくり立ち上がって、お湯を沸かす。スキムミルクを一杯。両手でマグカップを包み込むようにして持ち、私は再び床の上にぺたり。
 私が座ると同時に、雀が激しい羽音を立てて、一斉に飛び立っていった。残された街路樹は丸裸になり、風に寒々と晒されている。
 今、日が堕ちる。西の地平線がくわりとふくらみ、そして沈んでゆく。どんなに迷ったって途方に暮れたって泣いてみたって、こうやって今日は終わりゆき、明日は必ずやってくる。そして私はまた、今日になってゆく明日を、生きるのだ。


2005年12月21日(水) 
 いつも飲まないでいる寝る前の処方箋をすべて飲み込み、私は横になる。これなら少しでも眠れるだろう。いや、眠れないかもしれない。でも。眠れるかもしれないと信じて私は娘の隣に横になる。落ち着かない心の中が、かたことと音を立てている。そのかたことという音はやがてがたごとがたごとと大きくなり、私の鼓膜を震わせる。けれど、眠らなければ。私は自分に言い聞かせ、耳を塞いで目を閉じる。
 目覚まし時計の音が鳴り響く前に、娘も私も目を覚ます。おはようと言葉を交わし、起き上がる。「今日はクッキー作るんだよ、早く迎えに来てね!」。娘が早速言う。よーし、早く迎えにいくよ、と私も返事をする。二週間前から交わしている約束だ。クッキー作り。さて、どんな代物ができあがるのだか。
 いつものように娘を送り、私は人との約束の場所へ。が。いくら待っても相手が来ない。おかしいなと思い連絡してみると、昨真夜中、私が断りの電話を入れてきたでしょと返される。吃驚してしまう。私はそんな電話を、しかも真夜中過ぎにした覚えが全くなかった。受話器に向かって何度も頭を下げる。すみません、申し訳ございませんでした。相手はそんなこと気にしないふうに、じゃぁ今からそちらに向かいますよと言ってくれる。全くもって申し訳ない限りだ。
 時々そうやって記憶が飛ぶ。全く私には身に覚えのない出来事に遭遇する。が、それらは私が記憶していないだけで、私自身がたいてい何かしら為した結果なのだ。そのおかげで一体何度途方に暮れてきたことか。
 相手を待っている間に、病院に電話をかける。そして明日朝一番に予約を無理に入れてもらう。昨日から崩れ始めた自分のバランス。明日まで、明日の診察までは何とか保たせなければ。自分にそう言い聞かせ、深呼吸をひとつ、そして背筋を伸ばしてみる。きっと何とかなる。大丈夫、明日まで何とか踏ん張れる。
 用事を済まし、家に戻ってから、何度かパニックに襲われる。私は部屋の中にいるのに、私に見える風景は街中で、私の周囲を行き交う人たちの顔はみなのっぺらぼう、そして目の前を歩いていた人がいきなり振り返る、その顔は。
 声なき悲鳴を上げて私は飛び上がる。周りを何度も何度も見回し、ここが外ではなくて部屋の中なのだということを自分に言い聞かせる。そんなことの繰り返し。
 それでも太陽は東から西へ傾いてゆくし、日差しも影もゆっくりと動き続けている。思い切り開けた窓から滑り込む風は冷たく、私の足から腕から瞬く間に熱を奪い去ってゆく。そんな中、私は、娘と作る予定のクッキーの手順を、娘に分かるようにひらがなで大きな紙に記してゆく。

 大きなテーブルが、瞬く間に埋まってゆく。娘が粉をふり、私はバターを捏ね。割り溶いた卵を少しずつ混ぜてゆく、娘は真剣な顔で泡だて器を動かしている。粉とそれらを割くようにして混ぜ、冷蔵庫でしばし寝かせる。「ママ、次のだよ!」。最初の材料を寝かせている間に、私たちは次のクッキーを作り始める。今度もまた粉をふるのは娘の役目、私は鍋でバターを溶かす。それらを混ぜ始めて気づいた。「あ!ママ、分量間違っちゃった!」。慌てて私は粉をその分だけ増やし、娘にもう一度ふってくれるように頼む。そうして生地ができあがり、軽く焼いたカシューナッツを真ん中に、小さいおだんごを作っていく。ママ、これ、一体何個できるの? 何個かなぁ、わかんない。これならじいじとばぁばとおにいちゃんだけじゃなくて、サンタクロースにもクッキーあげられるね。そうだね、いっぱいだもんね。私たちは、あれこれお喋りしながら、こねこねこねこね、おだんごを作る。グラシンの紙の上はあっという間にいっぱいになり、私はオーブンを開ける。さぁあとは焼きあがるのを待つのみ。私たちはお互いに顔を見合わせ、にっと笑う。焼きあがったら、この丸いのに粉砂糖をまぶすんだよ。ふぅん、だから雪みたくなるんだね。うん、そうだね。
 焼きあがった小さなお団子クッキーを、娘が粉砂糖の上でころころ転がす。いびつな丸に、少しずつ粉砂糖がついてゆく。
 「次はこっちだ!」。私たちは、冷蔵庫で寝かせていた生地をとりだし、薄く伸ばす。そしてふたりして、両側から次々、型で抜いてゆく。
 オーブンに入れてしばらくすると、いい匂いが漂ってくる。ママ、これがクッキーの匂いなの? うん、そうだよ。ふぅん、いい匂いだねぇ。うん、それでね、こっちのクッキーと今焼いてるクッキーとでは、全然味が違うはずだよ。そうなの? うん、後で食べ比べてごらん。やったー! 娘が狭い部屋の中でスキップをし始める。私はそんな彼女を、少し笑いながら眺めている。
 冷えたクッキーに絵を描き終え、ようやく終了。娘に、丸い粉砂糖をまぶしたクッキーと、薄い花型の、彼女が絵を描いたクッキーとを食べさせる。「ほんとだ、全然味が違う!」。ようやく納得がいった彼女の目は、ぴっかぴかに輝いている。同じクッキーなのに不思議だねぇ。そうだねぇ、同じクッキーでも、作り方次第でみんな味が違ってくるんだよ。ママ、今度また作ろうね。うん、そうだね。

 娘が眠った後、私は一昨日読んだ本のページをもう一度開く。そして、目で活字を辿る。私にはあまりにも見覚えのある感覚が、そこに記されていた。私は何度もそこを目で辿る。私に起きたことは、多分、当然のできごとだったのだな、と。そう思いながら。

 「いよいよ強制収容所の心理学の最後の部分に向き合うことにしよう。収容所を解放された被収容者の心理だ。
 (中略)極度の緊張の数日を過ごしたのち、ある朝、収容所のゲートに白旗がひるがえったあの時点から語り起こしたいと思う。この精神的な緊張のあとを襲ったのは、完全な精神の弛緩だった。わたしたちが大喜びしただろうと考えるのは間違いだ。では当時、実情はいったいどうだったのだろう。
 疲れた足を引きずるように、仲間たちは収容所のゲートに近づいた。もう立っていることもできないほどだったのだ。仲間たちはおどおどとあたりを見回し、もの問いたげなまなざしを交わした。そして、収容所のゲートから外の世界へとおずおずと第一歩を踏み出した。(中略)
 わたしたちは、ゲートから続く道をのろのろと進んでいった。早くもひとりは足が痛んで、歩くのも容易ではなかった。さらにわたしたちは足を引きずって、ゆっくりと歩いていった。収容所のまわりの景色を見てみたい。いや、自由人として初めて見てみたい。わたしたちは自然のなかへと、自由へと踏み出していった。「自由になったのだ」、と何度も自分に言い聞かせ、頭の中で繰り返しなぞる。だが、おいそれとは腑に落ちない。自由という言葉は、何年ものあいだ、憧れの夢の中ですっかり手垢がつき、概念として色あせてしまっていた。そして、現実に目の当たりにしたとき、霧散してしまったのだ。現実が意識の中に押し寄せるには、まだ時間がかかった。わたしたちは、現実をまだそう簡単にはつかめなかった。
 牧草地までやってきた。野原いちめんに花が咲いている。そういうことはよくわかる。だが「感情」には達しない。歓喜の最初の小さな火花が飛び散ったのは、色鮮やかなみごとな尻尾の雄鶏を見たときだった。だが、この歓喜の火花も一瞬で消えた。わたしたちはいまだにこの世界に参入を果たしていなかった。それから、ひともとのマロニエの木陰の、小さなベンチに腰を下ろした。ところがなんとしたことか、わたしたちの表情にはなんの変化もない。やっぱり。わたしたちはまだこの世界からなにも感じない。
 夜、仲間はむき出しの土間の居住棟にもどってきた。ひとりがもうひとりに近づいて、こっそりたずねる。
「なぁ、ちょっと訊くけど、きょうはうれしかったか?」
 すると、訊かれたほうはばつが悪そうに、というのは、みんなが同じように感じているとは知らないからだが、答える。
「はっきり言って、うれしいというのではなかったんだよね」
 わたしたちは、まさにうれしいとはどういうことか、忘れていた。それは、もう一度学びなおさなければならないなにかになってしまっていた。」
(「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル著)

 そう、怒りも喜びも悲しみも嬉しさも、「もう一度学びなおさなければならないなにかになってしまって」いるのだ。私にとっても。いまだに。
 どうして怒らないの? ここは怒る場面だよ。友人がこの間そう言った。言われても私には全くぴんと来なかった。その友人に噛み砕いて説明してもらうまで、全く実感を伴わなかった。
 かつては私の中にだって、当たり前のように嬉しいも悲しいも喜びも怒りも存在していた。この世に生まれ落ちてから、理屈なんてなく、おのずとそれらを身に着けていった。けれど、そうして自然に身に着けたあらゆるものが、崩壊したのだ。崩壊させられたのだ。粉々になって、飛び散ってしまったのだ。その後、私はその残骸の只中で途方に暮れるばかりだった。再構築しようにも、それはあまりにも小さい破片だった。それらを再び繋ぎ合わせるには、私に残された時間では、足りなかった。
 じゃぁどうするか。もう一度、ゼロから歩きなおすしかないのだ。ゼロから自分で築きあげるしかないのだ、新たに。
 今もその作業は続いている。それが一体いつ終わるのか、私には分からない。けど、その作業を放棄してしまったら、私はもう、人間に戻れない。だから、放り出したい衝動を何とか抑え、今日も組み立ててゆく。刻んでゆく。自分の中に。感情や現実のカケラたちを。


2005年12月19日(月) 
 娘の予定が満杯だった週末が終わり、また新しい週へ。週が新しくなった分、寒さも増したのか、朝窓を開けるとそのあまりの冷え込み具合に思わず私は首を竦める。天気予報は今日も晴れ。けれど、あちらこちらの地方で雪が今も舞い落ちているという。今年は暖冬だと、夏の頃、誰かが言っていなかったか。私はそんなことを思い出しながら、日本地図をぼんやり眺める。最近こんなふうに、天気が歪むたびどきんとする。日本の四季は、いつかなくなってしまうのだろうか、と。娘が大きくなり、娘がその腕に我が子を抱く頃、この国の季節は一体どんなふうになっているのだろう。
 上着をいつもより一枚多く重ね着し、私はベランダの外、プランターに水をやる。ずいぶん長いこと音沙汰なく、もしかしたら球根がだめになっているのではないかと心配していた丸いプランターから、ようやく水仙の芽がぽつりぽつり現れ始める。ずいぶんごゆっくりでしたね、と声をかける。とりあえず踏ん張って、育ってくださいね、そう言いながら私は、彼らにそっと水をやる。アネモネもラナンキュラスももうずいぶん大きくなり、冬だというのにふさふさと緑を揺らしている。こんな乾ききった、そして冷たい空気の中、君たちはずいぶん元気だね、私はしゃがみこんで葉をそっと撫でる。今日の冷え込み具合に比例して、葉もいつもよりずっと冷たく感じられる。それでも、この薄い薄い葉の間で、きっと緑の命が脈打っているのだなと思うと、何だか指先からどきんどきんとその脈打つ音が伝わってくるような錯覚を覚えてしまう。私はしばし、太陽の光を背中に浴びながら、そうしてプランターとおしゃべりをする。
 こんな時間は久しぶりだ。本当に久しぶりだ。このところあまりに慌しくて、周囲がすっかり見えなくなっていた。さすがに、夜、丸い月に気づくくらいはあったけれども、枯葉が廊下を滑る音も、細く開けた窓を行き来する音にも、耳を澄ますことをすっかり忘れて過ごしていた。今背中があったかい。それは、高く高く空の天辺を歩く太陽が、その光をさんさんと降り注いでくれているから。この光は多分、私にもあなたにも君にも、誰の背中にも誰の手のひらにも平等に、降り注ぐ。
 どうやっても交じり合えず、すれ違うばかりの両親と、それでも電話で話をする。すれ違いながら、電話の向こうとこちら、それぞれに地団太を踏みながら、それでも、伝え合おうとする努力だけは、せめて手離さずにいられたらと、改めて思う。それを手離してしまったら私はもうきっと。…いや、そんなこと、今は考えるまい。私は洗物の手を止めて、ぼんやりと娘の顔を思い出す。そう、彼女がいる。彼女にとってじじばばは、大事な大事な存在だ。私の努力次第でそれを守っていけるなら、それにこしたことはない。私は再び洗物の続きに視線を戻す。

 「ひとりひとりの人間を特徴づけ、ひとつひとつの存在に意味をあたえる一回性と唯一性は、仕事や創造だけでなく、他の人やその愛にも言えるのだ。
 このひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせる。自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。」
 「ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転向が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考え込んだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
 この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし、この意味への問いに一般論で答えることもできない。ここにいう生きることとはけっして漠然としたなにかではなく、つねに具体的ななにかであって、したがって生きることがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である。この具体性が、ひとりひとりにたったの一度、他に類を見ない人それぞれの運命をもたらすのだ。だれも、そしてどんな運命も比類ない。どんな状況も二度と繰り返されない。そしてそれぞれの状況ごとに、人間は異なる対応を迫られる。具体的な状況は、あるときは運命をみずから進んで切り拓くことを求め、あるときは人生を味わいながら真価を発揮する機会をあたえ、またあるときは淡々と運命に甘んじることを求める。だがすべての状況はたったの一度、ふたつとないしかたで現象するのであり、そのたびに問いにたいするたったひとつの、ふたつとない「答え」だけを受け入れる。そしてその答えは、具体的な状況にすでに用意されているのだ。
 具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。人間は苦しみと向き合い、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。誰もその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身が苦しみを引き受けることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。
 (中略)わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。この意味を求めて、わたしたちはもがいていた。」
(「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル著)

 最近、心がぐらりと揺らぐたび、この節々を思い出す。そして、ぐらりと揺らぐ自分に問う、こんなんで揺らいでいいのか、揺らいでいていいのか、私はまだ踏ん張れるんじゃないのか、まだまだ踏ん張って這いずって、あの地平線の向こうまで道を拓いてゆくんじゃなかったのか、と、私は私に問いかける。すると、どんなに草臥れて疲れ果てていても、何処からか力が沸いて来る。そして、私はまた、一歩、半歩、足を進める。
 誰かとの縁で苦しくなったり眩暈を覚える時も、私は同じように己に問う。この縁をどうしよう、手離していいものか、手離さずにおくものか、と。もうすでにこの縁の糸の向こう側は、断ち切られてしまっているかもしれない。もしかしたらもうこの縁の糸の向こう側には、もう誰もいなくなってしまっているかもしれない。そのとき、私はどうするのか、どうしたいのか、と。問うて問うて、そして、やっぱりまたこの節を思い出す。そして、自分の心の形を指先でそっとなぞってみる。
 誰も私の代わりになってくれるわけじゃない。確かに、誰かに代わって欲しいような出来事もたくさん在りはした。けれど、もし、あんな出来事たちに見舞われる誰かを間近で見ているくらいなら、私は今のこの自分があれらの出来事をごっそり引き受けることを進んで選ぶだろうと思う。それがいいか悪いかとか、そういうものではなくて、私は多分、それらを引き受けても生きていけると思えるから。そして、それはこれからも多分、変わらない。
 時々確かに、衝動に襲われる。自分を抹殺したい衝動にかられる。それはどうしようもなく私を襲ってくるし、その波は容赦なく私の足元から私の存在を突き崩そうとする。踏ん張った果てに自分の足元が崩れ落ち、途方に暮れることもあった。何度、そんな味を奥歯で噛み締める羽目に陥ったことか。それでも、私は多分生きているのだろうし、これからも生き続けるんだろう。それが私だから。ただそれだけで。
 それは多分、耐える、耐え忍ぶ、といった、受動的で強いられたものではなくてむしろ、自ら進んでその状況に身を任すというような、あくまで能動的な営みなのだ。

 もうじきまた、あの季節がやってくる。


2005年12月15日(木) 
 慌しく毎日が過ぎてゆく。あまりにも慌しすぎて、いとも簡単に曜日を間違えたり日にちを間違える。そのせいで潰してしまった用事幾つか。これはまずいと思い、娘に頼む。ねぇ、明日これとこれがあるらしいから、朝、ママに言ってくれる? いいよ! もちろん娘は五歳だ、こう頼んだからとて確実に為してくれるわけじゃない。でも、こういうふうに言っておくと、不思議と自分が覚えているもので、彼女が言ってくれなくても、そういえば昨日娘に頼み事した覚えが…と、思い出す。
 途中ふらついてみたり、吐いてみたり、いろいろあるけれども、その間にも銀杏は散り落ち、街路樹は裸ん坊になり、玄関側の廊下には毎朝、からからに乾いた枯葉が必ず何枚か吹き込んでいる。そんな季節の中を私たちは今、歩いている。
 先日、親しい友人の家を訪れる機会があった。
 初めての駅に降り立ち、待ち合わせ場所へ向かう。彼女の姿を見つけ、その彼女に案内されながらバスに乗る。しばらくバスに揺られ、私たちは町の奥へ奥へ奥へ。
 降り立ったバス停から彼女に連れられて歩き出すと、一番最初に出会ったのは小さな銀杏並木。銀杏はどの樹ももうすっかり枝から葉を落とし、その葉が今、絨毯のように樹の足元を包み込んでいる。そのすぐ脇には、穂をいっぱいに広げた芒が、さややさややと風に揺れる。
 右に曲がったり左に曲がったり。くねくねとうねる道筋。のぼったり降りたりする道面。横浜人の私には、その坂道の在り様はとても馴染み深いもの。少々息を切らしながらも、これが坂道なのよねぇなんて言いながら歩いてみる。
 しばらく歩くと、何ともいえない匂いが私の鼻をくすぐり始める。あぁこの匂いは。そう思っているところに、彼女が、ここにいっぱい豚さんがいるのよね、と教えてくれる。そうそう、豚さん、動物の匂い。畜舎のすぐ脇を通り、私たちはさらに奥へ奥へ。この辺りで小さい頃さんざん遊んだんだと彼女が指す指の先は、今も残る草の原、その隣には竹林に埋まる斜面。季節は師走。今彼らの姿はみな、枯れ果てているけれども、これがもし春だったなら、ここはどんな風景に染まるのだろう。私はちょっと立ち止まり想像してみる。青々とした草いきれの只中を走り回る子供らの姿を。今もまだそんな光景が、この辺りには残っているのかもしれない、そう思うと、なんだかとても嬉しくなった。まだまだ街だって捨てたもんじゃない、なんて。
 そうやって、幾つもの坂をのぼっておりて、彼女の実家に辿り着く。両親は留守だからというお宅にお邪魔する。彼女について玄関を入り居間へ。そこで私は思わず、息を呑む。
 あぁ、なんていい匂いがするんだろう。
 いや、正確には、匂いなんて何もしなかった。でも。
 何と表現すればいいのだろう、人が生きている匂い、人が生活を営んでいる匂い、人がここで寛いだりじゃれついたりするのだろう匂いが、部屋いっぱいに漂っている、そんな感じがしたのだ。
 ここには時間が降り積もっている。そう思った。
 いやぁ物が多くてすごいでしょ、適当に座って。彼女がそう言って笑う。いや、いいねぇこの部屋。天井もものすごく高くて。私はそう返事をしながら、背筋を伸ばす。そう、居間の天井は高く、中でも奥の天井には天窓があって、そこから午後のあたたかい日差しが今、さんさんと部屋に降り注いでいるところだった。
 あ、チビだ。彼女の声に振り向くと、庭へ続く窓の足元に小さな猫の顔が。ご飯食べに来たんだと言って彼女が当たり前のように窓を開ける。ご飯食べる? にゃん。そしてその猫は、彼女が用意してくれたひとかたまりのドライフードを、はぐはぐと食べる。そして食べ終えるとやがて、すぅっといなくなる。
 彼女がちょっと遅めの昼食を用意していてくれる間、私は部屋をゆっくりと呼吸して回った。部屋中あちこちに置かれた写真はみな、家族のもので、何処を向いても必ず幾つもの家族の顔にぶつかる。少し色あせた写真、最近の写真、みな混ぜこぜに、でもそれが何の違和感も無く空間に馴染んでいる。私はそうして部屋のあちこちを眺め呼吸している間に、なんとなく眠たくなってきてしまった。この部屋なら、安心して昼寝ができるのかもしれないなぁ、そんなことが頭に浮かび、ちょっと笑えた。初めてお邪魔した友人の実家で昼寝したくなったなんて、全くなんて奴なんだろう、あたしは。普段昼寝なんて殆どしたことがないというのに。でも、ここで昼寝をしたら、そう、入れたての蜂蜜ゆず茶みたいに甘酸っぱいあったかい味がするんだろうな。そう思わせる、そんな匂いが、この部屋中に満ち満ちていた。
 本棚も壁も柱もみな、何年も何十年もここで時を重ねたような、そんな色合いを帯びている。物と人と時間が調和し、やわらかな静寂となって今ここに降り積もっている。確かに彼女が言う通り、物がいっぱい溢れかえっているけれども、そのどれもに、家族それぞれの愛着が感じられ、それらが山積みになるこの部屋には、その愛着から発せられる小さなシャボン玉のような懐かしさが、絶え間なく漂っている。だから、こんなにも心地いい。
 私は台所で忙しく立ち働く彼女の背中を振り向きながら、思う。そう、もちろん、いいことばかりじゃぁなかただろう。この部屋で諍いだってあっただろう、彼女にとっては辛い思い出もきっと、いっぱいあっただろう。でも。でも、何故だろう、そのすべてがいとおしくなるような、そんな匂いがここにはある、そんな気にさせられるのだ。それは私がここに他人としてお邪魔したせいかもしれない。それでも。
 その時、心にほんの少し、寂しさというか切なさのような味が浮かぶ。そうだった、私は、こんな部屋が欲しかったのだった。ずっとずっと、こんな部屋が家族の間にあったらと夢見ていた。私が知っている父母と過ごした居間は、いつでも整然と整頓され、何の匂いもそこに存在することは許されなかった。居間でごろりと横になって休むなんていう行為はもちろん、そこでおしゃべりし長いこと時間を過ごすなどということもあり得なかった。いつだって部屋はしんとし、冷たく、ただそこに空っぽになって在った。年を重ねるごとに、その冷たさや空っぽさを強く感じるようになり、私も弟も、居間に近寄らなくなった。家族が居間のテーブルに集まって食事をするなんてこともあっという間になくなり、私たち家族は、同じ屋根の下にいても、同じ空間で共に時を過ごすなどということは、これっぽっちもありえなかった。でも、この部屋には。この部屋には、家族の匂いがする。時間の匂いがする。乾いた干草の匂いがする。それはやっぱり、羨ましいくらいの匂い、なのだった。
 彼女が作ってくれたスパゲティを食べながらあれこれおしゃべりをする。喉が渇けばお茶を飲み、そのお茶はまたあっという間になくなって次を注ぐ。時計の針も盤の上をスキップして進み、気づけば天窓から日差しは遠のき、部屋が少しずつ黄昏れ始めていた。
 友人に最寄のバス停まで送ってもらい帰る道々、心の中何度もあの部屋の匂いを思い出す。あんな空間を、娘と暮らす屋根の下にも作ることができたら。彼女も私も、そこにいつまでもいたくなるような空間を、作り出すことができたら。その為には、私はどんなふうに空間を、時間を愛したらいいんだろう。正直、よく分からない。今まで、そんな空間が欲しいなと常々思っていたけれども、それを間近でこんなふうに味わったのは、私にとって殆ど初めてに等しかった。ただ望んだからとてそれは手に入るものじゃないんだろう。長い時間をかけておのずと生まれ来るものに違いない。

 娘が眠るその規則正しい寝息を右の耳で感じながら、私は小さな灯りの下、キーボードを打ち続ける。幾つもの言葉を打ち込み、時にマウスで画像を操作し、一個一個仕事を仕上げていく。そうして気づけば真夜中になり、満月は天辺を通り過ぎる。
 それにしても。なんて慌しいばかりの毎日なんだろう。加害者に再会し、父とのわだかまりが露わになり、娘が父に叫び父が私に声をかけ、私は途方にくれる。ぐるぐる、ぐるぐると時間が状況が変化し、私は半ば、もうそれについていけなくなっている。少し何処かで休みたい。心底そう思う。
 辛い思い出も、楽しい思い出で覆えるよ。
 ついさっき、友達から届いた言葉を舌の上で転がしてみる。覆える? 覆えるんだろうか? どうなんだろう? でも。
 覆えたらいいな、と思う。たとえもしそれが、すぐには叶わなかったとしても、怖いからといってその場所を避け続けているよりも、こわごわ足を踏み出して、とりあえず落とし穴に落ちてみるのもいい。幾つもの落とし穴に落ちていくうちに、多分、落とし穴の場所だって覚えるだろう。そしたら、その場所を埋める術だって、いつか、いつの日か、見つかるかもしれない。
 信じないでいるよりも思い切って信じてしまえ。昔何処かでそんな言葉を聞いた。そう、信じないでいるより信じて騙される方がずっとましだ。転んでちぇっと舌打ちすることになっても、諦めないぞと起き上がってまたスキップして進む方が、旅の道程はずっと楽しい。
 まん丸の月が西に傾き出す。地平線に近づくほど膨らんでゆくその円。そろそろ娘の隣に横になろう。多分少しくらい、眠れる。


2005年12月10日(土) 
 別に何も特別なことなどなく、用事を済ますために外出し、用事を済ますために駅に行き電車に乗り、用事を済ますために人ごみにまみれ。
 そして気づいた。
 黒い人影すべてが、加害者の影に重なって、だぶって見える。
 この感覚は、被害に遭ってから五年以上の間、さんざん悩まされた感覚と酷似していた。何故、なんで今頃また? そう思いかけて、はたと気づいた。そうか、ついこの間私はその人に会ったのだった、今見えるのはその時私の目の前に現れた影だ、と。そして、笑い出してしまった、ひとり、人ごみの中で。
 多分、とても滑稽に違いない、周囲の人たちから見たら今の自分の様子はおかしく思われているに違いない、そう思えて、私は慌てて携帯電話に手を伸ばす。電車の中だったけれど、そんなことに今構っていられないと思ってダイヤルを回す。
 仕事の最中だというのに、彼女はすぐ私の電話に出てくれ、ちょっと待っててと電話を繋げていてくれた。つい昨日、彼女がどれほど今忙しいかを知らされていたにも関わらず電話をかけた私に、彼女は何も言わず、大丈夫と声をかけてくれる。私は思わずその彼女に甘えてしまった。怒涛のように自分の内奥から溢れ出てくる奇妙奇天烈な嘲笑を、彼女に吐露し、へたりこんだ。彼女が電話の向こうで言う、私もそうだったよ、うん、分かるよ、大丈夫? 今あなたがそうなってしまうのは当たり前だよ、おかしくないよ、いつでも電話して、遠慮なんかしないで、大丈夫だから、ね! 私は、そんな彼女の声に必死に耳をくっつけていた。電車がトンネルの中に入ってしまうまで、私はそうやって彼女にすがっていた。
 その後さらに済ませなければならない用事のために、私は人ごみに再び分け入ってゆく。ぐらぐらと揺れる視界。だめだ、どうしよう、このままじゃ倒れる、そう思ったとき、突然私の耳の奥から響いてきたものがあった。娘の、歌声だった。
 「アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを さぁ踊りましょ ランラララランランランラン ランラララランランラン ランラララランランランラン ランランランランラン・・・」。彼女が新しく保育園で覚えてきて、その三番の歌詞が気に入って、最近は四六時中この歌を歌っていた。その声が、今、聴こえる。
 「・・・おーばけやしきで ひるねをすれば ひのたまこぞうが あちちのち あちちのあちちち あちちのあちち あちちのあちちち あちちのち!」。彼女が先生から教わってきたこの三番の歌詞は、もともとのアメリカ民謡の歌詞にはない。だから、ママしらない、びっくり、と声を上げたら、彼女は思い切りにかっと笑って、ママ知らないの? だめじゃーん! と言ったのだった。そして、繰り返し繰り返し、歌ってくれたのだった。
 気づいたら、私は、小さな声で、耳の奥から響いてくる、記憶の中から響いてくる彼女の歌声に合わせて歌っていた。繰り返し繰り返し、歌っていた。
 その最中にも、時折、津波のような発作が地の底からぐわんと襲ってくる。私はそのたび、こぶしを握り締めたり開いたりし、ぶるぶる身体が震えだすのを何とかなだめ、そして、歌った。それでもどうしようもなくなって咄嗟に頓服を口に放り込む。こんなの効きやしないかもしれない、けど、何もしないよりマシだ、今はとにかくここを乗り切らなきゃ、私は必死に自分に言い聞かせた。そしてまた歌った。すれ違う人全てが怖い、あのときみたいに唐突に襲われそうで怖い、そんな恐怖がひたひたと私にくっついてきた。だから私はまた歌った。歌って歌って歌って、そして歩いた。
 あの角を曲がれば、大通りへ。あそこの通りは銀杏並木で、広い広い道の両側に高い高い銀杏が並んでいる。私は思わず小走りになって角を曲がる。そして。
 私の両目に飛び込んできたのは、さんざめく黄色い黄色い銀杏の葉と、太く黒い幹に光る幾千幾億もの小さい灯りたちだった。あぁ。思わず私は声を漏らす。歌が途切れる。あぁ、これをみうに見せたら、娘に見せたら、きっと飛び跳ねて喜ぶに違いない。そう思った瞬間、ぽろぽろと涙が零れてきた。でもそれは。哀しくて辛い涙じゃなかった。嬉しくて切ない涙だった。
 みう、ママはあなたのこと間違いなく愛してる、確かに愛してる、こんなにも愛してる。あなたが笑っていてくれるなら、私は何だってできる。
 膝から力がかくんと抜けて、私は思わずよろける。近くのベンチによりかかり、私はもう一度、この光景を見つめる。
 みう、今度ここに一緒に来よう、夜出歩くのは苦手だけれど、でも、あなたと一緒にここに来よう、そして、二人できっとこの光景を眺めようね、心の中で、そんなことを呟いた。彼女の気配が私のうなじの辺りでふわりと匂った。私は目を閉じ、しばらくその気配に耳を澄ました。大丈夫、私は大丈夫、さぁ家に帰ろう。
 残り半分の道のりを、私はそうして歩き出した。もちろん、アルプス一万尺を小さい声で歌いながら。

 加害者と会うということは、こういうことを引き起こす可能性があることを、私は知っていた筈だった。覚悟していた筈だった。でも。こんなにも明らかに現れ出ることまでは、多分、覚悟していなかった。
 もしかしたら、これからまた何年か、この感覚に私は悩まされるのかもしれない。それほどに、今、私の中に加害者の影は、改めて明らかに現れてきてしまった。あの時目の前に存在した加害者が、今この瞬間にもありありと、まるで今ここにいるかのように思い出されてしまう。
 それでも。
 何故だろう、あの日のあの機会を、後悔する気持ちは、私の中には無いのだった。不思議だ。どうしてだろう。こんなにも今しんどいのに。こんなにも今辛いのに、それでも、あのことを後悔する気持ちにはならない。全ての人に、こんな機会が必要だとは私は思わないし、逆に、そんな機会を経ない方がいい場合の方が多いとむしろ思っている。けれど、多分私には、必要なことだったのだろう。これから何年かの間、またああした感覚に四六時中悩まされ、日常生活がまたぐらりと揺らぐとしても。きっとその先に、そうしたトンネルを抜けた先に、私が得たい何かが、あるのかも、しれない。
 ようやく辿り着いた玄関の鍵を開け、部屋に入る。この週末は、娘は実家に泊まりにいっている。私はひとりで、幾つかの仕事をこなさなければならない。展覧会の会場にもせめて何時間かは顔を出したい。でもそのためにはまた、人ごみにまみれなければならない。そしてそれは、多分、また、私に襲い掛かってくるに違いない。でも。
 それもまた、一興。私は、ミルクパンで牛乳を温め、濃いめのミルクティを作る。最後にシナモンをひとふりして、そのマグカップを両手で抱え、いつもの窓際の椅子に座る。そして、また、アルプス一万尺を歌ってみる。三番の、娘が教えてくれた歌詞を歌いながら、私は思わずぷっと吹き出してしまう。お化け屋敷で昼寝をすれば、なんて歌詞、一体誰が考え出したんだろう。しかも、火の玉小僧があちちのち、だなんて、なんて洒落たこと考え付く人なのかしら。

 ミルクティを一口。ああ、あったかい、な。


2005年12月08日(木) 
 もう太陽は、西の地平線の下に沈んでしまった。私は窓際に立って、空をぐるりと見回してみる。天はからんと音がしそうなほどからっぽに澄み渡り、雲は低く低く、地平線の辺りにぷかぷかと漂っている。残光に照らされて、少し鼠色がかった雲がただじっと佇んでいる。
 疲れていた。自分でも驚くほど、私はとてつもなく疲れていた。普段横になったって殆ど眠ることのできない自分だというのに、昨夜ばかりは、ずしんと沼の底に落とされたように眠った。時折これでもかというほどはっきりと目覚め、そのたび私はうろたえ、部屋の中をぐるぐる歩いた。歩いても歩いても何にもならないことを痛感し、そうだ、今はただ眠るしかないのだと自分を納得させ、再び横になる、そんなことを繰り返していた。
 夢も見ない眠りを私が得たなどというのは、一体どのくらいぶりだろう。思い出すこともできないほど、もうはるか昔のことだったと思う。朝起きて、娘に怒られてしまった。ママ、昨日、嘘ついたでしょ。嘘? 嘘なんてついてないよ。ううん、嘘ついた。ママが何嘘ついたの? だって、みうより先にママ寝ちゃったじゃないっ! あ…。みうより先に寝ないでって約束してるのに! ママ嘘ついた! …嘘、ついたわけじゃないんだけど、だってどうしようもなかったんだもん…。ママ、嘘ついたもん。…ごめん。
 そんな娘を保育園に送り届け、その後再び部屋に戻る。しばらく悩んだ挙句、今日の仕事をキャンセルする。その電話を切った途端、ぐらりと身体が揺れる。私はあっという間に眠りの中に再び落ち込んでゆく。
 ようやっと目を覚ましたのは昼頃だった。思いがけない自分の失態に慌てて、私は部屋の掃除やら何やらとりあえず始めてみる。送らなければならない荷物を梱包し、近くの郵便局まで自転車を走らせる。戻ってきて今度は、回しておいた洗濯機から洗濯物を取り出し、ベランダに次々干してみる。そして最後、もう半年以上放置したままだった、Mちゃんから預かった洋服の染色を始めてみる。

 何色に染めようか。Mちゃんから預かった数枚の服をめくりながら考える。緑がいいか。今度は窓の外、空を見上げて考えてみる。水色がいいか。今度は視線を落としてプランターの中の芽を眺めながら考える。きれいなオレンジ色はどうだろう。いや、それも違う、か。そして最後、もうすっかり冷めた紅茶を一口飲んで考える。そうだ、真っ青がいい。
 私は立ち上がり、大きなバケツにお湯を張る。真っ青、真っ青、そう言いながら染水を作り始めたはずなのに、私は何故か灰色にも手を伸ばしており。青に灰、青に灰、いつの間にか呟きも変わってしまっていた。
 でも、こんな色を作ったことはこれまでない。さて、どのくらいの加減で作ったらいいだろう、ぶつぶつ口の中で独り言を唱えながら、私はお湯の中に手を入れ温度を確かめる。青を5、灰色を1、そのくらいでどうだろう。とりあえず色を混ぜてみる。何処か違う気がする、でも。とりあえずこれでやってみようか。
 私は、お湯で予め濡らしておいた服をバケツの中に沈めてゆく。要らない棒切れがあればそれでかきまぜるのだけれども、今日はあいにくそういった代物が見つからない。私は自分の右手をバケツの中に沈ませる。そして、ゆっくりゆっくり、かき混ぜ始める。
 白い布の服、少しクリーム色がかった布の服、この長い布はスカート…。手に絡まる布の感触を楽しみながら、私はバケツの中、手のひらをひらひらさせる。時々布を引き上げて空気に晒す。すると、色が私の目の前でふわりと変化する。さっきまでくぐもっていた青色が、鮮やかに輝き出す。私はその色にうっとりため息をつき、再び服をぬるま湯に漬ける。
 一〇分、二〇分、私はひたすらバケツの中で手のひらをひらひらさせ続ける。青い湯はバケツの中で、さわさわとさざなみを立て続ける。そろそろいいだろうか。私は試しに、一番長い布であるスカートを引き上げてみる。あ。
 やられた。私は思わず舌打ちをする。ずっと同じようにお湯をかきまぜていたつもりだったのに、それはあまりに斑のある染まり方だった。さて、どうしよう。私はとりあえず水場の樋に軽く腰をおろし、首を傾げて考える。仕方ない、もう一度最初からやり直そう。私はバケツをひっくりかえし、今度はさっきより少し熱めの湯を入れる。青を2に灰を1。今度はそんな分量で色を作る。これじゃ、最初の予定の真っ青からは離れてしまうけれど、それもまた一興。私は開き直って、新しい染水をぐるぐるかき回す。さて、布を入れようか。
 軽く絞った布を、次々新しい染水の中に入れてゆく。今度こそむらが出来ないようにかき回さないと。私は左手で右袖をぐいっと捲くり直し、腕をぐいと奥まで入れる。そしてぐぅるり、ぐうるり、かき回す。
 こんな時。私の頭の中はたいてい空っぽだ。動き回っているのは私の目の玉と片腕だけで、他は何も考えていない。たとえば、さっきまでのあの疲れは何だったんだろうとか、できればもう少しぐてっと休みたいよなあとか、もしも今染色作業をしていなければ、多分私の頭の何処かで巡っていただろう雑念も、すっかり姿を消してしまう。ただ一心に、染水を見つめ、腕を動かす、それのみ、だ。
 どのくらい時間が経っただろう。そろそろいいかもしれない、と、私はゆっくり布を引き上げる。そして。
 思わず、やった、と声を上げてしまう。斑はすっかりなくなり、布はほんのり灰色の混じったやわらかい青色に染まっていた。私の目の前に、青灰色の世界が広がる。嬉しくなって、私は何度も何度も布をひっくり返して眺めてみる。そしてそおっと、布を絞り、物干しに吊り下げてゆく。
 布を吊り下げながらふと私の口に浮かんだのは、懐かしい歌、「今日の日はさようなら」。小学校の卒業式の練習で、何度も何度も歌ったあの歌。もう忘れたと思っていたのに、私の脳細胞も捨てたもんじゃないななんてちょっと思う。すらすらと口から零れる歌詞、今更ながら、その意味を私は省みる。
 “いつまでも絶えることなく/友だちでいよう/明日の日を夢見て/希望の道を 2.空を飛ぶ鳥のように/自由に生きる/今日の日はさようなら/また会う日まで 3.信じあうよろこびを/大切にしよう/今日の日はさようなら/また会う日まで/また会う日まで”…(「今日の日はさようなら」作詞・作曲:金子詔一/唄:森山良子)。
 多分それは、どうってことのない毎日のあちこちに散らばっている、要するに、ありきたりの場面ばかりで。でも、特別なことなんてないそういった毎日が積み重なって、私たちの思い出は出来ていた。明日を信じない今日なんて、多分その頃はあり得なかった。いつだって明日を夢見、今をめいいっぱいの力で駆け抜け、息切れすることさえ忘れてた。如何に生きるのか何故生きるのか一体どうして自分なんて代物が生まれちまったのかなんてことにこれっぽっちの疑問も抱くことなく、ただまっすぐに、ひたすらに、生きていた。だからこそ多分、あの頃は、今日の日はさようなら、と、今日に手を振って軽々と見送ることができたのだ。多分、きっと。
 いつの間にか太陽は地平線に沈んでいた。私は布の影から、太陽が堕ちていった線を見つめる。まだ眩しいほどの橙色を抱いたその線は膨らんでいて、それがやがて、しっとりとした紺色に染まってゆくのだ。
 色を染める、色に染まる、色が染める。なんて不思議な現象なんだろう。今私の目の前で軽く風に揺れるこれらの青灰色の布は、多分明日の朝にはまた、異なる色合いになっているに違いない。空気に晒され、色は変わる。時間に晒され、色は変わる。一時もとどまることなく、人の目には捉えきれないゆっくりとした速度で、それでも、常に常に変化してゆく。

 染色と人間とは多分、似ている。人間も常に、何処かしら変化し続けている。変化しないということがあり得たとして、それもまた、変化の一つのカタチに違いないと私は思う。そして。
 二〇〇五年十二月七日。私は、加害者と会ったのだった。

 娘を迎えにゆくのにまだ少しだけ間がある。時計の針を見つめながら、私は半分だけとミルクティを入れる。すっかり青灰色に染まってしまった右手の人差し指と中指とで煙草をはさみ、火をつける。くゆらりと煙が薄く、天井へと立ち上る。私はゆっくりと、一口、二口、煙草を楽しむ。
 そう、会った。私は加害者と昨日会ったんだった。それは、とんでもなく唐突で、本当なら多分、私の人生にあり得なかった機会であり。でも確かに、間違いなく、あれは現実だった。私は加害者と対面し、しかもそれは偶然の再会ではなく私からの意志でもって会い、そして、私がこれまで抱え続けていたものを相手に投げかけたのだった。
 「おまえほど親不孝な娘は、恐らくこの世にはいないだろうよ」。年老いた父がそう呟いた。その声がありありと、今、私の耳の奥に蘇る。過去の出来事など忘れろと、それが生きるということなのだ、誰もが何かしら荷物を背負い生きている、そういうものだと私に説き続けてくれた父の気持ちを、今更にして裏切り、私に無理矢理、加害者との対面に立ち会わされた父。父がそう言った、そのときのあの、諦念に満ち満ちた眼の色を、私は多分、決して忘れることはないだろう。私はだから、ただ一言、ごめんね、と笑って応えた。それ以外に、どんな術があるだろう。
 私よりもずっと世間に長けた両親が、その人生の中で培ってきた常識というものを全部ひっくり返してまで、裏切ってまで、私はそれでも、加害者と会おうと思った。そして会った。そして。伝えた。いや、実際どれだけのことが私から加害者へ伝わったのか、それは分からない。実は、百分の一、千分の一、一億分の一さえも、何も伝わっていないかもしれない。それでも。会ったのだ。自ら伝えようとしたのだ、訴えたのだ、私は。それは、紛れもない現実だった。
 今はまだ、その時間を総括する言葉を私は持っていない。が、ひとつだけ、これだけは言える。これで私は初めて、ほんのひとかけらかもしれないけれども、あのことを自ら終わりにすることができた、と。

 青灰色に染まった布地がひらひらと揺れる。それはもう、闇色にすっかり溶け込んでおり。私はもう一度時計を見上げ、立ち上がる。もう娘を迎えに行かなければ。私はハンガーに掛けていた上着をひっかけ、鍵をポケットに押し込み、玄関を出る。玄関の向こうに広がるのは、一面の闇。そして、高層ビルの窓から漏れる幾つもの灯りの波。
 そう、今日もこうして終わってゆくのだ。そしてやがて明日がやってくる。だから私はまた、今日となる明日を、ここで生きる。


2005年12月04日(日) 
 眠れぬまま時計ばかりが進んでゆく。気がつけば、レースのカーテンの向こう、空が徐々に白み始めており。私はしばし、それを眺めて過ごす。でも、実際は、私の脳内は激しく振動し、結論を導き出そうと必死になっている。相反する極に引き裂かれたまま、私は、そのどちらにも赤の他人のふりをして、ただじっと、その場にしゃがみこむ。
 開け放した窓から滑り込んでくる風が、私の足元にじゃれつく。まだまだ凍えるような冷たさからは程遠く、ほんのり薄ら寒い程度の風。私は風の渦からそっと足を抜き上げ、一歩離れる。
 ベランダ、娘と植えた後ひとりで植えた球根たちの芽が、少しずつだけれども出始めた。丸い団子のような葉をにょっこり出す者、髭のようにちょろりんと葉を伸ばし出す者、かと思えば、薄いベニヤ板のように硬い硬い芽を、土の間からほんのこれっぽっち出してじっとしている者。皆が皆、姿が異なる。もともとは同じ種類のものであっても、同じように葉を広げるわけではない。中には、芽を出さぬまま土の中で腐り消えてゆく者だって在る。
 この小さなプランターをこうしてじっと見つめるたび、私は思う。或る意味、まるで人間世界の縮図のようだ、と。誰よりも強く伸びる為に右を追い越し左を追い越し、そうして葉を大きく広げ、他の者がその葉の影になってしまおうと何だろうと構わず己が道を突き進む者、追いやられ追いやられた挙句斜めに枝を伸ばしプランターの端から葉を垂らし、そこから必死に陽光を吸い込もうとする者。そして、私が時折プランターの向きを変えると、この強者弱者の構図がひっくり返ったりする。誰よりも先に、変化させられた環境に馴染みそれを享受する者が、結局、しかと生き残ってゆく。
 私は、殆どの場合、間引きをしない。やさしい心を持つなら間引いてやって、それぞれがみな、満足のゆくように育つよう、手をかけてやるべきなんだと思う。が、私はそれをしない。だから、この強者弱者の構図が露わにプランターの中に現れる。そして私はその構図を、じっと見つめている。
 この小さなプランターという世界、確かに人間世界に似ている。しかし、唯一、絶対的に違うものがある。それは、彼らは決して諦めない、ということだ。
 どんなに影にされようと、彼らは芽を伸ばす、枝を伸ばす。それがどんなに弱々しい葉であろうと、彼らは陽光の降り注ぐ方へと葉を必死に伸ばし、自ら何とかしようと身体をよじる。この、諦めない、という彼らの生へのエネルギーに、私はいつも、圧倒される。プランターの中なんて、サイズを図ったらたかが知れた面積だ。でもその僅かな場所の中で繰り広げられる彼らの生への営みは、その執着は、それを見つめる私に繰り返すのだ、諦めるな、何処までも諦めるな、我らはどんな小さな花であっても咲かせよう、そして子孫を残し、我らの命を次に繋ぐ、と。彼らの歌は淡々としていながら、同時に、果てしなく、強い。
 どのくらいそうしてしゃがみこんでいたのだろう。足が痺れてきたので、私はようやく立ち上がる。そして、ベランダの柵に手を置き、世界を見やる。バス停でバスを待つ者、腰を曲げてカートを引き買い物にゆくのだろう人、補助輪を外したばかりなのだろう自転車をぐらぐら揺らしながら賢明に漕いでゆく子供。そして空は何処までも晴れ上がり。誰の上にも降り注ぐ。

 前日、届いた知らせを確かめるため、私は県警の性犯罪被害相談室に電話をかける。そして尋ねてみる。性犯罪に時効がなくなったと耳にしたのですが、それは本当ですか。相談員がしばしの沈黙の後応えてくれる。それはありません、時効がなくなるということはあり得ません、どんな犯罪にも時効はあります、ただ、告訴の期間が無期限になった、と、そうういうことです。
 そうですか、ありがとうございました、と言って私は電話を切る。切った後も、しばし、受話器を握ったまま、私は電話の脇に立ち尽くす。
 そして、この知らせを届けてくれた友人に、このことを伝えるべきなのかそれとも黙っているべきなのか、ずいぶん迷う。性犯罪に時効がなくなった、というそのことは、恐らく、性犯罪被害者にとってとてもとても重要な事柄だろう、しかし、時効がなくなった、のではなく、告訴の期間に制限がなくなった、というのが真相らしいよ、と、一体私からどう話したらいいのだろう。私は途方にくれる。
 私はいったん電話のそばを離れる。そして、頭を冷やすために外に出る。とりあえず、腕の傷を治してもらっている病院に行き、消毒をしてもらい、包帯を巻きなおしてもらう。まだまだ治ってないんだからね、来週の月曜日もまた来なさいよ、先生の声に頭を下げて病院を出る。そして私は、ふと思い立って、埋立地の方まで歩いてみる。
 埋立地へ近づくほどに風は強くなり、私の髪の毛はびゅるびゅると煽られる。仕方なく腕にはめておいたゴムで髪を縛り、私はそのまま歩き続ける。
 歩き続ける私の脳裏は、いつの間にか激しく動き出し、いつ破裂してもおかしくないほどフラッシュバックに覆われる。私は埋立地に向かって歩いているはずなのに、いつの間にか、私の目は、埋立地のいつもの光景ではなくまるでブラックホールのような様相を写し始める。そのブラックホールの、奥へ向かって私は、歩き続けている。奥へ、奥へ、と。加害者の顔、あの時の衝撃、ぼろぼろになったストッキング、幾つもの擦り傷を作った足先、数日後に浮かび上がってきた両の太ももの大きな痣、そして何処までもついてくるあのいやな匂い、圧し掛かってくる人間の重み、すべてがあっという間で、すべてが幻のようで、それでいて、すべてが現実だった。それからの毎日は、針のむしろだった。出来事を知った人間たちの、心無い噂話、同時に、何処までも向けられる同情と好奇の目線、押し付けられてゆくレッテル。もうだめだとそこから逃げ出しても何処までもついてくる、全くの赤の他人が自分の脇に立った、それだけで悲鳴を上げる私の全神経、確実に崩れ出す日常、挙げ始めたらきりがない。そういったありとあらゆる映像が、私の脳裏を走馬灯のようにぐるぐると回る。万華鏡のように模様を変え形を変え、それでも追いかけてくる。
 呼吸が苦しくなり、胸元を押さえながら、交差点に見つけた珈琲屋に入る。寒いからなのか誰もいないベランダ席に私は逃げ込み、椅子に座り込む。はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、と、波打つ呼吸を少しずつ整え、私はようやく一息つく。
 少しずつ周囲の景色を見る余裕ができてきた私は、辺りをぼんやりと見やる。ここまだ開発途中の埋立地の中でも最も端っこゆえ、空き地の方がずっと多い。その所々にクレーン車がじっと置きっぱなしにされており、それを動かそうとする人影もまだ何処にも見えない。遠く車の行き交う音がなければ、まるで世界は止まっているかのように見えた。それを見つめる私も含めて。
 そして、改めて思い返す。性犯罪の時効が果たしてなくなることがあったとて、もちろん告訴の期間が無期限になったとて、もう今更、私には、それらは何の意味ももたないのだ、ということを。
 私は負けたのだ。裁判に負けた。証言を頼んだ友人たちの中には、その当日になって証言を翻す人もあった、加害者たちの中には、個人対個人では頭を下げていたくせに、いきなり自分に落ち度はなく、むしろ彼女の方に落ち度があり、これらの出来事は全て彼女の責任だと言い募る人もあった。結局、会社側が勝ち、私は負けた。そして何故か、その会社の社長のポケットマネーからだという十万円が、私の父に渡された。裁判に買った者が裁判に負けた者によこしたその十万円というのは、一体何だったんだろう。いまだに私には理解できない。
 そうやって、一度出てしまった結果を、今更もうどうやったって、覆すことはできないのだ。時効がいくら伸びようと、告訴期間がいくら無期限になろうと。私の状況は、何一つ、変わることは、ない。
 そのことを、自分で自分に声を出して言い切ったとき、ぽろりと涙が零れた。涙はしばらく止まってくれなくて、ぼろぼろと私の頬を零れた。鼻がつまり、少し息苦しくて、それでも涙はしばらく止まってくれなかった。でも、私の目は、見開かれたままだった。
 遠くに小さく見える海の欠片。漣さえここからでは感じることはできないけれど、それでも、そこに小さな海の欠片があった。だから私はひたすら見つめた。その小さな小さな、手のひらの中に納まってしまうほどの小さな海の欠片を。
 やがて涙は止まる。私は鞄に入れておいたハンドタオルで頬を拭う。今、私ができることはひとつ。私は左腕に巻いた腕時計で時間を確かめ、足早に駅へ向かう。
 私は電車に乗り、書簡集へ。扉を潜りマスターに挨拶をして横を見ると、こちらをやさしい眼差しで見つめていてくれる人がいた。あぁこの人だな、と思った。はじめまして、と挨拶をする。いつも私の写真を見に来てくれる人の一人で、今日初めて、ようやくお顔を拝見することが叶った。その方は口数の少ない方のようで、だから私は逆に、あれやこれや思いつくままひっきりなしに喋った。沈黙するのは申し訳ないような気がして。店の中には珈琲の香りがほんのりと漂い、時間もまったりと過ぎてゆく。
 最後にありがとうとまたぜひお会いしましょうと声を掛け合い、その方を見送る。残った私はもうしばらく店でぼんやりと時間を過ごし、また来週来ますねぇとマスターに告げて帰路につく。
 店を出、家へと向かいながら、私は思う。ほら、大丈夫。こんな状況になったって私は笑っていられる。そりゃぁ多少引きつった笑顔かもしれないけど、それでも笑っていられる。それだけの耐性は、この私にもできたはず。
 だから私はひとつ、決めていた。加害者に会おう、ということを。加害者の全てに会うことは不可能だ、ならせめて、直接的な加害者であるあの一人の人間に会おう。
 それがいいのか悪いのか、分からない。でも、もう私は決めた。このまま生きてゆくのは、あまりに重過ぎる。この十数年、私は必死に生きてきた。これからだって生きていきたい。でもそのためには、今のこの荷物のままじゃ、重すぎる。
 もちろん。会ったことによって、余計に荷物が重くなるのかもしれない。そういう可能性だってある。けれど。
 このまま終わらせられるなんて、いやだ。このまま終わらせられて黙っているなんて、もうできない。だから私は、会いにゆく。

 そのための手筈を、今、少しずつ整えている。こういうときに限って、誰よりも信頼し頼りにしている主治医がいないことは大きい。が、仕方がない。私の頭の中が、心の中が、加害者とあの事件のことに支配されてゆく。その時。
「ママ!」
 娘の声がする。はっとして彼女を振り返ると、彼女が大きな笑顔で私に言う。ほら、ママ、出来たよ、首飾りできた! 先日私が買ってやったのだ、大きな玉のビーズ一式を。ねぇママ、だからここ、結んで、みう、この首飾りしたい! だから私は洗物の手を止めて、はいはいと返事をしながら彼女の横にいく。ここはね、こうしてこうして、こうやって止めるんだよ。説明しながら彼女の目の前で結んでやる。んー、分かった、でも、難しいからこれはママがやってね、ははは、そうね、しばらくはママがやろうかね、うん、やってね! みう、次腕輪作る! えー、もう次の作るの?! うん、作る!
 それが夕方だろうと夜中だろうと、彼女は私の太陽だ。彼女の笑顔は私のエネルギーだ。そう、大丈夫、私はやっていける。まだまだやっていける。しぶとく逞しく、何処までも生きていける。


遠藤みちる HOMEMAIL

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