見つめる日々

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2005年11月30日(水) 
 開け放した窓から滑り込む風が、刻一刻、冷たくなってゆく。私は壁の時計を見やり、立ち上がる。そろそろ出掛けなければ。窓を閉め、灯りを消し、私は玄関を出る。
 にのみやさん。いつものように診察室の奥から先生の声が響いてくる。小さく返事をし、私は診察室のドアをくぐる。はい、そこに荷物置いて。緊張しなくていいから、右手で左手持っててちょうだいね。先生はてきぱきと動作する。
 あれ? また解いたの? あ、はい、あの、先生。何? 昨夜というか今朝方、ひどいパニックに陥って、意識が飛んでいる間にざくざく切ってしまって、それがあまりに酷かったので救急で病院に行きました。あぁなるほどね、縫ったの? うん、大丈夫だよ、これなら。…。じゃぁ今日はガーゼを取り替えて、と。
 先生は、余計なことを何も口にせず、淡々と包帯を巻く。そして最後に、いつものようにやっぱりこう言う。明日また来なさいね。私が明日来なくても、それでも先生は同じことを言ってくれる。その声に私は頭を下げ、診察室を出る。
 今日はここから保育園まで自転車を漕ぐ。自転車を漕ぐなんて、どのくらいぶりだろう。正直、坂道をのぼる自信は皆無である。が、平らな道なら、娘を乗せても多分、何とか走れるだろう。自分にそう納得させ、私はペダルを漕ぎ始める。
 保育園に迎えにゆくのも、どのくらいぶりだろう。娘が教室から転がるように飛び出してくる。ママー! 彼女に飛びつかれると、私の身体はぐらりと揺らぐ。何とか足を踏ん張って倒れないように姿勢を保つ。そして、みうぅぅと名前を呼びながら、私もぎゅぅと抱き返す。
 ここからはもう、途切れることのないおしゃべりの始まりだ。離れていた時間をぎゅうぎゅう埋め尽くす勢いで、娘が喋る。私は相槌を打つ。また娘が喋る。私は相槌を打つ。その繰り返し。その合間合間に、彼女が私にキスをする。だから私もキスをする。
 家に辿り着き、玄関を開けた時、彼女が大きな声で言った。「ただいまぁ!」。そして、部屋の中のあらゆるものに、ただいま、元気だった?と話しかけ、彼女は部屋の奥へと進んでゆく。そんな彼女の後姿を見つめていると、言葉にしようのない何者かが、私の心の奥底から沸きあがってくる。だから心の中で一言だけ、呟く。ごめんね、みう、寂しい思いをさせて。そう呟く、心の中で。
 着替え終えた彼女が突然言う。ねぇママ、みうのお花どうなってる? ちゃんと覚えてたのね、みう、えらいなぁ、ベランダ見てごらん。扉を開けた彼女がわぁと声を上げる。すごいすごい、大きくなってる、ママ、すごいね、こんなに大きくなったんだね。うん、そうだよ、みうがいない間、ママがお水やってたからね、明日からはまた、みうがお水をやってね。うん、みうがやるよ、ママ、みうがいない間お水やっててくれてありがとうね。…何言ってんの、みうは、当たり前でしょう? ママ、好きー! ママもみうのこと大好きー! そうして私たちはまた、ぎゅうぎゅうと抱き合ってキスをする。

 みうは前より早く眠れるようになったんだよ、と言いながら、一生懸命目を瞑り、何とか眠り込んだ娘の寝顔を眺めながら、私はぼんやりと、昨晩のことを思い出す。
 その時間は唐突にやってきた。何が引き金になったのか、よく覚えていない。ただ、意識が失われる前、かつての加害者たちの姿が走馬灯のように私の脳裏を走った、そのことだけは覚えている。
 そして気づいた時には、辺りが血だらけだった。着ていたスウェットも机の上にも、血がたっぷりと溜まり、それは雑巾を四枚使っても拭き取れないほどの量で。その間にも私の腕からはぽたぽたと血が滴り。
 自分が正気に戻る一瞬前の映像が、何故か鮮明に蘇る。刃を引くそばからぴゅぅと飛び出す血飛沫が、美しい円弧を描いて地に堕ちる、その映像が。ぴゅうと飛んで弧を描き地に堕ちる血は、しばらく止まることなく円弧を描き続けており。私はその円弧の美しさにただ魅入っていた。
 そして意識を取り戻した私は、辺りに散らばるあまりの血の量に呆然とし、しばし、これは何から手をつけたらいいのだろう、なんて思っていた。
 そして結局、病院の世話になる。
 病院の救急入口には、ぽつんと小さな灯りがついており。それはひっそりと佇んでおり。私はその扉を潜る。あらかじめ電話をしておいたため、看護婦さんがすぐに気づいてくれ、処置室に導かれる。そして施される治療。これほどぼたぼたと血を滴らせているのに、私の腕には全く痛みというものは存在しなかった。だから私は、淡々と世界を見つめていた。てきぱきと指示を出す医者の声、それに合わせて動く看護婦の手。最後に鎮静剤を打たれて部屋を出る。救急の入口を出る頃には、東の地平線が薄く、夜明けの気配を孕んで膨らんでいた。その膨らみに引き寄せられ、私は少し歩く。埋立地を吹く風はびゅうびゅうと唸り、私の髪を嬲る。コートの襟をくいと引き寄せ、私は一歩、また一歩と歩く。誰も居ない。誰も居ない。そしてまた風がびゅうと吹く。その風は私の足元で渦巻き、落ち葉をくるくると躍らせてみせる。私はその渦を、ひとつ踏んで、先へ進む。
 埋立地の先端は海に接している。私は海と向き合うようにして立つ。東の地平線がますます膨らんでゆく。海は黒く暗く、さざなみだっている。
 私の目は、真っ直ぐに海を見つめている。一瞬たりとも止まることを知らぬ海の漣を、じっと見つめている。同時に、私の目は私の脳裏を凝視している。私の脳裏に浮かぶ像を、凝視している。
 ぱっくりと開いた傷口。その傷口の奥に潜む肉襞。白い層を突き破ってこちら側に覗き出てくる肉襞。流れ続ける血の色。そんな傷が何本も引かれた腕。手首から肘までみっしりと埋め尽くす傷。そのどれもがぱっくりと口を開けている。それを見下ろしながら私は、まるでつばめの雛のようだなと自分が思ったことを思い出す。口を開けてぴいぴいと鳴き、親鳥を呼ぶ雛。あのぱっくりと開いた嘴が、私の傷口と重なり合って見えたのだった。ぱっくり、ぱっくり、と。でも、私の傷口は鳴かないし餌を求めもしない。代わりに、血を吐き出す。ぴゅうぴゅうと。それに飽きるとやがて沈黙し、泥のように眠る。口を開けたまま。
 今、地平線が割れた。その瞬間、真っ直ぐに私を射る光。これが光だ、と、思った。何故だろう、私はそんなことを思った。そして、真っ直ぐに立っていた。広がりゆく陽光を一身に浴びながら。

 家に戻り、まだ汚れている床を拭く。汚れた雑巾をゴミ袋に入れ、口を結ぶ。そろそろゴミ収集車が来る時間だ。私は雑巾を入れ込んだゴミ袋を、あっさりと捨てにゆく。マンションの出入り口ですれ違う隣人。おはようございます、とにっこり挨拶を交わす。寒くなりましたねぇ、と言うその人に、ほんと、あっという間ですねぇ、と、言葉を返す。一日はそうやってまた、始まってゆく。

 今、娘の寝顔を眺めながら、私は今日一日の出来事をそうして思い出している。そして、左腕、包帯の上からそっと撫でてみる。大丈夫、今夜は意識を飛ばしたりなんかしない。意識を飛ばして、自分の知らないところで腕を切り刻んだりしない。
 ふと思い出して、娘の枕元の目覚まし時計を手に取る。明日いつもより早起きしたいの、ママ、起こしてね。娘がそう言っていた。だから、いつもより三十分ほど時刻を早めておく。早く起きた分で、ベランダの花たちの世話をすると彼女は言っていた。そうだ、彼女が留守の間に二つ増やしたプランター、何を植えたのか明日教えてあげよう。植える時期が遅くなってしまったから果たして無事に芽を出すかどうか分からないけれど、それはそれ、冬を飾る花はきっと春を連れてくる。私と娘のところへ。
 きっと。


2005年11月27日(日) 
 明るく澄んだ陽光が、街に、ベランダに、降り注ぐ。開け放した窓からは、微かな風がしゅるりと滑り込み、時折カーテンと戯れている。
 病院と部屋とを往復する毎日が続いている。それでも、少しずつ少しずつ、身体が動くようになっている気はする。そしてはたと気づく。たとえば、それまで当たり前に乗っていた自転車を漕ぐ力が、まるっきりなくなっているということ。たとえば、それまで何の躊躇いもなく駆け上がっていた四階分の階段が、一階分さえ歩いて昇れなくなっているということ。それほどに私の体力は、この短い間に落ちたということか。それを省みると、まず私が今しなくてはならないことは、体力を取り戻すことらしい。さて、何から始めようか。こんな、部屋中に掃除機をかけるだけではぁはぁ息を切らしてしまうような具合では、娘の相手はとてもじゃないが務まらない。早く何とかしなければ。
 ベランダのプランターの中では、球根が順調に育っている。彼らの様子を見ていると、どの世界にも、弱肉強食といった構図が在るのだなということを知らされる。強い球根はぐいぐいとその芽をその葉を押し広げ、陽光を全身に浴びようと手を広げる。その影で、芽を出し遅れた者が、ちんまりと芽を出し、ぷるぷると震えている。強者の陰になって、陽光を浴びることは殆ど叶わず、だから日に日に、強者と彼との差は広がるばかり。プランターの向きを変えて凍える彼に陽光を浴びせてやりたいと試みるも、強者は容赦がない。向きを変えられれば変えられたで、自ら葉の向きを変え、陽光を奪いにかかる。この強弱のピラミッドを、ひっくり返すことは容易ではないらしい。人間の世界でも植物の世界でも、そうやって弱者はやがて淘汰されてゆくのだろう。私は、プランターというこの限られた小さな世界を見つめるほどに、そのことを痛感させられる。それでも。それでも、どんな弱者であっても、このプランターの世界の中で彼らは決して諦めることはしない。どんなに陰になって、どんなに縮こまることになったとしても、彼らは懸命に芽を出し葉を広げ、自分なりの生を全うしようと全身で努める。弱者は何処までいっても弱者、強者もまた何処までいっても強者、なのかもしれない。が、それでも、弱者は弱者として、全身で生き、全身で花を咲かせるのだ。私はそんな彼らの歌声にいつも、遠くから支えられている。
 表面的なことは別にして、底まで打ち明けるのはたいてい、主治医にだけだ。それだって、結構時間がかかる。その事が起きて、私がそれを言語化できるようにならなければ、伝えることは出来ない。
 実際にそれが始まったのは、もう二週間くらい前になる。ようやくそのことを言葉に還元できるようになって、私はぼそぼそと主治医に伝える。外出先で意識が突然ぷっつりと途切れること、そして気づくと、公衆トイレなどといった他人が入り込みようのない場所で刃を片手に座り込んでいること、そして左腕には幾つもの傷が、どうしようもなく横たわっていること。先生、外出先でまでそんな具合になってしまうのってまずいですよね。そうね、まずいわね、下手すると警察に捕まっちゃうわよ。えぇっ、そうなんですか? そうよ、銃刀法違反で捕まっちゃう可能性があるわねぇ。うーん、警察に関わるのはいやです、いやな思い出しかない。じゃぁどうにか避けるしかないわよねぇ、しばらく頓服を何種類か多めに出しておくから、それで何とかしのいでくれる? そうできるように頑張ります、はい。…ねぇ、さをりさん。はい。よくここまで生き延びてきたよね。…。覚えてる? 毎日のように病院に来てた頃、腕を切り刻むこと以外何もできなかった頃、人がそこにいるだけでパニックを起こしてた頃。そういう時期がありましたねぇ、ほんと。そうでしょう? あの時期をあなたは、必死に生き延びてきたのよね。そうなんでしょうか。すごいことだと思うわ。はぁ…。他の誰がどう言うかは知らない、でも、私は、すごいことだと思う、すごいなっていつも思ってるのよ。…。今またしんどい時期がきてしまっているけど、でも、あなたならきっと乗り越えられる。…。ここまでの道のり、あなたはちゃんと自分の足で立って自分の足で歩いて、そうして生き延びてきたのよ。間違いなくあなたはひとりで立って、ひとりで歩いてここまで来たの。そんな自分を、信じてね。…。
 病院からの帰り道、これまで私が歩んできた様々な場面がフラッシュバックする。電車の中、私は目を閉じ、窓に寄りかかり、その様を眺めている。良かったとか悪かったとか、悲惨だったとか辛かったとか、そういったものはもうなくて、ただ現実にあったことだけが早送りのフィルムのように私の網膜を流れてゆく。淡々と、淡々と。
 多分、私は、先生が言うように、これから先も生き延びるだろう。どういうことがあれ、生き延びてゆくだろう。私は多分、そういう人間だ。

 週半ば、遠く西の街に住む友人がやってくる。私の展覧会を見るためだけに、松葉杖をつきながらやってくる。挨拶代わりにやぁと上げてくれた彼女の片手が、なんだかやけに明るく光って見えて、私は少し照れてしまう。
 酒好きな彼女は、くいくいとグラスを開けながら、からからと笑う。一年前、彼女はとんでもなく堕ちていた。グラスを持つ指先はぶるぶると震え、震えながらも酒をかっくらい、呂律の回らなくなった口でひっきりなしに苦悩を吐き出していた。でも今、彼女は、同じように酒を飲みながらもからからと笑い、そしてその目は、しっかりと焦点が合っており。私は、そんな彼女の様子を、とても嬉しい心持で眺める。ここに辿り着くまでに、彼女の道のりにはきっといろんなことがあっただろう。それでも今彼女の目はちゃんと前を向き、自分から逃げようとせずちゃんと自分と向き合い、そして、他者と向き合おうとしている。もしかしたら、たとえば一ヵ月後、彼女はまた奈落の底に突き落とされるかもしれない。でも、彼女はきっとまた、這い上がる。這い上がってくる。私は、おいしそうに酒を飲む彼女の横顔に、心の中話しかける。大丈夫、あんたに何かあったら、私も未海も飛んでいくよ、いや、それ以前に、あなたはきっと自分の足で立ち上がる、私たちはそれをいつだって信じてる、立ち上がるために必要な手だったら、いつだって差し出すよ、そう、もし私が同じ状況に陥ったら、あなたも同じ事を私にしてくれるに違いない、だから、私はいつも耳を澄ましてるよ、君の鼓動に。
 そうして瞬く間に、夜は更けてゆく。
 いろんな人からの励ましを受け、展覧会後期の展示替えも何とか無事に済む。書簡集の壁に並んだ後期の作品をゆっくりぐるりと眺め、私はほっとする。どうにかここまで辿り着いた。あとは終了するその日まで駆け抜ければいい。
 夜、実家にいる娘に電話をかける。「マーマ」「みーう」「ママ、今日は何してたの?」「ママはね…。みうは?」「みう、今日もちゃんとママからもらった日記帳に日記書いたよ」「うわぁ、すごいじゃない、ママ、見るの楽しみだなぁ」「もうね、六枚も書いたの」「ほんと? えらいねぇ、みう」「あとはね、明日の朝、時計に、何時に寝たかを書くだけだよ」「そっかあ。じゃ、明日もまた日記買いてね」「うんっ。だからね、ママ」「何?」「みう、えらいでしょ、がんばってるでしょ?」「うん、えらい」「だからね、おうち帰ったら、プレゼントちょうだいね」「は?」「だってね、みうはママと離れて、じじばばのおうちで我慢して頑張ってるんだよ、だからね、プレゼントちょうだい」「…ははははは。わかった、そうか、みうはがまんしてるんだよね」「そうだよ、みうはママと一緒にいたいのに、ママがご病気だからがまんしてじじばばのところにいるんだよ」「そうだよね、じゃぁ、わかった、プレゼント用意しとく」「うんっ!」。

 乗った電車の中、私の中の何かが破裂し、それを合図に私はまた自分を傷つける。私の中の一体誰がそんなことを為しているのか私には分からないけれども、それでも、私が私に戻った時、私は目の前に、傷だらけの腕を見せつけられる。だから私は、もうこれまでも何度もそうしているように、消毒をし、ガーゼを巻き、できるだけ強めに包帯を巻く。この包帯がもう、私の知らないところで解かれたりしませんように、そう願いながら。
 最近よく、不安定な私に付き添ってくれる幼友達が、ぱたんと倒れ眠り込んだ私の腕の、血に染まった包帯を見つけ、黙って換えてくれる。友は何も言わない。私が問うた時だけ、アドバイスをくれる。私はそのアドバイスに耳を澄まし、できるなら事態を繰り返さないで済むよう、あれこれと考える。

 まだ多分、足掻くしかない時期が、続くのだろう。それでも今日は終わってゆくし、今日を越えれば明日がやって来る。だから私は、一日一日を全うし、越えてゆき、次の一日に手を伸ばす。いつかこうした時期も、そんなことがあったねと笑って思い出せる時が来ると信じて。
 窓の外、気づいたらもう日が傾き始めている。洗濯物は乾いただろうか。日が堕ちる前に、植物たちに水をやらないと。でもその前に、一杯くらいお茶を飲もうか。そうして私は椅子から立ち上がり、薬缶を火にかける。


2005年11月20日(日) 
 ようやく少しだけ眠れる。丑三つ時、目を覚ました私の隣で、幼友達が規則正しい寝息を立てている。私はその友の寝顔をしばらく見つめ、再び横になってみる。眠れなくても、とりあえず横になっていれば、少しは疲れが和らぐかもしれない。そう思って。

 昨日、19日。眠れなかった。身体はぐったり疲れているのに、横になるのが怖い。立ち上がればふらりと身体が揺れてしまうのに、横になって休むことができない。身体は眠って休みたがっているのに、私の神経は異様なほどすっくと起立し、だから私の両目は闇の中、くっきりと見開かれたまま。
 その緊張の糸が、小さな画によって弾かれた。だから私はそれを合図に、部屋を飛び出した。このまま一人この部屋に閉じこもっていたら、私は自分の身体を切り刻んでしまうに違いない、だから飛び出した。右手に握しめていた刃をとりあえず鞄につっこんで。
 鞄の中、他に咄嗟に詰め込んだのは、ウォークマンとカメラとノートと財布と薬と、とりあえずプリントアウトしてみた数枚の地図とそして何故か体温計。家を飛び出す直前確かめた時刻表、始発の時刻に間に合うために、私は早足で歩こうと試みる。でも、身体がふらつく。考えてみれば、この約二週間、殆ど横たわって過ごしていたのだから、身体がこんな反応を起こすのも当たり前ではある。けれど、私は何かに追われるようにして先を急いだ。そして飛び乗った始発電車、呼吸が上がってしまい、うまく息が吸えない。
 唐突に飛び出した。ふと見つけた光景に惹かれ、そこへ行けたらいい、くらいのつもりだった。何故なら、私はその場所への確かな行き方を知らなかったし、そもそも今の私にそこへ行って帰ってくるだけの体力があるとは思えなかったからだ。それでも、行こうと試みるくらいなら赦されるんじゃないか、自分の身体をこれ以上切り刻まないで済むなら、たとえ辿り着けなくてもとりあえず飛び出してしまった方がましなんじゃないか、そのくらいの気持ちだった。
 ひとりで行くつもりだった私の脳裏に、幼友達のTの顔が浮かぶ。その顔に誘われて、私は思わず電話を掛けてしまう。恐らくめちゃくちゃな論理を披露して主張しただろう私の身勝手な話に、余計な言葉を挟むことなく耳を傾け、そして言ってくれる。一緒に行こう。
 だから早朝、見知らぬ駅で私たちは待ち合わせ、合流する。その頃にはもう夜は明けて、街は少しずつ気配を露わにし始めており。けれど私たちの吐く息は白く。とりあえず友に、私が鞄に突っ込んできたつぎはぎだらけの地図を渡す。友は笑ってそれを丁寧に畳んでしまい、黙って歩き出す。

 もし私一人だったら、ここまで辿り着くことは叶わなかっただろう。友が導いてくれた。そして今、私の目の前には、海が在る。
 横浜とは全く異なる様相を呈するその海は、高く厚く、幾重にも波を交叉させ、砂浜に砕け散る。人影は何処にもなく、私と友と、二人の影のみ。そして、音を立てて私たちの目の前で砕ける波と、その向こうには真っ直ぐに伸びる水平線が、じっと横たわっているのだった。
 私は裸足になる。足の裏に触れる砂は柔らかく温かく、まるで洗い立ての毛布のように私の足を包み。気づいたら私は、波の中にいた。

 温かく、何処までも温かく滑らかな波が、私の足を抱きこんでは解いてゆく。ふと左を見やると、千鳥が波打ち際で右に左にと走り回っている。波が引けば駆け出して波の足元へ向かい砂を突き、再び波が砕け寄せてくればたたたっと走り浜へ逃げる。その繰り返し。餌をついばんでいるのはもちろんその仕草で分かるけれども、まるで人の幼な子のよう、波とじゃれあっているように見えて私は思わず笑ってしまう。
 波がまた寄せてくる。私の足を抱きこむ。温い海水がするりと私の足をくぐり、そしてまた海へと戻ってゆく。私はされるがまま、招かれるまま、波と戯れる。
 知らぬ間に私はおのずと歌い始めており。波もまた、そんな私に一向に構うことなく、あるがままそこに在る。
 あぁ、解けてゆく。
 ここには今、私が欲するものすべてが在った。まっすぐに高い空と、止まることを知らぬ澄んだ風と、視界をぱっくり切り裂くように伸びる水平線と、そして砂と波と。これ以上望むものなんて、他に何があるだろう。
 しかも、私の心の中には、今朝早く連絡をくれた遠方の女友達からの声が在り。振り返ればそこには、黙ってつきあってくれる幼友達の姿が在るのだった。

 私の中に巣食っていたしこりが、少しずつだけれども解けてゆく。解けてゆく、解けてゆく。病院に駆け込んだ日から私を蝕み始めたモノが、それらから垂れ流され溜まる一方だった膿が、今、ようやく流されてゆく。
 割れる波の音にはっとして、目の前の波に目を戻し、私は思わず声を上げて笑ってしまう。その笑い声に、私は、自分が笑っていることを気づかされ驚く。ああそうだ、こんなちっぽけなことで、こんなどうしようもないことで、私は追い詰まってしまっていたんだ。そのことに気づいて、私はまたさらに笑う。
 悔しかったんだ。虚しかったんだ。病なぞに食われた自分が。
 原因が分からないとあちこちをたらい回しにされ、それでもなお病名は定められることもなく。不安ばかりが募った。こちらが不安になる要素しか、そういった言葉しか、医者はくれなかったし、それをひとりで受け続ける私は、熱と痛みにのた打ち回るばかりで、とても冷静に耳を傾ける余裕はなかった。これこれこういう状態なんだと説明しても自業自得でしょ、生活習慣病なんじゃないのと笑う両親に、自分の世話を願うことなどできず、せめて娘だけでも預かってくれと頭を下げた。仕事を為そうにも何もできず、焦るばかりの時間だった。そして私はあっという間に、不安の魔物にとりつかれた。そして思い知った。自分はとてつもなくひとりであるということを。

 そんなこと、もうとっくの昔に分かってることだった。人は生まれるのも一人なら死ぬのも一人だ、なんてことは。でも、私は、そんなの耐えられないと泣き叫ぶ自分の半身を見つけてしまった。いや、生まれるのも死ぬのもそんなこと一人でもいい、でも、独りで生きるのはいやだと、赤子のように泣き叫ぶ自分の半身を、見つけてしまった。
 そしてもうひとつ。
 あんなに必死にあの日々を越えてここまで来たのに、PTSDなんてものとつきあってそしてようやくここまで生き延びてきたのに、いずれは身体的病で死ななきゃならないのかと思ったら、それが耐えられなかった。PTSDに食われて死ぬ方が、私にはずっと納得がいく。身体的病になんか呑み込まれてたまるかよ、私の内奥がそう叫んでいた。何の為にここまで生き延びてきたんだよ、何の為にここまで生き残ってきたんだよ、PTSDなんて代物、性犯罪被害者なんてレッテルを頂戴しながらも、それでも必死こいてここまで生きてきた、なのに、いざ死ぬときは身体的病によってです、ってか? 冗談じゃないよ。
 もうこれ以上独りでいたくない。いや、人はどうやったって一人だ、生まれるのも死ぬのも一人だ、でも、ならせめて、独りで生きたくはない、と。私の内奥が喚いていた、喚いて喚いて、泣き叫んでいた。
 あぁ、私はやっぱり、これっぽっちの人間だったのか、と、思い知らされて、私は嗤った。おかしくて、ばかばかしくて、だから思いっきり腹の底から声を上げて嗤った。
 私の声は瞬く間に波に呑まれ、何処へ届くこともなく消滅する。それでも。
 今は、声を上げることを止めたくはなかった。諦めたくない、まだ諦めたくはない、私の全身が、そう、叫んでいた。

 とくん。
 今朝、私を電話の向こうから励ましてくれた、気をつけて行ってくるんだよと送り出してくれた友の声がひとつ、脈打つ。
 とくん、とくん。
 眠りを邪魔されたにも関わらず、私につきあい、私をここまで連れてきてくれた幼友達の影がひとつ、脈打つ。
 とくん、とく、とくん。
 諦めたくない、と、その塊だけになった私が脈打つ。
 とくん、とくん、とく、とくん。
 左腕に巻かれた包帯の下で、私の傷口も、うん、と頷く。

 そうだ。私は所詮一人だ。何処までいっても一人だ。それは、私がこれまでの道々、自分で選んできた結果だ。その最中に確かに、PTSDなんて厄介な荷物を背負い込んだ。でもそれも、一つの運命だ。そして、私がいつか、その精神でなく肉体を蝕まれて死んでゆくとして、それもまた、一つの運命だ。それらは、私ごときがどうこう操れることじゃない。だったら。
 あるがまま受け止めるだけだ。そして、一人であっても独りではないよう、私は声を上げ、手を伸ばし、足掻きながら、今日をめいいっぱい使い果たすのだ。

 おーい。
 後方で声がする。振り返ると、幼友達が呼んでいる。少しずつ傾き色づき始めた陽光に手をかざしながら、私も手を振って応える。
 私は。
 私は一人だ。でも、独りじゃぁない。
 私は裸足のまま砂浜を走り友に駆け寄る。友がやさしく言う、もう身体が冷える、帰ろう、と。
 さあ、靴はいて、帰ろう。
 うん、帰ろう。
 そういえば、今日まだ何も食べてなかったね。いい加減何か食べよう。
 うん、食べよう。ねぇ。
 何?
 またここ来ようね、一緒に。
 そうだね。

 砂山のてっぺんで、私は一度だけ振り返る。波は変わらずに砕け続け寄せ続け、海はまるで歌うようにそこに、在る。


2005年11月19日(土) 
 何という場所か、名前され知らぬ場所だった。ぼんやり眺めていた頁の端っこに、その場所の景色の欠片を見つけた。小さな画だった。見過ごしてもおかしくないような画だった。でも、私の目は留まった。行こう、ここに行ってみよう。そう思った、真夜中。
 電車の中、眠くなかったわけじゃない。前の日も前の前の日も殆どまともに眠れていない自分なのだから、いい加減電車に揺られれば眠れるのではないかと期待した。でも、無駄だった。眠れぬまま電車は、T駅を越える。数駅前のS駅を過ぎた辺りから、地平線を越え出した太陽が、瞬く間に発光し始める。

 PTSDで死ぬのではなく、身体的病で死ぬなんて、嫌だと思った。ここまでこんな必死に生き延びて生き残ってきたというのに、身体的病で死ぬ? 考えただけでぞっとする。
 以前、Cちゃんが言ってた。友達がね、末期癌なんだ、でね、私、正直に言うよ、ちょっと羨ましかった、私も早く死にたいって思った、ねぇ、PTSDで狂ったまま生かされて死んでゆくのと、そうやって病気に侵されて死ぬのと、どっちがましなんだろうね。
 その時は、いまひとつ彼女の言葉に近寄れず、あやふやにしか答えられなかった。でも、今なら応えられる気がする。私は、癌なんかで死にたくない。いや、他の何の肉体的病でも死にたくない。どうしても病に侵されて死ねというなら、それは、PTSDがいい。それ以外の病で死なされるなんて、まっぴらごめんだ。

 電車は走る。走り続ける。私はじっと、身を任せている。


2005年11月18日(金) 
 切り口がぱっくりと口を開けると、少しばかり私は安心する。血が滴れば、また少し安心する。けれど、血の滴りがやがて止まり、傷口が乾いてゆこうとすると、私はもう早速、不安と虚無とに苛まれる。そして。
 安心なんて代物は、何処まで行っても刹那的でしかないことを、それは私にこれでもかというほど教えてくれるのだった。
 切らないと不安。だから切る。
 切っても不安。だから傷口を抉じ開ける。
 血が滴らないと不安。だから沈黙しようとする腕を無理矢理に絞り上げる。
 何をしても虚しい。だから私は足掻く。
 そうでもしないと、この瞬間にも私は虚無と不安とに呑み込まれ、あっという間に何処か別の世界に連れていかれてしまう、そんな気がして。
 それでも。
 何をしても、虚しい。私を疲労させるばかりで、私は、今夜もまた、自分で自分を疲れさせる。
 こうなるともう、止まる場所を失って、私はひたすら、己の腕に刃を振り上げ続ける。出口も入口もない、窓のひとつさえ見当たらない、そんな溜まりの中で、私はじっと膝を抱える。


2005年11月17日(木) 
 熱が徐々にだけれども下がり始める。襲い来る激痛も、少しずつ少しずつだけれども和らいでゆく。一方で、私の中に生じた不安という芽が、ぐいぐいと大きくなる。あちこちを転がされ、病名は何処までも分からず、可能性の話をされても、不安は増すばかり。じゃぁとようやく自分を納得させ腰を上げれば、今度は、入院はご遠慮願いますと言う。これまでの治療の過程で、私のパニックがどんな頻度でどんな具合かを見せ付けられた病院が、うちでは対処できかねますと頭を下げる。同時に、それでも体調に少しでも変化があったら、そのときは即入院してくださいと言う。まるで正反対の言葉が右手と左手にぶらりぶらり。私はその間で、どっちにもいけず途方に暮れる。PTSDという厄介な荷物に、ここでもまた嘲笑われたような空耳を覚え、思わず振り返る。そこに在るのは、病院の出入り口の自動ドア。人を飲み込み、人を吐き出し、私はそこから少し離れた場所で、どっちにも行けずに立ち尽くしている。
 病院から少し歩けばモミジフウが在る。それと反対側の通りには銀杏が並んでいる。でも、私の足はまだふらついて、まともに歩くことも叶わず、結局今日も樹のもとまで歩いてゆけない。だから会えない。走るタクシーの窓に寄りかかり、窓から見える小さな空を見上げる。あぁ今日の空はまた青いのだ、と、そのときようやく私は気づかされる。けど、空はあっという間に流れ去り、私は自分の部屋の玄関を開ける。そして布団に横になれば、上には天井、右には細棚。娘がお守りにと置いていってくれた小さなぬいぐるみを枕元に置いて、私は眠ることもできずぐったりと横になる。

 気づいたら私の中で不安は増大し、虚無は増大し、これでもかというほどそれらは膨れ上がり。私は呑み込まれてしまった。
 そしてテーブルの端にぽってりと血溜まり。はたと気づいてその血の滴る先を見、私はげんなりする。リストカットは止まった筈だったのに。その思いがずしりと背中に圧し掛かる。疲れた。血に濡れた左腕をぼんやり見やりながら思う。何処まで行けば終わりが見えるのだろう。何処まで行けば、スタートラインに立てるのだろう。
 それをきっかけに、私の衝動はまた暴力的に暴れ始める。私の意識を薙ぎ倒し、勝手に暴走し始める。そのたび私の腕に傷は増え、意識を取り戻した後で私を苛む。そして今、実家に預けている娘の顔をぼんやりと、私は思い浮かべる。大丈夫、何とかするよ、早く迎えにゆくよ、必死の思いで、小さい声で、何とか呼びかける。

 病院と家とを往復し、横になるばかりの毎日。でもきっとそれも、じきに終わる。終わる。自分にそう言い聞かせ、私は布団をぐいと引っ張り上げる。


2005年11月10日(木) 
 一体人は、何処まで強くなれるのだろう。
 一体人は、何処まで優しくなれるのだろう。
 一体人は、何処まで柔らかくなれるのだろう。
 一体人は、何処まで赦すことができるのだろう。
 一体、人は。
 そして、わたしは。

 突然の激痛と熱とに襲われ病院に駆け込んだあの日から、一日一日が、確実に過ぎてゆく。だというのに、いくら様々な検査を繰り返しても、私の病の原因は浮かんでこない。私の病気は何ですか。何でこんな、四十度の高熱やのたうちまわらずにはいられない激痛に幾度も襲われなければならないのですか。顔のないのっぺらぼうの病という奴が、嘲笑う声が耳の奥から聞こえてくる、そんな錯覚に襲われる。一体私は、何と向き合えばいいのですか。何と闘えばいいのですか。
 即刻入院といわれても、それがどれだけ短くて終わるのか或いは長く長くなってしまうのか、その予測さえ許されない。でも、そんな悠長な入院なんて誰がしてられるか。私は働かなければ生きていけないし、娘だってまだ私が世話をしなければ生きていけない。何人もの医者が私の問いに同じ答えを繰り返す。私の病は何ですか。分かりません、でもそれが分からないと治療の方法もありません。------じゃぁ一体、私はどうやってこの痛みや熱から逃げればよいのですか。途方に暮れるしかないのか。でも、途方に暮れている間に私の身体がどんどん蝕まれていったら、一体その先に何が在るというのか。
 即座にと言われた入院を断り、娘を両親に預け、私はひとり、寝床でのたうちまわる。娘がいないことをいいことに、唸りたい放題唸り続ける。それで越えられるならと耐えることを試みるが、とても勝てるものじゃない。結局私は痛みと熱とに負け、痺れ震える指先で座薬を入れる。
 朝一番に病院に行き、点滴と抗生物質とを大量に投与され、ふらふらになって帰る頃にはもう日はすっかり傾いており。部屋につく頃には薬が切れ、私は再び座薬のお世話になる。そうでもしないと、身動きひとつ叶わない。果たして幾つの座薬を自分の尻に押し込んだなら、私はこの状態から解放されるのだろう。その道標さえないなんて。
 そんな私のベランダで、過日娘と植えた球根が次々に芽吹いてゆく。赤子の小さな小さなあの手のひらを思い出させるようなちんまりした葉が、やがて朝陽を全身に浴び綻んでゆく。あぁ娘にこれを見せてやりたい。私は指の腹でそっと芽の先を撫でる。微かな感触、けれどそれは確かな感触。生きているという証。ここにも、そこにも、あそこにも。
 PTSDを抱え込んだときも途方に暮れた。それは、一体自分は何と闘っているのか分からなかったからだ。何と向き合えば解決方法が見つかるのか。その何という代物の正体が、皆目分からなかった。だから途方に暮れた。何年も何年もかかって、その漠とした奴を漠とした姿のまま丸呑みし、自分の中にそれを飼い込み、ともに歩いてゆくことを選んだ。でもそこに辿り着くまでの日々、何度向こう側へ誘われただろう。もし今誰かが私に、人生をやり直してもいいと切符をくれたとしても、私は受け取ることができないだろう。もしもまた同じことが起こったら、今度私は果たしてここまで生き残ってこれるかどうか。恐らく、生き残ってこれまい。だから、もう、やり直したくなんかない。あんな世界、もう二度と戻りたくない。
 今度のこのわけの分からない病も、私から気力をどんどん奪い取ってゆく。別にどんなに高い熱にうなされようとどんな激痛に襲われようと、それでも、こうやったなら治るのだという術が分かっているのなら、私は高熱も激痛も引き受けてずんずんと歩いてやる。けど、その術が分からないという。医学に素人の私が分からないだけじゃなくて、医学の専門家が何人も何人も、こぞって私に言ってのける。原因がわかりません。もう、聞き飽きた。もう聞きたくない。だから私は、耳を塞ぐ。心の中で。そんなふうにして世界から耳を塞いでしまうと、私はどんどん自分が卑屈になってゆくのを感じる。だから余計に自己嫌悪に陥る。するとますます卑屈の淵に沈みこむ。生きようという気力が奪われてゆくのだから、淵から這い上がろうとする気力だって容赦なく奪われてゆく。そして私は、いつまでも這い上がれない。
 爪先立ったって背伸びしたって結局、私はそんなちっぽけな人間。そんな私にはもちろん、お金もたいした学もない。唯一あるのは、この気力だけだ。この気力を私から奪ったら、私にはもう、何も残らない。残らないどころか、多分、身体だけ生き長らえ、そして、生きたまま私は死んでゆくだろう。あの頃その谷間を、がけっぷちを、ふらふらと歩いた。もう飛んでしまえと片足になってみたりもした。それでも、何故か私は堕ちることができなくて、そして、今ここにいる。今私は、死にたくなんかない。それは肉体的にどうこうではなくて、精神的に、だ。私の心が死んでしまうのだけは、いやだ。なのに。
 どんどん、どんどんと吸い取られてゆく。奪われてゆく。剥ぎ取られてゆく。私の気力が。一枚、また一枚、と。
 もう、寒いと感じることさえ、できない。
 そんな私の傍らで、新芽が揺れる。さやさやと揺れる。揺れすぎてくたっと倒れるものも中にはいる。それでも、彼らは決して諦めない。私と娘の手でそこに植えられ、それを自らの運命として躊躇うことなく丸呑みし、真っ直ぐに生きる。たとえ途中で枯れるのが彼の運命だったとしても、きっと彼は枯れるその日まで諦めることはしないだろう。ただ一途に、真っ直ぐに、生きるのだ、死が彼を食らうその瞬間まで。
 私はだから、結局いつものように、変わらずに日を越えるのだ。食いしばった奥歯の根元が、じんじんと痺れてきても構わずに、私はじっと、ここに在るのだ。
 -------多分そうやって、私はいつも自分を突き放す。突き放して突き放して突き放して、とことん突き放して、そして、歩いてゆく。突き放したと同時に、その腰をぐいと捕らえ、黙々と、歩いてゆく。
 そんな私の所にふわりと便りが届く。お元気ですか。私はこの間海の向こうでカミングアウトし、なんだかすっきりしました。でも、日本ではこれからもずっと黙っているつもりです。日本には偏見があるので。------彼女とは、私が自分の身の上に起きた出来事を綴った文章を通じて知り合った。その彼女が、私にそんなことを言う。ぽかんと、口が小さく開いて、開いたまま、しばらく閉じることができなかった。どうしてこんなこと、言うのだろう。私は。
 いや、彼女の方が多分、自然なのだ。それが当たり前なのだ。私はようやく唇を結び、ごくりと唾を飲み込む。私が多分、おかしいのだろうな、と。
 それでも、もしまた同じ出来事に見舞われたら私は、やっぱりはっきりと吐露するだろう。私の身の上にはこんな出来事が起きました。その為に私は、PTSDというものをどっしりと抱え込みました。今はそのPTSDとともに生きています、と。それが外国だろうと日本だろうと。場所なんて関係ないのだ、私には。私はそうである、というそのことを、私ははっきりと主張する、内外わけ隔てなく、まっすぐに言う、きっとそのときも。そういうふうにしか、私は、生きることができないから。

 もうじき夜明けだ。夜が明けたら私はまた病院に戻らなければならない。
 娘がいないことをいいことに、私はずっと同じ曲をかけ続けている。ふと思い立ち、声を出してみる。一度出し始めると、声はおのずと湧き出てくる。私は延々と、リピートする曲を、歌い続ける。
 大丈夫。諦めない。まだ諦めない。ほら、今月は娘の就学児健診だってある(親の私が連れて行かなきゃどうするの?)、展覧会の後期を始めるためには展示替えに行かなければならない(いや、作品だって最終選考が実はまだ終わってない)、そうだ制作ノートも早く作業しなければ(間に合うのか? 一体いつ作業できるんだ? いや、できなくてもするんだ、何とかなる、きっと)。こんな病、早々に振り切って、私は明日へダッシュしなけりゃならない。やらなきゃならんこと、やりたいことは、まだまだこの世界に残ってる。


2005年11月04日(金) 
 ここ数日、日差しがとても心地よい。そんな日差しを浴びて、ベランダでは、次々球根の芽が顔を出し始めた。
 芽が出てるんだよと娘に教えると、娘は早速ベランダへ出る。が、彼女は、一体何処に芽が出ているのか、分からないらしい。
「みう、ほらここだよ、下から土を持ち上げてるの、この土の下、ひび割れた隙間から見てごらん、土と似通った色の芽が出てきてるはずよ」
「黄緑色じゃないの?」
「うん、ラナンキュラスとアネモネは、水仙みたいに黄緑色じゃぁないね」
「なんで違うの?」
「うーん、咲くお花がみんな違うように、芽もみんな違うんだよ」
「うーん」
 私が指差して、やっと彼女は納得がいったらしい。こっちにも、そっちにもある、と、ようやく自分で見つけられるようになった。アネモネの芽の、何とかわいらしいこと。ぐいっぐいっと、丸めた背中で土を押し上げる仕草。そしてついに土を破って芽を上に向ける時の誇らしげな顔。眺めているだけで頬が緩む。ラナンキュラスは、あの華やかな花からはあまり連想できないような、地べたに張り付くような芽を真っ直ぐに空に向かって出している。どれもこれも、冬の最中に咲く花々。彼らの力強い姿を見ていると、こちらも背筋をぴんと伸ばしたくなる。

 木曜日、娘を連れて書簡集へ向かう。晴れた休日ということもあってか、電車の中の人々みなが、のんびりと、ぼんやりとした表情をしているように見える。寄りかかり口をぽっかり開けて眠る客、買い物袋を抱きかかえ何処を見るでもなくぼんやりと前を向いている客、何が楽しいのか分からないが二人して交互に耳打ちしながら声を殺して笑い合う客。
 家から約二時間、ようやく辿り着く店。娘と二人でノートを操る。私がいない間にここに来て言葉を残していってくれた人たちのことを、その言葉を辿りながらあれこれと思い描く。わざわざ時間を割いてここまで来てくれた人たち、どうもありがとう、そう心の中で呟きながら、私は手を合わせる。
 いつもそうだが、いったん作品を外に出してしまうと、私は結構開き直れる。いや、開き直るという言葉が適当なのかどうか分からないが、要するに、距離を持って傍観することができる、とでも言おうか。作品を外に晒すまでは、かなり長いこと作業するし悩みもする。似通ったプリントを右手と左手に持って、一体どちらがいいだろうと延々と、何日も悩むことなんていうのは日常茶飯事だ。でも。
 今はもう、傍観できる。改めてぐるりと作品群を見回し、これが今の自分のカタチだな、と再確認する。あと十日もすれば多分、私はもう、別の地点に立っているに違いない。そう感じながら。

 先日、歯の治療のために歯医者へ行った。もう何年も何年も通っている歯医者。担当医ももちろん、もうずっと同じ先生。
 先生が治療を始める。左に立つ看護婦さんが私の口の中にバキュームを入れる。と、そこまでは別に、いつもと同じ風景だった。が、私の視界に異物が突然入り込む。私の心臓は大きくどくんと脈打つ。異物。それは、私の頭の後方に立った、男性の医者だった。
 どうしてその人がそこに立っているのか、私にはもちろん全く分からない。が、それはどうでもよくて、私にとっては、自分の背後に誰かが、しかも男性が立っている、というそのことが私を震撼させているのだった。
 声が出ない。お願い、どいて、そこにいないで、そこに立たないで、私の近くに来ないで! 心の中で私は叫びだす。が、実際に声は出ない。ひたすら私は心の中で繰り返すばかり。お願い、お願いだからそこをどいて、私の視界に入らないで、私の近くに来ないで! でも、その人は、そこに立っている。
 それだけじゃない、突如、女の看護婦さんとその人とが交代し、その人が私の口元に手を伸ばし。その人は私の唇をぎゅっと指で押さえた。
「!」
「どうしました? 痛いですか? もうちょっとですよ」
「…!」
「もう少しですからね」
 先生、違うんです、そんなことじゃないんです、痛くなんてないです、そうじゃなくて。誰か。助けて。
 でももちろん、誰が助けてくれるわけでもなく。その男性医師の指は私の唇を押さえたまま。私は身体が硬直し、同時に私の中を巡る血の全てがいっせいに逆流する音を、聞いた。私の視界は凍りつき、もう二度と動き出さないのではないかと思うほど遠ざかり。全ての音が、存在を失う。私はもう何処にもゆけない自分の、点のような小さな小さな塊が今燃え尽きるのを、ただじっと、見つめているのだった。
 どのくらいの時間が経ったのだろう。作業に一区切りついて、先生が私の椅子を元に戻す。途端、私は跳ね起きて、喉に詰まったままだった呼吸を何とか立て直す。そして思わず先生を呼び止める。
「どうしました?」
「先生、先生、あの」
「?」
「すみません、私、先生はようやく慣れて大丈夫になったんですけど、他の男性の方、だめです、女の歯科技師さんに代わっていただけないでしょうか」
「?」
「すみません、お願いします」
 気づいたら、涙が零れていた。何でこんなところで泣くんだ。私は唇を噛む。先生は、
「あ、はい、じゃぁ、分かりました。落ち着いてくださいね」
 そう言って、別の患者さんの方へ行ってしまった。
 独り残った私は、椅子の上、ぽろぽろと零れる涙を抑えきれず、俯くしかなかった。一体私は何をやってるのだろう。こんな場所で、こんなときにパニックを起こすなんて。自分でもつくづく自分が嫌だった。たかが知らない男性の先生の手が唇を押さえただけの話。私の視界に入っただけの話。その人は別に、私に害を及ぼそうと思っていたわけでもないだろう。が。
 私には、もう、そこに異物が存在するというそれだけで、充分すぎた。しかもその異物が私に触れたのだ。もう、おぞましいというか恐怖というか。気が狂うかと思った。
 少しずつ少しずつ、波が引いてゆくように、私の中の激流が凪いでゆく。血がようやくそのざわめきを収め始める。私は無理矢理に息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
 結局、治療もそこそこに病院を出る羽目になった。治療しなければならない箇所は治療を終えることもできずそのままに。必死の思いで電車に乗る。が、途端にまた視界がぐらつくので、慌てて友人に電話をかけ、その声を頼りに、私はどうにかこうにか自分を保つ。
 這いずるようにして、ようやく辿り着く自宅最寄の駅。海からの風が私の頬を撫でる。涙はもうすっかり乾いていたけれど。でも。
 自分に対する情けなさは、どうやっても拭うことができそうになかった。一体何処まで私はこんな自分と付き合えばいいのだろう。答えなんてもう知ってる、もう分かってる、でもその答えをすんなり受け止めることもできない、そんな自分の、宙吊り状態が、私の喉をゆっくりと絞めつけるのだった。

 書簡集、娘と幼友達と一緒の帰り道、途中で何度か足元がふらつく。そのたび、手を繋いだ娘が私を見上げ、にかっと笑ってくれる。しっかりせねば。娘の顔を見つめつつ自分を叱咤する。母がふらついてどうするよ、幼い娘の前だ、しっかりせねば。幼友達が時折、血の気の引いた私の顔を見、声をかけてくる。大丈夫、まだ大丈夫。そうやって三人、電車に揺られ、日の落ちた道を歩く。
 別に、夕飯を何度吐いてしまおうと、そんなことどうだっていい。何度パニックを起こそうと、それもまた仕方がない。だから、だからせめて私は、それらを引き受け乗り越えてゆくのに必要な力が欲しい。
 ふと見やると、娘は横断歩道の前に立っている。そして、真っ直ぐに右手を上げ、渡り始めた。私はそんな彼女の後ろについて歩く。そう、彼女が大きくなるまで、私はここでしぶとく踏ん張っていなくてはならない。
 ママ! ママ、雀がいっぱいいるよ! 娘の声にはっと顔を上げ前方を見やる。夜闇を背景に立つプラタナスの樹に、ひしめくのは幾羽もの雀。彼らの家はここなのだろうか? 囀り合う彼らの声が、見上げる私たちの上にぱらぱらと降りかかる。さぁ私たちの家もすぐそこだ。早く帰ろう。


2005年11月01日(火) 
 病院の日。自転車を漕いでいる私の服から、じわじわと浸み込んでくる冷気。間違いなく季節は冬へ冬へと進んでいる。朝の陽光の色にも変化が見られる。乗り込んだ電車には修学旅行生らが目をくるくる動かしながらひしめいている。私は、唯一空いていた隅っこの席に座る。彼女らはこれから何処へゆくのだろう。この街の何処を歩くのだろう。懐かしい紺色の制服姿が、やけに眩しく見える。そういえば昔着ていた制服は、今一体何処にあるのだろう。もう捨ててしまっただろうか。毎晩寝押しをしていた襞スカート、今彼女らが着ているものとそっくりなあのスカートも、何処にやったかもう、自分では思い出せない。
 どうしても身体を起こしていることができなくて、受付のソファーで鞄を枕に横になる。いつもより遅く始まった診察、名前を呼ばれ、ふらつきながらドアをくぐる。
 思いつくことを思いつくままに喋る。このところ立ちくらみが酷いことだとか、夕方になると吐き気が止まらず、夕飯を毎日のように殆ど吐いてしまうことや、娘に対する戸惑い、そして。先日あの街を訪れたときの自分の反応。
「先生、もう大丈夫だと思ったんです、だってもう十年はゆうに経ってるわけですよ、もう大丈夫だって思ったのに」
「前にも言ったかもしれないけど。心がどうこうじゃぁないの、神経がやられてしまっているのよ、PTSDというのは。だから、気持ちが大丈夫でも、身体は勝手に反応するの」
「神経、ですか」
「そう、心が傷ついてるんじゃぁないの、神経が傷ついてるの。だから、そうやって身体が反応してしまう」
「一体いつになったら大丈夫になるんですか」
「ならないと思った方がいいわね」
「…はぁ」
「自分の意志でどうにかなる問題じゃぁないのよ。いくら心を気持ちを強く持ったって、だめなものはだめ。無理なものは無理。だから、それを避けて通るしかないの」
「もう、失ったものはどうやっても元には戻らないってことですかね」
「…」
「やられっぱなし、やられ損ってことですか」
「…」
「すみません、分かってるんです、抗ったって無駄だってこと。分かってます。ただちょっと、言いたくなってしまっただけで…」
「そうね」
「どんなに頑張っても踏ん張っても、無駄なことがあるってことですよね。それを受け入れて、引き受けて、やってかなきゃならないってことですよね」
「…」
「…」
 じゃぁまた来週会いましょうねという先生の言葉に頭を下げて、私は診察室を出る。扉を開けた瞬間視界がぐらりと揺れる。私はドアのノブを握り締め、体勢を立て直す。
 再び電車に乗る帰り道。途中、何度か、本屋の前で立ち止まる。が、まだ活字をまともに辿ることはできそうにない自分の脳味噌に、小さくため息をつき、そのまま通り過ぎる。
 ふと思い立って、モミジフウの樹の下に立つ。見上げれば空を背景に枝からぶらさがる実の姿。樹の枝はやがて裸になるだろう。枝は黒々と伸び、そこにモミジフウの実はぶらさがる。冬を越え、再び春が巡ってくるときまで、実はずっとそこにぶらさがっている。いや、春がくれば来たで、今度は彼らは、若い葉や若い小さなまだ柔らかい実の間々に、べろりんとぶら下がっているのだ。新しいものと古いものとが同居する樹。重なりゆく年輪にはきっと、悲喜こもごもの声が織り込まれているに違いない。
 家に辿り着いた私は、すぐ仕事にとりかかる気持ちにはなれず、ぼんやりと窓際に立つ。足元には、娘と植えた球根のプランターが並ぶ。その土の表面が微妙にひび割れているのが気になって、しゃがみこみ、凝視する。
 あぁ、なんだ、芽が出てきたのだ。途端に自分の頬が緩むのが分かる。土曜日あたりから水仙の芽が出始めてはいたが、まだ他の者は芽の出る気配がなかった。が、今日、薄い日差しを浴びながら、ほんのちょこっと、小指の爪の先ほどの芽が、ひび割れた土の間にちょこねんと顔を出しているのが分かる。アネモネもラナンキュラスも、確かに芽が出ている。
 不思議だ。今上から土を見下ろしたならば、ただちょっとひび割れているだけの土。でも、そのひび割れた土の下には、ぎゅっと身体を曲げている芽が控えている。彼らはきっと、自分の時期を待っているのだ。自分の身体が温まり、その身体をのおずと伸ばしたくなる瞬間を。そしてその時が来たら、ぐいっと土を振り払い、伸びてくるのだ。まっすぐに。間違いなくそこには、命が在る。生命が在る。鼓動が在る。生きて、いる。
 私はプランターの前でじっと、座り込む。午後の日差しが私の背中に降り注ぐ。薄い日差しではあるけれども、それでも私の背中をじわじわとあたためてくる。同時にこの日差しはきっと、この土の布団をぬくぬくとあたためてくれているに違いない。
 どのくらいそうしていたのだろう。気づけば、日差しのぬくみより風の冷気で首筋がぶるりと震えるほどに身体が冷えている。私はゆっくりと立ち上がり、ベランダから街を見やる。
 これからも多分、何度も思い知らされるのだろう。自分がかつて手にしていたものの貴重さと、もはや二度と取り戻すことができない失ってしまった代物の大きさとを。私は何度でも思い知るのだろう。でも。
 思い知りながら、歩いてゆくのだ。歩くことをやめたらそれで終わりだ。終わったまま生き延びるなんて、それだけは嫌だ。だったら。
 だったら私は、引き受けて歩き続けるしかない。様々な思いを奥歯でぎりぎりと噛み締めながらも。
 娘が帰ってきたら、この新芽たちのことを教えてやろう。そして明日の朝一番に、娘と二人、プランターを見よう。きっと今日よりも明日の方が、はっきりと芽の様子を見ることができるに違いない。娘はどんな顔をするだろう。
 部屋に入ろうとした私の背後で、小さな気配がする。はっと振り返ると、ベランダの手すりに二羽の雀。目が合った途端飛んでゆく彼ら。その姿は、薄曇の空に、瞬く間に溶けて、消える。


遠藤みちる HOMEMAIL

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