2004年07月24日(土) |
窓から滑り込む夜風が、首筋をするりと撫でてゆく。じきに、明日だった日が今日になり、今日は昨日へと流れゆく時間。娘の寝息より他は、窓の外を行き交う車の音だけ。 寝つきの悪い娘は、布団に横になると、保育園ごっこか絵本を読むことのどちらかを、毎晩選ぶ。今夜は絵本だった。話の長そうなものを選ばれて、私は正直うんざりし、適当にはしょって読み聞かせる。が、ひらがなが少しずつ読めるようになった彼女は、「ママ、ここも読んで。今読まなかったでしょ」と、すかさず指摘してくる。指摘されちゃぁしょうがないと、私はしぶしぶその箇所を読む。 読み終えた後、じゃぁ電気消して寝よう、という段になって、彼女がだだをこねはじめた。どうも眠る気分になっていないらしい。私は彼女のおしゃべりに適当に相槌をうってみる。すると、彼女は憤慨したといった表情を突然浮かべ、「もういいよ、ママなんて好きじゃなくなった、ママだってあぁこのこと好きじゃないんでしょ!」と言い捨て、くるりと私に背中を向けた。 いつもだったら、ここで、「いいもーん、ママはあぁこがママのこと好きじゃなくたってあぁこのこと愛してるもーん」と、笑いながら答えるのだが、今日に限ってそういう余裕が私にはなかったらしい。「いいよ、もう、ママが何したってあぁこはママのこと嫌いなんでしょ、もういいよ」と、私も言い捨ててしまう。そして彼女と同じようにくるりと背中を向けてみた。 沈黙。その沈黙を先に破ったのは、彼女だった。 「ママ、どうしてそんなこと言うの? あぁこはね、ママのこと愛したいのよ。なのにママがそんなこと言ったらあぁこは愛せないじゃない」。 私はびっくりしたものの、びっくりした顔を彼女に見せるのがいやだったので、黙って、喋り続ける彼女の顔を見つめる。 「あのね、ママ、そういうの、いけないんだよ。ちゃんと仲直りしなくちゃいけないんだよ。なのにどうしてママはそんなこと言うの? あぁこを困らせてママは楽しいの? そんなことされたらあぁこは何にもできないじゃない」。 私は心の中でさらに吃驚している。あぁこがここまで長々とひとりで喋るのは初めてじゃぁないのか? でもよりによってこんな台詞を彼女が喋るとは。私はもう吃驚を通り越して笑い出したくなってしまい、咄嗟にタオルケットを顔半分まで引き上げる。布団の下では、笑い声をかみ殺した私の唇が、ぷつぷつと緩んでいる。 「ママ、あぁこはね、愛したいのよ。愛してるのよ。なのにね、そういうこと言うのは意地悪なのよ。ママ、聞いてる?」 聞いてますよ、もちろん聞いてますよ。すごいなぁ、あぁこ、あんた、いつの間にこんなに喋れるようになったの? 微妙に筋は通ってないけど、でも、あんた、立派に反論してるじゃない、すごいじゃない、これはもうすごい以外の何者でもないじゃない、いやぁ参ったなぁ。------私の心の中は、もう彼女への賞賛の拍手が鳴り響いている。でも、とりあえず必死に笑いをこらえながら、彼女にもうちょっと喋らせてみる。 「あのね、ママ、愛するって大事なのよ。いつもママがそう言うのに、どうして今日は、ママがそんなことするの? ママ、意地悪よ。だめなのよ、意地悪しちゃ。仲直りしなくちゃいけないんだから。分かってるの、ママ?」
結論だけ言えば、私と彼女はもちろん仲直りをした。仲直りした後、彼女がおなかを撫でてほしいというので彼女が眠りにつくまで私はずっと彼女のおなかを撫でていた。そおっとそおっと、円を描くようにして。 そして。今、ひとりになって。私は先ほどの彼女の言葉を思い出す。そして、私は思う。 あぁこ、あんた、すごいねぇ、もうそんなこと言えるようになったのね、一体何処で覚えたの、あんたはあんたの意見をちゃんと言って、私に反論して、立派に最後まで言い切った。見事だよ、あぁこ、感服するよ、嬉しいよ、ママは。 そして思い出すのは、自分の幼少の記憶。 反論なんて許されなかった。自分の意見なんてものはないに等しいものだった。そう扱われることに反発を覚えても、それを形にして表現できる術を私は持っていなかった。だから何処までも父母のいいなりになることで、彼らから愛してもらおうと必死になっていた。そんな私が、小さな私が、記憶の中で膝を抱えて震えている。愛してもらいたくて愛してもらいたくて、そのためになら自分を殺すことなどどうでもよかった。愛してもらえるなら何をしたって平気だった。そして気づいたら、自分なんて木っ端微塵に砕け散り、残骸の中で途方に暮れている、そんな自分しか、私には残っていなかった。 そしてまた、そうやって育った私は、同じことを子供にしてしまうのではないかと、そのことに恐怖していた。 でも。 やるじゃん、娘よ。よく言った、娘よ。母は嬉しい。万歳をしたいくらいに嬉しい。いいぞ、いいぞ、どんどん言え。どんどん言い返せ。あなたにはあなたの思いがあり、私には私の思いがある。それを、お互いに伝え合えることの、なんと素敵なことだろう。筋なんて多少通っていなくたっていい、時に言い争いになったっていい、それでも、自分の言葉で自分の声で何かを伝えることは、とても大切なこと。母と娘という立場は確かにあるけれど、それ以上に、私たちは別々の、一個一個の人間だから。すれ違って当たり前、行き違って当たり前、だからこそお互いにお互いを晒し、近寄れる場所を見つける必要があるんだ。あぁだから嬉しい。今夜の君の言葉を、私は当分忘れられそうにない。いや、言葉じゃない、君が君の気持ちを私にちゃんと表現してくれたというそのこと。私は多分、当分覚えていて、思い出すたびに嬉しさを噛み締めるに違いない。 あぁ。虐待連鎖。かつて何かの書物で読み、私の心に痛いほど刻まれてしまった文字を、私は指でなぞってみる。そして、その文字を描いた頁を、今、そっと閉じてみる。 何もかもが連鎖するわけじゃない。私次第で、そして、彼女次第で、私たちの頁はいくらでも新しく作ることができる。これから描かれてゆくだろう白い頁は、そう、新しくこれから描いてゆくもの。
いつの間にか、時計は深夜0時を回っている。つい今しがたまで明日だった日が今日になり、今日は昨日へと流れゆく。毎日は繰り返しのように見えるけれど、確かに生活というものは習慣で成り立っているようなものだけれども。 新しい頁を作ってゆくのは、自分たちなんだな、と。そしてそれは、決して古い頁ではなく、いつだって新しい頁なのだと。 彼女はまた、私にひとつ、大事なことを教えてくれる。 |
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