見つめる日々

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2004年08月23日(月) 
 恐らくは二十年ぶりだ。この場所を訪れたのは。今の今まで、自分がこの場所を再び訪れることがあるとは露ほども思っていなかった。
 この場所での私の時計は、二十年前でぴたりと止まっている。だから、車から降り立ったその一瞬、二十年の間のこの場所の変化に、私は、戸惑いを覚える。けれど、何だろう、それは一瞬のことであり。気がつけば私は、二十年後の今のこの場所の匂いを、おのずと自分の胸に深く吸い込んでいた。そう、変化はあまりにも自然で。確かに思ってもみなかった変化も多々あるけれども、それでも、変化するのが自然であり、二十の歳を重ねた今の私には、その変化した姿はとてもとても自然であり。
 私の脇から恐る恐る顔を出す幼子。マンション暮らししかしたことのない彼女が、土の匂いや緑の匂いがこんなにも立ち込める場所に立つのは生まれて初めてのこと。そのせいだろう、一歩を踏み出した彼女は、まるで汚いものに触れなければならないかのような情けない表情をしている。私は少し、可笑しくなる。
 あの当時はただの細っこい幹だった唐松は、今、私が両腕を思いきり伸ばして抱きかかえようとしても指と指を絡めることができないくらい太くなり。
 一方、きっと太く大きくなっているだろうと思っていたベランダ脇の白樺たちは、何故かさほど大きくなってもいず、幹もいまだに私の片手で巻き取れるほどの太さにとどまっており。
 父と母が、私や弟のいない間に耕したのだろう庭は、昔の翳りなど何処にもないほどに開放的な庭となり。そこには、四季折々の花がぽつりぽつり植えてある。
 かつて祖母が愛した唐松林の間の小道はもうすでになく、代わりに、恐らくは父母が丹念に作ったのだろう、私の娘が走り回ってもいいように落ち葉を厚く厚く敷き詰めた道に変わり。
 そして何よりも。昔、庭のあちこちの樹木にぶつかるばかりだった風は、今、気持ち良さげに庭を太く深く吹き抜けてゆく。
 あぁ、帰ってきたのだな、と、思った。私はまたこの場所に帰ってきたのだな。でも。
 私は二十年という年月を経ている。それは私だけではない、父も母も、そしてこの場所も。それぞれに重ねた二十年という月日。その月日が、長い時間の堆積が、私をとてもやさしい気持ちにさせる。こういう再会もあるのだな、と、私は知る。言葉にすれば、それは、帰ってきた、という言葉になるのだろう。でも、何だろう、ただ帰ってきたという、ただいま、というものではない。この場所に再び降り立った私は、間違いなく変化しているということを、私は今、感じている。

 この二十年に何があったか。それは、もう今更挙げる必要もない。でもこの二十年という時間を経たことによって、私は、赦すことができる、そんな気がしている。そして、今のこの場所で、再び呼吸することを、何の敷居もなく受け容れることができる、と。
 時間というのはなんて不思議な代物なんだろう。人が場所が時を重ねるということは、なんてやさしい代物なんだろう。今手を伸ばせば、青く青く突き抜ける空に容易に手が届きそうな、そんな気さえする。そこにあるのは、今、そしてこれからの私。

 一泊、二泊、三泊。そうするうちに、私の娘は土に慣れてゆく。小さなシャベルを持って庭のあちこちを歩いてはあれこれ用事を見つけ出す母のすぐ後を、彼女はまさに金魚の糞の如くくっついて歩く。かと思うと、二人してしゃがみ込み、あれやこれやを掘り返している。もぐらの作ったトンネルを見つけ追いかけてみたり、繁殖の激しい草花を適当に抜いて回ったり。その作業は終わりを知らない。
 ふと見ると、私の娘が裸足になっている。今日この日まで、外で裸足になったことのない彼女は、唐松の落ち葉敷き詰めたその場所で裸足になり、ふかふかするその感触をへっぴり腰になりながらも確かめ、気持ちいいよぉと私に大きな声で教えてくれる。そういえば私は、街中で暮らしていながら、裸足になることが多い子供だったことを思い出す。父や母に隠れて裏山へ潜り込んでは、ひとりであちこちを歩き回った。秘密基地も内緒の樹も、その場所にあった。そう、心がささくれるたびに私は、裏山へ潜り込んだものだった。土の匂い、緑の匂いの溢れかえる場所に。
 歩くのをいやがる娘を無理矢理引きつれて、私は山の小道をあちこち歩き回る。もう帰ろうよ、おんぶして。彼女は半べそをかきながら私にすがりつく。だめだよ、自分で歩かなくちゃ。でももう歩けない。じゃ、おうちに帰れないね、どうする? 帰る。じゃ、自分であるかなきゃ。
 そして私は、最初はしぶしぶと、じきに体全体で跳ね回り始めた彼女を、カメラで追いかける。そして、気づくのだ。あぁ、四歳の頃の私が今ここにいる、と。
 それはもちろん、私ではない。私の娘だ。私が四歳の頃にはまだ、この道は山の中、森の中だった。二十年の間に切り拓かれてできた、新しい道なのだ。けれど、その道をゆく娘の姿のすぐ横に、私は、かつてここにいたのだろう幼い私を見つける。その私は、娘に見つからぬようこっそり隠れながら、それでも娘の後をぴょこんぴょこんとついて回る。私は、娘と、かつてここにいただろう、ここに生きていただろう私との後を、ゆっくりとついて歩く。あぁ、そうか、歳を重ねるというのはこういうことだったのか、と、私は、ようやく納得する。

 夜、娘が寝静まった後、父と母と一口ずつビールを飲む。私たちは一つのテーブルを囲みながら、今頃夢の中で遊んでいるだろう私の娘の話をする。私たちは、私たちの昔話をしない。それは多分。
 多分それをしたら、私たちはばらばらになってしまうことをいやというほど知っているからだ。
 確かに。他人が言うように、その昔お互いによって幾つもついた傷痕について、私たちは話し合うべきなのかもしれない。その方が、早く傷も癒えるのかもしれない。けれど。
 私たちは話し合えない。いや、話し合わない。何故なら、もうそれらは、あまりにも個人的な傷痕だからだ。私には私の傷痕が、父には父の、母には母の傷痕が、もうそれぞれに、あまりにそれぞれに、出来上がってしまっている。
 真実は一つではない、ということ。私には私の真実が、父には父の、母には母の真実があるということを、私はこの二十年の間に知ってしまった。
 だから、もう、私たちは、昔のことについて話し合うことはない。多分そのままお互いに傷を抱いて、死んでゆくだろう。でも、それは決してマイナスのことではなく。多分私たちにはそれが、必要なのだということを。今の私はもう、知っている。
 こういう家族もあるのだな、ということを。今の私は知っている。

 古傷を抉るのではなく、今を。或いはこれからを。共に分け合うことができるなら。
 人生はそんなに長くはない。短いというわけではないけれど、かといって長いわけではない。この限られた人生の中で、私たちが交叉できる幾つかの時間を、今度こそ慈しんでゆけるなら。
 そうして積み重ねて、死ぬそのときに振り返ったなら、そこに多分、私たちの、家族という道がある。きっと。多分きっと。
 私は、そう信じたい。

 気がつけば娘が花を摘んでいる。ママ、これは何ていうお花? これはね、マツムシソウって言うのよ。じゃ、これは? ツリフネソウ。ママは何でお花の名前知ってるの? 昔、あなたと同じ歳の頃、押し花とかよくやったの。押し花って何? あぁそうか、押し花っていうのはね…。

 そうやって次へ伝えられてゆくことは、哀しいことばかりじゃない。きっと、いとおしい、何処までもいとおしくやさしい音色もあるはずだ。私が今、娘の小さな手を丸く丸く包み込むように握るその握り方も、いつか彼女が、今度は彼女が、知らぬうちにその娘に伝えてゆくだろう。私がかつてきっと、何処かできっと、母から教えられたように。

 横浜へ戻る前の晩、私は一本の樹にりぼんを結んだ。庭の隅で見つけた白樺の若木だ。もしかしたら誰かの手によってこのりぼんは解かれてしまうかもしれない。でも、今私がここで結んだもの、それは、多分きっと、樹に伝わる。樹に染み込む。そしていつかこの樹は、私たちの背を越えて高く高く聳え立ち、きっと吹き抜ける風と共に歌うだろう。私がかつてここにいたことを。私たちがここに、確かにいたということを。

 さぁ、明日はもう、横浜だ。日常が待っている。私が愛してやまない平凡な毎日が、そこにはある。
 さよなら、この場所、また会う日まで。多分それは、そう遠い未来じゃぁない。私たちはまた、一緒に、この場所に来るんだろう。この場所でまた、何かを紡ぐだろう。そう信じて。私はこの場所から横浜に帰ろう。

 さよなら。また会う日まで。


2004年08月10日(火) 
 真夜中、風が止まる瞬間がある。それはほんの一瞬であったり、幾つか数を数えられるくらいの間であったり、一日一日それぞれだ。そしてその、風の止んだ瞬間の光景に立ち会うとき、その景色は間違いなく、私の網膜に一回一回ちりちりと刻まれる。刻まれた光景からは、まるで地の奥底から低い低い声で呼ばれているような錯覚が匂い立つ。私の心臓は、その声にどきりとする。
 いつのまにか、真夜中の蝉の声は薄れ、気づけば鈴虫の声が何処からか聞えて来るようになった。昼間のあの強烈な日差しの中ではなかなか感じられない次の季節の気配。今年の夏の暑さにすっかりぼろぼろになった私は、一握りの安堵を覚える。
 今もまた頭の中で声が響く。右から私を野次る声が飛んでくるかと思えば、左から今度は私を擁護する声が飛ぶ。びくつきながらふと振り返ると、私は、膝を抱えてうずくまったまま声を失っている幼子の姿を見つけ、再び前を向けば、さっきまでいなかったはずの何処かで会ったことのあるような誰かの姿がそこに在る。そしてそれらはみんなそれぞれに、それぞれの言い分を持ち合い、その中央に立つ私が、そろそろと舞台を降り、後方に隠れても、遠慮なく吐き続けられる。だから私はたいてい、傍観者のように声のやりとりを見つめている。
 気がつけば私の周りには薄い膜のようなものが張られている。それは、飛び交う声から私を保護するために私がかつて生み出した膜であり、だから私は、体をできるだけ小さくして、膜の中に隠れる。ここは安全なはずだ、と。
 でも、安全ではないのだ。もう膜の存在を知っている声たちは、容赦なく私に襲いかかる。いや、襲いかかるのではない、私の内奥に直接に入って来るのだ。だから逃げようがない。結局私は諦めて、そして、ただ沈黙する。

 診察室で主治医に何か言いかけた私に、壁を越えて隣の誰かの声が突き刺さる。咄嗟にすがるように主治医に言う。
「先生、今声がしたでしょう? 突き刺さるんです、今のあの声は私にかけられたものでもないし、私には関係ない声だと私自身分かっているのに、突き刺さって来るんです。そしてじきに、心臓がきゅうきゅうと痛くなる」
「…」
「私の中でも声がする。幾つも幾つも。だから私は途方に暮れる。外からも内からも声が降り注いで突き刺さって、私は一体何処に行けばいいか分からなくなってしまうんです」
「まだまだ混乱しているのね」
「…」
「…」
「疲れちゃうわね」
「はい、疲れます」
「…」
「どうして、自分には関係ない、全く関係のない声だと分かっているのに突き刺さってしまうんだろうって思います。それは言葉じゃないんです、音に近いかもしれない、でも違うかもしれない。私の思考を分断するように声が降って突き刺さってくるんです。だから私は自分が何を考えているのか分からなくなってしまう、迷子になってしまう、一体何処へ行けばいいのか、何処へ行こうと思っていたのか、つい一瞬前のことでも分からなくなってしまう」
「…虫はまだ見える?」
「はい、見えます」
「虫は死んでるの?」
「この間は死んでたんですけれど。今はまた生きてます。それから、これはそれとは違う、夢の話なんですけど、私の口から虫がぞろぞろと這い出てくる夢を見たりして、とても厭でした」
「…」
「…」
「焦らないで。来週まで生き延びてくれればそれでいいから。ね、生き延びてまた会いましょう」
「…はい」

 病院の帰り道。途方に暮れて空を見上げる。あぁ、空ももう、秋に向かっている。空に伸ばしかけた手がふと止まる。そして私は急いで自転車にまたがる。
 あの樹に会いにいこう。私は一心不乱に自転車をこいで、坂をのぼって、その場所へ急ぐ。息を切らして、ただひたすらに。
 そして。
 樹はそこに在る。ただ在る。病にかかり、大きく空へ左右へ張り出させていた枝はもうとうの昔に切り落とされ、無残な姿を今はただ晒している樹だけれども。
 私は樹の姿を捉えられる場所に立ち、耳を澄ます。目を閉じて耳を澄まし、私の掌にだけ意識を集める。かつてほんの一瞬だけ触れたあの幹の感触が、じきに私の掌に蘇って来る。あぁそうだ、樹はいつだってここに在る。私が振り返りさえすれば、じっとここに在る。時に私の道標になり、時に私の止まり木になり、そうしてずっとここに在る。
 澄ました耳の奥から、小さな小さな音がこぼれ出してくる。とっくんとっくんとっくん。やがてそれは大きな波となって、私を包み込む。とっくん、とっくん、とっくん。
 そう、まだ大丈夫。私はまだやれる。この世界からはじき出されそうな錯覚を持ってしまうことばかりだけれども、世界は私をはじいているのではない、世界はいつだってここにあって、そこからはじかれてしまうと感じるのは私の弱さだ。私の驕りだ。世界はいつだってこうやってここに在る。ここに開かれている。私はだから、どんなに迷うことがあったとしても、ここに在り続ければいい。ただそれだけだ。
 風がふいっと私のうなじを撫でてゆく。大丈夫。私はまだやれる。
 私はようやく目を開けて、再び樹をじっと見つめる。さぁ、帰ろう、自分の場所へ。
 再び空を見上げれば、横切る鳥の姿。そして私は、家路を辿る。


2004年08月04日(水) 
 まん丸の月が瞬く間に欠けてゆく。濃闇に浮かぶその色は、地平線の辺りではぬめぬめと黄身色なくせに、天高く昇る頃には、これでもかというほど白光し、私の目にまっすぐに落ちて来る。
 毎日毎日うんざりする暑さが続いている。でも、見上げる空に浮かぶ雲は、ほんのわずかずつだけれども、夏から秋へと手を伸ばし始めているようだ。私に聞えない速度で、季節は一刻一刻、進んでいる。

 「そんなことであなたが傷ついてるなんて思ってもみなかった。あなたはとても強い人で、だから、何が起きたって傷つかないって思ってた」。彼女にそう言われた時、私は愕然とした。傷つかない人間なんて、この世に存在するのだろうか。もしいると仮定したとき、私はその一人として数えられてしまうのか。私はあまりに愕然として、その間も喋り続けている彼女の声は私の耳から耳へ、素通りしてゆく。
 私とあまり変わらない時期に私と同じ種類の犯罪被害者となった彼女と、いつどうやって出会ったのか、もう記憶は定かではない。以来、彼女は事あるごとに私を試そうとする。何を試そうとするのかといえば、かつて、君をずっと支えてゆくよ、守ってゆくよと約束した彼女の周囲の人々が次々に彼女から離れていった、その人たちと同じように私も彼女を見捨ててゆくに違いないという彼女の思い込み、それを試そうとする。私と交わす約束を次々に破棄してゆく彼女。自分から破棄しておきながら、そのたびに、私を見捨てないでと泣く彼女。ごめんなさいと謝ったそのすぐそばから、また同じ事を繰り返し、でも、自分が同じ事を繰り返しているということを自覚せぬまま、私を試し続ける彼女。
 試さずにはいられないという気持ちは、私にも覚えがある。きっとあなたも同じだ、きっと君も彼らと同じだ、何だかんだ言ったって、あんな体験を経て穢れ、その為に心まで患っているようなどうしようもない人間である私から君らは離れてゆくのだ、絶対に、と、もうそれはほとんど確信めいていて、その頃の私はその思い込みを微塵も疑うことをしなかったくらいだった。所詮あなたもみんなと同じなのよ、と、そう思い込むことで、私はその頃、死にダイブしかける自分を何とか救っていたのかもしれない。
 だから、彼女が何度私を試そうと、私はそのたびに御破算にした。何度約束を彼女が破ろうと、何度彼女が嘘をつこうと、動じないでここに立ち続けようと思ったからだ。でも、それで良かったのだろうか。
 今となってはもう、それで良かったのかどうか私には分からない。彼女は私を試すことに慣れ過ぎて、私も試されることに慣れ過ぎて、お互いに疲れていっていたのかもしれない。
 事件が遭った日に一人でいたくないから行ってもいいかという彼女に、いいよと返事をしたのは私だ。そして彼女は、私の家でこれでもかというほど酒を浴びた。私は、その日がどういう日であるのか知っていたから、黙って見守っていた。でも。
 事件に遭いPTSDを抱え込んで以来、次々に離れてゆく友人の後姿を見続けてきた彼女は、いつのまにか自分がいまだにこうやって苦しむのは去っていった友人たちのせいだと口にするようになり、自分が背負うはずの荷物も全部彼らの後姿に投げつけ、もう死んでしまいたいと繰り返した。私は、そういう彼女の姿を見ることに、多分もう、疲れていた。だから、何もかもを他人のせいにしようとする彼女の頬を、気づけば私は強く打っていた。
 声を上げて泣きじゃくる彼女。見捨てないでと泣きじゃくる彼女。そんな、まるでどしゃぶりの中泣いている捨て猫のような彼女に、私はどうすればいいのだろう。半ば途方に暮れ、私は、私の気持ちを彼女に伝えた。
 ねぇ、そうやってあなたが自分で自分をどんどん傷つけてゆくのを見るたびに、私はとても傷つくんだよ。あなたがそうやって他人のせいにするのを見るたびに、私の心はとても痛むんだよ。あなたが死にたいと口にするたび、私はこれでもかというほど傷ついているんだよ。
 そう言った私に、彼女は言ったのだ。「そんなことであなたが傷ついてるなんて思ってもみなかった。あなたはとても強い人で、だから、何が起きたって傷つかないって思ってた」と。
 ねぇ、本当にそう思うの? この世の中に傷つかないで生きてゆける人なんて本当に存在するとあなたは思っているの?
 もう、それ以上、私は何も言えなかった。いや、一言だけ確か言ったのだ、私は。そう、確かこんな言葉だった。「ねぇ、私があなたを見捨てるんじゃない、あなたが私をそうやってずたぼろにして、私を捨ててゆくんだよ」と。
 もうそのとき、私の中には、その言葉の他に、何もなかった。

 PTSDだから、性犯罪被害者だから、だから私は幸せになれない、生きるのがこんなにも苦しい、なんて、そんなふうに嘆いていられた季節は、私の中ではもうとおに過ぎ去ってしまった。PTSDだろうと性犯罪被害者だろうと、私は生きてゆくしかないし、生きてゆこうと思っている、生きることがどんなに辛いことでも、私は生きて幸せになろうと思っている。だから、私はもうそんな位置に来てしまったから、今の彼女の痛みをもはやこれっぽっちも分かっていないのかもしれない。そんな私はもう、彼女に何の言葉もかけるべきじゃないのかもしれない。でも。
 それならばなおさらに。
 私は生きていこうと思う。いつかあなたが、この私もかつての自分の友人たちと同類なんだと見捨てていっても、それも一緒に受け容れて、それも一緒にこの背中で背負って、私は自分に死が訪れるその日まで歩いていこうと思う。どんなことを経ようと、人は生きていけるんだと、そう思う私は、それを体現し続けようと思う。そして、あなたともし遠く離れたとしても、あなたがいつ振り返ってもいいように、ここに灯りは点し続けていたいと思う。私がここで生きているという証に。
 あなたの頬を打った私の右手は、とても痛かった。この痛み、覚えておくよ、私は。そして、たとえば二人してそれぞれに、十年後、二十年後、まだ生き延びていられたとして、そこで再び会えたなら、そういえば昔こんなことがあったねと、笑って話せるように。
 だから、私はやっぱり生きていくよ。まっすぐに。私が生き続け、ここで笑っている、それが、私が今できる唯一のこと。過去にあったあの忌まわしい出来事に対して、それに関わった大勢の人間たちに対して、それは少し復讐という色合いを帯びているかもしれないが、それと同時に、今もずっと私を見守ってくれている私の大切な愛する人たちへの、溢れんばかりの感謝の気持ちとして。

 ねぇ、今、あなたに私の声は届きますか。
 泣きながらでもいい、死にたいと呟いていてもいい、どうかあなたが、今日もまた、この一日を越えていってくれますように。


遠藤みちる HOMEMAIL

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