見つめる日々

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2004年06月29日(火) 
 気がつけば、今日という一日がまた過ぎ去っている。窓の外、久しぶりに夜風はやさしく、街路樹の葉々を撫でている。時々通りを行き交う車の音が、風に乗り私の鼓膜をふるわせる。
 ベランダでは今、次々に薔薇が開いている。強い日差しを真っ向から受けて輝く花びらを見つめていると、そのまま彼らが光に蕩けてしまいそうな錯覚を覚える。日差しという見えない炎に焼かれ、そのまま消えてなくなってしまうかのような。
 最近また、自分という実体から、私の内奥が少しずれているように感じられる。私の目に写り込むのはだから、いつだって私の後頭部が入り込んでいる映像になってしまう。私の目は顔のこの位置にあるはずなのに、見えるものすべて、私の後方からの視線になる。実体から離れて浮遊する私というモノは、右に左に少しずつ揺れて、世界はだからいつだって不安定だ。これも私が生涯抱えていかなければならない世界の一つだと言ってしまえばそれまでだが、いくらこういう世界を見せられても、慣れることはなかなかできない。
 そうして、私の目に写る像と実際の世界とがきちんと結ばれる唯一の時間は、娘を目の前にしている時間ということになる。娘がいる。守らなければならない存在がそこにある。私がちゃんと起立していなければ、私は彼女を守ることはできない。その思いが、ふわふわ浮遊する私をぐいと現実に繋ぎ止める。

 それにしても。
 怒涛のような一年だった。別居し、離婚し、求婚され、御破算になり、小さな恋をして、恋を手放し。そして娘との二人生活。それはたった一年前からの出来事なのに、私にはもう、十年二十年昔の話に思える。
 この一年。私が学んだことは何だろう。まだ答えは出ない。が、一つだけ、間違いなく言えることがある。それは、孤独を親しいものにすることができたということだ。
 孤独、それはかつて、まるで天敵のようにそこにあった。私は、孤独になどなりたくなかったし、孤独であることに耐えられもしなかった。遠い昔ではあるが、孤独であることと自分で歩くこととを履き違えていたその頃の私は、孤独でありたくないが為に自ら自分の足を折ったこともあった。
 でも。
 今は何だろう、孤独という代物は、私の中で、まるで一枚の毛布のような存在になっている。決して氷のように冷えきったものではなく、やさしく私を包み込んでくれるような存在。それが、孤独。孤独という言葉からかつて抱いていた不安で寂しくて辛いイメージなど今は何処にもなく、まるで人生の伴侶のようにしてそこに在る。
 だから今は、孤独と親しむことができるようになった今は、何も怖いことはない。ひとりきりでも、世界は冷たいどころか、何処までも何処までも平等に広がっているし、その道には花も咲いていれば鳥が渡ってゆく空もある。
 多分、それを教えてくれたのは、娘という存在なのだろうと思う。彼女は、与えられた環境を黙って受け容れ、その世界で精一杯毎日を生きている。与えられた環境を拒むのではなく、受け容れることで、さまざまなことを乗り越えてゆく。乗り越え、そうして彼女は毎日懸命に羽ばたいてゆく。
 下手に知識を持ち、世間ずれし、言葉も過剰に覚え、不平不満を振りかざす術も身につけてきたりしたが為に、言い訳ばかり用意して現実から逃げたり見ないふりをしたりする私に、彼女は無言で教えてくれる。何故逃げるの?
 もちろん彼女にそんなつもりはないだろう。私がただ、彼女の生きる姿勢から感じただけの話だ。でも。
 受け容れることで乗り越えられるものがあるということを、教えてくれたのは、間違いなく、たった四年しかまだこの世を生きていない彼女だった。
 あぁ、受け容れてゆくのだ、何もかもを受け容れていこう、そう思ったとき、孤独は、私と敵対するものではなく、強力な味方になった。そして改めて世界を眺めれば、それはとても美しくて、同時に醜くて、どれほどに愛すべき存在であるかを、私は知った。

 今、娘はすぅすぅと寝息をたて、大の字になって眠っている。
 彼女は多分、ただここに在るというだけで、私に再び生きることを教えてくれる。今ふと思う。もし死ぬ間際、私から彼女に残す言葉があるとするなら。それは。
 ありがとう。その一言だ、と。


2004年06月21日(月) 
 真夜中に目を覚まし、窓の外をぼんやり眺めていた。強い風。あおられてひるがえる葉々は、ざわざわと大きな音を立てている。どのくらいそうして眺めていたのだろう。突然、さぁっと雨が現れる。街燈の灯りのもとに雨筋が浮かび上がる。斜め方向になぶりつけるような細かな雨。びゅるりるると暴れる風に乗って、雨は叩きつけるように降る。耳を澄ますと、葉々を打つ雨粒の音が、私の鼓膜を微かに揺らす。それは、遠く遠くから響いてくる名も知らぬ群の駆け足の音のように聞える。
 徐々に徐々に強くなる雨音。私は街燈の下に浮かび上がる雨粒をじっと見つめる。風に乗って細かな雨粒が、左から右に、筋を描く。風がひときわ強く吹くと、雨筋はもう粒で描かれるのではなく、まさに線のように現れ、隙間の一つもなくびっしりと現れる。
 昔、一度だけ台風の目を見たことがある。小学生の頃だ。その日は休日で、父も家にいた。ガラス窓をどんどんと叩く風と雨とが、一日中暴れ続けていた。そして夜、突然父が言った。「台風の目が来るぞ」。父の後について二階へ駆け上がり、弟の部屋の出窓に私と弟は陣取った。父がじっと空を見詰める。私たちはそんな父の様子に少し緊張していたような覚えがある。そして「見ろ、これが台風の目だ」。そのとき突然、それまで辺りを埋め尽くしていた風の音、雨の音がぷっつりと止んだ。空をじっと見つめれば、そこは澄み渡った夜闇があった。それまで厚く覆っていた雲がまるでぽっくりと口を開けたみたいに、そこだけ雲一つなく、晴れ渡っていた。南から現れたその台風の目は、ゆっくりと私たちの頭上を越えて、北へ進んでゆく。窓にへばりついて、私と弟はその様を見つめた。どのくらいそうしていたのだろう。突然また風と雨の音が再び訪れ、ガラス窓は滝のような雨と風とにぶるぶると震え始めた。
 気がつけば空の闇が少し薄れ始めている。雨も止んだらしい。私は娘が起きるまでのあと二時間を、娘の隣に横たわり、娘の寝顔を見てすごすことにする。

 午前中は止んでいた雨が、昼過ぎになると再び降り出した。斜めに斜めに、叩きつけるような雨である。相変わらず吹き続ける強風に、葉々は必死になって耐えている。裏返り、めくれあがり、それでも必死に枝々にしがみつく。その姿はなんだかとても美しい。
 そういえば。最近娘はよくベランダに出たがる。出て何をするのかといえば、大きな声で通りに向かってお願い事をするのだ。
 「神様ぁ、私をお姫様にしてください。私はセーラームーンになりたいんでぇぇぇす!」と言ったかと思うと、今度は「神様ぁ、私にピンク色のドレスをください。もっとかわいくなりたいんでぇぇぇす!」と言ったりする。私は部屋の中から、その後姿を眺めては、娘に見つからないように笑いをこらえている。
 まぁそういうことは、多分この年頃の女の子ならみんな思うことなんだろう。ほほえましくていいじゃないか、という気持ちで、私はいつも彼女の後姿を見ていた。
 それが、昨日、娘はとんでもないことを言い出した。
 「神様ぁ、ママと私にお金をくださぁぁぁい。お金がなくて困っているんでぇぇぇす、もっといっぱいいろんなもの買いたいんでぇぇす、神様ぁぁ、お願いしまぁぁす、ママと私にお金をくださぁぁい、お金持ちにしてくださぁぁい!」
 それを聞いたとき、私は自分の目玉が飛び出るかと思った。いや、確かに私にはお金がないし、娘が何か欲しいと言ったとき、お財布に余裕がなければ正直に「お金がないから買えないよ」と言う。娘はそれを聞くと、仕方なさそうに我慢する。確かにそれはそうなのだが。
 よりによって、お金をくださぁぁいと叫ぶとは。私はもう、腸がひっくりかえるかと思うほど笑った。笑って笑って、涙が出てしまった。
 娘はさんざっぱらそうやって神様にお願い事をすると、気が済んだというすっきりした顔で部屋の中に戻ってきた。そしてこう言うのだ。
 「ママ、今ね、神様にお願いしてきたからね。大丈夫よ。ね」
 私は、涙の浮かんだ目で、笑いをこらえながら、「ありがとうね」と言っておいた。本当は。
 本当はちょっぴり、切なかった。

 こうやってノートに書いているうちにも、雨はどんどん激しさを増してゆく。じきに通りの向こう側が見えなくなるんじゃないかと思うほど。ここまでくると、見事な降りっぷりで、感心してしまう。私は、こんな、ただひたすらに降る雨が、結構好きだ。できるなら、雨の中に裸で出て、雨を全身に浴びたいくらい。
 そして私は再び、娘の姿を思い出す。
 ベランダの柵をぎゅっと握って、体の底から声を絞り出してお願い事をする彼女の姿を。
 私はもう知ってる。神様にいくらお願い事をしたって、そんなこと、ほとんど叶いやしないってこと。神様にお願いするくらいなら、自分で地道に歩いていった方が、どれほど確実に何かを手に入れられるかってこと。
 娘もいつか、そんなことを知るのだろうか。学ぶのだろうか、自分の体験から。
 多分そうなのだろう。でも。
 もう少し、こうやって、神様お願い、と、言わせておいてあげたいと思う。サンタクロースのことも神様のことも信じて、もうしばらく、少女のままでいて欲しいと思う。いつか必ず、知らなくてはならないときがくるのだろうから。それまではせめて。
 そして、私が経たような経験を経ずとも、生きて学んでいってほしいと思う。
 それが、親の勝手な願いだと、充分に知っているけれど。

 雨、もっと降れ。降って降って、あちこちの滓を、全部洗い流してしまえ。
 窓の外、樹を葉をなぶりつける風と雨とを、私はまだ、眺めている。


2004年06月19日(土) 
 南の海には台風がいるという。そのせいなのかどうか分からないけれど、昨夜から風はいつもより勢いを増し、木々の葉を裏返すように街を行き交っている。日照りが続き、プランターの中はすぐに乾く。だから私は毎日のように如雨露を持って、流し場とベランダとを往復する。ちょっと油断すると、薔薇の蕾がくたりと首を曲げてしまうので、念入りに、何度も何度も往復する。
 サンダーソニアは短い命を終え、その花は、鮮やかな橙色から乾いた薄茶色へと変化し、私は今日、そっと鋏を入れる。今年もご苦労様。そんな気持ち。
 その脇で、茂みになったミヤマホタルカヅラが今日も新芽を持ち上げる。一体どこまで茂るのだろう。私はまじまじとその茂みを見つめるのだけれど、秘密、とばかりに返事はない。元気ならいいや、と、葉を何度か撫でておく。その間に、黄色と白の大輪の薔薇が、次々に蕾を開かせる。蕾が開きかけたら鋏を入れて、テーブルの真中の花瓶に差し替える。
 娘は、今週一週間であっという間に新しいスケッチブックを絵で埋め尽くしてしまった。日曜日、私の友人たちに戸外で遊んでもらったのがよほど嬉しかったらしい。「これはね、Yおにいちゃん、これはMおねえちゃん、これはMちゃん、これはSちゃん、これはRちゃん」。彼女の友達と、私の友達とが一緒になって絵の中で遊んでいる。本当はあり得ない構図でも、彼女の心の中では鮮やかに、その光景が描かれているのだろう。みんなにっと笑っている。そういえば彼女の絵の中に男の子が現れたのはこれが初めてだ。今までは、いつだって女の子で、いつだって長い三つ編みをしていた。それが、髪の毛の短い、ウィンクした男の子が現れた。「ママ、みんなに送ってね、みんなにだよ」。彼女に何度も念を押される。私はどう返事したものかと心の中で本当はずいぶん迷う。「うん、わかった」と返事はするけれど、実際私は送らないからだ。心の中で、嘘ついてごめんよ、と一応謝っておく。「ママ、新しいノート早く買ってね、もう描くところなくなっちゃったんだから」。彼女の思い出がいっぱいつまったノートが、机の上で風にページを揺らす。
 今週、彼女は保育園で父の日の為に絵を描いた。お父さんの絵。あらかじめ保育園の先生に話しておいた「彼女が望むままに描かせてください、彼女が描きたいなら描いて、描きたくないと言ったら彼女が好きなものを描かせてやってください」との言葉通り、彼女は自らお父さんの絵を描き、今日、それを持って帰ってきた。
 家に戻って鞄を広げ、彼女はその絵をはりつけた色紙を私に渡す。渡しながら彼女が言った。「うちにはお父さんいないのにね。そうだ、ママがお父さんになっちゃえば?」。彼女が照れくさそうに笑う。「そうだね、そうだそうだ、じゃぁママがお父さんになろう、絵、よく描けたじゃない、ひげもあるんだ、すごいねぇあぁこ」「へへへ」「じゃぁ何処に飾る?」「うーん」「じゃ、ここに飾ろう、ここならいつでも見えるでしょ?」「えー、ママの絵の隣り?」「うん、だめ?」「…ママ、ママのあの絵、下手だね、ごめんね」「え?」「だって髪の毛ぐしゃぐしゃ」「えー! 下手じゃないじゃん、ママ、この絵好きだよ」「でもぐしゃぐしゃなんだもん」。そこまで言うと、彼女はべそをかいた。私はどうしていいのか分からず一瞬戸惑う。だからもう一度言ってみる。「下手じゃないよ、ママはこの絵好きだよ。それにさ、ママ、いっつも髪の毛も格好も適当だもん、この絵のまんまだよ」、そう言ったら彼女はくすりと笑った。
 彼女を寝かしつけてから、私はそのときのやりとりをひとつひとつ思い出す。「うちにはお父さんいないのにね。もういなくなっちゃったのに」「そうだねぇ」「ママがお父さんになれば?」「そうだね、ママがパパになっちゃおう!」「パパー!」「はーい」。
 これでよかったんだろうか。こんな返答でよかったんだろうか。本当は、彼女になんと言ってやればよかったのだろう。答えの出ないことを、私はぐるぐると考えている。
 私は多分、とても恵まれている。貧乏でもとりあえず暮らすことはできる状況だし、時々泊まりにきては娘と遊んでくれる友達が、そして私の愚痴をきいてくれる友達がいる。休日には、私たち親子に声をかけてくれる友人たちのおかげで、外に遊びに行き、その友人たちはみんな快く娘の相手になってくれ、私は母親業を怠けることができたりする。実家の父母も、孫をいっぱいかわいがってくれる。母子家庭でありながら、それはどれほど恵まれていることだろう。日々の生活さえままならず、夕食のおかずにも困る母子家庭が巷にはどれほど溢れていることだろう。
 それでも、やっぱり、彼女の心の中で父親は生き続け、その空白は、私ではきっと埋めようがないのだということを、改めて考える。空白は空白でしかたない、と、割り切ってしまえばいい。そう思うのだけれども。「そんなこと考えたってしかたないじゃないの。それはあぁこが自分で折り合いをつけていくしかないんだから。あなたが考えてもどうしようもない。やめなさい、いらないこと考えるのは」、とは母の言葉だけれども、確かにそう思うのだけれど、時々、きゅうぅっと胸が痛くなる。
 ねぇあぁこ、あなたは、私との二人の暮らし、どんなふうに今受け止めているのだろう。これからどんなふうに受け止め、折り合いをつけてゆくのだろう。
 そんなこと考えても、どうしようもないことを、私はもう充分に知っている。知っているのだけれども。
 父の日の為に彼女が描いた絵が、今、本棚の上、そっと立てかけられている。本当は、彼女はこの絵をちゃんとお父さんに渡したいのだろうに。
 「ママがお父さんになっちゃえば? パパー!」笑いながら彼女がふざけて私をパパーと呼ぶ。だからはーいと返事をする。これでいいんだろうか。私は心の中で呟き続ける。
 そんなとき、最後に私が思いつくことは、やはりこれも母から言われた言葉だ。「あなたが迷ってたらあぁこがかわいそうよ。その方がどれほどかわいそうか。それを考えなさい。しゃんとしなさい!」。
 分かってる。それは確かに正論なのだけれども。
 それでもやっぱり、時々考えてしまうのだ。あなたの中のお父さんを不在にしておくべきなのか、それとも私が努めて父親役もやるべきなのか。
 そして、行き詰まるのだ。私は私にしかなれない。だからごめんよ、あぁこ、と。

 今、次の写真展の作品を考えている。一つ、思いがけなく撮れた十数枚の写真。それは今まで自分が撮ったことのないような写真で、これを一つシリーズにして展示してみようというところまでは決まった。残り、その対極に立つような作品群が、まだ絞りきれない。今のままでは散漫になってしまいそう。もう少し作品を選び出さなければ。
 「どんなに忙しくても、大変でもさ、あなたは写真やっておいた方がいいよ。自分だけの楽しみっていうのは、絶対なくさない方がいい」。かつて私にそう言ったのは確かMだったか。今更だけれども、つくづく思う。本当にそうだな、と。
 もし写真がなかったら、私は、娘との二人きりの密室に、今頃きっと、押し潰されていたことだろう。密室というのはとても怖い。鍋の中で煮詰まって、やがて鍋の底で焦げて焦げて燃え出してしまうような煮え滓。娘には娘の世界、私には私の世界がそれぞれあるからこそ、多分バランスが保てている。もしこれが、それぞれの世界を持たず、二人の世界しか私たちが持っていなかったなら。今頃きっと、どつぼにはまって、お互いを傷つけるばかりの毎日を過ごしていたんだろう。そう思うとちょっと怖い。立場を変えたら、もしかしたら今日のニュースで、私たちの名前が流れていたのかもしれないと思うと。「今日、横浜市のうんたらで、親子の心中死体が発見されました」なんて。

 気づけばそうやって、毎日は慌しくあっという間に過ぎてゆく。だから私は時々立ち止まる。これでいいのかしら。自分に尋ねてみる。後悔はない?
 今のところ、後悔している暇がないというのが本当のところ。そして、早く、もっともっとフル回転することができたなら。そんなことを思う。
 窓の外、いつもの場所にいつもの街燈がすっと立っている。街路樹の葉々は相変わらず風に吹かれ、葉の裏をありありとこちらに見せている。もうしばらく夜の中、漂っていようか。布団をけとばしておなかをだして寝ている娘に、もう一度布団をかけなおし、私は思う。明日も精一杯生きられますように。


2004年06月09日(水) 
 夜気が冷たい。大気が全身しっとりと濡れている、そんな気配がする。そして、窓のそばに立つ私の肌に、冷たさがじわりじわりとにじみよる。
 サンダーソニアは蕾の口が針の先端ほど色づいたかと思ったら、一日も経たないうちに全身甘い橙色に変身してしまった。覚悟はしていたものの、そのあっという間さ加減に、思わず息を呑む。見つめている間にも、私の目の中で橙色がどんどん濃くなるかのような錯覚を覚えてしまう。
 ミヤマホタルカヅラは、この部屋へ越してきてからやけに調子がいいらしい。プランターの端にこんもりと小さな茂みを作ってしまった。そして、枝が木質化する前に切って適当に土にさしておくと、次から次にみんな根付いて、自分も茂みの仲間になろうとぐいぐい葉を伸ばす。前の部屋のベランダは西向きだった。今の部屋のベランダはほぼ南。大きな通りに面していて夜中も車の音が聞えるけれども、一方、何の遮蔽物もないから、晴れていれば朝から夕までさんさんと日光が降り注ぐといった具合。日の光がこの世界に生きる者にたちにどれほど威力を持っているのか、プランターの中の植物たちを眺めるほどに私は思い知らされる。
 娘が今夜も泣く。痛いよぉ、痛いよぉ。成長痛である。今日は特に膝下が痛いらしく、歯を磨きに行った洗面台の前でへたりこみ、痛くて立てないよぉ、痛いよぉ、と泣いていた。
 代わってあげられるものなら代わってあげたい。でもどうやっても代わってやることができない。私は泣いている彼女を布団へ抱いていき、横にさせ、ひたすら足をさする。お気に入りのぬいぐるみを抱きしめながら、彼女はやっぱり泣き続ける。私の耳の中で、彼女の痛いよおという声が木霊する。
「痛いよぉ、痛いよぉ」
「痛いね、うんうん、ママがずっとさすっててあげるから」
「でも痛いよぉ」
「大丈夫、ずっとさすってるから」
 そうして最後、泣きながら彼女は眠った。その涙でぐちょぐちょになった顔をそっとタオルでふき、私はもうしばらく彼女の足をさすり続ける。
 私も幼少時、成長痛でよく泣いたと母から聞いた。私にはそんな記憶は残っていない。だから、その当時私が痛みの中で何を感じていたのか、今となっては思いもつかない。
 でも、こうやって親になって、娘が痛いよおと泣く姿を毎晩のように見ていると、つい思ってしまう。
 どうしてこうまでして人は大きくなろうとするのだろう。そんなに急がなくていいんだよ、痛くなるほど急いで大きくならなくたっていいんだよ、ゆっくりオトナになればいいんだから、それで十分なんだから。
 心の中でそう呟きながら、彼女の足を私はまださすり続ける。
 そういえば私は、よく大人たちから言われたものだった。そんなに生き急ぐ必要はないんだよ。なだめるような表情で大人たちから言われるその言葉を聞くたび、思春期の私は反発を覚えた。口にこそ出さなかったが、あんたらに何がわかるんだ、と思っていた。生き急ぐという言葉の意味を、私はまだ知らなかった。
 その言葉の意味が、少しずつ体で感じられるようになって初めて、あの頃大人たちが何故、思春期の私の姿を見、口々にそう評したのか、私は考えるようになった。あぁそうだったのかと納得したのは、ここ数年のことといっても過言ではない。
 生き急ぐ必要はない。人生は確かに短いし限られているけれども、生き急ぐほどには短くない。自分次第で充分な時間が与えられているのだ。そう受け容れられるようになったのも、だから多分、ここ数年のことだ。
 今、娘を見つめながら思う。そんなに急いで大きくなろうとしなくていいんだよ。痛いよ痛いよと泣かずにはいられないほどに急いで大きくならなくていいんだよ。時間は充分にあるのだから、あなたは少しずつ大人になっていけばいいんだよ。そう言ってやりたい。彼女に分かる言葉で、彼女に言ってやりたい。
 でも。
 だめなのだ、多分。私がいくら精魂尽くして彼女にそんなことを言ったとしても、私の娘だ、きっと私と同じように反発するだろう。そう思うと自然に苦笑がもれてしまう。そもそも今の彼女にしてみれば、生き急いでるつもりなんて毛頭なく、ただ毎日を一生懸命生きて、呼吸している、ただそれだけなのだから。それを、周囲がいくら、急がなくていいんだよと言ったって無駄なのだ。彼女が自ら、急ぐ必要なんてないんだなと思うその日まで。
 彼女の顔に耳を近づけ、穏やかになった寝息を確かめてから、私はそっと彼女の足から手を離す。
 成長痛は、今は体だけだろう。けれど、彼女が年頃になれば、今度は心が成長痛を起こすに違いない。私がかつてそうだったように。
 そのとき、私は何ができるだろう。
 私はここにいて、ずっとあなたを見つめているよ。あなたがいつここに帰ってきても大丈夫なように、家を守っているよ。だからあなたは、家を飛び出してみたっていいし、しばらく旅に出て帰ってこなくてもいい。ただこの場所は、あなたが帰ってこようと思えばいつでも帰ってくることのできる場所なんだよ。…多分、それを言葉ではなく、心で、伝え続けてゆく。ただそれだけだろう、私にできることは。
 ねぇ、だから。
 痛いけど、引き受けていこうね。私はいつだって、痛いよと泣くあなたの隣にいるから。あなたの足を今さすっているように、もし必要なら、あなたの心も撫でるから。

 今日も夜がそうして更けてゆく。窓からすべりこむ風は冷たく、そして濡れている。私の吐いた煙草の煙が、風に乗って風に散って、窓の外へ消えてゆく。もうしばらくこうしていようか。なんとなく、そう思う。


2004年06月08日(火) 
 日曜日に娘と作ったティッシュペーパーのてるてる坊主四つ、今夜も窓の外、風に揺れている。夜闇に浮かぶてるてる坊主は、妙に白く輝いていて、まるで自ら発光しているかのようにさえ見える。ただのてるてる坊主。されどてるてる坊主。
 ベランダのサンダーソニア、一番下の蕾がとうとう色づき始めた。蕾の先端はもう、わずかに橙色が顔を見せている。こうなるとあっという間。花はまさに一気に咲いて一気に散ってゆく。
 洗い物をしながらニュースをぼんやり聞いている。人が死んでゆく様を傍らでじっと眺めている気持ちとはどんな気持ちなんだろう。しかも自分が傷つけたことで血を流し死んでゆく様を眺めるのは。
 私は自ら飛び立った友人たちを、間近で見送った記憶が幾つかある。中には脳みそがあちこちに飛んでいたこともあった。それは血の海の中でひときわ白く、つやつやぬめぬめと輝いていて、まるでそのもの自らが生きているかのようにさえ見えたことを今でもありありと思い出す。血の色もまた、刻一刻と変化するのだ。同じ体から出て来る血なのに、血は一瞬たりとも同じ色をしていない。ついさっきまで命が宿っていたはずの肉体が、まるで投げ落とされた人形のようにぐにゃりと横たわるアスファルトは、やけに熱く、同時に背筋を凍らせるほどに冷たく、私は一体自分が何処に立ったらいいのか分からなかった。何度経験しても、それは変わらない。ついさっきまでありありとした体温を抱いていた肉体が、冷えてゆく、その温度差に、私はただ呆然と立ち尽くすしか術がなかった。
 最初にその出来事と出会ったのは高校一年生の春だった。以来、私の周囲では飛び立つ友人が何人も現れた。そのたび私は取り残された。そう、取り残された、当時はまだそういう感覚だった。そして彼女たちはいつだって、その年齢で止まったまま、私の記憶に刻まれる。一方私だけが刻々と歳を重ねる。そのことに疑問を覚えもした。どうしてと尋ねずにはいられないこともあった。どうして私だけ生き残るの?と。どうしてあなたは死ぬことができたの?と。
 今は、多分、私は何も尋ねない。同時に、生き残らされたとも思わないだろう。これは彼女が選んだこととして、私は受け止めるしかないのだと。彼女がそれを選んだのなら、私はもうそれをただただ、受け容れるしかないのだろう、と。
 それでも、死んでほしくはない。死んで欲しくはないから、生きている間に彼女を必死に引き止める。怒りさえする。私にできることは片っ端からやってみる。多分それは、彼女に生きてほしいと同時に、私が後悔したくないからなんだろうなと思う。それは或る意味すごくずるいような気がする。ずるいと思いつつ、それでも私は、彼女が死んだ後、私が納得して生きてゆけるようにと、せめて納得して死を受け容れることができるようにと足掻く。たとえそれがどんなにずるいことであっても。

 今ふと思う。樹の血は一体どんな色をしているんだろう。樹皮を傷つければ流れ出るものなのだろうか。それとも。
 もちろん私は知っている。樹に血なんてない。人間のような紅い血は、そこには存在しない。でも、人間が生きているときに出す鼓動に似た音を、樹は間違いなく持っている。
 とく、とく、とく、とく。
 樹を抱きしめて目を閉じて、じっと耳を澄ますと聞えて来るその音。もしかしたらそれは、根が大地から水を吸い上げている音なのかもしれない。違うかもしれない。でも。音がするのだ。その音は規則正しくて、人の心臓の音にとてもよく似ている。
 だから、安心できるのだ。樹を抱きしめていると。目を閉じて耳を澄まして、ただただ自分の何もかもを樹に預けていると、そう、聞えて来るその音。
 私は樹を眺めるとき、だから、いつでもじっと耳を澄ます。遠く離れている樹であっても、私は耳を澄ます。もしかしたらあの樹の鼓動が聞えるかもしれないと思って。
 人よりもはるかに長い時間この世界で過ごす樹の、その音は、何処までも深く澄んでいる。だから私を安心させる。まだ大丈夫、まだ大丈夫、そう思える。

 あの、散っていった友人たちは、樹の音を知っていただろうか。時々ふと、そんなことを思うことがある。もし知っていたなら、何か違っただろうか。いや、何も違いはせず、彼女はやはり、あの場所であの時命を断ったのだろうか。
 そう思うと、私はどうしても空を仰ぎ見てしまう。そして呟いてしまう。ねぇ今、そこから見ているなら、樹の音を聞いてみてよ、一度でいいから。きっと樹の音色は、人の涙に似ている。そんな気がする。

 これから先、何人の友人の自らの死に出会っても、私は多分引き受けていくだろう。生き残った者だからこそできる何かを、探していくだろう。
 そして思うんだろう。
 私は自ら命を断つことだけはしたくない、と。死が訪れるその日まで、私はどんなことをしてでも生きていく、と。

 窓の外では相変わらずてるてる坊主が揺れている。樹の葉々も揺れている。街燈が黙って、鈍い橙色の光を放っている。私はここに在る。


2004年06月07日(月) 
 土曜夜半から、雨が一心不乱に降っていた。ついさっきまで。それは、見惚れるくらいに充実した、玉簾のような雨だった。窓を開けると、目には見えぬ雨の匂いが、ぷうんと鼻腔をくすぐった。玉簾の向こうで、樹々や街燈がしんしんと立っていたその姿を、今もはっきりと私は覚えている。
 時々慌てることがある。気づくと赤信号を渡っていて、盛大なクラクションを浴びる。理由は簡単で、私の中の映写機が故障したらしいということ。ストップさせようにもボタンが何処にも見当たらず、延々と映像が流れ続けているのだ。もうとうの昔にフィルムは途切れ、パタパタと音をさせながら回っているだけだというのに、それにもかかわらず、映像が流れ続ける。何故なんだろう。
 その中には、私もいる。だから私は、常に私を俯瞰しているような状態。私はここにいるはずなのに、何処かがずれている。私は私であるはずなのに、私は私ではないという方程式が同時に成り立ってしまっているかのような。
 そしてまた、その映像の実に鮮やかなこと。だから私は、現実の視界より、映像の方に気を取られてしまう。そして気づくと、私は赤信号を渡っていたりするのだ。
 これが、自ら想像しているという、自分自身の意志のもとに為されているのなら、ずいぶん事情も異なって来るのだろうが、それが違うのだ、私自身は想像も空想も、これっぽっちもしようとは思っていない。にもかかわらず、私の中の映写機は延々と回り続け、映像が映し出され続けている。
 そんなんだから、この頃は、私の視界と映像とが合致するのは、娘と一緒にいる時間だけになってしまった。彼女はまるで文鎮のようだ。ふわふわひらひら風に飛ぼうとする半紙の私を、ただそこに在るというだけで彼女は私を引き戻す。彼女といる時間だけは、だから、間違いなく、時計とともに私の時間が流れてくれる。まったくもって、彼女のその存在感の確固とした大きさ重さに、私はただただ感服する。彼女という現実の塊は、私には何者にも代えがたく、強烈である。
 彼女がいないとき、どうにも不安になったら、私はいつもの窓から樹々と街燈とを見やる。そこには、私の中がどんなに混乱していようと、変わらない現実がある。重さが在る。私はだから、彼らを見つめ、話しかける。話しかけていると、少しだけ、現実と、世界と、繋がっている緒を触ることができたように感じられる。
 この間、修理に出しておいてもらったカメラが治って届いた。このペンタックスSP-Fは、私が写真を撮り始めた当時からの伴侶だ。このカメラで私は初めて写真を撮った。腔を撮った。今、このSP-Fの後、迷いに迷った挙句に買ったNikonのカメラを使うことが、最近は確かに増えてきたけれども、それでも、握っただけで私を初心に立ち戻らせてくれるのは、このSP-F以外にはない。この先また壊れても、寿命が来ても、私は、このカメラだけは常に身近に置いておくのだろう。それはもう確信に近い形で、私の中に在る。
 私が何故写真を自らの術としたのか、私が何故そういった表現方法を必要としたのか、そういったことを丸ごと背負っていてくれるのが、このカメラだ。他人には大げさに聞えるだけかもしれないが、私には彼はかけがえのない存在なのだ。

 かつて世界はいつだってこの目に見えて、そして触れることができるものだった。その世界が崩壊したとき、木っ端微塵に壊れたとき、私は自分の手で、世界を再構築させる必要があった。もう一度自分の世界を、自分の手で、組み上げなければならなかった。
 今でもその作業は、多分、続いている。

 また空が曇ってきた。鼠色の濃淡の強い雲が、厚く厚く、西空から流れてくる。なのに南の空のひとかけらだけ、雲がすこんと抜けて、向こうの青い空が丸見えになっている。鼠色の厚い雲の向こうに確かに青い空が在る。そう、どんなときだって、そこには青い空が在る。
 私のこの、あやうい空の向こうにも、きっと、誰かと繋がる空が在る。


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