見つめる日々

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2004年05月28日(金) 
SYへ

仕事忙しいのに手紙をありがとう。いろいろ面倒かけちゃってごめんね。ほんと、嬉しい。
今、ちょうど、野沢尚の「呼人」という文庫本を読み終えたところです。
いろいろ考えるものがありました。
小説の中にSYという人物が登場するときは思わずどきっとしました。だって名前があなたと同じなんだもの。
でも、あなたとは全然違う人です。もちろん。
それで、読み終えたばかりで今自分が何を言いたいのか全然まとまってないのですが。
希望を感じる小説でした。
私は希望を持たなくちゃいけない、と思いました。
機会があったら、ちらりと読んでみてね。あなたの趣味に合うかどうか分からないけれど、一度読んでも損はないんじゃないかなぁ、と。それから同じ著者で「深紅」も。

うまく言えないんだけれど。
私と、父母との関係は、私が娘を授かり、なおかつ夫と別れ、否応なく自分が立たなくてはならなくなった頃から、きっと大きく変化していったんだと思う。
今思うのは、それまでの自分というのは、もしかしたらまったく自立できてなかったんじゃないか、と。そう思える。
私が自分で立つことで、世界と繋がり、世界とそして自分自身とを、受け容れようと腹をくくったことによって、父母との道筋というものが大きく変化した、というか。うまく言えないのだけれど。
たとえば、しばらく前から私、かなり調子悪くて、記憶ぶっ飛ぶなんて当たり前のようなところでおたおたしてたのね。そのために、私は過日父と話したことの内容をすっかり記憶から飛ばしてしまった。以前だったら、「ちょっと調子悪くて、記憶がすっ飛んでて、あのときお父さんと何を話したのか全然思い出せないの」なんて、父に言うことは、私にはとてもじゃないけどできなかった。それは、怖かったから。
父に叱られるに違いない、父にまた馬鹿にされるに違いない、どうせ聞いたって鼻であしらわれて答えなんてもらえないに違いない、だったら恥ずかしい思いした上に怖い思いまでして、わざわざ聞くなんてやめたほうがいい、怖い、怖い、父は怖い。逃げよう、って。そんな感じかな。
でも、今回は、ちょっと違ってて、私から彼に尋ねたの。「父さんごめん、私ちょっと調子悪くて、記憶が飛んでたりするんだよね。あの時父さんと話したこと、覚えてないんだ。悪いんだけど、もう一度教えてくれる? あの時何を話したのか?」
こんな台詞、自分が言うとは、数年前の自分じゃ考えもおよばなかった。それ以上に、あり得なかったと思う。
でも、昔のように尋ねた瞬間から父に馬鹿にされて怒られても、私は今、あの時何を話したのか教えて欲しいんだ、ということを、自分から父に伝えなくちゃいけない、と、今回は思った。そのことを伝えて、教えてもらわなくちゃいけない、もしそこで馬鹿にされて怒られて叱られて、結局何も答えてもらえないんだとしても、私は尋ねなくちゃ、って。それでね、尋ねてみたら、父、何て言ったと思う?
「そうか、分かった。あの時はな、こういう話しをしたんだ…」「仕事しすぎたりして疲れてるんじゃないか? ほどほどにしろよ」「その件も、今度週末うちに来たときに電話して手続きすればいいじゃないか、な?」
こんな返答が来るなんて、誰が信じられた? 信じられないよ。私の父が、私に向かって、こんなふうに返事を返すことがあり得るなんて。
私は心の中で、叫び出しそうだったよ。ちょっと待ってよ、って。
ちょっと待って、と思ったのは、どう受け容れたらいいのか、今の状況をどう受け容れたらいいのか、焦ったから。
でも、気づいたら、すんなり受け容れている自分がいた。「ありがとね、うん、無理しないようにするよ。じゃ、電話も週末かけようかな」
そして父が続けてこう言うの。「あんまり無理するなよ。あぁこは元気か?」

あの父と私とのかつてのあの、痛みを感じずにはいられなかった関係は、幻だったのか? 私の妄想だったのか?
一瞬そう思えるほど、私は父のこの反応に驚いた。驚かずにはいられなかった。じゃぁ何で私はずっと苦しんできたんだよ、私は苦しかったよ辛かったよ、しんどかったよ。お父さんお母さんと仲良くなりたくて、愛されたくて、でも全然父さん母さんの望み通りの人間にはなれなくて、いつだって私は家族の中で異端児で。だからしんどかったんだよ。
でも。
あぁ、もう違うんだ。
確かに、今、父さんと喧嘩することもある、母さんと喧嘩することもある、でも。
父母は、間違いなく、父母それぞれの形で、私を愛してる、ってことを、私は体で知っている。
それは、私が小さい頃から望んでいたような、理想の形からはかけ離れているかもしれないけれども、それでも、今、私は、この人たちから、この人たちなりの形で、愛されていたんだってことを、受け容れられる、って。

そう思った。

時間がかかったけどね。笑 そこに辿り着くまで。

これからだっていろんなことがあるんだろう。
なんでよって泣くしかできない、或いは泣くこともできないことだってたくさん
あるんだろう。でも、
自分は愛されて産まれてきた、愛されて今生きている、
それを、私は信じようと思うよ。
もしかしたらそれは錯覚かもしれない。私の幻想かもしれない。
それでもね。
信じようって、今は思うの。

あー、今思った。
「呼人」という本は、そういう意味でも、読んで損はないんじゃないかな、って。

そう、私とあぁこは、間違いなく、あなたを今このときも愛してる。
そして多分、私とあぁこは、あなたにに愛されている。

ねぇ、私たち、
あんな目に遭って、
あんなにずたぼろになって、もうこれでもかってほど心も体もすりきれて、
もうこれ以上歩いていくことなんてできない、何を信じればいいのかなんて分からないし、そもそも何も信じられない、信じるなんて行為自体もう失われた、自分は生ける屍だ、
そんなところまで堕ちて、どろどろになって、
それでも私たち、きっと、愛ってものを知ってるよ。
人を愛するってこと、愛されるってこと、知ってるんだよ。
愛して愛されるってことは、ちょっと怖いことだよね。
それを知ってしまったら、そのことに気づいてしまったら、その愛がいつか失われることが恐ろしくなって、前に進むことが怖くなって来る。
でも、
愛はなくならないんだよ。
続いていくんだよ。
一瞬なくなった、なくしたように思えても、なくならないんだ。
だって、
愛って、私たちの中に、存在してるから。

ね。

愛って、怖いものだと、私は思う。
でも、どうしようもなく人は、愛を求めるんだと思う。
そして、どうしようもなく誰かに、愛を与えてしまうんだと思う。
愛というものを持っているから、人間は、
恐怖や悲しみや怒りや憎しみってものを、心の中に育んだんじゃないのかな。
愛がなければ、恐怖や悲しみや怒りや憎しみ、もしかしたら、人は、感じなかったかもしれない。
愛は、憎しみや悲しみや恐怖を包み込み得るものではなくて、
愛という風呂敷そのものに、憎しみも悲しみも恐怖もすべて、ありとあらゆる感情が織り込まれているんじゃないのかな。
愛があるから、人は、人であり得るんじゃないのかな。

そして多分、私たちは、
とてつもなく、愛ってものを知ってると思う。
絶対に。

なんか、長くなっちゃった。笑
また会ったときに話そう。
その日を楽しみにしてます。

あ!
なんかあったら、すぐ連絡よこすんだよ。
SOSは、出せるうちに出すんだよ。
私もあぁこも、いつだって、ここから耳澄ましているから。

じゃ、今日はこのへんで。おやすみなさい。


2004年05月27日(木) 
 暗い場所から突然夏日に晒されてうろたえる。海風がびゅるると私の首筋を吹き抜け、背中や腰をぐいと押す。ふらりと一歩前に足が運ばれ、バランスを失う。まっすぐに立っているはずの樹々が、目の中でくらりと揺れる。足を踏ん張って、踏ん張って、まっすぐに立とうとするのになかなかうまくいかない。その間にも風はびゅるりゅるりゅと私の体を押してゆき、私は止めておいた自転車を支えに、しばらくその場に立ち尽くす。
 海は風によってさざなみ、その波が今何かを歌っている。誰の声だったろう、この声は。日差しを受けて全身輝かんばかりの海を、まるでさざなむ鏡のような海を、ぼんやりと眺める。あぁそうだった、彼女はもうこの世にはいないのだった。そして、彼女が死ぬ前に私に託した願い事のことなどを、記憶の鎖を手繰りながら思い出す。
 そういえば今朝、出掛けに、娘が、ママかわいいね、と言ってくれた。それは、私がワンピースを着ていたからだ。そりゃぁ珍しい姿だったろう。Gパンによれよれシャツという私の姿を毎日のように見ている彼女にとって。そして、かわいいね、と言ってくれるときの彼女は、いつだってにぃっと笑顔なのだ。その笑顔に私は、恥ずかしさを拭われて、少し安心するのだ。そうか、かわいいか、じゃ、恥ずかしいけどこのまま外出してもいいのかな、と。それまで心の何処かで、いつだって私はびくついているから。
 そして昨夜、彼女が突然、私の顔を真正面から見て、言う。「ママ、わたしがママの子供でよかった?」。吃驚した。絶句した。直後、私はおのずと返事をしている。「当たり前やん、あなたがママの子供として産まれてきてくれて、ママはどんなに幸せか」「そうかぁ」「うん、そうだよ」。抱き合ってぎゅうぎゅうとお互い抱き合って、キスをする。そして彼女は眠る前、こんなことも言っていた。「ママ、煙草はお肌をぶつぶつにするんだよ。じぃじが言ってた」「え…あ、はい、気をつけます」「ぶつぶつになってもいいの?」「いや、よくはない」「じゃぁ気をつけなきゃだめでしょ」「あ、でも…お酒も何も今は呑んでないママにとって、煙草くらいは楽しみあってもいいと思うんだけど」「ふぅん。そうなんだ。でもね、ママ、煙草吸うとくさくなるのよ、ばぁばが言ってた」「あ、はい…そうです、気をつけます」、と言いながら、煙草を指に挟んでいる私は、悪戯してるのを見つけられた子供のように首をすくめる。こういうことを言うときのあの子は、まるで私のお姉さんのような顔をして、私よりずっと年上の口調。だから私は、ちょっと心の中で笑ってしまう。変な親子。
 でもその直後、私の地平がぐらりと揺らぐ。私はうろたえる。その揺れがあまりに突然襲ってきたからうろたえる。まるであの日のように、地平が大きくぐらりと揺れる。
 ねぇどうしよう、まずいよ、これ。心の中私は慌てている、焦っている。何かに掴まろうとして、はっとする。そこには何もない。そこは、まさに、からっぽの真っ暗闇だった。何かの支えを掴もうと伸ばした手が宙をさ迷う。そうしている間に私は、ぼんっと跳ね飛ばされる、地面から。
 どうする? どうする? どうしたらいい? 私は求めていた。誰かに求めていた。名前のない誰かに、助けを求めた。私は今どうしたらいいの。
 涙がぼろぼろとこぼれる。早く、現実世界との緒を手繰らなくちゃ。ちゃんと戻らなくちゃ。そうして探すのに、緒が、鎖が、見つからない。
 あぁ。
 涙がとめどなく流れる。顔がぐしゃぐしゃになる。ありとあらゆる感情が交じり合い、途方もない混沌が私の中に現れる。そして、一方的に闇に放り上げられた私は、その闇の中、やみくもに手足を動かす。でも、じきにその手足も動かせなくなる。無重力ってこんな感じかな、そんなことを思う。重力を失うと、人間はこんなにも簡単に、世界を崩すのだよな、心という世界を。
 気づいたらすぐ後ろに怒涛のような波が押し寄せていた。いや、波が襲い掛かってきた。私の背丈よりも何倍も高い波が、あっという間に私に押し寄せ、そして私はあっけなく飲み込まれる。そしてふらふらと部屋の中をさ迷う。自分が何を今探しているのか、私はそのとき知らされる。あぁだめだよそれは。だめなんだよ、それだけは。なのに、体が言うことをきかない。私の意図との緒がさっきの波でぷつんと断ち切られてしまったかのように、体は勝手に部屋の中を探し続ける。あるはずがない、大丈夫、全部捨てた。だから私の体が今勝手に部屋中を探したって、代わりになるものは見つかるはずがない。と、油断したのが甘かったのだろうか。私の手は、机の奥深くに伸びていた。
 あぁだめだよそれは。だめなんだよ、それだけは。
 いろんな人たちの顔が、走馬灯のように私の脳裏をぐるぐる走ってゆく。「それをしそうになったら、いつでも電話くれていいから」そう言ってくれた人がいた。その人に電話をかけようか、そしたら止められるかも、この衝動を。そう思った直後、私は思いなおす。だめだ、なんで頼るの? なんで自分で止められないの? そうしている間にも私の体は勝手に動く。彼女の顔が思い浮かぶ、彼女なら今話を聞いてくれるかもしれない、もし眠っていても、無理矢理眠りから体を起こし、だめだよと叱ってくれるかもしれない、私と現実世界とのバランスを、まるでシーソーの向こう側を手で押さえてまっすぐに支えてくれるみたいに、為してくれるかもしれない。私の目が何度もさ迷う、電話へと受話器へとダイヤルへと。でもだめだ、どうしてそんなふうにして人を頼るの? いやだ、自分で止めたい。でも止められない。何度も目が電話へと向かってしまう。でも、現実には、私は電話をしなかった。それが現実。いやだった、こんなことで私の大切な人たちをこの渦に巻き込むのは。いや、後で事の顛末を知ったら、どの彼女もみな、私を叱るだろう。どうして電話してくれなかったの、と。そんなやさしいみんなだから、だから、やだ。
 もう、めちゃくちゃだった、私の頭の中は、まさに大津波を受けた直後のようにすべてがぐちゃぐちゃになっていた。
 気づけば、ぼたぼたと垂れて来る滴で、私は絵を描いていた。あぁ、花が咲く。今花が咲く。
 どのくらい時間が経ったのだろう、私ははっとして、寝床を見やる。娘が眠っていることを確かめる。そうだ、私はこの場所に帰らなくては。
 抵抗する体に、無理矢理頓服を流し込む。何をしてでも帰らなくては。
 私は、帰らなくちゃいけない。私の場所に。私が守らなきゃいけない大事な場所に。
 横になって娘の寝顔をじっと見る。彼女の手に触れようとしてはっとする。私は慌てて手を洗いにゆく。そして再び戻り、彼女の隣に横になる。眠らなくちゃいけない。それが逃げだろうとごまかしだろうと、何だろうと、今は眠らなくちゃいけない。私は、そうっと彼女の手を握る。起きる気配がないことを確かめ、もっとぎゅっと握る。私は、今、眠らなくちゃいけない。

 ふと目を覚まし、今まで私は自分が眠っていたことを知る。よかった。立ち上がる。咳が止まらないから水を飲もうと腕を伸ばして、慄く。直後、苦笑する。
 もう、どうしようもねぇな。
 この現実を、私は受け容れるしかない。いくら津波に襲われたからって、こう為した自分のことを、私は受け容れるしかない。痛みのまったくない傷痕を、私はごしごしと洗う。私は。
 ちゃんと立たなくちゃいけない。いくら波に襲われても、いくら地平が揺らいでも、それでも立たなくちゃいけない。重力を失っても、体を心を支えるものがまるで何も見えなくなっしまっても、それでも立たなくちゃいけない。
 ふと見やると、テーブルの上が汚れていた。薬の袋が散らばり、汚したままだったテーブルの上を、私は片付け始める。そしてふと、目が止まる。あぁ、花の絵が。
 この花は、本当はどうだったのだろうか、今咲いたところだったんだろうか、それとも今まさに枯れゆくところだったんだろうか。そんなことをふと思う。でも今はこれ以上見ない方がいい。私は花の絵を脇にどかし、テーブルを片付けてゆく。
 音を立てないようにしてカーテンを半分開ける。窓も半分開ける。そして、私は眺める。この窓からのいつもの風景を。
 いつもと寸分変わらずそこにある街燈、樹々たち、家屋の影。そしてふと見ると。
 ベランダで、白い大輪の薔薇が咲いていた。あぁ。
 大丈夫だ、もう大丈夫だ。私の描いた紅い花など、きれいに飲み込んで溶かしてしまうほど大きな白い薔薇。すべての色を混ぜた最後の最後、産まれると聞いた真っ白という色。白薔薇にそっと鼻を寄せる。私の中に吸い込まれる花香。そうだ、私は大丈夫だ。
 いいんだ、こんなことだってあるさ。生きてるんだもの、何だってありさ、それでも大丈夫だ、何度だって私はやり直せる。またここから歩いていけばいいんだもの。何度後戻りしようと何しようと、そこからまた、私は歩けばいいんだから。
 気づけば、闇がもう綻び始めている。夜明けは、もうじき。


2004年05月25日(火) 
 午前四時。開け放した窓から、闇色が薄らいでゆく空を見上げる。毎日毎日、薄らいでゆく時刻が早くなってゆく。あぁ季節は今このときも確かに移ろっているのだ、と、改めて知る。
 如雨露で薔薇たちに水をやる。樹のどれもが、如雨露から落ちる水を一滴残らず飲み干そうと口を開けて待っている。ごくりごくり、喉の鳴る音が、今にも聞えてきそうな気がする。だから私も、できるだけプランターの外に零さないよう、両腕で重たい如雨露を抱えながら水をやる。ベランダと水場とを行ったり来たり。合計十二往復。そうしている間に空はもっともっと薄らいでゆく。いや、もう薄らいでゆくという段階は越えて、朝のもやもやとした光が、街の上に広がり始めている。
 昨朝、私は一時間半ほど意識を失っていた。娘はその間何度も私を呼んだらしい。でも、私にはその間の記憶がまったくない。ママったら突然ぱたんって倒れるから、何回もママって呼んだんだよ、と、娘に教えられる。はっとして時計を見れば、もう病院の予約の時刻、つまり保育園にも行っていなければならない時刻。私は混乱する頭をそのままに抱えながら、娘を急かし、自転車を走らせる。
 病院で、朝のことを報告する。しばらく黙っていた先生が、こうおっしゃる。解離症状と極度の緊張、それからストレス。すべてが今、これでもかというほど張り詰めてるみたいね。どうしたらいいんでしょう、先生。自分一人の時に倒れるなら別に構わないんですが、娘の前ではちょっと。今までこういうことあった? いえ、多分、なかったと思います、あったとしても、ここまで長い時間、娘の前でっていうのはなかったと思います、私の記憶にないだけかもしれないので自信はありませんが…。昼間、仕事のないときとか、保育園のお迎えの時間になるまで横になるとかしたらどうかしら? それが、できないんです。怖いんです。一度横になってしまったらちゃんと起きられるかどうか。目覚し時計をかけてもだめなの? はい、そういうときって目覚し時計も何もかもふっ飛ばしてるみたいです、私。だから、昼間横になるのも、先のことを考えて怖くなってしまうんです。でも夜も眠れないのよね。はい、横になるのが怖いです。すごく抵抗感を覚えてしまって。最近、その感じが以前よりずっと強くなっているように感じます。前はまだ、娘に本を読み聞かせて、ぬいぐるみで保育園ごっこをして、そうして少しの間だけでも横になって眠ることができたんですけれど、今は、娘の隣で眠ることまでもが怖くなってきて。私が意識を失っている間に何かあったらどうしよう、とか、そう思ってしまって。そうね、そういう状態があっても全然おかしくないわ、まだ当分そういう状態が続くかもしれないけど、とにかく生き延びましょうね。はい。
 そうやって先生に話したことがよかったのだろうか。昨夜は、娘を寝かしつけながら、私もしばしの間うとうとすることができた。それがほんの一、二時間のことであっても、眠れたという効果は、私をしっかり元気にさせてくれる。
 友人から電話が来る。姉妹喧嘩をしたのだという。妹さんが、事あるごとに「お姉ちゃんは穢れてる」と繰り返し彼女に言うのだそうだ。あまりに繰り返し言われた彼女は、思わず、それまで妹さんに対して絶対口にしてはいけないと思っていた言葉を妹さんにぶつけてしまう。結果、電話はぶち切れて、今も音信が絶えてしまったという話。
 彼女は私と同じ性犯罪被害者の一人だ。だから、そのことで妹さんから穢れていると言われることは、どれほど辛いだろう。私もかつて、両親や周囲の人達から同じ言葉を何度もぶつけられたことがある。そのたび、心臓を鋭く長い刃でぐさっと一突きされたような激烈な痛みを覚えたものだった。でも、その痛みが麻痺していったのは事件からどのくらい経ってからだろう。いや、麻痺、とも少し違う。多分、ある種の開き直りだ。誰が何と言ったっていいさ、そんなこと構いやしない、私は間違ったことはしていない。だから穢れてなんかいない。自分にそう言い聞かせることを覚えた。
 実際は、自分の中でも不安なのだ。怖いのだ。やっぱり穢れてるんじゃないだろうか、とか、私にも落ち度があったんじゃなかろうか、とか。常にそういった問いは自分の中でぐるぐる回っている。けれど。
 何をもってして人を「穢れている」とみなすことができるのだろう。そもそも「穢れる」とは何であるのか。
 だから私は、今はこう思うことにしている。体は穢れているかもしれないけど、私の心はあのことで穢れてなんていない、これっぽっちも穢れちゃいない、大丈夫、と。
 だから、彼女に、私はこう考えることにしているんだよ、という話をする。電話の最後の方で、与太話をしていたら、ようやく彼女の笑い声が聞えてきた。私は一安心する。よかった、とりあえずちょこっとでも彼女が笑ってくれた。そのことが、私をとても、やさしい気持ちにさせてくれる。
 窓の外、雀の声に混じって一声、鶯の声が聞えた。いや、今頃鶯が鳴くはずがない。私は思わず窓の外をじっと見る。もちろん姿を目に捉えられるわけはないのだが、じっと耳を澄ます。すると、再び一声、ホーホケキョ、そしてまた一声、ホケキョ、という声が響いてきた。これは錯覚じゃぁないんだろうか、本当に今この街の何処かに鶯がいるのだろうか。信じられない気持ちでいっぱいだけれど、もし本当にいるのなら…。この街もまだまだ捨てたもんじゃないな、なんて思う。そして再び鶯の声。私は、おのずから自分の口元が緩んでゆくのを感じる。そうさ、世界はまだまだ捨てたもんじゃない。
 気がつけば、街のあちこちに影が生まれている。あぁ、朝の光がはっきりと今街を照らし出しているのだ、私はそのことを、影から知らされる。四時半に小さくパチンと音を立てながら灯りが消えた街燈は、今はひっそりと、街の一部となっている。街路樹の緑はゆったりと朝の風に揺らぎ、時々通りを行き交う車の音が響く。
 さぁ、また一日が始まる。途中で意識を失おうと何だろうと、それは私の一日であることに変わりはない。一生でたった一度の今日という日。しっかり味わって、味わいつくして、そうしてまた明日を迎えたい。


2004年05月24日(月) 
 朝一番に窓を開ける。見やると、どんよりとした鼠色の雲が空一面を覆っていた。溜まった洗濯物を干してはみるけれど、どうにもしっくりこない。
 風はずいぶんと弱まり、通りの樹々の葉がちらちらりと揺れるばかり。排気ガスにいくらまみれても、そうやって揺れる緑葉の、心の内を、ふと覗いてみたくなる。
 日曜日。娘を喜ばせようととある場所に出掛ける。私たち二人にとって初めての場所。一体どんな反応が返ってくるのだろう。どきどきしながら彼女と電車に乗り目的地へ。
 「ねぇママここ何処なの?」「どっち行くの?」「何があるの?」。彼女の問いかけはとめどなく続く。私はにーっと笑って、「秘密」と答え続ける。
 正直言うと、もし私一人ならば行かなかっただろう場所へ、私は娘を連れていった。私一人だったならば、周囲を行き交う夥しい数の他者たちに琴線をすり減らし、開放されるどころか逆にストレスをたんまり貯めて帰ってくるのがおちだったろう。けれど。
 彼女は、私の予想をはるかに越えて、喜び、はしゃいだ。辺りに響く娘の笑い声。あっちへ行ったと思えばこっちへ行き、彼女はもうとどまるところを知らないといった様子。その傍らで私はといえば。
 ただ嬉しかった。こんなにも大きな声できゃぁきゃぁはしゃぐ彼女を見るのはどのくらいぶりだろう。あぁ連れてきてよかった。彼女の笑い声や笑い顔で、私の心はたっぷりと満たされていた。私の腕の夥しい傷痕に気づいて怪訝な顔をする人たちのことも、私がふとしたときにふらりと倒れこみそうになるのを不思議そうに眺める人たちのことも、もうどうでもよかった。周囲が全員、もしもそういう目で埋め尽くされていても、私は、娘の笑顔と笑い声で、充分に満たされ、それは私の心をたとえようもなくやわらかく解してくれた。
 時間ぎりぎりまで遊んで家に戻ると、彼女は、突然、甘えん坊になった。こんなに甘えん坊になったのはこれもまたどのくらいぶりだろう。私は最初ちょっと躊躇したけれど、これはとことん甘えてもらおうと、今日は彼女にたっぷりつきあうんだ、と、心に決めた。
 決めたはずだったのに。

 今日の彼女は本当に貪欲だった。何処までも何処までも貪欲で、私はだんだんうろたえ始めた。だんだんと私自身の限界が見え始め、私は余計に焦った。どうしよう、ここまできて彼女を突き放すなんてできない。彼女の甘えを遮断することなんてできない。一体どうしたらいいんだろう。どうやったらバランスが取れるだろう。
 そう思っているうちに、私の心は限界を越えてしまった。

 一生懸命こわばる頬を緩ませて、彼女に言って聞かす。もうそろそろ寝ようか。もうお片付けしようよ。ね。もうみんな寝てる時間だよ。
 ありきたりの言い訳をいくら並べてみたって、今日の彼女が納得するわけはないのだ。そんなこと分かっているのに。私にはそれしかできなかった。
 彼女は私にそう言い聞かされるたび、下唇を突き出してべそをかきながら布団の中に行く。けれど、しばらくするとまた起き上がって来て遊ぼうとする。それでまた私に叱られる。一方、布団から起き上がってこないときは、代わりに彼女のえーんえーんと布団の中で泣く声が聞えてくる。仕方なく迎えにゆくと、抱っこ、とせがむ。だから私は抱っこする。でも、彼女の瞼はいつまでたっても閉じようとしない。
 とうとう私は言ってしまった。
 「もういい加減にしなさい!」

 布団の中に潜りこんですすり泣く彼女を、私はそのまま放っておこうと思うのに、結局気になって私の方から彼女を抱きしめにいく。すると彼女はまた、何処までも甘えてこようとする。自分から抱きしめにいったのに、私はもうとおの昔に限界を迎えているものだから、それ以上彼女を許容することができない。
 半分泣きながら、それでもようやく彼女が眠る。時計の針は、とっくに真夜中を過ぎている。私は、とてつもなく自分の神経が張り詰めきりきりしているのを痛感しながらも、同時に、あまりに彼女が不憫で、眠った彼女の額を撫でながら、ごめんね、と言う。ごめんと言うくらいなら、彼女を突き放したりしなければいいのに。そもそも、今日はとことん彼女に付き合おう、彼女が私に望むだけ彼女を受容しようと心に決めたはずだったのに。結局私は何をしたのか。

 情けなかった。どうしようもなく情けなかった、自分という存在が、とてつもなく情けなくて矮小に見えた。一体何やってるんだろう、私は。娘の寝息を聞いていたら、自然、涙がこぼれた。ちっぽけな私。ちっぽけな私という器。あなたを十二分に受け止めることさえできないなんて。

 窓の外、ぼんやり眺める。今日も変わらずに、通りの向かいには街燈が佇んでいる。街路樹はその街燈の橙色めいた光を受けて、ほんのりと輪郭を浮かび上がらせている。ちらちらゆれる葉々。
 あぁ、樹よ、おまえはなんて偉大なんだろう。生まれ続ける葉々を決して見捨てることなく何処までも受容してゆく。そんな器が、私は欲しい。大地深くに根を張る老木の、あのやわらかくておだやかなエネルギーと、何処までも己の宿命或いは己の置かれた世界を受容し続けるその器とが、今、私は何よりも欲しい。


2004年05月23日(日) 
 樹にも年齢がある。年輪というものがそれを示している。
 でも、その年輪よりももっと、樹の年齢を教えてくれるものがある。それは。
 樹にそっとよりかかり、腕を回したそのとき。樹から伝わって来るエネルギーの色だ。
 若い樹は、自分が背を伸ばそうと必死になっているから、こちらに伝わるエネルギーよりも、自分に或いは天に向かおうとするエネルギーがとてもつよい。それは燃えるような緑色をしていて、私をも貫いて伸びてゆこうとする。だから下手をすると、幹にまわした腕が火傷する。
 一方、老樹になると、これはもう、ゆったりとゆったりと、漂うようにそこに在る。幹にまわした腕に伝わって来るのは、だから、じわじわとしたぬくもりでありやわらかさであり、匂いなのだ。そしてそれは、決して押しつけがましくはない。幹に触れた者の望むままに、黙って力を伝えて来る。静かに静かに。それは色にたとえると何色になるのだろう、やわらかな、同時に少しくぐもった緑。決して灰色ではない。おだやかなおだやかな、やわらかい緑。

 誰かを抱きしめて、火傷しそうだった年頃は、さすがに私も通り過ぎた。もうそろそろ、自分の為にだけでなく、誰かへと、伝えてゆく時期なのかもしれない。相手を火傷させたりせずに、じんわりとあたためてやれる、そんな力のバランスを。覚えてもいい年頃なのかもしれない。

 それにしても、樹よ、貴方に教えられることのなんと多いことか。貴方はただそこにそうして在るだけなのに。

 今、ツバメが空を切った。


2004年05月19日(水) 
 夜明けを眺めるのを楽しみにしていたけれども、徐々に空の闇色が薄らんでいっても、そこには雲が一面に広がり、動く気配はまったく見られない。昨日もそうだった。試しに、私は昨日と同じように玄関をそっと開けてみる。玄関を開けると真正面に、埋立地に立つ高層ビルが見えるのだけれども、そのビルの上方は、すっかり雲の中だった、それが昨日。そして今朝は。ビルは一応その姿をあらわにしているけれども、重たげな雲はやっぱり空一面を覆っており。私は音を立てないように、そっと玄関を閉める。
 いつ降り出してもおかしくはない空模様を何度も見上げながら、私は娘を急かして保育園へ自転車を走らせる。「ママ、お迎え遅くしてね」、娘はにっと笑いながらそんなことを言い、階段を上がってゆく。早くお迎えに来てねと言うのが普通だろうに、なぜか娘はいつもそんなことを言う。そして、こちらはサービスのつもりで早い時間に迎えに行くと文句を言われる。もっと遅く来てよー!と。保育園の先生も苦笑いだ。
 一人になった私は、勢い良く角を曲がり自転車のスピードを上げる。もうしばらく、雨は降らないでいてほしい。私はそう心の中で呟きながらなおも自転車を走ら続ける。自動車を避けて裏道を選び、信号を潜り抜け埋立地へ。決めていた、今日はモミジフウに会いにゆく、と。
 本当は、もっと会いたい樹があった。駅からの急坂を上がる途中にある、あの大樹だ。病にかかり、それでも必死に新芽を出し、じっと大地に根を張っていたあの樹。包帯もとれ、もう大丈夫なのかと思っていたが、思わしくないらしい。とうとう先日、残っていた枝のほとんどが切り落とされた。今は、太い一本の幹と、それにへばりつくように生える細い芽ばかりになってしまった。彼は再生するだろうか。もうこのまま、立ち枯れてゆくのだろうか。いや、信じよう、彼は再生する、いつかきっと。そのときはきっと。
 美術館へ続くゆるい石畳の入り口が見えてきた。あそこにモミジフウがいる。私は回り続けようとする自転車の車輪にブレーキをかける。
 モミジフウ。見上げれば、あのぼんぼりが、まだまだ緑色と言っていいだろうぼんぼりが、あちこちからぶら下がっている。そして古いぼんぼりも。もう焦茶色の硬い塊になったぼんぼりも緑色のぼんぼりも、同じように樹はぶらさげて、しんしんとそこに立っている。そんな樹だから私はなおさら好きなのだ。何もかもを新しくするのではなく、古いものも新しいものもどちらもを受け止めて抱きとめて呼吸しているこの樹が。見上げれば、赤子の手に似た小さき葉々と、先に生まれたのだろうもうずいぶん大きくなった葉々とが、交じり合いながらさやさやと風に揺れる。私はその樹の下に立つ。そして、幹に腕をそっと回す。
 樹とそうして抱き合っていると、何もかもがどうでもいい気持ちになってくる。すべてを受け止め、でもそれは荷物ではなく、ゆっくりと後ろへ流れ去ってゆく。がさがさの幹に頬擦りしてみる。通行人の誰彼がこちらを見ている、そんな気配が私の背中や頬に伝わる。でも、いい。そんなものはどうでもいい。私は、今、樹によって癒されてゆく。
 ようやく腕を解き、私は樹を再び見上げる。そして、今度は右の掌で幹に触れてみる。
 娘の手とは程遠いぬくもり。それでもこれはやっぱりぬくもりなのだ。ほわんと掌と樹皮との間に何かが滲み出してくる。目を閉じて耳を澄ますと、とくんとくんと脈打つ音が聞えてきそうな錯覚を覚える。私はじっと目を閉じ、幹に触れ続けている。
 どのくらいそうしていたのだろう。ふっと空を見上げると、さっきよりも雲は色濃く、そして重たげな様子を見せている。モミジフウの向こうに広がる空。出口は何処に? 雲に一面覆われた空。出口は? 入り口は? その扉は何処に?
 そんなことを思いながら、もう一度モミジフウを見上げる。私はようやく、掌を離す。そうっと、そうっと、ゆっくりと。
 離した掌には幹の跡がほんのりと残っている。でも、それは冷たくなどない、むしろあたたかい。そう、だって私は、この掌を通して、彼のエネルギーを分けてもらったのだから。開いていた掌を試しにぐっと握り締めてみる。彼からのエネルギーはこれっぽっちも逃げ出したりせず、私の掌にちゃんと息づいていることを知る。
 大丈夫、私の世界がいくら虫に蝕まれようと、大丈夫、私はここに在る。大地に根ざしたモミジフウのそのてっぺんは、背をどう伸ばそうと私の手が触れることはできない。まっすぐに天を指し、何も言わず、じっとここに在る。それが樹。どんなに迷い悩んでも、彼らはきっと天を指差す。こうやってまっすぐに。
 だから大丈夫、そんな彼から私は今エネルギーを分けてもらったのだから、大丈夫。今夜だってちゃんと乗り越えていける。
 軽く結わいていた髪の毛を解き、それじゃまたね、とモミジフウに別れを告げ、私は再び自転車に乗る。解いた髪の毛が風とじゃれ合う。私の頬やうなじを、いかにも楽しげにくすぐってくる。それも今は心地よくて、私はペダルを漕ぐ足にもっと力を込めてみる。そして、ハンドルを握る両手にも、もう少し力を込める。あぁ、あたたかい。それは、私の体温のせいじゃない、モミジフウからもらったエネルギーがそこにあるから。ちゃんと在るから。
 空はどんどん暗くなってゆく。じきに降り出すのだろう雨に思いを馳せる。雨は何を思いながらこの世界を濡らすのだろう。知らないうちに溜まってゆくこの世界の澱を洗い流すために降るのだろうか。だとしたら私は、思いきり雨を浴びたい。これでもかと降る土砂降りの、その雨を浴びてみたい。何度でも、何度でも。
 そのとき、私の頬に一粒の雨粒が。やぁ、降って来たね。もっと勢いよく降ったっていいよ、まったく勝手なことをつらつらと心で呟きながら、でも私の口元は笑っている。だって、今私はあたたかい。今私は満たされている。溢れそうになるほど心が満たされて、そして笑っている。
 さぁ、家に帰ろう。もう怖くない。私は大丈夫。


2004年05月18日(火) 
 今夜もまた真夜中に目を覚ます。この数日、まともに眠った覚えがない。だから今日はきっと朝まで眠れるだろうと思っていたのだけれど、やっぱり目が覚めた。でもそれは、一握りの安堵を私の中に呼び起こす。何故だろう、眠りたいと思っているのに、やっぱりこうして目が覚めるという現実、そのことに、私は何故かしらほっとしている。
 日曜日、娘と二人で近所を歩く。しとしとと雨の降る日で、私たちはそれぞれに傘をさす。二人ともの傘の骨が、一つずつ折れている。先日雨が降っているのを承知で自転車で走り転んだその拍子に、折れたものだ。私たちはそんな、ちょっと歪んだ傘をさしてぽつぽつと歩く。
 前住んでいた家の、裏の公園の周囲を歩く。そして知る。もう紫陽花が色に染まる時期だったのかと。それは淡い水色で、何処までも透明で、雨粒をくっつけた花びらはまっすぐに天を向いている。
 試しにと池へ足を運ぶ。覗き込めばそこには、かつて見たのと似通った光景が在る。尻尾を必死に震わせて泳ぐ夥しい数のおたまじゃくし。私たちはしばらく、おたまじゃくしの様子に見入る。ママ、みんなこれカエルさんになるの? みんな、は、無理だろうなぁ。どうして? そしたらここはカエルさんでいっぱいになるの? うーん、みんなカエルさんになるのは多分無理だよ。この中でほんの数匹だけが、きっとカエルになるんだよ。どうして? 死んじゃうの? 死ぬ、そうだねぇ、死んじゃうんだろうねぇ、他のもっと強い者に食べられちゃったり、そもそもこの池の水が掃除とかでまた抜かれちゃったら、おたまじゃくしはいっぺんに死んじゃうもんね。かわいそうね。そうだね。でもね、きっとこのおたまじゃくしはカエルさんになるんだよ。どうして? だってね、強そうだから。
 強そうだから。そんな彼女の言葉から私はふっと思う。強い者ばかりが生き残れるほど世の中は甘くない。かといって弱い者が何処までも生き残れるほどこの世の中はやさしくない。適当に弱くて適当に強くて、適当にしなやかで適当にしぶとくて。そんな幾つかの要素を備え持った者が、最後にきっと生き残る。そんなことを私が思い巡らしている間にも、おたまじゃくしは泳ぎ続ける。自分が生き残ると全身で信じきって。それはどうなんだろう、哀れなのだろうか、悲惨なのだろうか。
 そのどちらでもない。多分きっと。
 信じているから生きていける。自分は生き残ると信じているからこそ、今日を明日を生きていける。それは多分、神様から貰った、この世に生きているすべての存在にとっての希望のようなもの。
 私が夜闇の中、再び横になろうとすると、途端に夢に襲われる。それは夥しい数の、蜘蛛のような巨大な虫と、ごきぶりのような地を這う虫とで埋め尽くされ、私は窒息しそうになる。身を起こし周囲を見まわす。何処にもいない。彼らは何処にもいない、現実世界には。私の中にあるだけで、これは幻なのだ。私は自分にそう言いきかせる。けれど妄想はとまらない。まるで今私のこの腕を虫が這い上がってくるような感覚に襲われ、私は急いでトイレに駆け込む。そこで偶然にも、本物の虫と遭遇してしまい、私は悲鳴を上げる。
 咄嗟に手に持ったタオルで虫を叩きトイレの中に落し込み、あっぷあっぷしているその虫を私は非情にも流してしまう。もう流れて虫はそこからいなくなったのに、私には、その虫が今にも這い上がってきて、私めがけて飛んできそうな錯覚に襲われる。だから私は何度も水を流す。流すのだけれど、その錯覚はとまらない。何処までも私にまとわりついてくる。だから私は思いっきり脇にあった洗剤をトイレの水に流し込む。これで死んでくれるだろうか。これで奴は死んでくれるだろうか。死んでくれ、お願いだから死んでくれ。もう二度とここに姿を現すな。それがどれだけ残酷な思いか身勝手な思いか私は思い知りつつ、でも、そう思わずにはいられない。お願いだから、私の見る妄想や幻想は、そこにだけとどまっておくれ。現実にはどうか、なり得ないでおくれ。
 寝床に戻り、娘の顔をじっと覗き込む。すぅすぅと規則正しい寝息が聞えてくる。私は彼女の眠りを邪魔しないように、そっと彼女の額を撫でる。頬を撫でる。
 大丈夫、現実がちゃんとここに在る。彼女はあたたかく、ちゃんとここに生きている。だから大丈夫。私は彼女を守るためになら、何にだってなれる。この恐ろしい虫たちと戦うことなんて、彼女の存在を前にしたら、これっぽっちのこと、どうってことない。
 私はそうして、また思いをはせる。ようやく一人でさせるようになった傘を両手でしっかと握りながら歩く娘がそこには在る。どうしても歩く速度が遅くなってしまう彼女は、とうとう片手を傘の柄から離し、その手でもって私の左手を握る。私よりずっとあたたかい手。私の掌の中にすっぽり収まってしまうその小さな手。私は、いとおしくなって、何処までも何処までもその手を握って歩いていきたい気持ちになる。でもそれは無理というもの。いつしか彼女の手は私の手を越えて、別の誰かの手を握る。或いは、私から遠く離れて、彼女自身の世界を掴むためにこの空に伸ばされる。その時はいつ来るのだろう。もうしばらくは、この手のぬくもりが、私の手の中にありますように。
 壁のあちこちの染みが、虫に見えて来る。あちらこちらにある染みのすべてがすべて、虫になる。私は頭をぶるんぶるんと振ってみる。それでも虫は消え去らない。ふっと、虫が私の世界を食べてゆく音を聞いた。きゃしゃきゃしゃ。きゃしゃきゃしゃ、と、彼らの口が私の世界にかぶりつく。かしゃきゃしゃ、かしゃきゃしゃ、彼らがむさぼり食うその音が、どんどん大きくなる。私の背筋がぶるんと震える。私はとうとう虫に食われてしまうのだろうか。
 私は起き上がって、できるだけ何も見ないように俯きながら台所へ行き、作り置きしてあったお茶をごくりと飲み干す。大丈夫、今だけだ、今だけだ、朝になればみんな消える。次の夜また虫が現れるとしても、それでも、朝になれば虫は一度は消えるのだ。だから大丈夫。私は虫に食われた世界であろうと何であろうと、ただ生きるのみ。何処までだって生き延びてやる。
 窓の外は、しんと静まり返っている。昼間のあの強風は一体何処に隠れたのだろう。街路樹の葉一枚、そよりとも揺れる気配はない。そして気づく、今夜もあの街燈はいつものあの場所に佇んでいる。何処にでもあるような街燈、でも、私が目を上げれば、確かにそこに在ってくれるその街燈。私はそのことに安堵する。
 そうだ、虫に食われようと地割れを起こそうと、私の世界はちゃんと在る。それが他人とどう違っていようと、それでも私の世界がこの世から消滅することはない。私がここに在る限り。私が生きている限り。
 街燈が黙ってそのことを教えてくれる。大丈夫、何が起ころうと、世界はここに在る。


2004年05月15日(土) 
 真夜中の闇。開けた窓の向こうからは、通りを行き交う車の音が微風に乗って流れこんでくる。暗い橙色の色を放つ街燈が、その通りの向こう側にひとりぽつねんと立っている。眺めていると、何だか仲間のような気持ちがしてきて嬉しくなる。君と私、今、まっすぐに結ばれている。
 娘の通う保育園では、母の日にはお母さんの顔を、父の日にはお父さんの顔を描くことになっている。私も先日、娘から手渡された。三つ編みをした、どう見ても私より若いかわいい女の人の絵。それから数日後、私は試しに訊いてみた。「ねぇ、保育園ではきっとお父さんの顔も描くと思うけど、描ける?」。娘は即答した。「うん、描ける」。「そっかぁ、じゃ、かっこいいの描いてね」「パパは髪の毛短いんだよね」「え? そう? 男の人の中では長かったような気が…」「ううん、短いもん」「そうか、じゃ、短い髪の毛描いてね」「うん、描けるもん」「…じゃ、その絵、サンタクロースさんに頼んでお父さんに渡してもらおうか?」「うん!じゃ、上手に描くね」「うん、楽しみにしてるね」。
 翌日、保育園の先生に、今年も父の日にはお父さんの顔を描かせてやってくださいと伝える。「おじいちゃんの顔とかに変えた方がいいかなぁとかいろいろ考えていたところだったので、よかったです、じゃ、お父さんの顔ってことで」「あの、娘は保育園で父親の話とかしますか?」「ええ、時々しますよ」「どんなふうに?」「私たちには直接言ったことはないんですけれど、お友達と話してるとね、この間お父さんとこんなところへ行ったとか話してますよ」「え?」「普通に話してます、ええ」「…そうですか」。
 私は、まさにその時絶句した。娘を後ろに乗せて家まで帰る道々、私の頭の中ではそのことがごろんごろんと音を立てて回っていた。
 その日娘を寝かしつけた後、刀豆茶をすすりながら私はそのことを再び思い出す。この前はお父さんとこんなところに行ったんだよと話している娘の後姿が、あまりにもありありと私の中に現れてきた。そして、私は途方に暮れた。
 嘘だ。そんなの嘘だ。正式に別れてから、私は娘と父親を一度たりとも会わせていない。そのことには私なりの理由があるからだが、でもそのせいでもしかしたら彼女は嘘をつくしかないところに追いこまれていたのだろうか。じゃぁ会わせればよかったのか? 頻繁に会わせていればよかったのか? いや、それも違う。そんな簡単なことじゃない、そんな簡単なことで片付くようなことじゃない。そんなことで片付くことなら、彼女はきっと最初から嘘なんてつかない。
 私は思い出してみた。自分が幼稚園の頃どうだっただろう。小学校低学年の頃どうだっただろう。嘘をつく子供だっただろうか。
 多分、幾つもの嘘をついてた。その頃父はほとんど家に不在だった。母は母で、自分の機嫌の波で私たちにやさしく当たる日もあれば、突っ放して背中を向けるしかない日もあった。こっちが望んでもいないのに、延々と愚痴を垂れ、しまいにはおまえがいなければ私は今頃こうなってたはずだったのに、と繰り返し言われる日々だった。
 そんな中で私は確かによく嘘をついた。お母さんはこんなことしてくれる、お父さんはこんなことしてくれた、と。多分きっと、そうやってごまかして、友達の前でいかにもという家族の像を披露していた。要するに見栄を張ってた。友達の前で虚勢を張って、必死になって自分の領地を守ろうとしてた。嘘をつくことで何とか自分の領地を守りきろうと必死になってた。
 もしかして娘は今、そういう状態なのだろうか? 娘のクラスで片親は今、娘しかいない。保育園の行事で必要なときには、お父さんの代わりに祖母や祖父が、私にとっての父や母が参加していたりする。そういう状態を、彼女は周囲に嘘を話すことで彼女なりにやりくりしていたということなのか。
 いや、嘘なんて大げさに考えることがいけないのだろうか。彼女はただ、昔お父さんと出掛けたことを思い出し、そのことを話しているだけなのかもしれない。先生に尋ねてみようか? そのことを? いや、これ以上先生に話して彼女に対して偏見を持たれたらその方が辛い。じゃぁ私はどうすればいい?

 答えなんて、正解なんて、何処にもない。
 ただ私は、ショックだったのだ。娘に嘘をつかせる状況を、私たち周囲にいる大人が作ってしまっていたことに。

 私は、深呼吸してみる。深く深く息を吸って、そして今度はゆっくりと吐き出してみる。すると、私が次にしたいことが浮かんできた。
 娘を抱きしめてやりたい。
 ただ、そのことのみ。そのことのみが、私の中ではっきりと、浮かんできた。

 彼女の中で今父親というのはどんな姿をしているのだろう。私に知る由はない。ただ、彼女にとって父親は何処までいったって父親なのだということを私は今改めて痛感している。そうだろうことは分かっていたけれども、改めて今回のことを突きつけられ、私は痛感している。
 でも、それでいいんだよ、娘。あなたが大事にしたいものはあなたが思う通りに大事にすればいい。何処までも引きずってゆくというのならそれもよし。私はここにいて、ここに在て、それを見てるよ。ちゃんと見守ってゆくよ。手伝いが必要なときには、必ず手を伸ばすよ。
 私の中で幾つもの映像が飛び交う。ここ、パパと行ったよね、三人で来たよね。パパはこうやって座るんだよね、女の子はこういうふうには座らないんだよね。他愛ない日常の中で時々、本当に時々、そうやって私に言う。だから私も、そうだよね、三人で来たよねと返事をする。すると彼女は言うのだ。でも今は二人なんだよね。
 そうだね、これからは二人だね、と返事をする時の、あのちくりとした痛み。誰が忘れるものか、あの切ないほどの小さな痛み。粉々に割れたガラスの破片を心臓が思わず踏んだ時のような。
 私はだから抱きしめていよう。そういうのも一切合財含めて。抱きしめて抱きとめて、時に彼女の前を歩き、時に彼女の後姿を眺め、抱きしめていよう。これをもし誰かが荷物というのなら。
 私は、荷物じゃぁないと答えよう。これが私の選んだ道なのだ、と。

 街燈の灯りよ、もうしばし夜を照らしていておくれ。夜闇がゆっくりと溶け出してやがて朝が来る、そのときまでそこで道を照らし続けていておくれ。それがたとえこんなにも小さい灯りであったとしても、そこに君が在るというだけで誰かが安心する。それだけで誰かがその道を歩いてゆける。
 街燈の灯りよ、多分私もその中の一人だ。おまえがそこに在るというだけで、心がこんなにも休まる。おまえはそんなこと、もしかしたらこれっぽちも考えることなく、ただそこにしんしんと佇んでいるだけなのかもしれない。それでも誰かがおまえをふり仰ぐだろう。あぁ、とため息をつきながら見上げるだろう。よかった、灯りがあったと、この道を往けばいい、と安堵のため息をつき、そしてまたそこから歩き続けられるだろう。
 だから。そこで道を照らし続けておくれ。そして私はこうやっておまえを見つめながら思う。
 そんな人に、私は、なりたい。


あの遠くはりめぐらせた 妙な柵のそこかしこから
今日も銃声は鳴り響く 夜明け前から
目を覚まされた鳥たちが 燃え立つように舞い上がる
その音に驚かされて 赤ん坊が泣く
 たとえ どんな名前で呼ばれるときも
 花は香り続けるだろう
 たとえ どんな名前の人の庭でも
 花は香り続けるだろう

私の中の父の血と 私の中の母の血と
どちらか選ばせるように 柵は伸びてゆく
 たとえ どんな名前で呼ばれるときも
 花は香り続けるだろう
 たとえ どんな名前の人の庭でも
 花は香り続けるだろう

あのひまわりに訊きにゆけ あのひまわりに訊きにゆけ
どこにでも降り注ぎうるものはないかと
だれにでも降り注ぎうる愛はないかと
 たとえ どんな名前で呼ばれるときも
 花は香り続けるだろう
 たとえ どんな名前の人の庭でも
 花は香り続けるだろう

ひまわり“SUNWORD”(中島みゆき 作詞・作曲)
 


2004年05月12日(水) 
 真夜中、いつものように目が覚めたので起き上がる。もしかしたら起き上がらずにもう少し布団の中で我慢すれば、眠れたのかもしれない。でも、私は起きあがる。夜が好きで、どうしようもなく好きで。
 夜は、余計な輪郭線を隠してくれる。闇という布でもって、昼間なら容赦なく日差しに浮き彫りにされるいろんなモノの差異を、曖昧にしてくれる。それは時に、とてもやさしい。もちろんそれが、切ない時もあればもどかしいときもあるけれど。それでもやはり、夜闇というものは、やさしい。
 私が最近着付けの勉強を始めたのは、誰の為でもない、私の為だ。私は、もう二十年近く前に亡くなった祖母が大好きだった。いわゆるおばあちゃん子で、私にとっては母よりもずっと近しい存在だった。その祖母は、ハイカラな洋服を着ることもあったけれど、生活のほとんどは着物で過ごしていた。祖母の着る着物から漂ってくるあの何ともいえない匂いに包まれていることが、私はとても好きだった。祖母と一緒に眠る時も、私はだから、祖母の胸元に顔を押し付けて、祖母の浴衣のような寝着の匂いを何処までもかいでいた。そうしていると、世界で何が起こっても私はここで守られている、という、そんなことを思い何処までも安心することができた。
 私の母はというと、一時期デザイナーを為していたこともあり、着物とは縁遠い人だった。その彼女が、祖母が亡くなってから、ある日突然着付けの勉強を始めた。何をしてるんだろうと最初は不思議だった。つい最近になって、あれはどうしてだったの、と尋ねると、母はこう答えた。だって、おばあちゃんの着物がいっぱいあるんだもの、捨てられないじゃない。そして、続けてこう言った。おばあちゃんが生きてる時に着付けを教えてもらえばよかったんだろうけど、そんな暇はなかったからね。私もそんなつもりなかったし。でも、おばあちゃんが死んで残された着物の山を見て、あぁって後悔したのよ。生きてるうちに、どうやっても、着付けを教えてもらっておくんだった、って。
 そのとき初めて私は、母が一歩近づいてくれたような気持ちがした。母はどうやっても母で、遠い存在で、私とはまったく異質な存在で、交じり合えるところなど何処にもないと途方にくれていた私にとって、それは、大きな発見だった。驚きだった。
 あれから二十年近くの間に、いろんなことが変化した。私も、もちろん母も、それぞれにそれぞれの体験を重ねた。そうしてようやく私は、自分で着付けの勉強をすることを決めた。
 何度か、母に教わろうかとも思った。その方がいいに決まってる、とも思った。でも。
 やっぱりダメなのだ。私たちは、そうやって向き合ってしまうと、お互いの異質さばかりに目がいって、どうしても反発し合ってしまう。
 だから、私は、自分で勉強することを選んだ。その代わり、合間合間に、彼女にアドバイスを求めるという形を選択した。
 この数ヶ月、母に時々、これはどうやるの、これでいいのかしら、と私は尋ねる。母は、知っていることを教えてくれる。そして、着付けというものをはさんで、着物というものをはさんで、私たちはあれやこれやと会話する。私の勉強している着付け方法は、母が覚えたものとは少々異なるらしく、そのことが、たいてい私たちの会話の中心になる。そんな着付けの方法もあったの? え、違うの? いや、知らない。私もわかんない。そう言って電話のこっち側と向こう側で苦笑したりする。
 そして私は時々思うのだ。祖母がきっとあの世から悪戯してるんだろうな、と。私と母とのこの何十年来の確執をあの世から眺めて続けてきて、もういい加減にしなさいよ、と、悪戯してるんだろうな、と。
 そのくらい、私にとって母は遠い人だった。翻って、祖母はとてつもなく近しい人だった。
 今私は、祖母の着物を使って、着付けの練習をしている。実はついさっきまで、私は帯の巻き方などの練習をしていた。その帯もまた、祖母が残していったものだ。
 祖母の着物が、帯が、私と母とを近づける。私と母との繋がりの一つになってゆく。着物という一枚の布が、何の敷居もなく伸びる帯が、私と母との隔たりを越えて、繋がってゆく。これを、不思議といわずして何と言おう。
 かつて巷で流行った言葉、アダルトチルドレンという、その言葉を何人かの精神科医から突きつけられたのはもうどのくらい昔のことだろう。その頃はしんどかった。機能不全家族という言葉が、まさに自分たち家族を指しているようで反吐が出た。でも。
 関係は変わってゆけるのだ。生きている限り。そう、変わってゆけるのだ、お互いが生きてここに在る限り。
 何重にも重なり合った左腕の切り傷をふと眺めながら思う。死ななくてよかったんだな、と。生き残って、よかったな、と。
 こんな場所に辿り着くまでに、私は一体何人の人の手を借りただろう。何人の友人たちが支えてくれただろう。今はもう亡き友も、そして今もこの世界の何処かにいる友も。
 おばあちゃん、もう、あんまり心配しなくてもいいよ。私は、大丈夫。お母さんともちゃんとやっていける。でね、おかしいのよ、おばあちゃん、親戚のみんなが言うの、おまえはおばあちゃんにそっくりだって。顔はお母さんにそっくりだけど、性格はおばあちゃんそっくりだ、って。笑っちゃうでしょ?
 ねぇ、AもIもKもTも、みんな聴こえる? 君たちの部屋に、私は何度転がり込んだだろう。家を飛び出して、行くあてもなくて、お金もなくて。そんな時、泣きべそで電話すると君たちは必ず、すぐに来いって怒鳴ってくれた。そして、余計なことなんて何も聞かずに、寝る場所を与えてくれた。終電も何もなくて、そしたら、タクシーで来い!って。で、うなだれてる私の頭を、ぽかんと殴ってくれて。
 みんなが忘れても、私、覚えてる。いまさらだけど、いつも思ってるよ、ありがとう、って。
 だからね、余計にね、今、母との関係を大切にしようと思えるんだ。あれだけ周囲を巻き込んで、迷惑かけて、そうやってようやくここまで辿り着いた。まだまだ危うい関係だけれど、それでも、私は今ようやっと、母と話すことができることを、うれしいと感じられるようになってる。母が生きていてくれることを、ありがたいと思うことができるようになってる。
 関係は、変わり得るんだ。お互いが生きてさえいれば。
 そう、そして私は今生きている。いろんな人との緒に支えられて、こうして生きてる。
 だから、思うよ。生きていてよかった、って。死ななくてよかった、って。誰が何と言おうと、私は生きててよかった。
 今日ももう夜が明けた。雲が広がってはいるけれど、空は徐々に徐々に明るくなってゆくよ。そうやって一日が、また始まる。


2004年05月10日(月) 
 真夜中に繰り返し目を覚ます。このところ、真夜中に目を覚ます時、必ず激しく咳き込んでいる自分がいる。激しくてだから苦しくてしんどくて、嫌でも体を起こさざるを得ない。だから体を起こす。すると、しばらくして咳は止まる。気づけばこうして咳の一つもせずに街を眺めている自分がいる。何故なんだろう。
 真夜中の、午前三時くらいの街の景色を、こうやって窓を開けてただ眺めているのが私はこの頃好きだ。午前二時でも午前四時でもない。午前三時。夜明けの予兆なんてまだまだ世界の何処にも感じられないこの時間帯。街は静かに眠っている。
 今は雨。街灯の明かりの周囲だけに、細かな雨の筋が浮かび上がっている。雨がアスファルトにぶつかる音は一切ない。音もなく降り続く雨。灯りの中でだけ、その存在が知らされる雨。
 そうしていつのまにか、徐々に徐々に、空の色が変わってゆく。深い深い闇色が溶け出し始め、少しずつ少しずつ薄らいでゆく。それはまるで、人の痛みのようだ。その時はあんなにも、こんなにも痛んでいたのに、闇に痛みにすっぽり呑み込まれて出口なんて何処にもないと思っていたのに、気づけばこうやって、四方八方の壁が溶け出してゆく。何処かが溶け出すのではない。ただそこに在ったもの全体が、ゆっくりとおのずから氷解してゆく、そんなふうに。
 そしてそれは、誰に向けてでもない、特定の誰へではなく、この世界にいる誰かへ、宛のない、私と同じくこの世に今生きる統べての人へと、ただ、流れ出してゆく。私の体の輪郭はもはや輪郭としてあるのではなく、世界と繋がる緒としてだけそこに在り、私は、私が溶け出して世界に広がってゆくのを、ただこうして感じている。
 今、街灯が消えた。夜の間だけ点る彼らは、今、眠りに入ってゆく。それと入れ替わりに、世界は眠りから徐々に覚めてゆく。気がつけばもう、何処からか雀の鳴き交う声が聴こえ、ついさっきまで見定めることのできなかった樹々の幹の色、葉の色が、今くっきりと世界に浮かび上がる。
 私は基本的に、日記に書いたことを読み返さない。数年前まではよく読み返していたと思う。でも、「見つめる日々」を書くにあたって、私は、読み返すのはやめよう、と決めていた。それは、誰かがこんなことを言っていたからだ。「読み返すことはいつでもできる。今日でも明日でも。だからそのまま置いておくことが必要なんだ。読み返せば否応なく「そのとき」に引きずられる。昨日書いたことを今日読み返せば、今日の自分に昨日の自分が思い出されてしまう。そうやって自分を引きずる必要は何処にもない。もし読み返すにしても、ずいぶん時間を経てからがいい。そうすれば今度は、日記を読み返すという行為が昨日や一昨日の自分に引きずられるのではなく、そういう自分がかつてここにいたということを確認することのできる大切な術になる」。その言葉を聞いて以来、私は、日記を読み返すことをほとんどしなくなった。だから多分、似たようなこと、あるいはもしかしたら正反対のことを、私は時折々に記していたかもしれない。でも、それもまた自分。そう思うと、違っていようと同じことを言っていようと、もう構わない、そんな気持ちになってくる。
 そんな私が、今、ようやく、数年前からのこの日記を整理し始めた。それは、一番最初に記したものから順にまとめてゆくというもの。フォーマットを決めて、一日分ずつそこに流し込む。まさに単純作業。
 まだ読み返すところまではいっていないが、いずれ、私はこれを一冊にまとめて、いつの日か読み返すことがあるのかもしれない。どうしてそうしようと思ったのか、よく覚えていないけれど、もういいだろう、そういう時期だろう、と、ほんの少しだけれど思ったことは覚えている。
 私の日記のノートは横書きだ。そこに書き連ねた諸々事を、今度は縦書きで打ち出している。どんなことがここに記されたのだろう。読み返した時、私は笑うだろうか、泣くだろうか、それとも呆れるだろうか。いや、今の時点で、ちょっと私は呆れかえっている。よくもまぁこんなに書いたものだと。プリントアウトした紙の量に、呆れている。そして苦笑している。これを読むだって? 無理だな、こりゃ、と。
 でも、同時に、少しうれしい。だって。
 私がこうしてプリントアウトし、一冊にまとめてしまおうと思えたのはきっと、それらが私の中で、一歩、過去になったからだからだ。そして、ここまで私が生きてきた、これはその証だからだ。

 あぁ。
 やさしい歌を歌おう。今日はやさしい歌を歌おう。明日のことなんて分からないから、今日私がしたいことをめいいっぱい今日為そう。聴きたい音を聴き、この世界を眺められるだけ眺め、そして。
 私の中から溢れ出す、やさしい歌を歌おう。それはもしかしたら、誰かには哀しく聴こえるかもしれない。また誰かには痛く聴こえるかもしれない。また誰かには、ただの何処にでも在る、耳にも止まらないようなありきたりな歌に聴こえるかもしれない。それでも。私は私の歌を歌おう。私の体で。私の心で。私の声で。


2004年05月08日(土) 
 窓ガラスにもたれかかると、すぐに背中があたたまる。いや、あたたまるどころか、暑くなる。それでも窓ガラスにもたれかかって、涼やかな風に身を任せていることの心地よさを失いたくなくて、背中の暑さを我慢する。これはもう根競べ。お日様か、私か、どちらが勝つのか。…もちろんそれは、お日様の勝ち。私は仕方なく窓ガラスから身を離し、散らかった部屋の中を少しずつのらりくらりと片付け始める。

 この数週間のつけがいっぺんにやってきた。昨夜、娘に夕飯を食べさせた後、昼間からずきずきと痛んでいた頭がくらくらしてきて、娘にごめんねと言い、布団に横になる。頭痛は酷くなる一方。もうだめだと思い薬を飲む。二回分まとめてぐいっと。
 気がつくと娘をもう寝かしつける時間になっており。何とか起きあがったもののろれつが回らない。そんな状態で、どうにか娘の歯を磨き、トイレに行かせ、ごめんねを繰り返しながら娘と二人で横になる。頭痛は吐き気を伴い、けれど、吐こうにもトイレまで辿り着けない。いけないと思いつつ、もう一回頭痛薬を飲み込む。
 そんなふうに横になったから、夢はもう怒涛のようだった。あまり思い出したくないことはもちろん、死ぬまでもう振り返らないでいようと思っていたことまで、ありとあらゆるものが走馬灯のように、濁流のように私の中を流れ、荒れ狂い。
 でも、何だろう。これでもかというほどの濁流の後、私が辿り着いたところは、私の知らない場所だった。まだ知らない、見たこともない、多分この世には存在しないのだろう場所。
 ふっと目が覚める。そして反省。私は、体と心とどちらが勝つかといえば、心あるいは気持ちの方が常に勝ってしまう、でも、そんなんではこうやって娘に迷惑をかけることになるわけで。体と心の均衡を、きちんと考えて生活しなければいけないな、と。朝一番に私に向かってとびきりの笑顔を見せてくれた娘の姿を眺めながら、なおさらにそう思う。

 部屋を片付けていたら電話が鳴る。「S警察の者ですが」「はい」「えぇっと落し物が届いておりまして」「何ですか?」「薬なんですけれども」。
 過日私が失ったあの薬が。今頃になって見つかったという。一応お礼を伝え、でも、処分してくれるように頼む。今頃見つかっても、どうにもならない。その日中だったなら返品返金してもらえたけれども、もうしようがない。落し物をした私が悪い、それに尽きる。それにしても、何故今頃になって見つかったのだろう。誰が見つけてくれたのだろう、届けてくれたのだろう。ひとりぽつんと、「どうもありがとうございます」と言ってみる。その声は、通りを行き交う車の音に、すっかりかき消される。
 掃除機をかけていたら、いろんな人の顔が私の脳裏をよぎっていく。YI、RN、YA、CM、SY、とめどもなく、姿は次々流れてゆく。思いきり笑顔の顔もあれば、涙がこぼれそうなのを我慢しながらにぃっと笑っている顔、少し首を傾げながら遠い目をしている顔、声もなくただぼろぼろと涙をこぼす顔。
 もうこの世にはいない人もいれば、まだまだこの世に存在してくれている人も。もう二度と会えない人もいれば、こちらが呼べばすぐにでも返事をしてくれる人も。
 掃除機のスイッチを入れたままなのに手が止まる。誰に、ではない。誰かへ、ではない。私の脳裏に浮かんだ彼ら全員へ、私の想いが流れてゆく。そんな錯覚を覚える。私の心の川をいつもせきとめているだろう扉がすぅっと失われて、またたくまに水が想いが、四方八方へ流れてゆく。溢れるように。
 何の敷居もない。何の障壁もない。流れはまるで、この時を待っていたといわんばかりに、勢いよく、のびのびと、歓喜の歌声を聞かせながら、流れてゆく、流れてゆく。
 私の耳にはもう、通りを行き交う車の音も掃除機の音も聞こえない。私の内から勢いよく流れてゆく水の音だけが、私を満たす。

 ありがとう。出会えたこと。
 ありがとう。交叉できたこと。
 今この瞬間もこの緒とこの緒、繋がっている君へ、ありがとう。
 そしてもうこの緒の先にはいなくなった君へ、ありがとう。
 だってもう二度と会えなくても、私たちは大丈夫。
 よう!と掛ける声の隣で、いつも伝えたいことは「ありがとう」だった。
 さよならの代わりに、もう会えない君へ伝えたいことは、いつだって「ありがとう」だった。
 そのことを、今改めて思い出すよ。

 気がつけば日差しが斜めにさしている。はっと見上げた空は夕暮れ始めている。私は慌てて掃除の続きを始める。いい加減もう娘を迎えに行かなければ。また父母が頭に角を立てて怒り狂っているに違いない。だからおまえはどうしようもないんだ、母親失格だ!と。想像しながらつい私は笑ってしまう。
 私ももう大丈夫。疲れもずいぶん溶けていった。多分お日様が吸い取ってくれたんだろう。西の空を眺めながら言ってみる。子供の頃みたいに。
 ありがと、さよなら、また明日。


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