見つめる日々

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2004年04月28日(水) 
 嵐の後、空を覆っていた厚い鼠色の雲が突然、ぱっくりと口を開ける。その瞬間、目の前に現れる空を見上げる、この爽快さ。もう、どうにも表現しようがないほど、私の心は至福に満たされる。おのずと両腕が空へ伸ばされる。眩しさに思わず目を閉じても、私の瞼を容易に通り越して、光は私に降り注ぎ、そして私の体は光と青とで満たされてゆく。
 そして。じわじわと、じわじわと、私の奥底から、エネルギーが滲み出してくるのを私は知る。石と石の間から僅かに滲み出す涌き水のように、それはとてもゆっくりと、でも間違いなく、私の中から奥底から滲み出されてくるもの。じわじわと、じわじわと、奥底から。内奥から。

 伸ばしていた腕にひんやりした風を感じたと思った途端、激しい通り雨。私は慌てて軒下に入る。今日の天気はまるで私みたいだと少し苦笑する。ブラウスについた雨粒を、そっと払い落とす。払い落としながら、ふと、私は自分の左腕に目を止める。
 それは別に何も特別なことでもなく、ごく自然に、私の目が左腕を眺める。そして、右の掌で、傷だらけのその腕をそっと撫でてみる。もう指先では感じ取れないほど薄くなった傷もあれば、いまだにありありと盛り上がって私の指先にその存在を誇示してくる傷痕もある。びっしりとこの腕を埋める夥しい傷痕にも、それぞれの個性が、歴史があるのかしら、なんて、思って、私はまた笑ってしまう。そして思う。
 これは、私の戦争の痕跡なのだと。
 そう、私と私自身との、闘いの痕跡。こうやってしか生き延びることのできなかった、私の標。

 ねぇ、こんな腕でも、掴めるものはあるよね。
 こんなずたぼろの命であっても、私はそれを誇っていいよね。
 こんなに粉々に砕けた心であっても、私は私だけはせめて、抱きしめてやっていいよね。

 やがて雨が上がる。レンガ敷きの道には、あちこちに小さな水溜りができる。その水溜りにそれぞれ、空が広がる。私は、空を踏んでしまわないように、あっちに飛び、こっちに飛びながら道を往く。

 仕事をしなければと思いながら、私は家に戻る前に公園へ立ち寄る。引っ越す前毎日のように通ったあの公園へ。もうすっかり全身に萌黄色の葉を繁らせた桜の樹のアーチが私を出迎えてくれる。途端にむせかえるような緑の匂い。あぁ、久しぶりだ、あの反吐の出るような臭いや味じゃない、芳しい香りを感じるのは。私はまるで散歩中の犬のように、くんくんと鼻をひくつかせる。ここにある全ての樹々の香りを、一片たりとも逃がしたくない。そうやって一歩一歩歩きながら緑の匂いを吸い込むほど、私の体も奥から緑色に染まっていくような錯覚を覚える。
 家に戻ると、今度は部屋に薔薇の香りが漂っている。嵐の中で咲いたホワイトクリスマス。白の大輪の薔薇。嵐だというのに部屋の中に取りこむのが遅れてしまったために、一番外側の花びらがでろんと垂れ下がってしまった。けれど、何といういい香りだろう。私は、深く深く息を吸い込む。途端に、胸いっぱいに広がる香り。甘く切なく、いっそこの花に埋もれて死んでしまいたいと思えるほどの。そうして私はそっと指で花びらを撫でる。おまえたちは嵐の中で咲いた花。だから余計にいとおしい。

 私の、不安定な部分ばかりを大きく捉える人もいれば、それはあくまで私の一部として受けとめてくれる人もいる。そしてまた、私の為す仕事の部分を知っている人は、私が毎週心療内科に通っているなんてこれっぽっちも思っていなかったりもする。それは理知的で論理的。呆れるほどきっぱりと現実的。一方で、極まりないほど不安定。解離して時間をふっとばして生きていたりもする。また一方で、私は多分何処にでもいる人間の一人。そんな私に対する周囲の受け取り方はきっと、十人十色。そのことを、私は拒みたくはない。
 でも、時々思うことがある。私を知って欲しい、と。私の一部を見るのではなく、私の全体を捉えて欲しい、と。
 そう思って、私は苦笑する。それは無理ってもんだろう、と。
 別に、私が性犯罪被害者でなくても、PTSDなんて抱えていなくても、人はたいてい、相手の全体を見通すことなんてほとんどできないんだと思う。自分の目の前にいる人の、今目の前にある一面を受け止めてゆくのが自然。
 欲張りなんだな、と思う。私は、この人はと思った人には、自分の全体を見てほしいと願ってしまう。十代二十代の頃なんて、まさにそうだった。それが強烈すぎて、いろんな人を傷つけた。
 だから欲張りなんだなと思う。私は欲張りなんだってことを、ちゃんと自分で覚えておこう。そして、欲張りは人を傷つけるよ、ということも、しっかり覚えておこう。

 ベランダでは今、薔薇だけでなく、ミヤマホタルカヅラも咲いている。この花の青が私は好きだ。こんなに小さな、指先ほどしかない小さな花なのに、どこまでも透き通ってゆくようなこの深い青。見つめていると、ふぅっと溜息が出てきてしまう。見惚れてしまう。挿し木してどんどん増やし、今はプランターの中、こんもりと小さな茂みを作り、私を楽しませてくれる。そうだ、娘が帰ってきたら、教えてあげよう。ほら、新しくここでも花が咲いたよ、と。
 そうして今日も暮れてゆく。涼やかな風の吹く、今日という穏やかな一日が。


2004年04月27日(火) 
 窓際に座っていると、これでもかというほどの強い風が、窓を街路樹を電線を嬲りつけてゆく音がはっきりと聞えてくる。ようやく開いてきた白い大輪の薔薇が、ちぎれそうに首を歪めているので、急いで部屋の中に取り込む。でも気付くのがちょっと遅過ぎた。開き始めた外側の花びらが、もうすっかり傾いでしまっている。可哀想に。
 誰が泣いているのだろう。誰が悲痛に暮れているのだろう。誰が必死に壊れそうな心を抱いているのだろう。そんなことをつい思い巡らしてしまいたくなるほどに、風は、雨は、街中を嬲りつけてゆく。
 ここのところほとんど毎日、真夜中に目を覚ます。その行為自体はいつものことと言えば確かにそうなのだが、いつものそれとは大きく違っている。何が? 何かが。たとえば私は大好きな夜闇の中にいながら、落ち着いて椅子に座ることもできず、狭い部屋の中をあっちうろうろ、こっちうろうろ、歩き回ったりしてしまう。こんなんなら、さっさと再び横になってしまえと思うのに、それができない。時間だけがチッチッと過ぎる。その音がひどく大きく聞えて余計に私は焦る。もういい加減横になろう、もういい加減眠ろう、そう思うのに、体がいうとおりにならない。私の意志とは正反対に、体が何とかして起きていようとしてしまう。誰かに手紙を書こうという余裕なんて、情けないことにそんなときはどうしても心の何処を探しても沸いてこない。
 ふと誘惑にかられる。久しぶりに腕をざっくり切り刻んでしまおうか。
 いや、そんなことはいけない。絶対にいけない。
 じゃぁ食べられるもの全部食べて、思いきり食べて、そして思いきり吐いてしまおうか。
 いや、そんなことして何になる。何にもならないじゃないか。それにそもそも、いきなり娘が目を覚ましたらどうする。娘に何と言い訳をする。
 ぐるぐると回る私の頭の中。あんまりにぐるぐる巡るから、もう訳が分からなくなって、私はただいらいらする。
 とりあえず珈琲を飲もう。少量のお湯を沸かし、インスタントコーヒーを入れる。牛乳を少し足して、一口啜ってみる。味がまったく分からない。分からないまま、それでも私は飲んでみる。いつか分かるかもしれないと意味のない期待をひとかけらだけ抱きながら。
 先日病院に行った折、先生に私の夜の状態を改めて話してみる。夜中に目を覚ましたら、腕を切ったりバカ食いして吐いたりする代わりに、この薬を一錠飲んで、とりあえず横になってみて。でも先生、私、横になるのができないんです、恐いとも少し違う、もう強迫観念と言っても過言じゃないくらいに、横になることを私の体が拒絶するんです。こんな状態じゃそれも無理ないわよ、解離症状も極度の緊張状態も常に続いている状態で、それは自然なことよ。そんなんだから私、電車の中でとか眠ってしまって電車をしょっちゅう乗り越してしまう、今日もそうでした。だから、儀式と思ってやってみたらどうかしら。目を覚まして起きあがってしまって、そしたら必ずこの薬を飲む、という儀式。…はい。
 地上からふわふわ浮いたような状態のまま、私は家路を辿る。もうすぐ家だと思って安堵した瞬間、私は愕然とする。薬がない。今日処方された薬の袋全部がない。一体何処に、何処に忘れてきたのだろう。そもそも私はどうして今ここにいるのだろう。私はあっという間に混乱の坩堝に陥り、もう為す術もなくなる。私は、もう、自分でたったの一歩も身動きできない状態に陥る。
 どうしようもなくなって助けを求めた人が、代わりに受け取りに行ってくれることになった。病院に許可をとり、私はその場でひたすら座り込む。その間に友人が病院まで行ってくれ、結局再度処方箋を出してもらい、実費で薬を得ることになる。そして私は再び愕然とする。その金額に。二万円以上。再度処方された場合、保険は一切きかない。
 ニ万円以上の薬を、私は毎度毎度飲んでいたのか、と、今更だけれども驚愕する。そして今度こそなくさないようにと、友人から受け取った大きな薬袋を両腕でぎゅっと抱きかかえて、家路を急ぐ。
 そういえば、しばらく前に先生とこんな話をした。
 先生、あれは監禁だったんでしょうか、それとも軟禁とか、或いは、あれは私の被害妄想であって監禁でも軟禁でもなかったんでしょうか。
 私は、監禁だと思いますよ。
 でも親ですよ。両親ですよ。それをしたのは。それでもやっぱり監禁になるんでしょうか。
 なりますよ。
 そう、私は、両親に監禁されていた時期があった。それは時間的にはたったの三ヶ月だったけれども、いつ思い返しても、あの時間は止まっている。
 高校一年生の一月、突然私は退学せざるを得なくなった。それは、我が家にはあってはならない出来事だった。家族の恥だと罵られた。私の理由を真実を聞いてほしい、分かってほしいと私は最初は訴えたけれども、そんなものは無駄だった。理由なんて関係なかった、事実のみが父母には大事だった。高校を途中で辞めた娘なんてものは、彼らの中に存在してはならなかった。その日から、私は、家から一歩も出ることを許されない、また、私がここに隠れているということを誰にも知られないために物音一つ立ててはいけないという生活を、始めることになった。
 そう、普通の高校生ならば学校に行っているはずの時間、私が家に居ることを近所の誰にも知られてはならないから、物音一つ立ててはいけなかった。音楽を聴くのはもちろんピアノを弾くことももってのほかだった。足音さえ忍ばせて歩かなければならなかった。だから私はほとんど、毎日を自分の部屋に閉じこもり、じっと膝を抱えて過ごした。そして、食事も一人きりだった。弟とも喋ってはいけないと命じられた。父母とはもちろんほとんど会話などなかった。要するに、私は、あの頃、誰と話をすることも許されていなかった。家から外に出ることはもちろん許されていなかったし、そんな中、私にできることは、私の頭の中で、声を一切出さず、私自身と話をすることだけだった。
 そういう三ヶ月間を、私は過ごした。
 時々、あの時のことを思い出す。思い出して、途方に暮れる。何をどう考えていいのか分からないからだ。何をどう受けとめていいのか、分からないからだ。
 昔一度だけ、電話で父に訴えたことがあった。泣いて訴えたことが。どうしてお父さんお母さんはあんなことしたの? 何言ってるんだ、今更。おまえはそうやって過去のことをいちいち引っ張り出して、周囲を混乱させてることが分からないのか。そんなこと言ったって、私の中ではあのことはとても大きな傷として残ってるんだよ。だから理由がしりたいの、どうして。俺はおまえに感謝されこそすれ、こんなふうに言われる覚えはない。おまえを世間から守るためにしたことだ。それを何故俺が謝らなければいけないんだ。何も謝ることなんてこれっぽっちもない。でも私は、あのことをずっと引きずってるんだよ。痛いんだよ。それはおまえの勝手だ、情けない、いいか、これ以上こんな話をする気はない、今後も一切答えるつもりはない。
 電話はそうしてがちゃりと切れた。切れた電話を握り締めながら、私はぼろぼろと泣いた。一体どうしたらこの人たちと分かり合えるのだろう。一体どうしたら私は、この人たちに愛されていると感じることができるのだろう。
 先生は最後にこんなことを言った。
 でもね、それだけじゃない様々な酷い出来事を過ごして来て、それでも尚、こうして踏ん張ってるあなたを、私はよく知ってる。

 薬を私の代わりに受け取りに行ってくれた友人がこんなことを言った。
 今加害者に会ったらどうする?
 うーん…もし私が知ってる場所に今も住んでいるなら、行って、そうしてその人に言ってみたいことがある。
 何?
 …あなたはあれから、どうやって生きてきましたか。私はこんな日々を過ごしてきました。そのこと、あなたに分かりますか、って。いや、違うかな、よく分からない。何も言わないのかもしれない。ただその人の顔じっと見て、何も言わないかもしれない。
 自分だったら、ドア開いた途端に殺しちゃうな。
 ははは。まぁそれもありかもしれないけど…
 でも、だめだ。
 うん、だめだ。
 今はもう、おまえには娘がいる。その娘には何の罪もない。
 そう。罪人の、殺人者の娘、なんて烙印、絶対に背負わせたくない。
 だから、殺せない。
 うん、殺せない。
 だからここから生きるしかない。
 そういうことだ。リストカットしたいなとか思うときも、娘の顔思い出すんだ。だめだ、娘を泣かせるようなこと、絶対にしちゃだめだ、って思う。一生懸命それを思って、リストカットへの衝動を押さえ込む。電車がホームに入ってくる瞬間、あぁ飛びたいなと誘惑にかられるときも、必死に彼女の顔を思い出す。だめだ、だめだ、って。
 うん。
 私は生きなくちゃ。
 そう。
 そう、生きなくちゃ。
 ほれ、薬、飲まなくていいの?
 あ、飲まなくちゃ。今日はありがとう。
 気をつけて帰りなよ。
 うん。じゃ、また。

 私は、そう、生きなくちゃ。娘の為じゃない、私が生きていたいから。
 ここまで生き延びてきたっていうのに、今更死にたくなんかない。
 だから、
 生きなくちゃ。そう、私は、生きなくちゃ。


2004年04月19日(月) 
 ここのところ目を覚ますとすぐに、私は窓を開ける。窓を開けて、全開にして、思い切り深呼吸する。そうしてしばらくベランダに立ち、日差しと温度と風を感じた後、部屋に戻り洋服ダンスを開けてみる。そこで私は毎日首を傾げる。さて一体何を着たらいいのかしら。
 というのも、私の洋服ダンスには春の服や夏の服がとても少ない。はっきり言ってしまえば、セーターなどといった冬物の服が殆どだ。つい数年前まで、私は夏の暑さを感じ取れなかった。また、人から傷だらけの腕をじろじろ見られるのが鬱陶しくて、面倒だからといつでも長袖を着ていた。それ故に、今、私は困っている。一体何を着たらいいのかしら。今はもう暑さは暑さとして私なりに感じ、同時に、腕の傷なんてどうってことないと開き直った私にとって、今のこの私の洋服ダンスは、扱いに困る代物と化している。服を買わなくちゃいけないなぁと思う。そう思って、時間を見つけて洋服店を覗いてみたりするのだが、どうも気恥ずかしくていけない。最近の「お洋服」には、どうも今の私はついていけないようだ。これを着るくらいなら暑いのを我慢した方がいいかしら、と思うことしばしば。春物、夏物の洋服を購入せねばと思ってから今日までに実際に購入した数、片手の指の数に十分入る程度。だから私は今日も、洋服ダンスの前で首を傾げる。今日は一体何を着たらいいかしらん。
 ベランダでは、黄色い薔薇の蕾がとうとう綻び始めた。娘を呼んで二人で眺める。すごいねぇ、えらいねぇ、これからいっぱい咲くんだよ。二人してそんなことを花に向かって話しかける。
 昨日は主治医からこんなことを言われる。「だいぶ顔が解れたように見えるわよ」「そうですか?」「ええ。先週はねぇ、もうどうしようかって顔だった」。そう言い合って二人で思わず笑ってしまう。先週処方された薬は私にはちょっと強いと思うのだけれどと話すと、今日の顔色を見る限り、もうしばらくこの薬でいった方がいいと思うわと言われ、結局そのままにする。まぁいざとなれば、自分で包丁で半分に切り分ければいいのだから、そんなこと、どうってことはない。
 ここのところ夜中になるとぱっちりと目が覚める。私は起き上がり、隣で安らかに眠っている娘のおでこをそっと撫でる。彼女の額を撫でるのが私は好きだ。もちろんほっぺたを撫でるのも好きだけれど、彼女が眠っているときにこうやって額を撫でる、この感触、あたたかさ、滑らかさが、何より私にはいとおしい。私がどういう状態に陥っても、こうやって変わらずにここに在るもの。その存在が、私に力をくれる。彼女に触れると、私は元気になれる。
 そして私は、布団から抜け出し、しばしひとりの時間に埋もれる。自分の為だけにカフェオレをいれ、自分の為だけに煙草を吸い、窓を開ける。白い煙が夜闇へと流れ、じきに窓の外へと流れてゆく。そして気づけば、闇に溶けてそこにはもう、何もない。
 あの味や臭いは、まだ私の中にある。時々吐き気が襲ってきてトイレに駆け込むこともある。でも、もうショックからはずいぶん立ち直ったように思う。これも私の荷物のひとつ、と思ったのはいつだったか。そう思うことができるようになってから、私はすっと楽になった。そう、これも自分の荷物のひとつ。そう思えば、背負いようもあるというもの。
 そして私の夜は少しずつ過ぎてゆく。できるだけ何もしない。手元にあるのはいつものノートと書きなれたボールペンと万年筆と、あとはマグカップと煙草。こういうときの電気の灯りというのは強烈なだけなので、私はたいてい蝋燭を燈す。そして最後にヒノキの香りのお香に火をつける。
 ただそうやって、ぼおっとしていると、おのずから浮かんでくるものたちがある。それはたとえば人であったり、それはたとえばいつか刻まれた光景であったり、もう名前も顔も覚えていないのに私の中に残っているぬくみであったり。昼間だったらそれをあれやこれやと秩序立てて組み立ててしまうのがおちだけれども、夜中の私はそれをしない。組み立ても切り取りもせず、ただそれが在るがまま、浮かぶまま、そうさせておく。そして時々、その中に私も入り込んでみたり、その流れの中を泳いでみたりする。もちろん、対岸からただ眺めていることもある。
 そうしていると、私は手紙を書きたくなる。それはもうこの世にはいない誰かへであったり、この世にはまだいるけれどももう二度と交叉することの許されない誰かへであったり。その夜私の中に浮かんだ誰かへ、だから私は手紙を書いてみる。
 お元気ですか。今この街はまさに萌黄色です。どの樹にもどの樹にも、赤子の手のひらのような小さな葉が夥しいほどに芽吹き、風にちらちらと揺れています。うちの近くの通りには、誰が種を撒いたのか分からないけれどもアネモネの花が、今日も日の光を求めてまっすぐに咲いています。何処もかしこもが、浮き足立っているかのような季節です。
 あれからどうしていますか。何に傷つき、何に笑い、何に項垂れていますか。君がよく言っていた、自分の夢というのはどうなりましたか。
 私は、相変わらずです。でも多分、君と交叉した頃より、ずっとずっとタフになりました。それから何よりも、娘がいます。私が母親ですよ、信じられますか? 自分でももうびっくりです。二人の生活は結構大変だけれども、でもその分、とてもとても楽しいです。何よりも、自分がここに在るのだと常に感じることができる、それを感じさせてくれる誰かの存在は、かけがえのないものだと常々思います。
 君は今、誰かを愛していますか。それとも、ひとりを満喫している最中でしょうか。どちらにしても、君の毎日が充実していますように。
 いつでもまっすぐ過ぎるほどの君を、今、ありありと私は思い出します。まっすぐであるが故に喜び、まっすぐであるが故に深く傷つき、それでも必死にその二本の足で立っている君の姿を。
 私も多分今なら、言えます。自分の足でこの場所に立つということがどれほど大切なことかということ。
 もうそろそろ夜明けの時間です。私は夜明けに見る、あの一筋の光がとても好きです。まるで真っ暗な中、舞台の緞帳がするすると巻き上がっていく、その一番最初に見る光のように思えて。
 また手紙を書くかもしれません。そのときは、私の心の中で、記憶の中で、また君を思い出すことにします。そのときまで、さようなら。
 今の君を知らない、今の私より。

 そうやって私は夜、あてもなく、誰かへ手紙を書いたりする。そしてその手紙は、私の引き出しの奥深くにしまわれて、永遠の眠りにつく。


2004年04月17日(土) 
 朝はいつだってあっという間にやってくる。目覚めた時は闇にすっかり抱きすくめられていた世界に、東からすっと一本の薄淡色がさしこんだかと思うと、その後はもう、瞬く間だ。カーテンの隙間から漏れてくる光を眺めるでもなく眺めながら、私は、今日も一日が始まったことを、知る。
 埋立地のだだっぴろい道を自転車で走る。銀杏の樹たちは、今年もまた、赤子の手よりずっと小さい葉を全身にまとっている。やがてあの手のひらも、ぐんぐん大きくなって、黄色く色づいて落ちる頃には、すっかり大人のカタチになるのかと思うと、なんだかどきどきしてきて、口元が緩む。幹に手を触れると、どくんどくんと心臓の音が聞えてきそうな錯覚を覚える。この音は樹の心音なのか、それとも私の心音なのか。浮かんできたそんな問いに、私は思わずくすりと笑う。どっちだっていいじゃないの、どちらであっても、この手のひらで感じるものはあたたかく、そしてやさしい。
 折角だからモミジフウの樹たちにも会いにゆく。実際こうやって会いにゆくのは久しぶりだけれど、この木々はいつだって私の心の中にあるから、なんだか久しぶりという感じがしない。ぼんぼりはやっぱり今年も枝々にぶらさがり、海から吹く風にぶらんぶらりんと揺れている。
 世界の彼方此方が芽吹く季節。それは、彼方此方が彼方此方でざわざわとざわめいて、何となく落ち着かない気持ちにさせる。地上から3センチくらい浮いてしまっている、ちょっと伸ばせばすぐ地面につま先が届きそうなのに、何故か届かない…そんな不安感と似ている。

 昨日だったか、薔薇の樹々に水をやりながら思い出していた。そういえば昔、日記に、世界と自分とは繋がっている、そのことを感じる、なんて、書いていたな、と。それを思い出し、私はちょっと笑った。その時はそれが正直な気持ちだったし、今だってそのことを問われれば、そう感じる、と、私は答えるだろう。
 でも、同時に、世界とこれでもかというほど分断されていると感じる私も、やっぱり在るのだ。その二つは相反しているように見えるけれど、でも、どちらかが嘘だとかそういうことじゃぁなく、その両方を併せ持っていること、その両方の間を振り子のようにいったりきたりしているのが、この私なのだ。
 先日、あの味と臭いでパニックを起こしている最中、母からの電話が鳴った。しつこく鳴る呼び鈴に気付いて何とか這いずって受話器を取った。そして私はその電話で、母になぞ言うつもりのなかった自分の今の酷い状態についてぼろりと愚痴を零してしまった。それを聞いた時の母の反応は、実に面白かった。「そういうのを治してくれるのが病院でしょ? M先生のところに毎週通ってて、いまだにそういうのが治らないの? 一体あれから何年経ってると思ってるのよ。おかしいじゃないの」。なるほど、そういう考え方が普通なのかもしれない。同時に、あぁなんて母らしい反応、母らしい言葉なのだろうと思えて、ひぃひぃはぁはぁ言っている最中だったにも関わらず、私はつい笑ってしまった。
 病院というのは治してくれるところ。パニックだってフラッシュバックだって治してくれるはず。あれだけ大量の薬を毎日処方されて飲んでるんだから、平気なはず。
 それが普通の反応なのかもしれない。でも、私は思うのだ。病院は治してくれるところじゃぁない、と。いや、内科や外科などというところは、確かに(目に見える傷を)治してくれるところなのだろう。でも、私が毎週通っているような心療内科というところは、治してくれるところじゃぁない、と。私がそれを乗り越える或いはうまく避けて通る方法を見出す(身につける)ことを手助けしてくれる場所なのだ、と。私はそう思っている。
 そりゃぁ通い始めた最初の頃は、「先生、助けてください」「どうして楽にならないんですか」「私は一体何の為のこんな場所に通ってなきゃいけないんですか!」と、先生に詰め寄ったことも何度もあった。あの自分を思い出すと、私は恥ずかしくなってしまう。何も知らなかったのだ、あの頃の私は。とてもじゃないが、今はそんなことこれっぽっちも言うつもりはない。
 それにしても、あれからずいぶん落ち着いた。味も臭いも、いまだに私の内に残ってはいるけれど、もう仕方のないことさ、と、諦めることができるようになったせいかもしれない。
 そしてふと思った。
 被害者というのは、事件後、日常が一変する。ひっくり返る。ひっくり返ってしまった日常を、世界を、生きなければならなくなる。じゃぁ翻って、加害者は? 加害者はどうなのだろう。
 彼らはたいてい社会復帰する(もちろん、罪に問われることさえなくのうのうと社会で生きている人たちもいるが)。その時、彼らにとって事件前の日常と事件後の日常とは、一体どう変化するのだろう。そもそも変化するのだろうか、なら、一体どんなふうに?
 私は、事件が起きたことよりも、事件後世界がひっくり返ったそのことに、今も生きづらさを感じてしまう。それまでの日常が崩壊し、それまでの世界が崩壊し、だから私は、世界を生活を再構築することから始めなければならなかった。その一方で、加害者は? 加害者たちは、一体どんな日常を世界を、事件の後、歩くのだろう?
 そのことを、いつか知りたいと思う。たとえば罪を犯したことを誰もが知っていながらその全員が全員、法的に罪に問われることなくその後ものうのうと社会で生きている、活動している、そういった人たちの事件後の心の内は? 刑務所などという建物の中で罪を償ったと認められて社会に出て来る加害者たちの本当の心の内は? その後の生活は?
 そこまで考えて、私は自分を嘲笑ってしまった。何考えてるんだろう、と。だって。
 多分私は望んでいるのだ。その人たちも、私たちと同じように、世界を生活を再構築せざるを得ない状況に陥っていてほしい、と。そのことに気付いたから。私は、自分のあまりの醜さに、嘲笑せざるを得なかった。今の私では、きっと、その人たちがそんなこと露ほども気にせず、記憶にさえ留めず、のうのうと生きていることを知ったなら、きっと凄まじく傷つくのだろう。どうして、何故なの、と。私はきっと、その人たちも私と同じようにずたぼろになっていて欲しいのだ。
 あぁ、なんて醜いんだろう。醜くて醜くて醜くて。そして、なんて憐れな人間なんだろう、私は。
 もうやめよう、そんなことを考えるのは。
 だって、同時に祈っているのだ、私は。私のような世界を生きる人が、一人でもいなくなりますように、と。私や、私が知っている同じ種類の被害者となった友人たちのような人間は、一人でもいなくなりますように、と。
 その両極を結ぶものを、私はまだ持っていない。

 薔薇の鉢の下から、水がこぽこぽと流れ始める。その水は、自ずと流れる方向を知っており、ベランダの端を伝って排水口へと流れこんでゆく。少しずつ、通りを往き交う車も増え始めた。すっかり明るくなった街が、昨日と変わらずここに在る。
 そして私の今日も、ここから始まる。


2004年04月12日(月) 
 昼間の陽射はもう、春じゃない。額に添えた手がなければ、反射的に瞼を閉じてしまうくらいに、それは容赦なく眩しい。もうほとんど花びらの散り落ちた桜の木の下を、私は今日も自転車を走らせる。時々風に乗って、残り少ない花びらがひらひらと、私の目の前で舞っている。レンガ敷きの道の両脇には、眠るように薄桃色の花びらが重なり合って休んでいる。
 娘はこの春から制服になった。紺色のダブルのブレザーとひだスカートを着た娘は、なんだかもういっちょまえの少女になったかのようで、その誇らしげな頬は少し赤く染まり、私ににぃっと笑いかける。私はなんだか、自分の娘じゃぁないような気がして、少し気後れする。ついこの間まで私のおなかの中に入ってたはずなのに。ぺったんこになった腹をそっと撫でながら、そんなことを思う。そうやって私の周囲では、あっという間に時が過ぎてゆく。これでもか、これでもかというほど駆け足で。だから私はこんなふうに、時折途方に暮れるのだ。途方に暮れながらそれでも、娘のその初々しい姿に、心がほっとあたたかくなったりもするのだ。

 そして。
 それは唐突にやってきた。友人に勧められて購入したスパッツの袋を破いて、それを履いてみようと思ったその時。この臭い。この臭いは。
 ずさっと、私の脳裏に閃光が走る。だめだ、いけない。今これを開いてはいけない。私の内でかんかんと警鐘が鳴り響く。私は慌ててそれを元の袋に戻す。これは何、何の臭いだったろう。思い出せない、いや、私はきっと鮮明に覚えている。記憶に封じ込められているだけで、私はこの臭いをいやってほど覚えている。背筋に戦慄が走る。だめだ、今はいけない。私は咄嗟に宅急便の袋を部屋の隅にぐいと押しやる。動悸が激しくなるのを何とか抑え、娘に、歯を磨こうなどと声をかけて、何事もなかったふりをする。
 その夜、私は夢を見た。いや、瞼は閉じていたけれども眼はらんらんと、天井の隅々まで写し出していた。拒否する気持ちが私の体を抑えこみ、身動きがならない。そんな中で私は、ありありとかつての映像を見た。
 直接的な加害者Sが、私の体にのしかかる。喚こうとする私の口を汗ばんだSの手が塞ぎ、もう一方の手は私の両手を抑えこみ、私よりも20センチ近く大きな体がぐわんと私の体に重なり。その後は何をしてもだめだった。この映像は音を伴わない。ただただ映像だけが淡々と私の脳裏を流れてゆく。そして場面はぱたんと次へ移る。
 事件後の職場は地獄だった。職場の人間たち全てに、私はどんどん追い詰められた。そういう意味で、私にとって職場の人間たちは第二の加害者だった。彼らの様々な私欲が渦を巻き、私を呑みこんでいった。なら逃げればいい、別の職場に移ればいい、人はそう言う。でも。私にとってあの仕事は、本作りという仕事は、生きがいだった。幼い頃から夢見続けて、ようやく掴んだ仕事だった。私は、逃げたくなかった。強姦なんて事件は、なかったことにしたかった。そんなものはなかった、私はここで仕事をするんだ、その思いだけが私を支えた。でも。
 味方は何処にもいなかった。そうやって孤立してゆく私を支えたのは、直接的な加害者であったはずのSだけだった。私に仕事を教えるかわりに、私に性行為を要求する。最初は震えた。冗談じゃないと思った。何千何百というミミズが体から涌き出てくるかのようなおぞましい錯覚を覚えた。けれど。私に選択の余地はもはやなかった。仕事ができないなら具合が悪いならさっさと辞めていいよ、と嘲笑的に突き放す編集長に、私はやれます、と言いきるには、仕事ができなければならなかった。私は。
 私は結局、Sの要求を受け入れた。受け入れるしかもう、私は生き延びる術がないと思った。だって。
 誰も認めてくれなかったのだ。私が強姦されたという事実を。最初そのことを知り、平謝りに謝った編集長も、やがて事実を持て余し、何もなかったと事実を捻じ曲げていった。もう一つの編集部の部員たちも、みながみな、強姦と事実を消去していった。そんな中、唯一、私を強姦した、と認めてくれたのは、直接的加害者であるSだけだった。彼だけが、申し訳ないことをした、と言った。ごめん、と言った。そう言いながらそれでは何故、私に更に繰り返し性行為の要求をしたのか、私には理解できない。けれど、彼だけだったのだ、強姦という事実があった、と、私の叫びに頷いてくれたのは。
 そうしているうちに、私は少しずつ狂っていった。この人を好きになってしまえたら、もしかしたら強姦されたという事実を消せるのかもしれない、と。今思えば、信じられない思考回路だ。しかし、私は当時そう思ったのだ。みんながこうやって掻き消していくような事実なら、いっそ自分から消してしまえばいい、そうやって消してしまえば、私は楽になれるかもしれない、と。実際、今の私にとって味方は加害者Sのみなのだ。彼がいなかったら誰も私に仕事のノウハウを教えてくれる人はいない、ならいっそ、彼を好きになってしまえば。
 そうやっていくうちに、私はどんどん鈍感になっていった。いや、いろんなものに対し、これでもかというほど鋭敏になり、同時に、鈍感にもなった。それは繋がってはいず、両極に引き裂かれてゆく類のものだった。私はそうやって、両極に、びりびりと引き裂かれていった。私の感覚は、私という人間は、壊れていった。私という形骸がいずればたんとアスファルトに倒れ臥すには、そう時間はかからなかった。
 そんな中、Sからの要求で私はSの望む通り性行為を繰り返した。それがどんな行為だったのか、私にはほとんど思い出せない。でも。奇妙に鮮烈に覚えている記憶がある。それは。
 彼の性器の、彼の体の臭いだった。
 饐えた臭い。他にうまい表現方法が見つからない。饐えた臭い。腐った臭い。薄汚い公衆便所の臭い。座敷牢の老人の体から放たれるような独特な臭い。
 その臭いを放つ性器を、口に突っ込まれる。Sは私の頭を抑えこみ、私が逃げようとしてもそれは逃げられないのだった。口中に広がる腐臭。そしてその味。あぁ、この味と臭いが、さっきの正体だと私は思った。包装紙を解いて品物を出した、その品物から、袋から、強烈に臭った、あの臭いの正体だと、私は悟った。あぁ、どうして。
 彼はその行為を終えると風呂に入った。そしてその風呂に、私にも入れと命令した。もう逆らう術などまったくなくしてしまっている私は、黙って言う通りにした。すると、その浴槽の水面全てを埋め尽くすくらいの垢がそこには浮いているのだ。白い垢が。私は、その垢から何とか自分の身を守ろうと、いつでもじっとして、ぴくりとも動かず、湯船に浸かった。その白い垢に触れたら私は気が触れてしまう、そんな気がした。でも、どうやったって逃げられないのだ、いつだって垢は、水から上がろうとする私の体にねっとりとくっついてくる。私はくらくらする頭を支えながら、部屋の隅で、隠れながら着替えをした。一体私は何をしてるんだろう、そう思った。もう全てがぼんやりしていた。曖昧だった。私は一体今生きているのかそれとも死んでいるのか、それさえもう定かではなかった。あぁ楽になりたい、いつもそう思った。全てのことから解放されて、楽になりたい。死にたい、というのとも違う、まさに、楽になりたい、という、その一念だった、私の中に在ったのは。
 今、夜の闇の中、横になりながら私の口の中に蘇るその腐臭と味は、どんどん密度を濃くし、もう私はじっとしていることができなくなった。布団を破り捨てるようにして跳ね起き、これでもかというほど私は口をゆすいだ。何度も何度も繰り返し歯を磨いた。それでも喉の奥に臭いが味が残っていた。一分もするとそれらで私の口中が汚され、だから私はもう永遠に口をゆすいで歯を磨いて、そうしていなければならないんじゃなかろうかと思った。泣くなんて何処かにすっ飛んで、私は一人、真夜中の洗面所で、笑い出しそうな錯覚を覚えた。これを笑い飛ばさずして一体どうしろというのだ、と。
 あれからあの臭いと味が消えない。だから、食べるもの食べるものすべてその味と臭いがして、果ては、私自身の体の内側からその臭いが味が滲み出してくる錯覚に襲われ、私はもう、抵抗するのにも疲れてしまった。
 一体何処まで私を捕えて放さないつもりなんだろう、あの事件にまつわるいろいろな記憶たちは。どうしたら私を解放してくれるのだろう。どうしたら私を許してくれるのだろう。
 私はもう、楽になりたい。あれからもう十年が経とうというのに、どうしてこんなにも鮮やかにそして唐突に私を襲い来るのか。もう許してくれたっていい頃じゃないか。
 そして思い出す。私が友人に電話で、頼むから病院へ連れていってくれ、私はもう狂ってる、と泣きながら電話をした翌日だったか数日後だったか、加害者Sや加害者Mたちから電話があった。Sは言った。「頼むからしっかりしてくれ、でないと僕が困る、僕のせいになる」と。Mは言った、「自殺未遂でもしてるんじゃないかと思って電話した、生きてるならいいけど」と。
 みんな自分の都合だ。自分を守りたいんだ。誰だってそうだ。だから別に、MやSだけがおかしいとは言わない。でも。そこまでして守りたい自分って何だ。他人をここまでずたぼろにしておきながらそれでも守ろうとする君たちって何だ。
 臭いと味が記憶から突然引っ張り出されてしまったおかげで、いろんなことが、怒涛のように押し寄せて来た。ようやく落ち着いたと思っていた私に向かって。これでもかというほどの波が。
 人間が人間である限り、恐らく犯罪はなくならないだろう、ということも。
 そして人間が人間で在る限り、人間はどうやっても人間に救われるのだ、ということも。
 これでもかというほど痛感してる。そんな私の口の中に、今日もあの恐ろしい味と臭いが充満する。それは錯覚かもしれない。けれど。錯覚じゃ、ない、かもしれない。
 私が自分を許せないわけが、ようやく分かった。好きになってしまえたら強姦という事実が抹消されるかもしれない、なんて思って、自分をすりかえた、そのことが、私の怒りを分散させるのだ。この、私自身が、それを末梢しようとした、そのことが、私は何よりも許せないのだ、と。加害者たちに真っ直ぐに怒りや憎しみをぶつけられない理由だ、と。

 少し疲れてしまった。私は楽になりたい。解放されたい。
 記憶が途切れたといって慌てる日常、かと思えば、記憶がいきなり戻ってきてしまったがゆえに襲われる苦悩。

 最初、耳の奥からそれは始まる。キーンという金属音が響く。あ、来るな、と私は思う。その私の思い通り、やはりそれはやってくる。私の体の内から、ぐわんぐわん、と、震えがやってくる。それは私の体を大きく揺らし、私はだから、何かに掴っていなければ、もう体を支えられないほどになる。倒れちゃいけない、こんなところで倒れちゃいけない、そう思って私は必死に壁や柱に掴る。そうしているうちに私の手のひらはぐんぐん熱くなって、びっしょりと汗ばんで、でもまだ震えは止まらない、まさに大地震のようなこの震え、止んでくれない。耳の奥でキーン、キーン、と、音が響く。もう少し、もう少しだ、もう少し耐えればきっと止まる。私はただそのことだけを祈る。
 そうしてようやく、震えが引いていく。その頃には私の頭はもうぐらぐらしており、震えは去ったものの、何かによりかかっていなければその場に即座にしゃがみこみたい衝動に駆られる。「お客さん、大丈夫ですか?そこの椅子で休みますか?」。親切な店員が声をかけてくれる。すみません、とか何とか、私は口走り、その場を離れる。でも。
 今日は椅子に座っている間にもその発作に襲われる。何度も何度も襲い来るその波に、私はとうとう床に倒れ、床を這いずりながら手を伸ばし、布団をひっぱり、頭からそれを被る。横になっても発作は、途切れ途切れに繰り返し襲ってくる。私はもう、それが引いてくれることを祈るばかりで。他には何もできない。

 何故だろう、娘がいるとき、私のそうした発作は激減する。多分、私は娘がいると、娘を守りたいという気持ちがぴんと張り詰めているせいなのではないかと思う。もしここで何かあって、その時、私がもう一度襲われることも何することも別に構わない、でも、この娘だけは、娘だけは私はどうやっても守るのだ、と。私はただそのことだけを思っている。
 そんな私に娘がにぃっと笑いかける。「ママ、手洗うときは石鹸つけなきゃだめよ」「ママ、今日はね、ゆいちゃんと遊ばなかったの、だってね、ゆいちゃん、意地悪するんだよ」「だからね、ママ、今日はにーなちゃんと遊んだの。ハンカチ落としもしたよ」。
 別に何てことはない、ありふれた会話。他愛ない会話。でも、それが私を支えている。
 こんなに穢れていても、どんなに汚れていても、それでも私は生きなければ、と思う。
 生きがいだった仕事もそれまで当然にあった日常も、何もかもを失った今であっても、この私を必要とするこの小さな存在があるということ、それはなんて大きいのだろう。だから私は生きる。今日も生きる。何度発作に襲われても。口の中にあの腐臭や味が充満していても。それでも生きる。まだやれる、まだまだやれる、と。生きることがどんなに、しんどいことであっても。

 私は、生きる。


2004年04月05日(月) 
 娘を送り届けて駅へと急ぐ。すっきりと晴れた朝、風が髪を煽って過ぎる。気がつけば、道筋には桜の樹が並んでいる。私の視界はすっかり、桃色に染まる。
 思わず自転車を止めて私は樹々を見上げる。ここは桜並木だったのか。今日の今日まで気がつかなかった、いや、気付いていた、知っていたはずだ、だってこの景色は去年もここにあったはず、去年も一昨年も。私は記憶を辿る。辿ろうとして愕然とする。記憶がない。
 記憶が、ない。
 私は頭を振って、そんなことはない、と、一生懸命記憶を辿ろうとする。けれど、何処を探しても見当たらない。というよりも。私の頭の中は空っぽだった。
 私は思わず桜から目を逸らし、再び自転車に乗って駅へと急ぐ。外の景色をこれ以上見ていたくはなかった。混乱する頭を抱えて、私は地下へと滑り降りてゆく。地下へ、地下へと。
 記憶がない。私はどうにか心を落ち着けようとする。大丈夫、そんなことはない、大丈夫。そして一つ一つ、数えていく。
 この間友人が子供二人を引き連れて遊びに来てくれた。あれはいつだったか。手帳を辿る。日にちを数えれば、あれは一週間前のことだ。でも。私の中ではもう、一年、二年、いや、五年以上前のことに思える。もう手の届かない遠くの出来事に。じゃぁその後私には何があったか。娘とのいつもの日常、の、はず。それが全く辿れない。そもそも友人たちと過ごしたあの時間は一体何処にいったのか。じゃぁ単純に昨日のことを辿ってみよう、昨日は、昨日はどうしていたか。どうやって一日過ごしたのか。娘がテーブルに座って何かをしていたような気がする。でも、とてもじゃないが一日の記憶の量は私の中に残ってはいない。私の記憶は、私の記憶は一体何処にいったのか。
 電車の中、私は一生懸命手帳を探る。日記帳を探る。この日にこんな出来事があった、この日には私はこんなことをしていた、こんなことを考えていた、ここにそう記してある。記してあるけれど、今の私の中にはない。何処に行った。分からない。じゃぁすっかり根こそぎ消えてしまった?
 あぁ。
 久しぶりに私は参ってしまった。こんなところに歪みが現れてくるなんて。ここのところこんなふうに記憶が飛ぶことはなかった。気付いたらいきなり一週間後の今日に自分がいたなんて、もう過去の出来事のように考えていた。パニックもフラッシュバックも、ありはしたが、越えられないほどのものじゃぁなかった。だから、私はすっかり油断していたのだ。
 うなだれながら、何とか辿りついた診察室で、私は主治医に話す。支離滅裂になりながら、これで説明しきれているのかと不安につきまとわれながら、それでもここで説明する他に私には術がないと、思いつくまま必死に喋った。
 解離してるようね、主治医が言う。答えはだいたい予想はついていた。でも、あまり聞きたくはない言葉だった。私はうなだれたまま、はぁ、と答える。赤信号を渡ったりしていないかと尋ねられる。ふいに思い出す、そういえば娘に、ママ赤だよ!と叫ばれた、その声が、頭の何処かにあるようなないような。主治医が言う、事故に遭わないようにそれだけ気をつけて。大丈夫、ともかく一週間生き延びましょうね。
 仕事があったものの、私は早々に家に引きこもる。何かに接しているのも何かに晒されているのも今は避けたかった。そういう状況から逃げていたかった。自分一人になりたかった。自分一人なら。とりあえず何があっても、自分に被害が及ぶだけで済む。
 部屋の中。見回せば、すっかり散らかり放題だ。掃除をしなければ。そう思うのに、身体が動かない。それどころか、まさに他人事のように思える。確かにここは自分の部屋なのに、世界は厚い厚いガラスの向こう側。ここにいるということも実感が持てない。ふわふわと地上から浮いていて、そもそも世界から厚く厚く切り離され浮遊している物体のような。
 そうしている間にも時間は流れてゆく。せめてそれだけでも自分の手元に引き寄せられないかと、テレビをつけてみる。テレビの音が流れてゆけば、それは時間が流れてゆく音でもあるはずだ。しかし。音が鼓膜まで届かない。テレビの映像は確かに私の視界を過ってゆくのだけれども、それがまるで細切れの、大昔の映像のようで、何がなんだか認識できない。仕方がないから音楽をかけてみる。できるだけ自分が聞きなれているはずの音を。スピーカーから飛び出した音にほっとする。鼓膜が揺れた。よかった。そうほっとしたのも束の間、音がぱたんと向こう側に落ち込んでゆく。もう見えない、もう聞えない。
 私の世界は私のもので、私以外の誰のものでもない。それは別に、私に限ったことじゃない。誰にだって言えることだ。でも。
 世界は共有できるはずなのだ。誰かと。身近にいる誰かと。
 けれど、こんなになった私の世界を、一体誰と共有できるというのか。
 昔はここで、私は泣き叫んだ。一体どうなってしまったのかと。世界を恨んだ。自分を恨んだ。自分に起こったかつての出来事を恨んだ。自分をこんなところに追い込んだあの事件を恨んだ。そして、どうにかしてくれと泣き喚いた。一人きり、部屋の中で。
 でも今は。泣き叫ぶこともない。あぁまたかと思う。諦めるしかない。ここで足掻いたってどうにもならない。これが私に与えられたものだと諦めて、これが過ぎてゆくのを黙って待つしか私には術がないことを、私はもう、いやというほど知っている。
 窓を開けてみる。風が私の身体を撫でてくれれば、それだけでも自分の輪郭を多少なり確かめる術があるかもしれないと思って。思いつくままあちこちの窓を開けてみる。すると、風がゆっくりと部屋の中に滑り込んでくる。あたたかい陽射を全身にまとっているのだろう風は少しあたたかく、同時に少し涼しげだった。そうやって温度だけでも感じられることに私はほっとする。それがたとえ、感じた瞬間に、向こう側に転げ落ちて消えてなくなってゆくものだとしても。

 加害者とか被害者だとか、事故だとか事件だとか、そんなことはもうどうだっていいんだ。そんなレベルではなくて、この世界、世界そのものの話がしたいんだ、私は。
 私の世界を返して、と。そう言いたいんだ、結局。
 毎日毎日、自分が世界とつながっていることをこんなにも意識しなくてもよかったかつての自分の世界というものを、返して、と。
 でもそんなこと決して叶わないことだと知っているから、私はここから歩いていくほかにないことを知っているから、言わないだけなんだ。言わないで、世界と私はつながっているということを、一生懸命意識して掴まえて、そうして毎日を一歩一歩歩いてる。
 あぁ、でも。こんな壊れた世界であっても、私の世界であることに違いはない。これも私の世界の一部なのだと、私が受けとめてゆくしかない。だから。
 ねぇ、世界よ、時間よ、もっと私に近づいて。あぁ私はあなたたちとつながっているのだと、実感させて。私もこの世界の住人のひとりなのだということを。
 私に伝えて。


遠藤みちる HOMEMAIL

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