タマの禁煙日記
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2001年12月29日(土) 喫煙者より高きところ

たばこを止めた人は、明らかに喫煙者より高みにいます。
止めた事が偉いのではなくて、喫煙者自身が止めたいと思っているその高みにいるのです。だから、禁煙者が喫煙者をさげすむのではなくて、喫煙者が禁煙者を尊敬の目で見ているのです。そういう意味での喫煙者から見て高みという事です。
高みから下界を見下ろすのは気分最高でしょう。これが当たり前なのは、もともとたばこを吸ってなかった人です。ですから、どっちでもいいのです。


2001年12月26日(水) いつでも戻れる

禁煙は、つらいし、大変だし、悲しいし、とても大事業。
まあ、これは、これでいいでしょう。
ただ、覚えていてほしいのは、いつでも喫煙者には戻れるという事です。
何の資格も、経験もいりません。ただ250円さえあれば、いや、もらいたばこの場合は、恥さえ忍べば、いつでもたばこは手に入ります。
止めてたのにどうしても1本という場合、1本では収まりませんが、止めてた事を言うとたいていの人は、たばこを差し出してくれます。また、仲間が増えたと思うのでしょうか。いつでも戻れます。喫煙とはそういうものです。一度、罠にはまってしまった人が喫煙に戻るのは、造作のないことです。
私だって、今吸おうものなら、誰にも負けずに上手に吸えます。
いつでも戻れるのなら、今じゃなくてもいいでしょう。戻ってしまったら、なかなかこちらには、帰ってこれないかもしれません。


2001年12月22日(土) となりのタバコ屋さん

そろそろなんて書きましたが、また、不定期に書いてみることにしました。
お付き合い下さい。
実は、我が家のとなりはタバコ屋さんです。私のずーと小さい頃からそうでした。
先日、ここのおばちゃんに、禁煙してる事を告げました。
そんなこと言う必要ないと思うかもしれませんが、いつもカートン買いしてて、いきなり全くということになると、よそで買ってるんじゃないかと誤解されるのがいやだったので正直に言いました。するとおばさん、感激してたようで涙まで浮かべてました。
子供のためにももう吸わないように。と念までおされました。
私は、言ってよかったと思ってます。全然自慢話をしてるわけではないし、今度もし、まあ無いとは思うけど、喫煙するときは、となりのタバコ屋さんで買うと決めてます。


2001年12月20日(木) そろそろ

この日誌もそろそろ一区切りしようと思ってます。
思いつくままにいろいろ書いてきたけど、今のところこれ以上の考えがでないのでエッセイとしてはここで一段落にしようと思います。読んで頂いた人ありがとうございました。最後に、たばこなんてつまらない物、早く止めましょう。
なんの価値もありません。心を奪われて考えまで変えられてしまう恐ろしい麻薬です。
将来いつのことになるかわかりませんが世界からたばこが消えるのは間違いないことだと確信しています。その前に止めましょう。周りからの強制ではなく自己意識で止めましょう。


2001年12月19日(水) 禁煙中毒

禁煙するとこにライフワークを感じている人。まわりにいませんか。
私も2人しっています。いまだにたばこは、止めれていません。
3ヶ月〜1年の禁煙は何度となく経験している人たちです。
なのになぜ、止めれないのか。簡単です頭の中ではたばこはおいしい物、大事な物となっているからです。たばこを取り上げられたと思っているからいつまでたっても郷愁をいだいてしまうのです。この人たちは、いつか切り替われる時が来るかもしれませんがへたすると一生禁煙という行為を続ける可能性もあります。
禁煙やめて。たばこ止めて、ほかのことしましょう。


2001年12月18日(火) 忘年会

忘年会やってますか。今年いっぱいはお酒がきれないでしょうね。
かくいう私も忘年会。少しぐらいならいいのですが、ついつい飲み過ぎてしまうので反省しきりです。今は、たばこを横で吸われても、なんともないのですが、ふと、帰るときに不審な気持ちになるときがあります。といっても吸うことはありませんが、まだまだたばこの呪縛からときはなたれてない自分にがっかりしたりします。禁煙初期の頃のように酒は飲まない、コーヒーは飲まないと、用心していたのが今では酒もコーヒーもフリーパス。しかし、たばこだけはノー状態。やればできるもんですねぇ。


2001年12月17日(月) 禁煙の無理強い

禁煙は、自分の気持ちが向いていないとできないことは、周知のとおりですが、自分が禁煙するととたんに他人にも強要する人がいます。
前回とは矛盾するようですが、人に言われて禁煙できるほど簡単な事ではありません。
その人がその気になるまでは、無理強いしないことが人間関係を損なわないコツです。相手が頼ってきた時のアドバイザーとしての自分で有り続けたいものです。


2001年12月16日(日) たかが禁煙

禁煙してようが喫煙してようが、基本的には人間性はかわりません。
たかが禁煙です。それができたから、どうのこうのという問題でもありません。
命取られるわけじゃないのですから、禁煙できた人がえらいのでもありません。
たばこ吸う人か、吸わない人かというだけのことで、これによって善悪が決まるわけでもないのです。ですから、禁煙を意識する必要もないし、ただ日常が過ぎていくだけです。
禁煙の為の人生は「アレン・カー」に任せておけばいいのです。
私達は、禁煙するために生まれてきたのではありません。
禁煙を乗り越えて本来なすべき事に戻らなければなりません。
たかが禁煙、所詮禁煙です。されど禁煙ではないのです。
禁煙から心を解放しましょう。


2001年12月15日(土) 歩きたばこ

歩きたばこ。やってました。ばりばりにやってました。言い訳などありません。
なんの疑問もなく歩きたばこしてました。理由は、吸いたかったからです。
ただ、人に当たらないように気はつけていました。これっていいわけでしょうかね。
止めて始めてわかりました。歩きたばこってほんとに恐ろしい。あの火はあぶないことこのうえないです。なんと言っても持ってるたばこの位置は、子供の目線です。こわい、こわい。最近は近くでたばこ吸ってる人がいると臭いですぐわかります。
「やだなぁ」と思うのですが、今までは周りの人はそう思っていたのでしょうかね。
たばこの煙りが全く気にならない非喫煙者もいるので、いちがいには言えませんが。
ちと小耳に挟んだのですが、歩きたばこアタリヤというのがいるらしいのです。
ヤクザ風の人間が歩きたばこをしている人をターゲットとしてぶつかってくるらしい。
そして、熱いとか痛いとかいろいろいってその場でいくらかを頂く。という仕組みだそうです。せこいといえば、せこいのですが、こういうのがおおっぴらになると歩きたばこがなくなってくるかもしれませんね。


2001年12月14日(金) 増税撤回

きのう、たばこ及び発泡酒の増税は見送られたそうです。
2転3転政府も大変ですねぇ。


2001年12月13日(木) 増税

とうとう一本2円の増税が決定したようです。
政府は税収アップを期待しているようですが、JTはそれで済むのでしょうか。
売上がダウンすれば、当然利益も減るわけですから、たばこ1箱につき4割の売上しかあがってないJTは、死活問題に発展するかもしれません。となると、たばこそのものの値上げも浮上して当然だと思うのです。1箱いくらになるか見物です。


2001年12月12日(水) なぜ吸っているのか

なぜ、たばこを吸うのでしょう。
おいしいから、気分が落ち着くから、生活の区切り、ストレス解消。。。。
まあ、全部勘違いです。
理由はひとつ、「止められない」この一語につきます。
厳密に言えば「止められないと思いこんでいる」ということなのですが、やはり薬物の力は偉大ですねぇ。意志で戦いを挑むには無理があるかも。時期が来て、心が変われば止められます。頭でたばこの無価値さを理解しても、しばらくは持ちますが後が長続きしないので、心のレベルでたばこは必要ないことを認識しなければなりません。
これって一瞬のことだそうですよ。私はまだまだ安心できない状態ですけど。


2001年12月11日(火) ストレス+喫煙願望

ストレスを緩和するらしいというたばこの効能について。
元ストレス+喫煙願望=現ストレス
現ストレス−喫煙願望(喫煙)=元ストレス
よって何も解決していない、たばこはストレス解消には無価値だという考えはあまりにも短絡的で思慮が浅いと思うのだか、どうだろう。
元ストレス+喫煙願望=現ストレス ここまではよい。
現ストレス−喫煙願望(喫煙)=元ストレス−α
このαは、ニコチンの薬理作用による部分でもあるし、喫煙したことによる気分転換にもよると思う。かえって+αになる場合もあるだろう。必ずしも元のストレスがそのまま残るものではないだろう。ストレスとは、心の状態によって生み出されるものだから、ストレスを感じない生活ができたらなぁと思うこのごろである。


2001年12月10日(月) 止めた功徳

さてさて、止めたことによる功徳ってたくさんある。
まず、息が大変楽になった。これはまぎれもない真実。
喫煙時代は、腹式呼吸しようと思っても、なかなかできなかったし時間もかかったが今は、すぐできる。寝起きに、何かが背中に張り付いていたような感覚は完全になくなった。
あと、たばこに縛られないとか、荷物が少なくなったとかいろいろあるが、もともと必要のないものだから、本来に戻りつつあるというほうが正確な言い方だろう。
しかし、多分にもれず太りました。約4圈一時期3垳困靴燭里砲泙榛廼畭世辰討靴泙辰拭これを理由に復煙する人もいるらしい。でも体重は変わらないらしい。


2001年12月09日(日) ある飲み屋で。

先日、飲み屋で禁煙の話題になった。
店の女性3人は喫煙者で子持ち、客3人のうち私は禁煙者、一人は喫煙者(本人曰く飲む時だけだそうな)、もう一人は非喫煙者、私以外の客2人は禁煙の事など話題にしてほしくないようだった。店の従業員のほうが真剣になってた。
ほんとは止めたいんだろうなと思った。が止めれないと思いこんでるのが可哀想だった。「どうやって止めれた?」をしきりに聞かれた。
私曰く。「止める時が来たら止めれるよ。それが生きているうちに来たらいいけどね。」
「病気になってから止めても・・・・」
私曰く「たばことお酒は、癌と相性がいいらしいからね」
って、私って、とても意地悪みたいですなぁ。
感じたのは、喫煙者が禁煙の話題をする時、たばこ止めた人のきっかけ理由にかなりこだわる。そして、医者に止められたとか言うと妙に納得というか安心するようである。
これは、言い換えれば「私は、まだ医者に止められてないし、だいじょうぶ。止めなきゃならない重大なわけがあるのではないし」という自己弁護につながっているのではないだろうか。取り返しがつかなくなってから止めても間に合わないと思うのだが・・・。


2001年12月08日(土) 喫煙の姿

道徳的なことを言うつもりは全くありません。
ただ単に若い人の喫煙はとても似合わない。なんか口にくわえてるたばこがぎこちない。だんだんとサマになってくるのでしょうが、とにかくかっこわるい。なんというか丸太をつっこんでる感じがする。かといって、ベテランの喫煙者がかっこいいかというとこれまた違う。たばこを吸ってる姿にぎこちなさとかは無くなるのだが、不細工であることにかわりはないのです。よ〜く、見てみてください。たばこ吸ってる人を。けっしてかっこよくなんかありません。なんで、あんな事してるの?って思えます。たばこ吸ってる自分を鏡で見てもわかります。不細工ですよ。
たばこ止めると一時期、たばこを吸ってる姿にすごく違和感を感じる時があります。一時的な事なのですが、たばこを否定しようとする心の働きかもしれませんし、本来の洗脳されてない心に戻ろうとする働きかもしれません。口になんかくわえてって、赤ん坊じゃないんだから。口に合わせて作られたからといって、口につっこまにゃならんという道理はないですね。


2001年12月07日(金) 嫌煙権

この話題もさけては通れないでしょう。
喫煙権と嫌煙権は共存は無理なのかもしれません。
たばこ止めて初めてわかる事の一つに、煙りの臭さというのがあります。
とにかく、臭い。臭くて臭くて煙たい。
禁煙者が嫌煙者になるのはよく聞く話ですが、今までさんざん吸っておいて手のひら返すのは大人げないような気がするのですが、これもたばこと縁を切るための方法かもしれません。過ちを正さず、これを過ちと言う。的なことでしょうかね。
アメリカでの嫌煙権は、異常なほどヒステリックな感があるようですが、ヨーロッパではそれほどではありません。たばこ吸えない場所は当然ありますが、皆当たり前のように過ごしてます。ここは、吸ってはいけないと思うと自然に吸わなくてもよいのではないでしょうか。これこそ心の問題だと思うのです。自然に吸わない。これを目指したいものです。
話がそれましたが、嫌煙権とはそもそも何ぞや。たばこを嫌う権利。。。ちと違うかな。
たばこを吸うな。と言える権利。う〜ん。違うかな。なにはともあれ、たばこがヤなわけですね。つまりたばこの煙りはごめん被りたいという権利でしょう。
でも権利のくせに、なんと高圧的な印象を受けるのは私だけでしょうか。
「できれば止めてください。」というイメージではなくて、「絶対だめ」いう感じかな。
ややもするとたばこ吸ってる人間はくずでだめな人間とまでいきそうです。
たばこ吸ってても、いい人はいるし、たばこ吸わなくても、いやな奴はいるわけだから、これはあてはまりませんよね。たばこで人は判断できません。と思うのですが。


2001年12月06日(木) 喫煙者と非喫煙者

この日記を読んでくれてる人は、たばこ吸っててやめようと思っている人か、現在止めてる人だと思います。たばこ吸ったことない人にとっては、なんであんな煙たい臭いものをくわえているのか不思議でたまらないでしょう。
今、現在、止めてる人に言います。
吸ったことない人には喫煙者の気持ちも禁煙者のつらさも理解できないのです。
私達にはそれがわかります。非喫煙者の中には、未禁煙者と禁喫煙者がいますが私達には両方の気持ちがわかるのです。最終的には非喫煙者となって行きますので、たばこの感覚は薄れていきますがとにかく今は、喫煙者を理解できます。異常な嫌煙者になるのだけは止めましょう。たばこを憎んでも人は憎まず。


2001年12月05日(水) 止め続ける方法

止め続ける方法ってあるのでしょうか。
簡単です。お金出して買ってきて、ビニールをはぎ、銀紙を破り、トントンの叩いて一本出し、それを口にくわえて、今度はライターを取り出し、点火し、その火をたばこの先端にうまくあてがい、息をおもむろに吸い込む。その結果真新しいニコチン入りタールが一酸化炭素とともに口から喉、そして肺に入る。そしておもむろにライターをしまう。吸った煙りは出さなければならないので、何度も何度も何度もたばこのフィルターを口までもっていき、先ほどの行為を機械的に繰り返す。
上記のこの大変めんどくさい行為をしなければいいのですから、禁煙て簡単ですよね。
通常たばこを吸わない人が考えるとめんどくさい行為だと思えますが、ニコチンの薬理作用は、こんな行為までも平然と習慣化させてしまうのですね。
すでに禁煙している人は、気持ちの中で、優越感に浸るもよし、まあ考えとして妥当かどうかは別ですが、「あいつが止めれないたばこ止めたよ〜」とか、「今まで止めたのに、あんなやつのせいで吸い出すのは我慢ならん」とか、これは言い換えると「この人の為だったらたばこ吸ってもいい」なんて思える人が回りにいないでしょう。また「今度吸い出すシチュエーションはこうだ(絶対ありえない事)」とか考えるのもひとつの手かも。
私の今度たばこを吸うシチュエーションは、強盗に襲われて家族が人質に取られ犯人が「たばこを吸わないと家族を傷つけるぞ。」といわれた時です。


2001年12月04日(火) 不安で吸うたばこ

吸う理由にいろいろあるのは周知のとおりですが、不安を紛らす為のたばこってとてもやっかいではないでしょうか。
リラックスというのは言い換えれば緊張感から来る不安を払拭できた状態です。
手持ちぶさたとは、何の指にもってない、口に入れてない不安を紛らす理由です。
これは、一種の幼児化でしょうね。
なんとなく、吸うという行為は、今の状態が不安材料なのではないでしょか。
この不安というのは、とても小さい不安で。たとえば旅行に行って知らないバス停に下りた時とか、禁煙の食堂に入った時とか、対して大事でもない不安です。
という事は、ニコチンもさることながら、やはり心の中で作りあげてしまった、たばこの存在価値というのは非常に大きいものだと思うのです。
社会や他の人の影響があったにせよ、自分の中で作り上げられた価値観は、なかなか壊せないので、自分にはたばこは必要なのだと、復煙してしまう場合もあるでしょう。
心の王国の支配者は、自分以外にはないわけですから、この王国からたばこの価値を捨て去れれば終煙なわけです。時間がかかっても2度とたばこは必要ないことを実感しましょう。


2001年12月03日(月) 禁煙カウンター

最近、見てなかったのですが、禁煙カウンターはこうなってました。

禁煙時間 0年 7月 0日 8時間32分
吸わなかった煙草 12861本
浮いたタバコ代 160762円
延びた寿命  49日 2時間55分

ちょうど7ヶ月経過しました。
禁煙時間は。まだまだだね。これから先は長いけどもう時間意識しないほうがいいね。
本数は、ぞっとしますね。このタールってどのくらいなんだろう。コップ何杯分かあるのだろうと思う。
たばこ代は、どこ行ってしまったのでしょう。謎だ。
最初の頃は、財布のお金が増えてるんじゃないかと錯覚するほどだったけどここに来て
慣れてしまった。
寿命は、これって気休めでしょう。よっほどの病気でないかぎりあまり意味がないかも。
これに浮いた時間とかもあればよかったかも。
実際、禁煙初期の頃って、お金も浮いたが時間も結構浮いてた。
ぎりぎりの間に合っていた電車がたばこすわないおかげで余裕で間に合うようになったし、しかし、この時間も時とともにどこにいってしったのやら。


2001年12月02日(日) 禁煙成功者

そもそも、この日記の内容は、以前に付けてた禁煙日記に手を加えたものもあれば、急遽この場で思いつきで書いているものもあります。
思いつきで書いてるほうが、なんとなくではありますが、リアルタイムな文面のような気がするのは気のせいでしょうか。
私の周りにも禁煙成功した人はたくさんいます。今まで気にもとめなかったのですが、けっこういるものですね。皆さん、一応に「止めてよかった。」といってますし、「しばらくは、欲しくなるよ」とも言ってくれます。現在、喫煙してる人は、「半年止めれれば大丈夫」とか、「3ケ月やめたらもうほしくなくなる」とか言いますが禁煙成功者は「1年はかかるなぁ」又、「4〜5年は油断できないよ」。極めつけは「10年経たないと」とかもう、先の長い話を聞かされます。たばこを止めた事を意識しなくなったら終煙ですかね。ていうか、気にしないのが一番。
ほしいと思った時は、「気のせい。気のせい。」


2001年12月01日(土) 息が出来ない事を想像してみて

息ができなくなったら、当然死んでしまいます。
生きとし生けるものは、皆この大前提の上で生きています。
しかし、なぜ、この大前提を自ら犯すのか、いくら薬物で心を惑わされているといっても、生きていく上での最低の条件を否定するような行為を犯すおろかさ。おそろしさ。
周りの人間も同じように危険にさらされています。人の命を危険にさらす権利は誰にもありません。たばこが原因の一つと考えられる病気は数知れずありますが、なんといっても私自身、おそろしいのは呼吸ができなくなる病気です。癌ももちろんおそろしい病気ではありますが、なかなか実感がわきません。呼吸なら今でも実感できます。
試しに、いっぱい息を吸って、半分ほど吐き、またいっぱい吸って半分ほど吐く。苦しいでしょう。これが肺気腫の症状だそうです。息が全部はけなくなるのです。
こんな、苦しい事死ぬまで続けるのは、おそろしい。それも酸素ボンベといつも一緒の生活なんて、考えただけでもこわいです。たばこを手にもってそれが終わったら酸素を手にもって・・・・やめましょう。たばこ。


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