2005年04月23日(土) |
感想が書けない映画(でも結局書いている) |
花粉がそろそろ終わりに近づいたらしい。今日は、朝ひとくしゃみふたくしゃみして昼過ぎからは快調。鼻水が止まってきたぞ(うきき)。でも今夜出かけるときはいちおう用心のため薬を持っていこう。
昨夜BBCを見ていたら、スペインで同性同士の結婚を認める法案が下院通過したニュースが流れた。普通だったらあまり気にならないニュースかもしれないけど(今頃?っておもう人もいるんじゃないか)、わたしは友人とふたりで「わぉ!」と声をあげてしまった。 スペインという国はとてもカトリックな国で保守的。映画ひとつみてもわかるけれど、ひじょうに宗教色の強いものが多い。そんな中で、同性同士の婚姻を認める法案が、あのスペインで、通過したということは、なんかすごいことだとおもうよ。
感想の書けない映画というのがある。 先週末観た『海を飛ぶ夢』と『十字路の夜』がまさにそれで、家に帰って、さて一言とおもいブログのエディター画面を開き、書きはじめたが言葉が浮かばず。いやどうしたもんか。すごく良い映画だったのに。
『海を飛ぶ夢』はハビエル・バルデム主演の、いわゆる尊厳死を題材にした映画なのだけど、なんとも観ていて胸につまるシーンが多いというか、涙でぼろぼろになるというわけじゃないんだが(というか、意外にも涙はあまり出てこない)、深いところで感じる映画、俳優がどうのこうのと批評するまえに自分が主人公の男ラモンといっしょに大空を飛びたくなったよ。こんな映画のことを文字にするなんてこと、できるわけがない。
そういえば、この監督アレハンドロ・アメナバールは、『オープン・ユア・アイズ』から『アザーズ』、そして本作と、一貫して「死」というものが深く関わっている作品が多い。同じく尊厳死を題材にした映画に『みなさん、さようなら』があるけど、この映画はこれほど深刻に悩んでなかったような気がする。これもカナダとスペインという国の違いなのだろう。そういう意味では、法廷で断固として尊厳死を認めないこの『海を飛ぶ夢』は、スペインという国を強く感じた映画だった。「尊厳死=自殺」とみなす、キリスト教の根強い国。青酸カリを飲むと、ああいう風に死ぬんだね。
2本目の『十字路の夜』は、フィルム・ノワール好きな人間にとっては幻の作品で、監督ジャン・ルノワール、原作ジョルジュ・シムノンと、これだけでよだれが出そうな映画。にもかかわらず、DVDはおろかビデオも出ていないので、ほとんど観る機会はないといっていい。昨年、日仏でジョルジュ・シムノン映画の特集上映があったときに上映されたのをきっかけにじわじわとシネフィルの間で噂が広がり、今回の再上映に至ったわけだ。
わたしとしては、この映画に対する期待度があまりにも高かったせいか、この作品がどうのこうの言うまえに、観終わったあと拍子抜けした感も・・。お腹がすごくすいていて、それでもある特定の物しか食べられなくて、やっと食い物にありつけたとおもったらすぐ平らげてしまって、味なんかわかりゃしない。といった感じ? すごい例えだけど。
映画自体はひじょうに古いもので(1932年の作品)、プリントの画質も悪く、全体的にぼやけた感じで、まるで影絵みたい。上映前の日仏のスタッフの話によると、フィルムの2巻目だか3巻目だかがなくなっているという噂があったり、ルノワール自身も、そんなこと知らねえだとか言ったみたいで、まぎれもない「完璧なる不完全な映画」。そういう“放り出された”感がまた、この映画の魅力になっているのだろうが、ひとこと文句を言わせてもらえれば、メグレ警視役のピエール・ルノワール(ジャン・ルノワールの実の兄)がメグレというキャラに合わなかったような気もするよ。柔和すぎるんだな、顔が。パン屋のおじさんみたい。 そしてやっぱり日仏の画面は暗いとおもう。特に白黒の映画を上映するとわかるんだけど、白がホコリっぽいだもの。
と、ここまで書いて気がついたんだけど、 結局こういうことを「感想」として書けばよかったのよね。
ぼくも感想書きたくない。
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