最近いろんなことを考えてしまう。 なにかひとつの事を決断をするときも、いろんなこと考えてしまって、若いときみたいに白黒はっきりできなくなってきた。白黒はっきりさせても、それはわたしの今までの経験からくる判断で、それでもそれでほんとに良かったのかとしばしば迷う。
3月29日月曜日、3月16日より行なわれていた、マリー・トランティニャン殺害の罪に問われていたベルトラン・カンタの裁判の判決が決まった。禁固8年の刑である。カンタ側は控訴しないらしいので、この刑はほぼ確定だろう。
人を殺して8年かよ。
正直言ってそう思った。 人の命を勝手に奪っておいて10年以下の刑になるとは思わなかったので少し驚いた。しかしこれは、ベルトラン・カンタがリトアニアで捕まった当初から話題になっていたのだ。フランスとリトアニアの刑罰の重みの違い。もしこれがフランスならば15年は食らうだろう(という数字は、事件当時の記事に書いてあったような覚えがある)
それでも、愛する人を自らの手で死なせてしまったカンタ自身も刑務所のなかで相当苦しんだらしい。ということを鑑みてみるならば、妥当な線なのかもしれない。んが、それでもなんだかなあ。別に15年みっちり食らってくれとは思わないが、8年といっても、暮らすのは刑務所の中だし、出所してもあとあと苦労するだろう。でももしかして、保釈金払えばもっと早く仮出所できるのか?とか思ってしまう。
ベルトラン・カンタを支えてきたバンドの仲間や彼の本妻は、8年だけ我慢すれば彼が戻ってくる。でも、トランティニャン家の人たちは、いくら待ってもマリーは戻ってこない。胸を引き裂かれるような哀しみばかりが一生つきまとうのだ。死んだ人間の家族はやっぱりどう転んでも「被害者」なのだ。カンタのように出所したら人生をやり直すということができない。死んでしまったらおしまいなのだ。
だからさ、それで8年かよ。
殴られて殺された人間の痛々しい遺体を一度でも見たことのある人は、ベルトラン・カンタが何をしたのかわかるだろうと、ある人は言った。彼を支えている人たちにマリーの遺体の写真を見せればいい。そうしたらもう少し彼のしたことを理解できるだろうに。
それにしても、公判会場に姿を見せたトランティニャン家の人たちは、マリーの息子と母親のナディーヌたちだけで、父親のジャン=ルイ・トランティニャンの姿は見えなかった。だいじょうぶなのだろうか、彼は? 葬式のときの、嗚咽にかき消された痛々しいメッセージが心に残る。
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