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2005年07月07日(木) 「生きている」って。

■ロンドンで、またもテロ。

 何者でもなく生きている時間がこうして一日一日積み重なっていくと、若い頃、今在る自分を否定して未来の在るべき自分のために時間を使って生きていた感覚は、どんどんすり減ってなくなっていく。
 今の自分が生きているということだけで、穏やかに幸福であるという感覚。向上心が薄れるというのとも、ちょっと違う。今の自分がどうであれ、生きているだけで、暮らしているだけで、自然に人生を肯定できるようになってきた、という感じ。
 死に直面した母が、記憶を喪ったところからひとつずつ再獲得し、歩く機能を喪った足に再び歩くことを教えこんでいる姿を見ても、単純に、生きているということの幸福を感じる。
 いずれ死ぬのに、どうせ死ぬのに、今は「生きている」のだ。

 その、人に与えられたわずかな「生きている」という自由時間も、こうして人が存在するゆえの諍いを起因にして、無意味に無作為に奪われていったりする。

 この自由時間は、あまりに不公平で、秩序がない。「生きている」という原罪が「生きている」という幸福を冒していく。

■こぶりでささやかなわたしの人生も、もう半分以上が過ぎた。さて、何歳で自由時間が終わるのかはしれないが、たぶん、半分は。
 
 こう在りたい自分をいまだに抱えつつ、現在の自分の仕事も愛している。働いていないと自分じゃなくなると思うくらい、仕事が好きだ。恋人や親の愛情だけじゃ、ましてや自己愛なんかだけで、生きてはいけない。

 また、次の地方公演にやってきた。ホテルの窓から都市の夜景を眺めつつ、明日のための眠りの準備のことを考えている。


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