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●休日。前夜から夕方まで恋人と過ごす。仕事場での理不尽に苛立ちを募らせ、しばしば爆発する彼を見ていると、若かりし自分を思い出す。貯め込み方と爆発の仕方がとっても似ている。ただ、わたしがそういう時代を通過しているからと言って、経験値からくる言葉とかで彼を慰撫することはできない。ただ寄り添うこと。どれだけ寄り添っても他人に過ぎないことに絶望していると、ふと、わたしの思いだのエネルギーだのが彼に通い始めて、二人であることに希望を見いだしたりする。
●今年の夏、英国の俳優たちと一ヶ月を過ごした。ボキャブラリーが少なかろうが、文法がめちゃくちゃだろうが、とにかく英語をしゃべらないと仕事ができない。コミュニケーションできない。その中で、語学の進歩は、学ぶ努力より何より、通じたいという欲求の強さの中にあることを痛感した。 日本語さえ熟知していればそれでいいのだと、外国語を学ぶことを自分の人生から排除していたわたしは、考え方を大いに変えることになった。 仕事に追われていたり、恋をしていたりすると、持ち時間はごくごく限られている。それでも、少しずつ勉強をする。一週間ほども休みがあれば、ロンドンに芝居を観にいこうとも思う。そして、知り合った俳優と再会しよう。ひとつの芝居を作る苦労を分け合う中で、心では通じ合えてもことばで通じ合えないことに歯がみした時間を取り戻したい。 日本語で覚える齟齬と英語で覚える齟齬は、レベルも種類も違うが、齟齬の哀しみに違いはない。 飽くまでも人とことばでつながる仕事をしているのだ、わたしは。
●今、関わっている仕事は、真っ向から若き恋を描く戯曲。10代と20代の才能溢れる俳優が見せる演技に、自分の過ぎた時代が蘇る。美しき恋の思い出が蘇る。微笑んだり目頭が熱くなったりした後で、ふと思う。「わたしにこんな美しい思い出などあったかしら?」それでも、まるで自分自身の思い出のごとく、擬似的な蘇り体験は訪れる。……演劇の魔力がそこにある。 現場に対するストレスや不満はあるものの、いつもそんな魔力に引きずられて、わたしは仕事場に赴く。
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