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2004年11月27日(土) ことばたち。

●ジャック・プレヴェールの「ことばたち」という詩集が刊行された。「天井桟敷の人々」の脚本家として有名な彼の作品を訳したのは、高畑勲監督。わたしは迷わず手に取った。「天井桟敷の人々」をはじめて見たのは大学一年生の時。ロードショウ館しかない田舎町で育ったわたしは、東京に出てから数々のかつての名画に出会っていったのだが、天井桟敷の人々体験は、その中でも強烈なものだった。あまりの衝撃に、二日おいてまた同じ映画館を訪ねた記憶がある。全編にちりばめられた美しい台詞に、わたしは虜になった。そして、この詩集に出会う。あれから20年以上経った今。
 フランス語でしか味わえないことばたちを日本語に置き換えるために、別冊で注解本が添えられている。たくさんの注を参照しながら読み進めるのは、当たり前に詩集を読む感覚とは違い、少しずつ少しずつ読み進めている。もちろん、紙に並んだわずかなことばに目を落とした瞬間、揺さぶられるような詩もある。たとえば。

 「ひとりで眠る者は、その揺りかごを揺すられているのだ、その者の愛している、愛した、愛するであろう者たちすべてによって。」

●恋人は、我が家を訪ねては、わたしの本棚を図書館代わりに物色し、一冊、二冊、と持って帰る。彼は若く、文学との意識的なつきあいも浅い。だから恐ろしいスピードで物語を吸収していく。
 わたしはと言えば、書くことからしばらく縁遠い生活を送り、物語を読むことにも少々疲れ、読書欲が常より薄れている時期だ。
 そんな「ことば」に対する感覚と体験の全く違う二人が、ともにいる時に、ひたすらに「愛している」とか「好きだ」とかの、あまりに簡単なことばによる愛情表現を飽かず繰り返している。お互いに、どうしても言わずにはいられないのだ。言わなくても分かっていることでも、言わずにいられない。自制しないと、呼吸するようにして、ずっとずっと言い続けそうなほどに。
 わたしはきっと、姿形を持たない「愛情」とか「幸福」とかいうものに、そんなことばたちによって手触りを与えて、ふくふくと味わいたいのだ。もしくは、口から毛穴から噴出しそうな不安や衝動や欲望を、わずかに和らげたいのだ。
 彼には彼の理由が、きっとあるのだろう。わたしはわからない理由が。

●わたしの仕事は、人の、口から出てきた「ことば」、口から出ることなく消えていった「ことば」、様々なことばたちを再現し捏造し、疑似人生を生み出すものだと言える。
 日々、自らが消費し濫用していることばを自戒しながら、どうもまだ「書く」ことに対して自由になれないでいる。



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