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2001年12月28日(金) 読書の歓び、読書の不思議 ●シンドラーのリスト(S・スピルバーグ)

 昨夜ベッドを共にした折口信夫の「死者の書」は、美しい日本語に溢れていて、もう、筋を追うよりも、ただただ、目に飛び込んでは声なき音に変わっていく美しいことばたちと戯れ、楽しんだ。

 目が覚めると、部屋にはもう陽射しが溢れていて。そんな中で「若昼のきらきらしい景色」なんて言葉に触れると、日本語ってなんて自由で心地よいのだろう、と嬉しくなる。

***

 昨日の経験から、少し早めに家を出て、Book1stへ。書棚を飽かず眺めていて、また新しい作家と出会ってしまった。
 メイ・サートンというベルギーからアメリカに亡命した詩人、小説家。

「独り居の日記」という本は、混迷を極める社会と自分に疲れた筆者が、完璧な(彼女にとって)独居を始めた、その精神の証または礎として、書き続けられた日記。

 わたしはこのところ、もう目の前に迫った4ヶ月をどう過ごすかということに心囚われている。「生きてるだけで何かある。自由に赴くままに暮らせばいいのよ」と呟くわたしがいれば、「今のどうしようもない自分に課題と規律を与え、連続した時間が産み得る可能性を追求すべきだ」と叱咤する自分もいれば、「だらだらしてても何も産まれない、無理しても何も産まれない、自分にふさわしいやり方さえ、まだ分かっていなかったの?」などと囁く自分もいる。

 そんな時期のわたしに、「独り」であることを選んだ彼女のことばは、余りにも明快すぎて、余りにも複雑過ぎて、余りにも先を行っていて、読むのが辛くなるほど。ことばで生きる人が、ことばで自分を見つめようとする時、その作業に嘘がなく真摯なほど、ことばはそれこそ「独り」で歩き出すのかもしれない。
 
 どうしてこの本を目に留めてしまったのだろう? と、書物との出会いの不思議に、わたしはまた驚く。
 どうして、「どうしても今読んでおくべき本」に、こうして出会ってしまうんだろう?

 で、わたしの、この出会ったままで消えていく時間は、いつか何かに昇華するんだろうか?
 他人のことばをこんなに喜べるのなら、(自分の代弁者を様々に見いだせるのなら)自分で書く必要などないのでは?
 
・・・と、この書物との出会いは、今のわたしの心の揺れをいや増していくのだった。


 ああ。明日はマチソワだから早く寝ようと思っていたのに、またしても眠れない夜に。


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