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2001年12月27日(木) そんな風に歩きたい ●生きる歓び(保坂和志)

 主演男優の楽屋入りは早い。毎日例外なく3時間前には入る。
 本日の劇場での1日は、彼らしく力の抜けた、
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくー」という挨拶で始まった。実際、そんな気分だった。

 わたしはと云えば。
 罹っておる病にも関わらず、仕事場にくると快活で明るい。3日休んだ精神と肉体の余裕で、単に仕事が楽しいのか。それとも、職能として、元気なワタクシのヌイグルミを知らず知らずの内にかぶっておるのか。
 そこら辺が、自分でもよく分からない。


 劇場に向かう途中。渋谷にて。こんなことがあった。

 家賃を納めるために、劇場に向かう道の途中にある三井住友銀行へ。年末ゆえ、長蛇の列。頭の中には、「何時までに劇場入りし、その前にBook1stへ寄って、あの本とあの本を買って・・・」といった目算があったものだから、我が表情も渋くなる。
 引き出しだけという人はほとんどおらず、一人一人の時間がずいぶん長く、イライラしないように本を立ったまま読みながら待つ。目の前の進行状況が気になるものだから、あまり読み進まない。

 ようやく列の先頭に立つと、はす向かいの機械の前で往生していた20代くらいの女性が、振り返ってわたしを見つめ、何やら助けを求めている。Chinese系の顔立ち。
"May I hep you?" と、言葉ではなく目で合図を送ると、大きく首肯してみせる。

 仕方なく列を離れ、彼女の前の画面を見ると、「お取り扱いができません。営業時間内にお越し下さい」との表示。
「ああ、これくらいの日本語も読めないのに、機械相手に往生していたのね」と、下手くそな英語で説明してあげるが、彼女はどうも英語も駄目らしい。ただただ悲しそうな目でわたしを見つめ、「ダメ、デスカ?」を繰り返す。「明日、9時半から3時までの間にもう1度ここにくれば大丈夫」ということを、簡単な日本語と英語と、表情筋と指さし確認で説明すると、ようやく分かってくれたらしい。

 が。
(この時点で、わたしの後に並んでいた3人の人が何食わぬ顔して、空いた機械の前に移動していった。)
 彼女のたどただしい日本語によると、どうやら、キャッシュカードを呑み込まれたまま、この表示に行き着いてしまったらしい。

 それは困った! そういう時はまず係員、と、連絡用の受話器を取って事情を説明。
「もうすぐ係りの人が来てくれますから」と離れようとすると、彼女、めっちゃくちゃ心細そうな顔をする。
 続々と利用客の並び続ける列を振り返り、わたしは「うーん、仕方ない!」と心を決め、彼女の側で一緒に係員を待つことにする。

 これが、またまた、来ないのである。「今行きます」と云ったわりには、待たせることはなはだしい。
 もう一度受話器を取ると、「ああ、今行きますから」という返事。
 列は更新され続ける。

 ようやく、急いでいる風には見えない係員がやってきて、簡単に事情説明。この時には、彼女の縋るような視線は全面的に係員の方に移行していたので、わたしはホッとして彼女の元を離れた。

 行列をちょっと眺めて、「仕方ないか・・・」と、また列の最後尾に並ぼうとしていたら、今空いたばかりの機械の前に立ったおばさんが、
「前の方にいたでしょ? 先にどうぞ」と変わってくれた。


 こんなに長々と書く話だったかしら? と少し自嘲しながら、その時のことを思い出す。
 年末の、何もかもが慌ただしい街の一隅で。
 Chinese系の彼女に流れる時間、わたしの時間。

 少なくとも、使命を終えてもう一度列に並び直そうとした時、わたしはイライラしたり、うんざりしたりしていなかった。すごくニュートラルだった。
 わたし。今日1日の中で、その瞬間の自分がいちばん好ましかった。そうしたら、おばさんが、ちょっとした思いやりをみせてくれたり。

 あの時みたいな感覚で、街を歩きたいな、と、思ったりした。しばらく急ぎ足でしか歩いてないな、と、思った。


 長い休みを前にすると、それが自分にとってはあまりに非日常なので、あれこれあれこれと考える。
 生きてるだけで十分かもしれないのに、わたしはどういう風に生きよう? と、あれこれあれこれ考える。どうしたって、忙しい人なのであるなあ。


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