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2001年10月28日(日) |
それでもわたしは育てるのだ。 |
稽古が始まる前のプレ稽古。希望者のみが集まっての、読み合わせ。 楽しくってたまらない時間。ひとつ仕事をする度に新しい出会い。共通言語があれば、その日から真剣に遊べる。人からお金を貰って、人を動かすための、遊び。 もちろん、稽古が始まれば楽しいことだけじゃない。でも、今日は、ただっただ、楽しかったなあ。
昨日はわたしにとって純然たる読書デーであったのか? そのつもりはなかったのに、川上弘美「センセイの鞄」を読み出したら、朝までかかって、通読してしまう。もうこれで3回目。断片的な読み直しを含めれば、もう何回読んだか。
これだけは、ウダウダ言わず、「読んでください」とお奨めしたい。そこに書かれてあることが全て。批評を待たない作品。 批評なんてしようものなら、あわあわと逃げていってしまいそうな、大切な言葉たち。
ちょっと引用してしまおう。
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「育てるから、育つんだよ」と、そういえば、亡くなった大叔母が生前にしばしば言っていた。(中略) 「恋情なんて、そんなもんさ」大叔母は、言ったものだ。 大事な恋愛ならば、植木と同様、追肥やら雪吊りやらをして、手をつくすことが肝腎。そうでない恋愛ならば、適当に手を抜いて立ち枯れさせることが肝腎。 大叔母は語呂合わせのように、そんなことを言い言いしていた。
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わたしは今、この恋情って奴を、かなりリキ入れて育てている。
相手が忙しくって面倒みれないなら、構わない、わたしがお世話をしておく。どちらかが旅に出たりして、物理的に駄目な時も、同じこと。
陽に灼かれようが、霜に降られようが。 地割れが起きようが、爆弾が落ちようが。 誰かに引っこ抜かれたって、しっかり育てりゃ根が残っているはずだし。 また。 葉が出て花が咲いて、グイグイと目に見えて育つ春もあれば、盛りと滅びの両方を思わせる夏があり。失って失って、感傷を誘う様のみ呈する秋もあれば、見えないところでその命の裾野を広げる冬もある。
その季節、その季節、しっかりお世話をして、育てる。
そういうことだよね? とか自分に言い言いして、過ごす。大変だけれど。
大事業だ。 それでもわたしは育てる。うーん、やっぱり色々大変なんだけれど。
と、繰り言してる暇に、水をやろう。物事は実はとっても単純。きっと。
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