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2001年10月29日(月) 無為な休日の二つのことば。

 所用あって、自転車にて、川沿いのA公園を抜け、区役所まで行く。

 休みになると、いつも何故か必ず、この公園を自転車で走る機会がある。

 好きなんだな。
 今年の4月、現在の住まいに引っ越してきた大きな理由のひとつが、2分でこの公園にたどりつけるロケーションだった。

***
 
 ゆっくり行くと、色んな人が昼間からうろうろしてる。平日なのに。

 青年がトロンボーンの練習をしている。練習曲は「恋は水色」。
「こーいーはー、みーずーいーろー、そーらーとー、うみのーいーろー」
っていう、救いようのない歌詞の曲。何もそんな曲を選ばなくったって。

 嵐山光三郎似の草野球おじさんが、ストレッチをしながら川に遊ぶ鴨に見入っている。視線の先を見れば、褐色まだらの鴨たちに混じって、白い鴨。(鴨かどうかは不明だが。)

「恋は水色」を聴いた後のせいか、「白鳥は 悲しからずや 空の青 海の青にも 染まず漂う」って、若山牧水の短歌を思い出す。さて、曲をつけたのは誰であったか?
これって、小学校か中学校で名歌のひとつとして覚えた気がするけれど、牧水はよほどこの時、感傷的な気持ちであったのだろうね。

 青井陽二似の怪しげな男は、枯葉降る中、木々に向けてしきりにシャッターを切る。

「北風と太陽」に出てきた男のように、ひたすら忍耐のポーズで走るおじさん。

 この公園で友達になった丑之輔爺さんを探すが、いない。よく坐っていたベンチは空っぽ。かつてそこにいた姿を思い出すだけ。

 カラスの群れの、けたたましい水浴び。

 幸せなのだか、そうでないのか、あんまり読みとれないカップル。

 公園で猫おばさんに餌付けされた、たくさんの猫たち。

 ***

 薄着して、とろとろと移動していたものだから、帰ってきたら、いきなりクシュンクシュンと風邪気味。頭がぼうっとしてカラダがだるい。おまけにとっても寒い。

 仕方なく、銀座に出て映画を観る予定は延期して、新しい本を抱えてベッドに寝っ転がる。
 
 覚えておくべき言葉を発見。

 ひとつはミラン・クンデラ。

「詩とはあらゆる断言が真実となる領域のことである。詩人は昨日、”生は涙のように空しい”と書き、今日は”生は笑いのように楽しい”と書くが、いずれの場合も彼が正しいのである。今日彼は、”すべては沈黙のなかに終わり没する”と言い、、明日になると、”何事も終わらず、すべてが永久に響き渡る”と言うかもしれないが、その双方ともが本当なのである。詩人は何事も表明する必要はない。唯一の証明が感情の強さの中にあるのだから。抒情の真髄とは未経験の真髄のことである。」

 なるほど。若山牧水も然り。
 その強さの中に没することが・・・・・・云々と考えるうち、風邪薬が効いてきて、ぐっすり寝込む。

 仕事の電話で起こされた後、もう一つのことばを発見。

 この間、ちょっとした書き物で、引用したいのにちゃんと思い出せなかったことばの全貌が明らかに。

「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」

 こう書いたポール・ニザンは当時26歳。わたしは「言わせない」と覚えていたのに、この翻訳は「言わせまい」。随分印象が違うね。二十歳という年齢に対する距離感が、明らかに違う。

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 とまあ、このように、休日は無駄に過ぎていく。

 それにしても、今日は寒かったなあ。


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