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2001年06月20日(水) |
曖昧な記憶の中に映える、黄色いワンピース。 |
気がつけば、4日も書いていなかった。 予期せぬ泊まり仕事でパソコンを持っていない時や初日前の繁忙期以外で、4日書かぬというのは珍しい。 何より、わたしは書かなければ物事を考えられない人だ。たとえすべてを文章で追っていかなくても、「今なにを書きたいか」と紙やキーボードの前に向かって、はじめて思考が始まるタチだ。「知らぬ間に書いていること」で、今の自分がわかってきたりもする。だからとりあえずこのページに何か書き付けたり、そのあともキーボードに向かってあれやこれやとつまらぬ文書ファイルをふやして夜を過ごすのだ。 ってえことは、ここ4日間は、なあんにも考えたくなかったのかも知れぬ。仕事を終えて家にたどり着いて、ビールを1本飲んだ時点で、ただっただ、眠ってしまいたかったのかもしれぬ。 考えるべきことや書くべきことがあると思っていても、眠ってパスしてしまいたかったのだな。そしてまた、このことろ書きたいことが重ーいことばっかりだったので、書ききれない自分に直面するのが辛かったのだな。 これは、あの宅間ナニガシの起こした事件から、ずっと思っていたことだ。 何をどう書いても埋めきれないものがそこにある。 理不尽な犯罪という側面からも、精神障害者の待遇という側面からも、様々な精神の病み方病んだ人という側面からも。
10代後半から20代前半にかけて、被害妄想に陥って他者を必要以上に恐れたり、外出拒否症になって2ヶ月ほとんど家を出なかったり(寮生活だったから、お腹が空いたらコソコソと賄いだけ食べにいっていた)、セックス過信だったりセックス不信だったり、過食症だったり拒食症だったりした時の自分を思い返してみる。その頃は抜けられずに真剣に闘ったものだが、今は自分のことながら、思い出すのさえ難しい。だから、妙に社会人として落ち着いてしまった今となっては、他者と関わる時、知らぬ間に傷つけないようにと、必要以上に気を遣う。辛かった頃の記憶は漠然と残っているから。
ひとつ、とってもリアルに思い出せること。 外出拒否がとけたのは、1枚のワンピースがきっかけだった。 母が、オーダーメイドで作って、宅急便で送ってくれた黄色いサンドレス。 母はわたしが外出拒否症に陥っていることなどつゆ知らなかったのに(電話では変わらずしゃべっていたし、私自身、母と話す分にはまったく臆するころがなかった)、送ってくれたワンピースが余りに可愛くって、着てみたら、みっともないみっともないと信じていた鏡の中の自分がちょっとばかり可愛く見えて、外に出てみたくなった。 黄色い色が映える陽射しの眩しい日を選んでわたしは外に出た。久しぶりに。わたしは何を恐れていたのだろう、と、いきなり靴は快活な足音をたてた。
その後。黄色いワンピースは、仕事で出会った、傷ついたアイドル志望のタレントにあげた(彼女は夢やぶれて故郷にすぐ去ってしまったが)。 ワンピースが手元になくなってからも、黄色はわたしの大好きな色になり、4月の引っ越しでインテリアを選ぶときは、知らぬ間に黄色をいっぱい選んでいた。カーテンもソファーカバーも、ラグも、ベッドカバーも、みーんな優しく柔らかい黄色で揃っている。
今日書けることはその程度。かつてあった自分の、曖昧な記憶。 悔しいかな、または、嬉しいかな、人は忘れていく生き物なのだなあ。
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