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2001年06月15日(金) |
書けない日の、書けない人の、戯言。 |
稽古は休みだったが、スタッフは相変わらず作業のために集合。サム・メンデスの「キャバレー」のチケットを買っていたわたしは、まわりの非難を省みず、半日であがって、劇場へ。
直球勝負で、てらいのない演出に感動する。世界が滅亡しない限り消えることのない深い傷を描く時に、何のてらいが要るだろうか! という演出家のストレートさが、わたしを打つ。(「キャバレー」はナチスのユダヤ人迫害が二世代のカップルを引き離していく様を描く物語。) 感動のあれこれを具体的に書きたいのだが、感動のあまり飲み過ぎて、どうにもこうにも。
そして。
朝、自分が書いた文章(すぐ下の6/14付け)に関する、心乱れるメールを受け取ったことに言及したかったのだが、それも、今夜は書けそうにない。ずっとそのことに心囚われる1日だったというのに。
こうして、書くべきことが書きたいことが自らの中に渦巻いているのに、書けない書かないことの辛さったら。
って、たいそうなことではなく、只わたしは酔っぱらっていて、明日の仕事が早く、それも朝から勝負を控えているから、というようなこと。
わたしは、こんな風にいい加減に、毎日書いている。
それでも、扉にあるアイザック・ディネーセンの言葉のように、絶望もなく希望もなく、只ひたすらに書いてはいるのです。
じっくり書ける時を待ちなさい、と、わたしは自分自身に問う。
今夜は人並みに眠るとして。
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