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2001年06月10日(日) |
世界の不公平を受け入れること。 |
我が仕事に、土曜も日曜もない。本日もクタクタになって帰る。心身の火照りがまだ冷めない。 精神が昂ぶったままだからか、TVで命を奪われた8人のプロフィールを見ていて、またおいおい泣いてしまった。直接のきっかけは、手先が器用で、折り紙博士と呼ばれていたお嬢さん。 小さい頃、わたしも折り紙博士と呼ばれていた。母が色んな折り紙を知っていて、折り方を覚え始めたら、我が天性の几帳面さといい加減さが、たくさんのオリジナル折り紙を産みだした。幼稚園ではたくさんの友達に自慢の折り紙を教え、卒業アルバムの最終ページには、青い絵の具を塗って押した手形を先生が残してくれた。そして、「この手で折り紙を折りました」と先生は書き添えてくれた。 父や母の誕生日には、折り紙の花を集めた花束をプレゼントした。長じてからは、子供が病院で泣いていたりすると、18番の「蟹」や「百合の花」や、「羽ばたく鶴」や「手裏剣」を作ってあげた。お医者さんや注射を怖がる子供が、わたしの折り紙で泣きやんでくれることが、ままあった。折り紙というキーワードだけで、わたしの人生の時間のある部分が彩られている。 亡くなってしまった「折り紙博士」仲間のお嬢さん。そのほかの可愛らしい子供たち。なんて辛いことだろう。
金の苦労を知る。人や自然の脅威を知る。絶望を知る、裏切りを知る。泣いて叫んで、痛い思いをして、乗り越えて。はい上がってはまた辛さを知る。 しんどいことばっかりなのに、空の青さや水の冷たさや波の音や母の温もりや星の輝きや夕陽の赤さや歌声のきらめきや恋人のまなざしや他人の笑みや踊り出す足の軽やかさや、ありとあらゆることで喜びを見いだせる、「生」の時間。公平に分け与えられるべきなのに、いつも不公平。世の中は不公平なことでいっぱい。人間がそうしてしまっていること、自然がそうさせること。とにかくどうしたって、世の中は不公平なもの。 少なくとも自分が、こうして生きていることを喜びながら、ひとりの大人として、自分ができることを考えよう。それが、社会の現実を人につきつけることなのか、それとも、悪を糾弾することなのか、人生の喜びを謳うことなのか、人に笑いをもたらすことなのか。なんでもかまわない、生きていることを喜んで、誰かに恩返ししていきたいと考える。ひとりの表現者として。
世の、どうしようもないことを、自分の生の神秘とともに、この心と体に受け入れること。
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