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2001年06月05日(火) |
職業人としての、正しきプライド。 |
雨が降り始めた。肌にまとわりつく空気は、はや梅雨の感触。
昨日はとってもよいお天気だった。1時間半ほど入り時間が遅かったので、開店早々のデパートに駆け込んで、稽古場で履く靴を新調した。穴が開いてしまったのに、ずっと買えないまま過ごしていたのだ。 買い物をしても、まだ時間の余裕があったので、渋谷駅の外れで、たった15分ほどの日向ぼっこを楽しむ。カーディガンを脱ぎ、ノースリーブのワンピースになって、ひたすらぼんやりする。 余りに陽射しが気持ちよいので、突然、毎日陽の下で働ける職業に鞍替えしたくなる。目を閉じて、陽の下で花の手入れをしていたり、馬の体を磨いていたり、羊を追っていたりする自分を想像する。別に雨が降ってもいいのだ。そこが仕事場なら。雨に濡れて働き、休憩中かたつむりの気長な行動を眺めて過ごすのも悪くないじゃないか。 しばしの想像を終えて、電車に乗り込む。仕事場についたら、やっぱり今の仕事に夢中。ああ、たくさんの人生を生きられたらどんなによいか!
稽古後、2日続けて、翻訳家の先生と、新訳台本の訂正作業。現場で湧いた疑問をぶつけ、また、台詞として耳で聞くと分かりにくいものなどを、顔と顔をつきあわして、ひとつひとつ直していく。そんな作業の中では、誤訳の発見もある。しかし、この先生、とにかく気持ちのでっかい人で、いやいや、つまらぬこだわりのない人で、「ああ、なんでこんな風にしたのかなあ、マチガイですよねえ」なんて言いながら笑ってらっしゃる。また、なかなかいい訳語が出てこない時に、わたしが「例えば、こんなのはどうでしょうねえ」と提案すると、「ああ、いいですねえ、それにしましょう」なんて、あっさりと受け入れてくれる。それでいて、妥協はない。とにかく原文に忠実に、自分の創作を交えないで、うまい日本語を探してくれる。 本当にすごい人というのは、つまらないプライドがまったくないものだ。そして、正しき職業人としてのプライドが、奥深いところで静かに燃えている。 こういう時、わたしはとっても幸せだ。ことばと共に生きてきた人と、子供のようにこどばで遊んでいる感じ。高級で、自由な遊び。 いつかは独立して自分で新しいものを創っていくのだ、と常々思っているが、こういう素敵な人と出会うと、いつまでも、大きな傘の下で仕事をしたくなってくる。大きなプロジェクトだからこそ、出会える人たちがいるのだ。 ああ、やっぱり時間がもっと欲しい。人生を2倍3倍に生きたいものだ。
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