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2001年05月08日(火) 「もうひとつの国」そして「愛の妖精」

 そしてやはり、雨。打ち合わせ用に資料本数冊とPowerBookを入れると、鞄はずっしりと重く、目的地にたどり着く頃には一仕事し終えた気分。歩くのはちっとも苦にならないわたしだが(この間も酔った勢いで、深夜、気がついたらタクシー2500円分散歩していたりした)、重い鞄だけはどうも・・・。基本的に手ぶらで、身軽にふらふら歩くのが好きなのだな。ま、誰だってそうか。

 自由な時間があるので、ここのところ、ちょこちょことレンタルビデオやWOWWOWで映画を観ていたりしたが、"Beach"のつまんなさにはびっくりした。まあ、原作を読んで内容の微細なあれこれを知っていたから、物足りなかったということもあろうが、それにしても、焦点が甘すぎる。
 原作を読み終えて、「あー、こんな本読むんじゃなかった。ああ、いやだいやだ」とわたしは本を投げ出したが、それこそが、面白かったという証拠だった。
 パラダイスへの妄想、エピキュリアンとして暮らす時の、時間への幻想。それらが余りにえぐいやり方でうち砕かれていくのが、読んでいて気持ち悪かった。そしてその砕かれ方が、原初的と言うよりは、現世的過ぎて吐き気がした。
 ところが、映画はやっぱり、きれい過ぎる。
 原作のモチーフ全てを網羅することはできないから、描くべきことを絞り込んでいくわけだが、その中でずいぶんと時間を割いて描いているディカプリオ君の狂気なんて、もう、ちーっとも信じられない。信じられなくて、何が映画か!? それに、三角関係が崩れるところの、痛みのなさ。悦楽感のなさ。「なんなのよ、これ?」と、わたしは首を何度も傾げながら観てたね。
 三角関係が持続される時の緊張感。二と一であるはずなのに、三である時はそれと気づかせない優越関係。それが二と一に別れる瞬間の、一の全否定的な痛みと、二の邪悪な悦楽感。喜びの影には苦しみがあるし、美しさの影には淀みがあるってことがあからさまにならざるをえない、そりゃあすごいモチーフなのに、なんだかきれいな水中ラブシーンが描かれるだけで。いやはや。
 世の中に三角関係を扱った名作はたくさんあるが、ここでお奨めを二つ。
 ジェームズ・ボールドウィンの「もうひとつの国」と、ジョルジュ・サンド「愛の妖精」。前者は絶版になってしまったが、古本屋で集英社の全集が時々手に入る。人種問題を越えて、普遍的に、一人の人間の尊厳と、他者を愛する喜び苦しみを、なんともナイーブに、かつ辛辣に、描ききった傑作。こんな素晴らしい作品が余り人に知られていないのは、嬉しいような淋しいような。
 そして後者は、文庫で読める。ここでは、三角関係の二辺が離れがたく育った双子である。何の汚れもない精神が、不可避的に傷ついていくのが痛ましい。それなのに、ドラマはちゃんと生きる方に生きる方にと流れていく。素晴らしい。
 昨日アップした大福みたいな顔の少女は、やがて、この「愛の妖精」というお話を聖書のようにあがめたてまつるようになる。この小説は、自分の美しさに気づいていなかった女の子が、双子に愛されることによって、どんどん美しくなっていく話でもある。愛と痛みを知る少女は、外面も内面もどんどん美しくなっていく。
 継母や義妹にいじめられていたシンデレラにかぼちゃの馬車のお迎えがきて、王子さまに見初められる・・・・なあんてお話をちっとも信じられなかったへそ曲がりの少女が、心から信じてしまった話。それが「愛の妖精」。今でも大好き。時々、読み返す。

 こうして薦めて、ほんとに誰かが読んでくれたらうれしい。特に、「もうひとつの国」なんて、もっと知っておかれるべき作品なのに。ちなみに、山田詠美氏も、いろんなところでこの作品に触れている。でも、絶版じゃなあ。こんなに下らない本が出回っているご時世に。
 どちらも、今日みたいな雨の日にふさわしい。加えていえば、真夏の海辺の読書にも、秋の夜長の友にもいい。それが名作ってもの。
 


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