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2001年05月10日(木) |
庭と呼ぶ場所、呼ばれる場所。 |
金銭にまつわる煩わしいことばかりが続く。2年前に申告漏れがあったと突然税金の納入書が届いたり(わたしには申告したという「記憶」があるだけで太刀打ちできない)、面倒なので仕方なく納めたら、今度は次に支払の遅延罰金を払えと命じられる。幾らになるかは分からない。連絡を待てと言われる。更には、かつての大家さんとのいざこざやら、仕事のギャラの交渉のこと。とにかくお金まわりでイライラすることが続き、胃が痛くなってくる。お金のことでうだうだ言うことがすごく嫌いだし苦手なわたしは、相手に非があることでも納得いかないことでも、自分が損をすることで逃げていた。そういう生き方がいけなかったのかもしれない。ギャラの不払いも2度体験したが、その時も、「また働けばいいや」と貧乏暮らしで我慢して凌いだりしていた。闘うことから逃げて。 仕事で闘うのはどこまでもやるが、お金のことで闘ってこなかった。そういうことのツケがまわってきているような気がする。
と、お金のことばっかり考えていると、胃は痛むし気持ちは沈むしで、まるでいいことがないので、しっかりしろよと自分を戒めつつも、気分を変えることに精を出す。
現在の借家の気にいっているところは、何度か書いたが、8畳のルーフバルコニーがあることだ。これからの季節、本を読むにもぼんやりするにも、「外」は気持ちいい。実家を離れた22年前から持たなかった「庭」の代わりのようなものとして愛している。そして、今もバルコニーに据えたテーブルにPowerBookとビールを持ち出して書いている。
著者は、庭に小亭をかまえているという。松浦武四郎の一畳書斎にちなんだものだ が、実のところは花ゴザ一枚。壁も、柱も屋根もない。ゴザを日当たりの良いとこ ろに移動させれば、採光の心配もいらない。ゴロリ寝ころぶから、野ネズミやアリ やミミズの動きにもくわしくなる。
これは池内紀氏の著書「なじみの店」を紹介するのに、朝日新聞に載っていたもの。「庭」と名のつくもの、「庭」と呼ぶものがもたらしてくれる恩恵は、とっても多い。
実家にも、ささやかな庭があった。幼い頃はその3分の2がイチゴ畑で、収穫の喜びは今でも忘れがたく記憶に残っている。大きな柿の木と、イチジクの木もあり、今でも、イチゴ・イチジク・柿は、わたしに幸福感を与えてくれる果物の筆頭だ。 庭の夢を見ることも多かった。 2週間に1度は見ていた夢。わたしと弟が、庭で遊んでいると、少し開いた門の隙間から、金色のおかっぱ頭をした女の子が、三輪車を漕いで入ってくる。兄弟の遊ぶ手前までやってきて、何も言わず引き返して行く。いつも、それだけ。同じ風景が何度となく繰り返された。当時は意味がわからないものだからなんとなく怖くって、寝るときにいつも「見ないといいあな」と思っていた。 しかし、中学生になってから、母の話で謎が解けた。わたしには死産の姉がいたのだ。生まれてすぐに息を引き取った姉。子供を待ち望んでいた父と母を大きく落胆させた姉。そして、次に生まれたわたしは、その分まで両親の愛情を一身に受けて育った。 不思議な話ではあるが、あの金色の髪した女の子を、わたしは、姉だったと思っている。わたしと弟が庭であんまり楽しそうに遊んでいるものだから、ついつい、いつも遊びにきてしまったのだ。
小学校にあがる頃には、祖父と祖母のための離れができ、駐車スペースがとられ、自営の宝石店の事務所ができ、果物を収穫することはなくなったが、その代わり、庭は、わたしの拾ってきた犬のいる場所 として機能し始めた。 とにかく野良犬とじゃれるのが好きだったわたしは、学校帰り、「気があう!」と思った犬と一緒に帰ってきた。犬がとにかくわたしについてくるのだ。まあ、今から思えば、昭和30年代から40年代のまだまだ貧しい時代だから、犬も飢えていたのだろう。わたしが給食の残りのコッペパンをあげるものだから、空腹を満たしてくれる人として、ついてきたのだと思う。 もちろん、連れ帰るたびに「そんなにようさん飼えへんよ!」と叱られて出会った場所に泣く泣く連れ戻すのだが、それでも、長らく一緒に暮らした飼い犬は、わたしの拾ってきた犬だった。 庭は「チロ」と名付けた雑種犬と遊ぶ場所になった。そして、チロと散歩をすることで、わたしの庭は広がっていった。実家の隣にあった神社の杜。すぐそばを流れていた夢前川という名の川の土手、河原。どんどんテリトリーが広がって、好きな場所、秘密の隠れ家が生まれていった。 わたしにとって「庭」はいつもささやかな幸福な場所なのだ。 例えば、我が両親はちょっと類を見ない仲のよい夫婦だが、それでも、商売がうまくいってない時などはよく喧嘩をしていたものだ。そういう時、わたしと弟は「始まったで!」と言い交わして二人で庭に出た。「終わったら戻ろな」と、二人して庭で喧嘩の終わりを待っていた。父と母の喧嘩は「すぐに終わる」と、わたしたちは知っていたのだ。 あの頃はもちろんそんなこと考えなかったが、今になって分かる。それを微笑ましく思い出せるのは、その待ち時間こそが幸福のしるしだったからだ、と。 行動半径が広がって、「庭」と呼べる場所はどんどん広がっていった。バスに乗り、電車に乗り、街に出ていって、「ここはわたしの庭だから」と言えるところが増えていった。この喫茶店に入ればいつまででも本を読んでいられる、とか、この季節のあの道は木漏れ日がきれいで気持ちいいとか、ここに来れば友達に会えるとか、あそこの店のおばちゃんは面白いとか気前よくまけてくれるとか、この食堂は安くて美味しいとか。 「庭」にいる時、人は安心できる。また、安心できるから「庭」と呼ぶのだ。
このところ、どこにいても、安心がない。どんなに慣れた街でも、いつ無作為にどんな危害に遭うとも限らない。 自分の「庭」と呼べる場所を持たない不幸な人が多いのではないかと、わたしは時々思う。安心できる場所。別になんてことないのに、「生きている」と実感できたり、自分が(世界に)祝福されていると思える場所。
そう言えば、「家庭」という言葉にも、「庭」という字が含まれているのだな。
こうして書いている内、通り雨が、2度ほど、やって来ては去っていった。こういうのは部屋の中にいても分からない。本当に、雨が通り過ぎていくこの感じ。その名前が如何にふさわしいものであるかも体感する。「通り雨」。そして、どんどん肌寒くなってくる。部屋の中の暖かさが恋しくなってくる。どんなものでも「恋しい」と感じて、かつ、それが待っていてくれることの幸福感。
ほらほら。こうして書いているとちょっと気分が変わってきた。
ああ、願わくは、わたしの様々な安心の場所が、いつまでも冒されませんように。すべての人が、安心できる「庭」を持てますように。ほんの、ほんの、ささやかな場所でよいのだから。
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