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2001年05月06日(日) |
精と魂を傾けるもの。 |
今日は何も特別なことのない休日。確かに仕事の電話が10本以上かかってきて、いちいち資料を広げて色んなファックスを流す作業をしたりもしたが、でも、ずうっと家にいたのである。外に出たのは、夕食の仕度の買い物だけ。なんと、12時から2時までお昼寝なんかしちゃったし。一人は淋しいが、楽しくもある。 久しぶりにレンタルビデオを観たり、長風呂して本を読んだり、髪を染めたり。まあ、忙しい時にはとうてい出来ないことを気の向くままにやって過ごした。 今日の読書は、笙野頼子の「愛別外猫雑記」。 彼女は創作のかたわら、目白の自宅近辺に住む野良猫の保護に精と魂を傾けて過ごす。野良猫が増えるのを懸念する余り、野良猫を捕獲し、自費で去勢手術をし、里親を捜す。近所の猫嫌いや、餌はあげるけど家にあげるのはごめんだわといった無責任な猫好きたちと、日々論戦を交わす。そして、保護した猫たちの里親候補と「猫に対する考え方が違う」ため預けることができず、千葉に猫と暮らすための一戸建てまで買ってしまう。 いやはや、その熱の入れぶりは凄まじい。 ただ一度の人生の時間を何にあてて生きるかはもちろん人それぞれ違うが、誰だって持ち時間が限られていて、そうそう色んなことには時間を一度にさけないものだ。 女の場合。子供がいれば、子供の面倒を見ること、成長を見守ることに多くの時間が割かれるだろうし、生活が楽でなければ、子供の世話と仕事に時間は割かれるかもしれない。わたしのような働く一人暮らしは、仕事に没頭することと、余暇を如何に快適に過ごすかで(精神的に贅沢に、とでも言おうか)、時間が過ぎていく。 自分の人生に納得していようがいまいが、何か没頭すること熱中することがあることで、人は救われる。それが自分の生活なのだと思えてくる。また、そんな皮肉った言い方をしなくても、生活の愛しさ、生きることの意味なんてのは、人それぞれ、そこら辺にちゃんと転がってくれているもののような気もする。 笙野さんにとっては、それが野良猫の世話だった。彼女の凄まじいところは、そんなこと先刻ご承知で、野良猫たちに時間を割き、行くところまで行っちゃってるところだ。 自分が何者なのかよく知っている。自分が何をしているのかも、自分がどう見られているのかも、自分が何故そこまで猫に入れ込むかも、よく知っている。 そしてまた、分析してくれなくってもいいのに、きっちり分析してくれる。自分を。 これは読み方によれば、かなり気持ちの悪いことだ。わたしみたいに、それなりに自意識が強くって、かつ、一人で生きる女には、空恐ろしいものがある。 「そんなに自己分析してくれなくっていいよ、露悪的だよ」と作者に御意見申し上げながら、ついつい読んでしまう。 なんてったって、冒頭から「猫にも独身女にも約束の地はない」と彼女は書いた。 読んじゃうよな、そうあからさまに言われてしまうと。挑戦を受けるような気分で、読んじゃうよな。
うーん、わたしはこれから何に精と魂を傾けていくんだろう? そう言いながら、心の中では「こうでありたい」という願いがちゃんとある。実現するかしないか分からぬ夢のようなもの。 いくつになっても、夢見ていいよね? と、聞く人もいないのに、問うてみる夜。
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