世界お遍路 千夜一夜旅日記

2007年09月18日(火) ナヴァラス・・・インド映画

長岡アジア映画祭2日目・・・きょうは19時30分〜の「ナヴァラス」1本のみ。ちょうど、塾の方も、夜は休みになったので末弟をお風呂に入れてから車を飛ばして会場へ。
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映画は、インドの第3の性ヒジュラがテーマである。
13才の少女シュエータは叔父ガウタムが女装しているところを目撃した。問いただすシュエータにガウダムは、自分は生まれつき体は男だが心は女だと告白する。
そしてまもなくクーヴァガム村で始まるヒジュラのお祭で女として生きることを誓うとも話す。
ちょうど、両親は田舎の結婚式で不在。家を出たガウダムをシュエータは追う。
しかし、村への道は祭に参加するオネエ言葉系のヒジュラさんたちで一杯なんだわ。さらにマドラスからきたボビー(ダンサーのヒジュラ)がシュエータを追い回す。ボビーは祭りの前日に行われる美人コンテストに出るという目的できたのだ。最初ボビーを拒んでいたシュエータだが、ボビーの生い立ち(父に勘当されてうちを追い出され、人にバカにされるという生い立ち)を聞いて心を開いてうち解けていく。そして叔父のような人間が大勢いて、周囲の無理解で大変な人生を送っていることを知るのだ。

すごいのは30万人もの人が集まるヒジュラのお祭りが舞台!だってことだ。
男が女になって古代叙事詩を再現するクーヴァガムの祭は南インドの女装フェスティバル。エネルギッシュで、カラフルで猥雑で、まさにインド。
濃密な映画だ。「インド」が香り立つ。
びっくりしたのは出演しているヒジュラ(要するにサード・ジェンダー)が実際その人そのままだってことだ。生い立ちも含めて。
ボビーは実際に名門の子弟であったが、ヒジュラであったがために家を出て俳優となり、シュエータもそのままシュエータで学生。叔父役のガウダムもまた実際にヒジュラだ。
ボビーはこの映画でモナコ国際映画祭の助演男優賞を獲得したのだが、大きく報道されて「彼女」を絶縁していた父から和解の電話が来たという後日談もあるのだとか。
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ヒジュラについては、昔インドに行ったときに知識として本で読んだ。
いわゆるインドのアウトカーストである。
実際に性器を切り取る人もいるし、女装だけの人もいるし、のようなのだが、ヒジュラである以上は、伝統的は衣装(サリー)着用がお約束だ。
で、家族から離れ、彼らのコミュニティで生活する。呪い、芸能、神に仕えるなど、仕事も特定限定。基本的にアウトカーストだから、尊敬はされない。差別とさげすみは付き物らしい。
こんな微々たる知識を映画を見つつ思いだした。

インドのすごいところ、というか奥深いところは、ヒジュラというカーストをつくったところだろう。
英国はこの国を統治していたときにヒジュラは認めなかった。法律を作って罰則と抑圧・排除の対象だった。今もその法律は生きている。
しかし、全人口の10%程度は男でも女でもない人類が誕生するというのは、厳然たる事実だ。これは、生育歴の問題ではなくて生理学的、統計的事実、科学である。しかたないことである。
神さまは、よくお考えになっている。多分、すべてが雄か雌になって、生殖活動をしたら、我々は餓えて死ぬのだろう。
あるいは2つの性しかなくて、滅びに向かうとすれば、救済の道として「ヒジュラ」的存在が必要とお考えになったのではないか。大いなる神仏たちは。
その辺のところをインド4000年の歴史は見抜いていた。
マイノリティを「ヒジュラ」という形であってもみとめる、血は流さないというところにインドの偉大さを感じるのだが、わたしは。

明日見るタイの映画もなかよし男2人の話だし「オカマ系」の映画かなあ。
「トロピカル・ラマディ」
カンヌ映画祭審査員賞を取った映画だ。


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