6時半起床。外はいい天気だ。シャワーをあびて、ちょこっと昨日コンビニで買ってきた飲み物やパンをかじる。 8時出発。 昨日町中案内のパンフを見ていたら、すぐ近くに善知鳥(うとう)神社があることがわかったのでまずはお参りだ。 けっこう大きな神社だ。善知鳥は、能にもなっているテーマ。
その後、駅まで戻ってバスで棟方志功美術館へ向かう。 「おらさ、日本のゴッホになる」のアーティスト。 絵もあったけど、やっぱり、版画がいいなあ。 作品に、非常にプリミティブなエネルギー、まさに三内丸山ではないが縄文的なものを濃く感じる。 生前のビデオを見ていると、その集中たるやや、これぞ天才を感じた。 町中に戻って、ホタテ専門のご飯屋さんでホタテフライ定食を食べた。 身がふっくらとしてジューシーで美味。
さていよいよ本命の恐山へ。 12時発八戸行き、野辺地で大湊線に乗り換えて下北下車。あとはバスである。 野辺地・・・わたしは「のべち」とよんでいたのだが、なんと「のへじ」と読むんですなあ。駅員さんに、訂正された。 のへじともへじ・・・一字ちがいである。 駅名を写真に撮りましただ。
途中に、浅虫温泉とかあるんだな。けっこう有名な温泉地だが、電車で来れるんだねと思った次第。 下北に降りたら、もう空気が青森ともちがっていた。 何だか、透明感がある。 北国の短い夏・・・はかなげな光が、思わず北欧を思い出させた。 どこか、ヨーロッパ北の田舎町の夏の終わり、といわれてもいい感じの空気感があった。
さて、電車着13時44分、バスは14時発。 「霊場恐山」とかかれたバスの表示が何だかパワフル。 時間通りに発、むつ市内を通過してサクサクと、進行。途中、昔徒歩の参詣者が飲んだ「冷水(ひやみず)」なる湧き水に停車。 飲んだ、もちろん。(泉を見れば、どこでも飲む私) やや、チョーがつく微量さで鉄分があるかなとも感じたが、うまい水だった。 どうやら恐山への道は、昔あるいていった道をのそのまま広げたようで、規則正しく「町石」が残る。 道は基本的に登りだが、やがてどんどん下る。 そして硫黄のにおいがプーン。 水色が美しい湖が見えてきた。 宇曽利湖だ。 恐山菩提寺はそのすぐそばに立つ。 今日はここの宿坊に泊まる。 1泊1万2千円。 ネット情報だと、部屋がでっかくて控えの間がある豪華さで、食事は精進だとか。 それでも高いよ。 前泊2泊(弘前、青森どちらもビジネス5000円くらい)より高い。 ま、2度と泊まらないだろうということで話のタネで泊まりませう、ということで予約してある。 考えてみれば、11月には閉めて5月からしか開けられない気候の厳しさ、アラスカと同じく夏に冬の分もかせがないといけないのだろうと。 宿坊に行くのに、なんとふつうの拝観者と同じく500円の入山料を取られる。まあ、不満はあるが、これまた夏のみだし、しかたないかな・・と納得。
15時少し前宿坊入り。 確かにりっぱ、応対も素朴なり。 部屋15畳、控えの間4・5畳。洗面所とトイレ広々。 それでも、15畳のまん中に布団を敷かれても落ち着かないよ。 自主的に隅っこに移動したわ、トホホ。 荷物を置いてお参りと散策に出発。 恐山菩提寺、もともとは天台だったはずだが、今は禅宗だ。 恐山は、下北では、というか東北一円で「人は死んだら、お山(恐山)さいく」といわれていて、霊魂の集まるところである。 春に行った出羽三山神社でも、お社のそばにひっそりとしかし、りっぱなかまえで、死者が詣で参集するお社があったし、これは普遍的で、ある意味この国において一番古い信仰の形なんだろうと思う。
ご本堂、新しくてりっぱの一言。 いよいよ、ぷすぷすと硫化硫黄のガスを吐き出している「不毛地帯」(地獄かサイノカワラか)へ進む。 要するに、那須の茶臼岳のように活火山状態ですね。蒸気爆発のけむりをはいている。(いや、帰ってきて調べたら、恐山はれっきとした活火山に分類されていた、おどろいた) 不毛の大地に色鮮やかな風車があちこちにささっていて、風が来るとそれがカラカラとまわる・・・お地蔵さんへのお賽銭も硫酸ガスに腐食されてまっ黒になっている。 山をまわってたどり着くのは宇曽利湖のまっ白な砂浜だ。 ここは浄土ヶ浜といわれているらしい。 ここから、霊魂たちは、お浄土へ旅だつ・・・これはニライカナイ思想ですか。 ここからまた道はお寺のむかう。道筋に若くして亡くなった人達の供養の碑が並ぶ。そこにも風車がまわる。 夕方5時近くなると、平日だし人もまばらになる。寂しいいい・・でもなんだか私には居心地いい。 高台のベンチで宇曽利湖の青色を見つめながら、夕方の気配をシミジミと味わったのであった。 恐山は境内にも温泉が4つもある。 だれでも入れる。 男湯が2つ、女湯が1つ、混浴が1つ。 昔歩いて参詣した人たちにとってはこの温泉は至福の湯であったろうと思われる。 あるいはまた、お寺に温泉(というか湯屋がある)のは、けっこう古いお寺の形態だ。東大寺、京都の善峯寺など思いつく。 東大寺は、もちろん今は跡だけだけど、京都の方は確か今でも15日だったかには薬湯をたいて参拝者が入れるようにしているはずだ。
ということで、私も食事の前に、境内の女湯(古滝の湯)に入った。 正真正銘、源泉加水(暑すぎるので)。濃かった。 神奈川からレンターカーで下北をまわって温泉三昧というご夫婦の奥さんの方がはいて見えて「きょうはこれで3湯め」とか。いいねえ。ニコニコ。 6時夕ご飯。 恐山講という、岩手からのじいちゃんばあちゃん団体。(20名ほど) 個人はわたしと、東京からのご夫婦と女性ひとり旅。 受付にいたお坊さんが、食事の前の言葉を指導。 禅の言葉のようだ。 けっこう内省的でストイックなお言葉だ。 たとえば「自分はこの食事をとる資格はあるのか、反省せよ」みたいな意味の言葉もあって。 机上はまっすぐに精進ではあるが、質実で素朴。 野菜の煮付け、キノコや野菜の天ぷら、酢の物、漬け物、和え物、デザートの果物盛り・・などなど小さめの器に8品ほど並んでいたろうか。 こういうのを食べていたら、絶対に太らないと思う。 終わったら、おわんのフタはあったようにかぶせよ、といわれてそのように。
食事後にお風呂。 こちらも温泉、大浴場だ。 ここは、白濁していて、何も見えない。境内の温泉と種類が違うようだった。 強いイオウ泉。 あっという間に手にしわができてすごい。 これに3度4度と入っていたら、しなびてしまいそうだ。
豪華な部屋ではあるがテレビがない。 思うんだけど、この硫黄充満の世界では、テレビとか壊れやすいんじゃなかろうか。 お寺や宿坊が新しいのも、「お寺商売」でもうかってということでなくて、朽ちていくんでしかたないんじゃなかろうか。 あの地獄不毛地帯を見たあとではそう思う。 お賽銭、まっ黒になっていたモン。とけていたもん。 テレビはいつもそう見ないのでなくてもべつに問題なし。 外にでた。月が見えている。 人気のない鎮まった恐山は、月光に照らされて清明で平和だった。(←平和って変な表現だけど、そう思ったのだ)
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