世界お遍路 千夜一夜旅日記

2004年11月06日(土) 子どもへ読み聞かせボランティア

深夜、朝方と2回、結構大きな余震があった。
人間より犬がおびえる。

10時ころ、今日は土曜だし、子どもの読み聞かせボランティアに行こうとかえるくんの「ふたりはいっしょ」と「ねずみのいもほり」「おしゃべりなたまごやき」の三冊をもって、ボランティア受付をしている市の福祉協へ。実にわかりにくい場所で、全国から来ているのにこれではねえ・・・が第一感想。
長岡駅近くとか、市の施設になっている大手通のビルでできなかったのか・・と思った。要するに、管轄が違うということなのだろうが・・・私は土地勘があるからいいが、それ以外の人で公共機関で来た人には歩くと20分以上かかるし、わかりにくい。
いってみてわかったことは、午前の受付はもう終わっていて、それで人が余っていたということだ。
30人以上の人が仕事がなくてまたされていた。
待つのいやなら帰ってくださってもいいですよということだったが、なんだかな・・・たとえば、川口町とかは手がほしいところである。しかし、長岡市は遠くからの人にとって来やすいというか、知名度は高いけど、川口町はよくわからないところではあるのだろう。それに、まだ道もよくないし、危険度も高いし、ライフラインの復旧も他地域に比べて遅れていて、たくさん入られても困るのかもしれないが、せっかくの善意が十分に生かされていないなあと感じた。
1時の受付というので、もし需要があるのならいますがないのなら帰ります、というも、わからないということでペンディング。
んじゃ、いいよと長岡中心部を散策。実に無傷である。長岡東バイパスの東側(山側)と、えらい違いだ。東が地獄なら、市内は天国だわ。
ここには「昔の長岡」があった。
さすがに、町の中心の市の施設は閉鎖していて建物前には中国語、タガログ語、ポルトガル語、韓国語、英語で地震に対する対応についての掲示が掲げてあった。
大手通のミスドで、コーヒーとドーナツで一休みした。
ところどころ地割れがあるものの、長岡の街中大丈夫!!
ボランティアの人には、ぜひとも山の中(川口、広が見、小千谷など)へいってほしいと感じた。

12時過ぎに、また戻って、今度はちゃんと対応してもらって、「上組小」へいってくださいというので、車で送ってもらっていった。
子どもは男の子を中心に15人ほどがいた。
カードゲームに夢中で、本を読むよといっても、5人ほどしか来なかった。
で、かえる君のお話をひとつとねずみの芋ほりをよんでから、新聞紙とガムテープを借りてきて「刀を作って、ちゃんばらするよ」といったら、男の子たちがわらわらと集まってきて結局12人ほどで外でちゃんばらごっこをして最後は校庭の樹をがんがんたたいて、スカッとした顔になったところでおしまい。その後、また「おしゃべりな玉子焼き」を5人ほどの子を相手によんで私のボランティアは終了。
時間にして1時間半くらいかな・・・・その間に1度結構大きな地震があってどきだったが、みんな一瞬動きを止めたが、まあ大丈夫という顔になるとまた遊びだす。
大人も子どもも、地震なれ状態だった。
詰めている市役所の人の話だと、この地域は全壊などはないので、親もまあ元気だし、子どももそれに比例して元気だから・・・という話だった。
なるほど。
それにしても早く、みんなうちに戻れるといい。

今日は結構余震があった。
地震計は市役所についてるようだが、そこの数値が公式の数値として出る。
しかし、それは問題。だって、役所の数値よりバイパス東側は1プラスだと思う。
それは、上組小で話した役所の女性もいっていた。
今日午後のゆれも、市役所の震度計は2だったようだが、避難所で感じたのは3強だった。で、これくらいだとみんな動じない。
そういう感じだ。

そうそう、長野からボランティアで来ているという男の子と話してびっくりしたのは、一番ひどい長岡東側をまったく見ていないことである。
うちの近所には避難指示で、立ち入り禁止のところたくさんあるのよ、といったらびっくりしていた。
どうしてですか、とこれまた素直?似聞くので、あなた直下型ってそうなのよ、といったらへえ・・だって、こっちがへえ・・だった。
せっかく来たのだから、長岡の中心にいないで見てほしい、山際のひどさを、それを目に焼き付けて帰ってほしいものだと思った。



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