| 2004年11月05日(金) |
ほとんど全壊・・親戚のうち |
長岡には市内中心部を抜けなくてもいいようにバイパスがある。 そのバイパスの信濃川側(いわゆる中心)と山側(この山の向こうに山古志村がある)で被害がまったく違う。 信濃川側は被害は少ない。山側が被害甚大で痛ましいのだ。 そのうちでも、その程度がまた異なる。 うちの親戚(長倉町)は、築40年ほどになると思うが、ぼろぼろになった。 しかし、雪国仕様のつくりの強みでたってはいる。 しかし中は土壁が落ちて・・・・戸や障子はぐさぐさ、まさに人がすまなくなって10年もたつと中もこうなるか・・状態だった。 親戚のうちに間借りしているが、いとこのお嫁さんがいたので話した。 「二階にいたんだけど、壁がどおおっとかぶさってきて、全部取れた、2部屋が一部屋になった、何がなんだかわからなかった、みんなが無事で生きているのが不思議なくらい」 叔父は風呂にはいっていたらしいが、やはり壁が一気に崩れてきて、これまた良くぞ助かったという状態だったとか。 中を見せてもらうと、土壁でも中に筋交いが入っているのは何とか少し持っているが、入っていないものがだめだった。 庭先にも大きな切れるが何本も走って、庭の灯篭もあっちこっちに飛んで、まさにモンスターが通り過ぎていったかのような様子だ。 すごいよな・・・ いとこのお嫁さんは、かぞくみんなの命があったし、風通しがよくて結構気持ちのいいうちだったけど仕方ない、もういい、立て替えるしかない・・・と結構さばさばしていた。 ここまですごくなった我が家を見るとそういう気持ちにもなるのか、と・・・・ 持っていたアパートも赤紙危険で、だめとかで踏んだりけったりのよう。 弟が、叔父やいとこが直後に呆然として少し精神的に変だったといっていたけど納得した。 なんとも言葉もない・・・
優太ちゃんが退院した。 あの土砂崩れで3台の車が下敷きになった。 後の2台のドライバーは逃げ出していて、命は助かった。 そのうちの1台に乗っていた女性が新聞で語っていた。 「もう一台のトラックの運転手の人に逃げないとだめだ、と強く言われて逃げた、そのすぐあとに崩れた。振り返ると、白い車(皆川さん親子の車)は見えなくなっていた」 つまり、おとながにげる位の時間の猶予はあったのだ、あの土砂崩れの現場では。 皆川貴子さんは、子供もいるし、その場で助けを待つつもりでいたのではないか、逃げるじゆんびをして、窓を開けるとか何かしらのアクションをしているときに土砂が襲ったのではないか。 私はあの2歳の幼い子が外に自由に出たということはつまりチャイルドシートからは自由になったところで、車が埋もれたと考えていいのかな、と思ったりしている・・・いずれにしても、皆川さんも自分ひとりだったら逃げ出せたろうに・・・。 今回の地震の死者は、老人子供とはっきりしている。 災害弱者、ということを考える。
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