世界お遍路 千夜一夜旅日記

2004年11月02日(火) 非常時的納骨

今日は父の49日だ。
義妹は、今日はじいちゃんの49日だから帰らないと、服持ってきて・・・と、集中治療室にいるのに言い張って、付き添いのむすこをこまらせていたらしい。
ほんとは、納骨の後に食事などを考えていたらしいが、お寺も大被災者だし、いつ余震が来るかわからないし・・ということで急遽お経とお骨収め、その後にお茶で、と実に簡素な49日となった。
母によると、父は亡くなってから一度も夢にでも出てこなかったのに、地震後初めて夢に出ておいでになったらしい。ぬううーーーと顔を出して、あちこち見渡して一言も発せずに帰っていったらしい。まあ、無口な人だったし、らしいといえばらしいが。心配で見にきたんじゃないのとという結論だ。
とにかく、うちのお墓はかろうじて、前が後ろに向いていて、落ちる寸前まで動いていたが、何とか落ちずにすんで無事に納骨が終わった。
朝から雨だったのだが、午後からは上がってさわやかな空気だった。ただね、周囲の墓石がほとんど全部ダメージを受けているのが異様ではあったが・・・。

今日は午前中に、岩手一関の住宅災害診断士?サンですかね、そういう方が2人おいでになって、うちのげんかんに「調査済み」という、緑の紙を張っていってくれた。
岩手からですか、車にとまって?とお聞きしたら、いえ新潟でとまってそこからだという返事だった。
そうだよねえ。
うちの畑のそばにある電柱が明らかに傾いていて、倒れたら、直撃だ。そのことを相談したら、すぐに倒れるということはないが、電力会社に連絡しておくほうがよいということだった。
うちの古い作業小屋は、土台のコンクリートがゆれで一部かけ落ちたり壊れたりしているが、精米作業などをする最新の小屋のほうは、柱の土台近くにに鉄製の枠があって、それがボルトでしっかりとめてある。もちろん雪国仕様だから、柱は普通の2倍以上。診断士さんたちは、この柱を見て「いや、いい仕事ですよ、これだとびくともしないというのがわかりますね」とほめて帰った。
犬の散歩をしながら、あちこちを歩くと結構「要注意」の黄色紙を張られているうちがある。一見、外側から見ると被害がほとんど見えないが、プロの目から見ると危ないところがたくさんあるようだ。
ちなみにうちの本家のお蔵は、築100年くらいだと思うが、土台がずいっと動いて、もう一度でかい余震がきたら、倒壊するぞという感じだ。

ほかに今日は、水道局の人が水チェック。村内の道路は戦場仕様?の迷彩色の自衛隊の車が走っていたりして。いまだに水が復帰していない地区の方から来たから、もしかしたら、お風呂でもつくりにいったのか知らん。
それから、千葉県警のパトカーが巡回に来ていた。
これもちょこっと、びっくりした。
募金と偽って、お金を騙し取ったり、役所のもといって、入り込んで貴重品を狙ったり、こんな田舎でも人の不幸につけ込んでいろいろとあるようだから、巡回も必要になってきたのかもしれない。
ただ、基本的にはみんな助け合っている。
弟は、今日はいまだに水が復旧していない親類縁者に風呂に入りにきてといいにいったし。まえの家からは、夕方おかずが届いたし。
被災者たちの住環境も似たようなものだったろうし、たとえば山古志村の人たちが同じところに仮設住宅を作ってほしいと、強く要望しているのはわかる。見えないものがみんな大切なんだよ。同じ地域に長く住んでいるといわなくても分かり合えたりする、若者はそれがうざかったりするけど、でもそのつながりを失いたくないんだよなあ。

姪によると、物は余るくらいに来ているらしい。
彼女は、いまだ夜勤務で、夜8時から朝9時まで、近所の避難所詰めをしている。まるで、夜勤ナース状態だ。帰ってきても、そう寝ている暇もなく母親の付き添いにいくし、体を壊さないといいが、と心配になる。
役所の人も被災者なので、結構体調を崩している人がいるらしい。
被災者が被災者の面倒を見る・・・て仕方ないのだが、これって何とかならんのか?
今不足のボランティアは、たとえば子供の相手をしてくれる人、老人の話し相手になってくれる人・・・がいるらしい。
納骨も終わったし、家事をやりながら明日かあさってからそっち方面できそうだし、やってみよかしらん。






 < 過去  INDEX  未来 >


moheji.s [MAIL]

My追加