世界お遍路 千夜一夜旅日記

2004年02月24日(火) *足摺テルメ、なかなかじゃん

朝の三原村は、真っ白な世界。霜が降りているのだ。
7時すぎ発。
例のごとく、氷点下である。
下の加江側に沿って下るぐねぐね道、一車線の寂しい道・・の印象があったが、今やすっかり付け替えられて、広く明るくなった。変わった。
で、さらに、土佐清水と宿毛をつなぐ道路の大工事をしていて、景色が様変わりしている。びっくり。しかし、過疎の村の印象は変わらない。
Kさんは薬を飲んだが、効かない、とぶちぶちいいながら、足を引きずりつつ歩く。私も、できるだけ彼女の歩調にあわせたいのだが、寒すぎてついつい早くなる。
やがてお日様が差してくると、ほっとする。
お日様の力は偉大だ、と思う。
休み休み、ゆるゆると下る。

今日は、宗報さんがこちらに調査に来るというので、下の加江で3時頃といわれているが、1時すぎに出たので、喫茶店で食事をして休んで、バスで足摺に出た。
kさんは、すでに限界状態だし、乗るしかない。
今日は、私もご同行しましょうということで、乗った。というのも、ここはうち戻りの場所だし、同じ道をまたここに戻るので行きは乗って帰りは歩くということで。
昨日、いきいき三原会の寝具の枕が竹製で寒くて12時頃まで寝られなくて、結局、座布団を枕代わりにして寝た。で、やや睡眠不足。乗ったとたん睡魔におそわれて眠って気がついたら、土佐清水の市街をすぎて、足摺西回りルートを走っていた。
宗報さんから、下の加江についたのでんわあり。しかし・・ねえ。
金剛福寺で落ち合うことにした。

3時半、金剛福寺。
お参りをしていたら、宗報さんも来た。
ちょうどよし、だ。
金剛福寺の納経所、車ですか、聞かれて、いえ歩きですと言ったら、ご苦労様です、と手ぬぐいをくださった。
宗報さんは、納経所で、奥の院について熱心に取材しているので私とKさん、ジョン萬ハウスへ。
そこで、歩きの若者と会った。
今日は、カンカンラリーの先鋒の男性と三原のお遍路休憩所で、それから彼、二人目である。
毎日歩き遍路さんに会うこのごろだ。
そうそう、今日はウグイスが上手に鳴いていた。
春、そこまでですわ。

宿は、足摺テルメ。
着く前に、唐人駄馬遺跡に行った。
前からいきたかったところだ。
唐人石、ここは、縄文遺跡というが、巨大なイワクラだ。
気が強い。
古代の祭祀遺跡と考えていいと思う。
駄馬遺跡の方はストーンサークル。
ここも、気が強い。(唐人石ほどではない)

テルメは、温泉で、部屋もきれいでグッドな宿。
夕食もグー。
なにより、建物がおもしろい。
食事をしつつ、宗報さんの今日の調査成果を拝聴した。
なんのつもりかねえ・・の話題は「遍路道にかけられている、キリスト教伝導の木札」だ。
手のひらサイズの木のお札に、赤で十字架が書いてあって、黒字で聖書の言葉が書いてある。
「遍路道に十字軍がきた」と私は感じているのだが、無神経というか、びっくりというか。
歯長峠を、ひーひーとのぼっていたとき、目の前に、「イエスキリストを信じなさい」という、お札がぶらんと来たときは、さすがにむかっときた。信じなさい、という命令形が私の疲れた体と神経を逆なでしたのだ。
時々、故意が偶然か、そのお札が、落ちていたり、落ちて割れていたりする。
それもまた、なんだか気分が晴れない。
どんなお方がつけたのか知らぬが、罪作りなことである。
そんな話をした。

ここは、国民宿舎にしては、高いが、いい宿だと思う。
さらには、お遍路の宿としても、贅沢すぎると思うが、一度泊まりたかった宿なので・・・・
私のお遍路史上初めて、温泉に2度入った。
質素、修行を旨とするお遍路道からはずれているかも、と心やや痛し。
かの若者は野宿をするといっていたが、ごめんね。





 < 過去  INDEX  未来 >


moheji.s [MAIL]

My追加