世界お遍路 千夜一夜旅日記

2004年01月14日(水) ★帰る日

深夜発のフライトである。
朝早く起きたが、今日は寒い。
昨夜遅くに来た親戚の女の子が8時半には出るというので、お茶の用意とかをしていたら、アスカダムが起きてきて、洗面器に突っ込んであった、肌着類をさして誰のか、という。
「私のではないし、ナオミちゃんはシャワーごとに洗濯しているし、アスカデッドかビレンでしょう」
 アスカダム、なんと、その洗面器に手を入れて下着を洗い始めた。
「彼女たちは、もう少女じゃない、あなたがすべきではない、自分でするべきだ」
「しかし、きょうは、アスカデッドは帰る日だ」
「あなたは甘いパパね」
そういっても、彼はつけおき下着をさっと洗ってかけていたモンね。
私はあきれかえった、おこしてしなさいといえばいいものを・・・
(私たちの話が聞こえていたのだろう、その後すぐにアスカデッドがあわてて起きてきて、私の顔を見ながら、もう一度洗濯をし直していたが)
私とナオミちゃんのベッドのまわりに散らばっているものも、お嬢さん方のものが大半。
アスカダムが私のはどれか、と聞くので、私は自分のそばのベッドサイドと常に旅行カバンの中だ、私は20分あれば、出る支度ができると応えたら、そうか・・・
お嬢さん3人、越後の言葉でいえば「ショータレ」(かたずけができない、とっ散らかっている)。
しかしアスカダムはいわない、決して叱ったりしない。
彼は、ホントに優しい父親で。
今度の旅での彼らの関係は私にいわせると3人のプリンセスと彼女たちの忠実なる執事ってところかな。
(この話をオランダに帰って三枝子にしたら、アスカダムの母親がノルウエーを訪ねたときにアスカダムの動きを見て「アスカダムは妻と子どもの召使いのようだ」と評したという話をしてくれた。私の「執事」もそう的はずれではないのだな、要するに日本の父親からは考えられないマメぶり、動きぶりなのだよね、日本のオヤジに見せてやりたいくらい。うちの田舎の弟もよく動くお人だが、アスカダムには負けているね)
私?
私はプロフェッサーアスカダムのかしこい?生徒である。
ついでにいうと、一番身体が動いて気がつくのは、アスカデッドである。
ナオミちゃんはマイウエイ。
ビレンは口先は達者。
ビレンで気になったのは、食べものの食べ方が汚い、食べられないほどの量をとって残したりする、ということ。これは、やはりこれは親のしつけの領域だろうと思った次第。
3人ともいい子、ということを前提にしての話だが。

もう一つ、彼らがショウタレなのは、時間。
時計をうつけていないせいだろう、少しずつ、約束の時間を過ぎる。
とくにビレン、彼女は人をつねに待たせる子だ。
本日は、アスカダムが11時半に出るからといっているのに、帰ってこなかった。
アスカダムは探しにいったが・・・で、すべての予定が狂った。
だから、夕方に来たガブリエススさんも待つことになった・・
「彼らは、3人とも時計を持っていない、若い子たちは時間にルーズになることが多いけど、約束を守らないのはよくない」
さすがにアスカダム「そう思う」と、これには、イライラしながら賛成した。
彼らが帰ってきたのは1時近く。
私がなんで、誰かが一人帰ってきて遅くなるとか言えないの?といったらナオミちゃん「3人で写真撮りにいってこい、といったノアスカダムなんだよ、で、ビレンが遅くに来て時間がすごくかかった」とぷんぷんする。
私は写真屋に行くとは聞いていたけど、フィルムでも取りに行くのか、と思っていたんだが、写真を撮りにいってていたのか・・フーン・・大時代的だなあ。
しかし、それだったら、もっと早い時にできただろうに・・・なんで今日なんだろうね・・・
で、ワタシ的に考えると、すごく時間がかかって、約束守れないようだったら、キャンセルとかの知恵もあろうものを・・・。3人とも応用が利かないというか、時間の感覚がアフリカ的というか。これって、若い?なんだろうか。
ふつう、どれくらい時間がかかるか、自分の予定をいってそれに間に合わないのだったら、キャンセルとかっていわんか・・これって日本人的発想なのかな。

今朝は、親戚の子が出るというのに、ナオミちゃんが1番にシャワーを使ってアスカダムがイライラして「ナオミは、彼女が行くことを知っているのに・・(それなのに、どうして一番にシャワー室を親戚の子に使わせないかという意味を含む)」みたいなことを私にいうし・・そんなの知らない、ナオミちゃんは、ただ一番シャワーだったら熱いお湯が沢山使えるとしか考えていなかったと思うし、多分。

さすがに3週間が過ぎると、いろいろと出てくる。

私は、きょうは親戚にいかない、とお断りして、町の中を一人でほっつき歩いた。
もう多分2度と来ない町だモン。
で、ワールドプレスインフォ・・という報道写真展を見た。

まあ、気持ちをさらにいえば最後の日の訪問にまで私がくっつていくのは如何なものか?親戚同士だけで、楽しくしみじみとした方がよいだろうという、日本人的発想で遠慮もしてみた。じきに日本に帰るのだし、感覚を戻さないと。

いつも一人の時に行っていたレストランでなじみになった女の子に「今日帰る」と挨拶してきた。
「エリトリアはどうだった」というお決まりの質問をにこやかにされた。
「たのしかったよ、みんな親切だった」

そうそう、市場でツーリストインフォのおネエさんにもあった。
やはりエリトリアはどうだったか、結婚式はどうだったか、と質問された。
結婚式はセレモニーだけだったといったら、それはまたどうして、というので、新郎の親や親戚がアジスだといったら、顔をくもらせた・・・・早く平和が来ればいい。

いったんうちに帰って、よく通してもらったお隣のおネエさんとおわかれの挨拶。
鍵ナシでうちに帰るとき、隣りのうちの中を通してもらって裏庭経由でよく帰宅したのだ。
うちの中を抜けるときに必ず、コーヒーはどう、お茶は?といわわれた。
時々ごちそうになって、カタコト英語でおしゃべりした。
6時過ぎにみんなが最後の親戚訪問に行くのを、9時にインターコンチのレストランでと約束して送り出して私は一人で最後のエリトリアテレビ視聴。
そうしたら、ガブリエススさんが奥さんと子どもを連れて、お別れにきた。
アスカダムと6時から8時の間で約束しているとか。
しかし、でていたんだよね・・・で、7時50分までまつが、帰らず。
ガブリエススさんがインターコンチまで送ってくれて、9時にみんなインターコンチに来る、飛行場は11時という話をしてお別れする。
彼には何かとお世話になった。
お土産にするバルバレの質のいいのを手配してくれたのは彼だ。

私は一人で、最後の晩餐。
ここはUNの御用達なので、別に一人で食事をしていても不審はないところ。
(ホントは、みんなでするはずだったんだけど、やはり親戚、親戚、インジャラ、インジャラで、みなさんは大変なことである)

9時過ぎ、みんな来る・・・ガブリエススさんのとこへは寄ってお別れをしてきたらしい、よかった。
11時に飛行場へ。
滞在のすべてが終わった。


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